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第九十五話・好事、魔多し
「……………大叔父様、どうか頭をお上げください。」
「すまぬ…、すまぬ、ノエルよ!!お前の留守の間、立派に帝都の者たちを守ってみせるとヌシに大言を吐いておきながらこの体たらく!!帝都を…、国務大臣どもに奪われ申した…!!!民を踏み躙られて尚怒りを覚えぬボンクラどもに、このワシが負けてしまった!!!さあ、ノエル。この白髪首を落とされい!!!ヌシに報告さえ出来たなら、最早この世に思い残すことはない!!!」
最前線のノエル帝の下に使者とも呼べぬボロ服を纏った老人が駆け込んだ。
男の名はリヒャルト=ルオゥム。
ノエル帝の祖父ヴァイス5世の弟で、73歳の老練な歴戦の軍人であり、その忠誠心と無骨さから、ノエル帝がもっとも信頼する人物の一人でもあった。
老人は涙を流し、ノエル帝の足元に頭を擦り付けて謝罪していた。
ノエル帝はどうすることも出来ず、瞳を閉じて深い溜息を吐く。
「大叔父様………、謝罪は…、無用です。大叔父様に落ち度があったのではありません。あの者たちを中央に残して出陣した私の落ち度なのです。信仰心溢れる者たちを、大叔父様と一緒に帝都に残してしまったのは私の落ち度。しかし、起きてしまったことは元には戻りません。これから、どうするのかを考えねばならないのです。連合軍に降伏するか、ここで玉砕すべきか…。退路を断たれた我々に、その選択肢はないに等しいのですから…。」
ノエル帝は苦々しい顔をする。
リヒャルト老人の報告は彼女を絶望させるのに十分過ぎる威力を持っていた。
神聖ルオゥム帝国、帝都コクトゥで神への信仰を捨て切れぬ者たちが謀反を起こした。
その中心人物は帝国国務大臣グルジア=クラミスという50代半ばの男。
彼は皇帝不在の中、教会との関係を断つことを良しとせぬ親ヴァルハリア教会派を煽動し、電光石火の早業で宮廷内の皇帝派を次々に逮捕し、宮廷を親教会派で染め上げた。
そしてヴァルハリア・旧フウム王国連合軍に急使を送り、自分たちの立場を明確にした上で、連合軍に叛意はなく、戦列の端に加えてもらえるならば帝国軍の背後を突き、皇帝の首を以って、これを忠誠の証にしたいと申し入れたのであった。
それは同盟軍にとって、ダオラが戦列を離れてしまった以上の大打撃であった。
リヒャルト老人は、追っ手を命辛々振り切って、ノエル帝にそれを伝えに来たのである。
「ノエル、ワシは帝都にて聞いたのだが……、何でも魔物たちと同盟を結んだとか…。それは真(まこと)であるか?」
リヒャルト老人の言葉にノエル帝は頷いた。
「大叔父様、私は戦場にて知ったのです。何代も盟を結んだ国家は我らを見捨て、そして教会が世界の敵と認めた彼の者たちは滅亡に貧した帝国を捨て置けず駆け付けてくれたのです。最早、反魔物だ親魔物だという論理は破綻しております。人間が人間を見捨て、魔物が人間を捨て置けない。これのどこに魔物を憎む理由がありますか?魔物を敵だと信じる理由がありますか?少なくとも私にはそれを見出せなかった。ですから、私は盟を結んだのです。領地を持たぬ小さな街と対等な盟を。今の私には……、援軍を送ってくれた彼らにそれ以上に返せるものが何もないのですから…。」
ノエル帝の言葉にリヒャルト老人は何も言えなかった。
兄の孫娘は、いつの間にか自分の手を放れ立派な皇帝になっていたことに喜んでいた。
だが、状況は感傷に浸る時間を与えてはくれない。
この立派に育った皇帝は、あまりに生まれてくるのが遅すぎた。
「……して、帝都の様子は如何なものですか?」
「……………教会派の者どもが帝都の民に戒厳令を敷いておる。そして指示を得るためにヌシが討ち死にした。ヌシが討ち死にした故に降伏し、ヌシが乱した伝統と秩序を回復すべく、再び教会と神の慈悲に縋るべきだと触れ回っておるわ。」
「………はっ。」
ノエル帝は呆れたような笑いを浮かべた。
「私が討ち死に?馬鹿馬鹿しい。」
「だが、効果は絶大だった。ヌシは民衆に人気があり、民の声を聞いて玉座に君臨し続けた。ヌシが討ち死にしたとあれば、民衆も抵抗する理由がないのだからな。そして奴らにしてみれば、ヌシは伝統破壊者。魔物と心を通わせ、異端の悪魔に心を開き、教会に弓引く者。グルジアの若造は、この戦が始まってすぐにそう息巻いておったわ。」
「まるで教会の犬のようだ…。」
今度は心底呆れて、ノエル帝は溜息を吐く。
しかし、事態は深刻だった。
どんなに離反した家臣に呆れようと、挟み撃ちの危険が迫っている。
その時だった。
「よう、皇帝。ちょっと良いか?」
二人の会話を遮るように、皇帝の幕舎に入ってきたのは同盟軍司令官・紅龍雅であった。
「ああ、紅将軍。余に何か?」
不遜な態度に怒りを露わにしたリヒャルト老人だったが、ノエル帝は老人の怒りを制した。
彼はあくまで協力者であり、家臣でも何でもないのだと老人を諭すと、何事かと龍雅に問う。
「やばいことになった。」
「ほぉ…、やばいこと、とな?そちの耳にも入っておろう。余は家臣どもに廃位され、帝都は謀反人の手によって陥落した。これ以上、何を慌てることがあろうか?」
龍雅は苦笑いを浮かべると、ノエル帝に手紙を差し出した。
一通はハインケル=ゼファーからの宛名のない封筒。
そしてもう一通の封筒には連合軍上級騎兵大将・ヒロ=ハイルの直筆の署名。
これは一体、とノエル帝が問いかけると、龍雅は苦笑いで言葉を返した。
「ダオラ姐さん負傷、そちらは謀反。だが悪いことは重なるものとよく言ったものだな。やばいぞ、皇帝。敵さんに味方すべく、無傷の2000の兵が合流せんと押し寄せてくる。」


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「……その報告に間違いはないのですか。」
ヴァルハリア・旧フウム王国連合軍上級騎兵大将・ヒロ=ハイルは努めて静かに、そして沈痛な心地で部下から報告を聞いていた。
だが、ヒロのそんな心情を察することが出来ない部下は、興奮気味に話し続ける。
「はい、間違いございません!フウム王国より遅ればせながら正義の兵が2000、ムルアケ街道沿いの悪魔たちの村や領地を攻め落としつつ、我らの本陣と合流すべく向かっております!!」
その報告は、極めて正確ではなかった。
フウム王国はすでに体制が一新し、父であるフィリップ王を廃位して即位した現王、ジャン1世は文化の発展と様々な交流の妨げとなる教会との関係を半ば絶縁状態にしている。
そんな彼が今更連合軍に兵を送る理由はないのである。
だが、ムルアケ街道を進む軍団は間違いなくフウム王国軍なのである。
彼らは追放者、没落貴族、クーデターに負けた旧体制派。
現王国に居場所がない人々。
教会に忠誠を誓う人々。
かつての栄華が忘れられない人々。
そんな者たちが2000人も集まり、武装集団と化して連合軍本陣を目指した。
少しでも手柄を立てれば、大司教や今でも自分たちの王だと信じるフィリップの覚えも良いだろうと、ムルアケ街道沿いの村々を焼き、守備兵の少なくなった関所を落とし、これまでの連合軍と何ら変わりない暴虐の徒となって殺戮と略奪を繰り返しながら進軍する。
義勇兵と名乗る彼らだが、やっていることは山賊、盗賊の類よりも劣る。
「大司教猊下もフィリップ王もお喜びです。悪辣な皇帝から解放された帝国の都も、敵軍を打ち破るべく挟み撃ちを申し入れております。フィリップ王は2000の義勇兵、そして帝国軍恭順派が到着次第、大兵力を以って賊軍を討伐なさるおつもりです。」
「それでは……!」
遅すぎる、という言葉をヒロ=ハイルは飲み込んだ。
今更意見してどうなる。
味方が到着次第というが、無意味な戦闘を繰り返しながら進軍する義勇兵がいつ着くのか誰にもわからないというのに、と彼は心の中で大司教やフィリップ王の采配に不満を漏らした。
先のダオラの活躍で兵力が本陣には少ない。
彼自身頼れる武将が少ない今、こうした予期せぬ増兵は歓迎すべきものであったが、何故か彼の心は晴れなかった。
「てい…いえ、賊軍はこのことを?」
「知るはずはありません。帝都が落ちたことは知らぬはずです。例え知ったとしてもどうすることも出来ません。逃げ出せば我らの追撃で討ち取られ、正面からはかつての同胞によって討ち取られるのです。さらに無傷の2000の兵がムルアケ街道を占領する悪魔たちを討ち取ってくれます。まさに我らの完全勝利に……。」
「お黙りなさい……。」
「……は?」
「……………黙れ、と言っているのです!」
温厚なヒロが初めて見せた激哮に、部下は小さく悲鳴を上げて声を失った。
無言。
重々しい空気が流れる。
「………結構です。下がりなさい。」
「は、は、はい!!し、失礼しましたぁぁぁぁ!!!!」
男は安堵し、逃げるようにヒロの幕舎から走り去る。
ヒロは無言で机に向かうと、ペンを走らせる。
高い教養を感じさせる流麗な字で、彼は手紙を書いた。

『親愛なるセラエノ軍将軍、紅龍雅殿。
 
 あなた方に危機が訪れようとしています。
 すでに帝都は謀反により陥落し、フウム王国本土より2000の兵が向かっています。
 紅将軍、私はあなたをこんなつまらない戦いで亡くしたくはないのです。
 どうか、ここは賢い決断をノエル=ルオゥム陛下にご進言ください。
 微力ではありますが、全身全霊を賭けてあなた方の助命を嘆願致す所存です。
 どうか、つまらぬ意地で無意味に命を散らしたりしないでいただきたい。
 生きていれば、花は何度でも咲きましょう。
 
 これ以上、私たちが戦い合わないことを祈っております。

    ヴァルハリア・フウム王国連合軍上級騎兵大将 ヒロ=ハイル』


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袋小路もいいところだ、と私は思い知った。
帝都は陥落、しかも敵には無傷の兵が2000増える。
鉄壁の防御陣は、そのまま最悪な孤立無援に変わった。
「紅将軍、策は……。策はないのか…。」
お願いだ、龍雅。
何か策を言ってくれ。
私を安心させてくれるような言葉をかけてくれ…。
「色々と考えちゃいるんだが……、今一つ方向性が定まらない。どう撤退するかは今、うちの軍師殿が必死になって考えているよ。今すぐ、俺たちが滅ぶ訳ではないがボヤボヤしていられないのも実情だな…。」
龍雅も歯切れが悪い。
アルフォンスやイチゴが同席しないのも、やはり気まずいからなのだろう。
私としても……、どんな顔をして彼女らに会えば良いのか検討が付かない。
戦勝ムードが、一瞬にしてこれだ。
我々は負けていない。
だというのに……、味方に裏切られる程、屈辱的な幕切れがあるだろうか。
「あの……、陛下…。」
侍従のキリエがおずおずと声をかけた。
「キリエ……、すまないが席を外してくれないか…。余も紅将軍も大叔父様もこれからのことを考えねばならない。少ししたら呼ぶから、それまで奥で待機をしていてほしい。」
「……陛下の御意とあらば、席を外します。ですが、その前に陛下にお取次ぎ願いたいという方がお待ちなのです。」
「………私に…?何者だ?連合軍からの使者か?」
キリエは困ったような表情を浮かべる。
そしてしばらく考え込むと、ゆっくりと口を開いた。
「それが所属は仰らないのですが、セラエノの方……ではないのでしょうか?」
「セラエノの?」
龍雅が割って入る。
キリエは頷いた。
「ええ、言葉のアクセントがそちらの言葉に近いのです。それに、お会いしたいという方は、人間ではなくリザードマンなのです。………そう、まるでセラエノの方の鎧と同じ真っ赤で立派な鱗を纏った方です。ムルアケ街道に陣を構えるロウガ王の使いで参ったとか…。」
「何故、それを余に早く知らせなかった!?」
私が声を荒げると、キリエは怯えながら言葉を続ける。
「そ、それが……、その方は帝都陥落の報、ムルアケ街道を2000の兵が進軍しているという報が入ってから取り次いでほしいと仰っていまして…。それもリヒャルト公、紅将軍が同席している時にと…。」
「待て……、何故大叔父様がここにいることを知っている。」
大叔父様がここにいることは、我が軍の中でも一握り。
どこで漏れたというのか…。
龍雅の顔を覗いてみる。
だが、彼もまた覚えがないという顔をした。
「良かろう、キリエ。その者を通せ。」
「は、はい!ではすぐにお呼び…。」
キリエが呼びに行こうと踵を返すと、そこには二十歳そこそこの若い蜥蜴の娘が。
赤い…。
燃えるように赤い鱗。
燃えるように赤い髪。
褐色の肌が実に美しいリザードマン。
何故だろうか…。
どこかで見たような気がする。
「お呼びいただくまでもありません。」
そう丁寧に言うと、蜥蜴の乙女は跪いた。
帝国の作法をよく知っているらしい。
彼女の仕草はまさに帝国貴族そのもののように洗練されている。
「余に……、紅将軍、大叔父様に会いたいと申したのはそちか?」
「…………は。左様にございます。」
「何故に?」
「それは……………。」
蜥蜴の乙女が顔を上げる。
皇帝を前にして気後れすることなく、それでいて正しき意志の強さを目に宿した顔で、蜥蜴の乙女は私を真っ直ぐに見詰めるのである。
「帝国、ひいてはセラエノを救うためです。」
嘘はない。
この乙女の言葉には真実があり、そう信じさせるだけの強さがある。
私は、初対面の蜥蜴の乙女に興味が湧いた。
「名を聞こう。余は神聖ルオゥム帝国皇帝、ノエル=ルオゥム。」
「……皇帝陛下、お会い出来て嬉しゅうございます。私の名は…。」
蜥蜴の乙女は視線を外さない。
強い眼差しに、私は釘付けになっていた。
初対面という感覚に乏しい。
一体、誰に……、似ているのだろうか…。
「アドライグでございます。」


蜥蜴の乙女、アドライグはこうして史記にその姿を現したのであった。


11/05/11 01:16更新 / 宿利京祐
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■作者メッセージ
こんばんわ、お久し振りです。
そして、ごめんなさい。
魔物が……、最後にチラっとしか出てません!!
謹んでお詫び申し上げます。

では今回の登場キャラ、赤いリザードマン『アドライグ』は
Rotwing様(今はRottenwings様)からいただいたリクエストキャラです。
でも彼女は、次回でさようならです。
え、何故かって?
ついにキーワードが揃ったのです。
『ムルアケ戦役』『同盟』、そして最後は『アドライグ』。
という訳で、外伝をぼちぼちと書き始めます。
予告しておきますと、外伝主役は彼女です♪

では最後になりましたが
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
また次回、お会いしましょう。

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