第三十一話・ジュネッスブルーA迷いの森
『見よ、あそこに起立する白銀の龍を。
見よ、かの龍を守らんとする裏切り者を。
剣を取りて、我らの英雄を切り裂く反逆者。
鋭い爪で、神の戦士を切り裂く白銀の龍。
忘れてはならない。
かの者たちに、報復を。
忘れてはならない。
我らは神に従い、神に平伏し、唯神の許しを請う者であることを。
神の言葉を忘れた裏切り者、
神の言葉に背いた堕落した者を、
我々は許さない。
骨の一片、血の一滴もこの世にあってはならない。
されば神の使命を忘れぬ、気高き勇者たちよ。
我らは剣を取り、
かの者たちの首を神に捧げよう。
命を惜しむ必要はない。
この命でさえ、穢れし者を討つために神に与えられたものなのだから。』
この一節の文章はヴァルハリアにおいて広く読まれた唯一の娯楽、騎士物語の中のドラゴン退治における一文である。
農民たちに文字は読めない。
だからこそ、教会の牧師が、司祭が、物語は彼らの口を借りて、より過激に解釈され、より洗脳的に人々に広がっていった。
人々はより道徳的に、より狂気的にその御言葉を胸に刻み、人々は魔物を憎む。
理由はなく、ただ自分たちの信じる神の敵なのだとぼんやりと認識し、狂気的に彼らを殺さなければいけないのだと使命を燃やす。
農民でさえこうなのだ。
これが騎士であれば、どれほど過激であろうか…。
その彼らの情熱の源であった一文が、やがて悲劇を生む。
彼女は歌っていた。
歌は得意ではなかったのに、幼い頭蓋のために歌い続けた。
歌を歌っている間だけ、彼女はここにはいない愛した人と一緒にいられた。
彼女は翼で頭蓋が濡れぬように傘にする。
その歌声はこの子のために…。
彼女はこの場所を離れない。
村を焼き尽くし、村人を殺戮し尽くし、悲しみのままに世界を呪う。
白銀の甲殻を持つドラゴンが死者の眠る丘で一人泣き続ける。
――――――――――
さっそくだけど、迷った。
人の目から逃げるために森に入ったのは良いけど、見事に迷ってしまった。
引き返そうと思って引き返したはずなのに、何故か同じところに戻ってしまった。
もうどれくらいグルグル回っているだろう。
すっかり日が暮れてしまった。
暗い森の中を手探りで進む。
本当はどこかで腰を下ろして休んだ方が良いのはわかっているのだが、こう森が鬱蒼と茂っていては休める場所なんてない。
「…!サクラ、見ろ、明かりだ!」
マイアさんが明かりを見付けた。
僕らは慌てずに明かりを目指すが、あそこにいるのが僕らにとって敵なのかもしれないと、僕らは慎重に足を進める。
目が慣れてくると、そこにいるのは大剣を背負った男が一人。そして…、後ろからしか見えないけど、あの尻尾はリザードマン?
「やぁ、焚き火に釣られて来なすったかね、ご同輩。」
男が振り向きもせず声をかける。
気付かれないように気配を消していたのに、彼は僕らの存在を感じ取った。
「何、気になさるな。ここにいるのは反魔物のクズじゃあねぇ。ここにはおたくの連れと同族の女もございやす。早くおいでなせぇ…、今夜はたぶん冷える…。」
「あ、その…、ありがとうございます…。」
言葉に甘えて、普段通りの足取りで彼らに近付く。
「どうも…、こんばん……。」
「ああ、ゆっくりしていって…。」
驚いた。
そこにいた男は僕と同い年くらい…、僕とよく似た顔をしていた。
「どうした、サクラ…、おお…、これは…、よく似ているな。」
マイアさんも驚いている。
大剣を背負った男の横にいるリザードマンも目を丸くしている。
「…君に似ている、いや、そっくりじゃないか。なぁ、ロ…。」
「いやいや、何でもねぇ。まあ、ゆっくり休んでくれ。そうだよな、『ティア』!」
「…ああ、そうだな。」
男は僕らにコーヒーを勧めてくれた。
ありがたい…、暖かい食べ物なんて…、何日振りだろうか。
「ありがとうございます。僕はあなた方が『名もなき町』と呼ぶ町から来ました、サクラと言います。この人は…、僕の大事な人で、マイアさんと言います。」
「よろしく。マイアです。」
「私は…『ティア』と申します。お会い出来て光栄です、マイア様。」
「え…?様…?」
「あ、ああ…、その…、お母様のアスティア様のご息女ということと、あなたの剣の腕は我々リザードマンの間ではあなたのことも有名なのです!お気になさらず…。」
ティアと名乗った女性は何故か慌ててマイアさんのことを話す。
ああ、でも僕たちって結構有名なのかもしれない。
教会からの指名手配受けてるし、つい最近も反魔物の襲撃者に襲われたばかりだ。
「安心しなせぇ。先程も言いやしたが、俺たちぁ反魔物のクズじゃあござんせん。それに…、やつらはここまで襲っては来やせんぜ。何せここは迷いの森と言いやしてね。やつらも忌み嫌う魔性の森、ここで迷うのは道だけじゃあねぇ。人の心に迷いを生ませる物の怪が出るってぇもっぱらの噂でさぁ。」
「くっ……アッハッハッハッハッハ、駄目だ。ロウガ!どうにかならないのか、その喋り方!!」
「「ロ、ロウガ!?」」
「あ、馬鹿!」
男、ロウガは頭を抱える。
「…そう、俺の名はロウガでさぁ。この喋り方は気にしねぇでくだせぇ。丁寧に喋ろうとしたらこうなるんでさぁ…。名前を黙ってたのはすいやせん。色々混乱すると思いやして、いらぬ心遣いでしたようでございやすね…。」
「混乱…ってことは…。」
「あんたの名はサクラ…。教会から指名手配を受けてやすね。そちらのお連れさんはマイア。俺の名前はそちらさんの親御さんから頂いたんでさぁ。」
「…ということは、君は父上の関係者なのかい?」
「いえ…、関係者というより…、うちの親父がその昔、そちらの親御さんから師事したことがありやしてね。その縁でこの名を付けられた…ってだけでさぁ。ああ、そちらさんたちからしたら俺ぁ年下ですんで、気軽に呼び捨ててくだせぇ。」
…僕にすごく似た顔をしたロウガ。
顔は似ているけど、性格はまったく違うようだ。
もしかしたら旅が長いのかもしれない。
僕よりも…世界を知っているのかもしれない。
「では、ロウガ。この地へは何を…?」
「墓参りを少々…。この地に先祖の墓があると聞きやしてね。」
「あの、ティアさんは…。」
「そうですね…。腕試しとギルドの依頼をね。ロウガとは元々知り合いだったのだが、またこの地で出会って…、これから彼の生まれた町へ一緒に行こうと思うんだ。」
ティアさんは頬を染める。
そして気が付いた。
彼女の膝の上で眠る子供がいる。
人間じゃなく、リザードマンでもない…、ワーウルフ…?
「…その子は?」
「ああ、俺の娘でさぁ。」
「え、ロウガさ…、いや、ロウガは子供がいるの!?」
「いや、正確には俺の子じゃあねぇな。俺が拾って、俺が育てる…ってとこでさぁ。」
ちょうど良い、夜明かしの話にゃ良いでしょうとロウガは話し始める。
ティアさんは僕とマイアさんの分のコーヒーを入れ直してくれた。
―――――――――――
あれは俺が中立地帯を旅していた時のこと。
道のど真ん中で人だかりが出来ていたので、俺も野次馬根性が出て、人の壁を掻き分けて何があるのかを確かめたんだ。
そこで見えたのはちょっと奇妙な光景。
剣を構える男と、盾を構える男。
そして盾を構える男の後ろで震えるワーウルフ。
剣を構える男が喚いていた。
「その魔物を引き渡せ!今は無垢な心を持っているかもしれないが、いつの日か凶悪な本性を現し、我らに牙を剥くのだ!今のうちに殺しておかねばならない!」
人だかりの中にはウンウン、と頷く輩もいた。
それに答えるように盾を構える男は言った。
「何を言う。このような子供を殺すとは何事か!もしそうなるようでしたら、子供のうちから人間と仲良く出来るように教育していけば良いではありませんか!」
これにも頷く輩が多かった。
俺もどちらかと言えば、この男の立場だったんだが、頷けなかった。
何か、違和感があったから…。
「無駄だ、そんなことをしてもやつらの本能を抑えられる訳がない!」
「いいえ、理性があれば抑えられるのです。それは教育でどうにでもなります!」
やつらの押し問答にも飽きて、俺は立ち去ろうとした。
すると、盾を構えた男がこう叫んだんだ。
「魔物に人間を襲わぬよう教育すれば、それは次の世代に引き継がれ、やがて次の代にも引き継がれるでしょう。そうすれば魔物は人を襲うことはなくなる!魔物が人を襲わないように教育すれば良いのです!!」
俺の違和感の正体。
ああ、そうだ…。
こいつらは俺の親父とは違うってね。
帰りかけた足をまたやつらの方へ向けた。
今度は野次馬の中じゃなく男たちの目の前に俺は出て行った。
「おい、おっさんども。」
「だからこそ、こいつを殺し…、何だ、このガキ?」
「少年よ、近付いてはいけない。危ないですぞ?」
「…邪魔だ。」
そう言って大剣を引き抜く。
ひっ、という短い声を上げて、二人の男たちは思わず下がった。
俺は彼らに構わず、震えて蹲るワーウルフの少女に近付き、同じ目線まで膝をついて訊ねた。
「お嬢ちゃん、こんなやつらに付いて行ってもロクなことにならねぇよ。俺と一緒に来るかい?」
ワーウルフの少女はぼんやりと俺を見詰めている。
「こ、小僧…、貴様も神の反逆者か!?」
「おお、少年よ。それこそが次世代の光ですぞ。」
「…おっさんども、黙ってろ。この子の声が聞こえない。」
また、ひっ、と短く声を上げる。
「…わたし…、いっしょに…、いても…、いいの…?」
「当たり前だ。俺はこいつみたいにお前の命を狙うこともない。こいつみたいにお前に人間を襲わないようになんか馬鹿げた教育なんぞ、やらねぇ。」
「な、なんと!?教育をしなければ彼らは共存など…!」
「あんたの言う教育とやらは、あんたらに従順な家畜を作るだけだ。あんたらに逆らわない魔物を作り、共存という名の支配だ。そこにいる神の奴隷と何ら変わらねぇ。この場で殺すか、飼い殺すか…、その違いにすぎねぇ。そんなのは共存じゃあねぇ。良いか、共存ってのは、そこにあるがまま…、自己の内よりその者を愛し、その者と笑い、その者と心を通わせ、出来ることなら添い遂げることを言う。そこに教育もクソもねぇ!そのあるがままも愛せねぇ男が教育なんて言葉を傘に共存なんざ、口が裂けても言うんじゃねぇぞ!」
―――――――――――
「と、言う訳でその子は俺の娘になったんでさぁ。」
「…前々から思っていたが、ロウガ、せめて妹にしておけば良かったんじゃないかな?」
「何、十以上も歳が離れているんだ。娘でちょうど良いさね。」
…僕らが考えていることと彼は同じことを考えている。
魔物だから…、人間だからじゃない。
彼もそこにあるものそのものを愛して、世界を見ているんだと感じる。
「ところで、マイア様たちはこれからどこに向かうのですか?」
「まだ、どこへ行くかも決めていません。私たちはこの地では最も異質な存在ですので大っぴらに歩けないもので…。」
2年旅をしろと言われているけど…、この地で見るものなんて、もうないのかもしれない。
僕らはあまりに異質で、この地では常に命を狙われて…。
反魔物派という存在がどんな人々なのかがわかって、言いようもない嫌悪しかない。
「…左様でございやしたか。ではお二方、こんな文言を知っておいでですかい?」
そう言うとロウガは、ある物語の一節を諳んじた。
『見よ、あそこに起立する白銀の龍を。
見よ、かの龍を守らんとする裏切り者を。
剣を取りて、我らの英雄を切り裂く反逆者。
鋭い爪で、神の戦士を切り裂く白銀の龍。
忘れてはならない。
かの者たちに、報復を。
忘れてはならない。
我らは神に従い、神に平伏し、唯神の許しを請う者であることを。
神の言葉を忘れた裏切り者、
神の言葉に背いた堕落した者を、
我々は許さない。
骨の一片、血の一滴もこの世にあってはならない。
されば神の使命を忘れぬ、気高き勇者たちよ。
我らは剣を取り、
かの者たちの首を神に捧げよう。
命を惜しむ必要はない。
この命でさえ、穢れし者を討つために神に与えられたものなのだから。』
「…ロウガ、それは?」
マイアさんが訊ねる。
「これは、ヴァルハリア騎士物語っていう、云わばこの国の騎士道精神の教科書と言った代物の一節でさぁ。実はね、これには悲しい後日談があるんでさぁ。」
彼は語った。
この物語に出てくる白銀のドラゴンは、この物語に描かれたことによって、騎士や義勇兵を名乗る国民たちに襲われ続けたのだと言う。その結果、彼女の留守の間に彼女の夫は討ち取られ、死体はバラバラにされ、燃やされたという。さらに攫われた彼女の娘、彼女の血を引く次世代のドラゴンも、人間たちの歓喜の声の中で首を落とされたのだと言う。自らを物語の英雄になぞらえ、彼らは何の罪もないドラゴンを殺害し、その愛する人を葬った。
「…彼女はダオラという名のドラゴン。後の展開は…、読めるだろ?」
ロウガの口調が変わる。
「彼女は怒り狂った。それこそ怒りに我を忘れて、村々を焼き払い、すべての人間をバラバラに引き裂いた。女子供も関係ねぇ。死んだ娘の躯を取り戻しても尚、怒りは治まらず…、今はこの国すべてを滅ぼそうとする悪鬼に変わっちまった。今はね…、その翼を休めるように…、この先にある通称、皆殺しの野で娘の躯を抱いて、夫の好きだった歌を歌っている。」
「何でそんな…?」
そんなことを僕に教えるのか、と言おうとした時、ぐらり、と視界が揺らぐ。
マイアさんも身体がグラグラと揺れている。
「おやおや、もうこんな夜更けでやすからねぇ。旅の疲れが出たんでしょうね。お休みになった方が良いですぜ。」
クックック、とロウガさんみたいに彼は笑う。
「な…なに…を…。」
「死ぬことはありませんが、マイア様を欺くような真似をして申し訳ありません。少々眠り薬をコーヒーに混ぜさせていただきました。」
「なぁ、サクラさんよ。どうするかい?もう旅の目的がないのなら、そこに行ってみなさるかい?たぶん…、そこがあんたの旅の終着駅だ。あんたの求めた答えがある。」
そこに……、この旅の答えがあるのだろうか……。
それより彼らは……。
駄目だ……、もう………。
………。
……。
…。
「ロウガ、これで良かったのかい?」
「ああ、親父たちをそこに向かわせないと…、俺の未来がかなり変わってしまうからな。」
「しかし…、驚いたな。まさかサクラ様とマイア様がこんな若いなんて。」
「クックック…、ここは迷いの森だ。人を惑わすってのは本当だったみたいだぜ。時に時間の流れもぶっ壊した場所になるらしい。」
さぁ、行こう。
たぶん、俺の役目は終わった。
次に会う時は、親父とおふくろの思い出の中だろうな。
頼むぜ、親父。
彼女を助けられるかは、親父にかかっているんだから…。
俺たちはあるべき場所へ帰る。
アスティアと俺の娘を連れて…。
親父、頑張れよ。
見よ、かの龍を守らんとする裏切り者を。
剣を取りて、我らの英雄を切り裂く反逆者。
鋭い爪で、神の戦士を切り裂く白銀の龍。
忘れてはならない。
かの者たちに、報復を。
忘れてはならない。
我らは神に従い、神に平伏し、唯神の許しを請う者であることを。
神の言葉を忘れた裏切り者、
神の言葉に背いた堕落した者を、
我々は許さない。
骨の一片、血の一滴もこの世にあってはならない。
されば神の使命を忘れぬ、気高き勇者たちよ。
我らは剣を取り、
かの者たちの首を神に捧げよう。
命を惜しむ必要はない。
この命でさえ、穢れし者を討つために神に与えられたものなのだから。』
この一節の文章はヴァルハリアにおいて広く読まれた唯一の娯楽、騎士物語の中のドラゴン退治における一文である。
農民たちに文字は読めない。
だからこそ、教会の牧師が、司祭が、物語は彼らの口を借りて、より過激に解釈され、より洗脳的に人々に広がっていった。
人々はより道徳的に、より狂気的にその御言葉を胸に刻み、人々は魔物を憎む。
理由はなく、ただ自分たちの信じる神の敵なのだとぼんやりと認識し、狂気的に彼らを殺さなければいけないのだと使命を燃やす。
農民でさえこうなのだ。
これが騎士であれば、どれほど過激であろうか…。
その彼らの情熱の源であった一文が、やがて悲劇を生む。
彼女は歌っていた。
歌は得意ではなかったのに、幼い頭蓋のために歌い続けた。
歌を歌っている間だけ、彼女はここにはいない愛した人と一緒にいられた。
彼女は翼で頭蓋が濡れぬように傘にする。
その歌声はこの子のために…。
彼女はこの場所を離れない。
村を焼き尽くし、村人を殺戮し尽くし、悲しみのままに世界を呪う。
白銀の甲殻を持つドラゴンが死者の眠る丘で一人泣き続ける。
――――――――――
さっそくだけど、迷った。
人の目から逃げるために森に入ったのは良いけど、見事に迷ってしまった。
引き返そうと思って引き返したはずなのに、何故か同じところに戻ってしまった。
もうどれくらいグルグル回っているだろう。
すっかり日が暮れてしまった。
暗い森の中を手探りで進む。
本当はどこかで腰を下ろして休んだ方が良いのはわかっているのだが、こう森が鬱蒼と茂っていては休める場所なんてない。
「…!サクラ、見ろ、明かりだ!」
マイアさんが明かりを見付けた。
僕らは慌てずに明かりを目指すが、あそこにいるのが僕らにとって敵なのかもしれないと、僕らは慎重に足を進める。
目が慣れてくると、そこにいるのは大剣を背負った男が一人。そして…、後ろからしか見えないけど、あの尻尾はリザードマン?
「やぁ、焚き火に釣られて来なすったかね、ご同輩。」
男が振り向きもせず声をかける。
気付かれないように気配を消していたのに、彼は僕らの存在を感じ取った。
「何、気になさるな。ここにいるのは反魔物のクズじゃあねぇ。ここにはおたくの連れと同族の女もございやす。早くおいでなせぇ…、今夜はたぶん冷える…。」
「あ、その…、ありがとうございます…。」
言葉に甘えて、普段通りの足取りで彼らに近付く。
「どうも…、こんばん……。」
「ああ、ゆっくりしていって…。」
驚いた。
そこにいた男は僕と同い年くらい…、僕とよく似た顔をしていた。
「どうした、サクラ…、おお…、これは…、よく似ているな。」
マイアさんも驚いている。
大剣を背負った男の横にいるリザードマンも目を丸くしている。
「…君に似ている、いや、そっくりじゃないか。なぁ、ロ…。」
「いやいや、何でもねぇ。まあ、ゆっくり休んでくれ。そうだよな、『ティア』!」
「…ああ、そうだな。」
男は僕らにコーヒーを勧めてくれた。
ありがたい…、暖かい食べ物なんて…、何日振りだろうか。
「ありがとうございます。僕はあなた方が『名もなき町』と呼ぶ町から来ました、サクラと言います。この人は…、僕の大事な人で、マイアさんと言います。」
「よろしく。マイアです。」
「私は…『ティア』と申します。お会い出来て光栄です、マイア様。」
「え…?様…?」
「あ、ああ…、その…、お母様のアスティア様のご息女ということと、あなたの剣の腕は我々リザードマンの間ではあなたのことも有名なのです!お気になさらず…。」
ティアと名乗った女性は何故か慌ててマイアさんのことを話す。
ああ、でも僕たちって結構有名なのかもしれない。
教会からの指名手配受けてるし、つい最近も反魔物の襲撃者に襲われたばかりだ。
「安心しなせぇ。先程も言いやしたが、俺たちぁ反魔物のクズじゃあござんせん。それに…、やつらはここまで襲っては来やせんぜ。何せここは迷いの森と言いやしてね。やつらも忌み嫌う魔性の森、ここで迷うのは道だけじゃあねぇ。人の心に迷いを生ませる物の怪が出るってぇもっぱらの噂でさぁ。」
「くっ……アッハッハッハッハッハ、駄目だ。ロウガ!どうにかならないのか、その喋り方!!」
「「ロ、ロウガ!?」」
「あ、馬鹿!」
男、ロウガは頭を抱える。
「…そう、俺の名はロウガでさぁ。この喋り方は気にしねぇでくだせぇ。丁寧に喋ろうとしたらこうなるんでさぁ…。名前を黙ってたのはすいやせん。色々混乱すると思いやして、いらぬ心遣いでしたようでございやすね…。」
「混乱…ってことは…。」
「あんたの名はサクラ…。教会から指名手配を受けてやすね。そちらのお連れさんはマイア。俺の名前はそちらさんの親御さんから頂いたんでさぁ。」
「…ということは、君は父上の関係者なのかい?」
「いえ…、関係者というより…、うちの親父がその昔、そちらの親御さんから師事したことがありやしてね。その縁でこの名を付けられた…ってだけでさぁ。ああ、そちらさんたちからしたら俺ぁ年下ですんで、気軽に呼び捨ててくだせぇ。」
…僕にすごく似た顔をしたロウガ。
顔は似ているけど、性格はまったく違うようだ。
もしかしたら旅が長いのかもしれない。
僕よりも…世界を知っているのかもしれない。
「では、ロウガ。この地へは何を…?」
「墓参りを少々…。この地に先祖の墓があると聞きやしてね。」
「あの、ティアさんは…。」
「そうですね…。腕試しとギルドの依頼をね。ロウガとは元々知り合いだったのだが、またこの地で出会って…、これから彼の生まれた町へ一緒に行こうと思うんだ。」
ティアさんは頬を染める。
そして気が付いた。
彼女の膝の上で眠る子供がいる。
人間じゃなく、リザードマンでもない…、ワーウルフ…?
「…その子は?」
「ああ、俺の娘でさぁ。」
「え、ロウガさ…、いや、ロウガは子供がいるの!?」
「いや、正確には俺の子じゃあねぇな。俺が拾って、俺が育てる…ってとこでさぁ。」
ちょうど良い、夜明かしの話にゃ良いでしょうとロウガは話し始める。
ティアさんは僕とマイアさんの分のコーヒーを入れ直してくれた。
―――――――――――
あれは俺が中立地帯を旅していた時のこと。
道のど真ん中で人だかりが出来ていたので、俺も野次馬根性が出て、人の壁を掻き分けて何があるのかを確かめたんだ。
そこで見えたのはちょっと奇妙な光景。
剣を構える男と、盾を構える男。
そして盾を構える男の後ろで震えるワーウルフ。
剣を構える男が喚いていた。
「その魔物を引き渡せ!今は無垢な心を持っているかもしれないが、いつの日か凶悪な本性を現し、我らに牙を剥くのだ!今のうちに殺しておかねばならない!」
人だかりの中にはウンウン、と頷く輩もいた。
それに答えるように盾を構える男は言った。
「何を言う。このような子供を殺すとは何事か!もしそうなるようでしたら、子供のうちから人間と仲良く出来るように教育していけば良いではありませんか!」
これにも頷く輩が多かった。
俺もどちらかと言えば、この男の立場だったんだが、頷けなかった。
何か、違和感があったから…。
「無駄だ、そんなことをしてもやつらの本能を抑えられる訳がない!」
「いいえ、理性があれば抑えられるのです。それは教育でどうにでもなります!」
やつらの押し問答にも飽きて、俺は立ち去ろうとした。
すると、盾を構えた男がこう叫んだんだ。
「魔物に人間を襲わぬよう教育すれば、それは次の世代に引き継がれ、やがて次の代にも引き継がれるでしょう。そうすれば魔物は人を襲うことはなくなる!魔物が人を襲わないように教育すれば良いのです!!」
俺の違和感の正体。
ああ、そうだ…。
こいつらは俺の親父とは違うってね。
帰りかけた足をまたやつらの方へ向けた。
今度は野次馬の中じゃなく男たちの目の前に俺は出て行った。
「おい、おっさんども。」
「だからこそ、こいつを殺し…、何だ、このガキ?」
「少年よ、近付いてはいけない。危ないですぞ?」
「…邪魔だ。」
そう言って大剣を引き抜く。
ひっ、という短い声を上げて、二人の男たちは思わず下がった。
俺は彼らに構わず、震えて蹲るワーウルフの少女に近付き、同じ目線まで膝をついて訊ねた。
「お嬢ちゃん、こんなやつらに付いて行ってもロクなことにならねぇよ。俺と一緒に来るかい?」
ワーウルフの少女はぼんやりと俺を見詰めている。
「こ、小僧…、貴様も神の反逆者か!?」
「おお、少年よ。それこそが次世代の光ですぞ。」
「…おっさんども、黙ってろ。この子の声が聞こえない。」
また、ひっ、と短く声を上げる。
「…わたし…、いっしょに…、いても…、いいの…?」
「当たり前だ。俺はこいつみたいにお前の命を狙うこともない。こいつみたいにお前に人間を襲わないようになんか馬鹿げた教育なんぞ、やらねぇ。」
「な、なんと!?教育をしなければ彼らは共存など…!」
「あんたの言う教育とやらは、あんたらに従順な家畜を作るだけだ。あんたらに逆らわない魔物を作り、共存という名の支配だ。そこにいる神の奴隷と何ら変わらねぇ。この場で殺すか、飼い殺すか…、その違いにすぎねぇ。そんなのは共存じゃあねぇ。良いか、共存ってのは、そこにあるがまま…、自己の内よりその者を愛し、その者と笑い、その者と心を通わせ、出来ることなら添い遂げることを言う。そこに教育もクソもねぇ!そのあるがままも愛せねぇ男が教育なんて言葉を傘に共存なんざ、口が裂けても言うんじゃねぇぞ!」
―――――――――――
「と、言う訳でその子は俺の娘になったんでさぁ。」
「…前々から思っていたが、ロウガ、せめて妹にしておけば良かったんじゃないかな?」
「何、十以上も歳が離れているんだ。娘でちょうど良いさね。」
…僕らが考えていることと彼は同じことを考えている。
魔物だから…、人間だからじゃない。
彼もそこにあるものそのものを愛して、世界を見ているんだと感じる。
「ところで、マイア様たちはこれからどこに向かうのですか?」
「まだ、どこへ行くかも決めていません。私たちはこの地では最も異質な存在ですので大っぴらに歩けないもので…。」
2年旅をしろと言われているけど…、この地で見るものなんて、もうないのかもしれない。
僕らはあまりに異質で、この地では常に命を狙われて…。
反魔物派という存在がどんな人々なのかがわかって、言いようもない嫌悪しかない。
「…左様でございやしたか。ではお二方、こんな文言を知っておいでですかい?」
そう言うとロウガは、ある物語の一節を諳んじた。
『見よ、あそこに起立する白銀の龍を。
見よ、かの龍を守らんとする裏切り者を。
剣を取りて、我らの英雄を切り裂く反逆者。
鋭い爪で、神の戦士を切り裂く白銀の龍。
忘れてはならない。
かの者たちに、報復を。
忘れてはならない。
我らは神に従い、神に平伏し、唯神の許しを請う者であることを。
神の言葉を忘れた裏切り者、
神の言葉に背いた堕落した者を、
我々は許さない。
骨の一片、血の一滴もこの世にあってはならない。
されば神の使命を忘れぬ、気高き勇者たちよ。
我らは剣を取り、
かの者たちの首を神に捧げよう。
命を惜しむ必要はない。
この命でさえ、穢れし者を討つために神に与えられたものなのだから。』
「…ロウガ、それは?」
マイアさんが訊ねる。
「これは、ヴァルハリア騎士物語っていう、云わばこの国の騎士道精神の教科書と言った代物の一節でさぁ。実はね、これには悲しい後日談があるんでさぁ。」
彼は語った。
この物語に出てくる白銀のドラゴンは、この物語に描かれたことによって、騎士や義勇兵を名乗る国民たちに襲われ続けたのだと言う。その結果、彼女の留守の間に彼女の夫は討ち取られ、死体はバラバラにされ、燃やされたという。さらに攫われた彼女の娘、彼女の血を引く次世代のドラゴンも、人間たちの歓喜の声の中で首を落とされたのだと言う。自らを物語の英雄になぞらえ、彼らは何の罪もないドラゴンを殺害し、その愛する人を葬った。
「…彼女はダオラという名のドラゴン。後の展開は…、読めるだろ?」
ロウガの口調が変わる。
「彼女は怒り狂った。それこそ怒りに我を忘れて、村々を焼き払い、すべての人間をバラバラに引き裂いた。女子供も関係ねぇ。死んだ娘の躯を取り戻しても尚、怒りは治まらず…、今はこの国すべてを滅ぼそうとする悪鬼に変わっちまった。今はね…、その翼を休めるように…、この先にある通称、皆殺しの野で娘の躯を抱いて、夫の好きだった歌を歌っている。」
「何でそんな…?」
そんなことを僕に教えるのか、と言おうとした時、ぐらり、と視界が揺らぐ。
マイアさんも身体がグラグラと揺れている。
「おやおや、もうこんな夜更けでやすからねぇ。旅の疲れが出たんでしょうね。お休みになった方が良いですぜ。」
クックック、とロウガさんみたいに彼は笑う。
「な…なに…を…。」
「死ぬことはありませんが、マイア様を欺くような真似をして申し訳ありません。少々眠り薬をコーヒーに混ぜさせていただきました。」
「なぁ、サクラさんよ。どうするかい?もう旅の目的がないのなら、そこに行ってみなさるかい?たぶん…、そこがあんたの旅の終着駅だ。あんたの求めた答えがある。」
そこに……、この旅の答えがあるのだろうか……。
それより彼らは……。
駄目だ……、もう………。
………。
……。
…。
「ロウガ、これで良かったのかい?」
「ああ、親父たちをそこに向かわせないと…、俺の未来がかなり変わってしまうからな。」
「しかし…、驚いたな。まさかサクラ様とマイア様がこんな若いなんて。」
「クックック…、ここは迷いの森だ。人を惑わすってのは本当だったみたいだぜ。時に時間の流れもぶっ壊した場所になるらしい。」
さぁ、行こう。
たぶん、俺の役目は終わった。
次に会う時は、親父とおふくろの思い出の中だろうな。
頼むぜ、親父。
彼女を助けられるかは、親父にかかっているんだから…。
俺たちはあるべき場所へ帰る。
アスティアと俺の娘を連れて…。
親父、頑張れよ。
10/11/01 01:02更新 / 宿利京祐
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