希望の光が悪夢を攫う
私の一番初めの記憶は、青々とした木々から木漏れ日がキラキラと差し込み、私たちが居るベビーベッドの上で母上が清らかで優しい声をかけて下さり、父上が大きく優しい手で私たちの頭を交互に撫でて下さっている所だった。
音が曖昧な世界の中、私は私の隣にいる同じような温もりと寄り添い、その幸せの光景を眺めている。
そして時折、もう一つから意味のない掛け声が掛けられて、私も意味のない音で返事をするのである。
「あ・・・兄貴!!?」
息せき切って来た兵士の証言・・・
侵入者は、髭の生えた金色の熊のような大男で薄汚れたボロボロの服を纏っています。
それだけで私は双子の弟が無事に帰還したのだと確信したのであった。
湯にぶち込んで髭をあたらせ、そこそこの衣服に身を包んだ熊・・・もとい双子の弟、アルリエック・・・通称『アル』は中々の美男子であったが、私を見るなり急に阿呆面になってしまった。
・・・残念な事だ。
「よく帰ってきてくれた。緊急の用とは見ての通りこの体の事だ」
謁見の間で玉座を真ん中に向かい合う弟は、何年ぶりかの再会で変わり果ててしまった私の姿に愕然としたらしい。
さもありなん、私も貴様の余りのむささに愕然としたわと言ってやりたいが、ここで兄弟げんかを始めても話が逸れると思いとどまった。
「それ・・・って、サキュバスだよな?」
む、話が早い、流石我が弟。
本当に兄だと言う証拠を見せてみろと言われた時の為に、お前の恥ずかしい話を一杯思い出していたのだが、不要だったようだ・・・運の良いやつめ。
そして、「私はアルプと言う種類らしい・・・」と若干の訂正を入れつつ、私は今までとこれからの事を話し始めた。
眉間に皺を寄せて目を閉じるのが、弟が難しい話を聞いて考え込む時のスタイルだった。
今後を話し始めるやいなや、ドガッと音を立てて床に胡坐をかいて座り込むと昔からの癖のある表情が見て取れて、私は思わず微笑んでしまう。
弟の金の髪は私と違って明るくて、さながら太陽の光みたいに輝いているので昔から私の憧れだった。
そして瞳の色も青空の蒼がキラキラと幼子のような純真さを醸し出していて、私が好んで眺めるドゥトーチの景色みたいに力強い。
「兄貴はそれで、良いのか」
体はこんなだが、頭まで筋肉では無い証拠に、私が話した『これから』の事を早々に理解してくれた弟は伺うようにそう言った。
「良いも悪いも、これが最善だと思っただけさ」
昔より格段に高くなってしまった自分の声が、重く部屋に響く。
紅い絨毯の上、座り込んだ弟は唸るようにため息を吐く。
その様子に幼き頃の思い出が次々と蘇る。
今の体型からでは分からないが、弟は10歳まで生きられないと言われる程、脆弱であった、そんな弟を兄である私が守ろうと心に誓うのは当然の事だった。
双子を忌む近臣に父上が自ら頭を下げて、せめて成人である13歳まで親子で居させてくれと嘆願していた事も今は良い思い出だ。
そして、13歳を迎えて成人の儀を終えた弟が『ちょっと修行の旅に出てくる』と言って国を出た日の事は忘れられない。
後から知ったのが、11歳を超える辺りから逞しくなって行った弟を王位に担ごうとした者達を嫌っての行動だったらしく、弟曰く『兄弟で争いたくないし、俺は王様なんてまっぴら御免だからさ。面倒事を兄貴に押し付けた・・・ゴメン!!』との事だった。
母上の腹から常に一緒だった片割れの失踪に取り乱し、空白を埋めるかの如く街に通い悪所へ足を向ける姿は自分でも滑稽だったと思う。
まあ、それで今の私が在るので後悔はしていないが・・・。
「で?兄貴はこれからどうするの?
「は?」
先ほどリュミーエルにも問われて返せなかった事を再度問われて、今度は私が阿呆面を晒す。
此処に私ら兄弟と今は大人しくしているがリュミーエルの三人だけであったのが幸いであった。
「・・・や、何も考えて無いけど、何とかなる・・・と思う」
「だ〜〜〜〜っ、兄貴はいつも自分の事が後回しだから!!」
素直に考えが無い事を言った私に対して、ガバッと勢いよく身を起こし私の肩に抱き付くように手を置くと、心配そうにそう言い放つ弟の力強い掌がとても温かで何故かときめいてしまう。
いやいや、違う違う、何を考えているのだ私は。
「コホン、私が居る事、忘れないで下さいます?」
「「はっ!!?」」
思いがけない近さで見つめあってしまい、二人の世界に陥りそうになっていた私たちは、リュミーエルの一言で我に返ると、少し気まずげに距離を取った。
「・・・そんなお顔をされるのを見るのは心が痛むのですがねぇ・・・」
リュミーエルは眉を顰めながらため息を吐き「王弟殿下も久しぶりの我が家なんです。お疲れでしょうからゆっくり休んで頂いて、明日また続きをお話し下さい」と早々に私を塔の執務室へと追いやった。
リュミーエルに背中を押されながら振り返った弟の顔はどこか腑に落ちないもので、もしかしたら魔物になった私を厭うものなのかもしれないと思うと心が痛んだ。
私たちは二人で一つ・・・・・・。
成人の儀の前夜、誓い合った事が思い出される。
コツコツコツと小気味良い音がリズミカルに石壁に響き渡る。
「ルードウィック様・・・」
塔の上を目指す階段を上がる途中で、後ろを歩くリュミーエルが私の名を呼ぶと、唐突に彼に抱きすくめられた。
「離・・・せ」
いきなりの事に混乱をしかけて振り返ろうとしたのをリュミーエルは許さないまま、固く私の体をかき抱くと。
「今宵は窓を全て開け放って貴方様がいらっしゃるのをお待ち申し上げます」
と熱い吐息と共に私の耳元へ囁いた。
「ぅあっ・・・」
餓えた私の体は、雄の体温に過敏に反応して肌を泡立ててしまう。
「ぃ、ぁ・・・離し・・・て、っ」
気力と理性を総動員して一言、そう言い放つと緩んだリュミーエルの腕からするりと抜けだし、覚束ない脚で一気に階段を駆け上がった。
「ぁっ、はぁあっ、はぁ・・・」
部屋に戻り、簡単な構造のカギをかけると冷たい床にペタリと座り込んだ私は、自分の体をかき抱き、震えと体の熱をやり過ごそうと必死に自分を抑えていた。
この体になってから約ひと月、自分の欲望にも慣れていないのに、男の欲望に満ちた視線を甘んじて受けられる程私は人間が出来てはいない(今は魔物だが)
近臣達や兵士、街の男どもが私を見る目は、憐みや同情の他に舐め回すような粘っこいものも含まれていて、それが私を怯えさせるのだ。
魔物の体から発せられるフェロモンとも魔力とも言われるソレに仕方がないと思いつつも、怖いものはやっぱり怖い。
王位を譲ったら・・・
何処かへ姿をくらまして、一人静かに余生を過ごしたい。
でも、身を苛む飢餓感に耐えきれなくなって狂う前に・・・
自ら命を絶つ事も・・・
不穏な事を考え始めた時、窓を何かがコツコツと叩く音が聞こえた。
ここは城で一番高い所にあって、鳥か何かが羽根を休めようとしているのかと思ったが、連続して響く音を不審に思い顔を上げると、外には狭い窓枠を足掛かりにしてしゃがんだまま部屋を覗き込んでいる弟の姿があった。
「アル!!!?」
「兄貴〜開けて〜」
慌てて窓のカギを開け、窓を引くと(はめ殺しや外に押し開ける窓で無くて良かった)ひょいっと身軽に部屋へと侵入してくる。
「あー、落ちなくて良かった」
「お前、無茶し過ぎ・・・どんだけの高さがあると思ってんだよ」
山にへばり付く城の外は崖なのだ。
実際の建てられた高さより身を翻してしまえば谷底へと誘われる程に。
「や、でもこうしないと兄貴と話せなさそうだったからさ」
昔っからリュミーエルの奴が邪魔をするからな〜。
そう嘯く弟の瞳はどこまでも透き通りそうな蒼で、そのリュミーエルから受けた先ほどの恐れを全て吸い取って無かった事にしてくれそうだった。
「で?どうしたの、蹲って震えて居たけど、何かあった?」
訂正、弟自身の性格上何もなかった事になんかしてくれなさそうだ。
「いや、別に・・・」
「質問を変えるよ、リュミーエルに何された?」
私たち兄弟の間には隠し事は通用しない。
それに真摯な瞳が私を見透かすかのように捉えて離さないが、弟の眼ならば嫌な思いなんて一つもない。
「後ろから・・・抱きしめられて、今夜は窓を開けて待ってる、って・・・」
多少唇が震えてしまったが、弟から目を逸らす事だけはしなかった。
私の言葉を聞いた後、少し顔を顰めた弟は私の元へと近寄ると「震えてる」と私の体がまた恐怖を思い出した事を指摘した。
そして、少し緊張した面持ちで「抱きしめても良い?」と腕を広げながら私に伺うので、私は思わず自分から弟の胸へと縋ってしまう。
「アル・・・アルっ・・・」
「ルールー・・・辛かったな、ごめんな傍に居られなくて」
ルールーと言うのは私の愛称で、幼い時に父上や母上、そして弟から呼ばれていた名前だ。
弟は・・・アルは私を甘やかす時には決まってこの名前を呼ぶ。
小さくなってしまった頭を撫で、確りと抱きしめてくれる腕のなんと安心する事か。
体格差がだいぶ付いてしまったが故に、すっぽりとアルの腕の中に収まる自分が彼専用になってしまったようで可笑しかった。
すると、途端に私の頭の中で全てがクリアになっていった。
アルの皮膚も汗も何もかもが芳しくて、自分にピッタリで。
何故こんなにも泣きたくなる位に居心地が良いのかと考えた結果。
私の本当の望み・・・とやらが彼だった事をようやく私は思い出したのだ。
12/05/18 22:35更新 / すけさん
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