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第四話 魔王軍の避難所

街は墓場のように静まり返っていた。
時刻は昼前だというのに、空を覆う暗雲のせいか辺りは夜明け前のように薄暗い。
通りをにぎわす人々も、かつては響いていた子供たちの声も今は無い。
ただ静寂のみが横たわるだけだ。
その静寂を破るように、通りを覆う敷石の一部分がごとごとと動いたかと思うと、敷石が持ち上がっては横にずれて、そこに四角形の穴があいた。
続いて、獣耳を生やした少女がゆっくりと顔を出し、辺りを見回す。
ラタトスクのミールだ。
ミールは誰もいない事を確認すると、身軽な動きで路上に上がった。
続いて、イーサンとプラムが穴から上がり、最後に追手を警戒していたエドが上がると、敷石をもとに戻して抜け道を隠した。
「ふっふっふー、どうよこのトンネル。中々のものでしょ。街に入り込むために掘ったんだよ」
ミールが得意げに言った。
「それじゃ、隠れ家に案内するからついてきて!」
それから明るい声で言うと、一行を先導して歩き始める。
しかし、皆の顔は暗い。
特に、プラムの表情は、頭の中は常に春とまで言われるパピヨンとは思えぬほど、絶望が滲んでいる。
イーサンはこんなプラムの表情を見たことが無かった。あの雪原の洞窟の中で死を覚悟した時でさえ、弱気を見せなかったプラムが。
イーサンはプラムの肩を抱きながら歩いた。プラムが絶望に追いやられているのを見るのは耐えがたかった。
「大丈夫か?」
イーサンの心情を読んだのか、エドが声をかけた。
「なんとか……」
「あれで、励ましてるつもりなんだ。しょぼくれるよりは笑っていた方がいい、というのが信条でな」
「ええ、分かります」
分かってはいる。だが、恩人を見殺しにしたことを、そんな簡単に整理できるはずがない。
歩きながら、街の中を見渡す。
人の気配は無く、並んでいる家々は沈黙している。
いや、耳を澄ませば家の中から物音や話し声が聞こえてくる。しかし、それがあまりにもこそこそとした小さな音だったので、果たしてそれが人によるものなのか、それとも通りを風が吹き抜ける音なのか、イーサンには分からなかった。
「監視に怯えているんだ」
エドが言った。
「主神騎士団は、街を閉鎖した直後に声明を出した。『魔物を憎め、隣人を疑え、密告しろ。この街に巣くう魔物を全て駆逐すれば、街は解放される』とな」
「それで、彼らは本当に街を解放するんですか?」
「いや、住民をコントロールするのが目的だ。住民同士が疑心暗鬼になれば、団結して主神騎士に対抗しようとはしなくなるし、仮に本当に魔物が密告されれば、それでいい。一石二鳥というわけだ」
「なるほど……」
「ついたよ!」
ミールは一軒の廃屋の前で足を止めた。
イーサンは、うげっという声を出しそうになった。それほどまでに酷い有様だった。
元は酒場であったろう建物は背の高い雑草に囲まれており、窓ガラスは割れ、壁のあちこちに穴があいている。
窓から覗く内装も、数年間放置したように荒れきっていて、とてもじゃないが人の住めるような場所ではない。
「ここが隠れ家ですか、本当に?」
「そうだよ。何か問題でもある?」
ミールはにやりと笑みを浮かべている。
「問題も何も、人が住めるような場所じゃ……」
「まあ、見てなって」
そう言うと、廃屋の入り口まで行き、鍵を取り出すと扉の鍵穴に差し込んだ。
「さあ、入って。ゆっくりくつろいでいいからね」
ミールは手まねきするが、廃屋に何も変わりはない。
ためらっていると、エドが先に扉を開けて中に入った。
その迷いのない動きに驚きながらも、イーサンも扉を開けて中に入った。



扉の先は、魔物娘の酒場だった。
魔法技術が使われた、永久に消えない炎のランプのおかげで店の中はとても明るかった。
何十台ものテーブルが置かれていて、多種多様な魔物娘が料理が乗ったお盆を持って行き来している。
その料理のどれもが、今作ったばかりのように湯気が立っていて、酒場の中をおいしそうな匂いで包み込んでいる。
テーブルに着いているのは、意外なことに人間が多い。中には家族連れで料理を楽しんでいるテーブルもある。
「ここは、さっきの街のような状況に巻き込まれた人々のための『避難所』だ」
イーサンの疑問を先回りして、エドは言った。
「魔王軍による街の占拠は、確実に領地を広げる方法だが、欠点もある。あの街のように、住民を人質に取るような方法を取られた場合、魔王軍による手出しが難しくなる。だから、占拠する予定の街の内部に、秘密の転移門(ゲート)を作って、この避難所で住民を保護するわけだ」
ミールが近くを通りがかったラミアにいくつか注文をして、一行はテーブルに腰を下ろした。
隣の席のプラムは酒場の中を興味深そうに眺めていたが、サリアの事を思い出したのかすぐに暗い表情に戻ってしまう。
「プラム……大丈夫か?」
「うん、ごめんね。もう少しでよくなるから」
そう言って微笑むが、その微笑みは悲しみが滲んでいるように痛々しかった。
やがて、料理が運ばれてきた。
湯気が立ったあつあつの料理は、旅で疲れたイーサンの腹に染みいるようにおいしかった。
プラムは特に、甘いたれで味付けされた芋料理を気に入ったようで、生来の大食漢ぶりを発揮するように何度もおかわりをしていた。
ミールが、その芋は『まかいも』という魔界の野菜だと教えてくれたり、プラムはこの芋を農場で育てたいと言ったりして、談笑を楽しんだ。
料理があらかた片付いたころ、エドが真剣な口調で言った。
「三日後、魔王軍は街に攻撃をしかける」
「三日後に?」
「そうだ。それまでに、主神騎士団の本部に捕らわれている捕虜を救うのが俺の任務だ」
「サリアさんの事ですね」
「ああ、他にも何人かのサキュバスが確認されている。魔王軍に怯えた主神騎士が彼女らを殺す前に、俺たちが救う」
殺す、という言葉に反応してプラムの体が震えた。ミールはエドをじろりと睨む。
「エド」
「すみません、先輩。とにかく、そういう事だ」
「それで、俺たちは何をすれば……」
「何もすることはない。後は任せろ」
イーサンの問いを、エドは切って捨てた。
「そんな、何かできることはないんですか?」
「気持ちは分かるが、これは危険な任務だ」
「でも、サリアさんが……」
イーサンが言うと、エドはテーブルの上に赤く光る宝石を置いた。
「これは、不別のオーブという魔道具でな。対になる宝石を持つ者が危機に陥ると、激しく光るようになっている。そして、その対の宝石を持っているのがサリアさんだ」
エドはどこか尊敬のこもった目で宝石を眺めた。
「サリアさんは、この宝石が光るまで決して助けに来るなと俺に言った。やり残したことがあるとな。そして、捕まっても取られないように、俺の目の前で宝石を呑み込んだんだ。そのくらい、決意は固かった」
「やり残したことって何です?サリアさんが主神教団と関係あると?」
「サリアさんは、元主神騎士だ」
イーサンの頭を衝撃が襲った。命を助けてくれた恩人が、まさか主神教団だったなんて。
「でも、なんでサリアさんは……」
「ずっと昔に追放されたんだ。サリアさんは優秀な主神騎士だった。かつて、主神教団が魔物との戦いで劣勢に陥った時、対魔物戦術を極めた騎士たちで構成された騎士団が設立された。その騎士団の初代団長がサリアさんだ。騎士団は魔王軍から一目置かれるほどの活躍を見せた。その上、サリアさんは決して魔物の誘惑に負けなかった。一度、魔王様が直々にサリアさんを勧誘しようとしたが、『私の心は主神様に捧げました。貴女の入る余地はどこにもない』と彼女は断った。魔王様はその姿に敬意を表して、手を引いた。その逸話は、『心を主神に捧げよ。悪魔の入る余地を無くせ』という主神教団の標語に刻まれている。やがて、彼女が率いた精鋭の騎士は、主神が祝福を授けた騎士、『主神騎士』と呼ばれ、サリアさんは『主神騎士の母』と呼ばれた。サリアさんは、発した一言が主神教団を動かすほどの力を持つようになった」
「そのサリアさんが、なんで追放されたんですか?」
「15年前、彼女は主神教団の中で魔物との融和を図る思想を唱えていた。『魔物は日に日に数を増し、既に主神教団の勢力を越えている。ならば、魔物との融和を試みながら、主神の教えを絶やさぬように活動する。それが、主神教を未来に残すために必要だ』と。もちろん、主神教団は反対したが、彼女の思想に賛同するものも少なくなかった。主神教団は彼女の信仰を試すための裁判を、主神教団の本部で開いた。主神教団の審問官は、サリアさんの前に、彼女の部下である主神騎士の一人と、捕らえた魔物娘を座らせ、どちらかを殺せと迫った。大勢の教徒が見守る中、彼女は自分の首に剣の切っ先を向けて言った。『この者の生命を奪う事で主神の教えが認められるなら、迷わずそうしよう。だが、それでは何も変わらない。憎しみを捨て、人と魔物が共存できるなら、私は今ここで命を捨てよう』と。裁判は荒れに荒れたが、判決は有罪。彼女は永久追放になった。それからの事は分からない。なぜあの街の路地裏で落ちぶれていたのかも、サリアさんは決して語ろうとしなかったからな」
エドは語り終えると、不別のオーブを懐にしまった。
「分かったか?お前にできることはない」
「だったら、なんで俺たちを助けたんです?」
「一つは、お前たちを見殺しにできないから。もう一つは、お前たちが咲かせた花を、サバトの解析班が欲しがったからだ。言わば、お前たちはオマケに過ぎない」
「それでも、何かさせて下さい……」
「無理だ」
「お願いです!」
イーサンはテーブルに頭を押し付けるくらいに、頭を下げた。
周りで食事していた者や、ウエイトレスの魔物娘が驚いてイーサンを見る。
それでも、エドの目は揺らぐことなく、イーサンを見据える。
「俺は、何もできなかった。プラムが襲われそうな時でも、無力で、ただ見ているだけしかできなかった。このままじゃ、俺はただ見ているだけの情けない奴なんです。何でもいいです。手伝わせて下さい」
「私からもお願いです。私もなんでも手伝いますから、お願いします」
プラムも頭を下げる。
「主神騎士は容赦ないぞ。死ぬかもしれん。プラムを置いて死ぬつもりか?」
エドがそう言っても、二人の頭は上がらない。
「お願いします」
「だがな……」
「いい加減にしなよ」
エドがもう一度何か言おうとした時、ミールが横から口を出した。
「先輩、でも――」
「何が、『プラムを置いて死ぬつもりだ?』なのさ。エドこそ、危険な任務ばかり引き受けてさ。私を置いて死ぬつもりなの?」
「それは……」
「とにかくさ、イーサン君に手伝わせなよ。どっちにしろ、エド一人じゃ危険すぎるんだし」
そして、席を立ってエドに指を突き付けた。
「これは先輩命令!逆らったら離婚だからね!」
「そんな無茶苦茶な……」
「返事は!?」
「はい、分かりました」
ミールは、呆然とするエドとプラムににっこりと笑った。
「そういう事だから。じゃ、休憩のための部屋に案内するから。ついてきて」
一行はテーブルを立つと、ミールの後に続いて酒場の奥の通路に歩き出した。



奥の通路は、先が見えないくらい長く、高級な宿屋で使われている木製の扉が並んでいる。
扉には鍵が刺さったままのものと、鍵が抜けているものがある。
「この通路は居住区になっていて、魔法で空間をいじっているからいくらでも人を入れられるんだよ。鍵が刺さっているのが空いている部屋だからね」
説明しながら、ミールは鍵が刺さった扉を開けた。
中に入ると、簡素だが手入れの生き届いた部屋が広がっていた。
特にベッドは、寝心地が良さそうなダブルサイズで、上には大きな毛布が広げられている。
「それじゃ、これが鍵だから。失くさないようにね」
ミールが鍵をイーサンに渡すと、エドは懐から懐中時計を取り出して、イーサンに差し出した。
「六時間後にお前に訓練を施す。それまで休憩だ」
イーサンの背筋に緊張を走らせるほど、剣呑な口調だった。
頷いて懐中時計を受け取ると、エドとミールは部屋から出て行った。
「イーサン」
ベッドに腰かけると、隣に座ったプラムが言った。
「ごめんね、私がわがまま言ったせいで。イーサンに危険な事させることになって」
「気にするなよ。俺も、やられっぱなしじゃ悔しいからさ」
「できることがあったら、何でも言ってね。イーサンが無事に帰って来るなら、なんでもするから」
普段は太陽のように明るいプラムが、気弱な声で言った。
その弱気な姿を元気づけてやりたい。そう思った時には、庇護欲に身を任せるままプラムを抱きしめていた。
「イーサン……」
「ごめん、プラム。その……」
「……今はイーサンの事だけ考えさせて。頭の中をイーサンでいっぱいにして」
「……わかった」
イーサンは、プラムをベッドに押し倒した。
激しい口づけをしながら、豊満な胸を優しく揉み上げる。
二人がベッドの上で絡み合う姿は、かのパンデモニウムにて情交に耽るダークプリーストでさえ赤面するほどに激しいものだった。

20/10/10 02:17更新 / KSニンジャ
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