連載小説
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一虫
大きな都と小さな商業都市、その宿屋は二つの都市を結ぶ道の丁度中間にあった。
その道は商業都市から来る行商人などが頻繁に行き来する道なのだがまだ整地が行き届いておらず道は険しい、険しいといっても命掛けというほどではないが、辿り着くのに馬を使って三日ほどもかかるので入念な準備を必要とする。
そんな道なのでその宿屋は非常に重宝されていた。
しかしその宿の運営は楽ではない、二つの主要な都市のどちらからも離れているため物資の入手が困難であり、周囲に野生動物などの危険もある。
需要があるが経営は困難、そんな場所にその宿はあった。



宿の利用者は誰も知らない事だが、宿には地下室があった、元々は倉庫として使われるはずだったその部屋にはしかしベッド、クローゼット、机などの生活品が置かれている。
化粧台も置かれている所をみるとどうやら女性の部屋のようだ。
そして今、部屋の主はベッドの中にいる様子だった、毛布が丁度人ひとり分の大きさに膨らんでいる、頭まで毛布を被っているので体も顔も見えない。
もぞり
そのベッドの膨らみが微かに動いた、同時に寝ている人物の頭に当たるであろう膨らみの部分から二本の細い触角のようなものがちらちらっと覗き、周囲の様子を探るようにシーツの上を這いまわる。
「・・・」
ごそごそ・・・
しばし周囲を警戒するような動きを見せていた触角だが、やがて毛布に包まれていた本体の頭が持ち上がり、毛布がずり落ちてその正体が露わになった。
それは少女だった、しかしその少女が人間でないことは体の随所にある特徴を見ても明らかだった。
寝ぐせでぼさぼさに跳ね上がったブラウンの髪に混じって先ほど見えていた二本の触角がゆらゆら揺れており、腕の第二関節から先は不思議な光沢を放つ昆虫の外骨格に覆われている、足の部分も膝から下は腕と同じ構造になっているようだった。
ぺったりと女の子座りの体勢になった異形の少女はまだ目が覚めきらないのか、大きくつぶらな瞳を半分閉じたまま周囲をゆっくりと見回す、触覚も合わせてちらちらっと動く。
「ん・・・んー・・・」
しかし内なる闘争に屈したのかその瞳はゆっくりと落ちてくる瞼に隠れ、座り込んだ姿勢のままゆっくりと上体が傾いていく。
ごちんっ
「うぅー!?」
結果、ベッドの縁の仕切りに頭をぶつける。
「う・・・ううぅぅぅ・・・」
虫の手で頭を抱え、背中にもある外殻をぷるぷる震わせる少女、しかしやがて頭を振って顔を上げるとぴしゃぴしゃと両手で頬を張った。
「んー・・・ん!」
一声気合い(?)を入れると少女はかしゃ、とベッドから降りると部屋にもう一つある扉を開けた、そこには簡易ながらシャワーのような設備が整っており、石鹸やタオルなども揃っている。
「ふふん・・・♪ふふふん・・・♪」
虫の少女は蛇口を捻って水を出すととても小さな声で歌い始めた、シャワー室の壁に描かれている火のルーンがぼう、と明るくなり、水の温度を上げ始める、この宿で人気のこのシステムがこのような地下室で使用されている事も無論、利用客は知らない。
「ヒのヒ・・・ツキのヒ・・・アメのヒも・・・ワタシのヒトミにウツるのは・・・アナタだけ・・・♪」
手で水の温度を確認しながら、水音にも掻き消されそうな小さな声で虫の少女はこっそりと歌う。
やがて適温になると少女はぎゅっと目を閉じてしかめっ面になるとお湯を浴びた。
「ううう〜〜〜〜〜っ」
全身にお湯がかかると少女は急いでシャワーを止める、水を浴びるのは苦手なようだ。
そうして少女は石鹸とタオルを使って全身を丹念に洗い始める、外殻をつやつやに磨き上げ、艶めかしいラインを描く女の体の部分も綺麗にする。
くまなく洗い終えるとまたぎゅっと目を閉じてシャワーを浴び、泡を落とす。
浴室から出ると少女は化粧台の前に座り、水で大人しくなった髪に櫛を通し始める。
その大きな瞳を覆い隠すようにボリュームのある前髪を垂らし、邪魔になりそうな後ろ髪をバンドで纏める。
髪のセットを終えるとクローゼットを開いて服を取り出し、身に付ける。
実用性を重視したメイド服のようなそれは肌の露出を・・・とりわけ昆虫部分を見せないような構造になっており、虫の手にもその形状に合わせた手袋を付ける。
「こーら!セヴィ!寝ぼすけしてるんじゃないよ!」
鏡を見て身なりをチェックしている所で上から女性の声が掛った。
「は・・・はぁーい・・・」
本人的には精いっぱいの声量で返事をしているのだが、相手の耳には届きそうにない声だ。
それを自分でもわかっているのか、セヴィと呼ばれた虫の少女はあわてて階段を登り、閉じ蓋を開く。
「ほーら五分の遅れだよ!きりきり動いた動いた!」
階段を登りきったところで快活そうで恰幅のいい中年女性が声を掛ける、その女性こそこの宿の困難な運営をたった一人で担う「おかみさん」ことリンベラ・フロンスである。
そしてそのおかみさんの元に住み込みで働く唯一の従業員がセヴィなのだ。
「は・・・はい・・・」
たどたどしく返事をすると、セヴィは急いで台所に駆け込む。
外はまだ日も昇りきらず、しんと冷えた青い空気に満ちている時間帯だが、宿泊客達の目覚めに合わせた朝食や入浴の準備はこの位の時間帯から始めねばならない。
セヴィはサラダのための野菜を丁寧に水洗いしてから食べやすいサイズに包丁で切り分け、取り分け用の大きなボウルに盛っていく。
次に沢山の卵を大きい器に器用に割り入れ、微塵切りにした香草を加えて掻き混ぜていく、スクランブルエッグの仕込みだ。
舌足らずな口調や鈍そうな外観によらず、それらの動作は淀み無くてきぱきとしている。
「セヴィ!こっちの手が離せないんだ、薪を取っておくれ!」
「はぁ・・・いー・・・」
朝食の仕込みをあらかた済ませてから急いで共同浴場の方に飛んでいく。
毎度の事ながら朝は忙しい、しかしセヴィはこの時間が嫌いではないのだった。



この宿に来る以前の事をセヴィはあまり覚えていない、確か多くの姉妹達と何処かの廃墟で暮らしていたような記憶がうっすらとある。
思い返してみるとそうしていた頃は今ほど自我というものがはっきりしておらず、ただ本能のままに生きていたような気がする。
全てが変わる切っ掛けになった出来事は焦げ臭い匂いと共に記憶に残っている、住んでいた廃墟が何らかの原因で火事になったのだ。
姉妹達は散り散りになって逃げ出し、セヴィは群れからはぐれて一人ぼっちで森を彷徨っていた、山に食材を取りに来ていたおかみさんと出会ったのはそんな時だった。
「うまいのかい?それ」
デビルバグであるセヴィは基本的に何でも食べられる、その時は比較的柔らかい木の皮を齧っていた。
おかみさんの問いにセヴィは「ベツに」と答えた、味なんてものを気にした事は無かった。
おかみさんは苦笑を浮かべると。
「そんなものよりもっとうまいものを食べさせてやるよ」
と言った、「うまいもの」が何なのかはわからなかったがとりあえず腹の足しになるものが貰えるならば、とついていった。
思えばその時に出された野菜シチューが自分の全てを変えてしまったのだ。
セヴィは「うまいもの」に魅了され、もっと欲しいとおかみさんにせがんだ。
「働かざる者食うべからず、だよ」
そう言っておかみさんはセヴィを迎え入れたのだった、セヴィ、という名前もその時おかみさんに付けてもらったものだ。
おかみさんはセヴィに色々な事を教え、学ばせた、何かと本能に流されがちなセヴィを時には厳しい物言いで戒めた。
セヴィは叱られることは嫌いだったが何故だかここから逃げ出そうとは考えなかった、今思えばそれはおかみさんが叱るのは自分に対する愛情があるからこそだと無意識に理解していたからかもしれない。
そうしていくうち、セヴィは働いて暮らしていくための最低限の常識やマナーを学び、宿の貴重な働き手となったのだ。
・・・ちなみにおかみさんからは少ないながら給与も貰っているのだが、いまいち使い方のわからないセヴィはひたすら貯金しているという状況である。



働く事は好きなセヴィだが、接客は苦手だった、と言うよりも出来なかった。
朝の仕事が一段落し、遅めの朝食をとった後部屋の掃除に向かっていた時の事だ。
部屋の掃除等は人の出払っている時間帯を選んで行うので滅多に人とすれ違う事は無い、しかしその日はたまたま遅く起きた宿泊客がいたのだ。
「・・・!」
廊下を曲がって人がいるのが目に入った瞬間、セヴィは思わず飛び退いて角に隠れた。
「ん?・・・誰だ?」
訝しんだ宿泊客はその曲がり角にまで歩いて行く。
しかし角の先を確認しても人影は見えない、何処かに隠れる暇はなかった筈だし、隠れられるような場所も無い、ドアを開けた音も聞こえなかった。
「・・・気のせいか」
首を傾げて去って行った宿泊客だが、もしその時に上を見上げたならば相当に驚いただろう。
何しろメイド服を着た少女がぴったりと天井に張り付いているのだ、見た目ちょっとしたホラーである。
セヴィは客がいなくなったのを確認するとかさり、かさりと壁を伝って地面に降り立ち、ほう、と息をついた。



セヴィは人に会うのが苦手だった、生まれつきではない、とある経験が元になっている。
それはいくつかの不運が重なった出来事だった、一つはその日は暑い日だったのでセヴィがいつもよりも軽装だったこと、宿泊客が部屋に忘れ物をした事、その宿泊客が魔物に対して良い印象を抱いていない客だった事だ。
「・・・お前は・・・?」
ベッドメイキングをしていたセヴィが振り返ると身なりのいい中年男性がいた、とりあえずセヴィはたどたどしく言った。
「お、おワスれモノ・・・です、か?」
しかし客はセヴィの言葉は耳に入らない様子でセヴィのむき出しになった虫の手を凝視し、その顔色をみるみる変えていった。
きょとん、とするセヴィに背を向けると客は荷物の中から護身用の警棒を取り出し、いきなりセヴィを打ち据えようとしてきたのだ。
セヴィは訳もわからないまま部屋の中を追いかけ回されて逃げ惑い、最終的に天井の隅にぴったり張り付いて大騒ぎになった。
「何事だい!?」
騒ぎを聞きつけたおかみさんがドアを開けるとセヴィは急いで彼女の後ろに隠れてぶるぶる震えた。
「お客さん、この子が何か不躾な真似でもしたのかい?」
後ろ手にセヴィを庇いながらおかみさんは言った、そのおかみさんに客は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「不躾も何もあるか!!そいつは虫ではないか!その不潔な虫の手で私の部屋を触っていたのだ!!」
「この子はちゃんと身なりに気を使っているし、手だって綺麗に洗っているよ」
おかみさんは言うが客の怒気は鎮まらない。
「手を洗っていようがいまいがそいつは虫だ!汚らしい虫だ!そんな虫を従業員に使っているとはこの宿は一体どうなっているんだ!」
それを聞いた時、おかみさんは大きな溜息を一つついて言った。
「・・・出て行っとくれ、うちにはあんたのような人に貸す部屋は無いよ」
「何だと!?私は音に聞こえた名家の・・・!」
「あんたがどこのどなた様だろうと関係ないね!出て行きな!」
セヴィもおかみさんに怒られたことはある、しかしその時のおかみさんの怒り方は自分に対するものとは全く違う怒り方だった。
その声は後ろにいるセヴィが竦み上がってしまう程強く、激しかった。
その気勢に気押されたのか、その中年の客は「二度と来るものか!」と捨て台詞を吐いて宿を去って行ったのだった。
おかみさんはその後、セヴィには何も落ち度はないのだから気にしないでいいと言ってくれた、しかしこの出来事からセヴィは学んだのだ、自分は人間に好かれる生き物ではないのだと・・・。
自分が嫌われるのは構わない、種族的な問題を別にしても容姿も性格も好かれる要素なんて無いと自分でも思っている。
しかしそれが原因でこの宿の客足に影響が出るのはとても嫌だとセヴィは思った、それ以来極力人目を避けるようにしてきたのだが、それが高じて人の目が苦手になってしまったのだった。



どうにか客をやり過ごしたセヴィは部屋の掃除にかかる、今日空き部屋になった部屋を丁寧に掃除し、整えていく。
「・・・あっ・・・」
掃除を始めて三つ目の部屋だった、ドアを開けた瞬間セヴィは思わず手を止める。
一見するとベッドの乱れが少し激しいだけなのだが、匂いで分かる・・・。
そういえばこの部屋に泊まった客は魔物とその夫らしきカップルだった、昨晩はいわゆる「お楽しみ」だったようだ。
この宿は別にそういう事が禁じられている訳ではない、むしろ新魔物寄りのこの地域では魔物とそのパートナーで旅をするケースは多く、ここを訪れる客にも多い、そうしたカップルが宿に宿泊したならばする事は一つだろう。
「・・・」
セヴィは少しだけ赤面しながら部屋を掃除する。
セヴィだって魔物だ、そういった欲望は当然の如くあるし、興味もある。
しかし興味はあっても半ば対人恐怖症のようになってしまっている現状では相手を見つける気にはなれなかった。
それ以前に今は仕事が忙しくてパートナー探しに割ける時間も無く、また、仕事が楽しいのでそんな必要も感じなかった。
そういったある意味魔物らしくない生活にセヴィは馴染んでいた。
しかし、そういった現状にもまた転機が訪れるのだった、ある意味ではおかみさんとの出会いと同じくらいに大きな転機が・・・。



その日は冷える日だった、暖炉に火を入れなければ家の中でも息が白くなるような日だった。
セヴィは台所で洗い物をしていた、人間の手ならば冷水でかじかむ所だがセヴィの外殻のある虫の手は人の手よりも冷たさに強い、セヴィはあまり自分の手は好きではないのだが、こういう時は便利だと思うのだった。
「セヴィ」
「はい・・・っ!?」
おかみさんが台所に入ってきてセヴィに声をかけた、セヴィは振り返ってぎょっとする。
おかみさんの背後に見知らぬ青年が立っていたからだ。
「新しく雇った従業員さ、仕事仲間にいちいちビクついてちゃ仕事になんないよ、早く慣れな?」
おかみさんは苦笑を浮かべながら言った。
「・・・は・・・はい・・・」
言われてセヴィは恐る恐る青年の方を伺う。
簡素な布の服を纏ったその青年は長身だった、平均的な成人男性の身長より頭一つ分ほど大きく、台所の天井が低く感じる、肩幅も広く、全体にがっしりとした体付きをしているが手足が長く均整のとれた体型をしているので筋骨隆々という印象は受けない。
どことなく色素の薄い耳にかかる程度の金髪、くすんだ色の青い瞳。
全体に彩度の低い色合いの印象だった。
くすんだ色の青年はその顔にどうという感情も浮かべず、視線は右下に逸らされている。
と、唐突におかみさんがその青年の後頭部をスパーン!とはたいた、青年よりもむしろセヴィがびっくりする。
「・・・ってぇ」
「ぼさーっとしてんじゃないよほら、仕事仲間に自己紹介しな!」
「・・・コー・・・」
「人の背後でぼそぼそで言うんじゃないよ前に出な!あと、話す時は人の目を見て話すんだよ!」
そう言っておかみさんは青年の背を押してセヴィの目の前に突きだした。
近くで向かい合うと小柄なセヴィからは見上げるような角度になる。
青年はあらぬ方向に向けていた視線をようやくセヴィに向けた、セヴィのブラウンの瞳と青年のくすんだ青い瞳が交わる。
「・・・コーイ・スクラフィン、です・・・」
いかにも敬語を使い慣れていない口調でぼそりと言った。
何故だかコーイの瞳にじっと見入っていたセヴィは慌てて答える。
「あ・・・あ!あ、あ、む、ま、む、せ、せぶっせびっ・・・セヴィ・・・です」
これ以上ないくらいに噛みまくりながらどうにかこうにか名前を言う・・・一瞬自分の名前が頭から飛んでしまっていたのだ。
「・・・よろしく」
相変わらずむっつりとした無表情のままでコーイは手を差し出した。
「・・・?」
一瞬、その手の意味を理解できずに思わずおかみさんの方を見る。
「・・・握手だよ、握手」
おかみさんは笑いながら答える。
「え、あ、え・・・で、でも」
(自分の手は・・・)
そう思うが、コーイは変わらずに手を差し出したままでじっとこちらを待っている。
・・・そう言えばコーイは自分の姿を見ても何も変わったリアクションをしなかった。
「・・・は・・・は、はい・・・よろ、しく」
恐る恐るといった感じで外殻に覆われた虫の手を差し出すと、コーイはしっかりとセヴィの手を掴んだ。
大きな手だった、おかみさんも手は大きいが女性にしては大きい方というくらいだ。
コーイの手はセヴィの手がすっぽりと収まってしまう程に大きかった。
「・・・」
セヴィは自分の触覚が落ち付きなくちらちらと動き回り、顔に急激に血が集まるのを感じた、これは何なんだろう。
「さ、自己紹介は終わったろ?早速仕事にかかってもらうよ!覚える事は山程あるんだからね!」
「・・・はい」
普通よりちょっと長めの握手を終えると二人は台所を出て行った。
「・・・」
セヴィはコーイと握手を交わした手をじっと見た、奇妙な光沢を放つ節のある虫の手、この手に自ら触れた人間はおかみさん以外ではコーイが初めてだ。
しばらくそうしてぼんやりとしていたが、洗い物が終わっていない事に気付いて慌てて仕事に戻った。
15/04/09 23:38更新 / 雑兵
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■作者メッセージ
・・・いいじゃない、新年一発目がGだって。

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