連載小説
[TOP][目次]
第百十四話・神楽舞『夢イズル地』
 このままこの炎の中で消えていくのだ

 今更何を思おうか

 これは罰なのだ

 御家が為に憧れに背を向けた『 』への……

「……ち………え…」

 そうだ

 これは『 』が被るべき罰だったはずだ

「…………う…え…」

 かつて心寄せた人の遺した子を守るため『 』だけが討ち取られるはずだったのだ

 そこに何の恨みもない

 無念なる思いはかの如き心地であったのだろうか

 『 』は滅ぶ

 それは覚悟していたことである

 しかし………、しかしだ…ッッ

「父上………無念に御座い…ます…ッッ!」

 それは『 』だけの罰ではなかったのか!

 実際はどうだ

 この『俺』一人の命ではなく

 憧れに背を向けてでも残そうとした御家諸共に終わりを告げる

「……博雅」

 泣きながら腹から血と腹わたを引いて這いずる我が子の名を呼ぶ

 紅 佩入道 博雅

 紅家の希望となるべき若者だった

 俺の代で穢れた紅家を生まれ変わらせてくれるはずだった

 だがそれも夢物語に終わる

 この燃え盛る屋敷と

 屋敷を取り囲む兵たちの手で、紅家は今日全て灰の中に消えていく

 因果応報だろう

 憧れに背いた日のように味方の手で討たれて終焉を迎えるのは……

 すべて俺が受けるべき罰だったというのに…

「…………すまん」

 柱にもたれて座り込み、自然とため息と共に謝罪を口した

 巻き込んでしまった我が子へのものなのか

 それとも遠くへ行ってしまった二人へ向けたものだったのか

 もうわからないし、そもそもどうでも良い

 俺もあまり長くはない

 胸に深々と突き刺さった矢傷からは命が垂れ流されていく

「……じきに俺も逝く」

 我が子を安心させるように精一杯の笑みを作る

 笑えてはいないのだろうとは思いながら……

「……はは、父上が笑うのを…初めて見ましたぞ」

 泣き顔でグシャグシャだったが博雅はぎこちなく笑った

 腹が破れているのだ

 ここまで這って来ただけでも苦しかったであろうに無理に笑って見せた

 嗚呼、やはりこの者であったな

 あの日さえなければ沢木の子と手を取り、輝かしい未来を切り開いていけただろう

 後悔ばかりが思い浮かぶ

 俺は無念のまま死ぬことは出来ないということか

「父上、それでは……」

 たった今、紅家は絶えた

 お先に、と声にならぬ言を残して齢十九の我が子は息絶えた

「……何て安らかな顔をしてやがる」

 お前は俺に巻き込まれて死んだんだ

 愚かな君主にいつまでも見切りを付けられなかったこの愚か者のせいで

 だというのに何でそんなに安らかな死に顔していやがるんだ

「………器は俺以上、であったか」

 だが砕けた

 もう二度と戻りはしない

 俺の五十四年は無駄に終わったのだ

「……ああ、畜生」

 終わりが目の前に近付いてきたというのに思い浮かぶのはアイツのことばかりだ

 今も生きていればどこかで誰かに喧嘩売っているのだろうか

 いや、むしろそうであっていてほしい

 大馬鹿野郎だったからこそいつまでも大馬鹿野郎でいてほしい

「……あいつみたく名乗っても、あいつにゃあとうとうなれなんだか」

 紅 禄衛門 龍雅

 龍雅(ロウガ)と読んであいつにあやかってみたがこの様だ

 俺は、あいつほど強くはない

 たった一人で天に牙を剥いたあいつにはなれなかった

「…………ああ、畜生………戦さが………してえ…」

 あいつの下で

 もう一度あいつの下で輝きたい

 一切が死に絶え、一切が燃え落ちる中で

 そんな夢を見ながら俺は抗えない眠気と脱力感に身を委ねた



―――――――――――――――――――――――――――――――――



 これは誰だ

 俺は何を見ていたのだ。
 胸を弩の矢で貫かれた瞬間、俺は一人でここに立っていた。矢は未だ俺の胸を貫いたまま。心臓はその鼓動を打つことを止めている。だが、生きている。いや……今まさに死のうとしているのか。だとしたら……………これは今際の際に見ている夢なのだろうか。
 一人の老人の夢を見ていた。
 何もかも失った虚しく、寂しく、悲しい夢。
 叶わぬ願いを呟いて老人は目を閉じた。

 今、目の前には焼け焦げた顔のない人形が転がっている。

 老人の息絶えた場所に。
 老人の夢が潰えた場所に。
 二つの顔のない人形が転がっている。
「……訳がわからねえ」
 自分の状況も、この老人たちも、何もかもがわからない。
 老人は確か紅禄衛門龍雅(ロウガ)と名乗った。
 これは、俺なのか。
 いや、俺ではない。俺は紅禄衛門龍雅(タツマサ)だ。
 そしてあの若者は俺の子だというのか。
 面影はある、かもしれない。だが俺に子はいないのだ。
 アルフォンスとの間に生まれてくる子以外、俺の子などいないのだ。
 一体何が起きている。死にそうになっていよいよ狂い始めたのか。

「では、真実を教えてあげようか」

「えっ……沢木、これは一体どういうこと……!」
 背後から不意に声をかけられた。
 相手も確認せず、俺はその声を沢木上総之丞狼牙だと思った。しかし振り返ったそこにいたのは狼牙ではなかった。三つ首の牛の皮を頭から被った言い知れぬ雰囲気を纏った妖しい女が佇んでいた。その腕にはその不気味な容貌に不釣り合いとしか思えぬような可愛らしい赤子を抱いている。
「沢木、じゃない」
「そりゃそうさ、龍雅(ロウガ)。君はアレと同じ名を名乗ったが、私と君はまったく違う存在だものな。アレと違って、君とは何一つ共有するものはない」
「何をわからんことを……、いや、ここは地獄の入り口か。姑獲鳥もいる」
「地獄を征くかどうかは君が決めることだよ」
 この女を見ていると心がざわめく。
 ああ、そうだ。子供の頃に見たことのある三つ首、一つ目の件(くだん)を思い出すのだ。あの凶兆が生まれてしまったために俺は───いや、そうじゃない。あの凶兆が生まれ出て来ようと生まれまいと綾乃はアイツのものだった。きっと、そうなる運命だったのだ。
 突如、女の腕の中で眠る赤子が泣き出した。
 慌てる様子もなく、女は赤子をやさしくあやす。女は人に似ているが人ではない。だがこのただ事ではない美しさは何であろうか。例えこの者が幽鬼であろうと、例えあの牛の皮の下の顔が醜かろうとも、人を誑かす姑獲鳥の類であろうとも、腕の中で泣く子に微笑みかける姿は何とも形容し難く、慈愛に満ちて美しい。
「……それが、君が彼女らを愛した理由だ」
「………え」
 女は静かに、腕の中の子を見詰めたまま俺を見ずに語り始めた。
「君が愛した三人の者たちに見たものだよ。ずっと君が求めていたものを彼女たちは持っていた。一人は残念な結果になってしまったがね」
「何のことだ」
「もう目を背けなくて良い。人生の最期ぐらいは素直になっておくものだよ。アレと君は根本が同じだからね。あいつは……アスティアに、君はアルフォンスとノエルの二人のお嬢さんに母を求めていた。あいつも君も、実の母に愛された記憶を持っていなかったのだからね」
「……あんた、誰だ?」
「………さあね。実のところ私自身がよくわかっていないんだ」
「……その子はあんたの子かい?」
「いや、私の子じゃないよ」
 そう言って、スッと女は抱いていた赤子を差し出した。
 俺に抱けと女の目が言っている。
 おずおずと赤子を女から受け取り、落っことしてしまわないようにしっかりと抱きしめる。温かく、それでいて何と頼りなく、そして何と存在感のあることか。俺とアルフォンスの間に生まれてくる子もこんなにもまばゆいばかりに愛らしいものなのだろうか。
 もっとも、こんな状況だ。
 生きて我が子を抱くことなど叶わないことなのだが…。
「どうだい?」
「悪くないな」
 そう、悪くない。
 この温もり、命を直に抱きしめている感覚。
 悪かろうはずもない。
「……………ん、どうした?」
 気が付くと俺の顔を見て赤子が笑っていた。
 ただ笑っているというだけなのに赤子の笑顔と笑い声は不意に幸せな気持ちを運んできてくれる。すると突然、楽しそうな笑い声を上げながら腕の中の赤子が小さな光の粒になって消えていった。始めからそこには何もいなかったかのように、赤子は雪が溶けていくように消えてしまった。
「お、おい!?」
「驚くことはない。あの子はどこにも行ってはいないよ」
「あんた、一体何を言って………」
「あの子は君自身……いや、違うな。あの子は君が生きていく上で切り捨ててきた純粋な憧れ、可能性の姿だよ。それがようやく君の中に帰ることが出来た。君の中であの子を受け入れられることが出来るようになったからね」
「可能性…」
 思い返してみれば、俺に可能性などあったのだろうか。いや、そうではない。俺は俺自身の可能性というものを『信じた』ことがあっただろうか。
 答えなど出ない。
 きっと永遠に答えなど出ることはない。
 胸を貫く矢に指で触れながら、それだけは理解していた。
「では行こうか」
 優しい声で女は言った。
 頭から被った三つ首の牛の皮で表情は窺い知れない。
「どこへ?」
 地獄へということなら勘弁してほしいものだと思った。
 地獄じゃ、あいつにも、アルフォンスにも、ノエルにも会えないじゃないか。
「安心し給え、龍雅。地獄よりは良いところさ」
 そう言って女はパチンと指を鳴らした。
 激しい焼け跡、黒焦げの人形たちはすべて消え失せ、俺と女だけを残して真っ暗な闇だけが広がった。空も大地もない。ただ、深く重たい暗幕のような闇だけが無限に広がっている。
「さあ、行こうか。龍雅、君の始まりの場所へ」


―――――――――――――――――――――――――――――――――


 龍雅に何か異変が起こったと感じた瞬間、バフォメットのイチゴは爆発的に下知を飛ばした。何が起きたのかわからない。しかし最悪な『何か』が彼女の目の前で起きてしまったのだと肌で感じた。全身が総毛立つ。血の気が引く。そんな言葉では到底言い表せないような恐ろしい何かがあの敵軍の真っ只中で起きているのだと彼女の心が叫んでいた。

 ヤバい、何かが起きた
 総員突撃 龍雅の救援に向かう

 この脆弱な陣を死守することが龍雅とイチゴの取り決めた方針だった。脆弱なれど最重要拠点。ここを守り、時間を稼げば稼ぐほど、ルオゥムの民を守り、ノエルとアルフォンスを守ることに繋がるのだと理解している。しかしここで打って出れば兵力差故にこの最重要拠点を易々と突破されてしまうだろう。攻勢は放棄と同意なのだ。それも理解している。だが、頭で理解してもイチゴの心は別だった。
 あの男を死なせてはならない。
 この戦争のため、という詭弁もある。
 だがそれ以上にルオゥムの民のためにも、ノエルとアルフォンスのためにも、今あそこで戦っている男を死なせてはいけない。それはある意味でイチゴの一応の主である沢木狼牙以上に紅龍雅という人物は失ってはならない存在であった。
 狼牙はどう足掻いても老人だ。新しい時代を作り出す土台は作れても、それを発展させるには時間が足りない。魔物と共に生きる者でありながら狼牙の寿命は遥かに短い。この世界の魔力に何一つ肉体が影響を受けていないのだ。だから、新しい時代を作り、発展させていける若い指導者が必要なのだ。
 それが紅龍雅だ。
 サクラではまだ若過ぎる。将来的にはセラエノの指導者としては申し分ない人間になるだろう。自分もアスティアもネフェルティータもサイガもマイアも側にいる。道を踏み外すことはないだろう。だが、若過ぎる。狼牙の時代を継いでいくに足る器になるには後十年は見ておくべきかもしれない。
 だが龍雅は違う。歳は確かに若い。しかし経験の量と厚みが違うのだ。あの年齢でどれほどの修羅場を潜ってきたのかは見当も付かないが、まるで王の如く一軍を大胆に率いるに値するだけの将器をすでに備え、さらにその遥か上であるルオゥム皇帝としての責務と重圧を受け入れるだけの器も備えている。規格外の傑物なのだ。これほどの人間が今日まで魔王軍にも教会側にも知られることなく埋もれていたこと自体が不可思議なのだが、今はそんなことは些細なことだ。
 今はその疑問を考えるよりも龍雅の救出を───ッッ

 だがその時、イチゴは気が付いた。

 飛ばしたはずの下知が飛んでいない。
 いや、それ以上にすべてが凍りついたように動きを止めているのだ。空を見上げれば空を飛ぶ鳥ですら静止していた。
「何じゃこりゃあ!?」
 そう叫んでやっと気が付いた。
 自分は今初めて言葉を声に出せたということに。下知は飛んでいない。誰もそれを聞いてなどいない。戦争の怒号も消え、今は静寂と静止だけがこの場を支配している。
「じ、時間が止まっておる…!?知らん間に止められたじゃと!?馬鹿な、一瞬でこんな範囲で時間に干渉出来るヤツぁ他にワシゃ知らんぞ!!何でこんなところにあのクソッタレが───ッッ!!」
 刹那、イチゴの背中を冷たい汗が流れ落ちた。
 時の止まった世界では実際に流れた訳ではない。しかしその背中を氷の刃で貫かれたかのような言い様のない圧力にイチゴは思わず言葉を詰まらせた。背後に何かがいる。その何かをイチゴは知っている。直接その姿を見たことはない。だが、イチゴに敵意を向けている訳でもないのに、この圧倒的な冷たい熱量を放つ者の正体をイチゴの、いや魔物娘の本能が知っている。
 それはすべての母。
 それは夜を統べる王。
「魔王ッッッッ!!!」
「セラエノのバフォメットよ。君だけ動けるようにしてあげているのは忠告のためだ。良いかい、ここから先は何が起ころうとこの砦の外に出てはいけないよ。ここから先は彼の伝説……いや、彼という神話の始まりなのだ。……良いね、確かに忠告したよ」
「…………わかった」
「良い子だ。では時を動かすよ」
 動くな、という命令だけしてイチゴの背後で魔王は軽く手を叩いた。すると鳥は再び空を舞い、ゆっくりと戦場の怒号は眼前を覆い尽くし、帝国兵たちの戸惑いが返ってきた。時間は動き出したのである。
「……よし、テメエら全員ワシの後に続け!紅帝を救出するのじゃ!!」
 そして時が動き出した途端、イチゴは馬に乗る間も惜んで傍に立て掛けていた大鎌を担ぐと、あっと言う間に拠点の柵を蹴り破って戦場に躍り出た。討ち死にした敵兵を踏み砕き、まだ息のある敵兵を蹴り飛ばし、道を拓いて龍雅らのいる場所へ突き進む。思わず帝国兵たちも何が起こったのかわからないと言わんばかりに唖然としたが、すぐに気を取り直すと大慌てで武器を取り、イチゴがブチ開けた穴から、その穴を広げながら津波のように飛び出していった。
 隊列も何もない。
 だが紅帝の救出という言葉に帝国兵たちは哮りを上げた。
 それは軍団ではなく一つの獣であるかのようだった。
「馬鹿め、ワシが他人の言う事など聞くものかよ!ワシゃワシの好きなように生きるんじゃ!」
 進路上にいた敵兵を、そして自分を抑え付けようとした魔王を、邪魔だと言わんばかりに薙ぎ払う。例え鎌の刃で斬れずとも、決して非力ではないバフォメットの一撃である。ある者は吹っ飛び、ある者は原形なく砕かれ、ある者は運良く真っ二つになって飛んでいく。
「どけどけ邪魔じゃ!ワシの得物は魔界製じゃねえぞ!安心信頼の皆殺し印のセラエノ製のオリハルコン造りじゃ!死にたくないヤツぁ大人しく道を開けろ!!死にたいヤツぁ………、バラバラにされたいヤツから掛かって来いやぁぁぁーーー!!」

 イチゴの快進撃に勇気付けられて帝国兵たちは後に続く。

 もはや頭の中に守ることなど欠片もない。

 ただ失いたくないという思いに突き動かされていたのである。

「………やれやれ、言う事聞くとは思っていなかったが、ここまで私のことを無視出来る魔物がいたとはね。だけど、私は忠告したよ。彼の最期をその目で見届けたなら、きっと君の心には深い傷が残るだろう。憎悪という深い深い傷跡が。……では、セラエノのバフォメット。また会おう」
 初めからそこに何もいなかったかのように魔王は消えた。
 もうイチゴに用はない。
 彼と、彼女らに会いに行こう。そう思いを馳せて魔王はどこかへと消えていた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――



 暗闇の向こうで何かが光っている。
 ぼんやりと光る大きなガラスの筒。その筒の前にあの女が立っている。三つ首の牛の皮を被ったあの女がガラスの筒の前に立ってその中を覗いている。女は俺を見付けると手招きをした。こちらに来いということらしい。
「遅いぞ、龍雅」
「いや、遅いって……俺はたった今ここに…」
「認識が遅いと言っているのだよ。ここは現世ではないのだから」
 俺は現世ではない場所に慣れてはいないのだが…、と悪態を吐こうかと思ったが話が進まないような気がしてその言葉をグッと飲み込んだ。女は俺の考えていることなど無視するかのようにガラスの中を見ろと指差した。
「………何だ、これ」
 それは奇妙な光景だった。
 ガラスの筒の中は緑色の液体が満たされている。一目見てその液体が水ではないことがわかる。もっと、こう、液体というより極限まで水分を抜いた泥々のように重たい何かが満たされている。その緑色の液体の中に、何かが浮いているのだ。人間に似た、それでいてまったく似ていない何かが。
「君の兄弟だ」
「……は?」
 これが?
 こんなものが俺の兄弟?
「あんたは何を言っているんだ。さっきから本当に訳がわからない」
「君と同じように拾った者だ。10(カイ)と名付けられた者だったが、生きたいという願いも虚しくこのまま生き絶えた。これはこの者の墓標だよ。誰もこの者を知ることはない、私だけが覚えている純粋な命たちの墓所さ。……龍雅、目を凝らして周りを見渡してごらん」
 女に促されて周囲の暗闇を見渡した。
 そして気が付いた。ここはただの暗闇ではない。永遠に醒めない悪夢のような夜の世界だ。青い月がぼんやりと浮かんでいる。そして女の言う純粋な命の墓標を中心に数多くの墓標が広がっていた。墓標にはいずれも名は刻まれていない。それは俺もよく知る墓石であり、大地に突き刺した剣であり、焼け焦げた人形であり、木の枝から垂れ下がり風に揺れる一つの縄であり、そこに埋葬された者たちの足跡を窺い知ることの出来ない顔のない墓だった。
「……こ、ここは!?」
「言ったろう。ここが君の始まりの場所だよ、龍雅(タツマサ)」
 今度は俺を龍雅(タツマサ)と女は呼んだ。
「うん、そうだ龍雅(タツマサ)。君を龍雅(ロウガ)と呼んだのは誤りだったな。君はあの瞬間、龍雅(タツマサ)として人格が生まれ、そして人を愛するという奇跡に触れて龍雅(タツマサ)として君の人生を歩み切った。ロウガ、君の血を分けた実の兄への憧れはすでに断たれている」
「何故それを知っている」
 イチゴに勘付かれたが、それは墓場まで持っていく俺の秘密だ。もしもあいつがセラエノの主人などではなかったなら、この程度の秘密など秘密の内に入らない。だがあいつの、セラエノの力はあいつらが自分で思っている以上に強力だ。すでにサクラという後継者がいる。俺も帝位は返還したとは言えど、生きておればきっとノエルにアルフォンス共々そのまま仕えていただろう。それにアルフォンスの腹には俺の子がいる。
 御家騒動は嫌ほど見てきた。
 無用な火種はないに越したことはない。
 それでも───俺は沢木上総之烝義成の弟なのだと胸の中で誇っている。
 生まれてすぐに紅家に養子に出されたとしても。
「知っているも何も沢木狼牙は私であり、私が沢木狼牙でもあるからさ。アレのことで私の知り得ないことは何一つないよ」
「何を言っているのかさっぱりわからん」
「そうか……、残念だよ…。ならば話を続けるよ。単刀直入に言おう。君は紅禄衛門龍雅ではない。君はこの10(カイ)と同じく捨てられた命。今にも尽きようとしていた命をこの地に眠る名もなき者たちの想いと願いの欠片たちで補完し合うことで、一つの時代を終わらせる新たな『神』として君は私たちに造られたのさ」
 女は言った。
 俺は紅龍雅ではない。いや、正確には紅龍雅でもある。あの時息絶えた老人のように時代に名を残せないまま世を去り、それでもなお果たせぬ思いの渦巻く魂たち。何百年、何千年と積み重なり、それを拾い集めて生まれたのが俺なのだ。女は確かにそう言った。
「君は私たちからもう一人のロウガとしての役割を与えられていた。沢木狼牙と同じように武人であり、改革者であるという役割だ。沢木狼牙の死後、長く続き過ぎた停滞した時代を終わらせるべく君をこの地上へと送り出した。君は私たちを意識せずに、私たちの望む人生を歩んでいく。やがてそれはセラエノと共にどこか別の地でこの時代に楔を打つ……はずだった」
 武人としては戦いの場を奪われた者たちがこの身体を通して剣を振るい、古今東西あらゆる戦さに通じた名を奪われた神算鬼謀の士たちがこの身体を通して知略を示す。また改革者としては真実を奪われ、名を消された者たちが思う存分に手腕を振るう。彼らに現世の煩悩はなく、ひたすら理想を追い続け、理想を演じ、理想で自分を騙し抜く。時代に名を残せなかった者たちがこの身体の名の下に名を残すのだ。
 そう、神として名を残すために。
 だがそこに一つの誤算が生まれた。
 この身体は『ロウガ』となるべく生まれたのにも関わらず、セラエノへと、沢木狼牙の下へと歩みを進めてしまったのである。その結果、狼牙と出会ったことでこの身体の中で眠っていた『龍雅』としての人格が目を覚まし、歪な俺が、あの老人の後悔も苦悩もない、限りなく本物に近い紛い物の『紅龍雅』がこの世界に生まれてしまった。
「それが君の正体さ。敢えて名を付けるなら実験体8号、というところか。何の実験体だったのか、それを君が知る必要はない。もう君は実験体などではなく、私たちの思惑をも超越した一人の人間となった。私たちとしては大いに満足───」
「どうした」
「いや、あいつはどうかわからないが私はこの結果に満足していない。君を魔物娘としてではなく、あくまで人間として造り上げた。すでに肉体が男として形を成していたからね。生きたいと願うそれに応えた苦肉の策だった。だから命は本当に短くなってしまった」
「いや、これは俺の行動の結果だ。討ち死にを一々気に病むことはない」
 女は首を振る。
「例えそうだとしてもだ。そして紅龍雅として目覚めてしまったことで、君はあらゆる並行世界で他者の手に掛かって死んでいかなければならないという運命に捕まってしまった。生きたいと願ったにも関わらず、私はその願いを全うすることが出来なかった」
 すまない、と女は頭を下げた。
 いろいろ起こりすぎて混乱しそうな頭を冷ますべく、大きく息を吐くと青い月の浮かぶ空を見上げた。いろいろと思うことはある。恨み言の一つでも言ってやれば気は少しぐらい晴れるかもしれない。だが、深く目を閉じてみる。すると声が聞こえるのだ。俺の身体の奥底から、心の奥底から、俺ではない俺の声が聞こえてくる。それは恨み言でも、無念の想いでもない。
「………ありがとう」
「──────ッッ」
「俺の中の彼らもそう言っている。例え死する運命を変えられないのだとしても、皆満足している。たまたまかつて紅龍雅だったという男がこの身体の代表となってしまったが、あんたのおかげで俺たちはこの世に生きたという喜びを得た。英雄だか神だかは俺が決めることじゃない。そう思いたいヤツはそう思わせておけば良い。俺たちは本物の人生を歩んだ。それだけは変わらないよ」
 その瞬間、名も無き墓所が砕け散った。
 空が割れる。青い月は鮮やかな緑色の粒子を撒き散らしながら砕け散る。10(カイ)の棺も地を埋め尽くす顔のない墓標たちも一斉に砕け、緑色の粒子となって空へと昇っていく。気が付けばそこは終わりのない悪夢のような夜ではない。
 いつの間にか青空が晴れ渡り、白い百合の花が当たり一面咲き乱れ、顔のない墓標たちの名残には見たこともない色鮮やかな花が宿っている。いつか、誰かが夢見た……剣に花の宿る未来を思わせるような光景だった。
「………あんたの悪夢、俺が連れていくよ。10(カイ)の顔を見たかい?あいつ、最後は笑っていた。俺が捨ててきた可能性の赤ん坊みたいに、本当に良い笑顔だったよ。みんなあんたに感謝している。だから、もう忘れてやってくれ。助けられなかったことを後悔し続けるよりも──」
 俺は女の側に歩み寄ると、三つ首の牛の皮に手を伸ばす。
「俺たちのことを思い出して時々微笑んでくれる誰かがいてくれることの方が嬉しい」
 顔を隠すように被っていた牛の皮をめくり上げる。
 そこには強い口調とは裏腹に今にも泣きそうな目が俺を見詰めていた。
「ありがとう、魔王様」
「……………本当にすまない」
「気にするなっての。だから笑えって!」
 女の、魔王の唇の端を指で無理矢理吊り上げる。
 魔王は無理に笑うが目の端からは一筋涙が零れ落ちた。
「……最後に何か望みはあるか。少しだけなら力を貸そう」
「そうだな……」
 ふとアルフォンスノエルのことがよぎった。
 あの二人にはきちんと挨拶しておきたい。いや、どうせ死ぬなら二人に看取られながら死にたいと思った。俺の生きた証、俺が手に入れた本物の愛だもの。二人の温もりが恋しいと思えた。
 ここを突破して二人の腕の中で眠りに就きたい。
 そんな願いを口にしようとした時だった。


 ───────父さん



 その声は魔王には聞こえなかったらしい。
 そしてその声の主の正体も見えていなかった。弾かれるように振り向くと百合の花たちの向こう、全身傷だらけで太刀を杖にしながらも決して歩みを止めることのない少女の姿が俺の目に映った。それは一瞬のことだった。瞬きすると同時に少女の姿は消え失せていた。しかし見覚えがある。あの褐色肌、紅い鱗はあの日出会ったあの少女だったように思えるのだ。
「……どうした」
「いや、どうやら喝を入れられたらしい」
 どうせ死ぬのなら女の胸で。俺も死に直面していよいよ焼きが回ったらしい。
「ククッ、そうだ、俺は紅龍雅だ。ここで死するともそれだけは曲げちゃいけない。生まれてくる我が子に、死んでいった同胞たちに、情けない姿を見せちゃあいけない」
「何を、何を見たんだ」
「忘れていたのさ。例えこの身は滅ぶとも、想いは誰かに受け継がれていくってことを。それを思い出したのさ。俺の、俺たちの生きた足跡は無駄ではなかった!魔王、最後の頼みだ。聞いてくれるな?」
「ああ、そのつもりだが──」
「ならば──」
「───────!?」

 願いを伝えるだけ伝えて踵を返す。

 元より生き長らえるつもりはない。

 この身体、今しばらくは魔王の手を借りずとも動けるであろうという確信があった。

 まさに俺の身体は俺がよく知っている、である。

「現世にて愛しい宿敵が待っている。その者に最後に教授せねばならぬことがある。かの者を救わねばならぬ。故に我は戦さ場に舞い戻る。死力を振り絞り、かの者と我が愛しき者たちのために最後の蛮勇を奮う。魔王、我らを見届けよ。そして願わくば、その微笑みを絶やすなかれ。それが我らの願いなり。
 ───征こう、我が子らに情けない背中は見せられぬ。
 我が名は紅帝、紅龍雅なるぞ!」
18/02/04 03:09更新 / 宿利京祐
戻る 次へ

■作者メッセージ
お久し振りです。
生きていました宿利です。
ここまで期間が開いてしまうと、初めましてな方もおられるのではないでしょうか?
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
ついに紅龍雅の命も尽きます。
しかし彼の想いは死ぬことはないのです。
次回も見届けていただければ嬉しく思います。

それではまた次回お会いしましょう。
またこれからもよろしくお願い致します。

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33