連載小説
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一章 はじまり
春のうららかな空気を感じて私は気怠さを覚える。
肌を撫で上げる生暖かい風にうんざりとした表情を浮かべる。
風を生温く温める日光を浴びて私は呟く。

「…今日も退屈な日が始まるわ。」

私が独りごちているのはとある神社の屋根上。わざわざ日光にあたる場所にいるのは、私が日の光を浴びないと1日を開始することができないからだ。
別にそういう性質を持っているわけではないが、なんとなく、1日が始まらないのだ。要は気持ちの問題ということ。

耳を澄ませば遠くからこちらに向かって聞こえてくる童たちの笑い声。
だんだんと近づくそれは遂には私の真下までやってきていた。

ふと見下ろすと、そこには数人の童が鬼ごっこをして遊んでいた。

「…こんな陽気に元気な子たち。」

地を駆けずり回り楽しそうに遊ぶ姿は端から見ればなんのことはない微笑ましい光景に見えるだろうが、私から見ればそれは単なる“かけっこ”にしか見えなかった。
しばらく童たちを眺めてから、私は飽きてまた空を見つめていた。


屋根の上には不釣り合いなほど重ね着された煌びやかな着物がどうにも鬱陶しく思えて仕方ない。
でも、この衣装も私という存在を形作るに重要な要素だ。
ならばこの髪はどうだろう?
腰下まで伸びきった黒髪は、無駄に艶やかでそれでいて無彩色ではない不思議な黒髪はどうだろう。寝癖で跳ね上がった前髪はここ何年かそのままにしてある。
対面的には新しい髪型で通しているが、その実、私自身、面倒だから直さないだけなのだ。どうせ明日には同じようになるのだから変わらない、そう思って放置を決め込んだのである。

「退屈だわ…本当に退屈。」

心に溢れたその感情が思わず口から出てしまった。
でも気にしない。どうせ私の独り言など誰と聞いてはいないのだから。聞こえていないのだから。

私の周囲には妖術を施してあり、普通の人間には私の姿はおろか、その場に何かがあるという認識そのものが欠落している状況だろう。だから私は懐から煙管を取り出し、妖術で火を灯した。
ゆっくりと吸い込み、それから吐き出す。その動作を一回行ったところで思わぬ事態に遭遇した。

「あのー!そんなところにいると危ないですよーー!?」

「…ん?」

突然、大きな声が下から聞こえて私は視線を向けた。
すると、そこには若い男が1人、まっすぐにこちらを見ているではないか。
…まさか、私を視認して声をかけているのか?

「…私のことか?」

そう思って聞き返してみる。

「そうですよー!だから早く降りてきてくださーい!」

「…っ。」

…驚いた。いや、素直に驚いた。まさかとは思ったが、本当に私が見えているようだった。意識を巡らせて術を確認してみるも、さして異常を見当たらず、『不可視不認識』の術は正常に稼働していた。
と、すれば。

「…お主は陰陽師か?それともここの神主か?」

「え!?…いえ、ただのしがない浪人ですよー?」

…しがない、というには晴れ晴れとし過ぎている気がするがそこはどうでもいい。それよりも、彼が妖術に通じる者ではないとすれば、なぜ私が見えているのか?
この距離では如何様にも推測しづらいのでとりあえず私は地上に降りることにした。

瓦に手をかけて身を押し出す。ふわりと宙に浮いて地面へと落下していく私を見て、男は慌てていたが、地上スレスレでひたりと着地して見せるとほっと胸を撫で下ろしていた。…実に妙な人間である。

「…で?お主は何者なのか?」

「え?ああ、申し遅れました。私、ここらに居着いている浪人の…って、耳!?」

自己紹介の途中で彼は驚いたようにたじろいだ。視線を辿ると私の頭に生えた狐耳にのみ注がれていた。…ああ、この耳に驚いたのか。しかし、擬態の術も掛けておいたはずなのだが、どうして彼は見えているのだろう。

どこまで見えているのか確かめるため私は腰辺りに生えた尻尾を振ってみる。

「おわっ!尻尾まで付いてる!?」

…実に純粋な反応と感想だ。少しつまらないがそれもまた、今はどうでもいい。

「なんだ、全部見えているのか。」

「あ、そうか!貴方は妖怪なのですね?」

急に納得したような反応を見せた後、直球の質問を投げかけてきた。

「軽い反応だな、妖は見慣れているのか?」

「ええまあ、家が妖と縁が深い関係で…。」

ん、ああ。なるほど。
その言葉で私はようやく合点がいった。
腰に下げた刀と、その澄んだ瞳から察するにおそらく彼は退魔の一族の出だ。

「お主は退魔の者か。」

「え!?なんで分かったんですか!?」

バレバレだ。

「…その腰に下げた刀も普通の刀ではあるまい?…鞘に刻まれた紋章からするに、さしずめそれも退魔用の専用武器といったところか。」

すらすらと自分の正体を当てた私に、彼は驚きの顔でただ見つめてきた。…どうやら喋りすぎたか?

「退魔の者であるならば、私を退治しにきたのかな?」

「い、いえ!決してそんなことは。そもそも、貴女がここに降りてくるまでまったく正体には気付けなかったのですから。…それに、もうあの家とはなんの関わりもありませんし。」

「…ふむ。」

見るからに変な奴だとは思っていたが、聞くと更におかしな奴だと感じる。…まあ、顔は割と整っているようだし、私の好みではあるのだが。

それにしても、ボサボサの頭といい粗末なボロい着物といい。浪人であるのは確かなようだ。退魔の剣士がなんで浪人にまで堕ちているのかは知らんが、私わ殺しに来たわけじゃないならもう用はない。

「そうか、時間を取らせてすまなかったな。」

ふらりと私は身を返して境内の方へと歩いていく。

「ま、待ってください!」

「…?」

呼び止められ振り返ると、先ほどの青年が何かを言いたげに、しかし言えずにもじもじとしていた。
女々しい。…そんな感想は出てこなかった。ただ、思わず私は立ち止まってしまった。理由はないが、何か本能的な欲求を覚えてしまった。
初めての感覚に私の思考は麻痺した。
停止した私に彼はさらに衝撃的な言葉をぶつけてきた。

「…ぼ、ぼくと友達になってください!!」

「…………はい?」
















…面倒なことになった。

神社での一件でなぜか一緒に町内を回る事になってしまった。

友達になってくれと言われた私は、退屈しのぎくらいにはなるかと二つ返事で承諾した。だが、何がどうなったのか『友達は一緒に買い物するものだ』という話になった。私は拒否したのだが、あのように必死に頼み込まれてはこちらも断り辛く、渋々承諾してしまったわけだが。

「…っ。」

どうにも、先ほどから彼の様子がおかしい。

「…そういえばまだ名を聞いてなかったな。」

「あ、言いそびれてそのままでしたね。改めまして、僕は早太。浪人やってます!」

…こうも清々しい笑顔で浪人を名乗る奴は実に珍しい。浪人といえばろくな仕事ではないのだが。また、浪人に堕ちるまでにも殆どの者が壮絶な過去を背負っていたりするものなのだが。

「早太、か。」

まあ、なかなかに良い名である。悪くない。なんとなく雰囲気も早太っぽい感じに見えるし。

「ではこちらも名乗らねばな、私はー」

その先を述べようとして思い留まる。…はたして真名を明かして良いものなのだろうか?初対面の相手に対して。
しかも、彼の実家は退魔の一族。もし報告されれば面倒なことになる。

「花だ。お花。」

だから偽名を使った。華曜の華からとった単純な名前だが、こいつには十分だろう。
頭の中がお花畑みたいな印象を受けるこいつなら納得してくれ…

「花?…ぷっ!」

…笑われた。

「おい待て、なぜ笑う?」

じわじわと怒りがこみ上げてきて私は思わず聞き返した。なんとなく怒っているのを悟られたくなかったので表面上は笑みを浮かべる。

「あ!お、怒らないで!…その、なんか貴女のような美しい人が、なんとも可愛らしい名前をしているものだからつい…花、ぷぷっ!」

「わ、笑うなっ!」

くそっ!お花は失敗だったか。…今度からはもう少し考えてから名乗ろう。

新たな教訓を得た私は、未だふつふつと湧いてくる怒りをなんとか抑えようと辺りを見回した。

「!あれは…なんだ?」

「ん?」

町の長屋を越えたところに見える金の瓦屋根を私は指差す。

「…ああ、あれは最近新たに赴任した領主の館だよ。」

言って表情を曇らせる早太に私は違和感を感じた。

「…どんな奴なんだ?」

「うーん…どんな、というと。…法外な税を取り立てて私服を肥やしてる人、かな。まあ有り体に言えばどこにでもいる悪代官だよ。代官じゃないけど。」

代官…その名称には聞き覚えがあったが、実際にどのようなことをしているのかについては知らなかった。そもそも人間社会の職業など興味がないので覚える気もしなかったのだが。

「…悪い、奴なのか?」

早太の口振りからして、あまり良い印象を受けなかった私はそう質問した。

「…一概には言えないかな。この国にはそうやって利益を上げてる人は五万といるわけだし、彼もその1人とするなら一応は世の理を理解している頭のいい奴なのかも。」

「?…分からないな、もう少し簡潔に言ってくれ。」

私がそう願い出ると、早太は困った顔で頭をかきはじめた。

「そうだなぁ…まあ、悪い奴だな。」

「そうか…。」

…代官とは悪い奴なのか、うむ、一つ勉強になった。

私がふむふむと頷いていると、早太は心配そうな顔で尋ねてきた。

「…あー、あんまり勘違いしてほしくないのだが、皆が皆悪い奴ってわけじゃないからね。中には善政を行う人もいるわけだし。」

例えば、と人差し指を立てながら早太は続けた。

「尾張国を治めている兼続様、とかね。」

「誰だそれは?」

「え!?知らないの!?」

純粋に知らないだけなのだが、なんだか大いに驚かれてしまった。…確かに自分自身でも最近の俗世にはあまり詳しくないのは承知していたが、兼続とはそれほどにも有名な者なのだろうか。

「…すまん、教えてくれ。」

ちょっぴり恥ずかしくなって、申し訳なさげに聞いてしまった。すると早太は待ってましたと言わんばかりに得意げに話し始めた。

「歌舞伎王・兼続。彼は東海地方に位置する尾張国を治める領主さまだよ。赴任から僅か3年で、当時赤字だった国の財政難を一気に立て直したこともあるすごい人なんだ。その反面、お祭りごとが大好きな人でね、ことあるごとに宴会を開きたがるんだ。」

「なんだそれ。よく財政を立て直せたな。」

「はは、確かに。…でも、宴会には近くの村の人たちも招かれたりしてみんなで盛大に騒ぎ倒すんだ。だから、農民もやる気を出して精一杯農作業に励むし、定期的な視察で国中を常に見回って、農作業を手伝ったりしてるから民からも親しみやすいって評判なんだよ。」

仮にも一国の主が親しみやすいというのは些か問題がある気がするが。

「彼の政治は国民第一!だから民からの信頼は厚いんだ。…あ、もちろん家臣たちにもしっかりと気を配っているよ。」

「ほう。」

「国の者は皆家族、がモットーらしいからね。たとえ戦場で孤立したとしても必ず助けに来るっていうし。先陣切って。」

…聞けば聞くほど危うい領主だ。それではいつか死ぬぞ。

「…よくもそこまで語れるものだ。面識でもあるのか?」

「美濃の件で少しね。…まあ、ちょっとばかしこちらの野暮用に付き合ってもらっただけだけど。」

「いや、十分すごいと思うぞ。領主に私用で手伝ってもらうなんて。」

いやいや、とかぶりを振って否定する早太。…それは謙遜とかいうレベルではない気がするのだが。

「…まあいい、領主の話はそこまでにして、そろそろ話題を変えないか?…そう、例えばここら辺の名物品とか。」

「んんー?もしかしてお腹減ったの?」

「!!」

…図星だ。先ほどから私の腹の虫がうるさく喚いているのである。

もしや聞かれていたのではと疑いの目を向けてみたが、相変わらずのほほんとした表情なのでそれはないな、とすぐに思い至った。

「…分かっているなら早く案内してくれ。…どうにもこれ以上腹の虫を抑え込むのは不可能なようだ。」

「わかった、それじゃあとっておきの店に連れて行ってあげるよ。」


言われるがまま、連れられるがままに私は長屋の並びにひっそりと佇む一軒の飯屋に案内された。

「…ここか?」

見る限りにここは廃屋だ。めし、と書かれたのれんは擦り切れボロボロになり文字も霞んで読み辛い。おまけに建物自体に既にガタがきているようで所々に大小様々な穴が空いていた。隣の家と比べても明らかに老朽化が進んでいるその店に私は少し不安を感じていた。
そんな心情を察していたのか、店を見渡す私に早太が声をかけてきた。

「見た目はこんなだけど、味は良いから。保証するよ。」

…会って初日の者に保証されても信用できん。が、もう本当に空腹がピークに達していたため、仕方なく私はその店ののれんを潜った。

「ごめんくださーい!」

入って早々に早太が元気な声でそう告げた。隣にいた私は思わず耳を塞いだ。…狐耳というのはこういう時敏感で不便だ。

「お!今日も元気いっぱいだねぇ、早太。」

そう言いつつ厨房から顔を出したのは、なんと真っ赤な顔の赤鬼だった。

「おや?今日はなんだか可愛らしいお嬢さんを連れてるじゃないかい。」

「お嬢…?」

聞き捨てならない一言に私は顔を顰める。それに気付かない早太はいつもの調子で赤鬼の店主と世間話を始めてしまった。
…おい待て、私がお嬢さんだと?

「…分を弁えよ、赤鬼。私を誰だと思っている。」

「え?」

「ん?」

先ほどまで楽しく談笑していた2人がきょとんとした顔で振り返る。…その情景がなんだか無性に怒りを増幅させる。
私は堂々と前へと進み出て名乗りを上げた。

「我こそは古き妖狐の一柱、華曜であるぞ。…お主も妖ならば名ぐらいは知っておろう。」

私が名乗って初めて、赤鬼は何かに気づいたように「あ。」と口にした。

「あんたがここらの神社で祀られてる華曜さん?」

「むぅ…なんだその軽い反応は!気に食わん!」

「いや、だって。神様とはいえ同じ妖なんだしさ、それにその姿で現れたら余計親近感湧くって。」

な、なんだと!仮にも齢300を数えるこの私に、親近感だと?…これは少々教育的指導が必要なようだ。

「…おまえ、目上に対する態度がなっておらんな。…歳はいくつだ。」

「歳?…ああ、今年で280くらいだけど。」

ぬ!?い、意外に近いな。というかくらいってなんだ、くらいって。曖昧過ぎるぞ。

「いやぁ、200超えた辺りからもう数えんの面倒くさくなっちゃってさ。もう、ぶっちゃけ歳とかあんまり関係なくね?とか思い始めてて。」

「そうそう、年齢なんかで威張ったりしたらだめだよ、華曜。」

「っ!」

不意に名前を呼ばれて重大なことに気づいた。…そういえばこいつも居たのだった。すっかり忘れていてつい真名を口にしてしまっていた。
…だが、妙なことにこいつに名前で呼ばれるのは存外、悪くない気分だった。

「…ふん、まあいい。…で、ここの飯は美味いと聞いたが?」

これ以上の横柄はさすがに恥であると思い、私はしぶしぶ席に着いて飯の話題に変えた。その一言で赤鬼は急に満面の笑みになって言った。

「おお!俺の飯を食いに来たのか!いいぜ、ちょっと待ってな。」

そのまま赤鬼は厨房へと引っ込んでしまった。
…なんだか敗北感のようなものを感じるが、私は気にしないことにして大人しく飯が運ばれてくるのを待った。

あまり時間はかからなかった。数十分ほどして厨房から戻ってきた赤鬼は手にした料理入りの皿を私の席のテーブルに並べる。

「俺様特製『びーふしちゅー』だ!」

「?なんだ、この茶色いのは。」

出された料理は、私の知る限りでは初めて見るものだった。大陸の料理なのだろうか?

「お、びーふしちゅーか。華曜、これは相当美味いよ。特にほんのり効いた酸味がいい。」

「こらこら早太、あんまりネタバレするんじゃないよ。」

ねたばれ…その言葉の意味は分からないが、まあとにかく食べてみることにしよう。せっかく作ってもらった料理だしな。
白米に少量の茶色い汁を乗せてそれを口元まで運ぶ。箸ではどうにも食べにくいが、それもこの料理の特質なのかもしれない。

ぱくり。

「〜〜!!」

一口食べた瞬間、私は思わず悶絶した。

「どうよ?」

「…美味い。」

出てきたのはその一言だった。ただそれだけだった。
口にした瞬間に中でとろける濃厚な汁。そしてそれに絡まる白米との相性が抜群で、早太の言う通りほんのりと酸味を感じる。それがまた良い。

手が止まらない。箸でこの料理を食べるの少々難だが、そんなことも気にならないくらい自然に食が進む。
ある一定の域に達した料理人の飯はそうなると聞いたことがあるが、実物を目にし体験したのは初めてだ。この鬼にはある程度敬意を示さねばなるまい。

「…うむ、美味であったぞ。」

私はできる限りの賞賛の意を込めてそう述べた。
すると赤鬼の店主は豪快な笑い声を上げながら私の背を叩いてきた。

「そうかそうか!狐さんの舌にも合ったようで良かったよ!」

「ちょ、あんたの力で叩いたら痛いって!」

「照れんな照れんな!ツンデレもいいけど、もっと素直にならないと彼に逃げられちゃうぜ!」

「!!」

な、なんでそこで早太を指差すのよ!別に恋人じゃないし!ただの…友達だし!
とは思うものの、そのまま答えれば疑われるのは想像に難くない。

「て、照れてないし…。」

「ツンデレかっ!」

ばしん!と思いっきり背中を叩かれた。…この女、手加減というものを知らないらしい。








「…馳走になった。礼を言う。」

「おう!また来いよな!」

少しの休憩を挟んで私たちはまた町の散策を開始した。

「…次はどこに向かうのだ?」

「うーん…じゃあ、甘味屋とかどうです?」

「ぬ?甘味…。」

その言葉には妙に魅力的なものを感じた。

「甘味…というと、甘いものとか?」

「そうそう、主に菓子を売ってるところですよ。中でも羊羹がオススメです!」

「ふむ…羊羹。」

あの甘くてぷるるんとしたやつか。…いつだったか、旧友がお土産に持ってきたことがあったな。あの時は“一箱”だけだったから物足りなかったが。
店というからにはさぞかしいっぱい置いてあるのだろうな…じゅるる。
!いかんいかん、想像したら思わず涎が。

「…行こう、甘味屋。」

「え?」

内なる欲求の赴くままに私は彼の手を引いて、その甘味屋というのに向かった。

「わわっ、ちょっと待って!」

「ふむ、羊羹…ふむ、甘いもの…。」

「な、なにやら血走った目をしてるけど、場所分かるの?」

「ぬ…。」

その一言で私は我に返り歩を止めた。

「…ふふ、楽しみなのはわかったから、もう少し落ち着いて、ね?」

私の思いを見透かしたように微笑む彼に、なんだか無性に恥じらいが湧いてくる。顔が熱くなって、自分でも赤らいでいるのが分かる。

「わ、笑うな…別にいいではないか、甘いものが好きでも。」

彼の顔を見ていられなくなって、急いで顔を逸らす。
視界の端では彼が暖かな目でこちらを見ているのがわかった。やめろ、そんな目で見るな!

「恥ずかしがらなくてもいいんじゃない?女の子なら誰だって甘いものは好きなんだから。」

「お、女の子!?私を女の子と言ったか?」

恥じる私が微笑ましかったのか、彼はそんなことを言ってきた。私はいよいよ彼とは面と向かって話せなくなってしまった。目を見るだけで顔から火が出てしまいそうだ。
なぜだか分からないが、彼には私の甘味好きという密かな好みを知られたくなかった。…どうにも女の子らしく見られるのが堪らないのだ。

「ん?どう見ても女の子じゃない。それとも、女子扱いはお嫌いかな?」

「っ!」

なんでニヤニヤしながらこっちを見てくる!…くそっ!甘い顔に騙されていたが、どうにもこいつはSっ気があるらしい。優男に見えて実は肉食系男子というわけだ。

なんでかは分からないが、なんとなく一杯食わされた感があってどうにも気に入らない。

「…い、いいからさっさと連れて行かんか!」

「はいはい、もう少しですから我慢してください。」

「なっ!?我慢などしとらんわ!」


言い合いながらも、目的地である甘味屋には以外にすぐ着いた。どうやら本当に近くだったようだ。


「いらっしゃいませ〜…あら、早太君じゃない。」

「どうも、鑫さん。」

甘味屋と書かれた暖簾をくぐると、すぐに割烹着に身を包んだ美しい女性が声をかけてきた。彼女は早太を見るなり親しげに話を始め、早太もなんだか嬉しそうに会話を弾ませて…

「早太、知り合いか?」

そう声をかけてようやく私に気づいたのか、割烹着の女はこちらに視線を向けた。

「あらあら、早太君もついに所帯持ちに?」

「なんでそうなる!?私は…」

「妻です。」

「おい!?」

「あらあら…羨ましいわねぇ、こんな美人さんを娶るなんて。」

…なにやら勝手に話が進んでいくような気がして私は慌てて訂正する。

「待て!こいつとは今日あったばかりで、関係といってもそれほどのものは…」

「はは、冗談ですよ。彼女はただの友達です。」

「まあ、早太君も言うようになったわねぇ。ここに来たばかりの時はあんなに恥ずかしがりやだったのに。」

「う…いい加減忘れてくださいよ。あの時は…ちょっとそういう気分じゃなかったというかなんというか。」

私を蚊帳の外にしてまたも2人だけで会話が盛り上がっていく。…あの女、私をどうにかして追い出したいらしいな。

「ほうほう、その話、少し興味があるな。」

「え。」

「あら、じゃあ聞かせちゃおうかしら。」

…話に入りたくて言ったのだが、割烹着の女は以外にノリノリで楽しそうに声をかけてきた。

「うわわ!ダメですって!」










それから、割烹着の女…稲荷の鑫から彼のことについて色々と話を聞かせてもらった。聞くところによると、彼はこの町に来る以前はどこか高名な武家の家来をしていたらしく、そこで起きた不祥事に巻き込まれてこの町に逃げてきたのだという。
なんとも地雷臭のする話なので聞きながら彼の方をチラチラと気にしてしまったが、なんてことはなく、彼は気にした様子もなく至って冷静だった。
話題は彼の恥ずかしい失敗談へと移り、何かを語るたびに慌てふためく彼はなんとも愛らしく、微笑ましかった。

鑫の自慢の甘味類をうかしし摘みながらの雑談は思っていたより楽しく、そういう時間はあっという間に過ぎて行った。


一通りの早太にとって恥ずかしい話題を語り終えた私たちは春の心地よい夜風に吹かれながら涼んでいた。

「む?…どうやら長話をしてしまったようだな。辺りはもう真っ暗だ。」

「あら、ほんとね。」

「…今日もお客さん、来ませんでしたね。」

和んでいる中でなんてことを言うのだこいつは。

当の本人である鑫もいつもの笑顔を浮かべてはいるが、心なしか暗いオーラを放っている気がする。

「あら、いつものことでしょ。…それに気にはしてないわ。だって、私には愛しの旦那様がいるんですもの。」

「!既婚者だったのか。」

「あれ、言ってませんでしたっけ?」

初耳だ。そもそも、話題のほとんどが早太だったので彼女については甘味屋の店主という以外に知らない。
既婚者なら早太に近づいても問題ないか。…ん?いや、何を気にしているのだ私は。

「…ところで、私としては鑫の恋話にも興味があるのだが?」

「あ、それ僕も聞きたいです。そういえば聞いたことなかったですもんね。」

詰め寄る私と早太に、鑫はあらあら、と頬に手を当てながらほんのり朱に染めた顔で語り出した。…まんざらでもないようだ。

「そうねぇ、あの人と私が出会ったのはー」

「ふむふむ。」

「ワクワク…。」

「やあ、帰ったよ、マイハニー。」

好奇心が内でうずうずし始めた頃、暖簾を開け放って1人の若い男が姿を現した。

「あなた!」

「ぬ、主人か?」

「鑫さんの旦那さん!」

「…そろそろ名前覚えて欲しいなぁ。…と、君は初対面だね。狐のご婦人。僕の名前はアザト、鑫の夫さ。」

私を見るなり爽やかな笑顔を浮かべて歯を輝かせてくる。…俗に言うイケメンというのはこういうのをいうのだろう。

「華曜だ。上の神社を住処としている妖狐だ。稲荷ではないから間違えないように。」

「華曜さま!?…これはこれは、こんな町中までご足労いただいて。」

私の名を聞いて察したのか、アザトは恭しく礼をしてそう述べた。

「ふむ、若い割に礼儀は弁えているようだ。そう、何を隠そう私こそー」

「旦那様ーーー!!」

私の言葉を遮るように、鑫は一目散にアザトへと抱きついた。

「おっとっと!…ただいま鑫、待たせたね。」

「ううっ、鑫は寂しかったですぅ…もう!今夜は寝かせませんから!」

「はは、それは怖いな。いや、嬉しいかな?」

…私を差し置いてよくもこう目の前でいちゃいちゃできるものだ。さっきまでの抱擁力のある彼女はどこにいったのやら鑫はアザトにべったりである。

「ささ、旦那様。さっそくお部屋へ…」

「ああ、ちょっと待ってくれ。…早太君!」

「は、はい!」

鑫に部屋へと引きずられながらアザトは彼に声をかけた。そして、近づいた彼になにやら耳打ちするとそのまま鑫に連れ去られていった。

残された早太はその場に立ったまま動かなかった。

「…どうした?」

私が声をかけると早太は真っ赤な顔でこちらを見てきた。

「おお!?顔が赤いぞ!?どうしたのだ!?」

私は慌てて彼の額を自分のものに当てて熱を計った。

「うひゃ!?」

「変な声をあげるな。…ふむ、どうやら熱はたいしたことないようだが。」

熱を見ている間も彼は顔を赤らめたままもじもじとしていた。

心配になった私は再度、声をかけてしまう。

「…本当にどうしたというのだ?」

「あ…その…ぅ…!」

…顔が赤い。熱がないのに赤いのは何かを恥じているからか?ならば何を恥じているのだろう?さっきまでの赤裸々な過去話以外に恥じ入るものがあるのだろうか?そもそもあれ以上に恥ずかしいことなどあるのだろうか?

口ごもっていた彼は意を決したように私の目を見て次のように述べた。

「…よ、夜空を…星を、見に行きませんか!?」

「お、おう…構わんぞ?」











星を見る。そんなのは暇な私としては日頃からなんとなく行っていたが、誰かとともにというのは初めてだった。

神社から降りてきたのと同じ道を今度は登りながら、私は傍の早太を見つめた。

「…どうして無言なのだ?」

山に入ってから、というよりも夜空を見に行くことになってからどうにも彼は一言も喋らずに歩いていた。

最初の頃と比べれば大分おとなしくなってしまった彼に私は思わず不安になっていた。

「…何か、気に触ることをしてしまっただろうか?」

「え!?い、いや!そんなことはないよ!断じてない!」

…よかった。私の取り越し苦労らしい。…だが、それならなぜこうも無口になったのか?

「…は、初めてなんです。…女性と2人で夜空を眺めるなんて。」

「?」

…ああ、なんだ。照れていたのか。Sっ気があるくらいだから女慣れしているのかと思っていたが、どうも初心な男子らしい。

「夜空、とかじゃなくて、2人で街を散策したりするのも。実は初めてで…ちょっと緊張してました。」

「…そうは見えなかったが。」

「見えないようにしてただけです。…男だから、ちゃんとしなくちゃって。」

…妙なところで気を使う男だ。私はそんなこと気にしないのに。

「そんなに緊張するなら男友達でも作ればいいだろう。なぜ私に声をかけた?」

「…それは。」

言いかけて彼は黙り込んでしまった。…本当に調子が狂う。どうしたというのだろう?

「…運命です。」

「……はい?」

「いや…かっこつけました。すいません。…直感、と言いましょうか。でも、なんとなくあそこで声をかけたくなって…それで…」

…言っている意味がよくわからないが、なんとなくその気持ちだけは理解できそうだ。私も彼に突然友達になってくれと言われて、どうしてかすんなりと受け入れてしまった。
初めは長生きし過ぎたための気の迷いかとも思ったが、確かに私はあの時、自分の意思でそう決めた。

「…だから、その…」

「なんだ?はっきり言え。」

「…ぼ、僕と!ずっと友達でいてください!!」

「…。」

…少し考える。その発言はこのまま何事なく友達でいたいという切実な願いだろうか?まあ、そもそも私は彼を襲う気もないし、娶る気もないのだが。
…でも、なんとなく。それは少し不快だった。

「…やだ。」

「ええ!?なんで!?」

「だって…」

その先は言えない。が、これだけは言える。

「ずっと友達ではいられない。」

「!…そうですか。」

彼はあからさまに落ち込んでしまう。…私が言いたかったのはそういうことではないと、言いたいが。…まだ納得できる答えを用意できない今は、沈黙で答えるしかなかった。



少し気まずい空気のまま山の頂上…とまでは行かずに、その手前の星のよく見える見晴らしのいい場所に到着した。


「おお…これはなかなか。良いではないか。」

見上げた空に輝いていたのは満天の星空。普段なんとなく眺めていたのとはまた違った魅力を感じる。これは星を見るという確固たる意思の元来たからなのか、あるいは彼と共にここへ来たからだろうか?

目的地に着いたというのに、彼は相変わらず俯いたままだ。…まったく、世話の焼ける坊やだ。

「ほら、早太。」

「?」

私は早太へと手を伸ばした。

一瞬躊躇った彼だが、やがて恐る恐る私の手を握った。

「わっ!?」

ぐいっと引っ張って私のもとへ無理やり抱きすくめる。

「おわわ!?ど、どうしたの、華曜!?」

「…なぁ、早太。」

私は驚く早太の頭をゆっくりと、優しく撫でる。

「私はな…妖狐だ。稲荷と違って定住する地を持たない我らは人々に畏れられ、崇められた上で力を保つことが出来る。それはこの時代においても変わりはせん。
ゆえに、いずれはこの地を離れる時も来る。…わかるな?」

「…。」

早太は黙って頷く。

「…だからな、ずっとは友達でいてやれんのだ。…でも、次の地へと移るまでの間。…そうさなぁ、ざっと100年の間は友達でいれるかもな。」

「!それでいいよ!100年でいいから!僕と…友達でいてよ!」

…友達、か。この後及んでまだそれか。

…でも、悪くない。100年の夢をみるのも悪くない。

「…よかろう。ただし、お前の振る舞い次第ではすぐにでと次の地に移るかもな。」

「そ、そんな!…いや、でも頑張る!」

「いやいや、冗談だって。そんな意気込まなくても…。」

「よぉーし!僕も一人前の男を目指して頑張る!…だから華曜も立派な女性を目指して頑張りなよ。」

「な、なんじゃそれ!?まるで私が女っぽくないみたいな!?」

「うん、まったくないね。その見た目以外は。先ずは言葉遣いから見直してみたら?」

「…。」

私は無言で彼の頭をぐりぐりする。…純粋な顔でひどいこといった罰だ。

「いたたた…!?な、なんで!?」

「…ふん!お主も、そこから直した方が良いのではないか?先ずはその『僕』という一人称から改めい!」

「む…なら、今度からは『俺』でいくよ?いいんだね?」

「お、おう…。」

お、思わずキュンとした。

「くっ…あははは!」

「な、なに急に笑い出して…不気味。」

「ははは…!不気味で結構!私をこうも笑わせたおぬしになら何をされても許せる!」

こうも愉快な気持ちにさせられたのは初めてだ。しかもその相手が人とはな。…長生きはするものだと改めて思い知らされた。

「な、なにそれ…ぷっ!ははは…!」

つられたのか彼も声高らかに笑い始めた。
それを見て楽しくなってきた私も負けじと高笑いを決め込んだ。







…満天の星空の下で、私と彼は笑い続けた。




















































16/02/05 21:37更新 / King Arthur
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まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33