第五話 コミモ開催!
「何よこれ! 何なの!?」
一匹の魔物娘が逃げていた。
後ろからは魔物娘の後を追ってくる複数の人間。そのいずれもが武装をしており、仮に魔物娘が一匹で立ち向かったとしても勝てる見込みは非常に薄い。
「どうしてこんなことに・・・・」
魔物娘は汗水垂らして逃げながらも、こうなった原因を探るように記憶を反芻し始めた。
迷宮都市イシュル。世界でも屈指の最高難易度である『世界蛇のダンジョン』を囲むように作られたその都市は、ダンジョンから産出される物により経済が成り立っているとされる反魔物領に属する独立都市だ。
イシュルには夢物語が溢れていた。貴重なアイテムを発見して一晩で大金持ちになったという話や、強力な武具を手に入れて世に名を馳せた話、誰もが羨むほどの絶世の美女と結婚した話等々、華美な噂には事欠かない。人間達は自分がその夢物語の主人公になるべく、今日もまたダンジョンへと足を運ぶのである。
しかしその都市の実体は、強い夫を求めている魔物娘や、力ずくで人間をモノにしたい魔物娘、よくわかんないけど良い噂を聞いたから来た魔物娘などで賑わう、魔物娘の魔物娘による魔物娘のための婚活都市であった!
つまり、人間達は騙されているといえば騙されている――のではあるが、別に人間に喧伝されている噂が間違っているわけではなかった。ダンジョンにある貴重なアイテムは魔物娘達が費用負担しているし、強力な武具は人の間では流通しにくいサイクロプスが作ったもの。・・・・絶世の美女は魔物娘だったりするのであるが決して嘘ではないのだ!
そんなイシュルのちょうど真ん中にそびえ立つ、都市全体を見下ろすかのように大きな塔の内部には、ダンジョンギルドと呼ばれる組織が存在する。ダンジョンや都市を円滑に運用するために作られた組織であり、人や魔物娘が多く住むイシュルにとってなくてはならないものだ。
「え・・・・、ソロでダンジョンに行くのですか?」
「うん」
「四階層で?」
「うん」
件のダンジョンギルドにて、受付と相対する一匹の魔物娘。その姿は飄々としており、これからダンジョンに潜るものが発する雰囲気とは思えない。よほど自分の実力に自信があるのか、あるいは――
「わ、わかりました、それじゃオプションは何を?」
「大丈夫、問題ない」
そう短く告げて鼻歌を歌いながらダンジョンへと降りていくインプを、ギルドの受付は苦笑いで見送ることしか出来なかった。
「いったいどこに問題があったのかさっぱりわからない。なんで?」
思い返してみても、自分の行動はいつも通りだった。だというのに今日のダンジョンはおかしい。
今日はやけに、いつもより強そうな人間がいるなあ、と感じ、一人でいる人間全然見ないなあ、と自分のターゲットを探すも成果ゼロ。さらには道中、好戦的な人間に襲われたため尻尾を巻いて逃げているのだ。
インプの少女シイは、いつもとは違うダンジョンに頭を悩ませつつ、広いダンジョンを駆けていた。
まあ、本当にいつもとは違うのだが、シイはまだ気づいていない。
シイが前までいた一階層と、今回潜った四階層には雲泥の差があるといっていい。ソロの探索者は一階層に比べて激減し、パーティーを組む探索者がほとんど。それも一階層のような前衛ばかりの寄せ集め構成ではなく、味方を守る壁(タンク)、火力を担う魔術師(マジシャン)、周囲の警戒を行う斥候(スカウト)などを含むバランスの良いパーティーで構成され、隙を突くのも難しくなる。
当然、魔物娘側もソロで潜るのは無謀となってくる。人間を手に入れるためにどうすればいいのか策を練り、パーティーを集い、オプションに頼り、時には運に身を任せて、やっとその手に勝利を掴むことが出来るのだ。
「ととっ!」
後ろをちらりと見ると、どうやら上手く撒けたようで人間達はいなかった。思い返せばイシュルに来てから逃げてばかりのシイには、結構な脚力がついたのかもしれない。
「はぁ、つかれた〜」
ちょうどよさそうな岩場に腰を下ろし、走り疲れた足を休めるために休息をとる。
「何なの、もう! 一人でいる人間も弱い人間も全然いないし!」
ぷりぷり怒るシイが運悪く次の人間パーティーに見つかって、ダンジョンから都市に逃げ帰るのはそれから数分後のことで。
「『なんてぷりてぃーな魔物なんだ! 抱いてくれ!』『えー、もう・・・・。仕方ないなあ、いいよ(はあと)』なーんちゃって! なーんちゃって! むふふ〜」
もちろん、いつの間にか怒りを忘れ妄想が捗っている今のシイには、それを知る由もなかった。
都市の上空では太陽が、都市そのものを活気づけるように燦々と輝いている。でも、その太陽を煩わしく感じるのはヴァンパイアに限った話ではなく、
「うぅぅ・・・・」
成果ゼロの上に、昼過ぎという早い段階でダンジョンから戻ってきたシイにとっても同じことだった。その後ろ姿はどこか煤けている。
その原因に関しては、いつも以上にダンジョンでの疲れが出た、というのもあるが大本はそこではない。
「お金が、ない」
端的に言うと、そういうことだ。シイの所持金は本当に残り僅かで、迷宮都市イシュルの安い宿賃でもギリギリ一泊出来る程度しかなかったのである。当然、そんな端金じゃダンジョンに潜れるはずもない。
「これからどうしよう」
はあ、と溜息をつくシイ。トボトボと当てもなく歩いていると、いつの間にか商店街に入っていた。
「魔界豚の串焼きだよー、ほっぺが落ちるくらいうまいよー」
外で販売している屋台から美味しそうな匂いが漂ってくる。匂いに反応してシイのお腹がくうくう唸った。
「・・・・食べてから考えよー」
シイは魔界豚の串焼きを手に入れた!
「宿に泊まるお金もないんだよー! 助けてよー!」
「ふーん。で、その手に持ってる物は?」
「魔界豚の串焼き」
「それ結構高いだろうが! 金に困ってるならなんで買ってんだよ!」
「美味しそうだったから」
「ああはいそうですねー! その通りですねー!!」
シイが串焼きを買った後に向かったのは、最近お馴染みとなった武器屋である。現在、この都市でシイの知り合いは店番オークしかいないので、話がしたいならここに来るしかないのだ。今までなんだかんだいって良くしてくれたこともあって、店番オークに対するシイの好感度は高い。まぁ、野良犬が餌をくれる人を覚えているのと大差ない話ではあるが。
しかしシイの期待を裏切って、この日の彼女は存外素っ気なかった。実は明日ダンジョンに潜るということで内心ウキウキだったのだが、パーティーメンバーのグールが口内炎が痛いとかよくわからんことをほざいて、突然予定をキャンセルしてきたので機嫌がイマイチだったのである。
「ギルド行って、仕事もらうしかないわよ」
「もうちょっと、割にあう何かはー?」
「そんなものはない!」
「ちぇー」
「ほらほら、行った行った。こちとら金なしに用はないの」
「ひっどーい!」
結局、ダンジョンと同じように何の成果もなく、背中を押されて店から追い出されることになった。
その後、しぶしぶダンジョンギルドに行ったシイは、バイト募集の張り紙がしてある掲示板を眺めていた。
掃除、洗濯、店番、雑用、様々な仕事がある。そんな中、シイは急募と書かれた一枚の張り紙に注目した。
「お、給金高い。いいじゃんいいじゃん」
シイとしては、出来れば長く働きたくはない。一日かそこらでパッと稼いで、すぐさまダンジョンに挑みたいのだ。その点を踏まえて、この張り紙に書かれていることは希望と合致する好条件に思える。
「しかし、コミモってなんだろう? 今日の夕方から拘束期間二日、雑用兼売り子ねえ・・・・」
むむむ、と少々悩む素振りを見せるが、
「ま、なんとかなるでしょ」
楽観的なシイは張り紙を剥がして、ギルドのカウンターへ持っていた。
「ギルドで依頼を受けたインプのシイです。依頼したユリアさんいますか〜?」
ギルドに指示されて訪れたのは、シイの泊まっていた安宿より少し高そうな宿の一室だった。シイがノックし来訪を告げてから少し経って扉が開く。
「あ、はい。いますいます! こんにちは!」
「こんにちは」
出てきたのは小さくて可愛らしい魔物娘だった。小顔についた大きくて丸い瞳や色白の肌、左右で纏められた茶色の髪がより可愛さを引き立てる。細い腰にはその身体には不釣り合いなほど大きなペンを携えている。
「今回は依頼を受けてくれてありがとうございます。実は手伝ってくれるはずの子が急に予定が入ってしまって困っていたんです。私はリャナンシーのユリアと言います。それでこっちが私の友達、ケサランパサランの・・・・」
「おなかすいたー。ゆりあ、ごはんー」
「チノ、さっき食べたでしょう? それに今は自己紹介中だから!」
「よろしくー。ごはんもねー」
「ごめんなさい、シイさん。チノは少し自由な子なので・・・・」
ユリアが紹介したのは、黄緑の髪を揺らしながら自由奔放に飛び回っているケサランパサランのチノという魔物娘だった。両手の平に乗るほどの小さい体は柔らかそうな毛玉に包まれていて、シイが息を吹きかけただけでもどこかへと飛んでいきそうだ。
自由に部屋を飛び回っていたチノが、ふわりとシイの頭の上に降りてくる。初対面だというのに、その行動に遠慮はまったくなく、
「おお〜、つの? ねえこれ、つの? すごい! うひゃひゃ!」
チノはシイのアホ毛を掴んで、いじくり始めた。
「違う! 角はそこじゃなくて耳の上の後ろ辺り! 髪さわんなー!」
「ふはははー」
アホ毛でポールダンスまで始めたチノを掴もうとするが、余裕で逃げられる。チノは意外にもちょこまかとしたすばしっこい動きをしていて、シイがいくら頭の上で手を動かそうとも捕まえることはできなかった。
「懐かれちゃったみたいですね」
「嬉しくない〜」
「なっはっはー」
チノはシイの頭の上が気に入ったのか、屈託のない笑顔でポンポンと飛び跳ねている。シイはとりあえず気にしないことに決めた。
「それで、依頼したい仕事のことなんですが」
こほん、と一つ咳払いをして、ユリアは本題に入る。
「張り紙にも書いておきましたが、今日の製本作業手伝いと明日開催されるコミモで売り子をお願いしたいんです」
そういって立方体の箱を指し示した。
「すでに、このなんか私には理解できないすごい技術で紙をコピーする魔道具を使ってページは作りました。これ本体はそこまで高くないんですけど、専用インクが高いんですよね〜」
「へえー」
「とりあえずシイさんは下に書いてあるページごとに、・・・・・・・・・このようにして、紙を分けて私に渡してください。その後の仕上げは私がやります」
「ぬはははー! わけてけー!」
「わかった!」
と説明を受け、張り切ってやりだすシイだったが、
「これでいいの?」
「・・・・んーと。はい、問題ありません。これをあと九百九十九部お願いしますね」
「はーい。ってきゅうひゃくきゅうじゅうきゅう?」
「よろしくお願いしますね」
それは決して簡単な仕事ではなかった。ユリアは容赦なくシイを扱き使ったからだ。
二時間後。
「ああ、目がチカチカしてきた」
「我慢してください、まだ全然残ってますよ」
「うげえぇー」
「飽きたなら私が仕上げ終わった本を、そこに置いてある大きい鞄に詰めていってください」
「はい・・・・」
さらに三時間後。
「zzz・・・・」
「あの、この子と一緒に私も寝ていい? すごく眠くて」
「三分ならいいですよ」
「それ寝たって言わないよぉ・・・・」
さらに三時間後。
「ああー! もうこんな細かい作業やってられるか! 私は宿に帰らせてもらう!」
「給金出しませんよ」
「いいもん! って、そういや宿代なかった・・・・」
さらにX時間後
「おかしい、私が紙を分けているのか、紙が私に分けられているのか。いったいどっちなんだろう」
「どっちも正解ですよ」
「もう、ゴールしてもいいよね」
「だめです」
そんなこんなでシイとユリアは一睡もせず、朝日が登り始めたころについに、
「・・・・終わりましたー!!! お疲れさまでしたー!!!」
「私が紙を分けているから、紙は私に分けられて、私は新世界の神になる・・・・。ってあれ、終わったの? 寝ていいの?」
徹夜明けと単純作業のせいで変なテンションになったシイだったが、なんとか与えられた作業をやり遂げていた。
「寝ちゃだめです。このまま会場です。はいこれ荷運び用カート」
しかし、終わった後も寝る暇なくそのままぐいぐいと引っ張られ、会場までカートを引かされる羽目になった。
「うわー、なんかいっぱいいる・・・・」
徹夜明けのあまり上手く回ってない頭でさえも、目を疑うほどの魔物娘の数にシイは驚いた。
イシュルに来たときもその多さに驚いたシイだったが、今日はその魔物娘の密集度合いがなによりすごかった。イシュルの中心にある塔ほどではないにしても、かなり大きい建物に数多くの魔物娘が行列を成していたのである。
「一年に一回の滅多に開催されない大規模なイベントですからね。イシュルならではの探索者系の本が多くてオリジナリティに溢れてますから、この日のためだけにイシュルに来る魔物娘も多いんですよ。さすがに本家本元には適いませんけどね」
「へえー、そうなの」
「そうなんです! それに今回はあの超有名作家十字ヘルスさんまで参加してくれてますからね、これくらいは当然ですよ! もうファンなら絶対に行くしか、行ってスケブしてもらうしか! しかしサークルチケットがあるとはいえ先着十名の中に入れるかなあ。スペースの場所的に微妙だなあ。でも絶対に負けません!」
ユリアは聞いてもいないことをべらべらと喋っている。話が長いなあ、とシイは思った。
魔物娘達が並んでいる脇を通り抜け、チケットで会場に入っていくシイ達。ユリアは自分のスペースに着くとちゃっちゃっと用意を済ませたあと、本を数冊手に取って、
「それじゃ、私は挨拶周りがあるんで、留守番お願いします」
と、いうなりどこかへと行ってしまった。
「それじゃ、私は寝るから。チノ、あとはよろしく。zzz・・・・」
「まかせろー! あ、ちょうちょー。まてー!」
その後、本をちょうどいい枕にして寝始めたシイがそのまま涎を垂らして本を汚し、ユリアに色々怒られる羽目になった。
「超幸せだ私、先着入れなかったのに。描いてもらえるなんて超幸せだ。魔王様の絵、楽しみすぎる〜」
イベントが始まってすぐ、シイにまたスペースを任せてすごい勢いでどこかへ駆けていったユリアは、自分のスペースに帰ってくるなりニヤニヤしっぱなしである。今のところ客足はそこそこなのでシイ一匹でも問題はなかった。
こんなに本を用意する意味あったのかなあ、と疑問に思ってたシイだったが、
「今は大手サークルさんに集中する時間ですから、暇なんです」
「ふ〜ん」
その疑問は杞憂に終わる。ユリアの言葉通り、余裕があったのは本当に最初の方だけだったのだ。
「なんか、客が多くなってきてない?」
「これからがピークですからねえ。これでもいちおう準大手サークルですし」
徐々に増す忙しさに比例するように二匹は無言になりつつ、群がる客を捌いていく。
「なんかゾンビ属の子が多いんだけどなんで?」
「知りません」
たまに交わす軽口にも余裕はない。いつの間にか遊び疲れて帰ってきたチノを頭に乗せていることにも気づかないほどにシンドかったと、シイは後に店番オークに語った。それでも、昨日の宿での作業に比べれば随分とマシであったが。
「完売しました! ありがとうございます!」
客足も収まりはじめたちょうど良いタイミングで、ユリアとシイが持ってきた本は全部捌けた。
「シイさんもありがとうございました」
「終わり?」
「はい、あとは後片付けくらいなんで。あ、シイさんにはとてもお世話になったので、これは心付けです。あとでギルドからも正式にもらってくださいね」
「え、いいの? ありがと〜」
予定にない、突如渡された小袋の中に入った金貨の重さに、シイは頬を緩めた。
「ユリアさん、ごきげんよう」
ゆっくりと後片付けを始めたユリアのスペースに一匹の魔物娘が現れた。
「あ、ラパルさん」
ユリアは取り置きをしておいた新刊を、鞄の中からとりだして差し出す。
「これが今回の新刊?」
「はい、読んでってください」
完売したユリアのスペースに訪れたのは、ユリアにとって常連の友人であり、生前は耽美系マニアで貴腐人と恐れられた元公爵家令嬢のワイトだった。魔物娘となった今では、もちろん夫が一番大事なのだが、生前の趣味は捨てきれずにいるようである。
「ああ、前回、前々回と見てきたけど、今話で最終回、しかも悲恋なのね。メジャーなアルプ化にしなかったのは何故なのか聞いてもよろしくて?」
「はい、あの子に最近お相手が見つかったので。事実と違うのもちょっと、と思いまして」
「そう、仔兎ちゃんはもう・・・・。このシリーズが終わってしまうのは悲しいですわ。というか最後のコマはもしかして、もしかする!?」
「はい、噂なんですけど。彼、最近たびたび一階層に降りてるみたいなんですよ。これはもう!」
「おいしいですわ!」
「おいしいです!」
と、なんだか盛り上がっている二匹の外で、仕事が終わって一息つくシイにチノがじゃれていた。
「しい、つの、あめみたい。はむはむ」
「だから角でもないし飴でもない! 食うなあっ!」
チノはイベント中、会場を自由に飛び回り、疲れたらシイの頭に帰ってきて寝るという行動を繰り返していた。どうやら完全にシイの頭は巣にされたようであった。
『今回のイベントはこれにて終了です。皆様、お疲れさまでした』
イベント終了のアナウンスが会場に流れ、多くの魔物娘が戦利品片手に帰路につく。その波から外れた会場の隅っこにシイ達はいた。
「昨日今日とありがとうございました、シイさん」
「ん、こちらこそ。まあ悪くなかったから、またあったら呼んでよ」
今日もらった心付けと、後にギルドから受け取れる高い給金を合わせればシイの懐はウハウハになる。これで二回はダンジョンに潜れると、気分は上々でニヤニヤが止まらない。
そんな浮かれてるシイの軽い返答に、ユリアは小さく頭を振った。
「・・・・それはできそうにないんです。私、このイベントを最後にイシュルを出ようと思ってまして」
「そうなの?」
「はい、実は私が目的にしていた人がイシュルから離れたって話を聞いたので追っかけるつもりなんです。
あれは私が人間のエリアでバイトしてた時のことなんですが、街外れで風景を描いていた男の人がいまして、それがとっっっっても心惹かれる絵だったんです。技術はそこそこなんですけど、それを補うくらいに全体に味があって暖かい、でもどこか物悲しさを感じるような。色で言うなら綺麗な白で、魔宝石のようにどんな色にでもなれる、ううん私がこの人を自分色に染めてみたいと強く思いました。それで私は思いきって話しかけてみて徐々に意気投合して色々交流する内に――」
「あ、そういう話はしなくていいんで」
めんどくさそうだったので、シイは話を遮った。
「え、そうですか? ここから燃える展開なんですが・・・・」
残念そうに肩を落としたユリア。シイの頭の上から降りたチノがユリアの肩に飛び乗り、ツンツンと頬を優しくつついた。
「ゆりあ。そろそろいかないと、どこにいったかわかんなくなるよー」
「あ、確かにそうだわ。そろそろ行かなくちゃ。でもごめんね、チノ。あなたをここに置いていく形になってしまって・・・・。私達、小さい頃からずっと一緒だったのに」
「きにしない。ともだちのしあわせは、たいせつだもんねー」
「チノ・・・・、ありがとう」
「それに、しいもいるー」
「そういえばそうだったね」
「・・・・ん?」
いきなり当事者にされたシイは、戸惑いを表情に浮かべる。シイはユリアに両手で手を掴まれ、
「シイさん、チノのことよろしくお願いします!」
なんでかようわからんことを押しつけられた。
「え?」
「よろしくまかすー」
「は?」
チノが仲間に加わった!
「それじゃ、行ってきます!」
「いってらー」
急いで駆けだしたユリアを、チノは手を振りながら笑って見送る。
シイは、それを呆然と見ていることしかできなくて、
「なに、どういうこと?」
結局、最後まで色々な意味で置いてけぼりにされたのであった。
続く!
備考
コミモ
最初はどこかの魔界で小さく開催されたのものであったが、規模は徐々に大きくなって広まり、その魔界以外でも開催されるようになった。なぜかゾンビ属の魔物娘が客として多いらしい。
印刷魔道具
あるサバトによって作成された立方体の箱型魔道具。魔力の染み込んだ特殊なインクを使用した原稿を入れることによって、用意した別の紙に同じ内容を写し出す。もっぱらエロいものの印刷に使われており、シイがイシュルに憧れた元凶である『monmon』もこれで制作されている。
人間エリア
基本的に仕事目的以外で魔物娘が入ることはできない。当然人間との過度な接触も禁止されている。
その点についてはバレると結構まずいのではあるが、バレなきゃいいといえなくもない。しかし、魔物娘達は相互監視しているので、人目につく場所だと速攻バレる。その点、ユリアはかなりラッキーであった。
一匹の魔物娘が逃げていた。
後ろからは魔物娘の後を追ってくる複数の人間。そのいずれもが武装をしており、仮に魔物娘が一匹で立ち向かったとしても勝てる見込みは非常に薄い。
「どうしてこんなことに・・・・」
魔物娘は汗水垂らして逃げながらも、こうなった原因を探るように記憶を反芻し始めた。
迷宮都市イシュル。世界でも屈指の最高難易度である『世界蛇のダンジョン』を囲むように作られたその都市は、ダンジョンから産出される物により経済が成り立っているとされる反魔物領に属する独立都市だ。
イシュルには夢物語が溢れていた。貴重なアイテムを発見して一晩で大金持ちになったという話や、強力な武具を手に入れて世に名を馳せた話、誰もが羨むほどの絶世の美女と結婚した話等々、華美な噂には事欠かない。人間達は自分がその夢物語の主人公になるべく、今日もまたダンジョンへと足を運ぶのである。
しかしその都市の実体は、強い夫を求めている魔物娘や、力ずくで人間をモノにしたい魔物娘、よくわかんないけど良い噂を聞いたから来た魔物娘などで賑わう、魔物娘の魔物娘による魔物娘のための婚活都市であった!
つまり、人間達は騙されているといえば騙されている――のではあるが、別に人間に喧伝されている噂が間違っているわけではなかった。ダンジョンにある貴重なアイテムは魔物娘達が費用負担しているし、強力な武具は人の間では流通しにくいサイクロプスが作ったもの。・・・・絶世の美女は魔物娘だったりするのであるが決して嘘ではないのだ!
そんなイシュルのちょうど真ん中にそびえ立つ、都市全体を見下ろすかのように大きな塔の内部には、ダンジョンギルドと呼ばれる組織が存在する。ダンジョンや都市を円滑に運用するために作られた組織であり、人や魔物娘が多く住むイシュルにとってなくてはならないものだ。
「え・・・・、ソロでダンジョンに行くのですか?」
「うん」
「四階層で?」
「うん」
件のダンジョンギルドにて、受付と相対する一匹の魔物娘。その姿は飄々としており、これからダンジョンに潜るものが発する雰囲気とは思えない。よほど自分の実力に自信があるのか、あるいは――
「わ、わかりました、それじゃオプションは何を?」
「大丈夫、問題ない」
そう短く告げて鼻歌を歌いながらダンジョンへと降りていくインプを、ギルドの受付は苦笑いで見送ることしか出来なかった。
「いったいどこに問題があったのかさっぱりわからない。なんで?」
思い返してみても、自分の行動はいつも通りだった。だというのに今日のダンジョンはおかしい。
今日はやけに、いつもより強そうな人間がいるなあ、と感じ、一人でいる人間全然見ないなあ、と自分のターゲットを探すも成果ゼロ。さらには道中、好戦的な人間に襲われたため尻尾を巻いて逃げているのだ。
インプの少女シイは、いつもとは違うダンジョンに頭を悩ませつつ、広いダンジョンを駆けていた。
まあ、本当にいつもとは違うのだが、シイはまだ気づいていない。
シイが前までいた一階層と、今回潜った四階層には雲泥の差があるといっていい。ソロの探索者は一階層に比べて激減し、パーティーを組む探索者がほとんど。それも一階層のような前衛ばかりの寄せ集め構成ではなく、味方を守る壁(タンク)、火力を担う魔術師(マジシャン)、周囲の警戒を行う斥候(スカウト)などを含むバランスの良いパーティーで構成され、隙を突くのも難しくなる。
当然、魔物娘側もソロで潜るのは無謀となってくる。人間を手に入れるためにどうすればいいのか策を練り、パーティーを集い、オプションに頼り、時には運に身を任せて、やっとその手に勝利を掴むことが出来るのだ。
「ととっ!」
後ろをちらりと見ると、どうやら上手く撒けたようで人間達はいなかった。思い返せばイシュルに来てから逃げてばかりのシイには、結構な脚力がついたのかもしれない。
「はぁ、つかれた〜」
ちょうどよさそうな岩場に腰を下ろし、走り疲れた足を休めるために休息をとる。
「何なの、もう! 一人でいる人間も弱い人間も全然いないし!」
ぷりぷり怒るシイが運悪く次の人間パーティーに見つかって、ダンジョンから都市に逃げ帰るのはそれから数分後のことで。
「『なんてぷりてぃーな魔物なんだ! 抱いてくれ!』『えー、もう・・・・。仕方ないなあ、いいよ(はあと)』なーんちゃって! なーんちゃって! むふふ〜」
もちろん、いつの間にか怒りを忘れ妄想が捗っている今のシイには、それを知る由もなかった。
都市の上空では太陽が、都市そのものを活気づけるように燦々と輝いている。でも、その太陽を煩わしく感じるのはヴァンパイアに限った話ではなく、
「うぅぅ・・・・」
成果ゼロの上に、昼過ぎという早い段階でダンジョンから戻ってきたシイにとっても同じことだった。その後ろ姿はどこか煤けている。
その原因に関しては、いつも以上にダンジョンでの疲れが出た、というのもあるが大本はそこではない。
「お金が、ない」
端的に言うと、そういうことだ。シイの所持金は本当に残り僅かで、迷宮都市イシュルの安い宿賃でもギリギリ一泊出来る程度しかなかったのである。当然、そんな端金じゃダンジョンに潜れるはずもない。
「これからどうしよう」
はあ、と溜息をつくシイ。トボトボと当てもなく歩いていると、いつの間にか商店街に入っていた。
「魔界豚の串焼きだよー、ほっぺが落ちるくらいうまいよー」
外で販売している屋台から美味しそうな匂いが漂ってくる。匂いに反応してシイのお腹がくうくう唸った。
「・・・・食べてから考えよー」
シイは魔界豚の串焼きを手に入れた!
「宿に泊まるお金もないんだよー! 助けてよー!」
「ふーん。で、その手に持ってる物は?」
「魔界豚の串焼き」
「それ結構高いだろうが! 金に困ってるならなんで買ってんだよ!」
「美味しそうだったから」
「ああはいそうですねー! その通りですねー!!」
シイが串焼きを買った後に向かったのは、最近お馴染みとなった武器屋である。現在、この都市でシイの知り合いは店番オークしかいないので、話がしたいならここに来るしかないのだ。今までなんだかんだいって良くしてくれたこともあって、店番オークに対するシイの好感度は高い。まぁ、野良犬が餌をくれる人を覚えているのと大差ない話ではあるが。
しかしシイの期待を裏切って、この日の彼女は存外素っ気なかった。実は明日ダンジョンに潜るということで内心ウキウキだったのだが、パーティーメンバーのグールが口内炎が痛いとかよくわからんことをほざいて、突然予定をキャンセルしてきたので機嫌がイマイチだったのである。
「ギルド行って、仕事もらうしかないわよ」
「もうちょっと、割にあう何かはー?」
「そんなものはない!」
「ちぇー」
「ほらほら、行った行った。こちとら金なしに用はないの」
「ひっどーい!」
結局、ダンジョンと同じように何の成果もなく、背中を押されて店から追い出されることになった。
その後、しぶしぶダンジョンギルドに行ったシイは、バイト募集の張り紙がしてある掲示板を眺めていた。
掃除、洗濯、店番、雑用、様々な仕事がある。そんな中、シイは急募と書かれた一枚の張り紙に注目した。
「お、給金高い。いいじゃんいいじゃん」
シイとしては、出来れば長く働きたくはない。一日かそこらでパッと稼いで、すぐさまダンジョンに挑みたいのだ。その点を踏まえて、この張り紙に書かれていることは希望と合致する好条件に思える。
「しかし、コミモってなんだろう? 今日の夕方から拘束期間二日、雑用兼売り子ねえ・・・・」
むむむ、と少々悩む素振りを見せるが、
「ま、なんとかなるでしょ」
楽観的なシイは張り紙を剥がして、ギルドのカウンターへ持っていた。
「ギルドで依頼を受けたインプのシイです。依頼したユリアさんいますか〜?」
ギルドに指示されて訪れたのは、シイの泊まっていた安宿より少し高そうな宿の一室だった。シイがノックし来訪を告げてから少し経って扉が開く。
「あ、はい。いますいます! こんにちは!」
「こんにちは」
出てきたのは小さくて可愛らしい魔物娘だった。小顔についた大きくて丸い瞳や色白の肌、左右で纏められた茶色の髪がより可愛さを引き立てる。細い腰にはその身体には不釣り合いなほど大きなペンを携えている。
「今回は依頼を受けてくれてありがとうございます。実は手伝ってくれるはずの子が急に予定が入ってしまって困っていたんです。私はリャナンシーのユリアと言います。それでこっちが私の友達、ケサランパサランの・・・・」
「おなかすいたー。ゆりあ、ごはんー」
「チノ、さっき食べたでしょう? それに今は自己紹介中だから!」
「よろしくー。ごはんもねー」
「ごめんなさい、シイさん。チノは少し自由な子なので・・・・」
ユリアが紹介したのは、黄緑の髪を揺らしながら自由奔放に飛び回っているケサランパサランのチノという魔物娘だった。両手の平に乗るほどの小さい体は柔らかそうな毛玉に包まれていて、シイが息を吹きかけただけでもどこかへと飛んでいきそうだ。
自由に部屋を飛び回っていたチノが、ふわりとシイの頭の上に降りてくる。初対面だというのに、その行動に遠慮はまったくなく、
「おお〜、つの? ねえこれ、つの? すごい! うひゃひゃ!」
チノはシイのアホ毛を掴んで、いじくり始めた。
「違う! 角はそこじゃなくて耳の上の後ろ辺り! 髪さわんなー!」
「ふはははー」
アホ毛でポールダンスまで始めたチノを掴もうとするが、余裕で逃げられる。チノは意外にもちょこまかとしたすばしっこい動きをしていて、シイがいくら頭の上で手を動かそうとも捕まえることはできなかった。
「懐かれちゃったみたいですね」
「嬉しくない〜」
「なっはっはー」
チノはシイの頭の上が気に入ったのか、屈託のない笑顔でポンポンと飛び跳ねている。シイはとりあえず気にしないことに決めた。
「それで、依頼したい仕事のことなんですが」
こほん、と一つ咳払いをして、ユリアは本題に入る。
「張り紙にも書いておきましたが、今日の製本作業手伝いと明日開催されるコミモで売り子をお願いしたいんです」
そういって立方体の箱を指し示した。
「すでに、このなんか私には理解できないすごい技術で紙をコピーする魔道具を使ってページは作りました。これ本体はそこまで高くないんですけど、専用インクが高いんですよね〜」
「へえー」
「とりあえずシイさんは下に書いてあるページごとに、・・・・・・・・・このようにして、紙を分けて私に渡してください。その後の仕上げは私がやります」
「ぬはははー! わけてけー!」
「わかった!」
と説明を受け、張り切ってやりだすシイだったが、
「これでいいの?」
「・・・・んーと。はい、問題ありません。これをあと九百九十九部お願いしますね」
「はーい。ってきゅうひゃくきゅうじゅうきゅう?」
「よろしくお願いしますね」
それは決して簡単な仕事ではなかった。ユリアは容赦なくシイを扱き使ったからだ。
二時間後。
「ああ、目がチカチカしてきた」
「我慢してください、まだ全然残ってますよ」
「うげえぇー」
「飽きたなら私が仕上げ終わった本を、そこに置いてある大きい鞄に詰めていってください」
「はい・・・・」
さらに三時間後。
「zzz・・・・」
「あの、この子と一緒に私も寝ていい? すごく眠くて」
「三分ならいいですよ」
「それ寝たって言わないよぉ・・・・」
さらに三時間後。
「ああー! もうこんな細かい作業やってられるか! 私は宿に帰らせてもらう!」
「給金出しませんよ」
「いいもん! って、そういや宿代なかった・・・・」
さらにX時間後
「おかしい、私が紙を分けているのか、紙が私に分けられているのか。いったいどっちなんだろう」
「どっちも正解ですよ」
「もう、ゴールしてもいいよね」
「だめです」
そんなこんなでシイとユリアは一睡もせず、朝日が登り始めたころについに、
「・・・・終わりましたー!!! お疲れさまでしたー!!!」
「私が紙を分けているから、紙は私に分けられて、私は新世界の神になる・・・・。ってあれ、終わったの? 寝ていいの?」
徹夜明けと単純作業のせいで変なテンションになったシイだったが、なんとか与えられた作業をやり遂げていた。
「寝ちゃだめです。このまま会場です。はいこれ荷運び用カート」
しかし、終わった後も寝る暇なくそのままぐいぐいと引っ張られ、会場までカートを引かされる羽目になった。
「うわー、なんかいっぱいいる・・・・」
徹夜明けのあまり上手く回ってない頭でさえも、目を疑うほどの魔物娘の数にシイは驚いた。
イシュルに来たときもその多さに驚いたシイだったが、今日はその魔物娘の密集度合いがなによりすごかった。イシュルの中心にある塔ほどではないにしても、かなり大きい建物に数多くの魔物娘が行列を成していたのである。
「一年に一回の滅多に開催されない大規模なイベントですからね。イシュルならではの探索者系の本が多くてオリジナリティに溢れてますから、この日のためだけにイシュルに来る魔物娘も多いんですよ。さすがに本家本元には適いませんけどね」
「へえー、そうなの」
「そうなんです! それに今回はあの超有名作家十字ヘルスさんまで参加してくれてますからね、これくらいは当然ですよ! もうファンなら絶対に行くしか、行ってスケブしてもらうしか! しかしサークルチケットがあるとはいえ先着十名の中に入れるかなあ。スペースの場所的に微妙だなあ。でも絶対に負けません!」
ユリアは聞いてもいないことをべらべらと喋っている。話が長いなあ、とシイは思った。
魔物娘達が並んでいる脇を通り抜け、チケットで会場に入っていくシイ達。ユリアは自分のスペースに着くとちゃっちゃっと用意を済ませたあと、本を数冊手に取って、
「それじゃ、私は挨拶周りがあるんで、留守番お願いします」
と、いうなりどこかへと行ってしまった。
「それじゃ、私は寝るから。チノ、あとはよろしく。zzz・・・・」
「まかせろー! あ、ちょうちょー。まてー!」
その後、本をちょうどいい枕にして寝始めたシイがそのまま涎を垂らして本を汚し、ユリアに色々怒られる羽目になった。
「超幸せだ私、先着入れなかったのに。描いてもらえるなんて超幸せだ。魔王様の絵、楽しみすぎる〜」
イベントが始まってすぐ、シイにまたスペースを任せてすごい勢いでどこかへ駆けていったユリアは、自分のスペースに帰ってくるなりニヤニヤしっぱなしである。今のところ客足はそこそこなのでシイ一匹でも問題はなかった。
こんなに本を用意する意味あったのかなあ、と疑問に思ってたシイだったが、
「今は大手サークルさんに集中する時間ですから、暇なんです」
「ふ〜ん」
その疑問は杞憂に終わる。ユリアの言葉通り、余裕があったのは本当に最初の方だけだったのだ。
「なんか、客が多くなってきてない?」
「これからがピークですからねえ。これでもいちおう準大手サークルですし」
徐々に増す忙しさに比例するように二匹は無言になりつつ、群がる客を捌いていく。
「なんかゾンビ属の子が多いんだけどなんで?」
「知りません」
たまに交わす軽口にも余裕はない。いつの間にか遊び疲れて帰ってきたチノを頭に乗せていることにも気づかないほどにシンドかったと、シイは後に店番オークに語った。それでも、昨日の宿での作業に比べれば随分とマシであったが。
「完売しました! ありがとうございます!」
客足も収まりはじめたちょうど良いタイミングで、ユリアとシイが持ってきた本は全部捌けた。
「シイさんもありがとうございました」
「終わり?」
「はい、あとは後片付けくらいなんで。あ、シイさんにはとてもお世話になったので、これは心付けです。あとでギルドからも正式にもらってくださいね」
「え、いいの? ありがと〜」
予定にない、突如渡された小袋の中に入った金貨の重さに、シイは頬を緩めた。
「ユリアさん、ごきげんよう」
ゆっくりと後片付けを始めたユリアのスペースに一匹の魔物娘が現れた。
「あ、ラパルさん」
ユリアは取り置きをしておいた新刊を、鞄の中からとりだして差し出す。
「これが今回の新刊?」
「はい、読んでってください」
完売したユリアのスペースに訪れたのは、ユリアにとって常連の友人であり、生前は耽美系マニアで貴腐人と恐れられた元公爵家令嬢のワイトだった。魔物娘となった今では、もちろん夫が一番大事なのだが、生前の趣味は捨てきれずにいるようである。
「ああ、前回、前々回と見てきたけど、今話で最終回、しかも悲恋なのね。メジャーなアルプ化にしなかったのは何故なのか聞いてもよろしくて?」
「はい、あの子に最近お相手が見つかったので。事実と違うのもちょっと、と思いまして」
「そう、仔兎ちゃんはもう・・・・。このシリーズが終わってしまうのは悲しいですわ。というか最後のコマはもしかして、もしかする!?」
「はい、噂なんですけど。彼、最近たびたび一階層に降りてるみたいなんですよ。これはもう!」
「おいしいですわ!」
「おいしいです!」
と、なんだか盛り上がっている二匹の外で、仕事が終わって一息つくシイにチノがじゃれていた。
「しい、つの、あめみたい。はむはむ」
「だから角でもないし飴でもない! 食うなあっ!」
チノはイベント中、会場を自由に飛び回り、疲れたらシイの頭に帰ってきて寝るという行動を繰り返していた。どうやら完全にシイの頭は巣にされたようであった。
『今回のイベントはこれにて終了です。皆様、お疲れさまでした』
イベント終了のアナウンスが会場に流れ、多くの魔物娘が戦利品片手に帰路につく。その波から外れた会場の隅っこにシイ達はいた。
「昨日今日とありがとうございました、シイさん」
「ん、こちらこそ。まあ悪くなかったから、またあったら呼んでよ」
今日もらった心付けと、後にギルドから受け取れる高い給金を合わせればシイの懐はウハウハになる。これで二回はダンジョンに潜れると、気分は上々でニヤニヤが止まらない。
そんな浮かれてるシイの軽い返答に、ユリアは小さく頭を振った。
「・・・・それはできそうにないんです。私、このイベントを最後にイシュルを出ようと思ってまして」
「そうなの?」
「はい、実は私が目的にしていた人がイシュルから離れたって話を聞いたので追っかけるつもりなんです。
あれは私が人間のエリアでバイトしてた時のことなんですが、街外れで風景を描いていた男の人がいまして、それがとっっっっても心惹かれる絵だったんです。技術はそこそこなんですけど、それを補うくらいに全体に味があって暖かい、でもどこか物悲しさを感じるような。色で言うなら綺麗な白で、魔宝石のようにどんな色にでもなれる、ううん私がこの人を自分色に染めてみたいと強く思いました。それで私は思いきって話しかけてみて徐々に意気投合して色々交流する内に――」
「あ、そういう話はしなくていいんで」
めんどくさそうだったので、シイは話を遮った。
「え、そうですか? ここから燃える展開なんですが・・・・」
残念そうに肩を落としたユリア。シイの頭の上から降りたチノがユリアの肩に飛び乗り、ツンツンと頬を優しくつついた。
「ゆりあ。そろそろいかないと、どこにいったかわかんなくなるよー」
「あ、確かにそうだわ。そろそろ行かなくちゃ。でもごめんね、チノ。あなたをここに置いていく形になってしまって・・・・。私達、小さい頃からずっと一緒だったのに」
「きにしない。ともだちのしあわせは、たいせつだもんねー」
「チノ・・・・、ありがとう」
「それに、しいもいるー」
「そういえばそうだったね」
「・・・・ん?」
いきなり当事者にされたシイは、戸惑いを表情に浮かべる。シイはユリアに両手で手を掴まれ、
「シイさん、チノのことよろしくお願いします!」
なんでかようわからんことを押しつけられた。
「え?」
「よろしくまかすー」
「は?」
チノが仲間に加わった!
「それじゃ、行ってきます!」
「いってらー」
急いで駆けだしたユリアを、チノは手を振りながら笑って見送る。
シイは、それを呆然と見ていることしかできなくて、
「なに、どういうこと?」
結局、最後まで色々な意味で置いてけぼりにされたのであった。
続く!
備考
コミモ
最初はどこかの魔界で小さく開催されたのものであったが、規模は徐々に大きくなって広まり、その魔界以外でも開催されるようになった。なぜかゾンビ属の魔物娘が客として多いらしい。
印刷魔道具
あるサバトによって作成された立方体の箱型魔道具。魔力の染み込んだ特殊なインクを使用した原稿を入れることによって、用意した別の紙に同じ内容を写し出す。もっぱらエロいものの印刷に使われており、シイがイシュルに憧れた元凶である『monmon』もこれで制作されている。
人間エリア
基本的に仕事目的以外で魔物娘が入ることはできない。当然人間との過度な接触も禁止されている。
その点についてはバレると結構まずいのではあるが、バレなきゃいいといえなくもない。しかし、魔物娘達は相互監視しているので、人目につく場所だと速攻バレる。その点、ユリアはかなりラッキーであった。
18/07/14 18:38更新 / 涼織
戻る
次へ