第三話・Bad Communication【前】
「落ち着いたか?」
エレナの胸の中で泣き続けて、しばらく時間が経った。暖かい日差しはもうなく、夜の冷たい風が吹いている。
「あ、ああ、すまない…。」
「…ふふっ、涙と鼻水は拭いておけ。せっかくの男前が台無しだぞ。」
「…世辞は、いい。」
袖から懐紙を出して、盛大に鼻をかむ。周りからクスクスと笑われているが、気にしないで鼻をかみ続ける。
見れば、エレナのマントが鼻水と涙で大きく濡れていた。
「すまん。大事な…、マントだったんだろ?」
「気にするな。それよりお前に頼みたいことがある。」
真剣な顔をするエレナ。
「私と……、戦ってほしい。もちろん一騎打ちだ。」
「どうして……、俺なんだ?」
「ロウガが強いから。それだけで十分だ…、今は、な。」
そろそろ夜は冷えるから持って行け、と彼女は自分のマントを俺に羽織らせた。マントの下の身体は鋼の西洋甲冑を纏っていた。よく鍛えられた身体は健康美を感じさせる。
「…私は町外れの廃墟になった教会にいる。そこでロウガを待っている。あまり待たせるなよ。もう…10年もあなたを待ち続けたのだから。」
彼女の伸ばした腕。不自然な傷痕が両腕に付いている。
「十年…!?それにその腕…!」
俺の言葉が終わる前に、まるで風のようにエレナは消えていた。
「エレナァァァ!!!」
『ギルドの依頼書の高額報酬ページを見ろ。そしてギルドのクエストを受けてくれ。そうすれば、あなたは罰せられない。』
風に紛れて、エレナが告げる。
俺は、息を切らせて宿に戻った。
――――――――――
受付には誰もいなかった。
こんな時に、ルゥは客の相手をしているのだろうか。ロビーにいても、店の女の子の艶声が響いてくる。もし、いつものような状態であれば、ルゥに一人用意してもらうところだが、今日はそれどころではない。
ルゥの私室に走る。
おそらく、ここにギルドの依頼書があるはずと踏んで勢いよく扉を開ける。
「らめぇ、お姉ちゃん!ぼく…、も…もう!」
「良いのよ、お姉ちゃんの中にいっぱい出しても良いよ。」
「あ、あーーーー!!!」
バタン
致してる最中でしたか。
まさか俺を諦めたと思ったら、あんな年端もいかない少年を手篭めにしていたとは…。後々問題にならないことを祈ろう。
とりあえず、ルゥの自室には入れないので自力で他を探すことにする。しかし、どこを探してもギルド依頼書の帳簿は見当たらない。
探さなければいけない。
俺には…、それが義務なのだと感じる。
「くそ…、どこに仕舞ったんだ!?」
「ギルドのクエスト依頼簿ですね、お探しのものは。」
いつの間にか、事を終えて心持ち紅潮したルゥが後ろに立っていた。傍にはさっきルゥの下で鳴いていた少年がすがり付いている。俺もあの誘惑に負けていたら、ああいう風になっていたのだろうか。
「ルゥ、悪いがあまり時間がない。依頼書の高額報酬のページを見せてくれ!」
「…そう、エレナに会ったんですね。」
「ああ、会った。お前の幼馴染だと言っていたが、あいつはどういうヤツなんだ。そもそも、どうして…あいつの腕に…、死んだはずのあの娘と同じ傷痕があるんだ!」
「……エレナは死んだって言いましたのね。ええ、そうですね。死んでいると言ってもよろしいかもしれませんね。いいでしょう、私の部屋にいらっしゃってください。全部、教えてあげましょう。そろそろ、時間切れのようですし。」
「ルゥ、お前はその微笑の裏でどこまでのことを知っているんだ。」
「あなたが知りたいと思うことすべて、と言えば気がお済みになりますか?それもあなたの中で半ば答えの出ている疑問の、あなたの回答も…。ひどく詰まらないことばかりですよ。」
再びルゥの部屋の中に入る。先程までの情事の残り香が鼻をくすぐる。
「はい、目的の依頼書です。どうぞ、お確かめください。」
それは昼間見た分厚い本ではなく、糸で括られた数枚の冊子だった。
「薄くなったな。」
「そろそろエレナとあなたが接触するだろうと思っていまして、あの子に関するページだけ抜き取っておいたのですよ。私なりにまとめたメモも挟んでいますので、それと照らし合わせれば、すべて理解出来ると思います。」
そういうとルゥは少年を連れて部屋を出ようとして、扉の前ですれ違い様に立ち止まる。
「…おそらく、読んでしまった後はあなたの予想通りですよ。それでも読んで、彼女の元に行く勇気はありますか?」
「心配してくれてありがとう。だが、俺は行かねばならない。きっと…、俺がこの町に辿り着いたのも、あの日のケリを付けろと何かが言っているんだと思う。俺はすべてを知った上でエレナの元へ行く。あの娘の鎖は俺が切らなければいけない。あの娘は…、まだあの日の鎖に苦しんでいる。」
「わかりました…。そこまで言われてしまいましたら、私から何も言うことは何もありません。ですが……。」
と無理矢理俺の顔を引き寄せると唇を重ねた。
「………ごめんなさいね。あの子からあなたの話だけは何度も聞いてましたけど、妬けますね、やっぱり。私たちはロビーで待っていますね。そろそろお店も閉店時間ですから、静かに読むことが出来ますよ。」
では、と二人は部屋から消える。
先程まで聞こえていた艶声も聞こえない。
ただ静寂の中で、ルゥが重ねた唇を指でなぞって、頭を掻き毟る。
不意打ちを喰らって、思考がうまくまとまらない。
印を組んで、九字を唱える。浮付いた気持ちを腹の底に沈めて、エレナの情報を得ようと冊子に目を落とした。
―――――――――
彼女に関する依頼は『討伐』という名目だった。
依頼主は教会となっている。
ルゥのメモによれば『反魔物派』という文字が付け加えられていた。エレナはリザードマンの習慣に従い、自分の伴侶となりえる強者を求めていた。だが半年前、その婿選びの6人目が情報収集の任務を帯びた教会騎士団員(日の本での僧兵のようなものだろうか)に重症を負わせてしまったために、多額の報奨金で命を狙われているという。そして、赤い筆で重症に修正が加えられている。『重症改め死亡』、近々騎士団が正式に報復活動に出ると予想されるらしい。俺がこの宿に泊まることになったのも、エレナに7人目に選ばれたからだそうだ。
教会関係者だとわかっても尚、手を出したのも、すべてはあの日、十年前に起こった事件に関係しているという。
当時、親魔物派勢力に押され気味だった反魔物勢力は、大規模な反抗戦に備えて中立地帯の村々を襲い、次々と拠点にしていったという。エレナが幼い頃過ごした村はちょうど、そんな中立地帯に存在しており、また魔物の村、裏切り者の村(人間がエリスの種族、リザードマンに婿入りしていたことに起因)ということで血祭りに挙げられた。ほとんどの村人が奇襲と騎馬隊による攻撃、重装歩兵の数による暴力の犠牲になったという。俺があの日通りかかったのは、その戦の後の駐留部隊が村に拠点を作り、生き残った村人に快楽目的の拷問や勝利者の特権の施行(虐殺及び陵辱)をしていた時であったようだ。
依頼書のこの項では、部隊は謎の全滅をしたとなっている。
俺が彼らを斬った。皆殺しだったため、リザードマンによる報復の可能性を依頼主側の文書は示している。
ページを捲ると、ルゥの手書きのページになっていた。
『ひどい重症を負ったエレナは、あなたに救助された後、魔界の治療施設に移されました。そこで高度な回復魔法治療が行われましたが、それを以ってしても身体の完治には5年の年月がかかりました。腕と脚には万力で砕かれた時の傷が残り、面白半分に剣で切り刻まれた傷は今も完全に消えず、右目は例え偶然あなたに会ってもわからないように、魔力で起動する義眼なのです。
すべてはあなたのため。
あの日のあなたの背中が、エレナの左目に焼き付いてはなれないのです。
だから、あの子は今日まで死ぬことが出来ませんでした。リザードマンとしての誇りを幼い頃に奪われ、拷問と陵辱の果てに子供は産めないだろうと言われた身体でも、エレナは戦い続けました。【せめて、あの背中に笑われないくらいの強さを持って死にたい。】いつか酔い潰れた時に洩らしました。あの子は死に場所を求めているのです。リザードマンとして、自分より強い者を求めたのではなく、本当は自分の伴侶ではなく、死神を探していたのです。
今、かつてあの子の暮らした村の跡に、あの日死んだ村人の数だけの墓石が並んでいます。そこにはあの子の、自分の墓があるのです。5年前、身体の傷が癒えて、修行に出る時に、自分の髪を切り、埋葬しました。
今のエレナは亡霊です。あの日死んだはずの自分の夢を見続ける亡霊なのです。身体の傷を癒せても、私たちには心を救うことが出来ませんでした。
だから、半年前の事件も私には彼女を責めることが出来ませんでした。彼女はあの日の、親しい人たちの、愛した人々の、そして自分自身の復讐を果たしただけなのです。
お願いします。
エレナを、救ってください。』
次のページを捲る。
今度は本来の依頼書の内容に戻っていた。
これまでのクエストにおける状況で68度の申し込みに、誰一人として無事に戻ったものはいなかった。重傷者(四肢切断や骨折など)42名、生死不明が3名、死者23名はいずれも教会関係者。履歴を見るだけで、エレナの戦い振りが目に浮かぶ。おそらく、修羅の如く弾けたであろう。悪鬼の如く疾ったのだろう。
彼女は、あの日の俺なのだ。
ただ敵を斬ることに抵抗のない、あの日の悪鬼を目に焼き付けてしまったのだ。すべては俺の責任だ。俺が彼女を作り上げたと言ってもいい。
依頼書の最後には『尚、当ギルド認可のクエストを受注した者は、その結果如何なる事態になろうと、その罪を問われることはない。』と記されていた。エレナが言った『罰せられない』とはこのことだったのか…。
如何なる結果、つまり彼女の望みは、俺に……。
――――――――――
「決意が、付きまして?」
ロビーではルゥが待っていた。彼女の膝の上で少年は良い夢を見ているようだ。何も言わず、俺はクエスト受注希望の用紙を彼女に手渡す。口を開くには、あまりに重く、痛い。
「…わかりました。細かい手続きは私の方でしておきます。」
「頼む。」
「……ロウガ様、一つだけお聞きしてよろしいかしら?」
無言で頷く。
「もし、あなたがエレナに勝って、エレナをあなたの妻に迎えることが出来たなら…、それは同情からですか?」
「…愛という感情で応えるなら、その結末は限りなく彼女にとって無礼であるだろう。だが、彼女がそれを望んでくれるのなら、共に生きることは出来る。彼女とまだ話したいことがある。お互い時間が足りない。彼女は十年も俺を待ち続けていたのだから。」
「あの子はしつこい子ですから。気の長い話ですね。」
「……そうだな。朝食は四人分頼む。俺とエレナとあんたと…、その少年にも食わせなきゃいけないだろう。」
「はい、腕によりをかけてご準備しております。ロウガ様、どうか良い結果を心よりお待ち申し上げます。私には何も出来ませんでしたから…。エレナを…、よろしくお願いします。」
「…承知。日の本浪人、沢木狼牙。出陣致す。」
俺は太刀を腰に佩き、エレナのマントを纏い、エレナの待つ教会へと駆け出す。複雑に絡み合った未来の一つを掴み取るために。
願わくば、その未来は彼女にとって幸福に満ちていてほしい。
エレナの胸の中で泣き続けて、しばらく時間が経った。暖かい日差しはもうなく、夜の冷たい風が吹いている。
「あ、ああ、すまない…。」
「…ふふっ、涙と鼻水は拭いておけ。せっかくの男前が台無しだぞ。」
「…世辞は、いい。」
袖から懐紙を出して、盛大に鼻をかむ。周りからクスクスと笑われているが、気にしないで鼻をかみ続ける。
見れば、エレナのマントが鼻水と涙で大きく濡れていた。
「すまん。大事な…、マントだったんだろ?」
「気にするな。それよりお前に頼みたいことがある。」
真剣な顔をするエレナ。
「私と……、戦ってほしい。もちろん一騎打ちだ。」
「どうして……、俺なんだ?」
「ロウガが強いから。それだけで十分だ…、今は、な。」
そろそろ夜は冷えるから持って行け、と彼女は自分のマントを俺に羽織らせた。マントの下の身体は鋼の西洋甲冑を纏っていた。よく鍛えられた身体は健康美を感じさせる。
「…私は町外れの廃墟になった教会にいる。そこでロウガを待っている。あまり待たせるなよ。もう…10年もあなたを待ち続けたのだから。」
彼女の伸ばした腕。不自然な傷痕が両腕に付いている。
「十年…!?それにその腕…!」
俺の言葉が終わる前に、まるで風のようにエレナは消えていた。
「エレナァァァ!!!」
『ギルドの依頼書の高額報酬ページを見ろ。そしてギルドのクエストを受けてくれ。そうすれば、あなたは罰せられない。』
風に紛れて、エレナが告げる。
俺は、息を切らせて宿に戻った。
――――――――――
受付には誰もいなかった。
こんな時に、ルゥは客の相手をしているのだろうか。ロビーにいても、店の女の子の艶声が響いてくる。もし、いつものような状態であれば、ルゥに一人用意してもらうところだが、今日はそれどころではない。
ルゥの私室に走る。
おそらく、ここにギルドの依頼書があるはずと踏んで勢いよく扉を開ける。
「らめぇ、お姉ちゃん!ぼく…、も…もう!」
「良いのよ、お姉ちゃんの中にいっぱい出しても良いよ。」
「あ、あーーーー!!!」
バタン
致してる最中でしたか。
まさか俺を諦めたと思ったら、あんな年端もいかない少年を手篭めにしていたとは…。後々問題にならないことを祈ろう。
とりあえず、ルゥの自室には入れないので自力で他を探すことにする。しかし、どこを探してもギルド依頼書の帳簿は見当たらない。
探さなければいけない。
俺には…、それが義務なのだと感じる。
「くそ…、どこに仕舞ったんだ!?」
「ギルドのクエスト依頼簿ですね、お探しのものは。」
いつの間にか、事を終えて心持ち紅潮したルゥが後ろに立っていた。傍にはさっきルゥの下で鳴いていた少年がすがり付いている。俺もあの誘惑に負けていたら、ああいう風になっていたのだろうか。
「ルゥ、悪いがあまり時間がない。依頼書の高額報酬のページを見せてくれ!」
「…そう、エレナに会ったんですね。」
「ああ、会った。お前の幼馴染だと言っていたが、あいつはどういうヤツなんだ。そもそも、どうして…あいつの腕に…、死んだはずのあの娘と同じ傷痕があるんだ!」
「……エレナは死んだって言いましたのね。ええ、そうですね。死んでいると言ってもよろしいかもしれませんね。いいでしょう、私の部屋にいらっしゃってください。全部、教えてあげましょう。そろそろ、時間切れのようですし。」
「ルゥ、お前はその微笑の裏でどこまでのことを知っているんだ。」
「あなたが知りたいと思うことすべて、と言えば気がお済みになりますか?それもあなたの中で半ば答えの出ている疑問の、あなたの回答も…。ひどく詰まらないことばかりですよ。」
再びルゥの部屋の中に入る。先程までの情事の残り香が鼻をくすぐる。
「はい、目的の依頼書です。どうぞ、お確かめください。」
それは昼間見た分厚い本ではなく、糸で括られた数枚の冊子だった。
「薄くなったな。」
「そろそろエレナとあなたが接触するだろうと思っていまして、あの子に関するページだけ抜き取っておいたのですよ。私なりにまとめたメモも挟んでいますので、それと照らし合わせれば、すべて理解出来ると思います。」
そういうとルゥは少年を連れて部屋を出ようとして、扉の前ですれ違い様に立ち止まる。
「…おそらく、読んでしまった後はあなたの予想通りですよ。それでも読んで、彼女の元に行く勇気はありますか?」
「心配してくれてありがとう。だが、俺は行かねばならない。きっと…、俺がこの町に辿り着いたのも、あの日のケリを付けろと何かが言っているんだと思う。俺はすべてを知った上でエレナの元へ行く。あの娘の鎖は俺が切らなければいけない。あの娘は…、まだあの日の鎖に苦しんでいる。」
「わかりました…。そこまで言われてしまいましたら、私から何も言うことは何もありません。ですが……。」
と無理矢理俺の顔を引き寄せると唇を重ねた。
「………ごめんなさいね。あの子からあなたの話だけは何度も聞いてましたけど、妬けますね、やっぱり。私たちはロビーで待っていますね。そろそろお店も閉店時間ですから、静かに読むことが出来ますよ。」
では、と二人は部屋から消える。
先程まで聞こえていた艶声も聞こえない。
ただ静寂の中で、ルゥが重ねた唇を指でなぞって、頭を掻き毟る。
不意打ちを喰らって、思考がうまくまとまらない。
印を組んで、九字を唱える。浮付いた気持ちを腹の底に沈めて、エレナの情報を得ようと冊子に目を落とした。
―――――――――
彼女に関する依頼は『討伐』という名目だった。
依頼主は教会となっている。
ルゥのメモによれば『反魔物派』という文字が付け加えられていた。エレナはリザードマンの習慣に従い、自分の伴侶となりえる強者を求めていた。だが半年前、その婿選びの6人目が情報収集の任務を帯びた教会騎士団員(日の本での僧兵のようなものだろうか)に重症を負わせてしまったために、多額の報奨金で命を狙われているという。そして、赤い筆で重症に修正が加えられている。『重症改め死亡』、近々騎士団が正式に報復活動に出ると予想されるらしい。俺がこの宿に泊まることになったのも、エレナに7人目に選ばれたからだそうだ。
教会関係者だとわかっても尚、手を出したのも、すべてはあの日、十年前に起こった事件に関係しているという。
当時、親魔物派勢力に押され気味だった反魔物勢力は、大規模な反抗戦に備えて中立地帯の村々を襲い、次々と拠点にしていったという。エレナが幼い頃過ごした村はちょうど、そんな中立地帯に存在しており、また魔物の村、裏切り者の村(人間がエリスの種族、リザードマンに婿入りしていたことに起因)ということで血祭りに挙げられた。ほとんどの村人が奇襲と騎馬隊による攻撃、重装歩兵の数による暴力の犠牲になったという。俺があの日通りかかったのは、その戦の後の駐留部隊が村に拠点を作り、生き残った村人に快楽目的の拷問や勝利者の特権の施行(虐殺及び陵辱)をしていた時であったようだ。
依頼書のこの項では、部隊は謎の全滅をしたとなっている。
俺が彼らを斬った。皆殺しだったため、リザードマンによる報復の可能性を依頼主側の文書は示している。
ページを捲ると、ルゥの手書きのページになっていた。
『ひどい重症を負ったエレナは、あなたに救助された後、魔界の治療施設に移されました。そこで高度な回復魔法治療が行われましたが、それを以ってしても身体の完治には5年の年月がかかりました。腕と脚には万力で砕かれた時の傷が残り、面白半分に剣で切り刻まれた傷は今も完全に消えず、右目は例え偶然あなたに会ってもわからないように、魔力で起動する義眼なのです。
すべてはあなたのため。
あの日のあなたの背中が、エレナの左目に焼き付いてはなれないのです。
だから、あの子は今日まで死ぬことが出来ませんでした。リザードマンとしての誇りを幼い頃に奪われ、拷問と陵辱の果てに子供は産めないだろうと言われた身体でも、エレナは戦い続けました。【せめて、あの背中に笑われないくらいの強さを持って死にたい。】いつか酔い潰れた時に洩らしました。あの子は死に場所を求めているのです。リザードマンとして、自分より強い者を求めたのではなく、本当は自分の伴侶ではなく、死神を探していたのです。
今、かつてあの子の暮らした村の跡に、あの日死んだ村人の数だけの墓石が並んでいます。そこにはあの子の、自分の墓があるのです。5年前、身体の傷が癒えて、修行に出る時に、自分の髪を切り、埋葬しました。
今のエレナは亡霊です。あの日死んだはずの自分の夢を見続ける亡霊なのです。身体の傷を癒せても、私たちには心を救うことが出来ませんでした。
だから、半年前の事件も私には彼女を責めることが出来ませんでした。彼女はあの日の、親しい人たちの、愛した人々の、そして自分自身の復讐を果たしただけなのです。
お願いします。
エレナを、救ってください。』
次のページを捲る。
今度は本来の依頼書の内容に戻っていた。
これまでのクエストにおける状況で68度の申し込みに、誰一人として無事に戻ったものはいなかった。重傷者(四肢切断や骨折など)42名、生死不明が3名、死者23名はいずれも教会関係者。履歴を見るだけで、エレナの戦い振りが目に浮かぶ。おそらく、修羅の如く弾けたであろう。悪鬼の如く疾ったのだろう。
彼女は、あの日の俺なのだ。
ただ敵を斬ることに抵抗のない、あの日の悪鬼を目に焼き付けてしまったのだ。すべては俺の責任だ。俺が彼女を作り上げたと言ってもいい。
依頼書の最後には『尚、当ギルド認可のクエストを受注した者は、その結果如何なる事態になろうと、その罪を問われることはない。』と記されていた。エレナが言った『罰せられない』とはこのことだったのか…。
如何なる結果、つまり彼女の望みは、俺に……。
――――――――――
「決意が、付きまして?」
ロビーではルゥが待っていた。彼女の膝の上で少年は良い夢を見ているようだ。何も言わず、俺はクエスト受注希望の用紙を彼女に手渡す。口を開くには、あまりに重く、痛い。
「…わかりました。細かい手続きは私の方でしておきます。」
「頼む。」
「……ロウガ様、一つだけお聞きしてよろしいかしら?」
無言で頷く。
「もし、あなたがエレナに勝って、エレナをあなたの妻に迎えることが出来たなら…、それは同情からですか?」
「…愛という感情で応えるなら、その結末は限りなく彼女にとって無礼であるだろう。だが、彼女がそれを望んでくれるのなら、共に生きることは出来る。彼女とまだ話したいことがある。お互い時間が足りない。彼女は十年も俺を待ち続けていたのだから。」
「あの子はしつこい子ですから。気の長い話ですね。」
「……そうだな。朝食は四人分頼む。俺とエレナとあんたと…、その少年にも食わせなきゃいけないだろう。」
「はい、腕によりをかけてご準備しております。ロウガ様、どうか良い結果を心よりお待ち申し上げます。私には何も出来ませんでしたから…。エレナを…、よろしくお願いします。」
「…承知。日の本浪人、沢木狼牙。出陣致す。」
俺は太刀を腰に佩き、エレナのマントを纏い、エレナの待つ教会へと駆け出す。複雑に絡み合った未来の一つを掴み取るために。
願わくば、その未来は彼女にとって幸福に満ちていてほしい。
10/10/07 01:03更新 / 宿利京祐
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