第六十四話・二つの物語
ハインケル=ゼファー。
その名が歴史に登場するのは決まって反魔物勢力下で記された歴史書の中である。
勇者、信仰の最後の砦、真に神に愛されし者など数々の二つ名を持つ彼ではあるが、実はその出自は本人が生前からはぐらかし、死後50年経った昨今においても彼の本来所属する魔王軍の仲間ですらよく知らず、あまり明らかではない。
しかも反魔物勢力下で記された歴史書は今一つ彼の功績を正確に知りえなかった。
ドラゴンを追い払った、道行く旅人を襲っていたゴブリンを討伐した…などの事項が大々的に、誇張表現華々しく、勇者が神の威光で敵を討つ様を描いた仰々しい挿絵と美しい詩文と共に記載され、我々研究者としてもどれだけ真実がその中に入っているかなど検討が付かず、わざわざ史跡に足を運んで、地元民の証言を聞きに行かねばならない程である。
歴史研究者泣かせ、という死後に不名誉な二つ名が追加されることのなったハインケルであるが、魔王や軍幹部の公式文書を保管している魔王軍文書保存室、通称・未整理の山と呼ばれる部屋からついに信憑性の高い資料を手に入れることとなった。
もっとも未整理の山などと不名誉な通称が付く部屋であったため、その文書の数は膨大で資料のすべてを整理するのに、研究者たちは十年の歳月をかけなければならず、気が付けば一つの結論に至るまでにハインケル=ゼファーが自らの人生を全うしてから半世紀にもなっていた。
我々は、これはもしや、彼の残した人生最後の罠なのではなかろうか…、これを発表することで、実はその資料も真っ赤な偽物だと我々を嘲笑っているのではないか…、と疑念を払えぬまま、ここに彼の歩んだであろう道を記す。
この書を読む貴君にも、まずそのことを申し上げておきたい。
魔王軍文書保存室研究員、フリードリヒ=ボルド
出自不明の勇者は如何にして勇者に成り得たのか。
ハインケル=ゼファーはその歴史に名を最初に記されたのは、彼が13歳の時に勃発した反魔物領、ランチ公国で起こった『クリーチの動乱』と呼ばれる一斉蜂起であった。
すでにランチ公国は滅亡し、別の王国がその領地を侵攻、接収したのであるが、彼らの歴史書によれば、魔物たちがついに長年の計画を実行しようと武装蜂起したことになっている。
しかし、事実は搾取、無差別な殲滅、重税に重労働など抑圧され続けた魔物や魔物を愛した者たちが、その不条理な抑圧から逃れるために農具や粗末な武器を手に取り、自由を勝ち取るために一斉に立ち上がった、というのが客観的な歴史観を持つ者の共通する見解である。
公国所属騎士団は歴戦の兵たちであったが、その武装蜂起の規模は一部辺境に留まらず、公国全土にその波が広がって、徐々に追い詰められた彼らは全滅を覚悟せねばならなかった。
そこにふらりと、少年が領主以下将兵の立て篭もる要塞に現れた。
教会のシンボルの紋章が描かれたボロボロの緋色のマントを纏った少年は、腰に見たこともないような美しい剣を携えて、領主や将兵にうやうやしく作法に則った礼した。
ハインケルは、人生の終盤にこう残している。
「何故、そんなわかりやすい格好で来たかって?考えればわかるだろう。そういう危機的な状況にあるやつは、そういうわかりやすい格好で、いかにも救世主が来たっていうのを視覚で訴えられると、コロッっと行っちまうんだ。お前も覚えておけ。人間も魔物も危機的で死に体なやつ程、騙しやすい。」
その美しい剣というのが、彼の終生の愛剣、聖剣シンカであったのだが、これもまたいつ入手したのか、どこで手に入れたのかも歴史の闇の中である。
彼は領主に訴えた。
自分にこの状況を挽回出来る良い策がある。
そう言うと彼らは喜び、ハインケルの言を一つ一つ忠実に聞いた。
何より、迫り来る反乱軍を目の覚めるような策で打ち破り、自らも剣を振るい公国の兵士を鼓舞する姿に彼らは誰もが感動を覚え、勇気を振り絞ってハインケルに付き従った。
反乱はハインケルが公国入りして二週間あまりで完全に鎮圧された。
魔物が公国内部からいなくなり、教会の秩序と反魔物の象徴としてハインケルは讃えられ、これによりハインケルはあらゆる困難から人々を守る教会勇者としての名声を高め、その頭脳と武技で人々を神の国成就へと導く者とヴァルハリア教会から最高の栄誉を与えられることになる。
しかし、後の研究で、その動乱には裏があったことが判明している。
まず、この動乱を裏で操っていたのは、他の誰でもないハインケル=ゼファー本人であった。
元々一斉蜂起すれば、数で勝り、肉体ポテンシャルでも勝っていた魔物たちが負けるはずがなかったのである。
彼は魔物、親魔物の者たちの鬱屈とした感情、外敵に怯えながら生きるかの者たちの心の奥底に眠る誇り、何かのきっかけがあれば一致団結した一斉蜂起になるであろうという、そういう計算込みで彼女たちを焚き付け、公国全土に檄文を飛ばしたのである。
それはたった一行の檄文。
『自分の死に様は、胸を張って子孫に残せるか?』
この言葉が魔物や親魔物の眠った誇りに火を付け、誰もがこの檄文を書き写し、やがて全土に飛び、公国は一挙に滅亡の危機まで追いやられたのである。
そして、公国の資料によれば、反乱軍の死者はそのまま野晒しになって、後にそのまま埋められたということになっていたので、後世になって歴史調査のために掘り起こしてみると、ハインケルの恐るべき罠が明らかとなった。
埋められた骨、残った歯を調べてみると大部分は人間の骨であり、その特徴から、間違いなくランチ公国の人間であり、死者の粗末な鎧の下から現れた紋章により、それは公国騎士であったことがわかったのである。
その数は魔物たち反乱軍死亡者の何と8割にも上っていた。
つまり、実際の反乱軍の死者は200名にも満たなかったのである。
ハインケルはどんな策を使ったのか。
残念なことに、それが残されていないため、真相もまた闇の中に隠れている。
だが、この動乱を治めたことでハインケルは反魔物国家に勇者として名を馳せ、魔王軍においても反魔物国家での呼び名を皮肉った悪逆勇者として、その名を轟かせることとなったのである。
尚、追記するならば、ランチ公国はこの動乱後、僅か2年で滅びる。
これもハインケルの仕掛けた策だったのではないか、という推測も現在学会の中に生まれているが、いまだにその証拠は見付かっていない。
そもそも見付かるはずがないのかもしれない。
あの悪逆勇者を名乗った男が、証拠を残すとは思えないのだから…。
―――――――――――――――――――――――
『……………という訳だ。俺としてはさっさと俺一人で王国も教会も滅ぼしてしまった方が早いんだが、うちのボスが俺の能力に制限なんてものを付けやがったから下手に動けねえ。おかげで教会の連中にも怪しまれずに行動出来るから良いけどさ、こんなやつら滅ぼしたってたいした影響もないと思うんだが、ボスにはボスのお考えってのがあるらしい。でもそのせいで俺の力はこうやって念話は出来るけど連中をあっという間に滅ぼすくらいの力は封じられちまった…。ま、俺もあいつから部隊を預かっている身だから、従うけどな。』
蜘蛛の糸の向こうで顔の見えない勇者が溜息を吐いた。
私は勇者ハインケルという人間を、もっと厳粛とした人だと思っていたけど、意外に砕けた人だったので、イメージと現実のギャップに混乱しっ放しだった。
『わかりました。お互いに情報を交換し合ってそちら側との連携であなたの策を進める、ということでよろしいですか?』
『やっぱ、頭が良いやつと会話するのは楽しいな。こちらが少し物を言うだけで全部わかってくれる。まったく、ここの連中にも見習わせたいぜ。ああ、それじゃ最初の情報交換だ。こっちの首脳陣は役に立たねえ。フウム王国もヴァルハリアも無能揃いだ。説明する方が時間と労力の無駄だ。』
思わず、クスリと笑ってしまった。
『お、笑ったな。』
『ええ、笑いますよ。あなたに比べたら誰もが無能に見えるでしょ?』
ハインケルは心持ち嬉しそうな声で私に答える。
『そうでもないぜ。頭は悪くても自分を全力で生きているやつには俺も頭が下がるし、無能なんて貶したりはしない。俺が貶すのは、現実を知らず、自分の考えで言葉を発することもなく、何もかもを神って不確かなやつに預けてしまったやつらだ。そのせいで今も命を失い、涙を流すやつらがいる。そんな現実も見ない連中のことを、無能、って言うんだぜ。』
『気が合いそうですね。では私の方からも、私たちのトップの情報を…。私たちの町長は、少なくとも無能ではありません。結構自堕落で、生活習慣が悪くて、仕事を真面目にしない人ですけど…、どこか人を惹き付けて、誰よりも仲間を愛する人で……。』
『ついでにあんたの旦那、だろ?』
『知っていたんですか?』
『うちでは結構有名人なんだよ、あんたとあんたのとこの親玉と御本妻。』
何か含みのある言い方でハインケルは言った。
『そろそろ、あんたも魔力が切れてしまう。今日はこれで終わりだな。正直なとこ言うと、俺はあんたらが生き残ろうが滅ぼうがどうでも良い。でも俺の策がうまくいくためにはあんたらに生き残ってもらった方が都合が良い。』
『ふふふ…。』
『何だ、何を笑っているんだ?』
少しだけ話してみてわかったことがある。
彼は言葉尻は乱暴で冷たい言葉で私たちを突き放すけど、その実、すごく私たちのことを気にかけてくれている。
『ありがとうございます。あなたは、すごくやさしい人ですから。悪逆勇者なんて呼ばれているのが、嘘みたい。』
『……………ったく、調子が狂う。じゃあな。俺は連中に策を献上してくる。あんたらはあんたらで好きに行動すると良い。うちのボスのいつもの訳のわからん独り言によれば、あんたらの好きに動いた結果が世界を動かすそうだ。』
彼は恥ずかしそうに口早に用件だけを言うと、蜘蛛の糸の向こう側に隠れてしまって二度と顔を現さなかった。
私も限界。
魔力が尽き始めて、徐々に蜘蛛の糸が切れていく。
また、彼と話をするのはいつになるのかな…。
そう思うと少しだけ楽しみになる私がいる。
こんな状況だから、すごく不謹慎だけど。
―――――――――――――――――――――――
カーテンから漏れる朝日でウェールズは目を覚ました。
起き上がって部屋を見渡すと見覚えのない部屋。
馴染みのないジパングの布団の上に彼は寝ていた。
ズキズキと絶え間ない頭の痛みにウェールズは頭を抱えた。
何故自分がここにいるのかわからないと、彼は必死に思い出そうとする。
「ここは……、どこだ…。」
「朝ご飯、出来ていますよ。目が覚めたなら、お店までいらっしゃいな。」
襖を開けて、ウェールズに声をかけたのはフラン軒女将、割烹着姿のゾンビのアケミだった。
「俺は…、一体……うっ!?」
「トイレは部屋を出て、右です。スッキリしたら、お店の方に出てください。あっさり目の朝ご飯を用意していますから。」
ウェールズは頭を下げるとトイレに駆け込む。
胃の中のものを逆流させて、荒い息をして呼吸を整えている時に彼は思い出す。
昨夜、留置場から出た後、この店で飲み潰れたことを。
義手を砕かれたこと、自分が負けたことが悔しくて、酒の味もわからない程、意識を失う程ウェールズは酔い崩れたことを思い出した。
水道水で口をすすぐとウェールズはアケミに指定された通りに店に向かった。
すでにアケミは従業員(元男のゾンビ)たちと共に朝食の準備をしていた。
「……………。」
「あら、お客さん。嫌ですねぇ、来たんでしたら、ちゃんと声をかけてくれないと。」
「声……。」
「朝起きたら、おはようございます。そして遅れて現れたら、遅れてすみませんって挨拶があるじゃないですか。それとも魔物と話をする舌は持ち合わせていませんか?」
「いや………、おはよう……。世話になった…。」
良く出来ました、と言ってアケミは笑って手招きをする。
ここに座れというアケミの手付きに、ウェールズは大人しく従う。
テーブルの上に用意されていたのは、ウェールズを気遣ってか、胃にやさしい雑炊だった。
キノコと鶏肉の醤油仕立ての雑炊が、すきっ腹に空腹を訴える。
「では、みなさん手を合わせて……。合掌〜…。」
アケミの合図で皆が食事を始めた。
従業員も元男だったせいか、食事の勢いは凄まじい。
「カユ、ウマ。」
「あらあら、キャサリンちゃん。それはお粥じゃなくて、雑炊よ♪」
「…………………。」
ウェールズは黙ってその光景を見ていた。
彼の知らない風景。
いや、幼かった頃に存在した二度と戻らない光景に戸惑っていた。
「お口に合わなかったかしら?」
「い、いや……。昨日は迷惑を…、かけたな…。昨日の飲み代を後で支払ったら、俺は。」
すぐに出て行くから、そう言おうとしたウェールズにアケミは意地悪そうな笑顔を浮かべて言った。
「受け取りません。」
「受け取らないって、俺は昨日…。」
前後不覚になるまで飲んだ。
それも強い酒ばかり飲んだのだから、彼の飲み代はかなりの金額になっているはずである。
「死人の私が言うのもアレですけどね、死人から受け取れません。」
「……………!」
「身体は健康そうですけど、目が……、心が死んでいますね。そんな人から受け取ったお金は縁起が悪いんで、レジには置けません。」
「俺のどこが……!!」
死んでいる、とウェールズは叫ぼうとした。
しかし、彼の意思に反して声が続かない。
「……良かったら、うちの店でしばらく働きなさい。心の死んだ剣じゃ、赤子一人、死人一人斬れませんよ。そんな状態で町の外に出てご覧なさい。あっという間に私たちの仲間入りですよ。もっとも、心が死んだ人を仲間に迎える程、私も酔狂じゃありませんけどね。そんなんだから、サクラ君にも隙を突かれて負けるんですよ。」
ウェールズは力なく項垂れると、一度だけ首を縦に振った。
サクラに負けたという事実が彼を打ちのめした。
一度も負けたことがない。
いや、負けたことはあっても負けを認めず、何度も命を狙い勝利とも呼べぬ勝利を重ねてきた彼ではあったが、今回の敗北は彼を完全に打ちのめした。
じわじわと来る敗北の実感は、確実に彼を蝕んでいた。
「…………いつか、立ち直るその日まで、うちに住み込みで働きなさい。今はその敗北をしっかりと噛み締め、もう一度剣を取る覚悟があるのなら、その時は飲み代払って出て行きなさいな。時間は、まだあるんですからね。」
「何故……、俺にそうまで…。」
アケミは困ったような表情を浮かべる。
「歳のせいかもしれませんね。若い子が、迷い、傷付いていたら手を差し伸べるのが、大人の役割ですから。ほら、雑炊が冷めてしまいますよ。冷めたら、あまり美味しくないですからね…。」
「………ああ。」
ウェールズは雑炊を噛み締め、目の端に涙を浮かべた。
それがアケミのかけてくれたやさしさに今は戻らない日々を思い出したのか、それとも雑炊の熱さが口の中の傷に染みたのか、彼にもわからないままに。
その名が歴史に登場するのは決まって反魔物勢力下で記された歴史書の中である。
勇者、信仰の最後の砦、真に神に愛されし者など数々の二つ名を持つ彼ではあるが、実はその出自は本人が生前からはぐらかし、死後50年経った昨今においても彼の本来所属する魔王軍の仲間ですらよく知らず、あまり明らかではない。
しかも反魔物勢力下で記された歴史書は今一つ彼の功績を正確に知りえなかった。
ドラゴンを追い払った、道行く旅人を襲っていたゴブリンを討伐した…などの事項が大々的に、誇張表現華々しく、勇者が神の威光で敵を討つ様を描いた仰々しい挿絵と美しい詩文と共に記載され、我々研究者としてもどれだけ真実がその中に入っているかなど検討が付かず、わざわざ史跡に足を運んで、地元民の証言を聞きに行かねばならない程である。
歴史研究者泣かせ、という死後に不名誉な二つ名が追加されることのなったハインケルであるが、魔王や軍幹部の公式文書を保管している魔王軍文書保存室、通称・未整理の山と呼ばれる部屋からついに信憑性の高い資料を手に入れることとなった。
もっとも未整理の山などと不名誉な通称が付く部屋であったため、その文書の数は膨大で資料のすべてを整理するのに、研究者たちは十年の歳月をかけなければならず、気が付けば一つの結論に至るまでにハインケル=ゼファーが自らの人生を全うしてから半世紀にもなっていた。
我々は、これはもしや、彼の残した人生最後の罠なのではなかろうか…、これを発表することで、実はその資料も真っ赤な偽物だと我々を嘲笑っているのではないか…、と疑念を払えぬまま、ここに彼の歩んだであろう道を記す。
この書を読む貴君にも、まずそのことを申し上げておきたい。
魔王軍文書保存室研究員、フリードリヒ=ボルド
出自不明の勇者は如何にして勇者に成り得たのか。
ハインケル=ゼファーはその歴史に名を最初に記されたのは、彼が13歳の時に勃発した反魔物領、ランチ公国で起こった『クリーチの動乱』と呼ばれる一斉蜂起であった。
すでにランチ公国は滅亡し、別の王国がその領地を侵攻、接収したのであるが、彼らの歴史書によれば、魔物たちがついに長年の計画を実行しようと武装蜂起したことになっている。
しかし、事実は搾取、無差別な殲滅、重税に重労働など抑圧され続けた魔物や魔物を愛した者たちが、その不条理な抑圧から逃れるために農具や粗末な武器を手に取り、自由を勝ち取るために一斉に立ち上がった、というのが客観的な歴史観を持つ者の共通する見解である。
公国所属騎士団は歴戦の兵たちであったが、その武装蜂起の規模は一部辺境に留まらず、公国全土にその波が広がって、徐々に追い詰められた彼らは全滅を覚悟せねばならなかった。
そこにふらりと、少年が領主以下将兵の立て篭もる要塞に現れた。
教会のシンボルの紋章が描かれたボロボロの緋色のマントを纏った少年は、腰に見たこともないような美しい剣を携えて、領主や将兵にうやうやしく作法に則った礼した。
ハインケルは、人生の終盤にこう残している。
「何故、そんなわかりやすい格好で来たかって?考えればわかるだろう。そういう危機的な状況にあるやつは、そういうわかりやすい格好で、いかにも救世主が来たっていうのを視覚で訴えられると、コロッっと行っちまうんだ。お前も覚えておけ。人間も魔物も危機的で死に体なやつ程、騙しやすい。」
その美しい剣というのが、彼の終生の愛剣、聖剣シンカであったのだが、これもまたいつ入手したのか、どこで手に入れたのかも歴史の闇の中である。
彼は領主に訴えた。
自分にこの状況を挽回出来る良い策がある。
そう言うと彼らは喜び、ハインケルの言を一つ一つ忠実に聞いた。
何より、迫り来る反乱軍を目の覚めるような策で打ち破り、自らも剣を振るい公国の兵士を鼓舞する姿に彼らは誰もが感動を覚え、勇気を振り絞ってハインケルに付き従った。
反乱はハインケルが公国入りして二週間あまりで完全に鎮圧された。
魔物が公国内部からいなくなり、教会の秩序と反魔物の象徴としてハインケルは讃えられ、これによりハインケルはあらゆる困難から人々を守る教会勇者としての名声を高め、その頭脳と武技で人々を神の国成就へと導く者とヴァルハリア教会から最高の栄誉を与えられることになる。
しかし、後の研究で、その動乱には裏があったことが判明している。
まず、この動乱を裏で操っていたのは、他の誰でもないハインケル=ゼファー本人であった。
元々一斉蜂起すれば、数で勝り、肉体ポテンシャルでも勝っていた魔物たちが負けるはずがなかったのである。
彼は魔物、親魔物の者たちの鬱屈とした感情、外敵に怯えながら生きるかの者たちの心の奥底に眠る誇り、何かのきっかけがあれば一致団結した一斉蜂起になるであろうという、そういう計算込みで彼女たちを焚き付け、公国全土に檄文を飛ばしたのである。
それはたった一行の檄文。
『自分の死に様は、胸を張って子孫に残せるか?』
この言葉が魔物や親魔物の眠った誇りに火を付け、誰もがこの檄文を書き写し、やがて全土に飛び、公国は一挙に滅亡の危機まで追いやられたのである。
そして、公国の資料によれば、反乱軍の死者はそのまま野晒しになって、後にそのまま埋められたということになっていたので、後世になって歴史調査のために掘り起こしてみると、ハインケルの恐るべき罠が明らかとなった。
埋められた骨、残った歯を調べてみると大部分は人間の骨であり、その特徴から、間違いなくランチ公国の人間であり、死者の粗末な鎧の下から現れた紋章により、それは公国騎士であったことがわかったのである。
その数は魔物たち反乱軍死亡者の何と8割にも上っていた。
つまり、実際の反乱軍の死者は200名にも満たなかったのである。
ハインケルはどんな策を使ったのか。
残念なことに、それが残されていないため、真相もまた闇の中に隠れている。
だが、この動乱を治めたことでハインケルは反魔物国家に勇者として名を馳せ、魔王軍においても反魔物国家での呼び名を皮肉った悪逆勇者として、その名を轟かせることとなったのである。
尚、追記するならば、ランチ公国はこの動乱後、僅か2年で滅びる。
これもハインケルの仕掛けた策だったのではないか、という推測も現在学会の中に生まれているが、いまだにその証拠は見付かっていない。
そもそも見付かるはずがないのかもしれない。
あの悪逆勇者を名乗った男が、証拠を残すとは思えないのだから…。
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『……………という訳だ。俺としてはさっさと俺一人で王国も教会も滅ぼしてしまった方が早いんだが、うちのボスが俺の能力に制限なんてものを付けやがったから下手に動けねえ。おかげで教会の連中にも怪しまれずに行動出来るから良いけどさ、こんなやつら滅ぼしたってたいした影響もないと思うんだが、ボスにはボスのお考えってのがあるらしい。でもそのせいで俺の力はこうやって念話は出来るけど連中をあっという間に滅ぼすくらいの力は封じられちまった…。ま、俺もあいつから部隊を預かっている身だから、従うけどな。』
蜘蛛の糸の向こうで顔の見えない勇者が溜息を吐いた。
私は勇者ハインケルという人間を、もっと厳粛とした人だと思っていたけど、意外に砕けた人だったので、イメージと現実のギャップに混乱しっ放しだった。
『わかりました。お互いに情報を交換し合ってそちら側との連携であなたの策を進める、ということでよろしいですか?』
『やっぱ、頭が良いやつと会話するのは楽しいな。こちらが少し物を言うだけで全部わかってくれる。まったく、ここの連中にも見習わせたいぜ。ああ、それじゃ最初の情報交換だ。こっちの首脳陣は役に立たねえ。フウム王国もヴァルハリアも無能揃いだ。説明する方が時間と労力の無駄だ。』
思わず、クスリと笑ってしまった。
『お、笑ったな。』
『ええ、笑いますよ。あなたに比べたら誰もが無能に見えるでしょ?』
ハインケルは心持ち嬉しそうな声で私に答える。
『そうでもないぜ。頭は悪くても自分を全力で生きているやつには俺も頭が下がるし、無能なんて貶したりはしない。俺が貶すのは、現実を知らず、自分の考えで言葉を発することもなく、何もかもを神って不確かなやつに預けてしまったやつらだ。そのせいで今も命を失い、涙を流すやつらがいる。そんな現実も見ない連中のことを、無能、って言うんだぜ。』
『気が合いそうですね。では私の方からも、私たちのトップの情報を…。私たちの町長は、少なくとも無能ではありません。結構自堕落で、生活習慣が悪くて、仕事を真面目にしない人ですけど…、どこか人を惹き付けて、誰よりも仲間を愛する人で……。』
『ついでにあんたの旦那、だろ?』
『知っていたんですか?』
『うちでは結構有名人なんだよ、あんたとあんたのとこの親玉と御本妻。』
何か含みのある言い方でハインケルは言った。
『そろそろ、あんたも魔力が切れてしまう。今日はこれで終わりだな。正直なとこ言うと、俺はあんたらが生き残ろうが滅ぼうがどうでも良い。でも俺の策がうまくいくためにはあんたらに生き残ってもらった方が都合が良い。』
『ふふふ…。』
『何だ、何を笑っているんだ?』
少しだけ話してみてわかったことがある。
彼は言葉尻は乱暴で冷たい言葉で私たちを突き放すけど、その実、すごく私たちのことを気にかけてくれている。
『ありがとうございます。あなたは、すごくやさしい人ですから。悪逆勇者なんて呼ばれているのが、嘘みたい。』
『……………ったく、調子が狂う。じゃあな。俺は連中に策を献上してくる。あんたらはあんたらで好きに行動すると良い。うちのボスのいつもの訳のわからん独り言によれば、あんたらの好きに動いた結果が世界を動かすそうだ。』
彼は恥ずかしそうに口早に用件だけを言うと、蜘蛛の糸の向こう側に隠れてしまって二度と顔を現さなかった。
私も限界。
魔力が尽き始めて、徐々に蜘蛛の糸が切れていく。
また、彼と話をするのはいつになるのかな…。
そう思うと少しだけ楽しみになる私がいる。
こんな状況だから、すごく不謹慎だけど。
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カーテンから漏れる朝日でウェールズは目を覚ました。
起き上がって部屋を見渡すと見覚えのない部屋。
馴染みのないジパングの布団の上に彼は寝ていた。
ズキズキと絶え間ない頭の痛みにウェールズは頭を抱えた。
何故自分がここにいるのかわからないと、彼は必死に思い出そうとする。
「ここは……、どこだ…。」
「朝ご飯、出来ていますよ。目が覚めたなら、お店までいらっしゃいな。」
襖を開けて、ウェールズに声をかけたのはフラン軒女将、割烹着姿のゾンビのアケミだった。
「俺は…、一体……うっ!?」
「トイレは部屋を出て、右です。スッキリしたら、お店の方に出てください。あっさり目の朝ご飯を用意していますから。」
ウェールズは頭を下げるとトイレに駆け込む。
胃の中のものを逆流させて、荒い息をして呼吸を整えている時に彼は思い出す。
昨夜、留置場から出た後、この店で飲み潰れたことを。
義手を砕かれたこと、自分が負けたことが悔しくて、酒の味もわからない程、意識を失う程ウェールズは酔い崩れたことを思い出した。
水道水で口をすすぐとウェールズはアケミに指定された通りに店に向かった。
すでにアケミは従業員(元男のゾンビ)たちと共に朝食の準備をしていた。
「……………。」
「あら、お客さん。嫌ですねぇ、来たんでしたら、ちゃんと声をかけてくれないと。」
「声……。」
「朝起きたら、おはようございます。そして遅れて現れたら、遅れてすみませんって挨拶があるじゃないですか。それとも魔物と話をする舌は持ち合わせていませんか?」
「いや………、おはよう……。世話になった…。」
良く出来ました、と言ってアケミは笑って手招きをする。
ここに座れというアケミの手付きに、ウェールズは大人しく従う。
テーブルの上に用意されていたのは、ウェールズを気遣ってか、胃にやさしい雑炊だった。
キノコと鶏肉の醤油仕立ての雑炊が、すきっ腹に空腹を訴える。
「では、みなさん手を合わせて……。合掌〜…。」
アケミの合図で皆が食事を始めた。
従業員も元男だったせいか、食事の勢いは凄まじい。
「カユ、ウマ。」
「あらあら、キャサリンちゃん。それはお粥じゃなくて、雑炊よ♪」
「…………………。」
ウェールズは黙ってその光景を見ていた。
彼の知らない風景。
いや、幼かった頃に存在した二度と戻らない光景に戸惑っていた。
「お口に合わなかったかしら?」
「い、いや……。昨日は迷惑を…、かけたな…。昨日の飲み代を後で支払ったら、俺は。」
すぐに出て行くから、そう言おうとしたウェールズにアケミは意地悪そうな笑顔を浮かべて言った。
「受け取りません。」
「受け取らないって、俺は昨日…。」
前後不覚になるまで飲んだ。
それも強い酒ばかり飲んだのだから、彼の飲み代はかなりの金額になっているはずである。
「死人の私が言うのもアレですけどね、死人から受け取れません。」
「……………!」
「身体は健康そうですけど、目が……、心が死んでいますね。そんな人から受け取ったお金は縁起が悪いんで、レジには置けません。」
「俺のどこが……!!」
死んでいる、とウェールズは叫ぼうとした。
しかし、彼の意思に反して声が続かない。
「……良かったら、うちの店でしばらく働きなさい。心の死んだ剣じゃ、赤子一人、死人一人斬れませんよ。そんな状態で町の外に出てご覧なさい。あっという間に私たちの仲間入りですよ。もっとも、心が死んだ人を仲間に迎える程、私も酔狂じゃありませんけどね。そんなんだから、サクラ君にも隙を突かれて負けるんですよ。」
ウェールズは力なく項垂れると、一度だけ首を縦に振った。
サクラに負けたという事実が彼を打ちのめした。
一度も負けたことがない。
いや、負けたことはあっても負けを認めず、何度も命を狙い勝利とも呼べぬ勝利を重ねてきた彼ではあったが、今回の敗北は彼を完全に打ちのめした。
じわじわと来る敗北の実感は、確実に彼を蝕んでいた。
「…………いつか、立ち直るその日まで、うちに住み込みで働きなさい。今はその敗北をしっかりと噛み締め、もう一度剣を取る覚悟があるのなら、その時は飲み代払って出て行きなさいな。時間は、まだあるんですからね。」
「何故……、俺にそうまで…。」
アケミは困ったような表情を浮かべる。
「歳のせいかもしれませんね。若い子が、迷い、傷付いていたら手を差し伸べるのが、大人の役割ですから。ほら、雑炊が冷めてしまいますよ。冷めたら、あまり美味しくないですからね…。」
「………ああ。」
ウェールズは雑炊を噛み締め、目の端に涙を浮かべた。
それがアケミのかけてくれたやさしさに今は戻らない日々を思い出したのか、それとも雑炊の熱さが口の中の傷に染みたのか、彼にもわからないままに。
11/01/10 23:10更新 / 宿利京祐
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