第四十六話・局地戦 side クック@
フウム王国国王フィリップの直筆の日誌が残っている。
彼は几帳面な性格であったらしく、戦場においても日誌を付けるのを忘れていなかった。
これは通称、『クゥジュロ草原の分岐点』の日付の日誌である。
『私はこの戦争の勝利を確信していた。
神は我々を選んだのだと信じていたのだ。
序戦は圧倒的に我らに有利だった。
しかしやつらは、あの汚らわしい馬人どもが、
私の兵たちを蹂躙した。
我らの矢はやつらに届かず、
やつらの矢は我らを貫き、前線は完全に崩壊した。
将兵が尽く倒れ、
(意味不明の文字を数行に渡って書き殴っている。)
馬人が将軍たちを討ち果たした。
中軍に殿を任せたものの、
戦況はあまり変わらなかった。
私はこの日を生涯忘れないだろう。
裏切り者が我が軍の中にいて、
私の大事な(文字が乱れて解読不能)れたのだから。
私はやつらを、魔物をこの地上から駆逐するまで
戦い続けることを神の名において誓う。 』
――――――――――――――――
クックが疾る。
身を低く、まるで飛び跳ねるように、地を這うように疾る。
フウム王国兵の剣が彼の首を狙う。
土煙だけを残して、スレスレを飛び越え、その顔面を蹴り飛ばす。
彼の足の甲に鼻の潰れる感触。
兵士は反射的に身体を丸めて、痛みを叫ぶ。
彼は殺さない。
常に手加減して必要最低限の力の行使をする。
彼が全力を出して、右腕の魔力を解放すればフウム王国程度の兵力、兵数であれば一瞬で殲滅してしまうだろう。
だがそれは彼の望むところではない。
彼のこの戦にかける望みは、ただ圧倒的な力の前に彼らフウム王国を撤退させること。
彼なりに非常に甘い理想だと自覚はしていても、ただそれだけを求めて力を付けた彼の曲げられない信念である。だから唯一武器として役立つであろう短剣も、防御のために抜いた程度で、すべての攻撃は手加減の出来る素手であった。彼の進撃により死者は出ていないものの、王国側の兵は徐々に遠巻きになり後退し、いつしか逃亡者まで出始めている。
「…うぅ。」
うめき声に彼は足を止めた。
その視線の先には、足を負傷し動けなくなった兵士が震える手で剣を構えている。
ひしゃげて割れた鎧が足の皮膚を突き破っていた。
どうやらケンタウロスの突撃に踏まれてしまったらしい。
「お、おのれ…、あ…、悪魔め!」
逃げることの出来ない彼が取った行動は、ありったけの力と勇気を込めた強がりであった。
クックはそれを見て、構えを解いた。
「何故構えぬ!我らを滅ぼすのがお前たち悪魔なんだろう!?」
「違うよ。俺たちは、お前たちが攻めてくるから戦うだけだ。ケンタウロスの彼女たちも、他の魔物たちも、そしてお前たちが攻め滅ぼそうとする町の連中も俺たちを滅ぼすなんて気は更々ねえよ。教会の保守的な人間至上主義に犠牲になるのはいつも彼女たちの方なんだ。だから俺はお前を殺さない。お前たちを殺さない。俺に剣を向ける暇があったら、神に殉じるなんて、馬鹿はやめて逃げなよ。そうでないと、本物の死神がお前を連れて行くぜ。」
兵士は呆れたようにクックの顔を見ていた。
「…俺は事情があって、治療の魔法が使えないからこれを使いなよ。大した効果じゃないけど、気休めにはなる。」
クックは男に傷薬を渡す。
「……良いのか?魔王に対する裏切りじゃないのか?」
「お前、俺が魔王の手先と思っているのか?俺は確かに魔物たちが好きだ。でもな、魔王に忠誠を誓っている訳じゃない。忠誠を誓ったやつ以外に救いの手を差し伸べないせこい神様と一緒にしなさんな。」
じゃあ、長生きしろよとだけ言ってクックは再び走り出した。
兵士はその傷薬を見詰めながら、ぼんやりと口を開いた。
「俺たち、思い違いをしていたのかも……………。」
その言葉が、最後まで続くことはなかった。
流れ矢ではなく、明らかに彼を狙った矢が、彼の額を打ち抜いていた。
――――――――――――――
前線が崩壊して死体だらけの荒野で俺、アンブレイ=カルロスと仲間の諜報員が起き上がる。
「やれやれ…。」
まったく、まさかこんなところでクック=ケインズと出会うなんてな…。
アイツのことだからどこかで出会うとは思っていたが、こんな中立地帯にいやがったとは…。
親魔に目覚めそうだったあの男は始末したが、アイツはいつだってそうだ。
アイツに出会ったやつはみんなアイツに影響されてしまう。
「…あまり好き勝手に動くな、アンブレイ。」
「うるせぇな…、どうせわかりゃしねえ。」
仲間がうるさい。
短剣を抜き、喉に突きつける。
「良いか。俺が隊長でお前は部下。OK?」
「だ…だが…、俺たちの仕事は王国が秘密裏に何を作っていたのかを探るだけ…!」
「ああ、その通りだ。だがよ、この戦で手柄を立てればどうなる?俺たちの稼ぎは増えるし、手柄の内容…、つーかこの混乱に乗じてクックの野郎を討ち取ってみろよ…。テメエのクソ固え脳みそでもわかるよな?下手したらあのいけ好かねぇクレイネルの野郎を追い落とせるかもしれねえ。第一俺は認めてねえ。あんなキザ野郎が俺の上役?何年経とうと認めねえもんは認めねえ。お前だってあんな野郎よりも俺の方が上に立つ人間だと思うだろう?」
冷や汗を流しながら、仲間が硬直している。
その通りだ。
俺の敵はあんなクックのガキじゃねぇ。
俺の敵は中東聖勇士隊副隊長、クレイネル=アイルレット。
早い話が出世レースに負けちまっただけだが、あんなキザな野郎が中東教会も勇士隊も牛耳っているのが気に入らねえ。
ダークワームだか何だか知らねえが、他のやつらも情けねえよな。
あんな虫ケラ程度にビビりやがって…。
他のやつらが腰抜けのせいで、こんな目立たねぇ日陰の諜報部で燻らなきゃいけねえ。
しかし、こいつもなかなか首を縦に振らねえな…。
ああ、そうだっけ。
喉元に刃物、これじゃあ首を振れないよな。
「そういう訳だ。テメエらも協力しろよ…。そしたらおこぼれくらいはくれてやる。」
俺は自前の道具の中から細い糸を取り出す。
「ま、待て!アンブレイ!!!あまり目立つ行動は……!!!!」
「うるせぇ。」
糸に魔力を通し、鞭のように振るう。
たったそれだけで口五月蝿いやつらは細切れになった。
「…ああん?何で勝手に細切れになりやがる!本当に使えねぇやつらだな、おい!俺の駒にもなれないなんて、本当に使えないクソですね!?あー、腹が立つ!本気で腹が立つ!まぁ良いや…、クックの野郎にこの苛々をぶつけてやろう。あの野郎は俺たちの疫病神と思っていたけど…、間違っていた。あいつは俺の福の神だ!!!」
糸を広げ、針で刺すように戦場で転がっている無数の死体に突き刺す。
「さぁ、始めよう。と、言っても名乗りは挙げねえ。俺はあいつさえ殺せればそれで良いんだ。音もなく忍び寄る影のように、夜盗のように、死神のようにあいつの首さえ手に入れば問題ない。さぁ、行くぜ。こっちは超無敵モード、死なない兵隊の群れだ。あいつは俺にご褒美くれる以外に選択肢がねぇ訳よ…。クックックッ……アーハッハッハッハッハ!!!!!」
糸から伝わる魔力で、大地に伏していた死体がゆっくりと起き上がる。
一つ、二つ…、俺の伸ばした糸の数だけの死体がゆっくりと剣を取る。
「もう、飽きた。諜報員なんか辞めだ。これからは…、俺が中東教会の支配者になる!!」
剣を逆手に死体が飛び跳ねる。
人間の身体の耐性を超えた力で飛び跳ねたから足の筋肉と骨格が崩壊したようだ。
まぁ、死体だから痛くないだろ?
俺も心が痛まないし。
死体がクックの背後に近付いた。
「殺れ。」
指をクイッと動かす。
飛び跳ねた死者が剣を振り下ろす。
それと同時に死者の群れを一気に動かす。
用心に用心を重ねて、殺す時は計画的に。
前から生身の兵隊、後ろから過去の亡霊。
さぁ、クック…。
どう切り抜ける?
――――――――――――――
背後から不穏な気配を感じた。
「でりゃ!」
目の前の兵士を蹴り飛ばし、俺はさらに前に踏み込み跳んだ。
俺のいた地点に剣が突き刺さる。
相手を確認せず、蹴り飛ばした兵士を支えにして、馬のようにバックキックを叩き込む。
「お、おい…!」
「何なんだ、アレは!」
兵士たちが怯えている。
振り向けば、そこにいたのは兵士の群れ。
戦場だから何の不思議もない。
だが、全員目に光がない。
むしろ…、生きた人間の気配がしない。
「アーハッハッハッハッハッハ!!!!勘の良い野郎だぜ、まったく!」
一般兵の格好をした男が兵士の群れの向こうで笑っている。
「…誰だ、お前。」
「誰だってか?そうだよな、俺はお前のことをよぉ〜〜〜〜くご存知ですけども!!お前は俺の事なんか知らねぇよなぁ!?ホントはお前の首を取ってから名乗るおつもりだったけどよ、しょうがないから生きている間に教えてやらぁ!!!俺の名はアンブレイ=カルロス。お前のお友達さぁ!!!」
「お友達…?」
ま、まさか…、中東教会の…!?
「その顔、その顔だよ!良いねぇ、そそるねぇ!!まさかココまでうちらが出張って来てるなんか思いもしなかっただろう?そうはイカの金玉って問屋が卸さねぇんだよ。さすがに名前出しちゃうのはマズいから、答えはお前の胸の中にそっとしまっておいてプリィ〜ズ。もっともぉ〜、今回ばかりはお前の事なんかout of 眼中だったんだが、戦場でまさか巡り合えるなんてなぁ。俺の仕事じゃねえけど、まぁ現場は臨機応変に動いて何ぼのお仕事な訳ぇ。」
「この…、生きた死体もお前の仕業か…!」
「わかりきってんじゃん。本当は生きた人間操った方が面白いんだけどよ、お前を殺そうと思ったら不確定要素のある生きた人間なんかじゃ、もう骨が折れるってヤツさ。殺したくないよ〜とか、死にたくないよ〜って泣きながら自分の肉親ですら躊躇なく殺せる人形の方が操る俺も楽しいけど、時々いるんだよねぇ。強靭な精神力ってヤツ?絆?信仰心?忠誠心?何でも良いけど、俺の呪縛から抜け出せる馬鹿もいる訳よ。だったら絶対死なねぇ駒を使った方が、楽で良いじゃん?」
死者が剣を一斉に構える。
フウム王国兵の攻撃がピタリと止んだ。
彼らも感じている。
アンブレイの放つ殺気が俺だけじゃなくて、この場にいる全員に向いていることに。
「ああ、そうそう。フウム王国兵士、ならびに小銭で雇われた傭兵のみなさぁ〜ん。ざぁぁんねんでしたぁぁ〜!誰も生きて家族の下には帰しませぇん!!全員おっ死んで俺の人形になって、俺の手足になって働きなぁ。俺の戦功のために、俺の権力のために、俺の未来のために、その首頂戴致しまっす!!お礼なんて水臭いぜ。一緒にメシ食って、したくもねえ礼拝して、一緒の陣内で眠った仲じゃん?お前たちの家族も後で一緒に死なせてやるから、さ♪」
静かに…、
静かに怒りが込み上げてくる。
「ま、俺が本気を出せばこんな平原も一飲みよ。無敵の兵隊が俺の意志、俺の裁量一つで蹂躙していくんだ。最高にスゲェ良い気分だろうぜぇ!ついでにここのケンタウロスでも犯していくかな?俺、別に魔物は嫌いじゃないぜ。人間じゃ味わえない快感ってのが、大好きでな。そうだ、クック。お前も死体になってからで良けりゃ参加させてやるよ。クックックック…、ゾンビにも成り切れねぇ、ハンパな死体の群れに無理矢理犯されて、理性吹っ飛ばして、ぶっ殺して、もう一回死体をレイプして…、思い出したら勃ってきたぜ!!!」
「……アンブレイ、それはお前の想像じゃないんだな?」
聞いたことがある。
反魔物派の襲撃じゃないのに、魔物の村が滅んだ話。
何故か無関係な死体が放置されていて、魔物の死体が何度も犯されていたという噂。
俺が想像する以上にこの地方は情勢が不安定なんだと思っていた。
でも本当は…、情勢の不安定なんかじゃない。
目の前の、この男の、正義も悪もないただの快楽のせいだったんだ…!
「アンブレイ、ありがとう…。」
「あん?怖くなって頭イカれたか?」
右腕の包帯に手をかける。
もう…、巻き取るなんて面倒はしない!
「ありがとう…。お前は…、俺が初めて殺したいと思った下種だ!!!」
右腕の包帯を引き千切る。
右腕の紋章が露わになり、膨大な魔力が弾ける。
魔力が嵐のように気流を作り、土煙が舞う。
感情が、昂る。
「王国兵士のみんな、逃げろ…。今、俺に近付いたら巻き添えで、みんな死んでしまうぞ。」
その声で固くなっていた兵士たちが一斉に逃げ出した。
武器を捨て、鎧を捨て、彼らは走り続ける。
「ハッハァー!!おいおい、どこに行くんだ!!!」
死体が一人、逃げる兵士に走る。
間合いに入り、死者は剣を振り上げた。
「やらせん!!!」
疾る。
一瞬で近付き、死者の腕を掴む。
その死者は…、さっき薬をあげた兵士だった…。
「せめて…、安らかに…。」
魔力を解放し、拳に乗せて彼に叩き込む。
魔力集中率20…。
「オガァァァァァァァァ!!!!」
「…塵は塵に。命は…、土に還れ。」
ボロボロと彼の身体が崩れていく。
肉が落ち、骨も地面に落ちて、落ちたところから土に還っていく。
気のせいだろうか…。
一瞬、彼が笑ったような気がした。
彼が完全に土に戻り、俺はアンブレイに対じした。
「おーおー、虫唾が走る正義の味方ってか?まったくクレイネルの野郎もどうしてこんな馬鹿に入れ込んでるんだか…?」
「…黙れ。」
お前は違う。
少なくともあいつらはお前みたいな下種じゃなかった。
こんなのものは…、中東勇士隊の精神じゃない!
「正義の味方ゴッコもここまで!やっぱお前は死ね。俺のために死ね。俺の出世の道具として死ね。こいつらの仲間入りなんて、上等すぎて神様からバチが当たらぁ!!」
「魔人契約者を舐めるな…!お前はあいつとは違う。俺とあいつも相容れない存在だけど、お前は…、俺の敵じゃない…。お前は、この世界の敵だ!俺の右腕が、お前を『断罪』する!!」
「やっぱ馬鹿だぜぇ!!!この超無敵モードの俺に、テメエみてぇな虫ケラは遊ばれて、嬲り殺されてお終いなんだよぉぉー!!!!」
死者の群れが一斉に走る。
あいつを許すな…!
俺の中の勇気が、魂が、そして故郷に残してきたあいつらが叫んでいる。
俺は迷わない。
せめて、彼らに安らかな眠りを…!
彼は几帳面な性格であったらしく、戦場においても日誌を付けるのを忘れていなかった。
これは通称、『クゥジュロ草原の分岐点』の日付の日誌である。
『私はこの戦争の勝利を確信していた。
神は我々を選んだのだと信じていたのだ。
序戦は圧倒的に我らに有利だった。
しかしやつらは、あの汚らわしい馬人どもが、
私の兵たちを蹂躙した。
我らの矢はやつらに届かず、
やつらの矢は我らを貫き、前線は完全に崩壊した。
将兵が尽く倒れ、
(意味不明の文字を数行に渡って書き殴っている。)
馬人が将軍たちを討ち果たした。
中軍に殿を任せたものの、
戦況はあまり変わらなかった。
私はこの日を生涯忘れないだろう。
裏切り者が我が軍の中にいて、
私の大事な(文字が乱れて解読不能)れたのだから。
私はやつらを、魔物をこの地上から駆逐するまで
戦い続けることを神の名において誓う。 』
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クックが疾る。
身を低く、まるで飛び跳ねるように、地を這うように疾る。
フウム王国兵の剣が彼の首を狙う。
土煙だけを残して、スレスレを飛び越え、その顔面を蹴り飛ばす。
彼の足の甲に鼻の潰れる感触。
兵士は反射的に身体を丸めて、痛みを叫ぶ。
彼は殺さない。
常に手加減して必要最低限の力の行使をする。
彼が全力を出して、右腕の魔力を解放すればフウム王国程度の兵力、兵数であれば一瞬で殲滅してしまうだろう。
だがそれは彼の望むところではない。
彼のこの戦にかける望みは、ただ圧倒的な力の前に彼らフウム王国を撤退させること。
彼なりに非常に甘い理想だと自覚はしていても、ただそれだけを求めて力を付けた彼の曲げられない信念である。だから唯一武器として役立つであろう短剣も、防御のために抜いた程度で、すべての攻撃は手加減の出来る素手であった。彼の進撃により死者は出ていないものの、王国側の兵は徐々に遠巻きになり後退し、いつしか逃亡者まで出始めている。
「…うぅ。」
うめき声に彼は足を止めた。
その視線の先には、足を負傷し動けなくなった兵士が震える手で剣を構えている。
ひしゃげて割れた鎧が足の皮膚を突き破っていた。
どうやらケンタウロスの突撃に踏まれてしまったらしい。
「お、おのれ…、あ…、悪魔め!」
逃げることの出来ない彼が取った行動は、ありったけの力と勇気を込めた強がりであった。
クックはそれを見て、構えを解いた。
「何故構えぬ!我らを滅ぼすのがお前たち悪魔なんだろう!?」
「違うよ。俺たちは、お前たちが攻めてくるから戦うだけだ。ケンタウロスの彼女たちも、他の魔物たちも、そしてお前たちが攻め滅ぼそうとする町の連中も俺たちを滅ぼすなんて気は更々ねえよ。教会の保守的な人間至上主義に犠牲になるのはいつも彼女たちの方なんだ。だから俺はお前を殺さない。お前たちを殺さない。俺に剣を向ける暇があったら、神に殉じるなんて、馬鹿はやめて逃げなよ。そうでないと、本物の死神がお前を連れて行くぜ。」
兵士は呆れたようにクックの顔を見ていた。
「…俺は事情があって、治療の魔法が使えないからこれを使いなよ。大した効果じゃないけど、気休めにはなる。」
クックは男に傷薬を渡す。
「……良いのか?魔王に対する裏切りじゃないのか?」
「お前、俺が魔王の手先と思っているのか?俺は確かに魔物たちが好きだ。でもな、魔王に忠誠を誓っている訳じゃない。忠誠を誓ったやつ以外に救いの手を差し伸べないせこい神様と一緒にしなさんな。」
じゃあ、長生きしろよとだけ言ってクックは再び走り出した。
兵士はその傷薬を見詰めながら、ぼんやりと口を開いた。
「俺たち、思い違いをしていたのかも……………。」
その言葉が、最後まで続くことはなかった。
流れ矢ではなく、明らかに彼を狙った矢が、彼の額を打ち抜いていた。
――――――――――――――
前線が崩壊して死体だらけの荒野で俺、アンブレイ=カルロスと仲間の諜報員が起き上がる。
「やれやれ…。」
まったく、まさかこんなところでクック=ケインズと出会うなんてな…。
アイツのことだからどこかで出会うとは思っていたが、こんな中立地帯にいやがったとは…。
親魔に目覚めそうだったあの男は始末したが、アイツはいつだってそうだ。
アイツに出会ったやつはみんなアイツに影響されてしまう。
「…あまり好き勝手に動くな、アンブレイ。」
「うるせぇな…、どうせわかりゃしねえ。」
仲間がうるさい。
短剣を抜き、喉に突きつける。
「良いか。俺が隊長でお前は部下。OK?」
「だ…だが…、俺たちの仕事は王国が秘密裏に何を作っていたのかを探るだけ…!」
「ああ、その通りだ。だがよ、この戦で手柄を立てればどうなる?俺たちの稼ぎは増えるし、手柄の内容…、つーかこの混乱に乗じてクックの野郎を討ち取ってみろよ…。テメエのクソ固え脳みそでもわかるよな?下手したらあのいけ好かねぇクレイネルの野郎を追い落とせるかもしれねえ。第一俺は認めてねえ。あんなキザ野郎が俺の上役?何年経とうと認めねえもんは認めねえ。お前だってあんな野郎よりも俺の方が上に立つ人間だと思うだろう?」
冷や汗を流しながら、仲間が硬直している。
その通りだ。
俺の敵はあんなクックのガキじゃねぇ。
俺の敵は中東聖勇士隊副隊長、クレイネル=アイルレット。
早い話が出世レースに負けちまっただけだが、あんなキザな野郎が中東教会も勇士隊も牛耳っているのが気に入らねえ。
ダークワームだか何だか知らねえが、他のやつらも情けねえよな。
あんな虫ケラ程度にビビりやがって…。
他のやつらが腰抜けのせいで、こんな目立たねぇ日陰の諜報部で燻らなきゃいけねえ。
しかし、こいつもなかなか首を縦に振らねえな…。
ああ、そうだっけ。
喉元に刃物、これじゃあ首を振れないよな。
「そういう訳だ。テメエらも協力しろよ…。そしたらおこぼれくらいはくれてやる。」
俺は自前の道具の中から細い糸を取り出す。
「ま、待て!アンブレイ!!!あまり目立つ行動は……!!!!」
「うるせぇ。」
糸に魔力を通し、鞭のように振るう。
たったそれだけで口五月蝿いやつらは細切れになった。
「…ああん?何で勝手に細切れになりやがる!本当に使えねぇやつらだな、おい!俺の駒にもなれないなんて、本当に使えないクソですね!?あー、腹が立つ!本気で腹が立つ!まぁ良いや…、クックの野郎にこの苛々をぶつけてやろう。あの野郎は俺たちの疫病神と思っていたけど…、間違っていた。あいつは俺の福の神だ!!!」
糸を広げ、針で刺すように戦場で転がっている無数の死体に突き刺す。
「さぁ、始めよう。と、言っても名乗りは挙げねえ。俺はあいつさえ殺せればそれで良いんだ。音もなく忍び寄る影のように、夜盗のように、死神のようにあいつの首さえ手に入れば問題ない。さぁ、行くぜ。こっちは超無敵モード、死なない兵隊の群れだ。あいつは俺にご褒美くれる以外に選択肢がねぇ訳よ…。クックックッ……アーハッハッハッハッハ!!!!!」
糸から伝わる魔力で、大地に伏していた死体がゆっくりと起き上がる。
一つ、二つ…、俺の伸ばした糸の数だけの死体がゆっくりと剣を取る。
「もう、飽きた。諜報員なんか辞めだ。これからは…、俺が中東教会の支配者になる!!」
剣を逆手に死体が飛び跳ねる。
人間の身体の耐性を超えた力で飛び跳ねたから足の筋肉と骨格が崩壊したようだ。
まぁ、死体だから痛くないだろ?
俺も心が痛まないし。
死体がクックの背後に近付いた。
「殺れ。」
指をクイッと動かす。
飛び跳ねた死者が剣を振り下ろす。
それと同時に死者の群れを一気に動かす。
用心に用心を重ねて、殺す時は計画的に。
前から生身の兵隊、後ろから過去の亡霊。
さぁ、クック…。
どう切り抜ける?
――――――――――――――
背後から不穏な気配を感じた。
「でりゃ!」
目の前の兵士を蹴り飛ばし、俺はさらに前に踏み込み跳んだ。
俺のいた地点に剣が突き刺さる。
相手を確認せず、蹴り飛ばした兵士を支えにして、馬のようにバックキックを叩き込む。
「お、おい…!」
「何なんだ、アレは!」
兵士たちが怯えている。
振り向けば、そこにいたのは兵士の群れ。
戦場だから何の不思議もない。
だが、全員目に光がない。
むしろ…、生きた人間の気配がしない。
「アーハッハッハッハッハッハ!!!!勘の良い野郎だぜ、まったく!」
一般兵の格好をした男が兵士の群れの向こうで笑っている。
「…誰だ、お前。」
「誰だってか?そうだよな、俺はお前のことをよぉ〜〜〜〜くご存知ですけども!!お前は俺の事なんか知らねぇよなぁ!?ホントはお前の首を取ってから名乗るおつもりだったけどよ、しょうがないから生きている間に教えてやらぁ!!!俺の名はアンブレイ=カルロス。お前のお友達さぁ!!!」
「お友達…?」
ま、まさか…、中東教会の…!?
「その顔、その顔だよ!良いねぇ、そそるねぇ!!まさかココまでうちらが出張って来てるなんか思いもしなかっただろう?そうはイカの金玉って問屋が卸さねぇんだよ。さすがに名前出しちゃうのはマズいから、答えはお前の胸の中にそっとしまっておいてプリィ〜ズ。もっともぉ〜、今回ばかりはお前の事なんかout of 眼中だったんだが、戦場でまさか巡り合えるなんてなぁ。俺の仕事じゃねえけど、まぁ現場は臨機応変に動いて何ぼのお仕事な訳ぇ。」
「この…、生きた死体もお前の仕業か…!」
「わかりきってんじゃん。本当は生きた人間操った方が面白いんだけどよ、お前を殺そうと思ったら不確定要素のある生きた人間なんかじゃ、もう骨が折れるってヤツさ。殺したくないよ〜とか、死にたくないよ〜って泣きながら自分の肉親ですら躊躇なく殺せる人形の方が操る俺も楽しいけど、時々いるんだよねぇ。強靭な精神力ってヤツ?絆?信仰心?忠誠心?何でも良いけど、俺の呪縛から抜け出せる馬鹿もいる訳よ。だったら絶対死なねぇ駒を使った方が、楽で良いじゃん?」
死者が剣を一斉に構える。
フウム王国兵の攻撃がピタリと止んだ。
彼らも感じている。
アンブレイの放つ殺気が俺だけじゃなくて、この場にいる全員に向いていることに。
「ああ、そうそう。フウム王国兵士、ならびに小銭で雇われた傭兵のみなさぁ〜ん。ざぁぁんねんでしたぁぁ〜!誰も生きて家族の下には帰しませぇん!!全員おっ死んで俺の人形になって、俺の手足になって働きなぁ。俺の戦功のために、俺の権力のために、俺の未来のために、その首頂戴致しまっす!!お礼なんて水臭いぜ。一緒にメシ食って、したくもねえ礼拝して、一緒の陣内で眠った仲じゃん?お前たちの家族も後で一緒に死なせてやるから、さ♪」
静かに…、
静かに怒りが込み上げてくる。
「ま、俺が本気を出せばこんな平原も一飲みよ。無敵の兵隊が俺の意志、俺の裁量一つで蹂躙していくんだ。最高にスゲェ良い気分だろうぜぇ!ついでにここのケンタウロスでも犯していくかな?俺、別に魔物は嫌いじゃないぜ。人間じゃ味わえない快感ってのが、大好きでな。そうだ、クック。お前も死体になってからで良けりゃ参加させてやるよ。クックックック…、ゾンビにも成り切れねぇ、ハンパな死体の群れに無理矢理犯されて、理性吹っ飛ばして、ぶっ殺して、もう一回死体をレイプして…、思い出したら勃ってきたぜ!!!」
「……アンブレイ、それはお前の想像じゃないんだな?」
聞いたことがある。
反魔物派の襲撃じゃないのに、魔物の村が滅んだ話。
何故か無関係な死体が放置されていて、魔物の死体が何度も犯されていたという噂。
俺が想像する以上にこの地方は情勢が不安定なんだと思っていた。
でも本当は…、情勢の不安定なんかじゃない。
目の前の、この男の、正義も悪もないただの快楽のせいだったんだ…!
「アンブレイ、ありがとう…。」
「あん?怖くなって頭イカれたか?」
右腕の包帯に手をかける。
もう…、巻き取るなんて面倒はしない!
「ありがとう…。お前は…、俺が初めて殺したいと思った下種だ!!!」
右腕の包帯を引き千切る。
右腕の紋章が露わになり、膨大な魔力が弾ける。
魔力が嵐のように気流を作り、土煙が舞う。
感情が、昂る。
「王国兵士のみんな、逃げろ…。今、俺に近付いたら巻き添えで、みんな死んでしまうぞ。」
その声で固くなっていた兵士たちが一斉に逃げ出した。
武器を捨て、鎧を捨て、彼らは走り続ける。
「ハッハァー!!おいおい、どこに行くんだ!!!」
死体が一人、逃げる兵士に走る。
間合いに入り、死者は剣を振り上げた。
「やらせん!!!」
疾る。
一瞬で近付き、死者の腕を掴む。
その死者は…、さっき薬をあげた兵士だった…。
「せめて…、安らかに…。」
魔力を解放し、拳に乗せて彼に叩き込む。
魔力集中率20…。
「オガァァァァァァァァ!!!!」
「…塵は塵に。命は…、土に還れ。」
ボロボロと彼の身体が崩れていく。
肉が落ち、骨も地面に落ちて、落ちたところから土に還っていく。
気のせいだろうか…。
一瞬、彼が笑ったような気がした。
彼が完全に土に戻り、俺はアンブレイに対じした。
「おーおー、虫唾が走る正義の味方ってか?まったくクレイネルの野郎もどうしてこんな馬鹿に入れ込んでるんだか…?」
「…黙れ。」
お前は違う。
少なくともあいつらはお前みたいな下種じゃなかった。
こんなのものは…、中東勇士隊の精神じゃない!
「正義の味方ゴッコもここまで!やっぱお前は死ね。俺のために死ね。俺の出世の道具として死ね。こいつらの仲間入りなんて、上等すぎて神様からバチが当たらぁ!!」
「魔人契約者を舐めるな…!お前はあいつとは違う。俺とあいつも相容れない存在だけど、お前は…、俺の敵じゃない…。お前は、この世界の敵だ!俺の右腕が、お前を『断罪』する!!」
「やっぱ馬鹿だぜぇ!!!この超無敵モードの俺に、テメエみてぇな虫ケラは遊ばれて、嬲り殺されてお終いなんだよぉぉー!!!!」
死者の群れが一斉に走る。
あいつを許すな…!
俺の中の勇気が、魂が、そして故郷に残してきたあいつらが叫んでいる。
俺は迷わない。
せめて、彼らに安らかな眠りを…!
10/11/16 09:00更新 / 宿利京祐
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