連載小説
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二虫
セヴィは困っていた、心の底から困っていた。
原因はセヴィの目の前にいつもの如く無愛想な表情で立っている青年だ、かといってその青年・・・コーイがセヴィに対して何か嫌がらせをしているとかそういう訳ではない。
厳密に言うとセヴィが困らされているのは自分とコーイの二人が置かれている状況だ。
セヴィの手には雑巾、コーイの手には箒、場所は宿の一室・・・そして、じっと自分を見るコーイのくすんだ青色の瞳。



宿には大部屋が一つある、滅多に無い事だがまとまった団体客が来た時に一人当たりの料金を安くして共同の宿として貸す時があるのだ。
つい先日、その珍しい団体客がこの大部屋を利用し、朝にチェックアウトしたので二人はこの大部屋の掃除を任されたのだ、そう、二人でである。
コーイはこの宿で働き始めてまだ日が浅い、普通ならおかみさんがコーイに付いて教えながら作業をするのだが、タイミング悪くおかみさんの手が別の仕事で塞がってしまい、掃除くらいならと、二人に任されたのだ。
コーイがこの宿に勤めて始めてからもセヴィは極力コーイと接しないように努めて来た、コーイの事が嫌いな訳ではない、むしろコーイに気を使って近づかないようにしているのだ。
自分は嫌われ者なのだからむやみに近付かれるのはコーイも嫌がるだろうと思っての事だった。
何よりおかみさん以外の人間とまともに口をきいた事がないセヴィはどう接していいかもわからない。
しかし今、二人だ、この部屋の掃除をするのは初めてなコーイは何処に何をしまっていいかわからないだろうし、どこをどう掃除したらいいかもわからないだろう。
おかみさんが居ない以上、それはセヴィが教えなくてはいけないのだ。
教える、自分が人にものを教える、ずっと教わるばかりだった自分が。
とてもじゃないが出来そうにない、現に今、セヴィはコーイを前にして石像の如くこちこちに固まってしまっているのだ。
「・・・」
「・・・」
そうして固まってしまっているセヴィをコーイはただ見ている、別に敵意を含んだ目線では無いのだが、元々表情の変化に乏しいコーイは見ようによっては不機嫌そうに見えない事もない、なのでセヴィはますますその視線に委縮してしまうのだ。
しかしいつまでもそうして二人突っ立っている訳にはいかない、この掃除の後にも仕事はあるのだ。
意を決してセヴィは口を開いた。
「あ・・・の・・・こ・・・あ・・・」
「・・・はい?」
「・・・っっ」
しかし、碌に言葉を紡げない内にコーイに聞き返され、また石像に逆戻りしてしまう。
ああ、どうしよう、話し出すタイミングを逸してしまった、どうしよう、今ので不機嫌にさせてしまったかもしれない、どうしよう。
ぐるぐると考えるセヴィを前に、コーイは俯き、その太い指で首筋をかりかりと掻いた。
「・・・とりあえず俺、床掃きましょうか」
こちらもあまり話慣れない様子でぼそぼそと言う。
「あ・・・あ、あぃ、はぃ、はい・・・おね、おネガい・・・します」
相手から口火を切ってくれたのを幸いに、セヴィは何とか喉から声を絞り出す。
「・・・敬語じゃなくていいです」
「は、はい?」
「俺の方が後輩ですから」
コーイは視線を外したままで言う。
しかしそうは言われてもおかみさんに会ってから敬語以外を殆ど使った事のないセヴィはどう喋っていいかわからない。
そもそも自分などがため口をきいていい相手なんて居ないと思っている。
「で・・・でも、その、あの、こ、こけ、けっ」
「・・・無理ならいいです」
コーイはまたもしどろもどろになるセヴィを見てぼそりと言い、床を掃き始める。
その後ろ姿を見てまたセヴィは自己嫌悪に陥りかけるがいい加減しっかりしなくてはいけないと思い、コーイの方をちらちらと気にかけながらも雑巾で掃除を始める。
「セヴィさん」
「ひゃっ!ひゃぃ?」
丁度目を離した時に声を掛けられ、飛び上がりながら振り返ると目の前にコーイの仏頂面があった。
「な・・・なん、で、しょう・・・」
たどたどしく言うと、コーイはセヴィに一枚の布切れを差し出した。
一瞬雑巾かと思ったが、そのひらひらのレースのついたピンク色の布切れが女物のパンティーである事にすぐ気付く。
「お客さんの忘れモンみたいなんすけど・・・」
コーイはそのピンク色の布切れを指で摘まんで持ちながらかりかりと頭を掻いた。
「あっ・・・あー・・・それ、は、オきバショがあって・・・」
セヴィはコーイを連れて別部屋の忘れもの置き場まで歩いて行った。
「え・・・と・・・この、ハコ・・・わっワスれモノがあった、ら、ここに・・・」
「はい」
「あ・・・と・・・い、イルイ、は、イチオウ、センタクしてから・・・」
「はい」
「だ、だいたい・・・え・・・と・・・は、ハンツキくらい・・・お、オいておい、て」
「はい」
「と、トりに・・・コなく、て・・・レン、ラク、もナかったら・・・す、スてる、か、ツカうかは、えと、おかみ、さん、が・・・」
「はい」
気の短い人間ならば癇癪を起しそうな喋り方だが、セヴィにはこれが精一杯だ。
その喋り方にコーイはせっつく事も無く、合間に繰り返し頷いて聞く。
そうして口が達者な人間に比べて三倍近くの時間を掛けて客の忘れ物についての説明を終えた。
「・・・わかりました」
セヴィはどうにかこうにか説明を終えてほっと胸を撫で下ろす。
コーイは箱に放り込まれた下着を見て言った。
「・・・この下着、客が取りに来なかったらセヴィさんが穿くんですか」
「エ?・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・変な事言ってすんません」
会話の合間に流れるには余りに長すぎる沈黙の後、コーイは俯いてぼそっと言った。
「エ?・・・あっ・・・あゅっ・・・あゃっ・・・ご、ゴメンナサイ」
「いえ・・・」
また視線をふいと逸らすコーイを見てどう返せばよかったのだろう、とまた悶々とセヴィは考え始めた。



宿は夜闇に包まれていた、宿泊客は皆部屋に入り、遅くまで働いていた三人の従業員達も皆床に入った・・・かに思われた。
カタンッ
静まり返っていた宿の一室で音がした、それは床の閉じ蓋が開く音だった。
蓋を開けた少女・・・セヴィは自分の立てた音に驚いたように動きを止め、しばらく蓋を持ち上げた姿勢のままでじっと固まった。
周囲が静まり返っているのを確認したセヴィはかさり、と床から這い出ると今度は音を立てないようにそっと閉じ蓋を閉じる。
床の上に移動したセヴィはこっそりと移動を開始した、いつもの二足歩行ではなく、床にぴったりと四肢を着けた四足歩行で這って進む、二本足での歩行よりもスピーディーでなおかつ足音も殆ど立たない、普段は従業員のマナーとして立って歩いているがこれがデビルバグ本来の動きなのだ。
セヴィは廊下に出ると壁を伝って登り、天井を這って進み始める。
万が一誰かに遭遇してもこれならば気付かれないであろうと考えての事だった、最もこの時間帯に廊下を人が通る事など滅多にないのだが・・・。
やがて、誰に遭遇する事も無く無事目的の部屋の前に辿り着いたセヴィはほう、と一息つくとそっと扉を開き、中に入る。
それは昼間に来た忘れもの置き場がある部屋だった、セヴィは忘れ物箱の中を覗き込むとお目当ての物を取り出す。
虫の手に摘ままれているのはピンク色の布切れ・・・パンティである。
セヴィはじっとそれを見つめた後、おもむろに片足を上げてそのパンティを穿こうとする。
しかし、つま先を通そうとした瞬間にぴたりと動きを止める。
そう、セヴィの足は昆虫の足である、壁や天井を自在に動き回る事の出来るその足は刺々しいフォルムを有しており、下着に足を通そうものなら一発でぼろぼろになってしまうのだ。
セヴィはしばしどうにかして下着を破かずに穿けないものかと試行錯誤していたが、やがてどうやっても無理だと悟る。
「・・・・・・・」
しゅん、と肩を落とすと下着を箱に戻し、また音を立てないように自室に戻って行った。
「・・・くすん」
そうして、少しだけ枕を濡らしたのだった。



長かった寒波がようやく緩み、宿を訪れる客の服装も少しばかり軽装になり始めた頃にはコーイの仕事振りも板についてきていた。
しかしながら絶望的な愛想の無さは来た時と変わらず、接客が苦手であるという点ではセヴィと似たり寄ったりと言える、最もここに宿を取りに来る客は従業員の愛想を求めてやってくる訳でも無いので特に問題にはならないのだが。
人見知りの激しいセヴィもそれなりの期間を共に過ごす事によって少しずつ彼のいる環境に慣れ始めていた。
そして、日々の暮らしの中でちょっとした新しい楽しみを見出していた。
それは共同作業をしている時の事だった、二人はまだ寒さが残る早朝に洗い場で巨大なたらいに山積みになった客の洗濯物と格闘していた。
客からの要望があれば有料で行っているサービスなのだが非常に安いので人気のサービスだ、しかし当然の事ながら実に骨の折れる作業なのである、おかみさん一人の時には一定数の客にしか出来なかったのだが従業員が増えた現在では殆どの要望に答えている。
洗濯板でごしごしと客の服を洗いながらセヴィは向かいで同じように作業しているコーイの手を見ていた。
自分の手は寒さに強いのでどうという事はないのだが、コーイの手はやはり冷水で真っ赤になり、とても冷たそうだ、それを見越して洗濯物は自分一人でやると申し出たのだがコーイは頑として受け付けなかった、そう言った所ではとても頑固な所があるというのも最近わかってきた部分だ。
真っ赤にかじかんだ手でもやはりコーイはまったく表情を崩さずに黙々と作業をこなしていく、セヴィもそんなコーイを気にしながらも洗濯物の山を崩していく。
「お、おつかれ、さま」
ようやく長い洗濯を終えた時、セヴィはとにかくコーイの手を温めてあげたい一心でそっとコーイの手を握った、以前、おかみさんが子供の客に同じ事をしていたのを思い出しての行為だった。
「・・・」
コーイは少し目を見開いて微かに驚きの表情を現すが、そのままセヴィのするようにさせる。
しかしセヴィはすぐに気付く、人肌ではなく外殻である自分の手では触れても熱を伝える事はできない、むしろ冷水で温度の下がった外殻は金属のように冷え切っており、触れられると逆効果にしかならないのだ、現に手を握った瞬間にコーイの腕が一瞬震えるのを感じた。
「・・・!ご・・・ごめっ・・・んなさ・・・」
気付いた瞬間弾かれたように離れたセヴィは自分の考えの至らなさに落ち込みそうになる、そうでなくとも自分に触れられる事など不快に感じるに違いないのに。
「・・・いえ・・・嫌じゃないです・・・」
しかしコーイは微かに首を振ってまたぼそり、と聞き取りづらい声で言った。
その時のコーイの表情はセヴィの脳裏に鮮烈に焼き付いている、いつも人と目を合わさず、どこか不機嫌そうにしている仏頂面がほんの一瞬笑ったのだ。
満面の笑みには程遠く、普段から彼に接していなければ気付けないくらいの微かな変化だったが、確かにその口元が緩み、逸らされている視線もその時は照れ隠しのように見えたのだ。
「あ・・・う・・・いぇ・・・」
セヴィが無自覚に触覚をせわしなくちらつかせながらおどおどしているうちにその表情はすぐに消えてしまったのだが、確かに見たのだ、彼の優しい表情を。
それ以来、どうにかしてその表情を彼から引き出そうと試みるのがセヴィの新しい楽しみとなったのだ。



「セヴィ、あんたコーイの事が好きなのかい?」
「ふわっ!?」
おかみさんの言葉を聞くと同時にセヴィは洗っていた食器を落としかけた。
厨房で遅めの昼食を終えて後片付けをしている最中、テーブルの上で帳簿をつけていたおかみさんに不意に言われたのだ。
「・・・そっ・・・だっ・・・・・・・はい」
セヴィはまるでいけない事をしている所を見付かった子供のように縮こまって言った、そんなセヴィを見ておかみさんは苦笑を浮かべる。
「まったく・・・厄介なのを好いちまったもんだねぇ」
「あ、あ、の・・・この、コトは・・・」
むやみに人に言いふらす人ではないとは知っているが、しどろもどろで頼もうとする。
「あははっ、言いやしないよ、これはあんたの口から直にコーイに言わなくちゃいけない事だからね」
「え・・・や・・・いわ、いわない、です」
「どうしてだい?」
どうしてもこうしても無い、そんな事を言ったら比較的良好な今の関係が崩れてしまう。
「ねえ、セヴィ、前から思っていたがおまえは少し勘違いをしちゃいないかい?」
「か、カンチガイ?」
首を傾げるセヴィにおかみさんは近付き、そっと手を伸ばしてセヴィの前髪をかきあげた。
普段長い髪に隠れているセヴィの大きな目が露わになる、そうしておいておかみさんはセヴィの鼻をちょんとつついた。
「ふゅっ?」
「あたしは長い事この宿をやってきて色んな人を見て来たけどね・・・あんたほどいい女は知らないよ」
「・・・えっ?」
お世辞、だろうか、おかみさんらしくない。
「今、あたしがお世辞で言ってると思ったろ?」
「へっ、あっ、やっ・・・デモ、だけど、ワタシ・・・タダの、ムシです・・・」
「ただの?こんなに可愛い顔をしてて家事も仕事も気遣いもできて・・・何より繊細で心優しい虫がただの虫なもんかい」
「ふゃっ」
そう言っておかみさんはもう一度セヴィの鼻をつついてから前髪を戻す。
セヴィは俯いてじっと自分の手を見て言った。
「でも・・・ワタシの、カラダは、こんな・・・」
「そりゃあ気にする人もいるだろうね、たださ、コーイがそれを気にした事があったかい?」
「・・・」
ない、一度も。
「どうしてうまく行きっこ無いなんてやらないうちから決めちまうんだい?少なくともあたしから見たらコーイがあんたを嫌ってる要素なんて一つも無いよ?」
「・・・」
「あははっごめんよ、おばさんのお節介だね、でもねぇ、あんたが本当に欲しがってるものは遥か遠くにあるんじゃなくって・・・ちょっと頑張って手を伸ばせば届く所にあるって言いたかったのさ」
「・・・ホしい、モノ・・・」
じっと考え込むセヴィを見ておかみさんは不意にテーブルに戻って帳簿に目を落とし、何やら書き込む。
「そういえばもう客足が鈍る頃だね・・・休暇の時期もそろそろかしらね」
暖かくなると旅も楽になり、金銭の節約のために宿ではなく野宿で済ませる人も出始める、なのでその時期は比較的宿の運営は暇になる、そんな時期はおかみさん一人でも回していけるのでセヴィはちょっとした休暇を貰う事が出来るのだ、最も今までは休暇の過ごし方なんてわからないのでいつもと変わらない過ごし方をしてきたのだが・・・。
「あんたは街には出た事はないだろう?この時期は向こうではちょっとしたお祭りをやってるんだよ、たまには社会勉強も兼ねて行って来てみたらどうだい?」
おかみさんは帳簿から目を離さないまま言う。
「・・・お、おマツ、り?」
「一人で行くのも寂しいだろうし不安だろうから誰か誘って行ってみたらいいんじゃないかい?」
「・・・」
おかみさんが何を言っているのかをようやく把握してきたセヴィは落ち着きなく視線を彷徨わせ、触覚も落ち着きなく動き回り始める。
「・・・で、でも・・・ワタシみたい、な、の・・・マチじゃ・・・」
「あの街は新魔物域だからね、あんたが霞んじゃう位に色んな姿をした娘さんが沢山いるんだよ、あんた一人が浮くなんて事はないさ」
「・・・」
セヴィは落ち着きなく厨房の中をうろうろしていたが、思い出したように洗い物を片付けるとおかみさんにぺこりと頭を下げて厨房を出て行った。



廊下を歩きながらもセヴィは先程の話をぐるぐると考えていた。
ごんっ
「あうっ」
足元を見て考えていたので廊下の突き当たりの壁にぶつかってしまう。
涙目で鼻をすりすりとさすりながら自室に戻る、夕食の時間まではまだあるので少しの間は仕事が無い。
セヴィはベッドに腰掛けると、また延々と悩み始める。
おかみさんはああ言ってくれたけれども、いい加減なお世辞を言う人では無いけれども・・・。
想像が出来ないのだ、コーイが自分の隣に立ってくれたり、受け入れてくれたり、自分と・・・。
何を考えたのかセヴィの顔が一瞬紅潮する。
だって、何だかそんな事は有り得ない話にしか思えない、自分に魅力があるだなんて、頑張れば届くだなんて・・・。
「・・・・・・んむっ!」
唐突にセヴィは両手で自分の頬をぴしゃりと叩いた。
さっき言われたばかりの事を自分はもう忘れている、どうして自分は「やりもしないうちから決めつけて」しまうんだろう、何もしてないじゃないか、何もしてないし何も結果が出て無いのにどうしてもう結論が出てしまっているような考え方をしてしまうのか。
セヴィは心の中で決めた、誘おう、次の休暇にコーイと街のお祭りに・・・結果がどうなろうと構わない、後先は考えない。
「・・・つ・・・ツギ、の、キュウカ・・・に、ワタ、ワタシと、おま、おま、おま、オマツりに・・・」
リハーサルに呟いてみる・・・要練習だ。
セヴィは目を閉じてコーイを誘う言葉を小声で繰り返しながら心の中で祈った。
誰に対して祈ればいいのかわからなかったのでとりあえずおかみさんを心の中に思い浮かべて祈った、そして見た事も聞いた事もないカミサマに祈った。



カミサマ、おかみさま、どうかどうかこの一匹の虫に力をお与え下さい、勇気をお与え下さい、せめて、好きな人に言葉を掛けられるだけの些細な勇気を、どうか。
12/01/30 01:06更新 / 雑兵
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