連載小説
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神子の駆け落ち-3
あの日、綺麗な満月の日から心が離れない。
まず、勉強の内容に懐疑的になった。彼女の話と矛盾があった。司教にそれを訊いたら、めんどくさそうにため息をついて、

「それが教えですから」

と答えた。違和感が心に残って、逆にテストはよく覚えられた。久々の100点だったのに、誇らしさはなかった。

次は教会の他の子たちに、懐疑的になった。
彼ら彼女らは、自分のことを「神子様」と呼ぶ。たしかに自分は神子だ。でも、あの日リンさんからかけられた、「ナギさん」には敵わない。思えば、自分から名乗ることはあっても、相手に名前で呼ばれたのはいつぶりだろう。信用ならない司教以外は、自分のことを例外なく神子様と呼んでいた。自分とは、一体何なんだろう。神子とは?そんなに素晴らしいものなのだろうか。

最後に、教えに懐疑的になった。
あの日初めてした行為が忘れられない。艶かしい唇が、体の一部を撫でたあの日から。魔物は本当に悪か?あんなに美しい人が?僕の初恋を否定するのか?間違っているのか?

自分を取り巻く環境が気持ち悪くて仕方なくなった。ふと、ナギは思い出した。リンの言葉を。

「駆け落ちしよう。荷物をまとめて。」

自室から窓越しに空を見た。彼女がいつも通りの場所で、微笑んでいた。

「そんなに荷物で、どこへ行くのです」

外に出ようとすると、あの日と同じく司教が廊下に立っていた。

「月を眺めに。」
「嘘をおっしゃい。月を眺めるのにそんな大荷物が要りますか。」
「要るんです。」
「最近のあなたはおかしかった。まさか、魔物に会ってはいないでしょうね?」
「月に魔物がいたとしても、遠過ぎて届かないですよ」
「いいえ、月じゃない。月に魔物などいません。月ではないでしょう?」
「いえ、私は、月に行くなら踏み台が必要と思って。」
「…どちらにせよ外出は一度きりです。今日は出しませんよ。」
「別に許可をもらう必要はありませんね。」

僕は、ひらりと司教を避け、荷物をもったまま廊下での全力ダッシュを開始した。ドアに鍵はかかっていない。魔物の侵入ばかりに囚われて、こういうところで疎かなこの教会も、ドアを開けばこれで最期だ。駆け出す。上空を見上げる。いつもの影が、美しい満月と共にそこにいた。三つ目の結界を破る、司教がばん、と扉を開いた音がした。トリネコの横を通る。2つ目の結界を破る。前方、一枚目の結界のあたりに、リンが見える。走る、息が切れる。リンのもとへ急ぐ。最後の結界に触れる。少しの抵抗を感じたが、外から手が伸ばされている。リンの手。僕は手を取った。結界の外に引き込まれる。そのまま後ろから。抱きつかれる。次の瞬間、体が宙に浮いた。リンに抱えられて、空を飛んでいる。初めて出会った時に見たような超スピードだった。下を見る。もう、自分のいた教会が遠い。片田舎の神子を擁していた教会は、まもなくナギの視界から消え失せた。



「もうあれから10年も経つのね」

深夜を回った鐘の音がする。部屋を隔てる壁の向こうからはお盛んな声がする。食欲を快楽で誤魔化してある程度満足したリンが、ベッドの上、私にべったりとくっついている。この部屋は駆け落ちして以来、ずっとお世話になっている二人の愛の巣だ。
壁には、あのとき使った神力が込められていた未使用のナイフが飾ってある。あの時返すのを忘れたそれは、護身用に持ち出したモノだ。実際は、自分が学んでいるよりも外は全然危険じゃなかった。魔物娘連れの男は一切襲われることがないどころか、魔物社会は退廃的なエロスに囚われながらも、人間社会よりちゃんと社会のカタチをしていた。でも、リン曰く通常の魔物娘にとって自分の体液は毒でしかないので、間違って襲われて人(魔物?)殺しにならずに本当に良かったと思う。
そういえば、考え方も随分変わった。魔物殺しをすることが、教義ではいいことだったし、えっちなことは悪いことだったのに。教義のことで優秀な成績を修めてきたはずなのに、そこまでの努力が馬鹿馬鹿しく思えた。
飾られたナイフの力は徐々に弱まっている。それは、経年劣化によるものではない。主神の力が落ちていることによるものだ。もっといえば、主神の神力と魔王の魔力のパワーがどんどん近くなっているのだ。

「気づいてる?あなたの体を巡る神力、昔は私が精をもらう代わりに注いでいる魔力がまるまる神力に変換されていたのに、どんどん変換できなくなって少しずつ魔力の反応で澱んでいるの。」
「そうか、魔力が変換されてたのか。耐性があるって思ってたけど、本質的には変換…それがもうキャパオーバーしてるってこと?」
「さあ?えっちなことをした後に一瞬淀みが見えるってだけで、3時間もすれば元の気配に戻ってる。でもこれってね、大きな変化なのよ。」

それは、中和反応の終点近くのような。もうあと少し、この世界に何か変化があれば、僕は神子以外の何かになれる。一度でも魔力漬けになりこの身を侵されれば、もうインキュバスから後戻りできなくなる。俺はその日を待ち侘びてしまっている。堕落できない体が、とうとう屈して堕落するのを、今か今かと待っている。リンの唇が近づいてくる。それに応えて僕は自分の唇を押し付けた。魔力が注がれて、神力に変換しきらない魔力が、全身に回る。下半身に違和感を感じた。彼女はそこに触れて嬉しそうに微笑んだ。駆け落ちして以来、初めての4回戦ができそうだ。ナギとリンは、そのままベッドの海に沈んでいった。

神と魔王のパワーバランスが完全に崩れた時、神の時代が終わり、魔王の時代が訪れる時。

そのとき僕たちは、本物の、魔物と魔物の番になれるのだろう。
22/02/22 13:41更新 / 外郎売
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