読切小説
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極東見聞録
私たちリザードマンにとって、旅とは特別な意味合いを持つ。
己惚れと笑われてしまいそうだが、私たちほど旅が好きな種族もそう多くはあるまい。
あ、ハーピーたちのような年中飛び回る連中とは一緒にしないでくれ。
生まれて死ぬまで、強くなることに憧れて鍛錬に明け暮れる。
中には挫折して、夢半ばで剣を捨てる仲間もたくさんいる。
それでも強くなること、最大限は地上最強を諦められなかった偉大なる馬鹿野郎たちは、何よりも信用出来る剣や槍、中には拳を相棒にして、私たちリザードマンはこのどこまでも広がる蒼い大空の下、四季の息吹きをその足で感じ取りながらこの大地の上を歩き続ける。
所謂、武者修行というやつである。
高名な剣客として名を残した宮本何某の如く東に強敵あらば胸を躍らせながら走り、西に良き師が居れば行って教えを乞い、南に無辜の民を脅かす賊の噂を聞けば正義を示し、北に未曾有の大合戦がこれば武勇を示して名を上げる。

そうやって私たちは生きてきた――――――が、それも昔の話である。

現代に生きるリザードマンは、思想や強さ、生まれ育った環境による違いの程度はあれど大抵がそういった生き方をしておらず、ほとんどの者がこの平和な時代を謳歌しており、昔は武者修行による旅も現代ではどちらかと言えば趣味の領域に入ってきている。
私とて徒歩や牛の背中に乗ってこの空を歩いて旅をしていた世代なのだが、今ではすっかり飛行機に乗って快適な空の旅を楽しんだり、鉄道に揺られて流れていく車窓の景色に心を躍らせながら旅をしているクチなのだ。
時代が変わった―――と言えばそれまでなのだが。
「――――ふぅ。」
そんなことを思い浮かべながら、私はお湯に浮かべたお盆から猪口を手に取り、注いでおいた冷酒をグッと飲み干して、心地良い溜息を吐いた。
美しい雪景色に囲まれたひなびた温泉旅館。
数十年間従事した魔王軍を退役して、軍人年金で暮らす私の楽しみは、冬になるとこうして日本を訪れて、雪景色を眺めながら日も高い内から温泉に浸かって酒を飲むこと。
そして大浴場であるが故に一緒に入る人々との裸の付き合い。
贅沢なことこの上なし。
退役軍人――とは言ったものの、魔王軍が動いたような大きな戦争は私が軍に入る30年も前の話で、在任中にやったことと言えば災害時の出動や復興支援くらいなもので、後は有事に備えた訓練に次ぐ訓練というような日常だった。
かつて敵同士だった神族や天使たちと魔物たちが、気軽に居酒屋で顔を合わせて酒を飲む時代である。
正直に言えばこんな時代に軍の在り方というのも考えたこともあったが、無事に任期を果たした私はこうして長い長い余生を楽しもうと、前々から興味があったジパング――現代では日本と呼ぶが――に行ってみようと思った。
魔物――こちらでは妖怪と呼ぶらしい――と人間が共存する理想郷。
そんな噂に興味が湧いた私は旅に出た。
結局、私もリザードマン云々を抜きにして旅が好きだったのだろう。
昔よりも遥かに快適となった旅行手段を駆使してやってきた日本だったが―――嵌ってしまった。
大陸や魔界にはない緩やかな時間。
鮮やかに色を変えて目を楽しませてくれる四季。
そして大陸とはまた違った信仰のあり方から生まれる魔物を受け入れていく土壌。
居心地の良さについつい何度も足を運んでしまった。
そういう経緯から私が温泉に嵌るのも時間の問題だった訳で…。
「お嬢さん、お若いのに良い飲みっぷりだねぇ。」
年の頃八十くらいの老婆が笑いながら話しかけてきた。
お嬢さんか―――、彼女の方が私よりも年下なのだろうが悪い気はしない。
最後にお嬢さんと呼ばれたのはいつの頃だったろうか。
――――――――――まだナポレオン1世が台頭した頃だったかな。
「ご婦人、一緒に如何ですか?」
「あれま、日本語が上手じゃねぇ。」
それじゃ頂こうかね、と言うので私は自分が飲んだ猪口を温泉の湯で洗って老婆に手渡す。
「おっとっとっと―――――――うん、美味いねぇ。」
老婆は美味しそうに猪口を飲み干すと、それはそれは良い笑顔になった。
「お嬢さん、日本にはどれくらいだい?」
「もう訪れるのは何度目でしょうか―――、それでも飽きないというのはこの国の魅力でしょうね。」
そんなに魅力的であるなら永住権と取れば良いのに、とよく言われるだが、たまに我が家を訪れる部下や戦友たちのことを考えると故郷をおろそかに出来ない。
「温泉とは不思議なものです。こうして美しい景色を眺めて、裸の付き合いで楽しい一時に興じ、美味い酒を飲む。湯の温かさに浸かって心が蕩ければ、かくの如き最高の贅沢ですべてが満たされていく。故郷にも温泉はありましたが、このような浸かり方ではなかったので――。」
「おやおや、故郷はどちらで?」
「魔界です。」
そう、魔界での温泉はお湯がメインではなく―――――、温泉はデートスポットだった。
ソフトな言い方をすれば。
剣一筋で時代遅れな武辺者だったせいで恋人もいないし夫もいないという私には、そもそも温泉に近付く気もなく、一日の激務が終われば一人でシャワーで済ますことばかりだった。
「魔界……うぅ〜ん……魔界ねぇ…。ああ、昔あたしの死んだ爺さんが大陸に商売に行く途中で『れっかちえ』って土地に迷い込んだって言ってたけど、そのあたりの土地のことかいねぇ?」
「れっかちえ――――ああ、レスカティエですか。」
レスカティエに迷い込んで、よく無事で帰って来れたものだ。
あそこは急進的過ぎて、同じ魔物でも近寄り難いというのに―――。
よっぽど彼女の祖父とやらは魅力がなかったのだろう。
「そういえばお嬢さんも人間じゃないみたいだねぇ。」
「え、ええ、リザードマンでして――。」
――今頃か、と内心呆れたのだが、考えてみればここは日本。
魔物がごく自然に暮らしているのだから、忘れられるのも無理はないのかもしれない。
お湯の中でゆったりしている尻尾をほんの少し自慢してみたり、温まってフニャリと萎れている耳を老婆に可愛いと褒めてもらったり、彼女の言う『お嬢さん』と呼ばれていた頃のように私は喜んでいた。
酒が良いせいなのかもしれない。
カラリ、と大浴場の古い引き戸が開くと今度は家族客が入って来た。
母と娘なのだが、人間ではないようだ。
あれは――――そうだ、ポピュラーなインテリアで見たことがあるな。
信楽の狸だ、間違いない。
「あんれ、外国ん人がおっとや。」
「おっとっと〜♪」
方言がきついのだが、何とか聞き取れる。
こうして普段見ることのない種族との裸の付き合いも悪くない。
差しつ差されつと湯の中で飲む酒もまた格別なり。
早い話が、これぞ温泉の醍醐味であろう。
ついつい長湯をしてしまうのも無理もない話であった。


―――――――――――――――――――――


一風呂浴びて、旅館の部屋で山海の珍味に舌鼓を打った私は繁華街に出ていた。
土産物屋や食堂、古びた温泉施設など何度来ても物珍しさに目移りしてしまう。
旅館の用意してくれた浴衣に丹前、それに私のような種族でも履けるサイズの下駄を身に纏えば気分は立派なジパング通の趣味人に早変わりする。
さらに土産物屋で購入した木刀を腰に差し、私の長い髪をポニーテイルに結べば、気分は粋でいなせなジパング通の趣味人から一気に飛躍して、剣で己自身を表現した古えの『侍』になったつもりになれる。
心なしかいつもよりも背筋が伸びるのもそのせいだろう。
それにしても日本人は農耕民族とは聞いていたが、それは間違いではなかろうかと思うことがある。
土産物屋に行けば必ずと言って良いほど大小の木刀やヌンチャク、はたまた竹細工で作られた銃の玩具が置いている。
他にも新撰組セットなどの幕末グッズも目に付く。
以上のことから考えて、日本人とは農耕民族ではなく『戦闘民族』なのではないだろうか。
あちこちで空手や日本刀などの武術を教えてるし――。
―――――――――――よし、魔界に帰ったら同族仲間に教えてあげよう。
日本人は戦闘民族だから、きっと生涯のパートナーが簡単に見付けられるぞ――と。
きっとみんな私のように日本通になってくれる―――はずだ。
さて、私がカラコロと下駄を鳴らしながら繁華街を練り歩くのには訳がある。
山海の珍味は美味かった。
まさに和食、これぞ和食、どう見ても和食、これで和食じゃなかったら何なんだ、と火の打ち所のないくらいに日本を実感させてくれたのだが――――――、如何せん今回は奮発してお値段が良くて品の良い宿に泊まったせいなのか、私の胃袋には少々量が足りなかった。
今までの食生活が『質より量』、運が悪ければレーションだった訳で―――。
「少し味の濃いものが食べたいな――っと。」
定食屋の前を通ると良い匂いがした。
ここにしようか――いやいや、せっかく遥々日本に来たというのに安易に決めては勿体無い。
こっちは饅頭屋のようだ――――むむ、砂糖菓子にはない独特の甘い香りが食欲をそそるぞ。
あれは唐揚げ屋か――――香ばしい匂いとニンニクの匂いがたまらん。
あれこれと見て回る内に、さっき舌鼓を打ったはずの和食の満足感はどこへやら。
グゥ、という腹の音。
周りに聞こえなかっただろうか―――、と恥ずかしくなって心配したが、幸い繁華街の賑わいのおかげで行き交う人々には聞こえなかったらしい。
これ以上恥を掻く前に何か食べよう―――そう思った時だった。

「―――――あ。」
「……………む。」

本当に偶然なことに、目の前にいたのはショートヘアのリザードマン。
それも私と同じような別の旅館の浴衣に丹前という姿。
しかもきつめに締めている帯には木刀を差しているのだ。
私と違う所と言えば、色々と買い捲ったらしく十手や地名入りの提灯まで差して、初心者観光客だとこれでもかと強烈にアピールしているくらいだろう。
まるで『出会ってしまった超雄同士』、はたまた古いモノクロシネマで見たような『果し合いの侍』のように私たちは対峙する形になっている。
―――――若そうだな。
それが私の感想だった。
この時代のリザードマンにしてはよく鍛えている。
雰囲気がある。
そう―――強い者だけが持つ独特の空気を纏っている。
―――だが、若さがそのまま出で立ちに表れていた。
長い木刀が三本か―――やれやれ、最近の若い娘は剣一つまともに選べないのか。
ジャパニメーションの影響がありありと出ているが、だからこそ基本に立ち返って―――って、私も今時の若者は、何てセリフを思い浮かべてしまうとは、やはり歳を取ったということなのだろうか。
彼女の手がゆっくりと、腰に差した木刀に伸びる。

――――抜くか。

――伊達に魔王軍の武官だった訳じゃない。
――抜刀術で私の右に出る者はいない、とまではいかないが、まだまだ若い者には負けない。
「―――――ふっ。」
――――野暮というものだったな。
こんな繁華街で、それも非日常を楽しむべき温泉郷で抜くだの抜かないだのと。
「―――――やらないかい?」
指でクイッと酒を飲む仕草をすると、彼女もまたフッと笑顔を浮かべた。
どうやら彼女もまた、侍に成り切ってしまっていたらしい。
「……是非、御一緒させてください。」
「では―――――っと、ここでどうかな?」
私でも知っているチェーン店の居酒屋の看板が目に入ったので親指で指差した。
魔界にも出店している『居酒屋フラン軒・別府店』。
まさか日本にも出店しているとは思いもしなかったな。
「ああ、ここでしたら……私、ビールのサービス券持ってますよ。」
「よし、じゃあここにしよう。安心したまえ、お姉さんが奢ってあげるから。」
彼女の肩を叩いて、私たちは縄暖簾を潜る。
「イラッタイマッヘー。ニッメー様、ゴアナーイ。」
――――いつも思うのだが、ここの店の店員は滑舌が悪すぎる。
―――やはり噂通り、無理矢理ゾンビを作っているせいなのだろうか。
「じゃあお近付きの印に、ビールで乾杯しようか。」
「ええ、先程は本当に失礼しました。」
照れたように彼女ははにかむ。
むむ――――可愛いじゃないか。
やはり若さというのは財産なのだな―――色んな意味で。
「気にしない気にしない。私だってその気になりかけたんだから。」
そういえば名前も聞いていなかった。
そう言うと彼女も今気が付いたらしく、耳をパタパタと慌しく揺らして真っ赤になる。
「ご、ごめんなさい!わ、私ったら……。」
「あはは、では遅くなったけど自己紹介しようか。私の名は――。」

「おビール、オマッセシマッター!」

自己紹介はビールを持って来た店員の声に阻まれた。
何とも言えぬ間の悪さに二人して笑い出す。
何のことかわからずキョトンとしている店員を他所に、私たちは改めてせっかくだから名前の知らない者同士のままで乾杯をしようと言い交わしていた。
「では―――名前も知らぬ君との出会いに。」
「はい……、異国の地で同じ趣味を持った同族に出会えた記念に。」

―――――――――カンパーイ♪


旅は道連れ、世は情けとはよく言ったもの。

湯煙けぶる温泉郷で一期一会の一献。

だからこそ、旅は面白い。

また寝る前に一風呂浴びるという楽しみも控えつつ、

こうして名も知らぬ初めて出会った友人と飲み明かす。

おお、何とも楽しからんや。

嗚呼、やはり私たちほど旅の好きな種族はいない。

こんな出会いがあるからこそ、旅はやめられぬと言うものだ。


<了>


12/12/10 20:18更新 / 宿利京祐

■作者メッセージ
お久し振りです。
また風邪引いて寝込んでいましたw
今年ももうすぐ終わりですね。
……………骨折したり、抗生物質飲んだり、交通事故にあったりと
ほんっとうにろくな一年じゃなかったなぁ(遠い目)。
今年も後僅かですので、皆様も何事もなく無事に過ごせることを祈っております。

それでは今回はここまでで御座います。
またどこかでお会いしましょう(^^)ノシ

……………………………………さて、そろそろほとぼりも冷めたかな(ボソッ)。

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