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第百十三話・神楽舞『幻影の貌』
 歴史の一次史料として名高い『教国公歴』に引く

 彼らの不幸は無能な指揮官が上にいることだった。
 成すべきこともわからず、成さねばならぬことの為ならば例えどんな手を使ってでも心に決めたことを成さねばならなかった。それなのにも関わらず、未熟故に、否、決意未だ定まらぬことを自覚出来ていなかったことこそが彼の者の不明であった。

(中略)

 迷いがあった。
 迷いがなかったなどと嘘は吐けない。
 強がっていた。
 迷ってなどいないふりをしていた。
 それ故に、多大な犠牲を出してしまった。
 だけど後悔することは許されない。
 彼らの死は無駄ではなかったと信じたい。

 もう、私を導いてくれるあなたはいないのだから







 追撃隊の不幸は統一されていない指揮系統だった。
 誰がどう見ても追撃隊は初手からズルズルとしくじっていた。防衛機能が限りなく低いとは言えど明らかな小勢且つ準備不足で場当たり的に倍近い人員の立て籠もる(旧)帝都コクトゥの城壁を攻め、何一つ戦果を挙げられず貴重な人員を幾人も失った。
 攻城兵器もない軽装備の騎兵と歩兵ばかりのわずか数百人の群れである。そこに大した戦果など望むべくもない。城攻めを中止しても彼らのしくじりは終わらない。多くの者が傷付き、倒れ、ノエルらと共に南都に逃れる民たちを傷も士気も癒えぬまま追う頃には一人、また一人と追撃隊は大地に臥していった。再び立ち上がる者は皆無だったと伝え聞く。
 そこに紅龍雅らの籠もる防御陣襲撃である。
 歩調も戻らず、士気も低いまま、無為無策に正面から傷付いた兵たちが突撃を繰り返す。罠に足を取られ、瀕死の仲間を踏み砕いて走ろうとも犠牲が増えるばかりで何一つ得られるものがなかった。それどころか次々と味方が、さっきまで会話を交わしていた仲間があっという間に死んでいくのを見て戸惑い、ついには進むも退くもままならぬ状況に陥ってしまっていた。
 指揮官は何の手も打たなかったのか。
 否、そうではない。
 当時の記録によれば、この時点で二人の指揮官が対立していたとされている。
 追撃隊を率いる連合軍上級大将ヒロ・ハイルは後退命令を出していた。ヒロはどちらかと言えば敵同士とは言えど紅龍雅に生きていてほしいと願う側である。それは残された彼の手記から龍雅への尊敬や慕情、敵として戦った者同士にしか理解し得ない奇妙な友情のような想いが滲み出る程であった。彼がそれを自覚するようになったのはこのさらに数年後になるのだが、その想いはこの時、彼の指示した後退命令として現れるのだった。
 定かではない諸説ある内の一つではあるがそれによればヒロ・ハイルはごく貧しい平民層出身であるとされ、連合軍上層部においてはハインケル・ゼファーを除けば誰よりも末端の兵卒の心を知る叩き上げの騎士である。それはほとんど明らかになっていない彼の半生から得たものではあったが、それ故に何を以て多くの雑兵たちが戦意を亡くすか、如何にして萎えた気持ちを生き返らせるかを彼は肌で知っていた。
 一先ず退き、後続の味方と合流すること。
 たったこれだけのことなのだが、誰が見ても数で劣る敵を前にして退くことは非常に勇気のいる決断である。事実その数に劣る相手に痛手を負っている現状では兵士たちは戦えない。身体より心が戦おうとしてくれなくなる。だからヒロは敵の強さを認め、まだ兵士たちが動ける内に退き、尚も戦えるというのであれば味方と合流して有利な状況を作ってからだという腹積もりだったとされている。
 そして彼は龍雅を理解していた。
 退いたとてこれ幸いと追っては来ない。
 龍雅は追って来るぐらいなら逃げるであろうと見抜き、その上で見逃すつもりでいた。こちらは有利な状況を作るために退き、きっと龍雅もヒロの意図を理解して疾風の如くこの地を去る。それは奇しくも紅龍雅の描いた作戦と合致しており、この時ヒロ・ハイルは敗戦続きの連合軍の士気を上げるためだけに俄かに出世した騎士団長上がりのお飾りではなく、すでに連合軍において紅龍雅と比肩し得る文武両道の軍略家に成長していたことを史書『教国公歴』から読み解くことが出来る。
 しかしもう一人の指揮官、ヒロ・ハイルの監視役も担う旧フウム王国将軍グリエルモ・ベリーニは違っていた。
 彼は立身出世に貪欲であった。手柄を立てる。それは良い。それは将たる者であれば必要不可欠な素養である。だがヒロ・ハイルとは違い、彼には犠牲者のことなど眼中になく、死に逝く兵士たちはグリエルモにとっては踏み台でしかなかった。ヒロ・ハイルが後退命令を出して再起を図ろうとしたことを彼はあろうことか無視、あるいは勝手に取り消して徹底的に突撃命令だけを出し続けた。何らかの意図があったのではない。その姿はただ目の前にぶら下がった美味しそうな餌に一心不乱に浅ましく食らい付こうとする獣のようにも見える。
 無策であった。
 無策のままただ突撃を命令していたのである。
 史書には彼が無策であったことを証明することは明記されてはいない。しかし、先の城攻めもやはりヒロ・ハイルの命令に反した行為であったことから何か考えのあっての突撃命令であったとは考え難い。なお、犠牲を省みず犠牲を増やしながらでもなお前に突き進む戦法はグリエルモのみならず彼の主であるフィリップ王にも共通する戦法である。
 ヒロ・ハイルとグリエルモ・ベリーニの対立は単なる功績争いではない。そもそもヒロ自身には対立するつもりなどなかった。しかしグリエルモは急激に台頭してきたヒロを若年者と軽んじる一方で、彼ら旧フウム王国勢の連合軍内における地位を脅かす危険分子であると認識していた。それ故に何が何でもヒロ・ハイルを出し抜かねばならなかった。彼を上回る功績を打ち立てなければ失策続きのフウム王国勢の地位は揺らぐのである。すでにフィリップ王も、その配下たるグリエルモたちも改革者ジャン新王によって帰る玉座も領土も失い、彼らの後ろ盾であるヴァルハリア教会の権威があってようやく辛うじて王や騎士を名乗っている始末なのである。
 だからこそ、グリエルモはヒロに反発した。
 若年者の、それも自らの地位を脅かす者の命令に従う気にはなれなかったのである。そしてこれはこの後にグリエルモが行動に移すフィリップ王より下された密命へと繋がっていくのであった。
 彼らがどんな内容を言い争ったのかは伝わっていないが、それは尋常ならざるものであったと当時の記録は今に伝えている。
 そして、後退の機は完全に失われた。

「門開け!紅龍雅、打って出る!」

 ヒロの耳にその声が届いた時、彼はこの追撃隊の壊滅を覚悟した。こんな揃わぬ足並みでは後退することなどままならない。それどころか指揮系統の混乱で右往左往している有象無象の雑兵ではとても太刀打ち出来ず、前に出て食い止めるなど出来るはずもない。

 龍の檻が、解き放たれた。
 すべてを飲み込む人の形をした嵐を、止めることなど例え神であろうと誰にも出来ないのだ。ならば、とヒロはグリエルモとの争いを一方的に打ち切って長剣を抜き放ち馬の腹を蹴る。
 この時、ヒロの頭の中から神への信仰も、教会への中世も消え去っていた。余計なものすべてが消え去り、そこに一つだけ残ったものを想う時、解き放たれた彼の心には真夏の青空の如く自由で心地良い風が吹いていた。

 誰がために剣を取るのか
 もうすでに彼の中で答えは出ていた。





「ハリーシャ」
 ヒロが馬の腹を蹴って群集の中に姿を消してすぐ、グリエルモは一人の奴隷の名を呼んだ。ハリーシャと呼ばれた小柄な奴隷はボロをまとい、おおよそ戦士とは言い難い風貌と体格をしている。
「かねてより仰せつかっていた我らが主の命を実行せよ。あの痴れ者め、こともあろうに我らが主はおろか恐れ多くも大司教猊下にさえ正義はないと口にした。これは背教行為である」
 理由などどうでも良かった。
 ただそれを実行するための口実さえあれば良かった。そこに、正義などない。まさにヒロ・ハイルの言葉通り外華内貧と言えるほど旧フウム王国残党、ひいては連合軍上層部はハインケル・ゼファーの打ち込んだ毒薬と共に加速的に腐りきっていたのである。
「や……やく…ぞぐ…」
 ハリーシャと呼ばれた奴隷はやっとの思いで言葉を紡いだ。
「約束?ああ、アレか。必ず守ろう。それが済めば貴様に用はない。事が済み次第どことなりと消えるが良い」
 ハリーシャの脳裏に浮かぶのは故郷の風景だった。
 フウム王国の奴隷狩りついでに滅ぼされた故郷。散り散りに逃げた家族がきっと待っているであろう故郷に帰ることだけが心の支えだった。ヴァルハリア教会圏の風習と文化を持たない異民族の彼にとって、同じ奴隷たちからも野蛮人と蔑まれ、人間以下の扱いを受け続けた日々はどれほど辛い日々だったか想像に難くない。
「か……か…えれ……る…ッ!」
 ただ帰りたい一心だった。
 それ以上、彼の脳裏に何も思い浮かぶことはない。
 手には与えられた機械弓が握られていた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――


「おのれでぃけいどー(棒読み)」
 紅龍雅が幾人かの歩兵を随伴して敵集団に特攻(ブッコミ)を掛けに行くその背中を見送る。見事なもんじゃわい、とワシは感心せざるを得ない。明らかに士気ガタガタ、命令系統ガタガタ、基本敵さんはボンクラとは言えど圧倒的な数の上での不利を龍雅は着実に塗り替えていく。
 まさに傍若無人?
 本当に無人の原っぱを駆けるように動き回る。
 マジでこの調子で無人にしてもええんぞ?ワシの仕事が楽になるし。
「おれのつよさにおまえがないたー(棒読み)」
 それにしてもあの戦闘力、並々ならぬ武力持ちだとは知っておったがこれはただ事ではない。下手したら比肩しうる対象が人間じゃなくて、うちのアスティアかダオラみたいな純粋戦闘種の魔物しかいなくなる。マジで天下無双、いや龍雅のように言えば『森羅万象悉く我に平伏す』か。今までスルーしてきたがそろそろツッコミ入れてやるとするか。しかしこれ本人はシャレのつもりでも何でもなく本気で言っているからツッコミ辛い。果たして伝わるかどうか甚だしく疑問じゃ。いや確かにこれを見ればあやつが天下無双であると信じるのも無理もない。
 人間にしておくには惜しいものよ。
「なずぇみてるんでぃすかー(棒読み)」
 さて、そんな訳でワシがさっきから何をやっておるのかと言うとじゃな………
「おまえのつみをかぞえろー(棒読み)」
「おぶっ!?」
 拳大の石をあいつらに投げて遊んでおった。
 遊んでおった、とは言ってもそこはほらワシら魔物じゃからね。全力で投げて当たろうもんならただでは済まない。さっきから龍雅の突撃をかい潜ってワシら陣に攻め込もうとする不届き者どもが、ワシの投げた石ころの直撃を受けて悶絶している。純粋な戦闘種ではないとは言ってもそこはバフォメットたるワシ。ちょっと本気で投げりゃ鎧をも難なく貫通するこの威力。石ころを相手のお腹にシュート。超エキサイティング。まあ、ワシはコントロールに自信ないからお腹っていう大きな的を狙って投げている訳じゃが、大の大人が血反吐を撒き散らしながらのたうち回り、すべてを呪うかのような鬼気迫る形相で声にならない嗚咽を漏らす姿はちょっとしたホラーというか何というか。
 腹はなかなか死ねないと言うしのう。
「ほれ、おんどれら。あやつはまだ息があるぞ。外しようのない動かぬ的ぞ。起き上がってくる前にハリネズミにしてやれ」
 まあ、それはそれ。これはこれ。
 ワシの合図と共に味方の帝国兵らがのたうち回る敵兵に矢を射かける。今日の目標、トドメはキチンと刺そう。慈悲はない。エルフほどではないものの帝国兵どもはよく訓練されているおかげであまり矢を外さない。ノエルの言う通り突出した者はおらんがいずれも高い水準で粒が揃っておるおかげで非常に計算がしやすくて本当に楽じゃ。忠誠心は高いし、軍人意識は高いし、何よりモラルも良い。
 セラエノにも職業軍人制度を導入させてみるか。
「イチゴ様、先程から何を呟かれていたのですか?」
 帝国兵の軍団長がワシに訊ねてきた。
「魔法詠唱じゃ」
「はあ………左様で…?」
「信じておらんのか」
「ええ、まあ、はっきり申し上げれば」
 正直な男じゃ。
「その目は何じゃ、その顔は。おぬしらの力パワーで石を投げた程度で鎧を突き破れるか?出来ぬじゃろう。まぁ、いくらこれを魔法と言ってもおぬしらの想像してたもんとはかけ離れておることぐらいはワシもわかるが、人智の及ばぬもの、それ一切を魔法と呼ぶという格言もある。つまりこれは魔法。良いね?」
「アッハイ」(困惑)
 優秀じゃが素直な男よ。
 簡単にワシに丸め込まれおったわ。
 それにしても敵さんがなかなか退かぬ。ワシの予想ではもう戦線維持出来ずに勝手に崩れて退き始めておるはずじゃが、よほど手柄が欲しいのかスケベ根性が座っておるのか。いや、むしろ連合軍に入り込んでるあやつの情報以上に指揮系統も統率も何もかもが滅茶苦茶で行動起こそうにも動けないと見るべきじゃろうな。だってこっちに向かって突撃してくるヤツら、新兵かって言いたくなるぐらい状況に混乱して恐慌状態に陥っておるし。
「こんなヤツらいらねえのう」
 いろんな意味で帝国兵とは対称的じゃ。よほど弱い敵としか当たって来なかったのか、それとも豆腐メンタリストどもの集まりなのか。おかげでここ数十年ほどヤツらが比較的大人しかったのも頷ける。思い返せばセラエノを一時的にでも麻痺させたヴァル・フレイヤら一党は本当の意味でヤツらの貴重な戦力だったのだろう。やはり無理言ってでも生かしておいて、洗脳でも調教でも改造手術でもあらゆる手を尽くしてこちら側に引き入れておくべきじゃった。
 クソもったいないことをしたものよ。
「おい、そこのお前。煙草よこせ」
「はぁ………しかし……」
「見た目はともかくワシゃおぬしより長生きしておる。国から支給されとるのが残っておろうが。国の物はワシのもの、おぬしの物もワシの物、ワシの物は未来永劫ワシの物じゃ。さっさとよこせ」
 こういう時、ナハト・クロゥヴィスが側におらぬと不便で堪らぬ。あやつがおればワシがどうこう言う前にサッと煙管を差し出して火まで着けてくれるのにのぅ。あやつの身を案じてノエルたちのとこに煙管ごと残して来ちまったのが悔やまれる。ワシもそろそろ焼きが回ったんじゃろか。
 帝国兵の者から差し出された紙巻き煙草を奪い取ると苛々を沈めるべく火を着ける。考えてみりゃワシは迎え撃つだけで良いが、あんな役立たずどもを率いるヒロ・ハイルっちゅう若造めのストレスはワシの感じる苛々など比ではあるまい。間違いなく胃痛、頭痛、いずれもマッハ。何だか敵ながら可哀想になってきたから後でセラエノ印の胃薬でも贈呈してやるとするか………ッッ!?
「ゴフッ!?ゲフッ!!!な、何じゃこのゲロ不味い安っぽい煙草は!?胃の中の夢と希望が逆流してくるかと思っゲフッゲフッ!!!………ウップ」
「あの……お口に合いませんでしたか。それでもこのあたりの……ヴァルハリア教会を主と仰いでいた周辺国では最高級とまではいかずとも良質なものとして流通しているものなので…」
「え゙え゙……貴様らそれマジで言っとるのオロロロロロ」
 アカン。
 こやつらを助けるっちゅうのはただ教会どもの軍勢を退けるってだけじゃアカン。こやつら自分が如何にヤバい生活送ってきておったのか自覚がなさすぎる。とりあえずこの煙草一つ見てもそうじゃ。これが良質?絶対粗雑かつ得体の知れん混ぜもん入っておるぞこれ。ワシらと付き合うことで教会どもの毒から解放されつつあるノエルはともかく、下々の者たちは自分らが骨身まで毒されておることを自覚しておらんとすれば下手すりゃノエル一代で改革が終わっちまう。
 それではワシらが手を貸した意味がまるでなくなる。
 こうなりゃ新帝都で状況が落ち着いたらまずは医療、インフラ整備にワシらが手と口を出して下々どもの生活改善じゃ。セラエノの二番煎じなのが気に食わぬがアレを参考にした国民教育も取り掛からにゃ意味がない。後はとりあえずワシの趣味を最優先してこのゲロ不味い煙草の品質改良、それを広く栽培して輸出する。ついでに巨大遊技場も作って諸外国から客を集めて金を巻き上げてそれを元手に帝国経済を立て直す。当たり前じゃがそのあたりは全部国営化じゃ国営化。そうじゃ、削れるところは削らにゃなのう。貴族どもからも余計な権益と財産は没収する。絶対やる。君が泣いても搾り取ることをやめない。こんなゲロ不味いもんを代々のさばらせ続けただけでも万死に価する。命があるだけありがたいと思うが良いのじゃ。
 無論それをやるに相応しいだけの地位と権力もいただいた上でワシが仕切る。それ以上のことももちろん当たり前のようにやっちゃる。誰であろうと絶対に嫌とは言わせんけえのう!(憤怒)

 質の悪い煙草に頭をクラクラさせ、胃の中から酸っぱい夢と希望を大地にエレクトリカルパレードさせながらワシはその大いなる野望を心に誓うのであっオロロロロロ



―――――――――――――――――――――――――――――――――


 容易い。
 いつの世も、如何なる場所であろうとも、迷い迷って右往左往する有象無象どもを突き崩すは容易きこと。そしてこのある種の開放感と爽快感は一つ間違えれば命取りになるものの、例えば美女とのとろけるような夜伽や麻薬の如く妖しく俺を魅了する。こちらの世ではこれをカタルシスと云うらしい。
 この紅龍雅を乗せ愛馬騅(すい)は征く。
 人の群れなど麻布を断ち切るが如く軽やかに切り刻む。騅にすべてを委ね、小舟の櫂で人の波を掻き分けるように俺は愛しい女の大薙刀を振り回す。一振り首五つ。有象無象は悪鬼羅刹に出会ったかのように恐怖を顔に刻み、我先にと背中を向けて逃げ出さんとするも退く者と進む者が互いに足を引っ張り行く手を阻み合い、何も出来ぬままに討たれていく。
 我が供回りの帝国の足軽どもの活躍も目覚ましい。
 各々が何をすべきかわかっているため少人数ながらも互いの死角を庇い合い、長柄の大斧で鎧ごと敵を叩き、幅広の穂先を持つ槍で討ち洩らしを悉く突き倒す。日の本の我が配下よりも各段に洗練された働きは頼もしくもあり、あの時この者らがいたならと悔しくもある。
 ………………………あの時。
 ……………あの時とは何か。
 何も悔いなどないはずだ。
 あるとすれば……そう、沢木本家を捨てたことのみ。そうだ、悔いなどない。気の迷いだ。今、俺にあるのは再び沢木上総乃丞狼牙の名の下で戦えること、そして愛しい二人の女のためにこの命を賭けられることの喜びのみ。その他に何もないはずだ。
「紅ぃぃーー!!龍雅ぁぁーーー!!!」
 そうだ、それで良い。
 お前が俺の雑念を祓ってくれ。
「待ちかねたぞ、ヒロ・ハイル!!」
 俺の名を叫ぶ者、ヒロ・ハイルが決死の武者の如く大太刀を振りかぶりながら馬に跨がり迫ってくる。嗚呼、何と見事なる馬術か。その姿を遠くに見たかと思えば一息の間に眼前まで来ている。まるで右往左往する彼の者の味方の隙間を疾る稲妻である。

 刃と刃の交わる鈍い金属音が木霊する。

 アルフォンスの大薙刀なればヒロ・ハイルの大太刀も受け止められるとわかっていたが、想像していたよりも遥かにこの者の一太刀は重かった。こうして刃を合わせるのは幾度目かはわからないが、過去のいずれも及ばぬ一撃に俺はヒロ・ハイルの成長を感じずにはいられなかった。
「見事、御見事なり。その成長が手に取るようにわかるぞ」
「…………くッッ!」
 しかしながら、未だ我が頂には及ばず。
 ヒロ・ハイルは鍔迫り合いを嫌い、一撃で仕留め切れなかったことに苦虫を潰したかのような表情を浮かべながら駆け抜けるように一旦距離を置いた。正しい判断だ。今日の俺はいつもとは違う。皆を生かすためならばヒロ・ハイルであろうと斬り捨てるだろう。あのまま彼が鍔迫り合いを選択していたならば俺は力任せに彼の大太刀ごと迷わず圧し斬っていた。
 だがおそらく俺のことだ。
 討ち取った後で惜しいことをしたと悔やむだろう。
 ヒロ・ハイルがこちらに振り返る。手にする大太刀を目一杯横に広げ、これ以上の進撃は許さないと言わんばかりの険しい表情で俺を睨んでいる。少し前互いに斬り結んだあの時、どこか少年のように甘い面影を残していた男ではない。そこにはもう少年とは言い難い一廉の男がそこに立ち塞がっているのである。
「鉄騎団、前へ!」
 後ろを振り返らぬままヒロ・ハイルの下知が飛ぶ。それからほとんど時間差なく、有象無象を掻き分けて見覚えのある鉄の塊たちが姿を現した。鉄の塊たち、鉄騎団とヒロ・ハイルの呼んだ者たちは戦場にて幾度も彼の手足となって駆け回ったこちら側の世の鉄の鎧を全身隈無く纏った重装武者、いや騎士たちのことである。鉄の塊たちは短い手槍を片手に身体を覆うほどの厚く大きな盾を構えていた。それはさながら俺と彼らを分け隔てる鉄の城壁のようである。
「殿(しんがり)はこのヒロ・ハイルが務める。ヒロ・ハイルが名の下に命ずる。総員後退、後続の味方と合流せよ。他の誰が前進を命じようとも聞く必要はない。すべての責は私が負う。繰り返す、総員後退!」
 こいつめ。
 俺を目の前にして退けと命ずるか。
 俺が追うつもりがないことをわかった上で。
 ヒロ・ハイルが下知し終える前に鉄の塊たちは重く大きな盾を大地に突き立てるように構えた。彼らの放つ形容し難い圧なのか、それとも現実に起きたのか、一瞬地面が揺れたような気がした。僅か数十名による鉄の城壁。こちらではこの密集陣形をファランクスと云うようだが、見事に統率の取れた集団は古今問わず数は少なかろうと脅威に価することを否応無しに思い知らされる。
 これは容易に攻め込めぬ。
 気が付けば一人、また一人と鉄の城壁の背後では有象無象らが戦場を離脱していく。深追いするつもりなどなかったが、こうもあっさり退かれるのも面白くない。面白くはないが、然りとてこの鉄の城壁たちを抜くには少々骨が折れそうだ。俺だけならば蹴散らすことなど容易いが味方に多大な被害が出よう。それではこれを抜いたとて得られるものの割に合わん。
「この地の勝利を捨てたか」
「勝利することはいつでも出来ます。そう、ここではないどこかで」
「この俺を前にして勝てると出たか」
 どこか挑発的にヒロ・ハイルは笑みを浮かべた。
 わかっている。これははったりだ。ただこれは厄介なことにそのはったりは自らの虚栄心から来るものでも傲慢さから生まれて来るものではない。自分のためではなく味方を安心させるためのものだ。だから、そういう男は強い。背負うものの大きさにも負けぬ男は、口にした言葉を本当に実現させるし、率いられる兵が男を信じればその言葉を実現させるべく力を発揮する。
 やられたな。
 今回は一本取られた。
 おそらくは後々これと同じことが民草に起こるだろう。俺の見立てではこの事実はあっと言う間に民草の間に広がり、フウムの雑兵はともかくヴァルハリアの民兵が一つにまとまる。追撃部隊総崩れの危機を自らの危険も省みず太刀を振るいて紅龍雅を此へ押し止める。ヒロ・ハイルが守ったのは何の見返りもない民草どもだ。見捨てても誰も文句は言わない。守ったところで何の名誉もない。この戦い、結果は数で圧倒しながら少数の我ら相手に後退を余儀なくしたものだが、問題は結果ではなく彼の起こした行動だ。
 王や諸侯に彼は責められるだろう。しかし民は違う。安全な場所から口出しする者よりも自ら血を流し苦しむ者を崇拝する。ヒロ・ハイルを将軍として仰ぎ続ける限り、民は彼のために戦い、彼のために死ぬことも厭わなくなる。それが英雄という存在なのだ。
 本当に、この男が王ではなく一介の将軍であってくれて良かった。ヒロ・ハイルの命を絶つのは容易いことだが、ヒロ・ハイルという『存在』を絶つことは容易いことではない。出来ることならノエルらのためにもならこのまま自らの能力に似合わぬ不遇の身の上のままであってほしいものだ。
「……これは、俺の負けかな」
 攻めていたはずなのに胸に去来する心地良い敗北感を俺は一人噛み締めていた。例えるなら幼子に追い抜かれる父親の心地か。この敗北感と同時に、ヒロ・ハイルを英雄として育てたのは俺なんだと少しだけ胸を張りたい自分がいる。
 嗚呼、何と愛しい御敵か。
「やめに致そう。此度は……」
 お前の勝ちだ。そう告げようとしたその時、俺の視界に奇妙なものが目に入った。秩序を取り戻しながら退いていく有象無象らの間を縫って真っ黒な何かがこちらへと向かってきている。目を凝らしてそれを見れば、それは人間だった。初めて見る黒い肌の男だ。目だけが異様にギラギラした黒曜石のような黒い肌の男が黒いボロ布を纏ってこちらへと向かってきている。
 どこか、正気とは思えなかった。
 黒い男は立ち止まると何かを構えた。
 ああ、あれは知っている。弩だ。俺の知っている造りとは異なるが間違いなく弩だ。手に持って使う機械弓だ。なるほど、あの男は手柄が欲しいのだな。あの弩で俺を討つつもりか。面白い、やってみせろ。奇襲に失敗した時点で討たれるはどちらかをはっきり教えてやろう。

 だが、何かがおかしいことに俺は気が付いた。

 あの男は俺を見ていないのだ。
 本当に僅かなのだが視線が合わない。俺が真正面にいるのにも関わらず。発射の構えには入っている。しかし、狙いは、俺ではない。男が見ているのはヒロ・ハイルの背中だ。俺ではなくヒロ・ハイルの命を狙っているのである。気が付けば弾かれたかのようにヒロ・ハイルに向かって俺は騅の腹を蹴っていた。間に合うかどうかではない。
 間に合わせるのだ。
「来るか!」
「馬鹿野郎!!」
 如何に騅が瞬足の名馬であろうと男までの距離は遠すぎる。あの男を斬っている暇はなく、俺の刃が届く前に矢がヒロ・ハイルの背中を貫くだろう。
 ならば俺の打つ手は一つしかない。
 俺が不意打ちを仕掛けてきたと勘違いしたヒロ・ハイルの大太刀の一閃を弾くと、そのまま速度を緩めずに彼の馬に体当たりをぶちかます。ヒロ・ハイルの跨がる馬は獣としての本能か彼の意思とは関係なく動揺し堪らずよろめいた。倒れず、落馬せずはさすがの手綱さばきと言ったところか。
「この……ッ!」
「……………………あばよ」

 こうするしかなかった

 俺とあの黒い男の視線が合う

 そんな驚いた顔するなよ馬鹿

 刹那、心臓にとてつもない衝撃が響いた

 ああ、これは駄目だ

 これは死んだかな

 一度目を瞑り、深呼吸をしてみる

 不思議と苦しくはない

 苦しくはないが死ぬ心の準備ぐらいはしなきゃな



 再び目を開く



 しかしそこは今までいた戦場ではなかった

 黒い肌の男も

 ヒロ・ハイルも

 そこには誰もいない

 鎧武者や女どもの亡骸が無造作に転がり

 炎と血と怨嗟に包まれた館の中

 そこに 俺は一人立っていた



17/03/24 15:28更新 / 宿利京祐
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■作者メッセージ
Q どうしてヒロ・ハイルの追撃部隊は追いかけながら数が減っていったの?

A 経費削減のために軍馬がすべてハリボテ種のサラブレッドになり『曲がれぇぇぇぇぇぇぇぇ』魔の第三コーナーを曲が『曲がれぇぇぇぇ』りきれず、すべてバラバラになっ『曲がれぇぇぇぇ』て転倒してしまったから。って外野かなり五月蝿い!

皆様お久しぶりです。
初めましての方は初めまして。
久々の本編更新でございます。
紅龍雅の最期の時は刻一刻と近付いて参りました。
しかしただでは死なせません。
次回にて紅龍雅という男の真相を描きたいと思います。
どうぞお楽しみに。

では最後になりましたが
ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。
そして毎度毎度お疲れ様でした。
また次回お会いしましょう。

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