第九十二話・たった一人の復讐戦
我が目に、男の姿が何かに重なって見えていた。
「ダオラ、貴様を!貴様を殺す!!貴様さえ……、貴様さえ存在しなければ…!!」
波打つ長剣を振るう男。
剣技というにはあまりに泥臭く、あまりに洗練されていない動き。
だが、我にはわかる。
この男を突き動かすのは、剣の腕というちっぽけな自信ではない。
正義という、薄っぺらで無責任な言葉でもない。
ましてや、サクラのような気高い精神でもない。
この男を突き動かすもの。
それは憎悪。
我にのみ向けられる、極めて純度の高い圧倒的な憎悪しか存在しないのだ。
「がぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」
その口から発せられるのは気合ではなく、獣染みた狂気。
無茶苦茶に振っているように見えて、その剣戟は人間という脆弱な領域を遥かに凌駕し、間合いも呼吸も計らないまま繰り出される斬撃は、正確に我が急所を襲い、身体が最短距離で剣を走らせる。
一撃、また一撃が重い。
この男のすべてを剣に乗り移らせて、叩き付けているようだ…。
ガギィッ
鍔迫り合いの如く、間合いを詰めて睨み合う。
男の刀身が、我が龍槍と擦れて僅かにではあるが欠けている。
だが、男は構わず力の限り我を圧し斬ろうと力を込め続ける。
「……この臭い。毒、であるな。それも極めて強力な。」
間近で見ると波打つ刀身は、濡れていた。
なるほど、刀身が欠けても構わぬということか。
ただ我を狩るため。
我に傷一つ付けることが出来ればそれで良い、ということなのだな。
「見事な覚悟よ。そなたを我が敵と認識しよう。名を名乗れ。功名心で我が前に立ったのではないのであろう。そなたは我が首一つ欲しいだけのようだ。我を憎き敵と言ったな。我はそなたにとって何者の敵なのだ。」
男は我を睨んだ。
「やはりそうだ。貴様は貴様が殺した人間のことなど覚えてはいなかった!人間などというちっぽけな命、貴様にとっては何の価値もないんだ!!教えてやる、蜥蜴。ジークフリート……、ジークフリート=ヘルトリング!!貴様は俺の妻と子の仇だ!!!」
我が腹に蹴りを入れ、ジークフリートと名乗る男は間合いを開ける。
効かぬ一撃であったが、男の言葉に我が心臓は悲鳴を上げていた。
何かに似ているのではない。
妻と子。
夫と娘。
憎しみのままに我を狙う者。
憎しみのままにすべてを滅ぼさんとした我。
何かに似ているのではない。
我と同じなのだ。
そこにいるのは我そのものであった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
獣染みた咆哮をジークフリート=ヘルトリングは吐き続ける。
それは怨敵への計り知れぬ怨念。
それは失った者たちへの鎮魂歌。
許せるものか、許せるものか、とジークフリートはダオラに剣を向ける。
記憶に焼き付いた惨劇の夜が、彼を突き動かすのであった。
燃え盛る村。
引き千切られ、出来損ないの人形のようにグッタリした気の良い仲間たち。
神を模った首飾りを握ったまま息絶えた妻の姿。
そして、首を抱いて泣き叫ぶ白銀の暴龍。
「貴様如き悪魔が知るはずもあるまい!守るべき者のために身に付けた技が、誰一人守れない無力さを!!俺が助けに来てくれると信じて死んで逝った妻の腸(はらわた)を掻き集める無念さを!!愛する者を守り切って死んで逝ったはずがその実、誰一人助からなかった喪失感を!!許せるものか、貴様は俺のすべてを踏み躙った!!!」
ジークフリートの妻、アンナはその死の間際に言い残した。
彼の娘たちや村人の子供たちを、納屋に匿っていると。
妻の亡骸に別れの口付けをして、ジークフリートは納屋へと急いだ。
石造りの納屋は崩れ落ち、震えて身を寄せる子供たちを押し潰し、暴龍の炎によって焼けた石は押し潰した子供たちを一人残らず焼き殺していた。
石の隙間から伸びた黒焦げの小さな手は、何かを掴もうと力強く拳を握り締めていた。
皮肉にも、その手を伸ばしていたのは彼の娘。
生き残ったのは彼一人。
それはダオラがサクラに出会う数日前の悲劇であった。
人が強くなる最短ルートは、憎悪である。
無限の憎しみが狂気の修練を可能にし、人間の限界を易々と突破するのである。
それはかつてのウェールズ=ドライグがそうであったように。
だが、ジークフリート=ヘルトリングはウェールズ=ドライグと決定的に次元が違っていた。
ウェールズは復讐に身を置くことで、己の時間を止めていたのだが、その反面で自分の命を差し出すことが出来ず、怨敵を討つことで彼自身の心の傷を隠し、慰めていたにすぎなかった。
だが、ジークフリートのそれは違っていた。
彼は救いを求めていない。
かつてネヴィアがヴルトームに語りかけたように、憎しみは何も生み出さず、ただ自滅への道を突き進む。
だが、彼はそれすら承知なのである。
ただダオラさえ討つことが出来るなら命はいらない。
彼の愛した者たちの無念を晴らすことさえ出来るのなら何もいらない。
純粋な怨念は、人という領域を凌駕する。
身体が悲鳴を上げても、気絶するまで剣を振る。
気絶しては起き上がり、剣を振り続ける。
身体の筋肉が限界を超え、断絶してしまえば、そのためだけに覚えた回復魔法で慰め程度に身体を修復し、ただ憎い暴龍を思い浮かべ、再び身体が壊れてしまうまで狂気の修練に戻るのである。
ジークフリートは、魔術の才なし。
されどその執念だけは、如何なる大魔導士も足元に及ばない。
執念。
言葉にしてしまえば、これ程呆気ないものはない。
だが、執念という信仰だけが『狂気』を『実力』へと変えていくである。
ヴァルハリア・旧フウム王国連合軍に義勇兵として参戦するに当たり、ジークフリート=ヘルトリングはいくつか尋問とも質問とも取れる問答を受けた。
元砂漠を行くキャラバンの護衛をしていたという彼の身分。
彼が聖戦に参戦するに至った悲しい理由。
彼の友人関係。
そして、
「魔物が憎いか。」
というヴァルハリア教会領では挨拶みたいな質問。
「憎い。」
そう短く答えた彼の目には、ただ何の光もない濁った絶望だけ映っていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
龍槍を薙ぎ、突き、払う。
我が膂力を以ってすれば、如何なる猛者も太刀打ちあたわず。
そう、サクラやマイア、アスティアであるならば話は別だと思っていた。
だが、ジークフリートなる男。
その復讐心は、想像を絶する。
疾く、鋭い斬撃を休みなく繰り出し続け、ついには我が膂力を圧倒する。
我が……、龍たる我が人間に力負けするなど恥辱の極み。
しかしこの者は違うのだ。
サクラたちのような気高き魂も、果て無き理想もない。
ただ我を憎み、愛する者たちを悼み、我を滅するためならば明日を捨て今日を取る。
死者を隠れ蓑にするという冒涜も、剣に毒を塗るという手段さえも選ばない。
そう、この者は脆弱な人間ではない。
愛する者を我に奪われ、我を憎むあまりに『ダオラ』になってしまった暴龍の残影なのだ。
我も夫を、娘の命を人間に奪われ、人間を憎み、地獄の復讐に身を委ねた。
男も妻を、我が子を、村を、愛する者たちをすべて我に奪われ、明日無き幸福に身を委ねた。
同じだ。
ジークフリートなる男は、種族こそ違えど我なのだ。
我は……、サクラの手に引かれて、地獄の復讐の日々から抜け出せた気になっていた。
だが、事実はどうであるか。
男は救われてなどいない。
男の長剣が語っている。
『許さない。お前だけ安息の日々を迎えるなど許さない。数多の怨霊に食い千切られようと、数多の亡霊がお前を責め続けようと、お前を決して許さない。まずは死ね。死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。例え死んだとて我は許さじ。』
怨念を感じ取った瞬間、我の身体がひどく重く感じた。
まるで無数の死者が我が足にしがみ付くように。
まるで無数の死者が背中に負ぶさり、腕にしがみ付いて我が動きを封じるように。
「はあっ!!」
怨霊を振り払うように、龍槍を突き入れた。
「おおおおおおおおお!!!!」
ジークフリートは、頬をザックリ斬られながら構わず前に踏み込んで来た。
あらゆる攻撃を意に介さず、ジークフリートは毒に濡れた長剣を振り下ろす。
「ちぃっ!」
龍槍の柄を傾け、振り下ろされた刃を滑らせ、受け流すことで事無きを得る。
こう距離が詰まっては槍は威力を発揮出来ぬ。
我は近接戦闘に切り替えることにした。
「滅っ!!」
小さく円を描くように、鋼鉄すらバターの如く切り裂く爪で襲い掛かる。
だが、それを読んでいた男は一瞬素早く身を退き、距離を取った。
我が切り裂いたのは、鎧の胴のみ。
「………見事なり。良くぞ、脆弱なる身体でここまで辿り着いたものよ。」
「辿り着けるさ…。明日を捨て、ただ今日この瞬間のために剣を振るうならお前に辿り着ける。この脆弱な身体でも、お前を殺すだけの力を得ることが出来るなら、俺のすべてを代償にしても何も惜しくはない!!」
「大層なことを言う。すべてを代償になど出来は…………!?」
そう言ってから気が付いた。
我が爪は、鎧の胴を、その下に着込んだ服ごと切り裂いていた。
そしてその隙間から見える肌に刻み込まれた文字の断片。
「ルーン!?いや、似ているが違う…。それは旧世代に使われた文字か!何故、そなたがそんなものを身体に刻んでいる!?何故、魔術師でもないそなたが…!!」
「言ったはずだ。俺に明日などいらない!」
ジークフリードは叫ぶと、役に立たなくなった鎧を外し、切れた服を破り捨てた。
男の身体を埋め尽くす文字。
それはある一定の法則を持って羅列され、ルーン文字に似た太古の文字は神を呪い、世界を呪い、自らを呪い続け、禁じられた魔方陣をジークフリードの身体に刻み付けられていた。
「ダオラ様、加勢致します!!」
粗方、敵軍を掻き回して来たリザードマンたちが戻ってくる。
「おお、あれなるは何者か!?たった一人でドラゴンに対じしているぞ。皆の者、歩兵一人に遅れを取っては騎士の名折れぞ!!」
ジークフリートの姿を見かけ、勇敢な連合軍将兵が隊列を組んで駆け付けて来る。
その二つの集団を視界に治めると、ジークフリートは初めて唇の端を歪めた。
「ふふふ……、ククッ………、はははははははははは!!!!そうだ、もっと近付いて来い!!!生贄は……、生贄は多ければ多い程良い…。それも強く、穢れ無き魂であれば、この上ない生贄となる!!!」
ジークフリートの身体に刻まれた太古の文字が禍々しい光を発する。
我はその禍々しさに言い知れぬ悪寒を感じ、両軍に静止を命じた。
「来るな!!来てはならぬ!!!」
「遅い!!すべて俺の餌になってもらうぞ!!!」
その瞬間、ジークフリートを中心に巨大な魔方陣が出現した。
我はこれを知っている。
失われて久しく、幼い頃に父母によって聞かされたことがあるその魔方陣は、唱えてはならず、修めてはならず、知ってはならないという三戒を以って封印された太古の魔術。
当代の魔術師、大魔導士でも知らぬであろうその名を、我は無意識のうちに口走る。
「………禁呪法・暴食の顎(あぎと)。」
「喰え、奪え、呪え!!純粋なる憎悪を糧とし、仇敵を滅ぼさん!!!」
その言葉が起爆剤。
魔方陣を発動させる唯一の言葉。
憎悪を喰い、他者の命を奪ってのみ発動する外道の魔法。
魔方陣が輝き、禍々しい黒い光の柱が我ごと、魔方陣に足を踏み込んだすべてを飲み込んだ。
「ダオラ、貴様を!貴様を殺す!!貴様さえ……、貴様さえ存在しなければ…!!」
波打つ長剣を振るう男。
剣技というにはあまりに泥臭く、あまりに洗練されていない動き。
だが、我にはわかる。
この男を突き動かすのは、剣の腕というちっぽけな自信ではない。
正義という、薄っぺらで無責任な言葉でもない。
ましてや、サクラのような気高い精神でもない。
この男を突き動かすもの。
それは憎悪。
我にのみ向けられる、極めて純度の高い圧倒的な憎悪しか存在しないのだ。
「がぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」
その口から発せられるのは気合ではなく、獣染みた狂気。
無茶苦茶に振っているように見えて、その剣戟は人間という脆弱な領域を遥かに凌駕し、間合いも呼吸も計らないまま繰り出される斬撃は、正確に我が急所を襲い、身体が最短距離で剣を走らせる。
一撃、また一撃が重い。
この男のすべてを剣に乗り移らせて、叩き付けているようだ…。
ガギィッ
鍔迫り合いの如く、間合いを詰めて睨み合う。
男の刀身が、我が龍槍と擦れて僅かにではあるが欠けている。
だが、男は構わず力の限り我を圧し斬ろうと力を込め続ける。
「……この臭い。毒、であるな。それも極めて強力な。」
間近で見ると波打つ刀身は、濡れていた。
なるほど、刀身が欠けても構わぬということか。
ただ我を狩るため。
我に傷一つ付けることが出来ればそれで良い、ということなのだな。
「見事な覚悟よ。そなたを我が敵と認識しよう。名を名乗れ。功名心で我が前に立ったのではないのであろう。そなたは我が首一つ欲しいだけのようだ。我を憎き敵と言ったな。我はそなたにとって何者の敵なのだ。」
男は我を睨んだ。
「やはりそうだ。貴様は貴様が殺した人間のことなど覚えてはいなかった!人間などというちっぽけな命、貴様にとっては何の価値もないんだ!!教えてやる、蜥蜴。ジークフリート……、ジークフリート=ヘルトリング!!貴様は俺の妻と子の仇だ!!!」
我が腹に蹴りを入れ、ジークフリートと名乗る男は間合いを開ける。
効かぬ一撃であったが、男の言葉に我が心臓は悲鳴を上げていた。
何かに似ているのではない。
妻と子。
夫と娘。
憎しみのままに我を狙う者。
憎しみのままにすべてを滅ぼさんとした我。
何かに似ているのではない。
我と同じなのだ。
そこにいるのは我そのものであった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
獣染みた咆哮をジークフリート=ヘルトリングは吐き続ける。
それは怨敵への計り知れぬ怨念。
それは失った者たちへの鎮魂歌。
許せるものか、許せるものか、とジークフリートはダオラに剣を向ける。
記憶に焼き付いた惨劇の夜が、彼を突き動かすのであった。
燃え盛る村。
引き千切られ、出来損ないの人形のようにグッタリした気の良い仲間たち。
神を模った首飾りを握ったまま息絶えた妻の姿。
そして、首を抱いて泣き叫ぶ白銀の暴龍。
「貴様如き悪魔が知るはずもあるまい!守るべき者のために身に付けた技が、誰一人守れない無力さを!!俺が助けに来てくれると信じて死んで逝った妻の腸(はらわた)を掻き集める無念さを!!愛する者を守り切って死んで逝ったはずがその実、誰一人助からなかった喪失感を!!許せるものか、貴様は俺のすべてを踏み躙った!!!」
ジークフリートの妻、アンナはその死の間際に言い残した。
彼の娘たちや村人の子供たちを、納屋に匿っていると。
妻の亡骸に別れの口付けをして、ジークフリートは納屋へと急いだ。
石造りの納屋は崩れ落ち、震えて身を寄せる子供たちを押し潰し、暴龍の炎によって焼けた石は押し潰した子供たちを一人残らず焼き殺していた。
石の隙間から伸びた黒焦げの小さな手は、何かを掴もうと力強く拳を握り締めていた。
皮肉にも、その手を伸ばしていたのは彼の娘。
生き残ったのは彼一人。
それはダオラがサクラに出会う数日前の悲劇であった。
人が強くなる最短ルートは、憎悪である。
無限の憎しみが狂気の修練を可能にし、人間の限界を易々と突破するのである。
それはかつてのウェールズ=ドライグがそうであったように。
だが、ジークフリート=ヘルトリングはウェールズ=ドライグと決定的に次元が違っていた。
ウェールズは復讐に身を置くことで、己の時間を止めていたのだが、その反面で自分の命を差し出すことが出来ず、怨敵を討つことで彼自身の心の傷を隠し、慰めていたにすぎなかった。
だが、ジークフリートのそれは違っていた。
彼は救いを求めていない。
かつてネヴィアがヴルトームに語りかけたように、憎しみは何も生み出さず、ただ自滅への道を突き進む。
だが、彼はそれすら承知なのである。
ただダオラさえ討つことが出来るなら命はいらない。
彼の愛した者たちの無念を晴らすことさえ出来るのなら何もいらない。
純粋な怨念は、人という領域を凌駕する。
身体が悲鳴を上げても、気絶するまで剣を振る。
気絶しては起き上がり、剣を振り続ける。
身体の筋肉が限界を超え、断絶してしまえば、そのためだけに覚えた回復魔法で慰め程度に身体を修復し、ただ憎い暴龍を思い浮かべ、再び身体が壊れてしまうまで狂気の修練に戻るのである。
ジークフリートは、魔術の才なし。
されどその執念だけは、如何なる大魔導士も足元に及ばない。
執念。
言葉にしてしまえば、これ程呆気ないものはない。
だが、執念という信仰だけが『狂気』を『実力』へと変えていくである。
ヴァルハリア・旧フウム王国連合軍に義勇兵として参戦するに当たり、ジークフリート=ヘルトリングはいくつか尋問とも質問とも取れる問答を受けた。
元砂漠を行くキャラバンの護衛をしていたという彼の身分。
彼が聖戦に参戦するに至った悲しい理由。
彼の友人関係。
そして、
「魔物が憎いか。」
というヴァルハリア教会領では挨拶みたいな質問。
「憎い。」
そう短く答えた彼の目には、ただ何の光もない濁った絶望だけ映っていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
龍槍を薙ぎ、突き、払う。
我が膂力を以ってすれば、如何なる猛者も太刀打ちあたわず。
そう、サクラやマイア、アスティアであるならば話は別だと思っていた。
だが、ジークフリートなる男。
その復讐心は、想像を絶する。
疾く、鋭い斬撃を休みなく繰り出し続け、ついには我が膂力を圧倒する。
我が……、龍たる我が人間に力負けするなど恥辱の極み。
しかしこの者は違うのだ。
サクラたちのような気高き魂も、果て無き理想もない。
ただ我を憎み、愛する者たちを悼み、我を滅するためならば明日を捨て今日を取る。
死者を隠れ蓑にするという冒涜も、剣に毒を塗るという手段さえも選ばない。
そう、この者は脆弱な人間ではない。
愛する者を我に奪われ、我を憎むあまりに『ダオラ』になってしまった暴龍の残影なのだ。
我も夫を、娘の命を人間に奪われ、人間を憎み、地獄の復讐に身を委ねた。
男も妻を、我が子を、村を、愛する者たちをすべて我に奪われ、明日無き幸福に身を委ねた。
同じだ。
ジークフリートなる男は、種族こそ違えど我なのだ。
我は……、サクラの手に引かれて、地獄の復讐の日々から抜け出せた気になっていた。
だが、事実はどうであるか。
男は救われてなどいない。
男の長剣が語っている。
『許さない。お前だけ安息の日々を迎えるなど許さない。数多の怨霊に食い千切られようと、数多の亡霊がお前を責め続けようと、お前を決して許さない。まずは死ね。死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。例え死んだとて我は許さじ。』
怨念を感じ取った瞬間、我の身体がひどく重く感じた。
まるで無数の死者が我が足にしがみ付くように。
まるで無数の死者が背中に負ぶさり、腕にしがみ付いて我が動きを封じるように。
「はあっ!!」
怨霊を振り払うように、龍槍を突き入れた。
「おおおおおおおおお!!!!」
ジークフリートは、頬をザックリ斬られながら構わず前に踏み込んで来た。
あらゆる攻撃を意に介さず、ジークフリートは毒に濡れた長剣を振り下ろす。
「ちぃっ!」
龍槍の柄を傾け、振り下ろされた刃を滑らせ、受け流すことで事無きを得る。
こう距離が詰まっては槍は威力を発揮出来ぬ。
我は近接戦闘に切り替えることにした。
「滅っ!!」
小さく円を描くように、鋼鉄すらバターの如く切り裂く爪で襲い掛かる。
だが、それを読んでいた男は一瞬素早く身を退き、距離を取った。
我が切り裂いたのは、鎧の胴のみ。
「………見事なり。良くぞ、脆弱なる身体でここまで辿り着いたものよ。」
「辿り着けるさ…。明日を捨て、ただ今日この瞬間のために剣を振るうならお前に辿り着ける。この脆弱な身体でも、お前を殺すだけの力を得ることが出来るなら、俺のすべてを代償にしても何も惜しくはない!!」
「大層なことを言う。すべてを代償になど出来は…………!?」
そう言ってから気が付いた。
我が爪は、鎧の胴を、その下に着込んだ服ごと切り裂いていた。
そしてその隙間から見える肌に刻み込まれた文字の断片。
「ルーン!?いや、似ているが違う…。それは旧世代に使われた文字か!何故、そなたがそんなものを身体に刻んでいる!?何故、魔術師でもないそなたが…!!」
「言ったはずだ。俺に明日などいらない!」
ジークフリードは叫ぶと、役に立たなくなった鎧を外し、切れた服を破り捨てた。
男の身体を埋め尽くす文字。
それはある一定の法則を持って羅列され、ルーン文字に似た太古の文字は神を呪い、世界を呪い、自らを呪い続け、禁じられた魔方陣をジークフリードの身体に刻み付けられていた。
「ダオラ様、加勢致します!!」
粗方、敵軍を掻き回して来たリザードマンたちが戻ってくる。
「おお、あれなるは何者か!?たった一人でドラゴンに対じしているぞ。皆の者、歩兵一人に遅れを取っては騎士の名折れぞ!!」
ジークフリートの姿を見かけ、勇敢な連合軍将兵が隊列を組んで駆け付けて来る。
その二つの集団を視界に治めると、ジークフリートは初めて唇の端を歪めた。
「ふふふ……、ククッ………、はははははははははは!!!!そうだ、もっと近付いて来い!!!生贄は……、生贄は多ければ多い程良い…。それも強く、穢れ無き魂であれば、この上ない生贄となる!!!」
ジークフリートの身体に刻まれた太古の文字が禍々しい光を発する。
我はその禍々しさに言い知れぬ悪寒を感じ、両軍に静止を命じた。
「来るな!!来てはならぬ!!!」
「遅い!!すべて俺の餌になってもらうぞ!!!」
その瞬間、ジークフリートを中心に巨大な魔方陣が出現した。
我はこれを知っている。
失われて久しく、幼い頃に父母によって聞かされたことがあるその魔方陣は、唱えてはならず、修めてはならず、知ってはならないという三戒を以って封印された太古の魔術。
当代の魔術師、大魔導士でも知らぬであろうその名を、我は無意識のうちに口走る。
「………禁呪法・暴食の顎(あぎと)。」
「喰え、奪え、呪え!!純粋なる憎悪を糧とし、仇敵を滅ぼさん!!!」
その言葉が起爆剤。
魔方陣を発動させる唯一の言葉。
憎悪を喰い、他者の命を奪ってのみ発動する外道の魔法。
魔方陣が輝き、禍々しい黒い光の柱が我ごと、魔方陣に足を踏み込んだすべてを飲み込んだ。
11/04/29 00:09更新 / 宿利京祐
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