母と二人で過ごす休日の昼。
減少した童貞を奪い合う、魔物娘の悲喜交々を題材にした海外の映画を見ながら、咲はのんびりと煎餅をつまむ。薄揚げのぱりぱりとした食感が病みつきで手を止められずにいた。
一方、母親の恭子は縫物に精を出しつつ、映画を懐かしみ時折顔をあげて画面を見ていた。
「これってそんなに前の映画だっけ」
「そうねえ、咲が生まれる前にお父さんと……駅前の映画館へ見に行ったはずだもの」
「え、そんなに前？」
「お父さんがこの監督のファンで、１０年ぶりの新作だって楽しそうに話してくれたのを覚えているわ」
へえと相槌を打ちながら見ていると、映画本編からＣＭへと切り替わった。
『筋肉をつけて、魔物娘を虜に♪』
馴染みやすい軽快なメロディに合わせて、暗い表情をした線の細い男性が写る画面が暗転すると、一気に筋肉質な体格へと変化し、眩しい笑顔でサキュバスを腕に抱いている。
『今なら狸印の特製プロテインも格安で♪』
やり手の刑部狸が社長を務める、老舗ジムのＣＭ。
様々な番組のスポンサーを務めており、テレビをつけると高確率で目にするＣＭだ。
そしてこのＣＭには一つ特徴がある。
「あ、また出てる人たちが代替わりしてる」
「そうだったかしら？」
「前の人はムキムキになったのにヘルハウンドさんがお姫抱っこしてたもん。間違いないよ」
このＣＭは一定期間で男性とそのフィアンセが交代する。
内容を変化させる手間もなく、自分たちの結婚を宣伝することもできるので、ＣＭに出演したいと望むジムの会員も多いらしい。
右上に小さく613代目ＣＭカップルと小さく表示されていた。
そんなＣＭをぼんやりと見つめつつ煎餅を咀嚼しながら何気なく呟く。
「そんなに筋肉質な男の人っていいのかな」
「あら、咲は魅かれない？」
「んー……男らしさはあるのかなとは思うけど、あんまりピンとはこないかなあ。暑苦しそうだし、なんかいや？」
すると答えを聞いた恭子は、手で口元を隠し上品に笑った。
「うふふ、親子ねえ」
「え、じゃあ母さんも」
「ある程度まではいいけれど、あんまりムキムキなのはちょっとねえ」
そう言ってほほ笑む母の顔を見ながら父の体格を思い出す。
「実に平均的な体格だもんね、父さん。細くはないけど太くはないって感じ」
「それがね」
「ん？」
「筋肉でちょっと苦労したことが、私たちにはあるのよ」
そう言って縫物の手を止め、にっこりと笑った。
「どういうこと？」
「実はね、お父さん、このＣＭのジムに入会していたことがあるの」
「え、本当に！？」
「そのころの写真があるからちょっと持ってこようかしら」
そう言って席を外した母は、自室から数冊のアルバムを持って戻ってきた。
どこか懐かしい香りのするページを楽しそうに捲り、手を止めたかと思うと一枚の写真を指さす。
「え、これ父さんなの！？」
ＣＭのように、筋肉質で日焼けした若かりし父親らしき人が、恭子をお姫様抱っこして笑っていた。
白い歯が、無駄に眩しい。
同時期に撮られたであろうその写真の周りのものにも、頬が薄く、太い首や腕、厚い胸板、そして割れた腹筋をした父の姿が記録されている。中肉中背と言った今の姿からは想像もできない容貌だった。
「別人じゃん」
「私も久しぶりに見たけれど、本当にそうねえ」
「なにが父さんをこうまでマッチョマンにさせたの」
「それは……原因は私なの」
恭子は愛おしげに筋肉質な父を撫でながら呟いた。
「母さんが原因？」
「ええ」
そう言って母は、別のアルバムを開いた。
「これがちょうど初めてデートした時の写真なんだけど」
「うわあ、二人とも初々しい！」
そこには制服を着た父と母の姿が写されていた。
二人ともまさに咲と同じ年くらいだろうか。
母は耳まで真っ赤に染め俯き、隣に寄り添う父も頬が紅潮している。
「そして父さん、細い」
「そうなの、この少し前にお父さんはにょきにょき身長がのびたみたいでね。縦ばっかりのびて横はからっきし。だからひょろひょろだったわ」
「ああ、確かにそういう同級生の男子いるなあ」
「で、そんな時に私と結ばれた。それが発端だったの」
真意が分からず首を傾げると、母は楽しそうに言葉を続けた。
「ほら、私達ってラミアでしょ？」
「うん」
思わず視線を恭子の下半身へ向ける。
我が母ながら、いつ見てもきめ細やかで綺麗な鱗をした蛇体だなあと羨ましく思ってしまう。
「ラミアの私たちが男性を愛するといえば、どうするかしら」
「下半身を巻き付いて、そりゃあもうラブラブと」
「その通りだわ。人間を超越した魔物娘であるラミアの私が、こんなひょろひょろのお父さんを抱き締めた時、心の片隅であることを考えてしまったの」
「あること？」
母は目を細め、小さな声で囁いた。
「力を込め過ぎたら折れちゃいそうだなあって」
その気になれば太い生木だって締め折ることが、ラミア種にはできる。
しかも私たちは水神と祀られることすらある、白蛇。
パワーだけ考えればそれが、できてしまうだろう。
まあそれを人間に対して行うことは決してないが。
「私たちは魔力が強いから、お父さんもすぐにインキュバスになって、肉体的にも人間とは比べられないほど強くなったわけなんだけど、これだけひょろひょろだとどうしてもねえ」
「なるほど」
「それである時、ラミアの友達とついそのことを話していたのを偶々聞いていたらしくって。それからお父さんは一念発起して筋トレを始めたの」
そう言いながらページを捲り再び一枚の写真を指さす。
母が撮影したのか、一人大学の正門で映る父はかなりしっかりとした体格になってきていた。
「筋トレって真面目な人がはまりやすいっていうらしいけれど、本当みたいでねえ。お父さんも最初は初歩的な腹筋や腕立てしかしてなかったんだけど、やり始めると着実に身体が変化していくし、それが自信になってきたようで、ついにはあのジムに通い始めちゃって。一時期はどの器具がすごいだとかこのプロテインがいいって嫉妬しちゃいそうになるくらいお熱だったわ。ある時なんか、家事を終えてそろそろ寝室で愛し合おうかしらと思って入ったら、スクワットしながら分厚い文庫本を読んでいて言葉もでなかったわよ」
嫉妬という言葉の時だけ凄みを感じてしまったことはさて置き、質問する。
「でも今の父さんはそんな気配、まったくないよね」
「ええ。これもまた私の一言が原因で……」
「今度は何があったの？」
「誤解はしてほしくないのだけれど、筋骨隆々なお父さんも素敵だったわ。太い腕で抱きしめられたらドキドキしたし、厚い胸板に顔を埋めるのもよかった、人間に比べればずっと重い私をお姫様抱っこしてくれた時は、正直顔から青い火が出るかもしれないって思うほど恥ずかしかったし、嬉しかったわ。それに男性主導の色んな体位もできるようになってそれはもう」
「あの、母さん」
筋肉質な男に魅かれないと言った言葉は何だったんだと言いたくなるほど、早口で熱く語る母を止め、話の先を促す。
「ノロケはそのくらいにして先を……」
「ああ、ごめんなさい。つい、ね」
こほんと咳を一つして、再び母が話し始めた。
「これは咲も実感してもらえると思うけど、私たちラミア種は一人一人下半身での抱き心地に好き嫌いがあるでしょ？」
「そうだね、私は柔らかい抱き枕が好きだけど、美緒なんてかっちかちのハードな、固い奴が好みだもんね」
独身ラミア種のマストアイテム、抱き枕。
それらを専門的に取り扱うお店には、様々な形状、材質のものが揃えられている。勿論市販品もあるが、やはりオーダーメイドで作る抱き枕がなによりだ。咲も数年前、条件にこだわりこれだというものを作ってもらい、愛用している。押せばへこむ低反発な柔らかい抱き枕は、巻き付き心地がよく実に眠り心地がいい。
それらの物品が示すように、ラミア種一人一人に好みがあり、こだわりがある。
「お母さんも、どちらかといえば咲と同じで柔らかめな抱き枕を使っていたのよ。こう、抱きしめた時にくっと枕に食い込む感じが好きで」
「ああ、分かるぅ」
頷き合いながら、母はだからこそ問題なのだと続ける。
「へえ、そうなんだ。なんで？」
「だからね、どんどん筋肉がついてごつごつした体形になるお父さんと熱い一夜を過ごしたある日。セックスの満足感と眠気に気が緩んでしまってつい口が滑ってしまったの」
母は含羞を浮かべながらも、悪戯っぽく笑った。
「硬いなあって」
「ああ……」
「これはお父さんにも言わなかったことだから内緒にしてほしいのだけど、一番スゴイころのお父さんを抱き締めているとね、温かい彫像でも抱きしめているんじゃって思っちゃう瞬間があったくらいよ。鍛えられたインキュバスの肉体は、はっきりいって人間のそれとは別物ね。文字通り鋼よ、鋼」
真剣におかしなことを言う母と、二人でけらけらと楽しく笑い合う。
「で、まあついぽろっと零した私の言葉をお父さんは聞き逃してくれなくって。硬いってどういうことって、こっちのことって股間を指さしながら純真無垢な目で聞かれて……」
「げろっちゃったんだ」
「こら、汚い言葉を使わない」
「ごめんなさーい、でもそうしたんでしょ？」
「まあ、そうね。正直なことを言ったわ。でもそもそもの発端が私の言葉なのだから、説明しながら本当に申し訳ないなあと思わずにはいられなかったわよ。でも説明を聞いたお父さんは一言そっかって言ってそれっきり身体を鍛えることを止めちゃったわ」
「それで、今の父さんの出来上がりっと」
「ええ。おかげで素敵な抱き心地で毎晩愛し合っているわ。やっぱりほどよい柔らかさが最高ね」
満面の笑みを浮かべる母を見つめながらふとあることを思いついた。
「ってことはひょっとして美緒は筋肉系が好み、なのかな」
「その可能性は、否定できないわね」
「ムキムキマッチョマンな義弟かあ」
「あんまり気の早い話をすると鬼が笑うわよ」
そういって母はからからと明るく笑った。







「おかえりなさい、マッチョな父さん」
「え？」
用事を終え帰宅し、服を着替え終え、寛いでいた父に話しかける。
一瞬、言葉の意味が分からずぽかんとした表情を浮かべるが、すぐに過去の出来事に思い至ったのだろう、さっと頬に赤みが差した。
「母さんが教えたのかい、あのころのこと」
「うん。信じられないほど鍛えてたんだね」
父はいやあと独り言ち、背を曲げて頭をかいた。
「恥ずかしいなあ」
「あれだけやったのに、きっぱりやめたんだね」
「うん。むしろもっと早くやめるべきだったと悔いたくらいだよ」
「え、なんで」
「うーん、目的と手段が逆転してしまったからかなあ」
父は目を細め、腕をさすりながら話を続ける。
「父さんが体を鍛え始めたきっかけを母さんから聞いてる？」
「うん、折れちゃいそうだって」
「そうそう、勿論お母さんに悪意がないと分かっていたけれど、それを聞いてすごく自分が恥ずかしくなっちゃってね。分不相応なくらい綺麗で美しい母さんと結ばれて有頂天になるほど嬉しかったけど、それと同時に自分は彼女と釣り合っているんだろうかって……今思えば思春期特有の悩みだなあと思うけれど、その当時はそれが頭を占めちゃってさ。それから目を背けるため、少しでも釣り合うようにと、筋トレを始めた。始めてすぐはキツいだけだったけど、徐々に成果が出るとそれが嬉しくってね」
でもと言って言葉を切り、父は恥ずかしそうに笑った。
「母さんのためにと思ったのに、いつの間にか身体を鍛えること自体に熱中してしまっていたんだなあ」
「だからあの一言で」
「まさに目が覚めたって感じさ。すぐにジムも退会して、プロテインも器具もジムで知り合った友だちに譲ったよ」
「悔いはなかったの？」
「全く」
「でも……」
「母さんに好かれることに比べればそんなことなんでもないさ。それにね、筋トレしてる時間があるのなら、その時間を使ってお母さんと愛し合う方がずっと有意義じゃないか」
気持ちがいいほどきっぱりと言い切る父の言葉と同時に、母が部屋へと入ってきた。
「もうすぐ御夕飯ができますよってあら、咲じゃない。なんです、二人でなんのお話を」
「いや、君を心から愛してるって話していたのさ」
「え、もう。旦那様ったら♡」
「じゃあ、咲。話はこれくらいにしてご飯にしようか。今日の献立はなに？」
「今日は新鮮な鯵があったので……」
腕を絡め、嬉しそうに尻尾の先を振りながら居間へと移動する母の後を、温かい気持ちで咲は後を追った。

■作者メッセージ
インキュバスが体を鍛えたらどうなるんだろう、ラミアさんたちに抱き心地の好みはあるのだろうかという疑問と、昔、海外でプロのボディービルダーさんとハグする機会があった時の自分の感想を絡めて形にしてみました。筋肉って、すごいですね。
一瞬、太っていて抱き心地がいい展開も考えましたが、何が悲しくて魔物娘さんの世界観で太った男を書かなきゃいかんのだと却下しました(笑)。