彼女の歌が止まった。
そして、貫くような視線で僕を睨む。
良かった…、もし今までの経験がなければ、この殺気だけで殺されている。
「ニン…ゲ…ン…！！」
問答無用だった。
座した瓦礫が彼女の蹴り脚で消し飛ぶ、白銀の翼が風を生み、疾るなんて生易しいスピードではない速さで向かってくる。
「グオォァァァァァァ！！！！」
何の小細工もない、荒々しい獣のような一撃が顔面を襲う。
前までの僕ならば、逃げることに、避けることに徹していただろう。
だが僕は構わず前に踏み込む。
狙うのは突き出される、その白銀の甲殻に覆われた拳だ。
「うおぉぉぉぉ！！！」
右の正拳を叩き込む。
だが、ヒットする直前で彼女は拳を引き、飛行軌道を変え、僕の後方へ高速で抜けていく。
そして空中で静止したかと思うと、彼女の口の中に魔力が漲っていくのを感じた。
それはゆらゆらと陽炎のように揺らめいたと思うと、一瞬にして灼熱の業火となって彼女の口から漏れていく。
「マイアさん、僕の後ろに！」
マイアさんの盾になるように前に出る。
右腕の刻印に魔力を込める。
あれが炎なら…、同調出来るかもしれない。
「グアァァァァァァ！！！！」
強大な炎の塊が彼女の口から吐き出される。
これが…、この村の住民が最後に見た姿なんだ…！
やれるか。
「せいやぁぁ！！！」
右腕の刻印をあの炎の塊と同調させる。
このままこれを掻き消せれば…！？
駄目だ！
僕の…、人間の魔力じゃ…、抑えきれない！
「せ、せめて！」
同調させたまま炎の塊を弾き飛ばす。
斜め後方に飛ばされた炎が何かにぶつかり弾けて、爆発する。
右腕が…、軽い火傷を負っている。
凄まじい熱量の突風が僕らを襲うけど、僕は彼女を…、空中で制止するドラゴンから目を離せないでいる。
「…人間メ、人間メ、マタ我カラ奪ウノカ！！」
彼女はただのドラゴンじゃない。
狂い掛けて、その自分自身の力で滅び掛けたドラゴンなんだと気付く。
「…僕は。」
月並みなことしか言えない。
彼女を倒しに来た訳じゃない。
なら僕は何のために来たのか…。
全身が傷付いている。
甲殻に刀傷や亀裂が入っている。
矢が何本も刺さったままになっている。
もう、彼女は痛みも意に介さないのだ。
ただその腕に抱かれた人たちの首の無念を晴らすために。
ただこの世の不条理に鉄槌を下すためだけに。
彼女はすべてを捨てて、鬼になっているのだ。
「あなたを助けたい。」
それが僕の言える唯一のこと。
それだけが僕が僕である理由。
それだけしか出来ないのが僕が僕である証明。


―――――――――――


ダオラはすべてを捨てたのだ。
愛する者を奪われ、愛する我が子の首を刎ねられ、その瞬間に捨てたのだ。
痛みも、やさしさも、温もりを…、愛した男がくれた暖かい場所を。
人間と見れば、すべてを死肉に変えた。
爪で引き裂き、その牙で噛み殺し、その力で殴り殺した。
人間の集落を見付ければ、すべてを灰に変えた。
一つ、また一つ、彼の愛した世界を灰へ変えていく。
彼女の復讐は終わらない。
この世のすべてを灰にし終わるまでは。
そして最後には彼女自身を灰に変えていくのだろう。
白銀の龍は赤黒い返り血を身に纏い、恐怖を纏う。
すでにダオラに正気はない。
彼女が正気に戻るのは、ほんの一瞬だけ。
静寂な月夜に死んだ我が子と夫のために子守唄を歌う時だけ。
だが、その正気も長くは続かない。
彼女の前にサクラが現れてしまったのだ。
憎むべき人間がそこにいる。
殺さなければならない人間がそこにいる。
それだけで彼女の残った理性は弾け飛んだ。
本能のまま戦う凶暴な龍の姿がそこにあった。



「マイアさん、お願いします。人間の不始末は…、人間の手で付けます。どうか…、手を貸さないでください。それが彼女へのせめてもの…、いえ、唯一の償いですから…。」
サクラが前に出る。
私は大剣に手を伸ばしかけた手をゆっくりと元に戻す。
「…そうか。そうだな。これはサクラの旅だ。私はあくまで見届け人で、立会い人だった…。そうだったね。わかったよ。邪魔はしない…、けど、覚えていてほしい。」
サクラの手を握る。
私のありったけの勇気を彼に渡すように…。
「必ず…、帰って来い。自分の足で帰ってくるんだ。そして…、今度こそ…、私を抱きしめに帰って来て…。償いのために死んだのでは…、何の意味がないことを覚えていてほしい。」
「今度こそ…、僕は…、あなたに誇れる自分になります。その時は…。」
「続きは…、戻ってから言ってくれ。遺言にするにはあまりに悲しい。」
はい、とサクラはゆっくりと手を放す。
白銀のドラゴンの前へ歩みを進める彼の背中を見送り、私は祈っていた。
どうか…、無事に…。
何に祈ったのか…、自分でもわからない。


―――――――――――――


なす術がなかった。
サクラの攻撃はすべて見切られ、逆にサクラにはその一撃必殺の攻撃がすべて命中する。
普通の人間なら死んでいる。
しかし、サクラは運が悪かった。
彼の強靭な回復力と、ロウガの攻撃に晒され続けた身体がその攻撃に耐えていた。
何度も血を吐いた。
何度も胃液を逆流させた。
ダオラはまさに狂戦士だった。
彼女は左の腕で首を抱きしめて、その左側はまったくの無防備だったのだが、彼女の残された右腕は実に執拗で、粘り強く、強靭で、完璧主義的にサクラを襲う。
彼が避ければ、疲れを忘れた身体で当たるまで拳を、蹴りを、時には尾を繰り出し、サクラが離れようものなら、灼熱のブレスを吐き、その翼で弾丸のように突進し、サクラの攻撃がヒットしようと、痛みを忘れた身体がすぐさま反撃に打って出る。
そしてサクラがその一撃で意識を失いかけると、彼が息絶えるまで攻撃を続ける。
サクラの運の悪さで、彼はすぐさま回復し、さながらサンドバックのように攻撃を防御し、急所にヒットされ、徐々に追い詰められていく。
マイアは本当は飛び出したかった。
それでもサクラが望んだのだと、自分を言い聞かせ、正座をして彼の戦いを見守った。
もし、彼がこの戦いで命を落とすのであれば…、彼女はその場で自決する覚悟を持って、サクラとダオラの戦いを見届ける。
噛んだ唇から血が流れていく。
「ゴアァァァァァ！！！！」
彼女の爪がサクラの腹を貫いた。
その一瞬だけ、ダオラの動きが止まった。
「じぇあっ！！！！」
右肘に膝蹴りを当てる。
反射的にダオラの腕が伸びた。
爪が腹に食い込んだまま、サクラは彼女の腕に手を当て、足を絡めて、体重をかける。
そして一気に大地を踏むように絡めた足を落とした。

ブチッ…ベキィッ！！！！

「アァァァァァァァァァァ！！！！！」
ダオラの右肘の靱帯が切れて、肘が折られる。
いかに痛みを捨て、狂気の中に身を委ねたとて忘れられない激痛が彼女の叫び声を取り戻させる。
ボタボタとサクラの腹から大粒の血が滴り落ちる。
激痛にダオラは初めて、折れた腕を押さえて、息を荒くしながら後退する。
「父上もえげつない技を教えたものだ…。」
「…ゲホッ、感謝しています。教わっていなかったら…、死んでいた。」
感情の昂りのせいか、サクラの回復能力は向上し、すでに傷は塞がらずとも流血は止まりつつある。
「ハッ、ハッ、ハッ…。」
ダオラの呼吸が大きく乱れる。
それでも彼女は首を落とさない。
痛みに打ち震える身体でも尚、愛する者を落とすまいとダオラは耐える。
「わ、我が…、龍姫…、ダオラである…。」
その目に狂気がなかった。
「…何も、何も覚えておらぬ。長い…、夢を見ていた…、と思うておったが…、これは現実…、なのだな…。」
改めて彼女は愛する者たちの首を抱きしめ涙を流す。
「僕の…、名は…サクラと言います。ある男に…、あなたを助けてくれと…、頼まれました。」
「左様であるか…。少年よ…、我を止めるか…。」
「止めて…、みせます。」
「何の…、ために…。この腐った世界を作る…、神の奴隷を守るため…か？」
「…僕の信念のため。僕の自己満足のために。僕たちと…、同じ時代を生きてほしい…。魔物を守るとか…、人間を守るとか…、そんなの関係ない…。僕はある人から教わりました。世界のあるがままを愛せる人になれと…。その教えだけが僕の戦う理由です。あなたを助けたい。憎しみの連鎖は…、もう…、ごめんだ…！」
ダオラは目を閉じ、僅かに微笑む。
それはかつて愛した男に言われた言葉。
嗚呼、世界はまだ捨てたものじゃない…、そう思った。
「…そなたは、立会人か。」
ダオラはマイアの方に問いかける。
「はい、私は彼の立会い人にして彼の行く末を見届ける者。そしてもしも彼の命尽き果てるのならば、彼のためにこの命を投げ出す者。」
「…思い人、であるか。」
「そうです。」
「この少年、そこまでする価値があるか？」
マイアは迷いもなく即答する。
「無論です。彼は常に迷いますが、常に上を向いて歩きます。そして彼は父の信念を受け継ぐ者。そして彼は私を、魔物だからではなく、私、マイア個人として愛してくれています。それ以上に命を預ける理由など…、あなたでもありますまい。」
その通りだ、とダオラは思う。
彼女も自分と同じなのだ。
自分の愛した男に寄せた感情と同じなのだと、ダオラは知る。
そして、サクラが自分を倒せないことを、ダオラ自身がサクラを殺せないということを理解した。
この少年は殺してはならぬ者であると。
「ひどい男だな、そちは。我に苦渋の生を全うせよと申すか。」
「…かつて、その道を選んだリザードマンを僕は知っています。あなたは強い人だ。だから、きっと…、苦渋の生でも生きていける。その腕に眠る人たちもそれを望むでしょう…。」
「…実に納得出来る言葉だ。だが、それで止まる訳にはいかぬ。我には我の譲れぬ思いがある故に、汝を倒し、汝らを越えて、我はかの者たちに復讐せん！」
そこにはもう狂気の龍はいない。
その代わりにダオラには凄まじい覇気が甦る。
「マイア…、我が愛しき者たちを…、頼む…。」
そう言って彼女はマイアに彼女の愛した者の首を預けた。
マイアは丁寧に受け取り、腐肉が彼女の鎧に付着するのも構わずにやさしく抱きしめる。
「そちは、良き女子だな…。いつの日かあの者と良き子を作れ。そして伝えていくのだ。人間が何をしたか、そして何をすべきなのかを…、あの者と伝えていくのだぞ。」
「それは無理な話です。私は伝えていきません。サクラはあなたを殺すのではなく、あなたを助けるためにここに来ました。それは、あなたが伝えていかなければなりません。」
ダオラは深く目を閉じる。
こんな地獄に彼女が求めた場所はあったのだと涙する。
「さぁ、終わらせよう。我は龍姫ダオラ。そなたを倒し、我が本懐を遂げよう。」
「人間、サクラ。僕はこの信念に従い、あなたを止める。」
本当の最終決戦の幕が切って落とされる。

■作者メッセージ
最終決戦前の戦闘です。
暴走状態を続けさせようかと思いましたが
さすがにそれではドラゴンの魅力を引き出せないと思いました。
…出せてるかな？っとちょっと心配だったりします。
次回はサクラ旅情編最終章です。
ついにダオラとの決着が付きます。
それは様々な未来の分岐点の一つの終着駅。
さてさてどうなるやら、ほんまに（ぼそ）

では最後になりましたが
ここまで読んでいただき、ありがとうございました！