黒猫遊戯
その日その日を気ままに生きる猫は過去に想いを馳せる事は滅多に無い、クロも同様にそうだ。
それでも思い出さない日が無い訳でもない、クロは思い出していた、あの正体のわからない恩人が去った後のベッドの上で。
記憶の一番底を掬い取って思い浮かぶのは兄弟達と押し合いへしあいしながら母猫の乳に必死にしゃぶりつく自分の姿だ。
兄弟が何人いたかは覚えていない、自分の後にも何回か生まれて増えたり死んで減ったりした。
自分がその兄弟達と違うと最初に感じたのは兄弟達が発情期を迎えた時だ、皆が繁殖相手を探してにゃあにゃあと鳴きはじめても自分は一向にそんな気が起きず、いつまでたっても平常通りだった、自分は少し他の猫と違うようだ、とはその時から薄々感じていた。
その感覚が正しい事を証明したのは自分の寿命だった、兄弟も顔見知りも徐々に老い、姿を消していく中で自分の体はいつまでも衰えることなく、若いままだった。
どのくらい生きた頃からか、人間の言葉が理解できるようになり始めた。
元々猫はある程度人間とコミュニケーションを取れるだけの知能はある、しかしそれはせいぜい簡単な情報や相手の機嫌がどうだとかを察知できる程度だ、自分は本当に人間の発する言語が理解できた。そんな中で出会ったのが泣き虫な人間、ヨウジだった。
らしく無い事にその人間の事が無性に気に掛った自分がその後構ってやったり構われてやったりするうち、彼の元に居る事が不思議と居心地良く感じるようになった。
そして、あの事件が起きた。
魂だけになった自分を救ったのはあの奇妙な女だった、一体どうやったんだかは知らないが、気がつくとこの身体で目覚めたのだ。
彼女が言う事には誰に対しても出来る事では無く、長い年月を生き、魔物の素養を備えた自分の魂だからこそ出来たのだと言う。
とりあえず礼を言うと同時に目的を聞いた、何の見返りもなくこんな事をするとは思えなかったからだ、しかし彼女からの返答は曖昧な物だった。
「それが私のお仕事だから♪」
と言う事らしい、何の事やらわからないがこれ幸いとヨウジの元に舞い戻ったのだ。
そして今、クロは思うのだ、生まれてからずっと来なかった発情期が今、来たのだと。
それも兄弟達のとは違う、雄なら誰でもいい訳ではない、優秀な雄だったらいい訳でもない。
ヨウジだ、ヨウジが欲しい、ヨウジでしかこの疼きは鎮められない、ヨウジ以外は何もいらない、ヨウジしかいらない、ヨウジが欲しい、ヨウジが、ヨウジが、ヨウジ、ヨウジ、ヨウジ。
クロは体を胎児のように丸めたり何度も寝がえりをうったりしながら何とか眠気が訪れるのを待ったが、無理だった。
やがて、視線はベッドに隣接している壁に釘付けになりはじめる、部屋の間取りからするとこのすぐ隣にヨウジが寝ているはずだ。
クロはよっぽど部屋に忍び込んでやろうかと思ったがそれも出来なかった、今の居心地のいい関係を壊すのが怖かったからだ。
「ヨウ・・・ジ・・・」
どうする事も出来ず壁を穴が開くほど凝視する。
「んなぁー・・・」
カリ・・・カリ・・・
無意識に鳴き声を上げながら壁に爪を立て始める。
「なぁぉー・・・・」
カリカリ・・・カリ・・・
この向こう、この向こうにヨウジが居る、ヨウジが寝ている、ヨウジが。
「なぁ〜〜〜・・・・ん・・・なぁぉ・・・・」
カリカリカリ・・・
「なぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜ん・・・よぉぉ・・・じぃ・・・ぁおぉぉぉ〜〜〜んん・・・」
カリカリカリカリ
クロが必死に声の音量を抑えていたため、その声は隣の部屋に届くことは無かった。
しかし、その乞うような焦がれるような切なげな鳴き声と壁を引っかき続ける音は一晩中部屋の中に響き続けた。
ハドーケン！ソニッブーム！ハドーケン！ソニッブーム！ハドーケン！ソニッブーム！
「飛ばそうとしてんだろ？飛ばそうとしてんだろ？飛ばねえから！絶対ぇ飛ばねぇから！」
「・・・」
ハドーケン！
「飛ばねぇっ・・・っからぁぁぁぁ〜〜〜〜！」
「格好の的」
ウォォォ〜〜〜〜〜！！
「ちょっ――――――」
チリトトモニメッセヨォォ〜〜！！ウァーーーーーー
「ア゛ッ――――――」
洋二、八連敗である。
「ぐぐぐぐ・・・おかしいって・・・俺のゲーム歴が何年だと・・・」
「センス」
「このやろおー！？」
休日の昼下がり、二人は居間のテレビの前でゲームに興じていた。
ネット対戦もいいが折角同居人がいるのだからで二人で遊ぼうと思い、クロにゲームを教えた結果がこれである。
「それにしたって上達早すぎだろ・・・」
「見てたから」
そう言えば猫の頃、洋二がゲームをしているとよく隣にちょんと座ってゲーム画面を見つめていた、まさか内容を理解していたとは・・・。
洋二がもう一回だ！と息巻くのをよそにクロは対戦モードを抜け、ネットで対戦相手を探し始める。
「おれよりつよいやつにあいにいく」
「ちょっ俺がお前より弱いと決まった訳では・・・！はん！調子に乗んなよ！広大なネットの世界にはお前なんか問題にしない奴らがごろごろと・・・」
「始まるから黙ってて」
結局、その後洋二の熱烈な応援（相手への）にも関わらずクロは破竹の十二連勝を遂げた。やがて疲れた、と言ってゲーム機の電源を落とすとソファーにぽてっと横になった。
「ちくしょー納得いかねー」
「・・・じゃあ、別の方法で勝負する？」
ぶつぶついいながらゲーム機を片付ける洋二の背中を見つめていたクロがぼそっと言った。
「別の方法？」
「鬼ごっこ」
「・・・なに？」
「知らない？タッチされた人が」
「いやいや鬼ごっこは知ってる、知ってるけど何故急に」
「体動かしたい」
「・・・やだよ、お前運動神経無茶苦茶いいじゃねぇか、俺が捕まえられる訳ないじゃん」
「逃げ場がこの家の中だけでも？」
「・・・」
いくら広いとはいえ一軒家の中なら狭い場所や行き止まりだらけだ、それなら流石に自分にも勝ち目があるかもしれない。
「・・・いや、いいや、しんどいし」
そう言って洋二はクロの寝ているソファーの隣のもう一つのソファーにクロと同じように寝転がった。
それを見たクロは起き上がり、洋二の寝ているソファーの縁に顎を乗せる。
「運動不足で死ぬよ？」
「死なん」
「むう」
クロは一声唸って頭を引っ込めた、やれやれと寝返りを打つ洋二だったが、どうも何かが頭上をちらついているような気がして目を開けた。
・・・二本のふさふさとした黒い尻尾が仰向けに寝そべる洋二の目の前をゆらゆらと揺れている、思わず動きを目で追う洋二。
そのうちその毛並みに触れてみたくなり、手を伸ばすが尻尾はそれを予測していたようにひょいと避ける、追って掴もうとするがひらりひらりと避ける。
二本あるのだからどちらかに触れられそうなものなのだが二本は互いを囮にしてうまいこと洋二の手から逃れる。
「・・・人間じゃらし」
ぼそっと頭上から聞こえた台詞にむっとくる、人間が猫にじゃらされるとは・・・。
おもむろにうつ伏せになって興味を失ったように装う、尻尾はまだ頭上をひらひらと動き回っている。
と、そこで唐突にがばっと上半身を跳ね起こし、両手で尻尾の根元から捕まえようとする、しかしそれさえ予測したようにクロはひょいと体ごと退いて避けてしまう。
ソファーの上で身を起こした洋二をクロはちょっと離れた場所であの眠たげな目でじっと見ている。
やがてクロはふっと勝ち誇ったような微笑を浮かべ、くるっと尻を向けて二本の尻尾をふりふりと揺らして見せる。
「・・・上等だこんにゃろー！」
ソファーから飛び上がってクロに踊り掛る、クロはひらっと避ける、二人の奇妙な鬼ごっこが始まった。
どうやら最初に言ったルールを厳守しているらしく、クロは家の外に出ようとはせずあくまで家の中を逃げ回った、洋二はどうにかして捕まえようとするが、クロは実に巧みに洋二を撒く。
フェイントを織り交ぜてすれすれですれ違ったり、急に反転して振り切ったり、時には飛び上がって頭上を飛び越えるなんて芸当までしてみせた。
しかもどうやらわざとすれすれで避けているらしく、洋二は何度も惜しい思いをした。
ぎりぎりで尻尾を掴んでもさらっと手触りのいい毛並みの感触を残して手の中から逃げてしまう、鼻先が触れ合いそうなほど接近した所を抱き締めて捕まえようとしても、ふわっと微かに甘い匂いを残して腕の中をすり抜けてしまう、時にはぴたっと自分の背中に密着して一瞬温もりを伝えた後で素早く離れたりする。
そうして、言葉でも挑発する。
「鬼さんこちら」
「こっちこっち」
「おっと」
「ここだよ」
「ほら、こっち」
洋二は一体自分は何をしているんだ、と思いながらも追いかけるのをやめられない、後ちょっとだ、もうちょっとで捕まえられそうなのだ、もう少しで・・・
そして、ついにクロの肩を掴む事に成功する、しかしそれでも捕まえきる事は出来ずスルッと逃げられる、しかし逃げた拍子に黒いワンピースがずり落ちてしまい、クロの雪のように色白な肩が露わになる。
ドクンッ
その白い肌を見た瞬間、運動で活発になっていた洋二の心臓が一際激しく脈打った。
（あ、まずい）
クロはふふっと笑うと服を直し、またこちらに向けて尻尾と腰をふりふりと振って見せる。
「おいでおいで」
（まずい、まずいぞこれは）
何かを追いかける、追い詰める、という行為は雄の本能に根差した行為だ、ましてや追いかける相手が可愛い牝となれば否応なくテンションも上がる、実を言うとだいぶ前から股間が突っぱらかってちょっと走るのに邪魔になっている。
・・・こんな状態でクロを捕まえてしまったら・・・。
追いかけながらも洋二の理性は危機感を感じる、だが追いかけるのはやめられない。
（あっ馬鹿そっちは・・・）
クロが逃げ出した方向を見て洋二は焦る、その先には物置代わりになっている部屋がある、前の家から引っ越した時に運び込まれたものの、使うこともなく荷解きもされていない段ボールが積み上げられている部屋だ。
今まで逃げ込んだ部屋は入口が複数あったり、適度な広さと障害物がある部屋だったため逃げる事ができた、しかしその部屋は所狭しと荷物があるので逃げ回るスペースがない、入口を押さえてしまえば完全に詰みだ。
クロが飛び込んで行った部屋のドアを開けるとむっと籠った空気と微かなカビ臭さが鼻を突いた、高い位置にある小窓は閉め切られており、その窓から昼下がりの日差しが薄暗い室内に伸びている。
部屋の奥を見てみると予想通りクロが逃げ場を失ってきょろきょろと周囲を見回していた。
「追い詰めたぞぉ・・・」
洋二は息を荒げながら後ろ手にドアを閉めてゆっくりと歩を進める、クロはこちらを振り返るとうーっと唸って後ずさり、壁にぴったり背中をくっつけて近付いて来る洋二を見ている。
（おい、何とかしろよ、本当だったら何とでも出来るだろうが）
実はクロは運動神経がいいだけではなく、その華奢な外観からは想像もつかないくらい力持ちであることを付き合いから洋二は知っている。
つまりその気になれば洋二のような男を一人二人張り倒す事など容易いはずなのだ、だのにクロはまるで無力な獲物のように振る舞う。
（畜生、馬鹿、今の俺に捕まったら大変な事になるのがわかんねぇのか？）
焦る理性とは裏腹に散々に雄の本能を煽り立てられた洋二は止まらない、荒い息を吐きながら両手を広げて退路を塞ぎながら徐々にクロとの距離を詰めていく、クロは目を潤ませてふるふる震えながら身を縮める、その怯えたような仕草がまた、洋二の欲望に油を注ぐ。
（頼む、何か言ってくれ、きもい、とか、何発情してんの？とか、そうしたら俺も何言ってんだって言っていつもみたいな冗談で済ませられるから・・・）
洋二は心の中で懇願する、洋二がクロを追い詰めているように見える構図だが、実は追い詰められているのは洋二の理性だった。
クロは何も言わない、ただ、怯えを含んだ目で近付いて来る洋二を見上げている、だが、目に浮かんでいるのは怯えだけではなかった。
その目の中に浮かぶ微かな喜悦と媚を見てとった瞬間、洋二の理性は弾け飛んだ。
広げていた両手でがしっとクロを腕の中に捕える、クロははううっと息をつく。
「手こずらせやがって」
「みゃぁ・・・」
クロはいやいやするように洋二の腕の中で抵抗する・・・振りをする。
殴ろうとも引っ掻こうともせず、ただ洋二の胸に手を当てて弱々しい力で押し返そうとするばかりだ、本当なら容易く逃れられるはずなのに。
二本の尻尾は体に比べて更に素直だった、もう放さない、と言わんばかりに洋二の腰や足にしゅるしゅると巻き付いて来るのだ。
そんな素直でないクロと素直な尻尾の反応に洋二は獣欲と愛おしさで頭が破裂しそうになる。
腕の中の儚い抵抗と温もりと甘い匂いを楽しみつつふと見下ろしてみるとクロの真っ白な首筋が目に飛び込んだ。
（・・・うまそうだな）
獲物を追いたてる心境だった為か、洋二は獣じみた行動に出る。
「・・・あぐっ」
その首筋に噛み付いたのだ、無論、甘噛みで。
ちょっとした戯れだったが反応は予想以上だった。
「みぃぃぃーーーーーーーーーーーーー♪♪♪」
腕の中の獲物は今まで聞いた事もないような大きな悲鳴を、いや、嬌声を上げた。
それでも思い出さない日が無い訳でもない、クロは思い出していた、あの正体のわからない恩人が去った後のベッドの上で。
記憶の一番底を掬い取って思い浮かぶのは兄弟達と押し合いへしあいしながら母猫の乳に必死にしゃぶりつく自分の姿だ。
兄弟が何人いたかは覚えていない、自分の後にも何回か生まれて増えたり死んで減ったりした。
自分がその兄弟達と違うと最初に感じたのは兄弟達が発情期を迎えた時だ、皆が繁殖相手を探してにゃあにゃあと鳴きはじめても自分は一向にそんな気が起きず、いつまでたっても平常通りだった、自分は少し他の猫と違うようだ、とはその時から薄々感じていた。
その感覚が正しい事を証明したのは自分の寿命だった、兄弟も顔見知りも徐々に老い、姿を消していく中で自分の体はいつまでも衰えることなく、若いままだった。
どのくらい生きた頃からか、人間の言葉が理解できるようになり始めた。
元々猫はある程度人間とコミュニケーションを取れるだけの知能はある、しかしそれはせいぜい簡単な情報や相手の機嫌がどうだとかを察知できる程度だ、自分は本当に人間の発する言語が理解できた。そんな中で出会ったのが泣き虫な人間、ヨウジだった。
らしく無い事にその人間の事が無性に気に掛った自分がその後構ってやったり構われてやったりするうち、彼の元に居る事が不思議と居心地良く感じるようになった。
そして、あの事件が起きた。
魂だけになった自分を救ったのはあの奇妙な女だった、一体どうやったんだかは知らないが、気がつくとこの身体で目覚めたのだ。
彼女が言う事には誰に対しても出来る事では無く、長い年月を生き、魔物の素養を備えた自分の魂だからこそ出来たのだと言う。
とりあえず礼を言うと同時に目的を聞いた、何の見返りもなくこんな事をするとは思えなかったからだ、しかし彼女からの返答は曖昧な物だった。
「それが私のお仕事だから♪」
と言う事らしい、何の事やらわからないがこれ幸いとヨウジの元に舞い戻ったのだ。
そして今、クロは思うのだ、生まれてからずっと来なかった発情期が今、来たのだと。
それも兄弟達のとは違う、雄なら誰でもいい訳ではない、優秀な雄だったらいい訳でもない。
ヨウジだ、ヨウジが欲しい、ヨウジでしかこの疼きは鎮められない、ヨウジ以外は何もいらない、ヨウジしかいらない、ヨウジが欲しい、ヨウジが、ヨウジが、ヨウジ、ヨウジ、ヨウジ。
クロは体を胎児のように丸めたり何度も寝がえりをうったりしながら何とか眠気が訪れるのを待ったが、無理だった。
やがて、視線はベッドに隣接している壁に釘付けになりはじめる、部屋の間取りからするとこのすぐ隣にヨウジが寝ているはずだ。
クロはよっぽど部屋に忍び込んでやろうかと思ったがそれも出来なかった、今の居心地のいい関係を壊すのが怖かったからだ。
「ヨウ・・・ジ・・・」
どうする事も出来ず壁を穴が開くほど凝視する。
「んなぁー・・・」
カリ・・・カリ・・・
無意識に鳴き声を上げながら壁に爪を立て始める。
「なぁぉー・・・・」
カリカリ・・・カリ・・・
この向こう、この向こうにヨウジが居る、ヨウジが寝ている、ヨウジが。
「なぁ〜〜〜・・・・ん・・・なぁぉ・・・・」
カリカリカリ・・・
「なぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜ん・・・よぉぉ・・・じぃ・・・ぁおぉぉぉ〜〜〜んん・・・」
カリカリカリカリ
クロが必死に声の音量を抑えていたため、その声は隣の部屋に届くことは無かった。
しかし、その乞うような焦がれるような切なげな鳴き声と壁を引っかき続ける音は一晩中部屋の中に響き続けた。
ハドーケン！ソニッブーム！ハドーケン！ソニッブーム！ハドーケン！ソニッブーム！
「飛ばそうとしてんだろ？飛ばそうとしてんだろ？飛ばねえから！絶対ぇ飛ばねぇから！」
「・・・」
ハドーケン！
「飛ばねぇっ・・・っからぁぁぁぁ〜〜〜〜！」
「格好の的」
ウォォォ〜〜〜〜〜！！
「ちょっ――――――」
チリトトモニメッセヨォォ〜〜！！ウァーーーーーー
「ア゛ッ――――――」
洋二、八連敗である。
「ぐぐぐぐ・・・おかしいって・・・俺のゲーム歴が何年だと・・・」
「センス」
「このやろおー！？」
休日の昼下がり、二人は居間のテレビの前でゲームに興じていた。
ネット対戦もいいが折角同居人がいるのだからで二人で遊ぼうと思い、クロにゲームを教えた結果がこれである。
「それにしたって上達早すぎだろ・・・」
「見てたから」
そう言えば猫の頃、洋二がゲームをしているとよく隣にちょんと座ってゲーム画面を見つめていた、まさか内容を理解していたとは・・・。
洋二がもう一回だ！と息巻くのをよそにクロは対戦モードを抜け、ネットで対戦相手を探し始める。
「おれよりつよいやつにあいにいく」
「ちょっ俺がお前より弱いと決まった訳では・・・！はん！調子に乗んなよ！広大なネットの世界にはお前なんか問題にしない奴らがごろごろと・・・」
「始まるから黙ってて」
結局、その後洋二の熱烈な応援（相手への）にも関わらずクロは破竹の十二連勝を遂げた。やがて疲れた、と言ってゲーム機の電源を落とすとソファーにぽてっと横になった。
「ちくしょー納得いかねー」
「・・・じゃあ、別の方法で勝負する？」
ぶつぶついいながらゲーム機を片付ける洋二の背中を見つめていたクロがぼそっと言った。
「別の方法？」
「鬼ごっこ」
「・・・なに？」
「知らない？タッチされた人が」
「いやいや鬼ごっこは知ってる、知ってるけど何故急に」
「体動かしたい」
「・・・やだよ、お前運動神経無茶苦茶いいじゃねぇか、俺が捕まえられる訳ないじゃん」
「逃げ場がこの家の中だけでも？」
「・・・」
いくら広いとはいえ一軒家の中なら狭い場所や行き止まりだらけだ、それなら流石に自分にも勝ち目があるかもしれない。
「・・・いや、いいや、しんどいし」
そう言って洋二はクロの寝ているソファーの隣のもう一つのソファーにクロと同じように寝転がった。
それを見たクロは起き上がり、洋二の寝ているソファーの縁に顎を乗せる。
「運動不足で死ぬよ？」
「死なん」
「むう」
クロは一声唸って頭を引っ込めた、やれやれと寝返りを打つ洋二だったが、どうも何かが頭上をちらついているような気がして目を開けた。
・・・二本のふさふさとした黒い尻尾が仰向けに寝そべる洋二の目の前をゆらゆらと揺れている、思わず動きを目で追う洋二。
そのうちその毛並みに触れてみたくなり、手を伸ばすが尻尾はそれを予測していたようにひょいと避ける、追って掴もうとするがひらりひらりと避ける。
二本あるのだからどちらかに触れられそうなものなのだが二本は互いを囮にしてうまいこと洋二の手から逃れる。
「・・・人間じゃらし」
ぼそっと頭上から聞こえた台詞にむっとくる、人間が猫にじゃらされるとは・・・。
おもむろにうつ伏せになって興味を失ったように装う、尻尾はまだ頭上をひらひらと動き回っている。
と、そこで唐突にがばっと上半身を跳ね起こし、両手で尻尾の根元から捕まえようとする、しかしそれさえ予測したようにクロはひょいと体ごと退いて避けてしまう。
ソファーの上で身を起こした洋二をクロはちょっと離れた場所であの眠たげな目でじっと見ている。
やがてクロはふっと勝ち誇ったような微笑を浮かべ、くるっと尻を向けて二本の尻尾をふりふりと揺らして見せる。
「・・・上等だこんにゃろー！」
ソファーから飛び上がってクロに踊り掛る、クロはひらっと避ける、二人の奇妙な鬼ごっこが始まった。
どうやら最初に言ったルールを厳守しているらしく、クロは家の外に出ようとはせずあくまで家の中を逃げ回った、洋二はどうにかして捕まえようとするが、クロは実に巧みに洋二を撒く。
フェイントを織り交ぜてすれすれですれ違ったり、急に反転して振り切ったり、時には飛び上がって頭上を飛び越えるなんて芸当までしてみせた。
しかもどうやらわざとすれすれで避けているらしく、洋二は何度も惜しい思いをした。
ぎりぎりで尻尾を掴んでもさらっと手触りのいい毛並みの感触を残して手の中から逃げてしまう、鼻先が触れ合いそうなほど接近した所を抱き締めて捕まえようとしても、ふわっと微かに甘い匂いを残して腕の中をすり抜けてしまう、時にはぴたっと自分の背中に密着して一瞬温もりを伝えた後で素早く離れたりする。
そうして、言葉でも挑発する。
「鬼さんこちら」
「こっちこっち」
「おっと」
「ここだよ」
「ほら、こっち」
洋二は一体自分は何をしているんだ、と思いながらも追いかけるのをやめられない、後ちょっとだ、もうちょっとで捕まえられそうなのだ、もう少しで・・・
そして、ついにクロの肩を掴む事に成功する、しかしそれでも捕まえきる事は出来ずスルッと逃げられる、しかし逃げた拍子に黒いワンピースがずり落ちてしまい、クロの雪のように色白な肩が露わになる。
ドクンッ
その白い肌を見た瞬間、運動で活発になっていた洋二の心臓が一際激しく脈打った。
（あ、まずい）
クロはふふっと笑うと服を直し、またこちらに向けて尻尾と腰をふりふりと振って見せる。
「おいでおいで」
（まずい、まずいぞこれは）
何かを追いかける、追い詰める、という行為は雄の本能に根差した行為だ、ましてや追いかける相手が可愛い牝となれば否応なくテンションも上がる、実を言うとだいぶ前から股間が突っぱらかってちょっと走るのに邪魔になっている。
・・・こんな状態でクロを捕まえてしまったら・・・。
追いかけながらも洋二の理性は危機感を感じる、だが追いかけるのはやめられない。
（あっ馬鹿そっちは・・・）
クロが逃げ出した方向を見て洋二は焦る、その先には物置代わりになっている部屋がある、前の家から引っ越した時に運び込まれたものの、使うこともなく荷解きもされていない段ボールが積み上げられている部屋だ。
今まで逃げ込んだ部屋は入口が複数あったり、適度な広さと障害物がある部屋だったため逃げる事ができた、しかしその部屋は所狭しと荷物があるので逃げ回るスペースがない、入口を押さえてしまえば完全に詰みだ。
クロが飛び込んで行った部屋のドアを開けるとむっと籠った空気と微かなカビ臭さが鼻を突いた、高い位置にある小窓は閉め切られており、その窓から昼下がりの日差しが薄暗い室内に伸びている。
部屋の奥を見てみると予想通りクロが逃げ場を失ってきょろきょろと周囲を見回していた。
「追い詰めたぞぉ・・・」
洋二は息を荒げながら後ろ手にドアを閉めてゆっくりと歩を進める、クロはこちらを振り返るとうーっと唸って後ずさり、壁にぴったり背中をくっつけて近付いて来る洋二を見ている。
（おい、何とかしろよ、本当だったら何とでも出来るだろうが）
実はクロは運動神経がいいだけではなく、その華奢な外観からは想像もつかないくらい力持ちであることを付き合いから洋二は知っている。
つまりその気になれば洋二のような男を一人二人張り倒す事など容易いはずなのだ、だのにクロはまるで無力な獲物のように振る舞う。
（畜生、馬鹿、今の俺に捕まったら大変な事になるのがわかんねぇのか？）
焦る理性とは裏腹に散々に雄の本能を煽り立てられた洋二は止まらない、荒い息を吐きながら両手を広げて退路を塞ぎながら徐々にクロとの距離を詰めていく、クロは目を潤ませてふるふる震えながら身を縮める、その怯えたような仕草がまた、洋二の欲望に油を注ぐ。
（頼む、何か言ってくれ、きもい、とか、何発情してんの？とか、そうしたら俺も何言ってんだって言っていつもみたいな冗談で済ませられるから・・・）
洋二は心の中で懇願する、洋二がクロを追い詰めているように見える構図だが、実は追い詰められているのは洋二の理性だった。
クロは何も言わない、ただ、怯えを含んだ目で近付いて来る洋二を見上げている、だが、目に浮かんでいるのは怯えだけではなかった。
その目の中に浮かぶ微かな喜悦と媚を見てとった瞬間、洋二の理性は弾け飛んだ。
広げていた両手でがしっとクロを腕の中に捕える、クロははううっと息をつく。
「手こずらせやがって」
「みゃぁ・・・」
クロはいやいやするように洋二の腕の中で抵抗する・・・振りをする。
殴ろうとも引っ掻こうともせず、ただ洋二の胸に手を当てて弱々しい力で押し返そうとするばかりだ、本当なら容易く逃れられるはずなのに。
二本の尻尾は体に比べて更に素直だった、もう放さない、と言わんばかりに洋二の腰や足にしゅるしゅると巻き付いて来るのだ。
そんな素直でないクロと素直な尻尾の反応に洋二は獣欲と愛おしさで頭が破裂しそうになる。
腕の中の儚い抵抗と温もりと甘い匂いを楽しみつつふと見下ろしてみるとクロの真っ白な首筋が目に飛び込んだ。
（・・・うまそうだな）
獲物を追いたてる心境だった為か、洋二は獣じみた行動に出る。
「・・・あぐっ」
その首筋に噛み付いたのだ、無論、甘噛みで。
ちょっとした戯れだったが反応は予想以上だった。
「みぃぃぃーーーーーーーーーーーーー♪♪♪」
腕の中の獲物は今まで聞いた事もないような大きな悲鳴を、いや、嬌声を上げた。
11/08/31 00:28更新 / 雑兵
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