連載小説
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第八十五話・幕舎の中の攻防
ヒロ=ハイルがヴァルハリア・旧フウム王国連合軍上級騎兵大将に就任してからというもの、連合軍の弱点である極端な統率力の欠如、補給線の長さとこの地方特有の短く緩やかな冬に備え、物資兵糧の無駄な消費を抑えるため、彼の進言により大規模な戦闘は極力回避され、神聖ルオゥム帝国軍との間に長い睨み合いが続いていた。
度重なる軍議の最中、彼は何度か全軍を設備の整ったカイバル要塞まで後退させ、そこで冬を越し、春を見据えて軍勢を整え再起を計るべきだと提案したのだが、発言力が強化されたものの、依然連合軍上層部はヴァルハリア教会高僧と旧フウム王国大貴族で構成されていたこともあり、傲慢で虚栄心の強い彼らの下、幾度となくヒロの提案する後退は却下され、信仰と正義の名の下に状況的には限りなく厳しい膠着状態をヒロ=ハイルと連合軍兵卒たちは余儀なくされていた。
何度彼が軍議の席で怒りに任せ、連合軍最大の弱点は指揮官としての人材の少なさである、と口に出しそうになったかは想像に難くない。
一方、そんな大貴族や高僧たちに急激に発言権を増したヒロ=ハイルの対抗馬として期待され、連合軍作戦参謀に正式に就任したハインケル=ゼファーは、その権限を最大限に利用し、およそ1000人という小規模な増兵を行った。
当初、3000人もの大規模増兵を訴えた彼であったが、ヒロはこれに真っ向から対立。
しかし、クスコ川侵攻戦においてバフォメットの大魔法(と彼らはこの当時信じていた)で多くの兵が流されてしまい、兵の数は帝国軍とほぼ同数ではあったものの、連合軍は先のヒロが叫びそうになった人材不足に悩まされていたこともあり、せめて兵の数くらいの優位は保たねば危ういという状況のため、武器兵糧、そして現在彼らの膠着状態から考え、ハインケルの唱える数よりも少なくした1000名で折り合いを付けることになった。
もっともハインケル自身は、初めから3000人も兵を増やす気がなかったという。
1000人というのも彼にしてみれば出来すぎたあまりに数であり、数百名でも良かったのだと、彼は晩年にルオゥム戦役を振り返った時に呟いたという。
ハインケルは密かに通じていた砂漠の兄弟社から兵を雇う。
もちろん、兵を雇う金は彼の財布ではなく、連合軍の財布から。
あらかじめハインケルから連絡を受けていた砂漠の兄弟社は、戦場に出ては命令違反と略奪暴行を繰り返し、彼らの信用を著しく崩す処分したくとも処分出来ない鼻摘まみ者としてリストに載る者たちを送り、戦時特別料金として通常の4割増の金額を連合軍に要求。
だが他の反魔物国家からの支援が未だない連合軍は、これを承諾する。
これにより、一時的に取り戻しかけた連合軍内の秩序は、再び混乱することになる。


「ですから、不用意な一騎討ちはおやめいただきたいと何度も…!」
ヒロ=ハイルはこの日の軍議でも大貴族たちを相手に声を荒げた。
それは荒くれ者たちが軍律を乱し始めていたにも関わらず、大貴族たちが彼らの荒々しい武力を当てに大規模な攻勢に打って出ようと声を上げたことに起因する。
そして反撃の狼煙代わりに、貴族らしく一騎討ちで正々堂々と敵軍の将を討ち取り、その首を惨たらしく晒し、士気を盛り上げようと主張する彼らにヒロは真っ向から反対した。
「おやおや、心配将軍。不用意とは心外ですな。我々は勝てる見込みがあるから軍を動かそうと言っているのですぞ。」
心配将軍、とはヒロ=ハイルの仇名である。
彼が上級騎兵大将に昇進して以来、消極的な作戦行動が多いために付いた仇名である。
騎士としては不名誉な仇名ではあったものの、彼はそんなことを気にしていられる状況ではないと理解し、尊大で傲慢な大貴族たちを相手に一歩も退かなかった。
例え、それが彼らに反感を持たれようと兵たちに無駄な死を強要出来ないとヒロは全力で大貴族たちの暴挙とも言える提案に異を唱え続ける。
「ハッキリと申し上げます。私たちはこうして膠着状態を迎えてはいますが、戦力が拮抗しているからではありません。帝国軍とセラエノ軍が攻めて来ないだけであり、我々は圧倒的に不利な状況にあるのです。」
帝国軍とセラエノ軍は、攻めて来ない。
彼らの目的は専守防衛であり、連合軍を攻め滅ぼすことが目的ではないのである。
「心配将軍、間違っていますぞ。あちらは賊軍。教会と神を奉る我々こそ正当にして唯一絶対の正義の御旗。何故、神に弓引く連中を敬称で呼ばなければならないのですかな。奴らが攻めて来ないのは、我々貴族の威光に恐れをなし、教会と神の偉大なるお力にようやく気が付き始めたからだとお気付きになりませんか?」
旧フウム王国大貴族、ダンマルテルは柔らかい口調ではあるものの、明らかにヒロを侮辱していた。
上級騎兵大将という階級を得たヒロではあったが、大貴族たちはどれだけ階級があろうと無条件で彼の上に立っていた。
大司教や高僧、またはフィリップ王の権威を傘に戦時における暫定的な階級ではあったが、大貴族たちは誰もが元帥及び大将軍と同等の権威を有すると、大司教やフィリップ王に認められていたことで、彼らは無茶な作戦を立案し、現実的に戦場を知る将の中では唯一大きな発言権を持つヒロ=ハイルとしばしば対立していた。
「それでは心配将軍。我々に異を唱えることは簡単なことですが、あなたにその資格がおありですかな?何やらあなたはその地位を得た代償に、どうも臆病になってしまって、賊軍をまるで去勢された猫のように過剰に恐れているという噂をお聞きしておりますぞ。そう、あくまで噂ですが…。」
軍議に参列した諸侯たちから笑い声が上がる。
それに同調しなかったのは、普段からフィリップ王と反目し合い、表情の変わらぬ沈黙の天使騎士団長ファラ=アロンダイト、そして意外なことにヒロを敵視し始めている連合軍作戦参謀、言わずと知れた悪逆勇者ハインケル=ゼファーであった。
またヒロを嘲笑う大貴族諸侯に最初に不愉快さを表したのもハインケルであった。
「皆々様方、彼は確かに消極的な策を出しますが、一つ一つが理に適っています。少なくとも安全圏で戦闘を見守るあなた方より、現場で日夜指揮し続ける彼を臆病者と言うのは些か早計ではないでしょうか?」
諭すようにハインケルが口を開くと、大貴族たちはそれに苦々しく思うものの、ハインケルのこれまでの功績を考え、ヒロを嘲笑う口を閉ざした。
ハインケルはヒロの開花し始めた能力を危険だと考えている。
出来ることなら、それが開花する前に摘んでおきたいと考えてはいたのだが、このように彼が無能と呼ぶ人物たちと一緒になって、ヒロを不当に失脚させるのは彼の美学に反していた。
だからこそ、ハインケルはヒロを擁護した。
そうした意味で、ハインケルという人間は誰に対しても平等であった。
特に敵であっても有能な者を不当に貶めることを極端に嫌う性格が、彼の勇者という表のイメージを終生崩さなかったのであると推測出来る。
だが、根本的な解決はない。
大貴族たちは再び攻勢に打って出たい。
そして一騎討ちで武勇を示し、彼らの権威と威光を示し、虚栄心を満たしたいと考えたままなのである。
平行線を保った軍議は、最終的に醜いという表現がよく合う結論に至った。
「では、心配将軍殿。そしてアロンダイト将軍。明日にでも賊軍の名のある将に挑戦状を送り、そなた方の武勇を以って敵兵を震撼させていただきましょうか。何、そなた方ならば簡単な話でしょう。」
ヒロやファラが反論する暇もなく、軍議はそのまま閉会となった。
この人選にハインケルの思惑はなく、ヒロの急激な出世に嫉妬と不快を感じ始めた大貴族と、ファラ=アロンダイトと反目するフィリップ王に沿い、敵に討たれても良し、討てば尚良し、と王に媚を売る大貴族の思惑で決定された人選であった。

年が明け、ヴァルハリア暦807年、文治2年、帝国暦15年の1月5日。
その日も静かに深々と雪が降り続ける夜の出来事であった。


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神聖ルオゥム帝国軍本陣、皇帝専用の幕舎の中で紅龍雅とノエル帝、そして軍師であるイチゴが顔を突き合わせて、皇帝所有の上品なチェス盤を囲んでいた。
チェス盤の上にはチェスの駒と、何故か木札を削って作った将棋の駒が並んでいる。
龍雅がチェスのルールを理解していなかったこともあったのだが、彼女たちは気分転換にゲームに興じている訳ではなかった。
ノエル帝はそれぞれの駒を自分たちの兵に例え、龍雅やイチゴから軍略を学んでいた。
「こ、ここで伏兵だと!?」
地図とそれぞれの駒に付属した設定で、キリの良い500の兵を連れて山間の街道に軍を進めるノエル帝は、イチゴの出した伏兵に戦列を分断され驚きの声を上げた。
「皇帝殿、よく覚えておくのじゃ。伏兵とは敵を驚かせることに意味がある。例え大した被害を与えるに至らずとも、神出鬼没の軍はそれだけで恐怖の対象になるのじゃ。それにオヌシの行軍ではすぐに戦列が限界点を迎えてしまうぞ。補給路が伸びすぎて、まるであちらの連合軍のようにすぐに息が切れてしまうのが目に見えておる。そんなことでは、最近出世したあの若造にそこを突かれて逆転を許してしまうのじゃ。気を付けられい。」
あの若造というのは無論、上級騎兵大将ヒロ=ハイルのことである。
「お、おのれ……。漏らしたくせに!」
「やっかましい!!ワシは漏らしたのではないぞ。ちょっとだけ…、ほんのちょっとだけじゃが、青春の熱いリビドーが溢れただけなのじゃー!!!」
「青春って…、あんた本当のとこいくつなんだよ。」
そんなやり取りを龍雅は苦笑いで見守っていた。
ノエル帝とイチゴはなかなか良い師弟関係を築いている。
イチゴのの軍略は、遊びという形でノエル帝にしっかりと教え込まれている。
ノエル帝も、まるで乾いた砂が水を吸い込むようにイチゴや龍雅の知識を吸収し、団結力はあるものの脆弱な軍を如何に動かし、如何に生き残らせるかという知恵を身に付けていっていた。
そんな龍雅は将棋の大駒である王将と飛車をある地図上のある一点に置いたまま動かなかった。
それは王将をロウガ、飛車をアスティアに見立てたものである。
「しかし、紅将軍。そなたの王は良いところに布陣したではないか。」
ノエル帝が褒めるのは、ロウガが補給基地として陣を敷いた場所。
それは一見すればただの街道なのだが、敵が攻めることが出来るのは僅か一箇所しかなく、そこだけ重点的に守れば非常に守りやすく、しかも彼らの本拠地である学園都市セラエノと、神聖ルオゥム帝国の帝都とクスコ川防衛ライン本陣とはちょうど中間地点に当たるため、補給基地にするには申し分ない場所であった。
事実、ロウガたち後軍はクスコ川防衛戦には参加していなかったものの、砂漠の兄弟社ヘンリー=ガルドを通じて帝国には、絶えず兵糧や武具などの物資を送り続けていた。
また季節柄も考えて、毛布や暖を取るために火鉢や炭などを送ったりなど、ロウガなりの気遣いにより、帝国軍とセラエノ軍は未だ凍死者を出さずに済んでいた。
「余たち帝国の人間も、この地の利に気が付かなかったというのに…。ジパングの戦士とはこれ程すごいものなのか?」
「……さぁ、それはわからないね。とりあえず俺はともかく、あいつはそこまで深く考えないんじゃないか。たまたまこの場所の風が気持ち良くて、居心地が良かったから陣を構えたなんてこともあり得る。だって、ほら。あいつ、アホだし。」
龍雅の言うロウガの評価にノエル帝は笑う。
「酷い男だね、そなたは。自分の王をそこまで言うなんて、どこまで不遜なんだい?」
「…ま、あいつは幼馴染だしね。あいつを不当に持ち上げる連中が多い中、俺ぐらいはそんな風に言っても罰は当たるまいよ。皇帝陛下、覚えておきな。人間、持ち上げられすぎると自分の能力を過信するようになる。その結果、どういうことになるかは、連合軍と戦ったあんたの見ての通りさ。俺があいつを貶すのも、言わば親友を気遣う俺の美しい友情なのさ。」
「それは重々理解して……ってイチゴ!そなた余が話している間にどれだけ我が軍を襲撃すれば気が済むのか!ああ……、これではもう軍の立て直しなど叶わぬ…。」
ノエル帝が龍雅と話している間に、イチゴは手を休めた彼女の軍をズタズタになる程襲い、完膚なきまでに打ちのめしていた。
すでにノエル帝の手駒はないに等しく、僅か100の兵を有する女王の駒を残すのみだったが、イチゴはこれも討ち取り完全勝利を収めていた。
「うっしゃっしゃっしゃ♪気を逸らしたオヌシが悪いのじゃ。ところでたっちゃんよ。連合軍から挑戦状が投げ入れられたが、アレはどうするおつもりじゃ?ワシとしては無視して、素知らぬ顔で連中を馬鹿にしてやりたいのじゃが、オヌシの考えを聞いておこうかのぅ。その上で何か策を考えてやるわい。」
龍雅は完全にイチゴの駒で埋まったチェス盤の上に小包を一つ置いた。
「それは?」
ノエル帝は不思議そうな顔をする。
「俺も挑戦状を無視して、やつらに恥を掻かせるつもりだった。だがさっき沢木から届いた補給物資の中にこれが手紙付きで送られてきた。まったく運が良い。古事に倣った策で申し訳ないと思うが、こいつを使って敵陣を分断する。だから受けてやる。こちらからの人選は、俺だけで良い。策がうまく行けば、二人のうち一人は誰とも戦わずに引っ込んでくれる。もしもの時のためにアルフォンスを待機させておけば、全軍崩れることはないはずだ。」
そう言って龍雅はニヤリと笑うと、イチゴとノエル帝に思い付いた策を語る。
古事に倣う、と言った彼の策はこの世界には存在しない策であり、チェス盤の上の駒を使って龍雅が策を表現すると、ノエル帝もイチゴも聞いたことのない策に目を輝かせ、新しい知識として彼女たちは吸収するのであった。

11/03/13 01:46更新 / 宿利京祐
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■作者メッセージ
大地震から一晩明け、被災地にいる読者様が気掛かりな宿利です。
幸いなことに大分県の私の住む地域は特に被害も混乱もありませんでした。
ニュースで被災地の映像を見ると、
改めて自然の恐ろしさと人間が如何に自然を舐めていたかを思い知らされます。
福島の原発事故も、今後のことが気になるところです。
皆様の無事を祈り、後書きに代えさせていただきます。

どうか皆様、無事でありますように。

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