第十二話・アンファンスB青い果実
おかしい…!
僕は強くなったはずなのに…!
何で、こんなロートルに歯が立たない!
「ゴアァァァァァァ!!!!」
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!
マイアにも通じたんだ!
何で、武器も持たないジジイに、一方的に殴られなきゃいけないんだ!
サイガにも通じたんだ!
何で…、何でお前みたいなロートルが邪魔をするんだよ!
「餓鬼が…。」
「ヒッ!?」
顔面に大きな石みたいな拳が入る。
奇妙な浮遊感。
そして、直後に無防備になった顔面に踵が振ってきて、顔面を潰される。
そのまま地面に衝突して、後頭部から叩き付けられた。
意識が遠退いていく。
僕はただサイガに憧れただけなのに…。
僕はただマイアさんの傍にいたかっただけなのに…。
僕は………、本当に……こんなことが……したかったの…かな?
「…ふむ、まだ加減がわからん。」
自分の力じゃない何かが右腕を動かしているのがわかる。
なかなか良い物だが、制御出来ないのでは意味がない。
「マイア!!」
アスティアもアヌビスも追い付いたか。
これで前に出て戦えるというものだな。
「アスティア、マイアを頼むぞ。俺はこれから、お仕置きタイムだ。」
「え…?ロウガ…、身体は…?」
「問題ない。それどころか少し魔力というものを解放しただけですこぶる調子が良い。ほれ、この通り。」
右腕を動かす。
おや、大分言うことを聞いてくれるようになってきたな。
さてはこの力…、女に極端に弱いな?
…男としては実に共感出来ることだが。
「ロウガさん、気を付けて!その子の傷が…!」
傷口が恐ろしい程早く塞がれていく。
まったく便利な力だな。
少年はクレイモアを持ったまま後方へ飛び退いた。
「わかってるよ、アヌビス。一筋縄じゃあ、いかないらしい。」
『…トドメヲ刺サナカッタノハ失敗ダッタナ。』
声が変わった。
なるほど、少年の意識がなくなった途端、妖気の主が顔を出した訳か。
『ダガ、コレマデノ攻撃デワカッタ。貴様ノチカラデハ我ヲ倒スコトアタワズ。』
「…やだねぇ、身体を持ってないヤツは。わからないか?俺はずっと手加減してんの。どれだけの血を吸ったかは俺の知ったこっちゃないが、これが俺の本気と思ったか?だったらテメエは大したことはないな。その程度だから年端もいかない餓鬼しか操れないし、不意打ちでしか相手を斬れない。しかも今回は不意打ちにも関わらず仕留め切れず二人とも生きている。その未熟な餓鬼ですら完全に操りきれていない貴様が、その程度の妖気で一端の妖刀面するとは実に嘆かわしい。」
『我ヲ侮辱スルカ!』
「侮辱に聞こえたか?それなら謝るよ。これは正真正銘侮辱だ。ハッキリと侮辱に聞こえなかったことは謝罪しよう。わかったか、鉄くず野郎。」
『貴様ァァァァァァ!!!』
おやおや、やっぱり脳みそないと獣以下だな。
簡単な挑発で、ここまで乗ってくれるとは実にやりやすい。
少年の身体が目で捉えられない速度で木々の間を縦横無尽に動き回る。
なるほどね。
速度で撹乱して…か。
『殺った!』
「悪くないが、せめて気配を消せ。」
真上から大剣の切っ先が振ってくるが圧倒的な殺意が、自分で自分の居場所を教えてくれる。
難なく避けると、逆手で剣を突き刺そうと振ってきた少年の身体が目の前の高さにある。
『バ、馬鹿ナ!?』
「馬鹿はテメエだ。娘とその餓鬼のやられた分、利子付けてキッチリ返してやらぁ!」
手加減抜きで左の掌底を刀身に叩き付ける。
鈍い音と共に刀身に亀裂が走る。
『ギャァァァァァァァ!!!!』
悲鳴を上げながら少年の身体が後方へ弾け飛ぶ。
「…歳は取りたくないねぇ。若い時ならこれで太刀を圧し折ったものだが…、なかなかうまくいかないもんだな。」
妖刀の力なのか、はたまた元の材質の問題か、実に頑丈な剣だ。
「ならば…、これでどうだ!」
左足を軸に、大きく踏み込み、後方に下がられた距離を零にする。
『早イ!?人間ノクセニ!!』
「あったりめぇよ。これでメシ喰ってるようなもんだからな!」
右腕にさらに魔力が加わる。
全身の関節を加速して作り出す衝撃を、右腕がさらに魔力で加速、強化する。
身体がかつてない程、滑らかに動く。
どうなることかと思ったが、実に素晴らしい右腕だ!
「気合を入れろ、右腕!せっかく美女が3人も見学してくれてるんだ。初陣でカッコ良いとこ見せて、男を挙げろぉぉぉ!!」
右腕に津波のような魔力が押し寄せる。
…なんか、こいつの扱い方が見えてきたような気がする。
『何ダ、コノ黒キチカラハ!?』
「テメエが言うな!!」
加速する右掌底が、亀裂の入った刀身を砕き、少年の腹に突き刺さる。
内臓が暴れ、背骨が悲鳴を上げる。
そして右腕から放たれた魔力が、少年の身体を操る邪気を砕く。
俺は刀身から、少年の身体の中から邪気が消えたのを確認して、腕を引き抜く。
「…怨霊払い致し候。」
少年の身体は糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
地面に激突しないように、俺はそっと抱きかかえた。
―――――――――
子供の時以来だった。
父の背中に背負われて私たちは学園の医務室に向かう。
アヌビス教頭先生は校医を呼びに先に行ってしまった。
切り傷には良いんだろうけど…、私はあの治療が苦手だ。
クイーンスライムのマロウ先生のスライム治療…。
想像したら、思わず身震いしてしまった。
「どうした、寒いか?」
「いや、寒くないよ。でも父上、背中が血で汚れちゃうよ。」
父は何を今更、と笑う。
まだまだ父には敵わないなぁ、と思う。
「マイア…、お前はあの時、負けたと思ったかい?」
気絶しているサクラを背負った母が訊ねてきた。
「…強がりだったけど、…怖かったけど、負けたと思ってなかったよ。」
「そうか、それでいい。」
母は少しホッとしたように顔を緩め、父の背中の私の頭を撫でた。
「私たちは競技者じゃない。競技者は勝負の内容で決着するが、私たちはあくまで兵法者だよ。負ける時は例え命を絶たれようと、心が折れた時だけだ。」
「そういうことだ。娘よ、今日の収穫はそれを学んだだけでも大収穫だな。」
…高戦闘力を持つ両親を持つと娘が苦労するなぁ。
「でも、サクラは大丈夫かな…?父上の必殺技を喰らったし…。」
「ああ、心配ない。もう妖気は感じないし、こいつも目を覚ませば元に戻るだろうよ。」
「いや、そういうことじゃなくって…って父上!今まですごくナチュラルで忘れかけてたけど、右腕、動くの!?」
「ん?ああ、これか…。後で落ち着いたら教えてやるよ。」
あまり良いことじゃないから期待するな、と父は言う。
「ねえ、父上。さっきのサクラは本当にサクラだったのかな…?」
普段の気弱なサクラと結び付かないサクラ。
あまりに残虐で、欲望的で、否定したくなる。
「…何だ、マイア。お前、その餓鬼が好きなのか?」
「何で、いきなりそんな話になるの!私はただ…、クラスメイトがこんなことになったし、どんな形でも友達だし…、そりゃ、ちょっとは可愛いかなとは思ったりはするけど、別にそんなんじゃ…。」
「あー、はいはい。わかったわかった。その少年な、サクラだっけ?父としてはなかなか見所があると思ってるぞ。」
「え?」
「お前に聞いた限りだと、あの妖気に飲み込まれていながら、お前に勝負を挑んできたんだろ?手っ取り早く背後から襲うなり、周囲を巻き込んだ攻撃を仕掛ければ簡単に殺れたものをやらなかったのは、たぶん、必死に助けを求めてたんじゃないかな。そんで、お前の脇腹も本当は首を斬れたんだと思うが、必死に抵抗して急所を外してきたんじゃないかと思うぞ。真実はその餓鬼の中の思いが歪んだ形で表に出されただけじゃないかな。もっとも今のままじゃ、弱くて話にもならんが、鍛え甲斐のある餓鬼だと思っているぞ。」
意外な父の高評価。
母上はクスクスと笑っている。
「ロウガ、まるで体験済みみたいな物言いだな。」
「そりゃあな。お前みたいな天邪鬼は二度とごめんだと思っていたがな。」
事情がよくわからないが、父と母の馴れ初めらしい。
「父上、母上!そういえば一度も二人の馴れ初めを教えてもらってない!」
「何を言う。昔、教えただろう。道を歩いていたらアスティアがハンカチを落としたのでな、『おぜうさん、ハンケチが落ちましたよ』と父が言うと『嗚呼、どうもありがたふござひます。素敵なお方…。』となってな。」
「わかりやすい嘘を教えるな、と言っているんだよ!」
「…アスティア、娘が反抗期だよ。」
相変わらず、教えてくれない両親。
いつか傷が治ったら、真っ先に父か母を倒して、二人の馴れ初めをを絶対教えてもらおう、と私は密かに心に決めていた。
――――――――――
怖い夢を見た。
ぼんやりと親友のサイガを刺した夢。
暖かい血に塗れて、歪んだ笑顔の僕。
こんな夢、見たくない。
あの人に助けてほしくて…
マイアさんに助けてほしくて…
彼女を刺してしまった夢。
そこから先がまったく思い出せない。
気が付くとベッドの上に寝ていた。
身体中が痛い。
「…驚いた。もう目が覚めたのかい?」
マイアさんによく似た綺麗な人。
あ、アスティア先生じゃないか。
「え、あ、あの、おはようございま…ってアレ?今、夜ですか?うわわわ、どうしよう寝坊どころの話じゃないよ…!」
「落ち着け、サクラ君。今まで何をしていたか…、思い出せるか?」
一先ず元に戻ったようだな、とアスティア先生は息をつく。
「今まで…ですか?」
「ああ、非常に重要なことだ。」
…夢の内容が頭をよぎる。
いや、あれは夢だ。
「…さて、どこから話そうか。」
アスティア先生はこれまでのことを話してくれた。
僕が魔剣の呪いにかかっていたこと。
親友が僕に刺されたこと。
僕が…、僕の希望を壊そうとしたこと。
「…ということが起こったんだ。覚えがあるかな?」
「……夢、じゃなかったんですね。」
「虚ろなままの記憶はあるみたいだな。」
血の気が引いた。
自分が起こしたことに深い絶望を感じた。
まるで僕の周りだけ、温度がなくなってしまったように…。
「母上…、サクラが目を覚ましたの?」
ベッドの周りのカーテンを開け、マイアさんが顔を覗かせる。
「ああ、さっきね。驚くべき回復力だよ。後は頼めるかな?私はそろそろロウガが帰ってくる頃だから、校門のところで待っているよ。」
アスティア先生は、そのままカーテンの向こうへ消えていった。
残されたのは僕とマイアさんの二人。
気まずい空気が流れた。
「…母上から話は聞いた?」
「……うん。」
「…そう。」
マイアさんが近付く。
僕は殴られると思って、思わず目を瞑り、歯を食い縛って下を向く。
でも、痛みは来なかった。
マイアさんは僕をやさしく抱きしめてくれていた。
「…ごめんな。私が君を追い詰めたようなものだな。上を向いて歩けと言い聞かせた言葉が君を縛り付けて、追い詰めた。すまない。」
「…ごめんなさい。」
やさしくされると思っていなかった。
拒絶されると思っていた。
「サクラが謝る必要はない。私の言葉が君を追い詰めただけ…。」
「…マイアさん、嫌われるついでで…、言っても良いですか?」
もちろんだ、とやさしく撫でてくれる。
「僕は…、強くなりたかった。サイガみたいに頼れる男になりたかった。あなたみたいに真っ直ぐに上を向いて歩きたかった。でも、理想の僕とは反対に現実の僕は、陰気で下を向いて、サイガのような暖かさも、あなたのような輝きもまともに見ることが…、怖かった。」
何も言わずにマイアさんは黙って耳を傾けてくれている。
「力が欲しかった。力さえあれば、サイガとも肩を並べられる。力さえあれば、あなたに堂々と…、決闘を申し込める。あなたの求婚話を聞くたびに心が、痛かった…。力さえあれば、僕があなたに…。」
「そうか…、その想いを…利用されたのだな。」
「僕は…、あなたが好きです。ずっと…、初めてあの言葉をくれた日から、今でも好きです。だから…、力さえ手に入れられたら、僕は…。僕は…!」
止められない涙がボタボタと落ちる。
言葉にならなかった想いを吐き出し続ける。
「サクラ。」
あの日、真っ直ぐに僕に目線を合わせてくれたようにマイアさんが、額がくっつくほどの距離で真っ直ぐに僕の目を見る。
「…強さを求めて焦る気持ちはわかる。私にも経験がある。でも、自分を責めるな。間違った道を行ったのなら、誰かに殴ってもらって気付けば良い。そこから何度でもやり直せば良いんだ。」
「やり直せないよ…。僕は…、自分の親友を…、あなたを…!」
「それでもだ。命は助かったんだ。事情を知れば、サイガも笑って、君を思いっ切り殴って、それで終わりだ。それとも君は、そんなサイガも信じられないのか?」
彼女の腕の中で首を横に振る。
「そうだろう。だから、この話はここで終わりだよ。私は君に怨みも憎しみもない。ただ…、可愛い弟分の心が傷付いた。それだけだよ。」
「うう…、弟分ですか?」
「ああ、弟分だ。今は、な。」
だからゆっくりと強くなれ、マイアさんはやさしく頭を撫でる。
そのやさしさが痛くて…、申し訳なくて、嬉しくて声を上げて泣いた。
「我が娘ながら、名裁きじゃないか?」
「ああ、問題は…刺されたサイガ少年の方だな。」
「大丈夫だろう、あの様子なら丸く収まるさ。」
医務室の扉の前、私とロウガは二人の会話を盗み聞きする。
「しかし…、マイアもありゃマンザラじゃないな。しっかりあの餓鬼に心を許してやがる。」
「ふふ…、悔しいかい?お父さん。」
「…あんなに弱くなけりゃ、な。俺自ら鍛えてやるか。」
「…手加減はしろよ。」
魔力で動いた右腕は、今は沈黙している。
どうやら戦闘の時以外は動いてくれないらしい。
「ありがとう、ロウガ。本当なら私が戦わなきゃいけなかったのに…。」
「…お前が戦うのは不味いからな。どこで教会関係者が見ているかわからない。やつらに知れたら…、事だしな。」
「すまない。」
「気にするな。」
軽いキスをする。
ロウガの魔力汚染、自分のこれからのこと。
色々不安になって、私はロウガに寄りかかる。
「そういえば用事って何だったんだい?」
「…うちの生徒にあんな物売り付けた露店商を締めてきた。二度とこの町で商売しないようにきつく言い聞かせてきた。」
「それは生きているのかい!?」
つかの間のやすらぎ。
あの二人なら大丈夫だろう。
…もう少し強くなってくれないと、母としても祝福してあげられないぞ。
頑張れよ、少年。
僕は強くなったはずなのに…!
何で、こんなロートルに歯が立たない!
「ゴアァァァァァァ!!!!」
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!
マイアにも通じたんだ!
何で、武器も持たないジジイに、一方的に殴られなきゃいけないんだ!
サイガにも通じたんだ!
何で…、何でお前みたいなロートルが邪魔をするんだよ!
「餓鬼が…。」
「ヒッ!?」
顔面に大きな石みたいな拳が入る。
奇妙な浮遊感。
そして、直後に無防備になった顔面に踵が振ってきて、顔面を潰される。
そのまま地面に衝突して、後頭部から叩き付けられた。
意識が遠退いていく。
僕はただサイガに憧れただけなのに…。
僕はただマイアさんの傍にいたかっただけなのに…。
僕は………、本当に……こんなことが……したかったの…かな?
「…ふむ、まだ加減がわからん。」
自分の力じゃない何かが右腕を動かしているのがわかる。
なかなか良い物だが、制御出来ないのでは意味がない。
「マイア!!」
アスティアもアヌビスも追い付いたか。
これで前に出て戦えるというものだな。
「アスティア、マイアを頼むぞ。俺はこれから、お仕置きタイムだ。」
「え…?ロウガ…、身体は…?」
「問題ない。それどころか少し魔力というものを解放しただけですこぶる調子が良い。ほれ、この通り。」
右腕を動かす。
おや、大分言うことを聞いてくれるようになってきたな。
さてはこの力…、女に極端に弱いな?
…男としては実に共感出来ることだが。
「ロウガさん、気を付けて!その子の傷が…!」
傷口が恐ろしい程早く塞がれていく。
まったく便利な力だな。
少年はクレイモアを持ったまま後方へ飛び退いた。
「わかってるよ、アヌビス。一筋縄じゃあ、いかないらしい。」
『…トドメヲ刺サナカッタノハ失敗ダッタナ。』
声が変わった。
なるほど、少年の意識がなくなった途端、妖気の主が顔を出した訳か。
『ダガ、コレマデノ攻撃デワカッタ。貴様ノチカラデハ我ヲ倒スコトアタワズ。』
「…やだねぇ、身体を持ってないヤツは。わからないか?俺はずっと手加減してんの。どれだけの血を吸ったかは俺の知ったこっちゃないが、これが俺の本気と思ったか?だったらテメエは大したことはないな。その程度だから年端もいかない餓鬼しか操れないし、不意打ちでしか相手を斬れない。しかも今回は不意打ちにも関わらず仕留め切れず二人とも生きている。その未熟な餓鬼ですら完全に操りきれていない貴様が、その程度の妖気で一端の妖刀面するとは実に嘆かわしい。」
『我ヲ侮辱スルカ!』
「侮辱に聞こえたか?それなら謝るよ。これは正真正銘侮辱だ。ハッキリと侮辱に聞こえなかったことは謝罪しよう。わかったか、鉄くず野郎。」
『貴様ァァァァァァ!!!』
おやおや、やっぱり脳みそないと獣以下だな。
簡単な挑発で、ここまで乗ってくれるとは実にやりやすい。
少年の身体が目で捉えられない速度で木々の間を縦横無尽に動き回る。
なるほどね。
速度で撹乱して…か。
『殺った!』
「悪くないが、せめて気配を消せ。」
真上から大剣の切っ先が振ってくるが圧倒的な殺意が、自分で自分の居場所を教えてくれる。
難なく避けると、逆手で剣を突き刺そうと振ってきた少年の身体が目の前の高さにある。
『バ、馬鹿ナ!?』
「馬鹿はテメエだ。娘とその餓鬼のやられた分、利子付けてキッチリ返してやらぁ!」
手加減抜きで左の掌底を刀身に叩き付ける。
鈍い音と共に刀身に亀裂が走る。
『ギャァァァァァァァ!!!!』
悲鳴を上げながら少年の身体が後方へ弾け飛ぶ。
「…歳は取りたくないねぇ。若い時ならこれで太刀を圧し折ったものだが…、なかなかうまくいかないもんだな。」
妖刀の力なのか、はたまた元の材質の問題か、実に頑丈な剣だ。
「ならば…、これでどうだ!」
左足を軸に、大きく踏み込み、後方に下がられた距離を零にする。
『早イ!?人間ノクセニ!!』
「あったりめぇよ。これでメシ喰ってるようなもんだからな!」
右腕にさらに魔力が加わる。
全身の関節を加速して作り出す衝撃を、右腕がさらに魔力で加速、強化する。
身体がかつてない程、滑らかに動く。
どうなることかと思ったが、実に素晴らしい右腕だ!
「気合を入れろ、右腕!せっかく美女が3人も見学してくれてるんだ。初陣でカッコ良いとこ見せて、男を挙げろぉぉぉ!!」
右腕に津波のような魔力が押し寄せる。
…なんか、こいつの扱い方が見えてきたような気がする。
『何ダ、コノ黒キチカラハ!?』
「テメエが言うな!!」
加速する右掌底が、亀裂の入った刀身を砕き、少年の腹に突き刺さる。
内臓が暴れ、背骨が悲鳴を上げる。
そして右腕から放たれた魔力が、少年の身体を操る邪気を砕く。
俺は刀身から、少年の身体の中から邪気が消えたのを確認して、腕を引き抜く。
「…怨霊払い致し候。」
少年の身体は糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
地面に激突しないように、俺はそっと抱きかかえた。
―――――――――
子供の時以来だった。
父の背中に背負われて私たちは学園の医務室に向かう。
アヌビス教頭先生は校医を呼びに先に行ってしまった。
切り傷には良いんだろうけど…、私はあの治療が苦手だ。
クイーンスライムのマロウ先生のスライム治療…。
想像したら、思わず身震いしてしまった。
「どうした、寒いか?」
「いや、寒くないよ。でも父上、背中が血で汚れちゃうよ。」
父は何を今更、と笑う。
まだまだ父には敵わないなぁ、と思う。
「マイア…、お前はあの時、負けたと思ったかい?」
気絶しているサクラを背負った母が訊ねてきた。
「…強がりだったけど、…怖かったけど、負けたと思ってなかったよ。」
「そうか、それでいい。」
母は少しホッとしたように顔を緩め、父の背中の私の頭を撫でた。
「私たちは競技者じゃない。競技者は勝負の内容で決着するが、私たちはあくまで兵法者だよ。負ける時は例え命を絶たれようと、心が折れた時だけだ。」
「そういうことだ。娘よ、今日の収穫はそれを学んだだけでも大収穫だな。」
…高戦闘力を持つ両親を持つと娘が苦労するなぁ。
「でも、サクラは大丈夫かな…?父上の必殺技を喰らったし…。」
「ああ、心配ない。もう妖気は感じないし、こいつも目を覚ませば元に戻るだろうよ。」
「いや、そういうことじゃなくって…って父上!今まですごくナチュラルで忘れかけてたけど、右腕、動くの!?」
「ん?ああ、これか…。後で落ち着いたら教えてやるよ。」
あまり良いことじゃないから期待するな、と父は言う。
「ねえ、父上。さっきのサクラは本当にサクラだったのかな…?」
普段の気弱なサクラと結び付かないサクラ。
あまりに残虐で、欲望的で、否定したくなる。
「…何だ、マイア。お前、その餓鬼が好きなのか?」
「何で、いきなりそんな話になるの!私はただ…、クラスメイトがこんなことになったし、どんな形でも友達だし…、そりゃ、ちょっとは可愛いかなとは思ったりはするけど、別にそんなんじゃ…。」
「あー、はいはい。わかったわかった。その少年な、サクラだっけ?父としてはなかなか見所があると思ってるぞ。」
「え?」
「お前に聞いた限りだと、あの妖気に飲み込まれていながら、お前に勝負を挑んできたんだろ?手っ取り早く背後から襲うなり、周囲を巻き込んだ攻撃を仕掛ければ簡単に殺れたものをやらなかったのは、たぶん、必死に助けを求めてたんじゃないかな。そんで、お前の脇腹も本当は首を斬れたんだと思うが、必死に抵抗して急所を外してきたんじゃないかと思うぞ。真実はその餓鬼の中の思いが歪んだ形で表に出されただけじゃないかな。もっとも今のままじゃ、弱くて話にもならんが、鍛え甲斐のある餓鬼だと思っているぞ。」
意外な父の高評価。
母上はクスクスと笑っている。
「ロウガ、まるで体験済みみたいな物言いだな。」
「そりゃあな。お前みたいな天邪鬼は二度とごめんだと思っていたがな。」
事情がよくわからないが、父と母の馴れ初めらしい。
「父上、母上!そういえば一度も二人の馴れ初めを教えてもらってない!」
「何を言う。昔、教えただろう。道を歩いていたらアスティアがハンカチを落としたのでな、『おぜうさん、ハンケチが落ちましたよ』と父が言うと『嗚呼、どうもありがたふござひます。素敵なお方…。』となってな。」
「わかりやすい嘘を教えるな、と言っているんだよ!」
「…アスティア、娘が反抗期だよ。」
相変わらず、教えてくれない両親。
いつか傷が治ったら、真っ先に父か母を倒して、二人の馴れ初めをを絶対教えてもらおう、と私は密かに心に決めていた。
――――――――――
怖い夢を見た。
ぼんやりと親友のサイガを刺した夢。
暖かい血に塗れて、歪んだ笑顔の僕。
こんな夢、見たくない。
あの人に助けてほしくて…
マイアさんに助けてほしくて…
彼女を刺してしまった夢。
そこから先がまったく思い出せない。
気が付くとベッドの上に寝ていた。
身体中が痛い。
「…驚いた。もう目が覚めたのかい?」
マイアさんによく似た綺麗な人。
あ、アスティア先生じゃないか。
「え、あ、あの、おはようございま…ってアレ?今、夜ですか?うわわわ、どうしよう寝坊どころの話じゃないよ…!」
「落ち着け、サクラ君。今まで何をしていたか…、思い出せるか?」
一先ず元に戻ったようだな、とアスティア先生は息をつく。
「今まで…ですか?」
「ああ、非常に重要なことだ。」
…夢の内容が頭をよぎる。
いや、あれは夢だ。
「…さて、どこから話そうか。」
アスティア先生はこれまでのことを話してくれた。
僕が魔剣の呪いにかかっていたこと。
親友が僕に刺されたこと。
僕が…、僕の希望を壊そうとしたこと。
「…ということが起こったんだ。覚えがあるかな?」
「……夢、じゃなかったんですね。」
「虚ろなままの記憶はあるみたいだな。」
血の気が引いた。
自分が起こしたことに深い絶望を感じた。
まるで僕の周りだけ、温度がなくなってしまったように…。
「母上…、サクラが目を覚ましたの?」
ベッドの周りのカーテンを開け、マイアさんが顔を覗かせる。
「ああ、さっきね。驚くべき回復力だよ。後は頼めるかな?私はそろそろロウガが帰ってくる頃だから、校門のところで待っているよ。」
アスティア先生は、そのままカーテンの向こうへ消えていった。
残されたのは僕とマイアさんの二人。
気まずい空気が流れた。
「…母上から話は聞いた?」
「……うん。」
「…そう。」
マイアさんが近付く。
僕は殴られると思って、思わず目を瞑り、歯を食い縛って下を向く。
でも、痛みは来なかった。
マイアさんは僕をやさしく抱きしめてくれていた。
「…ごめんな。私が君を追い詰めたようなものだな。上を向いて歩けと言い聞かせた言葉が君を縛り付けて、追い詰めた。すまない。」
「…ごめんなさい。」
やさしくされると思っていなかった。
拒絶されると思っていた。
「サクラが謝る必要はない。私の言葉が君を追い詰めただけ…。」
「…マイアさん、嫌われるついでで…、言っても良いですか?」
もちろんだ、とやさしく撫でてくれる。
「僕は…、強くなりたかった。サイガみたいに頼れる男になりたかった。あなたみたいに真っ直ぐに上を向いて歩きたかった。でも、理想の僕とは反対に現実の僕は、陰気で下を向いて、サイガのような暖かさも、あなたのような輝きもまともに見ることが…、怖かった。」
何も言わずにマイアさんは黙って耳を傾けてくれている。
「力が欲しかった。力さえあれば、サイガとも肩を並べられる。力さえあれば、あなたに堂々と…、決闘を申し込める。あなたの求婚話を聞くたびに心が、痛かった…。力さえあれば、僕があなたに…。」
「そうか…、その想いを…利用されたのだな。」
「僕は…、あなたが好きです。ずっと…、初めてあの言葉をくれた日から、今でも好きです。だから…、力さえ手に入れられたら、僕は…。僕は…!」
止められない涙がボタボタと落ちる。
言葉にならなかった想いを吐き出し続ける。
「サクラ。」
あの日、真っ直ぐに僕に目線を合わせてくれたようにマイアさんが、額がくっつくほどの距離で真っ直ぐに僕の目を見る。
「…強さを求めて焦る気持ちはわかる。私にも経験がある。でも、自分を責めるな。間違った道を行ったのなら、誰かに殴ってもらって気付けば良い。そこから何度でもやり直せば良いんだ。」
「やり直せないよ…。僕は…、自分の親友を…、あなたを…!」
「それでもだ。命は助かったんだ。事情を知れば、サイガも笑って、君を思いっ切り殴って、それで終わりだ。それとも君は、そんなサイガも信じられないのか?」
彼女の腕の中で首を横に振る。
「そうだろう。だから、この話はここで終わりだよ。私は君に怨みも憎しみもない。ただ…、可愛い弟分の心が傷付いた。それだけだよ。」
「うう…、弟分ですか?」
「ああ、弟分だ。今は、な。」
だからゆっくりと強くなれ、マイアさんはやさしく頭を撫でる。
そのやさしさが痛くて…、申し訳なくて、嬉しくて声を上げて泣いた。
「我が娘ながら、名裁きじゃないか?」
「ああ、問題は…刺されたサイガ少年の方だな。」
「大丈夫だろう、あの様子なら丸く収まるさ。」
医務室の扉の前、私とロウガは二人の会話を盗み聞きする。
「しかし…、マイアもありゃマンザラじゃないな。しっかりあの餓鬼に心を許してやがる。」
「ふふ…、悔しいかい?お父さん。」
「…あんなに弱くなけりゃ、な。俺自ら鍛えてやるか。」
「…手加減はしろよ。」
魔力で動いた右腕は、今は沈黙している。
どうやら戦闘の時以外は動いてくれないらしい。
「ありがとう、ロウガ。本当なら私が戦わなきゃいけなかったのに…。」
「…お前が戦うのは不味いからな。どこで教会関係者が見ているかわからない。やつらに知れたら…、事だしな。」
「すまない。」
「気にするな。」
軽いキスをする。
ロウガの魔力汚染、自分のこれからのこと。
色々不安になって、私はロウガに寄りかかる。
「そういえば用事って何だったんだい?」
「…うちの生徒にあんな物売り付けた露店商を締めてきた。二度とこの町で商売しないようにきつく言い聞かせてきた。」
「それは生きているのかい!?」
つかの間のやすらぎ。
あの二人なら大丈夫だろう。
…もう少し強くなってくれないと、母としても祝福してあげられないぞ。
頑張れよ、少年。
10/10/19 01:14更新 / 宿利京祐
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