連載小説
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三虫
「ツギのキュウカにワタシと、おマツリにいきませんか?」
言えた、つっかえる事も無く今までで最高に流暢に発音できた、気が遠くなるほど練習した成果だ。
コーイはその言葉を聞いて暫く何も答えなかった。
セヴィはその一言を言い放つのに全精力を使い果たしてしまったのでもう二の句が継げない。
・・・コーイは頭を掻いた、相変わらず視線はあさっての方向に向けられている。
「・・・虫とデートする趣味ないんすけど」



「〜〜〜〜〜やっぁっ!ヤァぁぁあああ!」
セヴィはベッドから跳ね起き、一瞬状況を理解できずに周囲をきょろきょろ見回した。
やがてそこがいつもの自室だと気付き、今見た物が夢だった事を自覚していく。
「・・・はぁぁぁ・・・」
そうして深ぶかと溜息をついた、全身には冷たい汗が浮いており、小刻みに震えている。
ここ最近はこんな夢ばかりを見る、後先考えずに言うなどと心に決めたもののそれで臆病が治る訳でもなく・・・。
「・・・キョウ・・・キョウいわなきゃ・・・」
そんなこんなで決行を延ばしに延ばして今日である、もう休暇は明日から始まる、今日を逃すともう言う機会は無い。
というよりもはや手遅れかもしれない、コーイが休日に何か別の予定でも入れてしまっているかもしれない。
「ううぅぅぅ・・・」
胃が痛い、あの決意の日から一日も気が休まらない、言わなければと何度もチャレンジしたがそのたびに今日見たような悪夢が頭をよぎって怖くなって言い出せなくなってしまう。
「バカ・・・うっ・・・イクジナシぃ・・・」
ベッドの上でこうしてめそめそしたのももう何度目かわからない、自己嫌悪に押し潰されそうになる。
しかしセヴィがどんな気持ちだろうと今日も仕事があるのだ、セヴィは睡眠不足気味の体を引き摺ってベッドを下りるのだった。
言わなくちゃ、今日こそ・・・今日こそは・・・。



セヴィは厨房で皿を洗いながら時計を見上げた・・・7時、7時だ、もう夕方じゃなくて夜だ。
視線を手元に戻し、スポンジで皿をごしごしと洗う。
その皿にぽつぽつと水滴が落ちた、洗い物の水ではない、セヴィの瞳からはらはらとこぼれ落ちる水だ。
「・・・っくぅ・・・ひっく・・・」
わかった、もうわかった、自分はやっぱり意気地なしだ、おかみさんに応援してもらったのに、自分なりに決意したのに・・・・・・諦めよう、そうだ、その方がいい、どうせ言ったって付き合ってもらえる訳が無い、もう予定だって入れてしまっているに違いない・・・。
ごし、とセヴィが涙を袖で拭った時だった、厨房に足を踏み入れる人物がいた。
「・・・」
コーイだった、相変わらずの無愛想な顔ですたすたとセヴィの横にある戸棚に向かい、石鹸を取り出して厨房を去ろうとして・・・セヴィの顔を見た。
「・・・どうしたんですか」
「エッ?」
「どっか怪我したんですか」
コーイはセヴィの顔に泣いた跡があるのに気付き、それを心配して声を掛けたのだ。
「・・・コーイくん」
「はい?」
「・・・」
「・・・」
「あ・・・ノ・・・」
「はい」
「・・・」
「・・・」
「そ・・・の・・・」
「はい」
「・・・」
「・・・」
言うんだ、言わなくちゃいけない、後悔しないために、例え夢で言われたような事を言われるのだとしても、もう、休暇を一緒に過ごせるか過ごせないかは問題では無い、自分が自分の事をこれ以上嫌いにならない為に、自分の為に。
「こっ・・・コンド・・・の・・・」
「・・・」
視線を落ち着き無く彷徨わせながらセヴィは必死に頭を回転させた、そうだ、言う前にまず聞いておかなければ。
「コンドの・・・キュウカ、は、あの、あの・・・ヨテイ・・・あります、か?」
「いいえ」
奇跡的だ、運は自分に味方している、言うんだ、今。
「あの・・・そのヒ・・・あの、その・・・お、お、おマツリ、が、ま、まちゅ、マチでおマツリがあって、その」
練習の成果は全く出ていない、舌の根っこが強張ってしまってうまく喋れない。
「いっ・・・イッショに・・・いき、ませ、んか・・・」
言った。
セヴィは最後まで視線をどこにも固定させる事が出来ず、結局コーイの足元を見ながら言った。
全身が心臓になったようだ、胸が爆発してしまう。
「・・・俺でいいんですか?」
「エ?」
予想していたどんな言葉とも違う台詞を言われたので何を言っているのか一瞬わからなかった。
「・・・あ・・・エ?あ・・・ハイ」
「・・・どうやって行きます?」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「セヴィさん?」
「あ・・・あぁっあっはぃ?」
何も応えられない、頭が真っ白で事態に追いつけない。
「なん・・・アノ、ナニもカンガえてませんでシタ・・・」
「・・・」
更にコーイが口元を綻ばせるなどという珍しくも嬉しい光景を目の当たりにしたものだから心臓がまた跳ね上がってまた混乱する。
「・・・馬・・・借りて行きましょうか、」
「・・・ハイ」
「・・・じゃ、明日」
「ハイ・・・」
コーイが厨房を出て行くまでセヴィは石の如く固まりっぱなしだった、その手から皿が滑り落ちかけてようやく我に返ったように皿洗いの続きをし始めた。
一見すると冷静にみえるが、体が何時も通りの作業を自動的にこなしているだけで、頭の中はまだ凍結状態のままである。
そうして凍結したままの頭で遅めの夕食を取り、自室に戻る直前だった。
「はい、今日もお疲れさん」
おかみさんに声を掛けてもらった時、セヴィは妙に堅い声で言った。
「あの・・・ちょっと外に出て、いいです、カ?」
「うん?・・・構わないけど何の用事だい?」
「・・・ちょっと・・・チョットだけ・・・デス」
「ふーん?まぁ、構わないけど遅くならないようにね?明日は大事な日なんだろう?」
おかみさんはにっこり笑って言った、セヴィは俯いてこっくりと頷くとそそくさと外に出て行った。
外は綺麗な星空が見える夜だった、冬の頃に比べれば大分暖かくなったがやはりまだ少し肌寒いくらいの空気の中にセヴィは走り出た。
次の瞬間、ぶわんっ!と音を立ててセヴィのメイド服の背から羽根が広がる、薄くて透明な昆虫の羽根だ、広がったそれを勢いよく羽ばたかせると地を蹴って空に舞い上がる、久々の感覚だった、セヴィは宿の上空を何度か旋回してから空気を切り裂いて宿の裏手の森の方角に飛んで行った。
そうして、視界が森一色になったあたりでセヴィは大きな声を上げた。
「わァァーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
普段の彼女を知る者が聞けばびっくりするような大声だった、セヴィは叫びながら空で宙返りをし、きりもみで飛び、急上昇し、急降下した、とにかくめちゃくちゃに飛び回った。
そうしてひとしきり森の上空を狂ったように旋回した後、一際高い木のてっぺんに止まった。
久々の飛行でセヴィははあはあと息切れをしていたが、その顔は林檎の如く真っ赤に染まり、乱れた髪の下から覗く瞳は濡れてきらきら輝いていた。
「ユメ、じゃない・・・」
そう言って夜空に大きく浮かぶ月を見上げると、ぎゅっと虫の手を合わせた、彼女なりのお祈りの形だ。
「カミサマ、ありがとう・・・おかみさん、ありがとう・・・アリガトウ・・・アリガトウ・・・」
そう言って、木のてっぺんで大きな月をいつまでも見上げ続けた。



「・・・セヴィさん、着いたみたいですよ」
「ン・・・」
ぱっかぱっかと聞こえる蹄の音と振動を感じている内にうとうとしてしまったようだ、コーイの声に顔を上げてここが自分の部屋でないことにちょっと驚き、すぐに思い出す、そうだ、馬車の中だった。
休暇当日、宿に一頭だけいる馬を出そうとした二人は、宿の常連の商人に声を掛けられた。
二人の事をおかみさんから聞いたらしく、丁度街に用事があるのでいつも世話になっているお礼に送り迎えをさせて欲しいと言う事だった、二人だけで行くよりも間違い無くその方が安全で快適な旅になるので言葉に甘えさせてもらう事にしたのだった、後、やはり二人きりは緊張しすぎるので他に人が居た方が落ち付けるという打算も密かにあった。
セヴィとコーイは幌馬車の荷台で向かい合って座っていた、周囲には交易品と思わしき荷物が積み上げられており、交易品の中にあるのか微かに香草の匂い漂っているのを感じる、そして外からは何だかとても賑やかな人のざわめきらしき音が聞こえる。
入口には布が掛けられていて外の様子は伺えず、その布の隙間から薄暗い荷台内に木漏れ日のような外の光が投げ掛けられている。
コーイはセヴィが起きたのを見ると、そっと掛けられている布を払いのけた。
「ぅわ・・・ぁ・・・」
外の景色を見た瞬間、感嘆の溜息がセヴィの口から漏れた。
真っ白な外の陽光に目が慣れるとまず目に入ったのが軒を並べる数々の露店と今まで見た事が無い位の沢山の人々が行きかう様だった。
思わず荷台から身を乗り出して周囲をきょろきょろ見回す。
馬車の進む大通りの両脇にはそれこそ視界の続く限りに食べ物や装飾品、遊具などの店が立ち並び、店員の呼び込みの声がひっきりなしに飛び交っている、道の通行人は馬車がゆっくりとしか進めない程に溢れかえり、店員の声に足を止めたり歩きながら談笑したり昼間っから酒瓶を片手に酔っぱらったりしている。
視線を上に移すと大通りの上には横断幕が等間隔で掛けられており、大きくデフォルメされた文字で「収穫祭」と打たれている。
「・・・シュウカクサイ?」
「ここの祭りは初めてかい?」
後ろから馬車の御者をしている宿の常連さんが声をかける。
「寒冷期の終わりと春の訪れを祝う祭りさ、元々はこの季節最初の収穫物を分け合う行事だったんだが、年々規模が大きくなってきて今じゃただのお祭り騒ぎさ、ま、昼間っから酒を飲めるのは皆大歓迎だしな」
セヴィはその説明にこくこく頷きながら景色に目を丸くして見入っていた、そして気付く、露店で商売をしている商人や男性と連れ添って歩いている女性の殆どが魔物である事に、むしろ人間の女性を見つけるのが難しい位だ。
・・・これならば確かに自分でも目立たない、何しろ長い蛇の胴体をくねらせて道を行くラミアや沢山の足を動かして歩くアラクネなども堂々と往来を闊歩しているのだ。
飽きる事無く周囲の景色を見回すセヴィにコーイはひどく優しい眼差しを送っていた、しかしセヴィがこちらを向くとその表情はすぐに掻き消えてしまうのだった。



「それじゃあここいらへんで、楽しんできなー」
「アリガ、トウ」
「・・・ども」
二人は遠ざかる馬車に手を振った、降りたのは露店の建ち並ぶ通りから少し離れた狭い通りだ。
馬車の姿が見えなくなるとセヴィはごくりと唾を飲んだ、問題はここからだ、考えてみると本当に二人きりになるのは初めてだ。
「・・・何か、食います?昼ですし」
「ア・・・は、ハイ」
セヴィが返事をするとコーイは大通りの方に歩き始め、セヴィはその後に付いていく、しかし少し進むとコーイは立ち止まり、振り返って言った。
「手・・・」
「エ?」
言われて気付いたが、コーイはこちらに手を差し出すようにして歩いていた。
「はぐれますよ」
「・・・!」
つまり手を繋げ、という事だ、理解した瞬間一気に全身の温度が上がり、顔に血が集まる。
「・・・・・・嫌ならいいです、すいません」
暫く硬直しているとコーイはその手をふいと下げてしまった、その手に慌ててセヴィは飛び付く。
「ま、ま、マイゴになったら、おた、おタガい、コマる・・・」
そう言って虫の手できゅっとコーイの手を握る、コーイも握り返す、セヴィは勇気を出して良かった、と思った。



人ごみを掻き分けて屋台を冷やかしたり買い食いしたりした後、二人は一旦休憩にしようとある酒屋の前のテーブルに座った、普段は店内で普通に酒を出している店なのだが、祭りの時だけ店外に椅子やテーブルを出してちょっとしたカフェテラスのような形式で料理や酒を出しているのだ。
「・・・コーイ、くん、は、ノまないん・・・です、か?おサケ・・・」
「・・・いいですか?」
メニューを眺めていたコーイは目線を上げて聞いて来た、セヴィは勿論、と頷く。
それを聞いたコーイは店員を呼ぶとセヴィが聞いた事も無いような酒の銘柄を告げた、セヴィは紅茶を頼んだ。
しばらくして、セヴィの前には洒落たカップに満ちた琥珀色の紅茶が運ばれて来た、うっとりとするようないい香りがする。
対してコーイの前にはダイヤモンドのように美しいカットが施されたグラスが置かれた、中に満たされている液体は無色透明で一見すると水の様だ、氷も何も入っていない。
「氷も無しの生でそれ頼んだ奴は初めて見たぜ、彼女の前でかっこつけてひっくり返えるんじゃないぞ?」
グラスとカップを運んできた気のよさそうな店の主人は笑って言った、彼女、の部分を聞いて赤面するセヴィ、否定しようかとも思ったがコーイが何も言わなかったのでセヴィも何も言わなかった。
コーイはグラスを持ち上げると口を付けてぐぐっと傾ける、傾ける手は止まらず、一息にグラスの三分の二程を胃に送り込んでしまう、店主は目を丸くしてそれを見ている。
「・・・ふぅ」
コト、とグラスをテーブルに戻すとコーイは小さく、しかし心底美味そうに息をついた。
「はっはっ!こりゃあたいしたタマだ!」
店主は笑いながら奥に引っ込んで行った、セヴィはコーイにぼんやり見とれていた。
男に対してこういう感想を持つのはどうかと思うが、飲み終えた時のコーイに奇妙な「色気」の様なものを感じてしまったのだ。
「・・・セヴィさん?」
「あ、う、いや、アノ・・・、お、オイシそう、です、ね」
「飲んだ事・・・無いですか」
「は、ハイ」
言われてみれば宿の客が飲んでいるのを見た事はあるが自分が口にした事は無い。
「・・・アノ・・・チョット」
「飲んでみます?」
セヴィはこっくり頷く、コーイが飲む所は何だかとても美味しそうに見えた。
「・・・じゃあ、メニューを」
「アノ・・・それ・・・」
セヴィはコーイの手元のグラスを指差す。
「チョットだけ・・・」
「・・・これは、やめておいた方が・・・」
しかしセヴィはふるふると首を振ってそれがいい、と主張する、一杯を頼んでも飲みきれるかどうかわからないし、「コーイが飲んだ」ものを飲んでみたいと思ったのだ。
「・・・ほんと、ちょっとだけにしといたほうがいいいですよ」
そう言ってコーイはセヴィの前にグラスを置いた、セヴィはグラスを両手で持つととりあえず鼻を近付けてみる。
「・・・!?」
びっくりして思わず顔を離す、・・・何と言うか、刺激臭のような嗅いだ事の無い匂いがする、何となく甘いんじゃないかと思っていた予想を思い切り裏切られた。
「・・・やめた方が・・・」
コーイは言うが、セヴィは恐る恐る口を近付け、ちょび、とだけその無色透明の液体を口に含む。
「・・・・・・〜〜〜〜〜!?!?!ケホッケホケホッけほっ!?」
口腔内から喉に至るまで火を飲んだような熱さに見舞われ、セヴィは目を白黒させて咳き込んだ。
「・・・水、どうぞ」
その事態を想定していたのか、手元に持ってきていた水をセヴィに渡すコーイ、セヴィは涙目になりながらそれを受け取ってごくごくと飲み干す。
「ぷふぁぁ・・・」
水の後に紅茶も飲んでようやく口の中は落ち着く、しかし体は何やらがかっかと熱くなり、心臓がどきどきしている。
「ふぅ・・・ふぅ・・・アツい・・・」
「これは慣れない人にきつすぎますよ・・・」
そう言ってコーイはグラスに残った液体をぐい、と飲み干す、今しがた自分が数滴分の分量で大変な事になった液体をうまそうに飲み、お代わりまで頼むコーイをセヴィは不思議そうに見る、慣れない人、と言う事はコーイは今まで慣れる程酒に付き合ってきたという事だ・・・ふと、セヴィは気付く、自分はコーイの事をほぼ何も知らないのだ。
おかみさんが宿に雇い入れる前は何をしていたのか、どこの生まれなのか、おかみさんとはどうやって知り合ったのか・・・。
知りたい、しかし、気安くは聞けない、何となく無遠慮に過去を詮索してはいけないような雰囲気がコーイにはあるのだ。
「・・・」
いつか、聞けたらいいと思う、自分から聞くのではなく、コーイの方から打ち明けてもらえたら・・・。
セヴィは紅茶を口に含んだ。



向かい合って座る二人に酒屋の奥から剣呑な眼差しが向けられている、視線の主はグラスを片手に持った中年男性だった、男はその目に暗い光を宿しながら二人を凝視していたが、やがて二人が席を立つのを見ると勘定をカウンターに投げ付け、二人の視界に入らないようにして後を付け始めた。
12/01/30 01:39更新 / 雑兵
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■作者メッセージ
例によって前中後編では収まらなかったのでサブタイ変えましたw

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