act14・コント/バーテンダーAメリークリ○○ス
今夜はツイていない。
逃走資金稼ぐために男を引っ掛けようと思っていたのに、肝心の男が引っ掛からない。
週末、休日前の深夜。
酒が入って良い気分の男、
スケベ心丸出しのおっさん、
そんな男たちが街のどこかに必ずいるんだけど、今夜はプロの娼婦たちが、そんな男たちを見越して街角で、獲物を攫っていく。
「あ〜あ…、ちくしょー!」
地べたに腰を下ろして、夜空に向かって叫ぶ。
でも、そこで慰めてくれる男もいないし、そもそもそんな相手を必要としていない。
私に必要なのはお金を落としてくれるやつ。
そしてまだ死にたくないから、ただ今日を生き抜くだけの気力。
はっきり言って怠惰、倦怠、停滞、無意味な日々。
苛々している。
あそこで堅気の仕事に疲れているサラリーマンも、
あっちで日陰の商売で毎日を生きている娼婦たちも、
みんなそれなりに生きる希望があって、
明日に向かって必死に生きている。
なのに、アタシには何もない。
何だか、酷く寂しくなってきた。
「寂しい…、な…。」
欲しいのはお金だけ。
でも本当にアタシはお金が欲しいのだろうか。
お金は結局、アタシを慰めてくれない。
でもそれに縋って生きていかなきゃ…、
何のために人を傷付けて、
何のために人を殺して、
そうまでして奪ってきたのかわからなくなってしまう。
目頭が…、熱い。
「クソぉ…。」
翼で身体をスッポリと隠す。
アタシは泣いてなんかいない。
ただ疲れたから座って羽を休めているだけなんだ。
そう自分に言い聞かせて、声を殺して、歯を食い縛っていた。
胸が震える。
でも、ここも早く離れた方が良いかもしれない。
いつ警察の追手がここに来るかもわかったものじゃないから。
「………………はぁ!………あ。」
強く息を吐き、上を見上げると満天の星空。
知らなかった。
こんな薄汚れた街でも星ってこんなに綺麗だったんだ…。
こんな風に静かに空を見上げたこともなかったけど…。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜♪」
気が付いたら口を開いて歌っていた。
言葉にならない、自分にもよくわかっていない感情を歌っていた。
歌詞なんてない。
誰かのメロディーでもない。
アタシはこの時、初めてアタシの声で歌ったんだ。
息が切れるまで歌った。
そして気が付くとアタシの傍で背中にギターケースを背負ったあいつが立っていた。
「…………誰?」
「…あ、悪い。何だか良い声が聞こえたから……、ついこっちに来てしまったんだ。」
「変なやつ。」
そいつの名前はチャールズ=モンロー。
ひどく痩せていて、不健康そうで、どこかアタシに似た印象を受けた。
黒皮のジャケットにパンツ。
そして真っ黒な長髪が印象的だった。
「あのさ…、もう一度歌ってくれないか?」
「はぁ?歌えってアタシは歌っちゃいないよ。ただ口から出た、訳のわかんないのを歌だなんてさ…、プロの歌手が聞いたらキレちゃうよ。」
「馬鹿、それが歌なんだよ。あれは紛れもないあんたの歌だった。だからもう一度聞きたい。飾らない想いで、荒々しくて寂しい声をもう一度聞きたいんだ。」
誰かに何かを頼まれた経験のないアタシは戸惑った。
それでもモンローの真剣な目に負けて、アタシはまた歌った。
さっき、どんなメロディーを歌っていたのかも覚えていないけど、
そいつに聞いてほしくて、
そいつが聞いてくれるのが嬉しくて、
力の限り歌ったんだ。
最後の方は叫びっ放しだったけど、モンローは黙って聞いてくれた。
「………はぁ、はぁ、はぁ!どうだぁ!!」
モンローはにっこりと笑った。
「やっぱり良い歌声だ。その歌声に誘われて、表通りからここまで来てみて良かった。それにしても、どうしてこんな暗いところで歌っていたんだ?」
「アタシの歌声に誘われた……?」
アタシがセイレーンだからだろうか…。
一瞬それが頭の中でよぎったけど、その時のアタシにはそんな魔力なんてない。
モンローはアタシの声を捕まえて、ここまで来てくれたんだ。
そう思うと嬉しかった。
「じゃあさ。誘われたついでに、アタシを買わない?」
「え…、ああ、そういうこと?それでこんな暗い路地で歌っていたんだ。」
「別に歌で誘っていた訳じゃないけどさ、アタシがここにいるのはそのため。どうしてもお金が必要なんだよ…。理由は言えないけどさ。」
逃走資金、何故かモンローにそう言うのが嫌だった。
「………ん〜、そうだな。あのさ、手持ちの金がこれくらいしかないけど、これくらいでも、お前を……、買えるかな?」
ポケットをごそごそと漁って出てきたのは、銅貨1枚と飴玉が2つ。
これくらいじゃパンの耳くらいしか買えない。
「あんた、貧乏なのか?」
「ま、裕福じゃないのは確かだな。」
それくらいしかないのに、アタシを買うって言ったんだ。
そんなモンローが可笑しくて、アタシは笑ってしまった。
何だか、お金とかどうでも良くなってしまった。
「あはははは、良いよ。売られてあげる。じゃあ、どこで始めようか?アタシ、あんたが気に入ったからちょっとだけサービスしてあげるよん♪アタシの脱ぎたての下着でハァハァしても、お尻突っ込まれてヒィヒィ言わせられたりしても、鞭でビシバシやっても、どんな変態プレイでも許してあげる♪。」
「お前は俺をどんな変質者と思っているんだ。性癖は別に普通だよ。でもお前を買うのはそのためじゃない。何でかな……、お前に見せたい場所があるんだ。俺が買うのはお前の身体じゃない。お前の時間だ。」
付いて来いよ、そう言ってアタシは表通りに手を引かれて行った。
きっと警察が脱走したアタシを捜索しているとわかっていたけど、それを言ってモンローが手を放してしまうのが嫌だった。
―――――――――――――――――――――――
激しい爆音を叩き付けられた。
ツーバスのドラムが超高速でスティックが折れんばかりに叩かれる。
ギターが精密機械のような指の動きで、高速で音階を刻む。
そしてモンローのベースの太い弦が、まるで悲鳴を上げるように太く低い爆音を作り出す。
ボーカルのいないヘヴィメタルバンド。
アタシがモンローに連れてこられたのは、街の場末にある小さなライブハウス。
精々30人くらいしか入れないライブハウスに溢れんばかりにオーディエンスが入っていた。
オーディエンスと演奏するメンバーの熱気が一つの世界を作っている。
アタシはステージの裾でそれを見ていた。
最初は爆音みたいなこの音を音楽だと感じることが出来ず、聞き流す感じで壁にもたれかかって、モンローを見ていたんだけど、気が付いたらアタシは壁を指で叩きながらリズムを刻んでいた。
歌詞も何もない。
それでも伝わる彼らの熱いくらいの思い。
アタシが暮らしてきた街は大都市と言っても良いくらい大きな街だったけど、どこかアタシみたいに惰性で流れて、ひどく緩やかで、時間が止まっているような錯覚を覚える死んだ世界。
あいつらは動かしたいんだ。
そんな死んだ世界をアタシみたいに諦めちゃいないんだ。
爆音で奏でる讃美歌。
やさしく透き通る歌ではないけれど、生命がそこに息衝いている。
熱い……。
冷たく死んだように自分を諦めたアタシが震えている。
熱い……。
魔物だ、人間だなんて関係ない。
アタシは、まだ死にたくない。
アタシは、まだ自分を生きちゃいない。
アタシは、泣いていた。
生まれて初めて、自分のために泣いていた。
「ほら、これで涙拭けよ。」
大きなバスタオルを頭から掛けられる。
モンローのバンドがステージから帰ってきていた。
「今日のナンバーは終わったからな。後はアンコールをどうするか…。」
「汗臭い……。」
頭から掛けられたバスタオルは彼の汗でぐっしょりと濡れていた。
それでも払い除けず、アタシはタオルの端を握り締めて顔を隠し続けた。
「アンコールって何?」
「アンコールって言うのはな………、え〜っとつまり、もう一回演奏してくれって言うお客からのリクエストなんだ。お前、そんなことも知らなかったのかよ?」
「知る訳、ないじゃん。アタシ、今までほとんど刑務所の中で生きていたんだから…。」
モンローに話した。
自分が監獄から脱走していること。
お金が欲しくて、今まで色んな罪を重ねてきたことも。
「………ふっ。アッハッハッハ…、なるほどなるほど。道理でお前に声を掛けた訳だな。」
「何だよ!笑うな!!」
「そんなこと、だよ。だって俺たちも全員、元犯罪者だからな。」
「え!?」
モンローたちは笑っていた。
ドラムのエドワードは傷害で、
ギターのアルバートは当時、その街で禁じられていた同性愛で、
同じくギターのBダリアも同じように当時禁じられていた賭博とアルコールで、
そしてモンローは……、
「俺はお前と同じだよ。俺は他所の街にいたんだけど、お前と同じように金が欲しくて…、いや生きている実感が欲しくて、殺人まで犯した。お前と違って運悪く、死刑になるところだったんだけど、戦争が起こってな。そのドサクサで兵隊に行けば減刑するって言われて、今日まで生き長らえた。それで戦争が終わって、街は滅んで、この街に流れ着いて音楽に出会った…。まぁ、だいたいこんな話だよ。」
頭をポンと軽く叩かれる。
「…………なぁ、ちょっと思い付いたんだけどさ。今日のアンコール、こいつに歌わせてみないか?いや、違うな。俺たちのバンドに歌なんて上等なものはないから、叫ばせてみようと思うんだ。」
メンバーは二つ返事で首を縦に振った。
「ちょっと待ってよ!アタシ、そんなのやったことない!!」
「やりたくないのか?」
アタシは即答出来なかった。
やったことない、
恥ずかしい、
そう言えば良かったのに、アタシの心がやりたがっていた。
あの渦の中に飛び込みたい。
あの熱気にもっと触れたい。
「………アタシは。」
「よし、決まり。お前ら、さっさと行くぞ!」
「「「「おぉーっ!!!!!」」」」
アタシの返事なんか待たずに、あいつらは気合を入れ直してステージに向かっていく。
「ちょ、ちょっと!」
「ほら、行くぜ?」
無理矢理アタシの手を引くモンロー。
あまりカッコ良い男じゃないけど、あのやさしい笑顔は今でも忘れられない。
―――――――――――――――――――――――
「………それで、どうなったのだ?」
「別に。そのままあいつに手を引かれてステージに上がって、全力で適当に叫んで、お客から初めてのブーイングと物投げられて、初ケンカして…。それから何度かあいつらと一緒にライブやって……、アタシは自首したよ。ちゃんと罪償ってから、正式にメンバーに入れてくれって頼むつもりだった…。」
ウィスキーのグラスの氷が鳴る。
空になったグラスに、ルナの隣に座るダオラがウィスキーを注ぐ。
サクラもイチゴもルナの話の途中ですっかり眠ってしまっていた。
サクラは長椅子に身体を預けて、女装させられたままの姿で寝ている。
疲れ果てて、乱れた髪のまま悩ましげに眠るその姿は、まさしく眠れる美女。
男なのが非常に残念である。
イチゴに至ってはすっかり簀巻きを解かれて、大きな鼻提灯を膨らませている。
丸いお腹をボリボリと掻き、一升瓶を抱いて寝る姿が実におっさん臭い。
「刑務所の中にいた時にさ、街が戦争に巻き込まれたんだ。幸いアタシたちは無事だったけど、街は廃墟になっていたよ。刑期を終えて、あいつらを探したんだけど、4人とも行方不明……。何年かしてドラムのエドワードは見付かったんだけど、墓石の下でお休み中だったよ。眠った日付は戦争のあった翌年。後のみんなはどこに行ったんだか…。」
「……寂しい話、であるな。戦の話はいつの時代でも。」
「アタシね、合コンに行き続けてるのも……、どこかであいつみたいな男に会えると良いな…って思って行くんだよ。もう何十年も前の話しだし、人間だったあいつも生きていれば良い歳したおじいちゃんのはずなんだけど……。」
「そうだな、その通り………って待つのだ。今何と言った。何十年も前?我はそなたのことをアヌビス殿と同じくらいの年齢と思っていたのだが、そなた一体何歳なのだ!?」
遠い目でルナは笑う。
「ダオラならわかってくれるよね。女はいつだって、死ぬまで永遠の十代なんだよ。」
「その通りであった。許せ。」
自分も年齢のことでは彼女にひけを取らないダオラは素直に詫びる。
二人は静かに酒を飲む。
それが実に絵になる。
「…男に会いたいかい?」
突然、聞こえてきた第三者の声にダオラもルナも、驚き席を立ち上がる。
カウンターの奥の席に胡散臭い占い師風の女が足を組んで二人を見ていた。
「誰、本編に出てきた人!?」
「わからぬ、我も見覚えがない!!」
女はやわらかい微笑を浮かべ、カクテルグラスに口を付ける。
鮮やかな赤い口紅が印象に残る。
妖艶な指使いで女は二人を指差す。
「今一度問おう、セイレーンの娘よ。思い出の男に会いたいか?」
「…無礼な者だな。そなた、突然現れておいて名乗らぬのか?」
女は意外そうな顔をしたが、すぐに目を伏せ非礼を詫びた。
「そうだったな。私の名前…、か……。ルシフェル、サタン、アンリ=マユ、ジパングではぬらりひょんなどとも呼ばれたこともあったが、どれも定着しなかった…。私は…、誰なのだろうな…。そんな訳だ、私のことは好きに呼ぶと良い。セイレーンの娘よ、答えてくれないか?君は思い出の男に会いたいかい?それとも年老いているであろう男に会い、初恋の幻想を壊されるくらいなら、その思い出を胸に封印するのかい?」
ルナは考えた。
女の静かな威圧感にダオラも動けず、ただ時間だけが流れる。
「アタシは……。」
ルナがおそるおそる口を開く。
「アタシは会いたい。歳を取っておじいちゃんになっていても良い。会って、あの日、アタシを買ってくれてありがとう。アタシを誘ってくれてありがとう。あなたのおかげでアタシは今、自分の人生とちゃんと向き合って生きていますって伝えたい!」
「良い声だね。彼が今でも惚れているはずだ…。」
「え、今…、でも…?」
女はカクテルグラスをカウンターに置くと微笑む。
「町外れの酒場で盲目の男がアコースティックギターを弾いて歌っている。傍らに思い出という傷だらけのベースギターを置いてね。数年前に紛争に巻き込まれて命を落としかけた青年に、意地悪な天使が囁いた。まだ生き延びたいかい、とね。すると男は生き延びたい、生きてあいつに会いたい、と言った男に意地悪な天使は命を与えたんだ。ただし彼は人間ではなくインキュバスに生まれ変わり、生き延びた代償として彼は両目の視力を失った。それでも彼は歌い続けている。君に会えるかもしれないのなら、いつかの思い出のベースギターを担いで彼は旅し続けてい………。」
バンッ
タッタッタッタッタッ………
「……………やれやれ。人の話を聞かない娘だね。さぁ、ドラゴンの娘よ。飲もうか。お互い名も知らぬ同士でも良いじゃないか。酒場なんて隣り合っただけの縁で飲めるもの。あの娘の置いて行ったグラスで良いから私にも注いでくれないかな?」
「……それもそうであったな。では、名も知らぬ者よ。心して飲むが良い。ドラゴンに酌をしてもらうなど、そうそうない話であるからな。」
「ああ、自慢にさせてもらおう。私の部下もたいそう羨ましがるだろうからな。」
盲目のギタリストが歌い続ける。
町外れの小さな酒場のステージの上で、ラブソングを叫び続けている。
目は見えなくなった。
だからこそ、見えるものがあると彼は言う。
「光を失って絶望はなかった。人間を辞めてしまっても後悔はなかった。俺はあいつに生きて会いたい。あいつにもう一度会って言いたいんだ。まだ銅貨1枚分も俺はお前の時間を買っちゃいないって。今度会ったら、またあいつから時間を買うんだ。今度は銅貨1枚じゃない。俺が歌い続けて稼いだ金でずっとあいつから時間を買うんだ。でも何十年も経っちまったから、あいつは俺のことなんか覚えていないかもしれない。それならそれで良い。幸せに暮らしているんだったら、俺はそれで満足だよ。」
本当に?
「……少し、嘘。寂しいけどさ、でもそれであいつが幸せだったら嬉しいのも本当。それだけで俺の人生は意味を持てたってこと。あの日、あいつの停滞した人生の歯車を俺が少しでも回すことが出来ていたとしたら…、それはそれで嬉しいことなんだ。」
男の瞼の裏には今も寂しそうに、強がって笑う彼女の姿が映っている。
それを思い出すたびに彼は小さく幸せを噛み締める。
傷だらけのベースギター。
もう割れたり、ひびが入ったりして彼の演奏には耐えられないものだけど、それでも見えない目で彼は弦を張り直し、あの日の姿に近付けようとしている。
一曲終わって拍手もまばら。
ほとんどの客は酔っ払って曲を聞いていない。
それでも彼は歌う。
自分に信じる夢があるから。
「あの頃はプロになりたいとか、俺たちの音楽で世界を動かしてやりたいって思っていた。でもさ、俺たちの思惑なんか無視して世界はいつだって狂暴な牙を剥くんだ。わかってはいたんだけど、俺たちは気が付かない振りをして目を逸らしていたんだ。いつか世界を変えてやるなんて息巻いていたけど、戦争でエドワードは巻き添え食って死んじまったし、他のメンバーも散り散りになってさ…。つい最近まで連絡を取り合っていたBダリアも病気で逝っちまった。あいつからアルバートも孫に看取られて大往生したなんて話も聞いた。あの同性愛者のガチホモが孫までいるなんて笑っちまう話だけど、その時俺は思い知らされたんだ。俺はどこまで生きるんだろうなって。自分で望んで生き長らえているけど、俺は俺の出来ることをし続けるしかないんだってその時思ったよ。だから歌い続けるさ。あいつにまた会えた時にしょぼくれた男でいるのは、俺は堪えられない。」
男は誰も聞いていないことを知っていながら、アコースティックギターを掻き鳴らす。
あの日追いかけた夢を、
あの日破れた夢を、
それでも諦められない一人の男の思いを、
ただシャウトに乗せて、忘れないために叫び続ける。
カランカラン…
酒場のドアの使い込まれたカウベルが低い音で来客を告げる。
男のシャウトを邪魔しないように遠慮がちに女が店に入る。
男は気が付かない。
「ご注文は?」
「…今はまだ良いよ。」
かしこまりました、とカウンターの店のマスターは再びグラスを拭き始める。
女は男の歌を嬉しそうに聞いていた。
変わっていない。
それ以上にあの日以上にパワフルになった彼の曲に心を躍らせていた。
人間を辞めたからじゃない。
長い人生が彼に深くて、重くて、強くて、暖かい歌を与えたのだと女は静かに聞いていた。
そして、曲が終わる。
また拍手はまばら。
それでも男は満足している。
その光のない瞳の向こうはどんな世界を見ているのか…。
「聞いてくれて、ありがとう。今夜はこれで終わりです。では閉店時間まで良いお酒をお楽しみください。また、どこかでお会いしましょう。」
男は手探りで帰り支度を始める。
アコースティックギターをハードケースに片付け、思い出のベースギターを彼女にとっても懐かしいあの日と同じソフトカバーのギターケースにしまった。
ベースギターを背負い左手にハードケースを持ち、右手で杖を取って歩き出す。
そんな彼に彼女は手を、いや、翼を差し出した。
「……そんな大荷物じゃ、いつかこけちゃうよ。」
「………………その声。」
「…覚えて、いてくれたんだ。」
彼女の声が震える。
嬉しくて、懐かしくて、涙が流れてくる。
「……忘れる訳がないじゃないか。俺はお前を買ったろくでなしだぜ?」
「そうだね。お金でアタシを買ってくれた最低な人。でもアタシは感謝しているんだよ。あなたのおかげで生きる希望が出来た。あなたのおかげで生きていることが楽しいと思えるようになった。あなたのおかげで………、好きな人と離れ離れになる辛さを教えてもらった。アタシはまだ銅貨1枚分もあなたに買われていないよ。まだ………、あの日を続けても良いのかな?」
手探りでモンローはルナを探す。
ルナはそんな彼を引き寄せ、抱き締めた。
「ここにいるよ。」
暖かな感触をモンローは人目も気にせずに強く抱き締めた。
「…ずっと探していた。お前を…、お前と一緒に見ていた夢を…!なぁ、ルナ。またお前を買いたい。今度は銅貨1枚じゃない。今まで稼いだ金、これから稼ぐ金全部使って…、お前を買いたい!」
「あはは…。アタシ、銅貨1枚で何十年もあんたを忘れられなかったんだよ。そんな大金積まれたら……、一生あんたから離れられなくなるじゃん。」
「ずっとだ、お前の時間をずっと…、買いたい!!」
紛れもないプロポーズ。
再会を喜び、未来を確かめ合い二人の影は一つに重なったまま。
お互いの時間を買い、お互いの時間を買われた不思議な恋愛の一つの結末。
その後、二人がどうなったのか…。
それは皆様の想像の向こう側。
―――――――――――――――――――――――
「メリークリスマス♪」
上機嫌に町を見下ろすオリハルコン鉱山に拓かれた魔力温泉に浸かる貴婦人。
「…………で、何でお前がここにいるんだよ。」
「おや、我が欠片よ。私のことがわかるのかい?」
混浴の温泉で一緒に浸かっているのは、誰であろうロウガである。
「ここは本編じゃないからな。お前の正体くらい覚えているさ。まったくそんなに出番が欲しいかね、娘もアスティアも、お前も。」
「出番は欲しいね。作者がしばらく本編を休んでいたおかげで、各地の英雄も本当に出演出来るのかどうかヤキモキしているし、君たちはギャグで美味しい思いをしているし。ああ、近い内に私の部下をこのギャグ世界に出演させるからよろしく頼むよ、ロウガ。」
「よろしくされてたまるかよ。お前も王様なら王様らしく、もう少し威厳というものを持てよ。仮にも下々の入る温泉でゆっくりくつろぐな…、ってそのお銚子はどこから取り出した!?」
「細かいことを言うなよ。私の欠片なんだから、もう少し私を労わってくれ。城に帰れば部下に五月蝿くされて、心休まる時間が少ないんだ。」
ロウガは頭を抱えて、溜息を吐いた。
「わからんでもないが…、俺も似たような立場だし…。それより良いのか?やけにサービスというか準備が良いじゃないか?」
「ああ、彼女のことかい?構わないよ、これくらい。確かに私は彼がインキュバスに転生するに当たって、その代償として彼の光を頂いた。いやいや、何とも見事な覚悟を持った気骨のある男だったよ。でもね、ロウガ。私は確かにこの世界を統べる王ではあるが、鬼でも悪魔でもない。そうだね、今頃、彼にかかった悪〜い魔法は解けているだろうね。」
「どういうからくりだ、そりゃ?」
王と呼ばれた貴婦人はお猪口を口に運ぶ。
「〜〜〜〜〜〜♪やはりジパングの酒は独特の味とキレがあってうまいね。それを熱燗にすれば尚一層酔ってしまいそうだよ。どうだい、ロウガ。このままエッチなシーンに移行してみるかい?これでもサキュバスの最上位種だからね、君の奥方も裸足で抜け出すテクを見せてあげよう。」
「遠慮する。さすがに自分とヤる趣味はねぇ。それにそんなこと言ってるとお前の旦那が泣くぜ?」
「私の欠片とは思えない程固い考えだな。ま、さっきの質問に答えてあげよう。悪〜い悪魔の魔法に打ち勝つたった一つの古来より伝わる撃退法、何を隠そうお姫様の涙とキス。これに尽きるだろう。」
「意外に乙女チックなやつだな、お前も。」
「女はいくつになっても夢見る乙女なのさ。そして、君はやけに準備が良いと言ったけど準備もするさ。これが更新される日はクリスマスイブ。そちらのバフォメットが恋人たちに天誅を下すのなら、せめて私はささやかなプレゼントを。そう思っただけなのさ。」
貴婦人はロウガにもう一つお猪口を渡す。
お前も飲め、と目が言っていた。
「しゃーない。じゃ、ご相伴に預かります。」
「そうそう、人間は素直が一番さ。では乾杯といこうじゃないか?」
「何に乾杯するんだ?」
「決まっている。世界中のどこかで起きているささやかな奇跡に。」
二人はお猪口を軽く掲げて、乾杯と呟く。
名もなき町にも雪が降る。
白くてやさしい粒がやがて町を覆うだろう。
きっとその冷たい雪の下で暖かな夢と希望が、明日を夢見て眠っていることを祈って。
『Bar テンダー』で眠る彼女たちにも。
ルナの部屋で一つの毛布に包まって過去を埋めていく恋人たちにも。
そしてこの世界のどこかで見えない明日に怯える君にも。
明日の朝日が綺麗な一筋の道を指し示してくれることを祈って。
メリー・クリスマス。
―――――――――――――――――――――――
次回予告
次回、色々と嵐を巻き起こした二人が帰ってくる。
自らの身を削ってネタを作り、
あなたの電波をを強制占拠します!
次回、『風雲!セラエノ学園』第15話
『ラジオ☆ジャック リターンズ』
そして恒例の
・ふつおたのコーナー
・お悩み相談
のお便りを募集します。
今回はいつまでって期限を設けないので
ドシドシご応募ください。
次回もお楽しみに。
逃走資金稼ぐために男を引っ掛けようと思っていたのに、肝心の男が引っ掛からない。
週末、休日前の深夜。
酒が入って良い気分の男、
スケベ心丸出しのおっさん、
そんな男たちが街のどこかに必ずいるんだけど、今夜はプロの娼婦たちが、そんな男たちを見越して街角で、獲物を攫っていく。
「あ〜あ…、ちくしょー!」
地べたに腰を下ろして、夜空に向かって叫ぶ。
でも、そこで慰めてくれる男もいないし、そもそもそんな相手を必要としていない。
私に必要なのはお金を落としてくれるやつ。
そしてまだ死にたくないから、ただ今日を生き抜くだけの気力。
はっきり言って怠惰、倦怠、停滞、無意味な日々。
苛々している。
あそこで堅気の仕事に疲れているサラリーマンも、
あっちで日陰の商売で毎日を生きている娼婦たちも、
みんなそれなりに生きる希望があって、
明日に向かって必死に生きている。
なのに、アタシには何もない。
何だか、酷く寂しくなってきた。
「寂しい…、な…。」
欲しいのはお金だけ。
でも本当にアタシはお金が欲しいのだろうか。
お金は結局、アタシを慰めてくれない。
でもそれに縋って生きていかなきゃ…、
何のために人を傷付けて、
何のために人を殺して、
そうまでして奪ってきたのかわからなくなってしまう。
目頭が…、熱い。
「クソぉ…。」
翼で身体をスッポリと隠す。
アタシは泣いてなんかいない。
ただ疲れたから座って羽を休めているだけなんだ。
そう自分に言い聞かせて、声を殺して、歯を食い縛っていた。
胸が震える。
でも、ここも早く離れた方が良いかもしれない。
いつ警察の追手がここに来るかもわかったものじゃないから。
「………………はぁ!………あ。」
強く息を吐き、上を見上げると満天の星空。
知らなかった。
こんな薄汚れた街でも星ってこんなに綺麗だったんだ…。
こんな風に静かに空を見上げたこともなかったけど…。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜♪」
気が付いたら口を開いて歌っていた。
言葉にならない、自分にもよくわかっていない感情を歌っていた。
歌詞なんてない。
誰かのメロディーでもない。
アタシはこの時、初めてアタシの声で歌ったんだ。
息が切れるまで歌った。
そして気が付くとアタシの傍で背中にギターケースを背負ったあいつが立っていた。
「…………誰?」
「…あ、悪い。何だか良い声が聞こえたから……、ついこっちに来てしまったんだ。」
「変なやつ。」
そいつの名前はチャールズ=モンロー。
ひどく痩せていて、不健康そうで、どこかアタシに似た印象を受けた。
黒皮のジャケットにパンツ。
そして真っ黒な長髪が印象的だった。
「あのさ…、もう一度歌ってくれないか?」
「はぁ?歌えってアタシは歌っちゃいないよ。ただ口から出た、訳のわかんないのを歌だなんてさ…、プロの歌手が聞いたらキレちゃうよ。」
「馬鹿、それが歌なんだよ。あれは紛れもないあんたの歌だった。だからもう一度聞きたい。飾らない想いで、荒々しくて寂しい声をもう一度聞きたいんだ。」
誰かに何かを頼まれた経験のないアタシは戸惑った。
それでもモンローの真剣な目に負けて、アタシはまた歌った。
さっき、どんなメロディーを歌っていたのかも覚えていないけど、
そいつに聞いてほしくて、
そいつが聞いてくれるのが嬉しくて、
力の限り歌ったんだ。
最後の方は叫びっ放しだったけど、モンローは黙って聞いてくれた。
「………はぁ、はぁ、はぁ!どうだぁ!!」
モンローはにっこりと笑った。
「やっぱり良い歌声だ。その歌声に誘われて、表通りからここまで来てみて良かった。それにしても、どうしてこんな暗いところで歌っていたんだ?」
「アタシの歌声に誘われた……?」
アタシがセイレーンだからだろうか…。
一瞬それが頭の中でよぎったけど、その時のアタシにはそんな魔力なんてない。
モンローはアタシの声を捕まえて、ここまで来てくれたんだ。
そう思うと嬉しかった。
「じゃあさ。誘われたついでに、アタシを買わない?」
「え…、ああ、そういうこと?それでこんな暗い路地で歌っていたんだ。」
「別に歌で誘っていた訳じゃないけどさ、アタシがここにいるのはそのため。どうしてもお金が必要なんだよ…。理由は言えないけどさ。」
逃走資金、何故かモンローにそう言うのが嫌だった。
「………ん〜、そうだな。あのさ、手持ちの金がこれくらいしかないけど、これくらいでも、お前を……、買えるかな?」
ポケットをごそごそと漁って出てきたのは、銅貨1枚と飴玉が2つ。
これくらいじゃパンの耳くらいしか買えない。
「あんた、貧乏なのか?」
「ま、裕福じゃないのは確かだな。」
それくらいしかないのに、アタシを買うって言ったんだ。
そんなモンローが可笑しくて、アタシは笑ってしまった。
何だか、お金とかどうでも良くなってしまった。
「あはははは、良いよ。売られてあげる。じゃあ、どこで始めようか?アタシ、あんたが気に入ったからちょっとだけサービスしてあげるよん♪アタシの脱ぎたての下着でハァハァしても、お尻突っ込まれてヒィヒィ言わせられたりしても、鞭でビシバシやっても、どんな変態プレイでも許してあげる♪。」
「お前は俺をどんな変質者と思っているんだ。性癖は別に普通だよ。でもお前を買うのはそのためじゃない。何でかな……、お前に見せたい場所があるんだ。俺が買うのはお前の身体じゃない。お前の時間だ。」
付いて来いよ、そう言ってアタシは表通りに手を引かれて行った。
きっと警察が脱走したアタシを捜索しているとわかっていたけど、それを言ってモンローが手を放してしまうのが嫌だった。
―――――――――――――――――――――――
激しい爆音を叩き付けられた。
ツーバスのドラムが超高速でスティックが折れんばかりに叩かれる。
ギターが精密機械のような指の動きで、高速で音階を刻む。
そしてモンローのベースの太い弦が、まるで悲鳴を上げるように太く低い爆音を作り出す。
ボーカルのいないヘヴィメタルバンド。
アタシがモンローに連れてこられたのは、街の場末にある小さなライブハウス。
精々30人くらいしか入れないライブハウスに溢れんばかりにオーディエンスが入っていた。
オーディエンスと演奏するメンバーの熱気が一つの世界を作っている。
アタシはステージの裾でそれを見ていた。
最初は爆音みたいなこの音を音楽だと感じることが出来ず、聞き流す感じで壁にもたれかかって、モンローを見ていたんだけど、気が付いたらアタシは壁を指で叩きながらリズムを刻んでいた。
歌詞も何もない。
それでも伝わる彼らの熱いくらいの思い。
アタシが暮らしてきた街は大都市と言っても良いくらい大きな街だったけど、どこかアタシみたいに惰性で流れて、ひどく緩やかで、時間が止まっているような錯覚を覚える死んだ世界。
あいつらは動かしたいんだ。
そんな死んだ世界をアタシみたいに諦めちゃいないんだ。
爆音で奏でる讃美歌。
やさしく透き通る歌ではないけれど、生命がそこに息衝いている。
熱い……。
冷たく死んだように自分を諦めたアタシが震えている。
熱い……。
魔物だ、人間だなんて関係ない。
アタシは、まだ死にたくない。
アタシは、まだ自分を生きちゃいない。
アタシは、泣いていた。
生まれて初めて、自分のために泣いていた。
「ほら、これで涙拭けよ。」
大きなバスタオルを頭から掛けられる。
モンローのバンドがステージから帰ってきていた。
「今日のナンバーは終わったからな。後はアンコールをどうするか…。」
「汗臭い……。」
頭から掛けられたバスタオルは彼の汗でぐっしょりと濡れていた。
それでも払い除けず、アタシはタオルの端を握り締めて顔を隠し続けた。
「アンコールって何?」
「アンコールって言うのはな………、え〜っとつまり、もう一回演奏してくれって言うお客からのリクエストなんだ。お前、そんなことも知らなかったのかよ?」
「知る訳、ないじゃん。アタシ、今までほとんど刑務所の中で生きていたんだから…。」
モンローに話した。
自分が監獄から脱走していること。
お金が欲しくて、今まで色んな罪を重ねてきたことも。
「………ふっ。アッハッハッハ…、なるほどなるほど。道理でお前に声を掛けた訳だな。」
「何だよ!笑うな!!」
「そんなこと、だよ。だって俺たちも全員、元犯罪者だからな。」
「え!?」
モンローたちは笑っていた。
ドラムのエドワードは傷害で、
ギターのアルバートは当時、その街で禁じられていた同性愛で、
同じくギターのBダリアも同じように当時禁じられていた賭博とアルコールで、
そしてモンローは……、
「俺はお前と同じだよ。俺は他所の街にいたんだけど、お前と同じように金が欲しくて…、いや生きている実感が欲しくて、殺人まで犯した。お前と違って運悪く、死刑になるところだったんだけど、戦争が起こってな。そのドサクサで兵隊に行けば減刑するって言われて、今日まで生き長らえた。それで戦争が終わって、街は滅んで、この街に流れ着いて音楽に出会った…。まぁ、だいたいこんな話だよ。」
頭をポンと軽く叩かれる。
「…………なぁ、ちょっと思い付いたんだけどさ。今日のアンコール、こいつに歌わせてみないか?いや、違うな。俺たちのバンドに歌なんて上等なものはないから、叫ばせてみようと思うんだ。」
メンバーは二つ返事で首を縦に振った。
「ちょっと待ってよ!アタシ、そんなのやったことない!!」
「やりたくないのか?」
アタシは即答出来なかった。
やったことない、
恥ずかしい、
そう言えば良かったのに、アタシの心がやりたがっていた。
あの渦の中に飛び込みたい。
あの熱気にもっと触れたい。
「………アタシは。」
「よし、決まり。お前ら、さっさと行くぞ!」
「「「「おぉーっ!!!!!」」」」
アタシの返事なんか待たずに、あいつらは気合を入れ直してステージに向かっていく。
「ちょ、ちょっと!」
「ほら、行くぜ?」
無理矢理アタシの手を引くモンロー。
あまりカッコ良い男じゃないけど、あのやさしい笑顔は今でも忘れられない。
―――――――――――――――――――――――
「………それで、どうなったのだ?」
「別に。そのままあいつに手を引かれてステージに上がって、全力で適当に叫んで、お客から初めてのブーイングと物投げられて、初ケンカして…。それから何度かあいつらと一緒にライブやって……、アタシは自首したよ。ちゃんと罪償ってから、正式にメンバーに入れてくれって頼むつもりだった…。」
ウィスキーのグラスの氷が鳴る。
空になったグラスに、ルナの隣に座るダオラがウィスキーを注ぐ。
サクラもイチゴもルナの話の途中ですっかり眠ってしまっていた。
サクラは長椅子に身体を預けて、女装させられたままの姿で寝ている。
疲れ果てて、乱れた髪のまま悩ましげに眠るその姿は、まさしく眠れる美女。
男なのが非常に残念である。
イチゴに至ってはすっかり簀巻きを解かれて、大きな鼻提灯を膨らませている。
丸いお腹をボリボリと掻き、一升瓶を抱いて寝る姿が実におっさん臭い。
「刑務所の中にいた時にさ、街が戦争に巻き込まれたんだ。幸いアタシたちは無事だったけど、街は廃墟になっていたよ。刑期を終えて、あいつらを探したんだけど、4人とも行方不明……。何年かしてドラムのエドワードは見付かったんだけど、墓石の下でお休み中だったよ。眠った日付は戦争のあった翌年。後のみんなはどこに行ったんだか…。」
「……寂しい話、であるな。戦の話はいつの時代でも。」
「アタシね、合コンに行き続けてるのも……、どこかであいつみたいな男に会えると良いな…って思って行くんだよ。もう何十年も前の話しだし、人間だったあいつも生きていれば良い歳したおじいちゃんのはずなんだけど……。」
「そうだな、その通り………って待つのだ。今何と言った。何十年も前?我はそなたのことをアヌビス殿と同じくらいの年齢と思っていたのだが、そなた一体何歳なのだ!?」
遠い目でルナは笑う。
「ダオラならわかってくれるよね。女はいつだって、死ぬまで永遠の十代なんだよ。」
「その通りであった。許せ。」
自分も年齢のことでは彼女にひけを取らないダオラは素直に詫びる。
二人は静かに酒を飲む。
それが実に絵になる。
「…男に会いたいかい?」
突然、聞こえてきた第三者の声にダオラもルナも、驚き席を立ち上がる。
カウンターの奥の席に胡散臭い占い師風の女が足を組んで二人を見ていた。
「誰、本編に出てきた人!?」
「わからぬ、我も見覚えがない!!」
女はやわらかい微笑を浮かべ、カクテルグラスに口を付ける。
鮮やかな赤い口紅が印象に残る。
妖艶な指使いで女は二人を指差す。
「今一度問おう、セイレーンの娘よ。思い出の男に会いたいか?」
「…無礼な者だな。そなた、突然現れておいて名乗らぬのか?」
女は意外そうな顔をしたが、すぐに目を伏せ非礼を詫びた。
「そうだったな。私の名前…、か……。ルシフェル、サタン、アンリ=マユ、ジパングではぬらりひょんなどとも呼ばれたこともあったが、どれも定着しなかった…。私は…、誰なのだろうな…。そんな訳だ、私のことは好きに呼ぶと良い。セイレーンの娘よ、答えてくれないか?君は思い出の男に会いたいかい?それとも年老いているであろう男に会い、初恋の幻想を壊されるくらいなら、その思い出を胸に封印するのかい?」
ルナは考えた。
女の静かな威圧感にダオラも動けず、ただ時間だけが流れる。
「アタシは……。」
ルナがおそるおそる口を開く。
「アタシは会いたい。歳を取っておじいちゃんになっていても良い。会って、あの日、アタシを買ってくれてありがとう。アタシを誘ってくれてありがとう。あなたのおかげでアタシは今、自分の人生とちゃんと向き合って生きていますって伝えたい!」
「良い声だね。彼が今でも惚れているはずだ…。」
「え、今…、でも…?」
女はカクテルグラスをカウンターに置くと微笑む。
「町外れの酒場で盲目の男がアコースティックギターを弾いて歌っている。傍らに思い出という傷だらけのベースギターを置いてね。数年前に紛争に巻き込まれて命を落としかけた青年に、意地悪な天使が囁いた。まだ生き延びたいかい、とね。すると男は生き延びたい、生きてあいつに会いたい、と言った男に意地悪な天使は命を与えたんだ。ただし彼は人間ではなくインキュバスに生まれ変わり、生き延びた代償として彼は両目の視力を失った。それでも彼は歌い続けている。君に会えるかもしれないのなら、いつかの思い出のベースギターを担いで彼は旅し続けてい………。」
バンッ
タッタッタッタッタッ………
「……………やれやれ。人の話を聞かない娘だね。さぁ、ドラゴンの娘よ。飲もうか。お互い名も知らぬ同士でも良いじゃないか。酒場なんて隣り合っただけの縁で飲めるもの。あの娘の置いて行ったグラスで良いから私にも注いでくれないかな?」
「……それもそうであったな。では、名も知らぬ者よ。心して飲むが良い。ドラゴンに酌をしてもらうなど、そうそうない話であるからな。」
「ああ、自慢にさせてもらおう。私の部下もたいそう羨ましがるだろうからな。」
盲目のギタリストが歌い続ける。
町外れの小さな酒場のステージの上で、ラブソングを叫び続けている。
目は見えなくなった。
だからこそ、見えるものがあると彼は言う。
「光を失って絶望はなかった。人間を辞めてしまっても後悔はなかった。俺はあいつに生きて会いたい。あいつにもう一度会って言いたいんだ。まだ銅貨1枚分も俺はお前の時間を買っちゃいないって。今度会ったら、またあいつから時間を買うんだ。今度は銅貨1枚じゃない。俺が歌い続けて稼いだ金でずっとあいつから時間を買うんだ。でも何十年も経っちまったから、あいつは俺のことなんか覚えていないかもしれない。それならそれで良い。幸せに暮らしているんだったら、俺はそれで満足だよ。」
本当に?
「……少し、嘘。寂しいけどさ、でもそれであいつが幸せだったら嬉しいのも本当。それだけで俺の人生は意味を持てたってこと。あの日、あいつの停滞した人生の歯車を俺が少しでも回すことが出来ていたとしたら…、それはそれで嬉しいことなんだ。」
男の瞼の裏には今も寂しそうに、強がって笑う彼女の姿が映っている。
それを思い出すたびに彼は小さく幸せを噛み締める。
傷だらけのベースギター。
もう割れたり、ひびが入ったりして彼の演奏には耐えられないものだけど、それでも見えない目で彼は弦を張り直し、あの日の姿に近付けようとしている。
一曲終わって拍手もまばら。
ほとんどの客は酔っ払って曲を聞いていない。
それでも彼は歌う。
自分に信じる夢があるから。
「あの頃はプロになりたいとか、俺たちの音楽で世界を動かしてやりたいって思っていた。でもさ、俺たちの思惑なんか無視して世界はいつだって狂暴な牙を剥くんだ。わかってはいたんだけど、俺たちは気が付かない振りをして目を逸らしていたんだ。いつか世界を変えてやるなんて息巻いていたけど、戦争でエドワードは巻き添え食って死んじまったし、他のメンバーも散り散りになってさ…。つい最近まで連絡を取り合っていたBダリアも病気で逝っちまった。あいつからアルバートも孫に看取られて大往生したなんて話も聞いた。あの同性愛者のガチホモが孫までいるなんて笑っちまう話だけど、その時俺は思い知らされたんだ。俺はどこまで生きるんだろうなって。自分で望んで生き長らえているけど、俺は俺の出来ることをし続けるしかないんだってその時思ったよ。だから歌い続けるさ。あいつにまた会えた時にしょぼくれた男でいるのは、俺は堪えられない。」
男は誰も聞いていないことを知っていながら、アコースティックギターを掻き鳴らす。
あの日追いかけた夢を、
あの日破れた夢を、
それでも諦められない一人の男の思いを、
ただシャウトに乗せて、忘れないために叫び続ける。
カランカラン…
酒場のドアの使い込まれたカウベルが低い音で来客を告げる。
男のシャウトを邪魔しないように遠慮がちに女が店に入る。
男は気が付かない。
「ご注文は?」
「…今はまだ良いよ。」
かしこまりました、とカウンターの店のマスターは再びグラスを拭き始める。
女は男の歌を嬉しそうに聞いていた。
変わっていない。
それ以上にあの日以上にパワフルになった彼の曲に心を躍らせていた。
人間を辞めたからじゃない。
長い人生が彼に深くて、重くて、強くて、暖かい歌を与えたのだと女は静かに聞いていた。
そして、曲が終わる。
また拍手はまばら。
それでも男は満足している。
その光のない瞳の向こうはどんな世界を見ているのか…。
「聞いてくれて、ありがとう。今夜はこれで終わりです。では閉店時間まで良いお酒をお楽しみください。また、どこかでお会いしましょう。」
男は手探りで帰り支度を始める。
アコースティックギターをハードケースに片付け、思い出のベースギターを彼女にとっても懐かしいあの日と同じソフトカバーのギターケースにしまった。
ベースギターを背負い左手にハードケースを持ち、右手で杖を取って歩き出す。
そんな彼に彼女は手を、いや、翼を差し出した。
「……そんな大荷物じゃ、いつかこけちゃうよ。」
「………………その声。」
「…覚えて、いてくれたんだ。」
彼女の声が震える。
嬉しくて、懐かしくて、涙が流れてくる。
「……忘れる訳がないじゃないか。俺はお前を買ったろくでなしだぜ?」
「そうだね。お金でアタシを買ってくれた最低な人。でもアタシは感謝しているんだよ。あなたのおかげで生きる希望が出来た。あなたのおかげで生きていることが楽しいと思えるようになった。あなたのおかげで………、好きな人と離れ離れになる辛さを教えてもらった。アタシはまだ銅貨1枚分もあなたに買われていないよ。まだ………、あの日を続けても良いのかな?」
手探りでモンローはルナを探す。
ルナはそんな彼を引き寄せ、抱き締めた。
「ここにいるよ。」
暖かな感触をモンローは人目も気にせずに強く抱き締めた。
「…ずっと探していた。お前を…、お前と一緒に見ていた夢を…!なぁ、ルナ。またお前を買いたい。今度は銅貨1枚じゃない。今まで稼いだ金、これから稼ぐ金全部使って…、お前を買いたい!」
「あはは…。アタシ、銅貨1枚で何十年もあんたを忘れられなかったんだよ。そんな大金積まれたら……、一生あんたから離れられなくなるじゃん。」
「ずっとだ、お前の時間をずっと…、買いたい!!」
紛れもないプロポーズ。
再会を喜び、未来を確かめ合い二人の影は一つに重なったまま。
お互いの時間を買い、お互いの時間を買われた不思議な恋愛の一つの結末。
その後、二人がどうなったのか…。
それは皆様の想像の向こう側。
―――――――――――――――――――――――
「メリークリスマス♪」
上機嫌に町を見下ろすオリハルコン鉱山に拓かれた魔力温泉に浸かる貴婦人。
「…………で、何でお前がここにいるんだよ。」
「おや、我が欠片よ。私のことがわかるのかい?」
混浴の温泉で一緒に浸かっているのは、誰であろうロウガである。
「ここは本編じゃないからな。お前の正体くらい覚えているさ。まったくそんなに出番が欲しいかね、娘もアスティアも、お前も。」
「出番は欲しいね。作者がしばらく本編を休んでいたおかげで、各地の英雄も本当に出演出来るのかどうかヤキモキしているし、君たちはギャグで美味しい思いをしているし。ああ、近い内に私の部下をこのギャグ世界に出演させるからよろしく頼むよ、ロウガ。」
「よろしくされてたまるかよ。お前も王様なら王様らしく、もう少し威厳というものを持てよ。仮にも下々の入る温泉でゆっくりくつろぐな…、ってそのお銚子はどこから取り出した!?」
「細かいことを言うなよ。私の欠片なんだから、もう少し私を労わってくれ。城に帰れば部下に五月蝿くされて、心休まる時間が少ないんだ。」
ロウガは頭を抱えて、溜息を吐いた。
「わからんでもないが…、俺も似たような立場だし…。それより良いのか?やけにサービスというか準備が良いじゃないか?」
「ああ、彼女のことかい?構わないよ、これくらい。確かに私は彼がインキュバスに転生するに当たって、その代償として彼の光を頂いた。いやいや、何とも見事な覚悟を持った気骨のある男だったよ。でもね、ロウガ。私は確かにこの世界を統べる王ではあるが、鬼でも悪魔でもない。そうだね、今頃、彼にかかった悪〜い魔法は解けているだろうね。」
「どういうからくりだ、そりゃ?」
王と呼ばれた貴婦人はお猪口を口に運ぶ。
「〜〜〜〜〜〜♪やはりジパングの酒は独特の味とキレがあってうまいね。それを熱燗にすれば尚一層酔ってしまいそうだよ。どうだい、ロウガ。このままエッチなシーンに移行してみるかい?これでもサキュバスの最上位種だからね、君の奥方も裸足で抜け出すテクを見せてあげよう。」
「遠慮する。さすがに自分とヤる趣味はねぇ。それにそんなこと言ってるとお前の旦那が泣くぜ?」
「私の欠片とは思えない程固い考えだな。ま、さっきの質問に答えてあげよう。悪〜い悪魔の魔法に打ち勝つたった一つの古来より伝わる撃退法、何を隠そうお姫様の涙とキス。これに尽きるだろう。」
「意外に乙女チックなやつだな、お前も。」
「女はいくつになっても夢見る乙女なのさ。そして、君はやけに準備が良いと言ったけど準備もするさ。これが更新される日はクリスマスイブ。そちらのバフォメットが恋人たちに天誅を下すのなら、せめて私はささやかなプレゼントを。そう思っただけなのさ。」
貴婦人はロウガにもう一つお猪口を渡す。
お前も飲め、と目が言っていた。
「しゃーない。じゃ、ご相伴に預かります。」
「そうそう、人間は素直が一番さ。では乾杯といこうじゃないか?」
「何に乾杯するんだ?」
「決まっている。世界中のどこかで起きているささやかな奇跡に。」
二人はお猪口を軽く掲げて、乾杯と呟く。
名もなき町にも雪が降る。
白くてやさしい粒がやがて町を覆うだろう。
きっとその冷たい雪の下で暖かな夢と希望が、明日を夢見て眠っていることを祈って。
『Bar テンダー』で眠る彼女たちにも。
ルナの部屋で一つの毛布に包まって過去を埋めていく恋人たちにも。
そしてこの世界のどこかで見えない明日に怯える君にも。
明日の朝日が綺麗な一筋の道を指し示してくれることを祈って。
メリー・クリスマス。
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次回予告
次回、色々と嵐を巻き起こした二人が帰ってくる。
自らの身を削ってネタを作り、
あなたの電波をを強制占拠します!
次回、『風雲!セラエノ学園』第15話
『ラジオ☆ジャック リターンズ』
そして恒例の
・ふつおたのコーナー
・お悩み相談
のお便りを募集します。
今回はいつまでって期限を設けないので
ドシドシご応募ください。
次回もお楽しみに。
10/12/24 23:00更新 / 宿利京祐
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