第七十三話・凌辱の雨@
ヴァルハリア教会領と旧フウム王国の連合軍が神聖ルオゥム帝国に攻め入ったことで帝国内に激しい動揺が襲った。
特に首都コクトゥにそびえる皇帝の居城、ヒンジュルディン城、玉座の間にまだ日も昇らぬうちに帝国各地から集まった諸侯たちの動揺は大きかった。
「まさかヴァルハリアが我が国に攻め込むとは…。」
「我らが何をしたというのか!」
「先の戦で援軍を送らなかったせいかもしれませぬ…。」
「だが先の戦に参戦しなかったのは…、如何に我らが神の使徒であり相手が魔物や悪魔たちであろうと、大義のない戦に赴き、誇りにもならぬ功を得るのは我らの祖先の名に泥を塗るようなもの…!」
「さようでございますが……、あの御方たちにご理解してはもらえますまい。」
彼らは大臣や宰相という身分であったが、それぞれが皆、騎士の誇りを持っていた。
クゥジュロ草原での戦や、フウム王国やヴァルハリアの発した檄文に呼応しなかったのも、彼らは信仰よりも、大義名分のない戦に参加し、後世、自らの名を穢すことを恐れたからであった。
ヴァルハリア建国の影にその武を示し、また周辺の弱小国家を吸収し国土を広げ、厳しい軍律とヴァルハリア教会の戒律によって自らを戒める騎士であることこそ、建国から数百年経った今でも彼らの誇りであった。
しかし、その誇りも教会と旧王国連合軍によって踏み躙られた。
守るべき民は、その進軍によって無差別に虐殺され、陵辱され、信仰深き人々は同じ信仰を胸に抱く者たちによって滅ぼされた。
幸か不幸か、連合軍は無秩序に虐殺を繰り返す兵卒を統率することなく、その勝利に酔っていたために、その攻撃力は凄まじいものがあったものの進軍速度は非常に遅かった。
「陛下は……、如何するのであろうか…。」
凄惨な報告を聞いた彼らの心に暗く重いものが圧し掛かる。
彼らはその誇りにかけて戦おうと考える一方で、降伏も考えていた。
騎士の誇りはあるものの、すでにその精神は建国数百年の間に軟化していた。
数が違いすぎる。
急いで集めても、その数は4000も集まれば良いくらいであろう。
傭兵を雇うにしても、すでに連合軍は領内深く侵攻しているため、どれ程の数が集まるかも予想が付かなかった。
何より昨日まで、いや、今でも心から絶対的な最高権力者である大司教に弓を引くなど恐れ多いとさえ考え、何よりも今の身分も捨て難いという思いが、頭の片隅に存在し、徹底抗戦の声を上げられずにいた。
その時、玉座の間の扉が開いた。
それを合図に彼らは姿勢を正し、頭を下げた。
侍従を引き連れ、女が玉座へと向かう。
キビキビとした足取りに、長い金色の髪がなびく。
彼女の名はノエル=ルオゥム、29歳。
神聖ルオゥム帝国第22代皇帝にして、帝国にとっては7人目の女帝である。
先帝ヴァイス6世に男子が生まれなかったことに起因した世襲だったのだが、もし男子が生まれていたとしても、皇帝の玉座には彼女が座っていたのではないかと言われ、帝国内で賢者と名高い者も舌を巻くくらいに聡明な頭脳と、生まれながらに誰もがかしずく威厳と美貌を持つ女性であった。
そんな彼女が軍服を着て現れた。
それを見て諸侯たちは驚いた。
「へ、陛下!そのお姿は…、まさか!!」
その軍服は彼女の祖父、ヴァイス5世が国難に当たる際に身に付けていたという皇族のみが着用を許される純白の軍服であった。
その白は自らの潔白な魂を現し、正義を示していた。
その軍服を着用し、諸侯の前に現れたということは、彼女は自らの正義を示したということであり、つまりは如何に教主国とはいえ、彼女の領土を蹂躙するヴァルハリア、ひいては旧フウム王国残党は悪であるという意思表示であった。
「余の思いは一つ……、開戦だ!!」
大臣の一人がノエル帝に聞き返す。
「陛下、防衛の間違いではありませんか。」
「間違っておらぬ。これは防衛ではない。教主国が宣戦布告せず我らを誅するつもりであるのなら、我らは近隣各国に示すのだ。我らは教主、ユリアス大司教及びフウム王国前王フィリップに対し宣戦布告をしてやれ!教主だからと思い上がった礼儀知らずのあの者たちに手痛い一撃を叩き込むぞ!」
「しかし、他のヴァルハリアを教主と仰ぐ国が黙っていますでしょうか…。もしヴァルハリアを支援する国家が現れましたら、その時我らは完全なる孤立をしてしまいますぞ。」
ノエル帝が一睨みすると、彼らは彼女に恐れをなし口を閉ざした。
「他の支援はない。何故なら口というものは馬よりも雷よりも早く広まるのだ。やつらが我が国で犯した罪は瞬く間に近隣国家へと伝わっておる。それも正確な内容ではなく、より大々的にな。お前たちが恐れおののくように、近隣諸国も最早ヴァルハリアと足並みを揃えることはありえぬ。思い出せ、認識せよ!やつらがこれまで何をやって来たか!我が国だけではなく、ヴァルハリア教会の戒律のためにどれ程の者たちが慢性的な貧困に涙を流したかを。医術が発達していれば助かった命がどれ程あったかを。教会と一部の高僧や大貴族だけが知識を独占し、どれだけ人々が自らの運命を神なんてものに捧げなければならなかったかを!!諸侯よ、良い機会だ。余はここに宣言する。神聖ルオゥム帝国は、今日この瞬間を持ってヴァルハリア教会と道を分かつ!!」
諸侯たちに更なる動揺が走る。
ノエル帝は常々考えていた。
神が、我らに何をしたか。
神が、我らに何を望んだか。
神が、どれだけの悲しみを撒き散らしたか。
反魔物派国家、神聖ルオゥム帝国皇帝のその主義、思想はヴァルハリアや他の反魔物派国家と何ら変わるところはない。
だが、彼らと決定的に違うところは、彼女は魔物と同時に、その教義の大元を憎んでいた。
それは彼女の祖父が亡くなった時のこと。
彼女の祖父、ヴァイス5世は親魔物派国家との戦争で戦死した。
しかし、その戦死は彼の老いて尚国家を、人々の安寧を守らんとした結果であり、それを誇りとして胸に刻んでも、敵方だった親魔物派を憎むべきものではないと、幼いながらにノエル帝は感じていた。
だが、教会はその死を穢した。
少なくとも彼女はそう受け取ったのである。
教会の司祭は、彼の死を美しい殉教として、彼を祀った。
それから十数年経った今でも彼女はそれが許せなかったのである。
「思い起こせ、皇帝とは!貴族とは何のために存在するか!大事があればその身を盾にして民を守り、剣を取り敵を退けなければならぬのだ!!許せるものか…!やつらは余や諸侯らを狙わず、無辜の民ばかり傷付け、犯して殺すのだ。諸侯よ、戦争を始めるぞ!例え、無様に敗れ去ろうと……、我々は見せ付けなければならぬ。やつらが如何に世界に害を成す寄生虫であるかを!!」
ヴァルハリアと手を切る。
それはつまり彼らにとって、心の支えを捨ててしまうという大胆な宣言。
ノエル帝の熱い思いとは裏腹に、諸侯らの声は今一つ低かった。
―――――――――――――――――――――――
「先の戦闘でのあの様は一体何なのだ、騎士アロンダイト!!」
フィリップの怒鳴り声が幕舎の外まで聞こえてる。
その怒鳴り声のたびに入り口の番兵は身を竦めていた。
「…………言った…はずだ。……我が敵は、我が目で、…決めると。」
「それは聞き飽きた!私が言いたいのは、何故味方を斬ったのかと聞いておるのだ!!」
クゥジュロ草原で負け、今また戦わずして王国を奪われたフィリップは心労のあまり以前よりも痩せこけ、悔しさに眠れぬ夜を過ごし続けた結果、その姿はまるで死神のようにおどろおどろしい顔になっていた。
その幽鬼のような顔でフィリップはファラを問い詰める。
ファラは確かに兵卒を斬り殺した。
しかしこれには正当な理由がある。
最前線に送られた沈黙の天使騎士団であったが、彼らの基本姿勢はかつてのクゥジュロ草原の時から変わっておらず、とある村を占拠し恐慌状態で兵卒たちが虐殺と陵辱に勤しんでいる中、彼らは村よりさらに離れた場所で待機をしていたのであった。
そんな時、村の生き残りの娘が赤ん坊を抱えて彼ら騎士団に助けを求めてきたのである。
ファラはリトルからその報告を聞くと、何も言わずに騎士団で保護することを決めたのだが、そんな彼らを目指して暴徒と化した兵卒たちが雪崩れ込んで来た。
逃げた娘を追いかけて、虐殺の血と力尽くの快楽を覚えたばかりの集団は、娘を守る騎士団を邪魔だと思い、信じられないことに味方である騎士団に剣を振りかざして襲い掛かってきたのである。
騎士団は困惑した。
如何に数は多くとも錬度の低い彼らを倒すのは容易いこと。
しかしその結果、仮にもヴァルハリアの旗を抱いて戦う彼らを傷付ければ、自分たちはともかく、アロンダイト親子が罰せられることになるのではないかと。
だが、暴徒と化した兵卒は娘の命と身体を狙って迫り来る。
応戦しようとするリトルや騎士団員を制し、ファラが一人剣を抜いた。
震える村娘を守るために、兵卒たちを彼の長年の愛剣であるバスターソードが叩き斬る。
戦場で生き残るために身に付けたスピードはなくとも、重く鋭い斬撃は確実に兵卒たちの頭を割り、首を刎ね、腰から胴を真っ二つに斬り裂いた。
彼らしい黙々とした作業だったが、気が付けば19名の兵卒たちを斬り捨て、暴徒と化した兵卒たちもその光景を見て、ファラの強さに沈静化したのだったが、味方を斬った事実は事実。
ただでさえユリウスやフィリップの印象が良くないファラは、こうして尋問を受けているのである。
「大司教猊下からお預かりした神の軍団を斬り、貴様は先の戦でも我が真の後継者を見殺しにした!貴様は本来十数年前に斬首になって然るべき人間なのだぞ!命を拾ってやったにも関わらず、恩を仇で返す真似ばかりしおって…。貴様の武力がなければ、異端審問会にかけて貴様ごと騎士団の首を刎ねておるところであった!!」
フィリップが荒い息でテーブルを殴り付ける。
ファラはそんなフィリップを冷ややかに笑う。
こんな状況を作り出したのは、お前の無能さだと。
「貴様!!」
「……俺は、…お前に用は…ない。…俺に、……必要なのは、…死に場所だけだ。」
フィリップがファラを止める声を無視して、ファラは幕舎を後にする。
彼がこんな出来損ないの戦争に参加した理由。
それはただ彼の愛した天使を、その手で守れなかったという贖罪。
彼女を守れなかったという罪を、唯その命を以って償うという不器用な選択。
今回の事件も村娘にかつて愛した天使の姿を重ね、衝動的に動いてしまった結果。
「……死ぬのは。」
自分だけで良い。
彼は暗い夜空に呟いた。
―――――――――――――――――――――――
連合軍の残虐行為はノエル帝の予想以上の速さで、近隣諸国に広がっていった。
これには密かにハインケルの部下たちが各地に散り、流言を飛ばした結果だったのだが、意外なことに帝国に味方しようとする国家は現れなかった。
皇帝の親書を持った使者が何人も帝国との同盟国に赴いたのだが、ついに誰一人援軍を得ることは適わなかったのである。
それは連合軍の凄まじさに恐れをなしたということよりも、仮にも教主国に弓を引くことを躊躇った国家と、その後の利権を狙う国家、そして傍観者を決め込む国家に分かれた。
帝国側も掻き集められるだけの兵力3500で対抗するも、ついに帝国東の要であったカイバル渓谷の要塞が5日持ち堪えるものの、陥落の危機を迎えていた。
皇帝が自ら出陣し連合軍を一時的に退かせるものの、数の上で勝る連合軍はついに要塞の城壁を破壊し、圧倒的な暴力装置と化した歩兵が雪崩れ込んだことにより、ノエル帝はカイバル要塞を放棄。
これにより、帝国を守る防衛ラインは第三次防衛ラインを失い、最終防衛ラインであるクスコ川まで撤退せざるを得なかった。
その話を援軍を断られた使者、ラピエは街道沿いで囁かれる噂話で知ることになる。
馬上で彼は嘆いた。
「我々が何をしたって言うんだ…。陛下の仰る通りだ。教会に付いたとして得るものはない。今まで理解出来なかったが、まさしくその通りじゃないか…。これまで忠義を尽くしてきたというのに、彼らは…………うっ。」
ラピエは眩暈を感じ、馬の手綱にしがみ付いた。
無理もない。
彼は援軍の使者として帝国を出て以来、ろくに睡眠も取らずに馬を走らせていた。
上級貴族の子弟であるラピスだが、何日も雨の中も、風の中も走り続けて、その姿は乞食と見間違うばかりに薄汚くなっていた。
それでも皇帝ノエルの親書だけは汚すまいと必死に守り通してきたのだが、ルオゥム帝国の同盟国はそんな彼の姿を見て追い返したのである。
それは先に述べた思惑もあった訳だが、彼はそんな国々に打ちのめされていた。
「ああ……、陛下…。申し訳ございません。私の力が及ばぬばかりに……、お味方をお連れ出来ぬ不甲斐ない私をお許しくださ………。」
落馬。
そこで彼の意識が途切れた。
激しい絶望と疲労が、彼を気絶という形で深い眠りへと落としたのであった。
誰一人通らぬ日暮れの街道。
彼が目覚める頃には、きっとすべてが灰に変わっているだろう。
だが、これで良かったのだ。
もし、彼がここで気絶しなければ。
この戦争はただの虚しい虐殺で終わっていたのだから。
次に彼が目覚める時、
彼は薔薇の香りに包まれて、
やさしく微笑む悪魔に道を指し示される。
特に首都コクトゥにそびえる皇帝の居城、ヒンジュルディン城、玉座の間にまだ日も昇らぬうちに帝国各地から集まった諸侯たちの動揺は大きかった。
「まさかヴァルハリアが我が国に攻め込むとは…。」
「我らが何をしたというのか!」
「先の戦で援軍を送らなかったせいかもしれませぬ…。」
「だが先の戦に参戦しなかったのは…、如何に我らが神の使徒であり相手が魔物や悪魔たちであろうと、大義のない戦に赴き、誇りにもならぬ功を得るのは我らの祖先の名に泥を塗るようなもの…!」
「さようでございますが……、あの御方たちにご理解してはもらえますまい。」
彼らは大臣や宰相という身分であったが、それぞれが皆、騎士の誇りを持っていた。
クゥジュロ草原での戦や、フウム王国やヴァルハリアの発した檄文に呼応しなかったのも、彼らは信仰よりも、大義名分のない戦に参加し、後世、自らの名を穢すことを恐れたからであった。
ヴァルハリア建国の影にその武を示し、また周辺の弱小国家を吸収し国土を広げ、厳しい軍律とヴァルハリア教会の戒律によって自らを戒める騎士であることこそ、建国から数百年経った今でも彼らの誇りであった。
しかし、その誇りも教会と旧王国連合軍によって踏み躙られた。
守るべき民は、その進軍によって無差別に虐殺され、陵辱され、信仰深き人々は同じ信仰を胸に抱く者たちによって滅ぼされた。
幸か不幸か、連合軍は無秩序に虐殺を繰り返す兵卒を統率することなく、その勝利に酔っていたために、その攻撃力は凄まじいものがあったものの進軍速度は非常に遅かった。
「陛下は……、如何するのであろうか…。」
凄惨な報告を聞いた彼らの心に暗く重いものが圧し掛かる。
彼らはその誇りにかけて戦おうと考える一方で、降伏も考えていた。
騎士の誇りはあるものの、すでにその精神は建国数百年の間に軟化していた。
数が違いすぎる。
急いで集めても、その数は4000も集まれば良いくらいであろう。
傭兵を雇うにしても、すでに連合軍は領内深く侵攻しているため、どれ程の数が集まるかも予想が付かなかった。
何より昨日まで、いや、今でも心から絶対的な最高権力者である大司教に弓を引くなど恐れ多いとさえ考え、何よりも今の身分も捨て難いという思いが、頭の片隅に存在し、徹底抗戦の声を上げられずにいた。
その時、玉座の間の扉が開いた。
それを合図に彼らは姿勢を正し、頭を下げた。
侍従を引き連れ、女が玉座へと向かう。
キビキビとした足取りに、長い金色の髪がなびく。
彼女の名はノエル=ルオゥム、29歳。
神聖ルオゥム帝国第22代皇帝にして、帝国にとっては7人目の女帝である。
先帝ヴァイス6世に男子が生まれなかったことに起因した世襲だったのだが、もし男子が生まれていたとしても、皇帝の玉座には彼女が座っていたのではないかと言われ、帝国内で賢者と名高い者も舌を巻くくらいに聡明な頭脳と、生まれながらに誰もがかしずく威厳と美貌を持つ女性であった。
そんな彼女が軍服を着て現れた。
それを見て諸侯たちは驚いた。
「へ、陛下!そのお姿は…、まさか!!」
その軍服は彼女の祖父、ヴァイス5世が国難に当たる際に身に付けていたという皇族のみが着用を許される純白の軍服であった。
その白は自らの潔白な魂を現し、正義を示していた。
その軍服を着用し、諸侯の前に現れたということは、彼女は自らの正義を示したということであり、つまりは如何に教主国とはいえ、彼女の領土を蹂躙するヴァルハリア、ひいては旧フウム王国残党は悪であるという意思表示であった。
「余の思いは一つ……、開戦だ!!」
大臣の一人がノエル帝に聞き返す。
「陛下、防衛の間違いではありませんか。」
「間違っておらぬ。これは防衛ではない。教主国が宣戦布告せず我らを誅するつもりであるのなら、我らは近隣各国に示すのだ。我らは教主、ユリアス大司教及びフウム王国前王フィリップに対し宣戦布告をしてやれ!教主だからと思い上がった礼儀知らずのあの者たちに手痛い一撃を叩き込むぞ!」
「しかし、他のヴァルハリアを教主と仰ぐ国が黙っていますでしょうか…。もしヴァルハリアを支援する国家が現れましたら、その時我らは完全なる孤立をしてしまいますぞ。」
ノエル帝が一睨みすると、彼らは彼女に恐れをなし口を閉ざした。
「他の支援はない。何故なら口というものは馬よりも雷よりも早く広まるのだ。やつらが我が国で犯した罪は瞬く間に近隣国家へと伝わっておる。それも正確な内容ではなく、より大々的にな。お前たちが恐れおののくように、近隣諸国も最早ヴァルハリアと足並みを揃えることはありえぬ。思い出せ、認識せよ!やつらがこれまで何をやって来たか!我が国だけではなく、ヴァルハリア教会の戒律のためにどれ程の者たちが慢性的な貧困に涙を流したかを。医術が発達していれば助かった命がどれ程あったかを。教会と一部の高僧や大貴族だけが知識を独占し、どれだけ人々が自らの運命を神なんてものに捧げなければならなかったかを!!諸侯よ、良い機会だ。余はここに宣言する。神聖ルオゥム帝国は、今日この瞬間を持ってヴァルハリア教会と道を分かつ!!」
諸侯たちに更なる動揺が走る。
ノエル帝は常々考えていた。
神が、我らに何をしたか。
神が、我らに何を望んだか。
神が、どれだけの悲しみを撒き散らしたか。
反魔物派国家、神聖ルオゥム帝国皇帝のその主義、思想はヴァルハリアや他の反魔物派国家と何ら変わるところはない。
だが、彼らと決定的に違うところは、彼女は魔物と同時に、その教義の大元を憎んでいた。
それは彼女の祖父が亡くなった時のこと。
彼女の祖父、ヴァイス5世は親魔物派国家との戦争で戦死した。
しかし、その戦死は彼の老いて尚国家を、人々の安寧を守らんとした結果であり、それを誇りとして胸に刻んでも、敵方だった親魔物派を憎むべきものではないと、幼いながらにノエル帝は感じていた。
だが、教会はその死を穢した。
少なくとも彼女はそう受け取ったのである。
教会の司祭は、彼の死を美しい殉教として、彼を祀った。
それから十数年経った今でも彼女はそれが許せなかったのである。
「思い起こせ、皇帝とは!貴族とは何のために存在するか!大事があればその身を盾にして民を守り、剣を取り敵を退けなければならぬのだ!!許せるものか…!やつらは余や諸侯らを狙わず、無辜の民ばかり傷付け、犯して殺すのだ。諸侯よ、戦争を始めるぞ!例え、無様に敗れ去ろうと……、我々は見せ付けなければならぬ。やつらが如何に世界に害を成す寄生虫であるかを!!」
ヴァルハリアと手を切る。
それはつまり彼らにとって、心の支えを捨ててしまうという大胆な宣言。
ノエル帝の熱い思いとは裏腹に、諸侯らの声は今一つ低かった。
―――――――――――――――――――――――
「先の戦闘でのあの様は一体何なのだ、騎士アロンダイト!!」
フィリップの怒鳴り声が幕舎の外まで聞こえてる。
その怒鳴り声のたびに入り口の番兵は身を竦めていた。
「…………言った…はずだ。……我が敵は、我が目で、…決めると。」
「それは聞き飽きた!私が言いたいのは、何故味方を斬ったのかと聞いておるのだ!!」
クゥジュロ草原で負け、今また戦わずして王国を奪われたフィリップは心労のあまり以前よりも痩せこけ、悔しさに眠れぬ夜を過ごし続けた結果、その姿はまるで死神のようにおどろおどろしい顔になっていた。
その幽鬼のような顔でフィリップはファラを問い詰める。
ファラは確かに兵卒を斬り殺した。
しかしこれには正当な理由がある。
最前線に送られた沈黙の天使騎士団であったが、彼らの基本姿勢はかつてのクゥジュロ草原の時から変わっておらず、とある村を占拠し恐慌状態で兵卒たちが虐殺と陵辱に勤しんでいる中、彼らは村よりさらに離れた場所で待機をしていたのであった。
そんな時、村の生き残りの娘が赤ん坊を抱えて彼ら騎士団に助けを求めてきたのである。
ファラはリトルからその報告を聞くと、何も言わずに騎士団で保護することを決めたのだが、そんな彼らを目指して暴徒と化した兵卒たちが雪崩れ込んで来た。
逃げた娘を追いかけて、虐殺の血と力尽くの快楽を覚えたばかりの集団は、娘を守る騎士団を邪魔だと思い、信じられないことに味方である騎士団に剣を振りかざして襲い掛かってきたのである。
騎士団は困惑した。
如何に数は多くとも錬度の低い彼らを倒すのは容易いこと。
しかしその結果、仮にもヴァルハリアの旗を抱いて戦う彼らを傷付ければ、自分たちはともかく、アロンダイト親子が罰せられることになるのではないかと。
だが、暴徒と化した兵卒は娘の命と身体を狙って迫り来る。
応戦しようとするリトルや騎士団員を制し、ファラが一人剣を抜いた。
震える村娘を守るために、兵卒たちを彼の長年の愛剣であるバスターソードが叩き斬る。
戦場で生き残るために身に付けたスピードはなくとも、重く鋭い斬撃は確実に兵卒たちの頭を割り、首を刎ね、腰から胴を真っ二つに斬り裂いた。
彼らしい黙々とした作業だったが、気が付けば19名の兵卒たちを斬り捨て、暴徒と化した兵卒たちもその光景を見て、ファラの強さに沈静化したのだったが、味方を斬った事実は事実。
ただでさえユリウスやフィリップの印象が良くないファラは、こうして尋問を受けているのである。
「大司教猊下からお預かりした神の軍団を斬り、貴様は先の戦でも我が真の後継者を見殺しにした!貴様は本来十数年前に斬首になって然るべき人間なのだぞ!命を拾ってやったにも関わらず、恩を仇で返す真似ばかりしおって…。貴様の武力がなければ、異端審問会にかけて貴様ごと騎士団の首を刎ねておるところであった!!」
フィリップが荒い息でテーブルを殴り付ける。
ファラはそんなフィリップを冷ややかに笑う。
こんな状況を作り出したのは、お前の無能さだと。
「貴様!!」
「……俺は、…お前に用は…ない。…俺に、……必要なのは、…死に場所だけだ。」
フィリップがファラを止める声を無視して、ファラは幕舎を後にする。
彼がこんな出来損ないの戦争に参加した理由。
それはただ彼の愛した天使を、その手で守れなかったという贖罪。
彼女を守れなかったという罪を、唯その命を以って償うという不器用な選択。
今回の事件も村娘にかつて愛した天使の姿を重ね、衝動的に動いてしまった結果。
「……死ぬのは。」
自分だけで良い。
彼は暗い夜空に呟いた。
―――――――――――――――――――――――
連合軍の残虐行為はノエル帝の予想以上の速さで、近隣諸国に広がっていった。
これには密かにハインケルの部下たちが各地に散り、流言を飛ばした結果だったのだが、意外なことに帝国に味方しようとする国家は現れなかった。
皇帝の親書を持った使者が何人も帝国との同盟国に赴いたのだが、ついに誰一人援軍を得ることは適わなかったのである。
それは連合軍の凄まじさに恐れをなしたということよりも、仮にも教主国に弓を引くことを躊躇った国家と、その後の利権を狙う国家、そして傍観者を決め込む国家に分かれた。
帝国側も掻き集められるだけの兵力3500で対抗するも、ついに帝国東の要であったカイバル渓谷の要塞が5日持ち堪えるものの、陥落の危機を迎えていた。
皇帝が自ら出陣し連合軍を一時的に退かせるものの、数の上で勝る連合軍はついに要塞の城壁を破壊し、圧倒的な暴力装置と化した歩兵が雪崩れ込んだことにより、ノエル帝はカイバル要塞を放棄。
これにより、帝国を守る防衛ラインは第三次防衛ラインを失い、最終防衛ラインであるクスコ川まで撤退せざるを得なかった。
その話を援軍を断られた使者、ラピエは街道沿いで囁かれる噂話で知ることになる。
馬上で彼は嘆いた。
「我々が何をしたって言うんだ…。陛下の仰る通りだ。教会に付いたとして得るものはない。今まで理解出来なかったが、まさしくその通りじゃないか…。これまで忠義を尽くしてきたというのに、彼らは…………うっ。」
ラピエは眩暈を感じ、馬の手綱にしがみ付いた。
無理もない。
彼は援軍の使者として帝国を出て以来、ろくに睡眠も取らずに馬を走らせていた。
上級貴族の子弟であるラピスだが、何日も雨の中も、風の中も走り続けて、その姿は乞食と見間違うばかりに薄汚くなっていた。
それでも皇帝ノエルの親書だけは汚すまいと必死に守り通してきたのだが、ルオゥム帝国の同盟国はそんな彼の姿を見て追い返したのである。
それは先に述べた思惑もあった訳だが、彼はそんな国々に打ちのめされていた。
「ああ……、陛下…。申し訳ございません。私の力が及ばぬばかりに……、お味方をお連れ出来ぬ不甲斐ない私をお許しくださ………。」
落馬。
そこで彼の意識が途切れた。
激しい絶望と疲労が、彼を気絶という形で深い眠りへと落としたのであった。
誰一人通らぬ日暮れの街道。
彼が目覚める頃には、きっとすべてが灰に変わっているだろう。
だが、これで良かったのだ。
もし、彼がここで気絶しなければ。
この戦争はただの虚しい虐殺で終わっていたのだから。
次に彼が目覚める時、
彼は薔薇の香りに包まれて、
やさしく微笑む悪魔に道を指し示される。
11/01/29 01:45更新 / 宿利京祐
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