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第二話 愛すべき故郷

イーサンの故郷、ムイナ村は辺境の地である。
住民は少なく、村長もいない。若者は街に登るばかり。
衰えに差し掛かる中年や、年老いた老人ばかり。各々が牛や馬を育て、畑を耕して暮らしている。
自然豊かなのどかな村、と言えば聞こえはいいが、実際は緩やかな衰退を、諦めと共に受け入れながら暮らしているだけだ。
それでも、ここは故郷だ。イーサンは思った。
目の前には両親が残してくれた農場が広がり、幼き頃から長い時間をすごした家はそのままの姿で残っていた。
「おーい」
遠くから声が聞こえた。ウィルストン爺さんだ。
農場の隣に住んでいて、イーサンの両親の良き友人だった。
ウィルストン爺さんは、散歩に連れ出していた牛を連れてこちらに近づいてきた。
「イーサン、良く帰ってきただ。もう帰ってこないとみんな思ってただ」
「まさか、帰って来るって言ったじゃないか」
「そっちの別嬪さんは?」
ウィルストン爺さんはプラムを見て言った。
プラムはにこやかに笑った。
「プラムと言います。どうぞよろしく」
ウィルストン爺さんは蠅を払うように手を振った。
「そんなにかしこまらなくてもいいだ。それで、おめえさんらは結婚すんのか」
「ああ、でもなんで分かる」
「そんなに固く手を繋いでたら、ターニャでも分かるだ。なあ」
ウィルストン爺さんは牛を撫でながら言った。牛はモウ、と鳴いて老人の顔をぺろぺろと舐めた。
「ほら見ろ。こいつもちゃんと分かってるだ」
「俺がいない間に、村に変わりは?」
「あるわけ無いだ。なんにも変わらん」
「家は?ほったらかしだから、虫でも湧いてたら嫌だな」
「安心しろ。時々、中を掃除してやってるだ。ちょっと塩をもらったりしただがな。いつでも住めるだ」
「ありがとう、爺さん」
「いいってことよ。あいつらは残念だったな」
ウィルストン爺さんは悲しそうに言った。イーサンの両親の事だ。
「おめえさんがこんな別嬪さんを連れてきたって知ったら、泣いて喜んだろうに」
「しょうがないさ」
「そうだな。だめだな、年を取ると悲しい事ばかり考えちまう」
「まだまだ若いだろう」
「いんや、年を取っただ。おらは行く。こんな年寄りが、おめえら二人の邪魔になるといかんからな」
そう言って、ウィルストン爺さんは去っていった。牛が、老人を慰めるようにモウと鳴いた。
イーサンは肩掛けバッグを地面に下ろし、中から革袋を取り出した。
夜明花の種が入った、あの袋だ。
イーサンは足元の雑草を引き抜き、手で土を掘り返して小さな畝を作ると、そこに種を埋めた。
それを何度か繰り返し、袋の中の種が無くなるまでひたすらそれを続けた。
「イーサン」
それを眺めていたプラムが、そっとイーサンの肩を抱いた。
「中に入ろう。疲れてるでしょ」
「ああ」
イーサンは無性にやりきれなくなった。
旅を終え、こうして夜明花の種を植えたのに、なぜか悲しい気分になる。
疲れているんだろう、長い旅だったから。イーサンはそう思いながら、プラムと共に家の中に入った。



二人が家にこもって、一か月が経った。
イーサンがそうしようと思ってそうなったのではない。
ただ、ひたすらにプラムと身体を貪り合っていたら、いつの間にか一か月が過ぎていたのだ。
魔物娘とインキュバスの夫婦にはよくあることだが、イーサンは自身に対して怠け者だと叱責しながらベッドから出た。
プラムはぐっすりと眠っていたし、散歩がてらに夜明花の様子も見ておきたかった。
玄関の扉を開けると、目の前には花畑が広がっていた。
「な、なんだこりゃ!」
農場全体を桃色の花が覆いつくし、柔らかな日差しを浴びて咲き誇っている。
イーサンが近づいて花を一つ摘み取ると、それは夜明花とは明らかに違っていた。
形は夜明花にそっくりだった。
しかし、ふっくらとした桃色の花びらは、揺れるたびに花粉をこぼし、甘ったるい匂いを振り撒いている。
おかしい。拾ってきた種を間違えたのだろうか。
イーサンは愕然とした。
「おーい」
遠くから声が聞こえた。振り返ると、若い男と魔物娘がいた。
魔物娘の方はホルスタウロスと呼ばれる種で、牛のような角と豊満な胸が特徴の魔物だ。
若い男はホルスタウロスの肩に手を回して、仲の良い夫婦のようにこちらに近づいてきた。
「イーサン、おめえ何やってただ。ずっと家から出てこねえで」
はきはきとした声で若い男が言ったが、その顔に見覚えは無かった。
「えっと、誰です?」
「おらが分からねえだか」
「まさか、ウィルストン爺さん?」
「そうだ」
「何があったんだ?しかも、魔物娘まで連れて」
「おらにも分からねえ。うちのターニャがおめえんとこの花を食っちまってよ。おらがやめろと言っても聞かねえんだ。それから少ししたら、ターニャがこんな姿になっちまって。まあ、あとは分かるだろ。おめえとプラムちゃんみてえなもんだ」
「ああ、よく分かる」
ウィルストン爺さんの腕に、その豊満な胸を押し付けるターニャを見て、イーサンは同意した。
「村の連中も、みんな同じようになっちまってるだ」
「たぶん、俺が植えた花のせいだ。悪いことをしたな」
「うんにゃ、そうとも限らんぞ。村の連中も生まれ変わったみてえに元気になってるし、おらもこいつが可愛くて仕方ねえだ」
ウィルストン爺さんがターニャの頭を撫でると、ターニャは気持ちよさそうに目を細めた。
「今度、こいつの乳を飲ませてやるだ。甘くてうめえぞ」
「ありがとう、楽しみにしてるよ」
「そんじゃな」
ウィルストン爺さんとターニャは去っていった。
イーサンは村の方へ歩き出した。ウィルストン爺さんの言葉通りかどうか確かめる必要があった。



ムイナ村は生まれ変わっていた。
道を歩けば魔物娘を連れた男とすれ違い、畑の中ではノームが日向ぼっこをしており、馬舎ではケンタウロスが弓の弦を張って狩りに備えている。
どこの家からも幸せそうな喘ぎ声が漏れていて、イーサンは親魔物派だった港町を思い出した。
「イーサン、イーサンじゃないか」
声の方を見ると、ドルジが丸太をノコギリで切っていた。
ドルジは村で製材屋を営んでいる中年の男だが、今では筋骨隆々な若い男になっていた。
その隣にいる魔物娘は、ミノタウロスと呼ばれる牛の魔物娘で、丸太をノコギリで手際よく切っている。
「ドルジ。村に何があったんだ」
「おめえのせいだぞ!全部!」
ドルジはノコギリを振り上げて、イーサンに怒鳴った。
「何が」
「そこを見ろ!」
ドルジが道端をノコギリで指した。
そこには、イーサンが植えた花が咲いていた。
そこだけではなく、家屋のそば、馬舎の端っこ、いたるところにあの桃色の花が咲いている。
「おめえの花のせいで、俺はこいつに毎日何されてるかわかるか!?」
ドルジはミノタウロスの方を指して怒鳴った。
「まあ、だいたいは」
「ああ、そうとも。お前には分かっているだろうとも。俺がこんなやつに何されてるかなんてな――」
「黙っていたら、言いたい放題だな」
ミノタウロスが立ち上がった。でかい。ドルジより頭一つ大きいだろうか。
ミノタウロスはノコギリを置き、ドルジを後ろから抱き上げる。
「『こんなやつ』?そんなにあたしが嫌いか?」
「そうは言ってねえだろ。だがな、おめえのそのでかい身体で毎日好き放題される身にもなってみろ!」
「ほう。それじゃあ、今日はお前の方から攻めてもらうとするか。どうせ、すぐにあたしが上になるだろうがな」
「やってやろうじゃねえか。今日こそはおめえを下に敷いてやっからな!」
ドルジはミノタウロスに抱き上げられたまま、家の中に入っていった。
それからすぐに、ドルジの情けない喘ぎ声が聞こえてきた。
なるほど、村中がこんな感じらしい。とイーサンは思った。
あの花を食べた動物は魔物娘に変わり、花が咲いた土地は魔力に汚染されてしまう。
そして、花を生み出したのは、イーサンとプラムだ。
夜明花の種が魔力を浴びたせいか、それとも農場に咲いた夜明花が魔力を浴びたせいか分からないが、夜明花が突然変異してこうなったのは確かだ。
イーサンは少しばかり罪悪感を覚えたが、活気に満ちたムイナ村を見て、こうなってしまったなら仕方ない。と開き直った。
それから、村にただよう淫靡な空気のせいかプラムの事が恋しくなり、イーサンは農場への道を戻り始めた。

20/10/01 00:54更新 / KSニンジャ
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