連載小説
[TOP][目次]
前編
進級して、学年が2年にあがったことで、クラスも変わり、新しく一年を共に過ごす仲間達の顔が並ぶ。
その中に、一際目を引く女の子が居た。それが今、僕の胸倉を掴んで全然嬉しくないデレデレモードに入っているイリアナさんだ。
はっきり言おう。
一目惚れだった。
始業式の日に始めて彼女を見たときから、彼女のことが好きだった。
よく手入れされているのだろう長くてさらさらの白銀の髪や、彼女にだけは校則を適応外にすべきだと主張したいほどかわいらしい角のリボン。
Yシャツの上からでも柔らかさが解りそうな豊満な胸。
クラスの女子達と話しているときに見せる、まぶしい笑顔。
そして、その後ろでリズムでを刻むように左右にゆっくり揺れる立派な尻尾。
整った顔立ちに、すれ違った時に香る心地よい香り。
全てが僕を魅了し、進級から2ヶ月経ったころには、毎日彼女のことで頭がいっぱいだった。
授業中に彼女の方をチラチラみていたら、目が合ってしまったなんてこともあって、そのたびに僕の心臓はビックバンを起こしそうなほど高鳴った。
何とかして彼女と会話がしたい。仲良くなりたい。たとえ玉砕するとしても、この想いを伝えたい。
そんな気持ちが日に日に大きくなっていった。

そんなある日、歴史の授業で回収されたプリントが返却された時のことだ。

奇跡が起こった。
その一枚のプリントがなければ、僕は彼女と仲良くなんかなれず、焦がれる想いを不完全燃焼のまま抱えて卒業を迎えることになっていただろう。

僕の列に回ってきたプリントの束に、イリアナさんの名前が書かれたプリントが混入していたんだ。
(こ、これは・・・一世一代の大チャンスか!?もしこのプリントを手渡す口実で、さりげなく声を掛けられたら・・・もしそのとき、わずかでも手と手が触れ合っちゃったりしたら・・・///)
そんなことを考えていると、プリントの裏に何かが透けて見えた。
なんだろうと思うのとほぼ同時にプリントを裏返してみると、そこには、この教室の窓から見下ろした景色だろうか、雲の流れる空と、体育の授業中のジャージ姿の生徒達が、それはそれは綺麗に描かれていた。
どうしてプリントの裏なんかに描かれているのかと思うくらい綺麗な絵だった。
もちろんシャーペンか鉛筆で描いたのだからモノクロな世界なのだが、今にも動き出しそうな躍動感ある体育のサッカーの様子や、雲の合間を飛んでいたのだろう大小の鳥やハーピーたちが描かれていた。
思わず1,2分は鑑賞していたのではないだろうか?僕の思考を呼び戻したのは、授業終了のチャイムの音と、学級委員の号令だった。




「あ、あの!イリアナさん!」

僕は休み時間で席を立ち始めるクラスメイト達を掻き分け、イリアナさんの席へ足を向けた。人生最大の勇気を奮って声を掛けて、そっとプリントを差し出す。

「?あぁ、朝倉君か。何だ?そのプリンt・・・」

そこまで言って顔色を変えたイリアナさんは、僕の手からプリントをひったくるとクシャクシャに丸めてしまった。

「イリアナさん、それって今度のテスト範囲なんじゃ・・・」

驚きながらも声を掛ける僕のほうを半ば睨むようにみて、低く小さな声で言った。

「・・・見た?」
「え・・・?」
「そう!絵だ!見たか・・・?」
「・・・うん・・・」

僕がそう答えた瞬間、イリアナさんはフンッと鼻を鳴らしてそっぽを向きながら、
「そうか・・・下手くそな絵だろう?笑えばいい。どうせ私は絵心が無いんだ・・・」

そのそっぽを向いた横顔が、どこか悲しげで、見ていられなくて、僕は咄嗟に口を開いていた。

「そ、そんなこと無いよ!とっても上手な絵だったよ!濃淡も上手く表現されてたし、一点透視も完璧だった!遠近法もばっちりだったし!・・・えと、それから・・・えと・・・」

突然早口でまくし立ててしまったせいか、イリアナさんはきょとんとした表情で僕を見ていたが、また少し表情を曇らせて、

「世辞ならいらない。でも、褒めてくれたことは嬉しい。・・・ありがとう。」

と小さな声で言った。僕は彼女にどうしても笑ってほしくて、もっと彼女の絵を褒める言葉を捜す。

「お、お世辞じゃないよ!本当に上手だって!きっと展覧会なんかひらいたら、僕は大枚を叩いてもイリアナさんの絵を買い取るよ!」

少し声が大きくなってしまい、周りの視線が少し集まってしまった。僕は恥ずかしさのあまりうつむいてしまうが、不意にクスクスと笑い出したイリアナさんに、自然と目が向いてしまう。

「フフッ。展覧会か、さすがにそれは言いすぎだろう。それに、こんなプリントの裏に描いた絵を展覧会に飾ったとして、誰が見に来るんだ?・・・いや、朝倉のような奴なら来るかも知れないな。」

ポカンとする僕の顔を見て、また笑い出す彼女。僕は嬉しさと少しの恥ずかしさを感じて、頬をぽりぽりと掻きながらうつむく。顔が熱くなるのを感じた。

「・・・よかった、笑ってくれた・・・」

無意識に漏れてしまった言葉はイリアナさんの耳にもちゃんと届いたようで、

「ッ!?お、お前が変なことを言うからだろう・・・」

と今度はイリアナさんが顔を紅くしてそっぽを向いてしまう。その仕草がかわいらしくて、今度は僕が笑ってしまった。








それからは本当に楽しい日々が続いた。

実は、僕も趣味の範囲内で絵を描いていたりしたので、共通の話題ができて、僕たちはあっという間に仲良くなった。
授業が終わった休み時間に、ノートやプリントの裏や端っこに描いた絵をお互いに見せあったりしていたのだ。

元々イリアナさんは僕と対極に当たる「明キャラ」的な立ち居地だったので、その彼女と親しくしているうちに、僕も他のクラスメイトと話すことが多くなっていった。これも含め、イリアナさんには本当に感謝している。

「ほら、これ。数学の丸山の似顔絵だよ。あいつハゲだからちょっとツヤとか表現してみたんだけど・・・」

「っはっはっはっは!!確かにこれくらいてかってるなぁ。よく描けてるじゃないか。」

そんな会話をしていると、

「何々〜?イリィ(イリアナさんの愛称だ。)どうして笑ってんの?・・・あ!これ、もしかして丸山!?すっごい似てるよ!これって誰のノート?」

と、クラスの中でも特に騒がしい連中に見つかり、今では朝の挨拶で声を掛けられたり、一緒にお昼ご飯を食べたりすることも多くなった。
もちろんイリアナさんも一緒に食べたが、どうしてか、僕が他の子と話していると少し不機嫌そうだった。でも、誰だって不機嫌な時はあるものだから、僕は触れないでいた。


それから更に一月ほど過ぎて、中間試験の勉強なんかも、イリアナさんや他の頭のいい奴らと一緒にやることがあった。
イリアナさんは学年トップ3に入るくらい頭が良くて、最初のプリントもそうだったが、彼女のプリントやノートは一枚、一ページたりとも欠けることなく、とても丁寧にまとめられていた。
感心している僕はというと、クラスの中の下くらいの成績で、赤点さえ間逃れればいいなんて思っていたほどだ。
彼女はそんな僕に対し、『目標が低すぎる!』と怒り、なぜか少しきらきらした目で『し、仕方が無いな。私が勉強を教えてやろう。何がわからないんだ?数学か?物理か?』なんて言いながら教科書を開く僕の隣に腰を下ろした。
間近で見るイリアナさんはまぶしすぎるくらい綺麗で、僕が計算をミスした時に、『そうじゃなくて・・・』なんて言いながら身を乗り出したら、制服の襟元から見えた魅惑の谷間や、漂ってくる彼女の甘い香りなんかで、正直勉強どころじゃなかった。
でも、何とか湧き上がる煩悩を押さえ込んでイリアナさんの丁寧な解説を聞き、練習問題を解きまくった結果、高校進学以来はじめての80点以上を叩き出せた。
その他の教科も平均を超え、普段は厳しい担任のヴァンパイアの先生も褒めてくれた。
そのことを、テストの打ち上げと言う名目で催されたお友達会で話したら、一部の男子や女子から羨ましがるような声が聞こえた(担任の先生は、美しくかっこいい姿から、女子にも人気があった。)。
しかし、イリアナさんは、ちょっとムッとした表情をして、『そうか、良かったな。』としか言ってくれなかった。
彼女と仲良くなって、時々こうして冷たくされるようなことがあったが、特に気にはしていなかった。
それからどんどん仲間達と出掛けることも多くなり、普段そういったところには顔を出していなかったイリアナさんも一緒にゲーセンやらカラオケやらに出掛けるようになった。
実は前記したテストの打ち上げの時も、イリアナさんは最初に誘われた時は断っていたらしい。
だが、どうして参加しているのか?と問うと、一部の女子に冷たい視線を浴びせられ、サキュバスの女子に、『この、鈍感!』と、ど突かれてしまった。





そしてついに、イリアナさんの口から飛び上がって喜びたくなるような言葉を聞けた。

「なぁ朝倉。今度、一緒に○△公園で写生会をしないか?そ、その・・・二人で・・・。あ、あそこなら景色もいいし噴水や泉もある!絵を描くならもってこいだと思うg「いいね!行こう!」」

週末に電車で二駅くらい先の公園まで行って二人きりの写生会に行こうと誘われたのだ。二人きりで!




朝8時に、前に打ち上げもやった学校の最寄り駅で待ち合わせ、切符を買って電車に乗る。
このとき着てきた彼女の私服は、なんだかドレスのようで、地べたに座ったりして絵を描く時に着る服とは思えなかったが、そこは”お嬢様の感覚”という奴だろうと思うことにした。
どんな服を着ても似合うのだから、当然不満は無い。ただ、驚いただけだ。だけど、そんな彼女のまばゆい私服姿に見とれていると、イリアナさんが小首をかしげながら顔を覗き込んできた。

「ど、どうした?何か変だったか・・・?」
「い、いや!全然!何でもないよ!」
「・・・そうか・・・」

あわてて取り繕うと、少しの沈黙。僕はおそらく顔を真っ赤にしていたことだろう。そんな沈黙も過ぎ、やっとおちついてきたところで彼女の表情を伺うと、

「どうしたんだ?なんだか変だぞ?さ、ぼうっと突っ立ってないで行こう。」

そう言って歩き出す彼女の横顔が、何かにがっかりした様な寂しそうな顔だった。

僕、何かしたかな?

そして電車を降りて公園へと向かう途中に、彼女がチラチラと僕の腰辺りを見ていることに気がついた。何か変なものでも付いて居たかと思ってみてみるが、特におかしなところは無い。それでも彼女はチラチラと見てくるので、こちらもこっそり彼女の視線の追うと、彼女は僕の手を見ていた。
そんなイリアナさんの手を見てみると、なんだかぎゅうぎゅうと拳を握ったり緩めたりしていた。
一瞬トイレにでも行きたいんじゃないかと思って声を掛けようと思ったが、初デート(僕がそう思っているだけだが。)で変な失態を晒せない、と思いとどまった。
本当にトイレに行きたいのなら、彼女は遠慮なくそう言うだろう。
しかし、だとしたら彼女は何で僕の手を見つめて手をにぎにぎしているのだろうか?解らない。
僕は彼女が見つめる手をそっと動かしてあちこちへ移動させる。すると、よほど夢中になっているのか、彼女もその手の動きを追うように視線をあっちこっちへと移動させる。
その様子が、餌を目の前に『待て』の状態で飼い主が動かす餌の方をじっと見詰める犬のようで、なんだかおかしかった。



「うわぁ〜すごく綺麗な景色だなぁ〜」
「ああ。私は小さい頃、両親に連れられて来た事があるが、ここの景色は気に入っている。」

公園に到着して、少し中を歩き回ってみた。とても大きな公園で、大掛かりなアスレチックや、人口の泉の上に設けられた水上アスレチック、そのほかプールやハイキングコースやキャンプ場なんかもある。
色々と見て回った後、僕たちは大きな噴水の前で止まった。週末ということもあり、あちこちにいちゃつくカップル達が居て、目のやり場に困ってしまう。だが、ここは広くて見通しもいいので、待ち合わせにはもってこいだ。
ちょうど、噴水の前に置かれた大掛かりな時計の針が九時を示した頃、僕たちはそれぞれ絵を描く道具を持ってベンチから立ち上がった。

「じゃあ、お昼にここに集合しよう。何かあったら携帯に連絡してね。」
「え?いや、せっかくだから・・・その・・・一緒に・・・」
「え?」
「あ、い、いやっなんでもない。わかった!昼に集合だな!!」

ベンチから立ち上がったとき、噴水の向こうで激しくキスをするカップルが見えた。
恋愛経験の乏しい僕には、こんな真昼間から、こんな人目のある場所で大胆なことが出来る人たちの気が知れない。当然、顔が熱くなって来る。
僕はそれをイリアナさんにさとられないように、視線をそらしながら早口で言った。
彼女が何かを言おうとしていた気がするが、半ば僕が断ち切ってしまう形になった。



それから数時間、僕は噴水広場から離れ、子供達で賑わう水上アスレチックの方へ来ていた。
はっきり言って、絵の具で描く絵よりも、鉛筆やシャーペンで描く絵のほうが僕は好きだ。だけど、イリアナさんはお嬢様というだけあって本物の”絵画”が好きなようで、僕のお遊びとは次元が違う。
でも、彼女と絵の話をするのはとても楽しい。彼女も僕との会話をまんざらでもなく思ってくれているようには見えるんだけど。
そんな事を考えているうちに、下描きが終わり、僕は絵の具を溶く水を汲むために、水道を探した。
その途中で、ベンチに座って画板に向かいながら、何かをぶつぶつと呟くイリアナさんを見つけた。
その後姿からは異様な不満感というか、軽い怒りというか、そんなオーラがでていて、一瞬声を掛けるのがためらわれた。
だから僕は、そっと静かに彼女に近づいてみた。

「まったくあいつは・・・人の気も知らないで・・・・・・私がどれだけ・・・・・・・やっぱり私には・・・・・・・・・いや、でも・・・・・・・・・はぁ、まったく、祐樹の鈍感・・・」

!?最後に聞こえた僕の名前。そして鈍感という言葉。
どうやら彼女がぶつぶつと呟く言葉は、僕に対する不満のようだ。
独り言を盗み聞きするのは良くないと思ったけど、どうしてもその続きが聞きたくなって、そっと後ろから近づいた。

「あの時だって○○さんとべったりで・・・私というものがありながら他の女子とあんなにも楽しそうに・・・今日の朝だって、昨日の夜遅くまで悩みに悩んで決めた服なのに、なんとも言ってくれないし・・・手を繋ごうなんて言う気配すらないし・・・」

僕はイリアナさんから1メートルも離れていない距離にきた。肩越しにチラッと見えたケント紙には、いろんな表情の男の子の顔が描かれていた。どれも、数十倍、いや、数百倍くらい美化された僕の顔だった。
僕はそれをなるべく見ないようにしながら、そっと彼女の後ろから声を掛けてみる。

「それに、さっきだって一緒に絵を描こうって誘ってくれないし・・・」
「そうそう、お昼に集合って・・・私はデートだと思って来たのに、これじゃ本当にただの写生会・・・って!?ゆ、祐樹!?いつからそこに・・・」

彼女の思考を代弁するようにさり気な〜く入ってみたが、やっぱり彼女は驚いた。そして、あわててケント紙を裏返す。

「え、えっと、ごめん。急に声掛けちゃって・・・びっくりしたよね・・・ごめん・・・」
「そ、そんなことより質問に・・・いや、いい。・・・その・・・聞いていたのか・・・?」

イリアナさんは湯気が出ているのではないかと思うほど顔を真っ赤にして俯きながら問いかけて来た。

「う、うん。盗み聞きするつもりは無かったんだけど・・・。」

僕は精一杯の誠意を込めて頭を下げた。

「ごめんなさい!そ、そのっ、僕、あんまり恋愛経験無くて・・・だから、その、なんていうか、イリアナさんの気持ちとか、わからなくて・・・でも、あの、と、とにかくごめんにゃさい!」

やってしまった。
肝心なところでどうして噛むんだ僕って奴は!
過去に戻って数秒前の自分をぶん殴りたい!
だが、必死に頭を下げる僕に、イリアナさんはクスクスと笑ってくれた。

「はっはっは!ごめんにゃさいって、くっふふふふっ!はははっ!・・・わかった、もういい。元はといえば私の独り言の声が大きかったせいだ。だが、まぁその、なんだ、今聞いたことは全部忘れてくれ。それで全部無かったことに・・・」
「そ、それはダメだよ!」

僕は一歩前に出ながらイリアナさんの言葉をさえぎった。イリアナさんは僕のほうを驚きの表情で見つめている。

「イリアナさんは、僕への不満を一切漏らさずにずっと溜め込んでたんだ。なのに僕はなんにも知らずに・・・イリアナさんの気持ちなんかちっとも考えずに、自分勝手に行動してたんだ・・・だから、それを無かったことになんて出来ない。たとえどれだけ否定しても、イリアナさんの心にある僕への不満は消えないでしょう?」
「・・・そうかもしれないな・・・でも、もういいんだ。私が勝手に私の価値観を祐樹に押し付けたに過ぎない。だから、祐樹は気にしなくていい。全て私の勝手なわがままだ。」
「良くないよ!イリアナさんは僕に遠慮してる!そんなの嫌だよ!イリアナさんがどう思ってるかは解らないけど、少なくとも僕は、そういうことを遠慮しあうような遠い関係だとは思ってない!イリアナさんとは腹を割って話せるような、嫌なことは嫌だって、言い合えるような仲だと思ってる!」
「私だってそうだ!お前とはクラスで一番と言っていいほど親しいと思っている!でも、だからこそお前に、そんな小さいことを気にするような心の狭い女だと思われたくないから、だから・・・」

気付けば、イリアナさんは泣いていた。
今まで一度も見たことの無い彼女のその涙に、一瞬言葉を失いかけるが、ここで黙っても何も変わらない。イリアナさんにもっと近づきたい。その涙を拭ってあげたい。

「だったら・・・だったらなおさら、遠慮しないでよ!イリアナさんの言ってることは矛盾してるよ!そんなことを遠慮している方が、よっぽど心が狭くて他人行儀じゃないか!」

僕はそう言いながら一歩彼女に近づいた。

「ッ!?祐樹・・・」
「イリアナさんのわがままだって言うのも、一理あるかもしれない。でも、僕にだって非はある。実は、イリアナさんが僕の手をじっと見つめてたのを知ってたんだ。でも僕は何も言わなかった。本当は、手を繋ぎたいんじゃないかって、頭のどこかで考えはしてた。なのに、僕はその考えを勝手に否定して・・・だから、全部イリアナさんのわがままだって言うのは、違うよ。僕だってイリアナさんに遠慮したんだ。だから・・・」

そう言ってまた一歩彼女に近づく。

「ごめんね、イリアナさん。もう、これからは鈍感なんて言われないように、努力するから・・・」

そう言ってイリアナさんの左頬に手を伸ばす。彼女の濡れた頬を拭い、そっと微笑みかけた。イリアナさんはその手にそっと自分の手を被せ、握り、頬擦りをしてきた。

「だから、もう泣かないでよイリアナさん。もちろん僕も努力はするけど、それでも何か足りないなら、何かしてほしい事とか、気に入らないこととかあったら言ってよ。できる限りのことはするから。」

僕はそっとイリアナさんに言った。イリアナさんはゆっくりと頷いてから、鞄をまさぐってハンカチを取り出し、顔を拭った。そのハンカチを見て、僕は咄嗟に自分の右ポケットに手を当てた。
早速やってしまった。泣いてる女の子にハンカチを差し出せないなんて、紳士失格だ(元々紳士なんてキャラじゃないけど…)。そんな事を考える思考を、イリアナさんは涙声で断ち切った。

「じゃ、じゃあ早速、頼みたいことがあるんだが・・・」
「う、うん!何でも言うとおりにするから!」
「…なんだと!?ほ、本当に何でも言うとおりにするのか?!」

僕がはっきりそう言い放つと、イリアナさんは思いのほか食いついてきた。
そしてハッとする。自分はさっき何て言った?ナンデモイウトオリニスルと言ったよな?いや、でも、イリアナさんがそんなに変なことを頼んでくるとは思えないけど・・・

「う、うん!何でも・・・言うとおりに・・・する・・・よ?」
「じゃ、じゃあ!私のことを『イリアナさん』ではなく、『イリィ』と呼べ!」
「ええっ!?」

あまりに予想外すぎて思わず肩が跳ねてしまった。

「その、いつまでも『イリアナさん』と呼ばれると、なんだか距離を感じてしまうからな。もっと、その、親しげに・・・呼んでもらいたい・・・」
「え、えと、でも、そういうのは恋人同士が・・・!」

思わず尻込みをする僕に、イリアナさんはなんだか興奮した犬のように荒い呼吸で、

「な・ん・で・も・い・う・と・お・り・に・だろう?」
「あうぅ…わかったよ……い、イリィ…」
「もっと大きな声で!」
「わかりましたイリィ!」
「よろしい。」
「では、次に…」
「ちょ、ちょっと待った!まだあるの?」

さりげなく次のお願い事をしようとしたイリアナさn…イリィを慌てて止める。

「当たり前だ。お前には散々やきもきさせられたからなぁ。あと100個くらいは頼むぞ。」
「ひゃ、100個って!や、やっぱさっきの発言無し!なんでも言う事聞くってのは無し!!」

僕は慌てて数十秒前の発言を取り消すが、イリィがそれを認めてくれるはずも無く、

「いぃやダメだ。男が一度言った事をやすやすと覆すもんじゃないぞ?ということで次の頼みは…」
「待った待った!じゃあ、せめて一つだ!お願い事は一つだけで、何でも言うこと聞くってことで!そしたらもう、さっきのイリィの件でおしまいだ!はい!この話終了!!」
「…ほう…わかった。まぁいいだろう。願い事は一つだ。」
「ほんとに!?よ、よかった…」
「ということで、私もさっきの願い事を訂正しよう。」
「ええっ!?ちょ、ま、訂正なんて無しでしょ!」
「何を言う?祐樹が先に訂正するなどと言い出したんだろう?これでお相子だ。」
「む、むぅ、そうか、じゃ、じゃあいいよ!ただし、訂正は一回きりだよ!」
「あぁ、もちろんだ。この一つで十分だからな。」
「え?それってどういう…」

そこで、コホンッと一つ大きな咳払いをして、イリィが僕に指を突きつける。

「私の唯一の願い事は…」

ごくりとツバを飲み込んで、彼女の次の言葉を待つ。

「願い事を無限に増やすことだ!」

なっ!しまった!!その手が…ってちょっとまてぇい!

「そ、そんなの反則だ!願い事は一つだって…」
「そうだ。その一つの願い事を使って、私は願いを増やすよう願ったんだ。何もおかしいことは無いだろう?」

負けた。彼女が正論だ。やっぱり、学年トップ3の賢さは侮れない…

「けど、そんなに沢山何をお願いするんだよ…?」
「ふっふっふ!それはだなぁ…ええと…あれも、いや、こっちの方が…ん?いや、それよりも…」

僕の問いかけに対し、イリィは顎に手を当てて考え込んでしまった。そして何やらぶつぶつと呟いている。

「私の…愛人?いや、違う…それじゃストレートすぎる…じゃあ、私の…奴隷?…う〜ん、それもちょっと違うなぁ…肉便器!?いやそれもちg「あ、あの〜?」」

なんだか真昼間に公園で聞くような単語じゃない単語が聞こえた気がしたけれど、あえてスルーしよう。

「イリアナさん、とりあえず、お昼ご飯にしようか?ちょっと早いけど、込み合う時間帯を避けた方がいいんじゃないかな?願い事は、その後に聞くよ。」
「いや、まず最初の願い事をしてからだ!祐樹!私のことを、親しみを込めてイリィと呼べ!以上だ!」
「…わかりましたイリィさん…」
「『さん』はいらない!」
「わかったよイリィ!」
「よろしい!」

そう言って歩き出す彼女の尻尾は、これまで見たことも無いくらい激しく左右に揺れていた。あの尻尾が犬のそれと同じようなものなのだとしたら、彼女は今、すごく上機嫌なんだろう。それはとても嬉しいことだ。
そう思っていたのだが、イリィの手作りだというお弁当を摘みながら、何やら頭の中で描く妄想劇によだれをたらしてデレデレとにやけている彼女の表情に、僕は苦笑するしかなかった。






彼女のお弁当はどれもとてもおいしくて、箸が休むことが無かった。
黙々と食べていると、不意に現実の世界にお帰りになられたイリィが、思い出したように自分の箸でおかずを摘み、僕の口元へと突き出した。きょとんとする僕に対し、真っ赤に頬を染めたイリィは、

「お願い事!わ、私が『あ〜ん』ってやったら…同じく『あ〜ん』って言いながら、食べろ…」
「え、あ〜んって…」
「あ〜ん!」
「もがっ!?」

思わず聞き返した僕の口の中に、イリィは無理やりおかずをねじ込んできた。
おそらく照れ隠しなのだろうけれど、リアルに気道に入ってむせ返ってしまう。
そんな僕を見て、イリィは必死に謝ってきたが、答えられない僕を見て、更に慌てふためき、飲ませようと思ったのだろう熱い紅茶の入った水筒を取り出したが、それも手を滑らせて僕の顔面を直撃した。更にその拍子に開いた蓋から紅い紅茶が僕の股間に…息子に…


「ぎゃあああああああああ!!!!!!」
「あああぁぁぁ!すまない祐樹...!」













「ほんっっっっとうにすまない!!」

紅茶のしみこんだ白かったハンカチを水道の水で洗い、水気を搾り取ってから、イリィは両手を合わせて深々と頭を下げて来た。

「あぁ…もう、ダメかもしれない…」

隣のベンチで真っ白に燃え尽きながら、虚空を見つめる僕には、その言葉がどこか遠くに聞こえた。


数時間後

「その、今日は本当にすまなかった。本当に火傷はしてないのか?ちゃんと確認した方が…」
「い、いいよ!大丈夫だから!ちょっとひりひりするけど、明日になれば治ってるって!でも一応、風呂に入る時にでも見てみるよ。そんなに心配しなくて大丈夫だって!」

僕は笑ってそう言ったが、イリィは声を荒げて反論してきた。

「馬鹿を言うな!私のせいで祐樹が怪我をしたんだぞ!これが心配せずにいられるか!」
「い、イリィ……ありがと。でも、大丈夫だって!」
「だが…」
「もう、心配性だな〜イリィは。僕はそんなにやわじゃないよ!大丈夫!」
「だが、今回は、その…怪我の場所が場所なだけに…」
「えっ?!い、イリィ!何を言い出すんだ!?」
「だ、だって、もし、今回のことで、勃たなくなったり…こ、子種を出せなくなって…子を成す事ができなくなったりしたら…いや、でも!私は、たとえ勃たなくても!子種が出なくても!決してお前を嫌いになったりは…」
「ちょ!ちょ!ちょ!ちょぉ!ストップ!!イリィ、とりあえず落ち着いて!」
「はっ!?私は何を言っているんだ!私の身体に原因があって子を成せない可能性だってあるじゃないk「お願いだから帰ってきてぇ!!!」」

突然真っ赤な顔でなんだかぶっ飛んだ内容の話をまくし立てるイリィを正気に戻すために、僕は咄嗟に彼女の手を握った。
その感触に、ハッと我に帰ったイリィは、自分の手を握る僕をみつめて、照れながらも笑いを漏らした。
そんな彼女と並んで歩く帰り道に、ほとんど会話は無かった。だけど、とても楽しい初デートだった。

19/05/14 04:21更新 / ウカナ・N・アクナス
戻る 次へ

■作者メッセージ
前編です。ラブコメっぽい感じをイメージしたのですが、どうでしょうか?楽しんでいただけたら嬉しいです。
ちなみに、イリアナさんの名前はかなり適当に決めたので、あんまり気に入ってません。でも、そんなにこだわると変な方向へ行きそうだったので、最初に浮かんだこの名前で通しましたwwま、どうでもいい話ですけどねww
ご意見ご感想など、どしどし申してくださると嬉しいです。とってもとっても励みになりますww
こんな駄文ですが、よろしくお願いしマウス!(⌒ω⌒)ノ

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33