第九十六話・予言者は語り、龍は飛翔の刻へ
ムルアケ街道に陣を敷くロウガの手元には1000の兵。
それに対してフウム王国旧勢力残党、自称義勇軍は2000。
約二倍の兵力を率いてムルアケ街道を進軍しているという情報を、ネフェルティータは深夜、連合軍参謀として潜入している悪逆勇者ことハインケル=ゼファーからの緊急通信を受け、本拠地・学園都市セラエノの自身の執務室で知ることになる。
『あまり心配はしていねえが…。』
というハインケルの言葉通り、ロウガの下にはアスティアがいる。
しかし、二倍の兵力差では思うように攻勢に打って出れないのは必至である。
これがもしも芝居小屋の英雄譚や吟遊詩人の奏でる軍記物であったなら、ロウガやアスティアなどの英雄はたった一人で戦局を変え、たった一人ですべての敵を滅ぼすという痛快な展開も待っていよう。
だが、現実というものはかくも御し難いもの。
如何に二人が一騎当千、万物不当の豪傑であろうとも、そううまくはいかないのである。
万が一のことがあっては…。
その思いからネフェルティータは深夜ではあったが、サクラとマイアを呼び出し、セラエノ学園小会議室にて対応を練ることにした。
尚、ダオラもこの時にはセラエノに帰還し治療を受けていたのだが、毒の影響は思いの外強く、意識はあったものの、また高熱を出してベッドから起き上がれずにいたのであった。
彼女の腹積もりは決まっている。
すぐにムルアケ街道に援軍を送ろう。
学園都市セラエノを守る500の兵が加わればロウガとて十分に攻勢に打って出れるだろうと、ネフェルティータは考えていたのだが、彼女にとって思わぬ答えがサクラの口から発せられた。
「……先生、ロウガさんに通信をお願いします。僕たちから援軍は送れません、と。」
「…………………!?」
マイアもサクラに同調する。
ネフェルティータには信じ難い返答だった。
「ど、どうして!?ロウガさんに危機が迫って…!」
「先生、落ち着いてください…。援軍を、派遣する時間がない。それに残る全軍を投入して、もしも彼らが迂回して、直接ここを襲ったとしたら……、僕らだけでは守りきれません。防壁も櫓も未完成。こんな状態で援軍を送ろうものなら、ロウガさんは叱りはしても褒めてはくれないでしょう…。」
サクラの言葉にマイアも頷く。
マイアも心の底ではすぐに父と母の下へ駆け付け、共に戦いたいと願っていた。
だが、彼女は決めたのだ。
自分の居場所はサクラの隣なのだと。
サクラの傍を離れてはいけないのだと、自分に言い聞かせた。
それはアスティアがロウガの傍を離れないのと同じ理由である。
「間に合わないんですよ…。僕だってあの人に万が一のことがあってはならないと思っているんです…。でも間に合わないはずです。ムルアケ街道までおよそ6日の距離。大急ぎで準備をしたとして、500の兵の足並みが揃うのは明日の昼過ぎ…。しかも、そのほとんどが歩兵だ。龍雅さんみたいな用兵術を持っていない僕らには、あまりに距離が遠すぎるんです…!先生もわかっているはずだ……。彼らがロウガさんたちと接触するのは、僕らが出発してすぐくらいだって…!」
ネフェルティータは目を伏せる。
それが肯定。
彼女の予測では2、3日以内に武力衝突があるはずである。
「わかりました……。ロウガさんへの連絡は私がします…。お二人は、どうかこのことをご内密にお願いします…。急に危機的な状況を迎えたと知れば、町の人々にも動揺が広がりますから。」
わかっています、とマイアがサクラの代わりに答えて、小会議室を後にした。
ネフェルティータは溜息を吐く。
この報告が如何に重大で、心に重く圧し掛かるか、手に取るようにわかる。
心の準備をして、魔力を解放し、ロウガへ伝えよう。
そうしようとした瞬間、
「チクショオオオオオオオオオオオオ!!!!!!」
聞いたこともないようなサクラの悲痛な声とやり場のない怒りを壁に叩き付ける轟音。
ネフェルティータもそんなサクラの声に驚いたが、この時、彼女はハッキリと理解した。
サクラも心を押し殺していたのだと。
それもまだ成人すらしていない少年には重過ぎる責任を彼は果たそうと必至なのだった。
数分後、心を落ち着けたネフェルティータはロウガに援軍に向かえない旨を伝える。
通信機を持たないロウガには一方的に伝えるだけの通信であったが、ロウガは特に怒る訳でもなく、まるでそのことを知っていたかのように平然としていたと、アスティアは証言している。
そして、ロウガは赤鱗の乙女、アドライグにクスコ川流域にてルオゥム帝国軍と共に陣取っている同盟軍総司令官・紅龍雅の下へ向かうように要請する。
彼女がどうしてロウガに直接指示されたのかは定かではないが、この時のことでアドライグは後にネフェルティータの記した歴史書に名を残すのである。
予言者・アドライグとして…。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
「………事情はよくわかった。」
ノエル帝は頷くと、すぐにキリエに命じて1000の兵を割くように手配する。
自身も謀反に遭い、挟み撃ちの危機に晒されているというのに、彼女はすぐに行動に移した。
その小気味の良さに龍雅は心の中で唸った。
なかなか出来ることではない、とノエル帝に感心する。
「ありがとうございます。もしも……皇帝陛下が御決断を渋ることがあれば一大事でした。」
「街道のセラエノの軍のことか?」
アドライグは首を振る。
まるで何もかもわかっている、というような顔でアドライグはノエル帝を真っ直ぐ見詰める。
「街道のセラエノ軍だけではありません。……陛下の御親族の命が危のうございました。」
「……余の、親族?」
アドライグは短く返事をすると、言葉を繋げた。
「そちらのリヒャルト公が帝都を秘密裏に脱出したことはすでに知られております。帝都を牛耳った国務大臣グルジア公は、その脱出したという事実のみを欲されていたのです。リヒャルト公が秘密裏に抜け出したとあらば、兎にも角にもそれはリヒャルト公の国務大臣への明らかな反逆。ならば皇族の一切を処断する大義名分を手に入れた謀反人たちは見せしめとして、…陛下に最も近い御親族……、妹姫君や御母堂たちを処刑しようとなさるはずです。」
それを聞いてリヒャルト老人は顔を青くした。
彼が秘密裏に脱出したのは、ノエル帝に挟み撃ちの危機を知らせること。
そして、もしも叶うなら帝都を奪還してほしいと願ったからに過ぎない。
だが、彼はアドライグに言われ気が付いた。
自分のそういう性格を彼らに利用されていたのだと。
「随分と……、対立なさっていたようですね…。リヒャルト公とグルジア公。同じ旗を扇ぎながら、一方は純粋に皇帝陛下に。もう一方は皇帝陛下の向こう側にいつも教会を見ておりました。今回の謀反は、まさにそれが引き金でしょう。皇帝陛下が連合軍に滅ぼされることを良しとせず、逆に彼らに宣戦布告をした。どちらが正しかったのか、と問われれば後世は間違いなく皇帝陛下の御英断を評価しま…しょう。しかし、あの方は我慢ならなかった。あの方は皇帝陛下が改めて教会に膝を突くことを望まれた。」
青い顔のまま老人はよろよろと腰を上げる。
「ヌ、ヌシはワシやグルジアのことを知っておるのか!?」
会ったことはないはずだ、とアドライグに問う。
しかし彼女は特に気に止める様子もなく、
「リヒャルト公にお会いしたことはございませんが…、グルジア公には幼い頃にお世話になったことがございます。」
と答えた。
そんなはずはないと、老人はいきり立つ。
ここは反魔物国家。
そんな国でリザードマンである彼女が国の重鎮と何らかの関係を持つなどありえない、と老人は唾を飛ばさんばかりに捲くし立てたが、アドライグはやはり別段気にする様子もなく、
「ああ、そうでした。現時点では反魔物国家だったのですね。失敬失敬。」
とだけ言って、惚けてしまう。
だが、すぐに真面目な顔に戻るとアドライグは先程の発言を続ける。
「…陛下、今すぐに帝都にお戻りなさい。ここから帝都まで、1日もあれば辿り着けます。今すぐお戻りになれば、御母堂も妹姫君も無傷で解放出来ましょう。おそらく、まもなくイチゴ様が撤退の妙案を持って参るはずです。」
「し、しかし……、余の肉親のためだけに全軍の命を駒に使うのは…。」
ノエル帝は自分だけならまだしも、すべての将兵の命を私事にて扱うのは騎士道、ひいては皇族としての責務に反するのではと渋っていると、アドライグが言う帝都帰還の進言を、まるで待っていたかのようにイチゴがノエル帝の幕舎に勢い良くやってきた。
「ワシ、超天才!!僅かな時間で安全に撤退出来る方法考え付いたのじゃ……?おお、見ない顔じゃな。どこの新人さんじゃ……?つーか、どこかで会ったかの?ワシ、オヌシに見覚えあるんじゃが、思い出せないのじゃ。」
龍雅、ノエル帝、リヒャルト老人の胸に不気味な空気が流れていた。
何故、こうまでこの者はわかるのか。
まるで、この後の展開を知っているようなアドライグに薄気味悪さを感じていた。
そんな空気を察してか、アドライグは龍雅に語りかけた。
「紅…将軍、ロウガ様より言伝を預かっています。」
「沢木から?」
「はい。意味はわからなかったのですが、あなたにこう言えば奮起すると仰っておりました。」
咳払いを一つすると、アドライグはロウガの声色を真似て言った。
「このままで終わるのか。お前が俺に見せた気迫はこの程度か。」
「………俺の……、気迫…。」
その言葉に、龍雅の胸の奥に熱い思いが甦る。
自分が武器を取る理由。
自分が死なせたくない相手のことを。
そして、自分が願った若き頃の夢を。
「……ふ……ふふふ……。」
「紅将軍?」
突然笑い出した龍雅にノエル帝は心配するような声を上げるが、龍雅は大丈夫だと言って、今度はこれまでの不安な心を追い出すように大声を上げて笑った。
「はっはっはっはっは…、その通りだ。このままで終わって良いはずはないよな。仮にも俺は沢木の野郎より遥かに優れた大軍略家。たかが後方を味方に脅かされた程度、俺たちは大和で何度も味わったんだ。皇帝、この後の方針は俺たちに委任してもらっても良いか?」
ノエル帝は息を飲んだ。
龍雅はまるで、少年のような屈託のない笑顔を向ける。
「あ……、ああ、構わない…。」
ノエル帝はその眩しい笑顔にそれだけしか答えられなかった。
「ならば、軍師殿!」
「応さ、進路は同盟軍引き連れてムルアケ……。」
「馬鹿、それじゃあ敵さんにケツ向けて、掘ってくださいって言ってるようなもんだ。」
龍雅の一言が、歴史を作る。
この時、誰もが自分が歴史の中に身を置いていることを自覚せずにはいられなかった。
ノエル帝も、
イチゴも、
リヒャルト老人も、
そして何かを知っているアドライグですら、そう感じざるを得なかった。
「この戦は俺たちの負けだ。勝ち続けたが、こうなったらどうにもならん。ならば、せめて味方の危機の一つや二つは取り除いてやるのが武人の務め。進路、神聖ルオゥム帝国帝都コクトゥ!奪われたものは奪い返すぞ!!!」
―――――――――――――――――――――――――――――――――
フィリップ王は満足していた。
帝国帝都に残る者たちの謀反、そしてフウム王国国王を勝手に僭称した息子の執政に耐えかね、彼を慕って(と思い込んでいる)2000人もの義勇軍が連合軍本陣に加わらんと勇敢に敵地を踏み付けて攻め上ってくるのだと思うと、これまでの同盟軍、主にセラエノ軍の与えられた大打撃で弱り切った心が嘘のように晴々としていた。
さらにヴァルハリア教会・ユリアス大司教も満足のいく話だったらしく、フィリップ王にヴァルハリア教会が定める最も栄誉ある称号である『六国騎士王』の称号を下賜したのである。
この『六国騎士王』の称号とは、かつては神聖ルオゥム帝国も含まれていたヴァルハリア教会指定の神兵国六国の上に君臨する王を意味する。
だが、すでに他国家との連携は崩れている上に、今は国も持たない流浪の敗残兵であるフィリップ王以下の旧フウム王国残党には、まさに砂上の楼閣、虚しい虚栄でしかなかった。
しかし、それでもフィリップ王は満足していた。
いや、満足しようとしていたのかもしれない。
今夜は久し振りにグッスリ眠れるだろう、と彼が心を落ち着けていた時、息を切らせた伝令兵が慌しく彼の幕舎に駆け込んできたのであった。
「何事か、騒々しい。」
せっかくの良い気分を台無しにされたフィリップ王は眉を顰める。
だが、彼の心情など二の次と考えていた伝令兵は最低限の礼を取ると、今入ったばかりの情報を、信じられないと言わんばかりにフィリップ王に報告した。
「申し上げます!賊軍の本陣、もぬけの殻でございます!!」
「何ぃッ!!!」
良い気分は台無しにされた。
それは伝令にではない。
表も裏も敵になり、絶体絶命の危機に甲羅に閉じ篭る亀の如く、同盟軍本陣に篭城を決め込んでいるだろうと、たかを括っていた学園都市セラエノ・神聖ルオゥム帝国同盟軍に。
「な、何をしておる!!兵を今すぐ叩き起こせ!!!だ、大司教猊下にもすぐにお知らせ申し上げよ。すぐに追撃をしなければ…!」
だが、彼は余程慌てていたのだろう。
追撃命令までは良かったのだ。
『本陣ごと』移動する、という命令まで出してしまったのだから…。
結果的に、この命令が同盟軍を助けることになる。
本陣ごと移動することになった連合軍の進軍速度は鈍り、クスコ川を渡るために全物資、全兵糧、全兵を渡河し終えるまでに多大な時間を費やしてしまったのであった。
それに対してフウム王国旧勢力残党、自称義勇軍は2000。
約二倍の兵力を率いてムルアケ街道を進軍しているという情報を、ネフェルティータは深夜、連合軍参謀として潜入している悪逆勇者ことハインケル=ゼファーからの緊急通信を受け、本拠地・学園都市セラエノの自身の執務室で知ることになる。
『あまり心配はしていねえが…。』
というハインケルの言葉通り、ロウガの下にはアスティアがいる。
しかし、二倍の兵力差では思うように攻勢に打って出れないのは必至である。
これがもしも芝居小屋の英雄譚や吟遊詩人の奏でる軍記物であったなら、ロウガやアスティアなどの英雄はたった一人で戦局を変え、たった一人ですべての敵を滅ぼすという痛快な展開も待っていよう。
だが、現実というものはかくも御し難いもの。
如何に二人が一騎当千、万物不当の豪傑であろうとも、そううまくはいかないのである。
万が一のことがあっては…。
その思いからネフェルティータは深夜ではあったが、サクラとマイアを呼び出し、セラエノ学園小会議室にて対応を練ることにした。
尚、ダオラもこの時にはセラエノに帰還し治療を受けていたのだが、毒の影響は思いの外強く、意識はあったものの、また高熱を出してベッドから起き上がれずにいたのであった。
彼女の腹積もりは決まっている。
すぐにムルアケ街道に援軍を送ろう。
学園都市セラエノを守る500の兵が加わればロウガとて十分に攻勢に打って出れるだろうと、ネフェルティータは考えていたのだが、彼女にとって思わぬ答えがサクラの口から発せられた。
「……先生、ロウガさんに通信をお願いします。僕たちから援軍は送れません、と。」
「…………………!?」
マイアもサクラに同調する。
ネフェルティータには信じ難い返答だった。
「ど、どうして!?ロウガさんに危機が迫って…!」
「先生、落ち着いてください…。援軍を、派遣する時間がない。それに残る全軍を投入して、もしも彼らが迂回して、直接ここを襲ったとしたら……、僕らだけでは守りきれません。防壁も櫓も未完成。こんな状態で援軍を送ろうものなら、ロウガさんは叱りはしても褒めてはくれないでしょう…。」
サクラの言葉にマイアも頷く。
マイアも心の底ではすぐに父と母の下へ駆け付け、共に戦いたいと願っていた。
だが、彼女は決めたのだ。
自分の居場所はサクラの隣なのだと。
サクラの傍を離れてはいけないのだと、自分に言い聞かせた。
それはアスティアがロウガの傍を離れないのと同じ理由である。
「間に合わないんですよ…。僕だってあの人に万が一のことがあってはならないと思っているんです…。でも間に合わないはずです。ムルアケ街道までおよそ6日の距離。大急ぎで準備をしたとして、500の兵の足並みが揃うのは明日の昼過ぎ…。しかも、そのほとんどが歩兵だ。龍雅さんみたいな用兵術を持っていない僕らには、あまりに距離が遠すぎるんです…!先生もわかっているはずだ……。彼らがロウガさんたちと接触するのは、僕らが出発してすぐくらいだって…!」
ネフェルティータは目を伏せる。
それが肯定。
彼女の予測では2、3日以内に武力衝突があるはずである。
「わかりました……。ロウガさんへの連絡は私がします…。お二人は、どうかこのことをご内密にお願いします…。急に危機的な状況を迎えたと知れば、町の人々にも動揺が広がりますから。」
わかっています、とマイアがサクラの代わりに答えて、小会議室を後にした。
ネフェルティータは溜息を吐く。
この報告が如何に重大で、心に重く圧し掛かるか、手に取るようにわかる。
心の準備をして、魔力を解放し、ロウガへ伝えよう。
そうしようとした瞬間、
「チクショオオオオオオオオオオオオ!!!!!!」
聞いたこともないようなサクラの悲痛な声とやり場のない怒りを壁に叩き付ける轟音。
ネフェルティータもそんなサクラの声に驚いたが、この時、彼女はハッキリと理解した。
サクラも心を押し殺していたのだと。
それもまだ成人すらしていない少年には重過ぎる責任を彼は果たそうと必至なのだった。
数分後、心を落ち着けたネフェルティータはロウガに援軍に向かえない旨を伝える。
通信機を持たないロウガには一方的に伝えるだけの通信であったが、ロウガは特に怒る訳でもなく、まるでそのことを知っていたかのように平然としていたと、アスティアは証言している。
そして、ロウガは赤鱗の乙女、アドライグにクスコ川流域にてルオゥム帝国軍と共に陣取っている同盟軍総司令官・紅龍雅の下へ向かうように要請する。
彼女がどうしてロウガに直接指示されたのかは定かではないが、この時のことでアドライグは後にネフェルティータの記した歴史書に名を残すのである。
予言者・アドライグとして…。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
「………事情はよくわかった。」
ノエル帝は頷くと、すぐにキリエに命じて1000の兵を割くように手配する。
自身も謀反に遭い、挟み撃ちの危機に晒されているというのに、彼女はすぐに行動に移した。
その小気味の良さに龍雅は心の中で唸った。
なかなか出来ることではない、とノエル帝に感心する。
「ありがとうございます。もしも……皇帝陛下が御決断を渋ることがあれば一大事でした。」
「街道のセラエノの軍のことか?」
アドライグは首を振る。
まるで何もかもわかっている、というような顔でアドライグはノエル帝を真っ直ぐ見詰める。
「街道のセラエノ軍だけではありません。……陛下の御親族の命が危のうございました。」
「……余の、親族?」
アドライグは短く返事をすると、言葉を繋げた。
「そちらのリヒャルト公が帝都を秘密裏に脱出したことはすでに知られております。帝都を牛耳った国務大臣グルジア公は、その脱出したという事実のみを欲されていたのです。リヒャルト公が秘密裏に抜け出したとあらば、兎にも角にもそれはリヒャルト公の国務大臣への明らかな反逆。ならば皇族の一切を処断する大義名分を手に入れた謀反人たちは見せしめとして、…陛下に最も近い御親族……、妹姫君や御母堂たちを処刑しようとなさるはずです。」
それを聞いてリヒャルト老人は顔を青くした。
彼が秘密裏に脱出したのは、ノエル帝に挟み撃ちの危機を知らせること。
そして、もしも叶うなら帝都を奪還してほしいと願ったからに過ぎない。
だが、彼はアドライグに言われ気が付いた。
自分のそういう性格を彼らに利用されていたのだと。
「随分と……、対立なさっていたようですね…。リヒャルト公とグルジア公。同じ旗を扇ぎながら、一方は純粋に皇帝陛下に。もう一方は皇帝陛下の向こう側にいつも教会を見ておりました。今回の謀反は、まさにそれが引き金でしょう。皇帝陛下が連合軍に滅ぼされることを良しとせず、逆に彼らに宣戦布告をした。どちらが正しかったのか、と問われれば後世は間違いなく皇帝陛下の御英断を評価しま…しょう。しかし、あの方は我慢ならなかった。あの方は皇帝陛下が改めて教会に膝を突くことを望まれた。」
青い顔のまま老人はよろよろと腰を上げる。
「ヌ、ヌシはワシやグルジアのことを知っておるのか!?」
会ったことはないはずだ、とアドライグに問う。
しかし彼女は特に気に止める様子もなく、
「リヒャルト公にお会いしたことはございませんが…、グルジア公には幼い頃にお世話になったことがございます。」
と答えた。
そんなはずはないと、老人はいきり立つ。
ここは反魔物国家。
そんな国でリザードマンである彼女が国の重鎮と何らかの関係を持つなどありえない、と老人は唾を飛ばさんばかりに捲くし立てたが、アドライグはやはり別段気にする様子もなく、
「ああ、そうでした。現時点では反魔物国家だったのですね。失敬失敬。」
とだけ言って、惚けてしまう。
だが、すぐに真面目な顔に戻るとアドライグは先程の発言を続ける。
「…陛下、今すぐに帝都にお戻りなさい。ここから帝都まで、1日もあれば辿り着けます。今すぐお戻りになれば、御母堂も妹姫君も無傷で解放出来ましょう。おそらく、まもなくイチゴ様が撤退の妙案を持って参るはずです。」
「し、しかし……、余の肉親のためだけに全軍の命を駒に使うのは…。」
ノエル帝は自分だけならまだしも、すべての将兵の命を私事にて扱うのは騎士道、ひいては皇族としての責務に反するのではと渋っていると、アドライグが言う帝都帰還の進言を、まるで待っていたかのようにイチゴがノエル帝の幕舎に勢い良くやってきた。
「ワシ、超天才!!僅かな時間で安全に撤退出来る方法考え付いたのじゃ……?おお、見ない顔じゃな。どこの新人さんじゃ……?つーか、どこかで会ったかの?ワシ、オヌシに見覚えあるんじゃが、思い出せないのじゃ。」
龍雅、ノエル帝、リヒャルト老人の胸に不気味な空気が流れていた。
何故、こうまでこの者はわかるのか。
まるで、この後の展開を知っているようなアドライグに薄気味悪さを感じていた。
そんな空気を察してか、アドライグは龍雅に語りかけた。
「紅…将軍、ロウガ様より言伝を預かっています。」
「沢木から?」
「はい。意味はわからなかったのですが、あなたにこう言えば奮起すると仰っておりました。」
咳払いを一つすると、アドライグはロウガの声色を真似て言った。
「このままで終わるのか。お前が俺に見せた気迫はこの程度か。」
「………俺の……、気迫…。」
その言葉に、龍雅の胸の奥に熱い思いが甦る。
自分が武器を取る理由。
自分が死なせたくない相手のことを。
そして、自分が願った若き頃の夢を。
「……ふ……ふふふ……。」
「紅将軍?」
突然笑い出した龍雅にノエル帝は心配するような声を上げるが、龍雅は大丈夫だと言って、今度はこれまでの不安な心を追い出すように大声を上げて笑った。
「はっはっはっはっは…、その通りだ。このままで終わって良いはずはないよな。仮にも俺は沢木の野郎より遥かに優れた大軍略家。たかが後方を味方に脅かされた程度、俺たちは大和で何度も味わったんだ。皇帝、この後の方針は俺たちに委任してもらっても良いか?」
ノエル帝は息を飲んだ。
龍雅はまるで、少年のような屈託のない笑顔を向ける。
「あ……、ああ、構わない…。」
ノエル帝はその眩しい笑顔にそれだけしか答えられなかった。
「ならば、軍師殿!」
「応さ、進路は同盟軍引き連れてムルアケ……。」
「馬鹿、それじゃあ敵さんにケツ向けて、掘ってくださいって言ってるようなもんだ。」
龍雅の一言が、歴史を作る。
この時、誰もが自分が歴史の中に身を置いていることを自覚せずにはいられなかった。
ノエル帝も、
イチゴも、
リヒャルト老人も、
そして何かを知っているアドライグですら、そう感じざるを得なかった。
「この戦は俺たちの負けだ。勝ち続けたが、こうなったらどうにもならん。ならば、せめて味方の危機の一つや二つは取り除いてやるのが武人の務め。進路、神聖ルオゥム帝国帝都コクトゥ!奪われたものは奪い返すぞ!!!」
―――――――――――――――――――――――――――――――――
フィリップ王は満足していた。
帝国帝都に残る者たちの謀反、そしてフウム王国国王を勝手に僭称した息子の執政に耐えかね、彼を慕って(と思い込んでいる)2000人もの義勇軍が連合軍本陣に加わらんと勇敢に敵地を踏み付けて攻め上ってくるのだと思うと、これまでの同盟軍、主にセラエノ軍の与えられた大打撃で弱り切った心が嘘のように晴々としていた。
さらにヴァルハリア教会・ユリアス大司教も満足のいく話だったらしく、フィリップ王にヴァルハリア教会が定める最も栄誉ある称号である『六国騎士王』の称号を下賜したのである。
この『六国騎士王』の称号とは、かつては神聖ルオゥム帝国も含まれていたヴァルハリア教会指定の神兵国六国の上に君臨する王を意味する。
だが、すでに他国家との連携は崩れている上に、今は国も持たない流浪の敗残兵であるフィリップ王以下の旧フウム王国残党には、まさに砂上の楼閣、虚しい虚栄でしかなかった。
しかし、それでもフィリップ王は満足していた。
いや、満足しようとしていたのかもしれない。
今夜は久し振りにグッスリ眠れるだろう、と彼が心を落ち着けていた時、息を切らせた伝令兵が慌しく彼の幕舎に駆け込んできたのであった。
「何事か、騒々しい。」
せっかくの良い気分を台無しにされたフィリップ王は眉を顰める。
だが、彼の心情など二の次と考えていた伝令兵は最低限の礼を取ると、今入ったばかりの情報を、信じられないと言わんばかりにフィリップ王に報告した。
「申し上げます!賊軍の本陣、もぬけの殻でございます!!」
「何ぃッ!!!」
良い気分は台無しにされた。
それは伝令にではない。
表も裏も敵になり、絶体絶命の危機に甲羅に閉じ篭る亀の如く、同盟軍本陣に篭城を決め込んでいるだろうと、たかを括っていた学園都市セラエノ・神聖ルオゥム帝国同盟軍に。
「な、何をしておる!!兵を今すぐ叩き起こせ!!!だ、大司教猊下にもすぐにお知らせ申し上げよ。すぐに追撃をしなければ…!」
だが、彼は余程慌てていたのだろう。
追撃命令までは良かったのだ。
『本陣ごと』移動する、という命令まで出してしまったのだから…。
結果的に、この命令が同盟軍を助けることになる。
本陣ごと移動することになった連合軍の進軍速度は鈍り、クスコ川を渡るために全物資、全兵糧、全兵を渡河し終えるまでに多大な時間を費やしてしまったのであった。
11/05/14 01:25更新 / 宿利京祐
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