第六十二話・来訪者
「………世話になったな。」
荷馬車から黒装束の男が降りる。
赤黒いマントを翻すと、身軽な身体は小さく土煙を上げて着地する。
ガシャ、と鋼鉄の左腕が振動で揺れた。
ここは名もなき町が目の前に見えている街道。
ヘンリー=ガルドを筆頭に商人たちが忙しく、列を成し行き来する。
そんな商人たちの邪魔にならないようにと、街道の脇に止めた小さな荷馬車から男は礼もそこそこに飛び降りる。
「目的地は一緒なのだぞ。このまま馬車に乗って、一緒に行けば良いじゃないか。」
荷台から重装備の騎士風の少女、ヴルトームがその身を乗り出して男に呼びかける。
漆黒の男、ウェールズ=ドライグは横目で睨むようにヴルトームを見ると、彼女の気遣いを嘲笑うかのように、鼻で笑って答えた。
「……目的地は、確かにな。だが、目的が違う。お前たちの目的など興味はないが、俺は俺のやり方で、ここを治める者に俺を売り込む。」
「うっ……。」
その眼光にヴルトームは怯んだ。
彼女は決して弱い戦士ではない。
むしろ、ヴルトームは主である魔王の身辺を警護する者として、かなりの実力の持ち主である。
人間のようではあるが、彼女もまた魔物であり、種族はデュラハン。
そんな彼女が人間であるウェールズに怯んでしまった。
まともに戦えば、ヴルトームに分がある。
だが、それ以上にウェールズには彼女にはないものを纏っていたのである。
憎悪の生み出す妖気。
実力の差を埋める以上に、その禍々しい妖気は魔物である彼女をも凌駕していた。
「…あなたの未来に幸多からんことを。ヴルトーム様に代わりまして、ウェールズ様、あなたの旅の無事をお祈り致します。」
荷馬車の奥から、透き通るような美しい声がウェールズの旅を祈る。
それは頭から足の先まで、全身を隠す程大きなローブを纏った女だった。
口元だけがそのローブから出て、赤い唇がやさしく微笑んでいた。
おそらくローブの中は祈りを捧げるように、手を結んでいるのだろう。
「……俺に未来など、ない。」
あるのは地獄だけだ、そう言い残してウェールズは去っていく。
その後姿が見えなくなって、やっとヴルトームは荒い呼吸を始めていた。
「はぁっ…、はぁっ…!な、何なんだ一体!?わ、私が……、陛下をお守りすべく戦う私が…!あの人間一人に……、怯えていた!?」
正体のわからない恐怖にヴルトームが取り乱す。
「ヴルトーム様、彼はそういうものなのです。憎しみは何も生みません。憎しみは憎しみのまま、やがては滅びの道を歩むのです。すべてを滅ぼし、何を憎んでいたかも忘れ、最後には自分ですら滅ぼすのが彼の道。あなたは、他人を羨む、他人を憎むことなどないから、ご存知ないでしょう…。だからこそ恐怖したのです。あなたの知らぬ異質なものに触れて…。」
「……ネヴィア。君はわかるのか。」
ネヴィアと呼ばれた女は一度だけコクリ、と頷くとそれ以上喋らなかった。
そのローブの向こうで、彼女がどんな表情をしているのかうかがい知れない。
「………………そうか、君も色々と触れてはいけない秘密が多いのだな。すまなかった、私が無遠慮に聞きすぎたようだ。許してくれ。」
「…いえ、お気になさらず。」
「すまない。では行こう。」
ヴルトームは荷馬車を従者に命じて再び走らせる。
商人や行き交う旅人に混じって、荷馬車は目的地へ向かって走る。
―――――――――――――――――――――――
「突然の来訪にも関わらず、快く我々とお会いしていただき、まことに恐縮でございます。」
ヴルトーム、ネヴィアと名乗る二人は片膝を突いて、礼を述べる。
ここは学園長室、いや今は町長室と無理矢理変えさせられた俺の部屋。
「あ〜、その〜。あまり恐縮されると俺が困る。」
もう少し、楽にしてくれるとありがたいのだが、このヴルトームと名乗る女。
何故か俺を見て、さっきからカチカチになってどうも歯切れが悪い。
「お二人の素性はわかったが、ネヴィア殿。何か顔を見せられない事情でもおありかな?」
「いえ……、失礼致しました。」
そう言うとネヴィアと名乗る女はローブを脱ぎ、素顔を晒した。
正直なところを言えば、何か傷でもあるのかと思っていたのだが、予想に反して彼女の素顔に俺は思わず息を飲んだ。
ブロンドの美しい金色の髪が流れ、憂いを帯びた青い瞳が伏せがちに俺を見る。美しく完璧という言葉以外に形容出来ない顔、傷どころか傷一つ、ホクロ一つ存在することも許されないような白い肌に、俺は天女というものを初めて見たような気がした。
「お目通りを叶えていただきましたのに、素顔を隠したままという大変な無礼。どうぞ、平にお許しください。」
許すしかないだろう。
ここまでの素顔であったなら、隠しておかなければ危険だと俺は悟った。
この女は、すべてを魅了する。
それこそ神ですら、その美貌を愛してしまうかもしれん。
ローブを脱ぎ捨て、彼女は黒いワンピース姿になると脱いだローブを畳んで脇に置き、再び丁寧に礼をする。
人間だと思っていたのだが、彼女の背中に翼が生えている。
黒い右翼、白い左翼の一対の翼という矛盾した色が、彼女の美しさを一層際立てた。
「…改めまして、パンデモニウムより参りましたダークエンジェル。いえ、あなた様がご理解しやすい言語で言い換えましたら、万魔殿より参りました堕天使、ネヴィアと申します。このたび御領主様へのお目通りを願いましたのは、此度の戦におきまして、御領主様の戦列に我らの旗と魔王軍の旗を共に掲げさせていただきたいと、人々が堕落した神と呼ぶ我らの主、この世界を統べる我らの王の命を受け、参じた次第でございます。」
共に旗を掲げる、ということは彼女たちは公に俺たちの味方をすると言っているのである。
だが、その前に……。
「…その申し出はありがたいが、一つだけ訂正してくれ。俺は御領主様と呼ばれる身分じゃない。俺はただ町長に祭り上げられただけであって、領地は持たないし、持つ気もないぞ。」
「おかしいですね。道行く人があなた様のことをこの町の長ではなく、領主だと口々に…。」
「…………酔っ払いの戯言だ。」
誰だ、クライブか?
それともあいつか、あっちのことか。
心当たりのありすぎる酔っ払いが多すぎる。
「だが、せっかく来ていただいたが……、その援軍はお断りする。」
「な、何故です!我々、いえ、魔王軍が全面的にあなた方を支持すれば親魔物国家もあなた方を支持するのは必然。何故、この申し出をお断りなさるのですか!?」
さっきまでガチガチに緊張していたヴルトームという少女が声を大にして叫ぶ。
「だからこそ。援軍は受け取れない。確かに、これは辺境のごく一部地域で起こる大規模な戦になるだろう。それを魔王軍、こちらにおいては教会勢力と並ぶ錦の旗だ。そんな大規模な勢力が絡んだことを公然とすれば、それはこの大陸すべてを巻き込む大戦争になる。それは俺の望むことではない。ヴルトーム殿、こちらの王の厚意には感謝する。だが、その王が俺と似て非なる存在であるとするならば、その押し付けがましい援軍は、まるで俺を値踏みするようで、少々頭に来るぞ。」
その言葉で、ヴルトームは目を丸くした。
「……ご存知でしたか。」
「ああ、ちょっと前にな。そういう訳だ。本当の目的を話されよ。」
失礼しました、そう言って彼女は非礼を詫びた。
思った通り、これは俺への問いかけだったらしい。
有利になるという餌の前に、俺という人間がどう動くか。
こちら側の俺は、人を試すのが好きらしい。
俺が援軍を受け入れてしまっていたら…。
たぶん、命はなかったのかもしれない。
「…我々の本来の目的は、こちらのアヌビス様にある魔術具をお渡しすること。そして、こちらのネヴィア殿をこの町へ送り届け、せめてその戦列の端に加えていただくことなのです。」
「彼女を?」
ネヴィアは、短く返事をする。
その表情には何故か悲しみが浮く。
「事情は申せませんが、ただ戦列に加えていただけるだけで良いのです。彼女は弓を引けます。エルフやケンタウロスの武芸には及びませんが、それでも戦列を乱す程の拙い腕ではありません。どうか……、どうかこれだけはお聞き入れいただきますよう、お願い致します!」
ヴルトームが深々と頭を下げる。
しまったな……。
見れば彼女もなかなかの武人と見て取れる。
そんな武人に頭を下げさせてしまった時点で、俺の負けだ。
俺、こういう真っ直ぐなやつに弱いからなぁ…。
「頭を上げてくれ…。わかった、その願いは聞き入れる。ただし、彼女が援軍として来たことはあくまで秘密…、と言っても彼女は目立つからなぁ。何か突っ込まれたらシラを切り通すが、対策はこっちで考えさせてもらう。それでよろしいかな?」
「はい、ありがとうございます!」
「では、ごりょ…ではございませんでしたね。ロウガ様、しばらくご厄介になります。」
―――――――――――――――――――――――
町の中央広場、かつては公園だったクーデターの戦没者慰霊碑の前で僕は手を合わせる。
供えた花束がそよ風に揺れる。
教会関係者も魔物も、すべてが等しく眠るこの場所で、こうして在りし日の彼らを偲ぶのが僕の日課になりつつある。
ここに来るたび、いつも問いかける。
今の僕は、間違っていないだろうか。
まだ先の見えない時代に、僕は何をするべきなんだろうか。
もちろん、答えなんか返ってこない。
ここで眠る人たちの場所に、僕はきっと辿り着けない。
彼らのように笑って、永遠の眠りに就く時はきっと、僕はまだ彼らの背中を追いかけているような気がする。
「…サクラ、ここに来ていたんだね。」
「マイアさん、どうしました?」
マイアさんが合同演習を終えたらしく、僕を見付けて走ってきた。
最近、町の人口が急激に増えた。
フウム王国から逃げてきた親魔物の人々や、その他の戦争で犠牲になった地域から流れてきた人たち、色々な事情を抱えて人々が町に居付いたからだ。
この町も戦争に巻き込まれる。
それなのに、流れてきた人々は逃げようとしない。
それどころか、これ以上逃げるくらいなら、この町のために戦うとまで言って聞かない。
そんな状況になったため、マイアさんやアスティアさん、それに最近加わったタツマサさんが戦う意志を持つ人々を訓練している。
兵として志願した人たちは、彼女たちの話にだと2000人にまで膨れ上がったという。
その話をするたび、マイアさんは少しだけ悲しそうな目をしていた。
「……私たちは結局、自分たちが生き残るために誰かを利用しているにすぎないんだね。」
そう呟く彼女の言葉を僕は胸に刻む。
だからいつも死者に問いかける。
僕らは、間違っていないだろうかと。
「マイアさん、今日はもう終わりですか?」
「ああ、サクラも?」
「ええ、何でもすごく重大なお客様だからロウガさんが対応するってことになっちゃって。そんな訳で、お暇を出されました。」
マイアさんが、少しだけ嬉しそうに笑って僕の手に指を絡める。
「なら、今日は一緒にご飯を食べて帰ろう。二人きりなんて…、久し振りだから。」
そう言いかけてマイアさんが言葉を止める。
その変化に僕も気が付いた。
あたりが、静かすぎる。
全身を突き刺すような殺気が中央広場を覆っていた。
広場の入り口に立つ黒い男。
すべてに敵意を向ける男は、赤黒いマントの切れ目から剣の柄を握る。
「サクラ、来るぞ!」
それが合図だったかのように、男が信じられない程低く、まるで地面を這うように走る。
まだ、剣を抜かない。
いや、我流らしい荒々しさはあるけど、あの一種独特の共通する姿勢。
それはマイアさんの持つ技の一つ。
「気を付けて!あれ……、抜刀術だ!!」
「な、何!」
男が僕の声を聞いて、ニヤリと笑う。
そしてさらにスピードを上げる。
僕の目の前にいたはずの男が消え、その圧倒的な殺気が土煙を上げ、僕の背後に回っていた。
「サ、サクラ!?」
「…聞いたぞ。貴様、強いらしいな。」
ギィンッ
金属のぶつかり合う高い音が響く。
目にも留まらぬ神速で抜かれた刀身に、マイアさんの大剣が間一髪で僕の盾になって命を繋いだ。
「何だ、こいつは!?いきなり襲ってきて!!」
激しく激昂しているマイアさんを尻目に、僕は至って冷静だった。
「…俺の名はウェールズ=ドライグ。貴様に恨みはないが、貴様を倒し、俺の強さを証明し、戦争への幕を上げるために死んでもらう。貴様を倒す程であれば、誰も貴様を必要としない。貴様を必要としなければ、より力のある者を必要とするからな…。」
「こいつ、目的と手段が……、狂っている!?」
冷静にもなる。
何故なら、それはかつての僕の姿。
力を求めて、大事な人さえ傷付けたかつての僕にそっくりな男。
「退いて、マイアさん。彼は、僕のお客さんらしい…。」
力に溺れ、力に振り回させるかつての僕の幻影に、僕は彼を通して、自分の手であの日の決着を付けなきゃいけないらしい。
ああ、力に溺れた姿は、こんなにも醜いものだったのか…。
「……始めるぞ。貴様も剣の錆にしてくれる。」
マイアさんよりも更に前傾姿勢で、彼は剣を鞘に収め構える。
氷のような冷たい殺気。
そして誰に向けているのかわからない程の憎しみが伝わってくる。
これが、彼の、ウェールズと名乗る男の力の根源か…。
ロウガさんに感謝します。
あなたに鍛えられなかったら、この殺気で怖気付いた。
ダオラさんに感謝します。
憎しみの向こう側を知らなければ、規格外の憎悪に飲み込まれていた。
サイガに感謝しています。
君と戦わなかったら、僕はずっと勇気を知らないままだった。
そして、マイアさんに感謝しています。
あなたが傍にいてくれたからこそ、僕は無意味な強さと決別出来ました。
「………良いよ、いつでも。でも最初に言っておいてあげます。それじゃ、僕には勝てない。僕は一度、あなたの場所にいたからこそ手に取るようにあなたがわかる。だから、その程度の殺気ではこの命までは届かない。
……………いくつもの手が背中を押してくれる。
……お前に、その背中を押してくれる誰かはいるか?」
「……殺す。」
ウェールズの閃光が疾る。
「殺せない。
この命はそんなに安くはない…。
俺たちを、甘く見るな!!」
右腕に宿した炎が、激しく燃え盛る。
荷馬車から黒装束の男が降りる。
赤黒いマントを翻すと、身軽な身体は小さく土煙を上げて着地する。
ガシャ、と鋼鉄の左腕が振動で揺れた。
ここは名もなき町が目の前に見えている街道。
ヘンリー=ガルドを筆頭に商人たちが忙しく、列を成し行き来する。
そんな商人たちの邪魔にならないようにと、街道の脇に止めた小さな荷馬車から男は礼もそこそこに飛び降りる。
「目的地は一緒なのだぞ。このまま馬車に乗って、一緒に行けば良いじゃないか。」
荷台から重装備の騎士風の少女、ヴルトームがその身を乗り出して男に呼びかける。
漆黒の男、ウェールズ=ドライグは横目で睨むようにヴルトームを見ると、彼女の気遣いを嘲笑うかのように、鼻で笑って答えた。
「……目的地は、確かにな。だが、目的が違う。お前たちの目的など興味はないが、俺は俺のやり方で、ここを治める者に俺を売り込む。」
「うっ……。」
その眼光にヴルトームは怯んだ。
彼女は決して弱い戦士ではない。
むしろ、ヴルトームは主である魔王の身辺を警護する者として、かなりの実力の持ち主である。
人間のようではあるが、彼女もまた魔物であり、種族はデュラハン。
そんな彼女が人間であるウェールズに怯んでしまった。
まともに戦えば、ヴルトームに分がある。
だが、それ以上にウェールズには彼女にはないものを纏っていたのである。
憎悪の生み出す妖気。
実力の差を埋める以上に、その禍々しい妖気は魔物である彼女をも凌駕していた。
「…あなたの未来に幸多からんことを。ヴルトーム様に代わりまして、ウェールズ様、あなたの旅の無事をお祈り致します。」
荷馬車の奥から、透き通るような美しい声がウェールズの旅を祈る。
それは頭から足の先まで、全身を隠す程大きなローブを纏った女だった。
口元だけがそのローブから出て、赤い唇がやさしく微笑んでいた。
おそらくローブの中は祈りを捧げるように、手を結んでいるのだろう。
「……俺に未来など、ない。」
あるのは地獄だけだ、そう言い残してウェールズは去っていく。
その後姿が見えなくなって、やっとヴルトームは荒い呼吸を始めていた。
「はぁっ…、はぁっ…!な、何なんだ一体!?わ、私が……、陛下をお守りすべく戦う私が…!あの人間一人に……、怯えていた!?」
正体のわからない恐怖にヴルトームが取り乱す。
「ヴルトーム様、彼はそういうものなのです。憎しみは何も生みません。憎しみは憎しみのまま、やがては滅びの道を歩むのです。すべてを滅ぼし、何を憎んでいたかも忘れ、最後には自分ですら滅ぼすのが彼の道。あなたは、他人を羨む、他人を憎むことなどないから、ご存知ないでしょう…。だからこそ恐怖したのです。あなたの知らぬ異質なものに触れて…。」
「……ネヴィア。君はわかるのか。」
ネヴィアと呼ばれた女は一度だけコクリ、と頷くとそれ以上喋らなかった。
そのローブの向こうで、彼女がどんな表情をしているのかうかがい知れない。
「………………そうか、君も色々と触れてはいけない秘密が多いのだな。すまなかった、私が無遠慮に聞きすぎたようだ。許してくれ。」
「…いえ、お気になさらず。」
「すまない。では行こう。」
ヴルトームは荷馬車を従者に命じて再び走らせる。
商人や行き交う旅人に混じって、荷馬車は目的地へ向かって走る。
―――――――――――――――――――――――
「突然の来訪にも関わらず、快く我々とお会いしていただき、まことに恐縮でございます。」
ヴルトーム、ネヴィアと名乗る二人は片膝を突いて、礼を述べる。
ここは学園長室、いや今は町長室と無理矢理変えさせられた俺の部屋。
「あ〜、その〜。あまり恐縮されると俺が困る。」
もう少し、楽にしてくれるとありがたいのだが、このヴルトームと名乗る女。
何故か俺を見て、さっきからカチカチになってどうも歯切れが悪い。
「お二人の素性はわかったが、ネヴィア殿。何か顔を見せられない事情でもおありかな?」
「いえ……、失礼致しました。」
そう言うとネヴィアと名乗る女はローブを脱ぎ、素顔を晒した。
正直なところを言えば、何か傷でもあるのかと思っていたのだが、予想に反して彼女の素顔に俺は思わず息を飲んだ。
ブロンドの美しい金色の髪が流れ、憂いを帯びた青い瞳が伏せがちに俺を見る。美しく完璧という言葉以外に形容出来ない顔、傷どころか傷一つ、ホクロ一つ存在することも許されないような白い肌に、俺は天女というものを初めて見たような気がした。
「お目通りを叶えていただきましたのに、素顔を隠したままという大変な無礼。どうぞ、平にお許しください。」
許すしかないだろう。
ここまでの素顔であったなら、隠しておかなければ危険だと俺は悟った。
この女は、すべてを魅了する。
それこそ神ですら、その美貌を愛してしまうかもしれん。
ローブを脱ぎ捨て、彼女は黒いワンピース姿になると脱いだローブを畳んで脇に置き、再び丁寧に礼をする。
人間だと思っていたのだが、彼女の背中に翼が生えている。
黒い右翼、白い左翼の一対の翼という矛盾した色が、彼女の美しさを一層際立てた。
「…改めまして、パンデモニウムより参りましたダークエンジェル。いえ、あなた様がご理解しやすい言語で言い換えましたら、万魔殿より参りました堕天使、ネヴィアと申します。このたび御領主様へのお目通りを願いましたのは、此度の戦におきまして、御領主様の戦列に我らの旗と魔王軍の旗を共に掲げさせていただきたいと、人々が堕落した神と呼ぶ我らの主、この世界を統べる我らの王の命を受け、参じた次第でございます。」
共に旗を掲げる、ということは彼女たちは公に俺たちの味方をすると言っているのである。
だが、その前に……。
「…その申し出はありがたいが、一つだけ訂正してくれ。俺は御領主様と呼ばれる身分じゃない。俺はただ町長に祭り上げられただけであって、領地は持たないし、持つ気もないぞ。」
「おかしいですね。道行く人があなた様のことをこの町の長ではなく、領主だと口々に…。」
「…………酔っ払いの戯言だ。」
誰だ、クライブか?
それともあいつか、あっちのことか。
心当たりのありすぎる酔っ払いが多すぎる。
「だが、せっかく来ていただいたが……、その援軍はお断りする。」
「な、何故です!我々、いえ、魔王軍が全面的にあなた方を支持すれば親魔物国家もあなた方を支持するのは必然。何故、この申し出をお断りなさるのですか!?」
さっきまでガチガチに緊張していたヴルトームという少女が声を大にして叫ぶ。
「だからこそ。援軍は受け取れない。確かに、これは辺境のごく一部地域で起こる大規模な戦になるだろう。それを魔王軍、こちらにおいては教会勢力と並ぶ錦の旗だ。そんな大規模な勢力が絡んだことを公然とすれば、それはこの大陸すべてを巻き込む大戦争になる。それは俺の望むことではない。ヴルトーム殿、こちらの王の厚意には感謝する。だが、その王が俺と似て非なる存在であるとするならば、その押し付けがましい援軍は、まるで俺を値踏みするようで、少々頭に来るぞ。」
その言葉で、ヴルトームは目を丸くした。
「……ご存知でしたか。」
「ああ、ちょっと前にな。そういう訳だ。本当の目的を話されよ。」
失礼しました、そう言って彼女は非礼を詫びた。
思った通り、これは俺への問いかけだったらしい。
有利になるという餌の前に、俺という人間がどう動くか。
こちら側の俺は、人を試すのが好きらしい。
俺が援軍を受け入れてしまっていたら…。
たぶん、命はなかったのかもしれない。
「…我々の本来の目的は、こちらのアヌビス様にある魔術具をお渡しすること。そして、こちらのネヴィア殿をこの町へ送り届け、せめてその戦列の端に加えていただくことなのです。」
「彼女を?」
ネヴィアは、短く返事をする。
その表情には何故か悲しみが浮く。
「事情は申せませんが、ただ戦列に加えていただけるだけで良いのです。彼女は弓を引けます。エルフやケンタウロスの武芸には及びませんが、それでも戦列を乱す程の拙い腕ではありません。どうか……、どうかこれだけはお聞き入れいただきますよう、お願い致します!」
ヴルトームが深々と頭を下げる。
しまったな……。
見れば彼女もなかなかの武人と見て取れる。
そんな武人に頭を下げさせてしまった時点で、俺の負けだ。
俺、こういう真っ直ぐなやつに弱いからなぁ…。
「頭を上げてくれ…。わかった、その願いは聞き入れる。ただし、彼女が援軍として来たことはあくまで秘密…、と言っても彼女は目立つからなぁ。何か突っ込まれたらシラを切り通すが、対策はこっちで考えさせてもらう。それでよろしいかな?」
「はい、ありがとうございます!」
「では、ごりょ…ではございませんでしたね。ロウガ様、しばらくご厄介になります。」
―――――――――――――――――――――――
町の中央広場、かつては公園だったクーデターの戦没者慰霊碑の前で僕は手を合わせる。
供えた花束がそよ風に揺れる。
教会関係者も魔物も、すべてが等しく眠るこの場所で、こうして在りし日の彼らを偲ぶのが僕の日課になりつつある。
ここに来るたび、いつも問いかける。
今の僕は、間違っていないだろうか。
まだ先の見えない時代に、僕は何をするべきなんだろうか。
もちろん、答えなんか返ってこない。
ここで眠る人たちの場所に、僕はきっと辿り着けない。
彼らのように笑って、永遠の眠りに就く時はきっと、僕はまだ彼らの背中を追いかけているような気がする。
「…サクラ、ここに来ていたんだね。」
「マイアさん、どうしました?」
マイアさんが合同演習を終えたらしく、僕を見付けて走ってきた。
最近、町の人口が急激に増えた。
フウム王国から逃げてきた親魔物の人々や、その他の戦争で犠牲になった地域から流れてきた人たち、色々な事情を抱えて人々が町に居付いたからだ。
この町も戦争に巻き込まれる。
それなのに、流れてきた人々は逃げようとしない。
それどころか、これ以上逃げるくらいなら、この町のために戦うとまで言って聞かない。
そんな状況になったため、マイアさんやアスティアさん、それに最近加わったタツマサさんが戦う意志を持つ人々を訓練している。
兵として志願した人たちは、彼女たちの話にだと2000人にまで膨れ上がったという。
その話をするたび、マイアさんは少しだけ悲しそうな目をしていた。
「……私たちは結局、自分たちが生き残るために誰かを利用しているにすぎないんだね。」
そう呟く彼女の言葉を僕は胸に刻む。
だからいつも死者に問いかける。
僕らは、間違っていないだろうかと。
「マイアさん、今日はもう終わりですか?」
「ああ、サクラも?」
「ええ、何でもすごく重大なお客様だからロウガさんが対応するってことになっちゃって。そんな訳で、お暇を出されました。」
マイアさんが、少しだけ嬉しそうに笑って僕の手に指を絡める。
「なら、今日は一緒にご飯を食べて帰ろう。二人きりなんて…、久し振りだから。」
そう言いかけてマイアさんが言葉を止める。
その変化に僕も気が付いた。
あたりが、静かすぎる。
全身を突き刺すような殺気が中央広場を覆っていた。
広場の入り口に立つ黒い男。
すべてに敵意を向ける男は、赤黒いマントの切れ目から剣の柄を握る。
「サクラ、来るぞ!」
それが合図だったかのように、男が信じられない程低く、まるで地面を這うように走る。
まだ、剣を抜かない。
いや、我流らしい荒々しさはあるけど、あの一種独特の共通する姿勢。
それはマイアさんの持つ技の一つ。
「気を付けて!あれ……、抜刀術だ!!」
「な、何!」
男が僕の声を聞いて、ニヤリと笑う。
そしてさらにスピードを上げる。
僕の目の前にいたはずの男が消え、その圧倒的な殺気が土煙を上げ、僕の背後に回っていた。
「サ、サクラ!?」
「…聞いたぞ。貴様、強いらしいな。」
ギィンッ
金属のぶつかり合う高い音が響く。
目にも留まらぬ神速で抜かれた刀身に、マイアさんの大剣が間一髪で僕の盾になって命を繋いだ。
「何だ、こいつは!?いきなり襲ってきて!!」
激しく激昂しているマイアさんを尻目に、僕は至って冷静だった。
「…俺の名はウェールズ=ドライグ。貴様に恨みはないが、貴様を倒し、俺の強さを証明し、戦争への幕を上げるために死んでもらう。貴様を倒す程であれば、誰も貴様を必要としない。貴様を必要としなければ、より力のある者を必要とするからな…。」
「こいつ、目的と手段が……、狂っている!?」
冷静にもなる。
何故なら、それはかつての僕の姿。
力を求めて、大事な人さえ傷付けたかつての僕にそっくりな男。
「退いて、マイアさん。彼は、僕のお客さんらしい…。」
力に溺れ、力に振り回させるかつての僕の幻影に、僕は彼を通して、自分の手であの日の決着を付けなきゃいけないらしい。
ああ、力に溺れた姿は、こんなにも醜いものだったのか…。
「……始めるぞ。貴様も剣の錆にしてくれる。」
マイアさんよりも更に前傾姿勢で、彼は剣を鞘に収め構える。
氷のような冷たい殺気。
そして誰に向けているのかわからない程の憎しみが伝わってくる。
これが、彼の、ウェールズと名乗る男の力の根源か…。
ロウガさんに感謝します。
あなたに鍛えられなかったら、この殺気で怖気付いた。
ダオラさんに感謝します。
憎しみの向こう側を知らなければ、規格外の憎悪に飲み込まれていた。
サイガに感謝しています。
君と戦わなかったら、僕はずっと勇気を知らないままだった。
そして、マイアさんに感謝しています。
あなたが傍にいてくれたからこそ、僕は無意味な強さと決別出来ました。
「………良いよ、いつでも。でも最初に言っておいてあげます。それじゃ、僕には勝てない。僕は一度、あなたの場所にいたからこそ手に取るようにあなたがわかる。だから、その程度の殺気ではこの命までは届かない。
……………いくつもの手が背中を押してくれる。
……お前に、その背中を押してくれる誰かはいるか?」
「……殺す。」
ウェールズの閃光が疾る。
「殺せない。
この命はそんなに安くはない…。
俺たちを、甘く見るな!!」
右腕に宿した炎が、激しく燃え盛る。
11/01/08 01:25更新 / 宿利京祐
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