第三十六記 -リリム-
…不意に、白髪の悪魔は立ち止った。
「ねえ、貴女。いつまで女性のお尻を追い掛け回すつもり?」
視線の先には、道路の脇らに立ち並ぶ樹木のひとつ。
そこには、鳥も足も休めず、リスも巣を作らず、虫も蜜を吸わず。
ただ、木の葉をなびかせる風が吹くのみ。
「まさか、私を夜這いするつもりでもないんでしょう?」
…吼える、突風。
「…目的は何? ニンジャさん♥」
振り返り、そっと指を添える顔には…鋭い瞳。
まるで、極限まで研ぎ澄まされた刃の切先ように。
「………」
「言えないほど恥ずかしいコト?♥」
くすくすと、まるで子供のように笑う。
しかし、笑い者となったその輩は、眉一つさえ動かさない。
「…貴様」
「何?」
「あの子に何をした?」
「あら」
手を口に、驚いたような表情を浮かべる白翼の魔物。
「貴女、ソラのお友達?」
「………」
返事をしない絶えずの仏頂面に、くすりと笑う絶えずの微笑面。
「うん、って言った方が、あの子も喜ぶわよ♥」
「………」
「…そうね。教えてあげてもいいけれど…少し待って頂戴」
そう言い…空に目をやるリリム。
それに倣い、クノイチもその方向へ視線を移す。
……紫色の空に羽ばたく……一匹の、雌蝙蝠。
「…あの子の方が先に見つけているなんて、少し癪ね…」
愚痴を呟きながら…その細く長い脚を地に付け、向かい合う。
「久しぶりね、さっきゅん♥」
「相変わらず、人を小馬鹿にした呼び方をしてくれるじゃない、リム」
「愛称で呼んだ方が、仲良くなれると思わない?」
「仲良くなりたくもない相手に呼ばれると、虫唾が走るわ」
白蝙蝠に対して、一方的に火花を飛ばす黒蝙蝠。
その様子を見つめ…互いの関係が見え、心の中で一人納得するクノイチ。
「もしかして、貴女もソラのことで来たのかしら?」
その一言に、サキュバスが先程とは違う睨みを利かせる。
「やっぱり、貴女の仕業だったのね…」
「そう、私の仕業♥」
「『もっと人間と愛し合う世界を作る』って言っていた結果が、あれ?」
クノイチが、視線をリリムからサキュバスへ移す。
「あの子にペニスを生やすのが、貴女の言う『もっと人間と愛し合う世界』?」
「そうよ。さっきゅん、分かってるじゃない♥」
お前こそ分かっているのか?と言わんばかりの、サキュバスの表情。
二人しか知らぬ、昔の因縁などもあるのかもしれないが、明らかに苛立っている。
「…なら、貴女は酷いことをしたわね」
「どうして?」
「貴女のせいで、あの子は生まれた村を追い出されたのよ」
「知っているわ♥」
一瞬、眉をひそめるクノイチ。
「あの子が生まれて、あの場所に移ることになるまでの過程は、全部♥」
「ふざけるんじゃないわよっ!!」
響く怒号。それに驚いたのは…リリムではなく、クノイチの方。
「あんな子供を泣かせておいて、『もっと人間と愛し合う世界』!?」
「どれだけあの子が辛い目にあったか、知っていたなら…」
「そうなるって分かっていたなら、どうして止めなかったのよっ!?」
肩を震わせ、ありったけの声をぶつけるサキュバス。
しかし、リリムはそれを、きょとん…とした表情で受け止めている。
「………さっきゅん、貴女…」
「なによっ!?」
「ソラに、惚れちゃったの?♥」
「なっ…!」
そして、にんまり。
サキュバスが何か言い返そうとする前に、リリムは自らの身体を抱きしめ、悦する。
「あぁ…なんて素敵♥ 私の想い描く世界に、ソラは染め上げてくれているわ♥」
…クノイチは、ただ黙して考える。
このリムという魔物は何なのか…。
世界を変えようとする誇大妄想の持ち主か?
それを成し得る何かを持つ革命家か?
あるいは無用な混乱を招く狂乱者か?
その目的は、一体何なのか…?
「ねぇ、さっきゅん。そうなるって分かっていたなら…は、買い被り過ぎよ」
「私は預言者じゃないわ。過去は分かっても、未来は分からない」
「どうなるか予想ぐらいつくでしょうにっ…!」
「ねぇ、それより聞いて頂戴。もうすぐ叶いそうな、私の一大プロジェクト♥」
馬耳東風。諸手を天にかざし、弁舌爽やかに語る。
「私は、人間が大好き♥ 魔物もよ♥ どちらも愛したい存在♥」
「でも…気付いてしまったの。そこに差別がある、って」
「それは、人間の女性」
「人間の女性は、その立場を考えれば、本当に可哀想な存在…」
「本来愛し合う存在である人間の男性は、魔物に取られ…」
「その魔物に、自分自身も同じ存在に変えられてしまう」
「私達はそれを幸せと感じてしまうけれど…彼女達は、どうかしら?」
「人間のまま、魔物と同じ…あるいは、それ以上の魅力を持って、男性と愛し合いたいと…」
「そう思うのが、普通というものでしょう?」
「私は、その想いを叶えてあげたい…」
「それに、私達も、彼女たちを男性と同じように…」
「魔物が、女性をも愛する世界になったならば…」
「もう、そこに悲しい存在はいなくなるわ」
その台詞に、沈黙を守っていたクノイチが噛み付く。
「愚考だな…」
「あら、どうして?」
「その形が、あの子だと言うのであれば…」
「あの身体を愛せる人間の男性は、極々限られる」
「それこそ、特殊な身体を持つ魔物以上に…だ」
「ペニスが生えているから? あれ、消えるわよ♥ 男性を愛すれば♥」
「何…?」
予想外の回答に、畳み掛ける筈であったクノイチが口籠る。
「人間の女性は、男性と愛し合うだけの存在から…」
「人間と魔物、どちらとも愛し合え、どちらになることもできる…」
「新たな種となるの♥」
「魔物化はしないのではないのか?」
「それはソラだけの特別な力♥ あの子は、新たな人間の女性のマザーなのよ♥」
「言うならば、インキュバスの始祖のような存在ね♥」
「下らないっ…! つまり、ソラをその計画の生贄にし……っ!?」
いざ反撃と牙を剥いたサキュバスを…手を顔の前に、塞ぎ遮るクノイチ。
「三つ尋ねる」
「何かしら?」
「あの子を選んだ理由は?」
「私は意図して、ソラを選んだ訳じゃないわ」
「あの子の親の精子に、魔力を宿しただけだもの」
「何故、あの子の親を選んだかと聞かれたら、それは気紛れ。たまたまよ♥」
「この件に関わっているのは誰だ?」
「私だけ。私の独断♥」
「あの子を今後、どうするつもりだ?」
「それは会いに行ってみないと分からないわね」
「最後にどうするかは…もう決まっているけれど♥」
「………わかった」
すっ…と身を後ろに引き……またそよ風の様に…静かに佇む。
「安心して♥ もっと詳しい話を、あそこで教えてあげる♥」
リリムが指差す先…。
あと1、2キロ先かというところに見える、町の外壁。
「貴女とお茶を飲みながら話すつもりはないわ。今ここで全部…!」
「おい」
「邪魔しないでっ!」
荒れるサキュバスに…ぽつりと、呟く。
「…アダムとイヴだ」
「え…?」
「奴は…あの子を、夫として迎えるつもりだ」
「そして恐らく…あの町に、あの子がいる」
「そんな訳ないじゃない! ここは魔界よ!? いくらソラでも来ないわ!」
「嗅げ」
「は…? 嗅げ、って…」
「…匂うだろう…。あの子の匂いだ」
「………あっ…」
「町ならば、襲われている訳ではないだろうが…」
「……貴女、あいつをソラに会わせるつもり?」
「あの子をどうするにしても…そうしなければ、先に進めん」
「………」
「………」
「…いいわ。でも、あいつのやろうとしている事が碌でもない事なら…」
「その時は、協力を誓おう」
「えぇ。そうでないと、貴女も信用しないわ。味方として」
画策する二人を尻目に…リリムは、何処を見つめているのか。
まるでそこに誰かがいるように、言葉を紡ぐ。
「ふふっ…♥ …ぜーんぶ、教えてあげる…♥」
「ソラの本当の力…。そして…」
悪魔は、笑う。
「ソラの本当の愛し方……教えてあげるわ♥」
……………
………
…
「ねえ、貴女。いつまで女性のお尻を追い掛け回すつもり?」
視線の先には、道路の脇らに立ち並ぶ樹木のひとつ。
そこには、鳥も足も休めず、リスも巣を作らず、虫も蜜を吸わず。
ただ、木の葉をなびかせる風が吹くのみ。
「まさか、私を夜這いするつもりでもないんでしょう?」
…吼える、突風。
「…目的は何? ニンジャさん♥」
振り返り、そっと指を添える顔には…鋭い瞳。
まるで、極限まで研ぎ澄まされた刃の切先ように。
「………」
「言えないほど恥ずかしいコト?♥」
くすくすと、まるで子供のように笑う。
しかし、笑い者となったその輩は、眉一つさえ動かさない。
「…貴様」
「何?」
「あの子に何をした?」
「あら」
手を口に、驚いたような表情を浮かべる白翼の魔物。
「貴女、ソラのお友達?」
「………」
返事をしない絶えずの仏頂面に、くすりと笑う絶えずの微笑面。
「うん、って言った方が、あの子も喜ぶわよ♥」
「………」
「…そうね。教えてあげてもいいけれど…少し待って頂戴」
そう言い…空に目をやるリリム。
それに倣い、クノイチもその方向へ視線を移す。
……紫色の空に羽ばたく……一匹の、雌蝙蝠。
「…あの子の方が先に見つけているなんて、少し癪ね…」
愚痴を呟きながら…その細く長い脚を地に付け、向かい合う。
「久しぶりね、さっきゅん♥」
「相変わらず、人を小馬鹿にした呼び方をしてくれるじゃない、リム」
「愛称で呼んだ方が、仲良くなれると思わない?」
「仲良くなりたくもない相手に呼ばれると、虫唾が走るわ」
白蝙蝠に対して、一方的に火花を飛ばす黒蝙蝠。
その様子を見つめ…互いの関係が見え、心の中で一人納得するクノイチ。
「もしかして、貴女もソラのことで来たのかしら?」
その一言に、サキュバスが先程とは違う睨みを利かせる。
「やっぱり、貴女の仕業だったのね…」
「そう、私の仕業♥」
「『もっと人間と愛し合う世界を作る』って言っていた結果が、あれ?」
クノイチが、視線をリリムからサキュバスへ移す。
「あの子にペニスを生やすのが、貴女の言う『もっと人間と愛し合う世界』?」
「そうよ。さっきゅん、分かってるじゃない♥」
お前こそ分かっているのか?と言わんばかりの、サキュバスの表情。
二人しか知らぬ、昔の因縁などもあるのかもしれないが、明らかに苛立っている。
「…なら、貴女は酷いことをしたわね」
「どうして?」
「貴女のせいで、あの子は生まれた村を追い出されたのよ」
「知っているわ♥」
一瞬、眉をひそめるクノイチ。
「あの子が生まれて、あの場所に移ることになるまでの過程は、全部♥」
「ふざけるんじゃないわよっ!!」
響く怒号。それに驚いたのは…リリムではなく、クノイチの方。
「あんな子供を泣かせておいて、『もっと人間と愛し合う世界』!?」
「どれだけあの子が辛い目にあったか、知っていたなら…」
「そうなるって分かっていたなら、どうして止めなかったのよっ!?」
肩を震わせ、ありったけの声をぶつけるサキュバス。
しかし、リリムはそれを、きょとん…とした表情で受け止めている。
「………さっきゅん、貴女…」
「なによっ!?」
「ソラに、惚れちゃったの?♥」
「なっ…!」
そして、にんまり。
サキュバスが何か言い返そうとする前に、リリムは自らの身体を抱きしめ、悦する。
「あぁ…なんて素敵♥ 私の想い描く世界に、ソラは染め上げてくれているわ♥」
…クノイチは、ただ黙して考える。
このリムという魔物は何なのか…。
世界を変えようとする誇大妄想の持ち主か?
それを成し得る何かを持つ革命家か?
あるいは無用な混乱を招く狂乱者か?
その目的は、一体何なのか…?
「ねぇ、さっきゅん。そうなるって分かっていたなら…は、買い被り過ぎよ」
「私は預言者じゃないわ。過去は分かっても、未来は分からない」
「どうなるか予想ぐらいつくでしょうにっ…!」
「ねぇ、それより聞いて頂戴。もうすぐ叶いそうな、私の一大プロジェクト♥」
馬耳東風。諸手を天にかざし、弁舌爽やかに語る。
「私は、人間が大好き♥ 魔物もよ♥ どちらも愛したい存在♥」
「でも…気付いてしまったの。そこに差別がある、って」
「それは、人間の女性」
「人間の女性は、その立場を考えれば、本当に可哀想な存在…」
「本来愛し合う存在である人間の男性は、魔物に取られ…」
「その魔物に、自分自身も同じ存在に変えられてしまう」
「私達はそれを幸せと感じてしまうけれど…彼女達は、どうかしら?」
「人間のまま、魔物と同じ…あるいは、それ以上の魅力を持って、男性と愛し合いたいと…」
「そう思うのが、普通というものでしょう?」
「私は、その想いを叶えてあげたい…」
「それに、私達も、彼女たちを男性と同じように…」
「魔物が、女性をも愛する世界になったならば…」
「もう、そこに悲しい存在はいなくなるわ」
その台詞に、沈黙を守っていたクノイチが噛み付く。
「愚考だな…」
「あら、どうして?」
「その形が、あの子だと言うのであれば…」
「あの身体を愛せる人間の男性は、極々限られる」
「それこそ、特殊な身体を持つ魔物以上に…だ」
「ペニスが生えているから? あれ、消えるわよ♥ 男性を愛すれば♥」
「何…?」
予想外の回答に、畳み掛ける筈であったクノイチが口籠る。
「人間の女性は、男性と愛し合うだけの存在から…」
「人間と魔物、どちらとも愛し合え、どちらになることもできる…」
「新たな種となるの♥」
「魔物化はしないのではないのか?」
「それはソラだけの特別な力♥ あの子は、新たな人間の女性のマザーなのよ♥」
「言うならば、インキュバスの始祖のような存在ね♥」
「下らないっ…! つまり、ソラをその計画の生贄にし……っ!?」
いざ反撃と牙を剥いたサキュバスを…手を顔の前に、塞ぎ遮るクノイチ。
「三つ尋ねる」
「何かしら?」
「あの子を選んだ理由は?」
「私は意図して、ソラを選んだ訳じゃないわ」
「あの子の親の精子に、魔力を宿しただけだもの」
「何故、あの子の親を選んだかと聞かれたら、それは気紛れ。たまたまよ♥」
「この件に関わっているのは誰だ?」
「私だけ。私の独断♥」
「あの子を今後、どうするつもりだ?」
「それは会いに行ってみないと分からないわね」
「最後にどうするかは…もう決まっているけれど♥」
「………わかった」
すっ…と身を後ろに引き……またそよ風の様に…静かに佇む。
「安心して♥ もっと詳しい話を、あそこで教えてあげる♥」
リリムが指差す先…。
あと1、2キロ先かというところに見える、町の外壁。
「貴女とお茶を飲みながら話すつもりはないわ。今ここで全部…!」
「おい」
「邪魔しないでっ!」
荒れるサキュバスに…ぽつりと、呟く。
「…アダムとイヴだ」
「え…?」
「奴は…あの子を、夫として迎えるつもりだ」
「そして恐らく…あの町に、あの子がいる」
「そんな訳ないじゃない! ここは魔界よ!? いくらソラでも来ないわ!」
「嗅げ」
「は…? 嗅げ、って…」
「…匂うだろう…。あの子の匂いだ」
「………あっ…」
「町ならば、襲われている訳ではないだろうが…」
「……貴女、あいつをソラに会わせるつもり?」
「あの子をどうするにしても…そうしなければ、先に進めん」
「………」
「………」
「…いいわ。でも、あいつのやろうとしている事が碌でもない事なら…」
「その時は、協力を誓おう」
「えぇ。そうでないと、貴女も信用しないわ。味方として」
画策する二人を尻目に…リリムは、何処を見つめているのか。
まるでそこに誰かがいるように、言葉を紡ぐ。
「ふふっ…♥ …ぜーんぶ、教えてあげる…♥」
「ソラの本当の力…。そして…」
悪魔は、笑う。
「ソラの本当の愛し方……教えてあげるわ♥」
……………
………
…
12/04/05 00:09更新 / コジコジ
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