連載小説
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番外編.2 雌雄一対の剣
カッという乾いた音を立てて木剣が弾き飛ばされた。
ジュリアンの木剣の切っ先がイリーナの喉元に突き付けられている。
「これで5対0」

訓練の為に砂が敷かれた中庭で、三日に一度の頻度で二人は手合わせを続けている。
ジュリアンは未だに虜囚の身である為に、二人はジュリアンが収監されている施設の中庭を使っていた。
「まだまだ私の方が強いかな」
木剣で自分の肩を軽く叩きながら軽口を叩く。
別にジュリアンは嫌味で言っている訳ではない。
この手合わせをする様になってから、随分と人間が柔らかくなっていた。

「・・・今度来る時は、一本とって見せます」
「ああ、楽しみにしている」
苦虫を噛み潰した様な顔のイリーナに答えながら、傍らに来た官吏に両手を差し出す。
既に形だけになったとはいえ、虜囚の身であるジュリアンの手に鎖が掛けられると、彼は中庭から去っていった。
「はぁ・・・更に強くなってるじゃないですか・・・」
イリーナは思わず大きな溜め息を付いてしまった。
約束通りに修行に付き合ってもらっているのだが、始めて以来イリーナが勝てた事は一度も無い。
決してイリーナが弱くなった訳では無い。
ジュリアンが強くなっていたのである。
以前のジュリアンは基本に忠実であるが故の、堅牢な防御が特長であった。
しかし、今のジュリアンの剣は正反対と言える。
イリーナの変幻自在な剣技を、ごく自然に受け流してしまう。
自分で何かをしようというのではなく、まるでイリーナの剣に付き合う様に先回りしていた。
人柄が変わる事で、こうも剣まで変わる物かと、イリーナは今更ながらに剣の奥深さを噛み締めていた。


「で、あんたの所の弟子はどうなのよ?」
ピーニャが盃を傾けながら、隣に座るサラマンダーに問い掛ける。
「んー、今のまんまじゃ何時まで経っても告白なんか無理じゃない?」
淡い黄色の衣に包まれた川魚の天ぷらを口に運びながら、サラマンダーは弟子をバッサリと切って捨てた。
彼女、シャーリィ・ブロンクスは大闘技大会で優勝した事もある猛者であり、ピーニャの幼馴染みである。
二人は行き付けのジパング料理の店で杯を傾けていた。

「いま教えられる事は全部身に付いてるんだから、あとは本人が気付くまで待つしか無いわよ」
口の中のほろ苦さへ香りを被せる様に酒を流し込む。
「素直に魅了効果を付与した武器でも使えば話が早いのに」
「本人が『それじゃ意味が無いんです!』って言ってんだから仕方ないでしょ」
イリーナはジュリアンに勝ったら告白すると決めていたのだが、それには正々堂々と勝たなければならないとも決めていた。
魔力に頼って恋愛関係になったのでは意味が無い、という事であるらしい。
「面倒くさい話だ」という言葉を喉奥へ流し込む様に、二人とも杯を干す。

シャーリィがピーニャの空いた盃に酒を注ぐ。
「まー、そろそろいい感じに煮詰まって来てる頃だし、気付いてくれるとも思うけど、なにせあれは堅物だからねえ・・・」
シャーリィが小さく溜め息をつく。
突き放している様だが、シャーリィはイリーナを信用していた。
ほとんど弟子を取らない彼女が弟子に迎えたというだけでも、イリーナの才能は確かな物なのである。
「なら、黙って見守ってますか」
ピーニャもシャーリィの盃へ酒を注ぐ。
「そ。周りは見守るだけよ」
二人はイリーナの成長を信じる様に、杯を目の高さに捧げた。


師匠の予想通り、イリーナは煮詰まっていた。
自分の自在な剣が、まるでジュリアンに届く気がしない。
今すぐにでも告白したいのに、どうやっても出来ない。
その思いが頭を巡り、内に秘めている魔物娘の本能が疼く。
イリーナはそれを抑え込む様に、自室で正座しながら瞑想を続けていた。
魔物娘なら有り得ない行動ではあるが、彼女はごく自然にそうしている。
もちろん、彼女が魔物娘には珍しい生真面目な性格であるのが、一番の原因ではある。
しかし、それだけではない。
放てない情欲を内に溜め込む事が、解き放たれた時を限りなく甘美にする事を、無意識に理解していたのである。
秘部からトロリとした物が滴り落ちそうになる感覚を、抑え込もうとするが上手くいかない。
止める様に指で秘部を抑えれば、指先には湿った感触が伝わる。
そのまま指を動かしたくなる衝動を抑える為に、もう片方の手で秘部に這わせた手を抑える。
落ち着けようとすればするほど、頭の中はジュリアンの事が渦巻く。
コップへ静かに溜まり続けた水が溢れ出した様に、その思いは絶え間無く涌き出し続けていた。


三日後、同じ中庭で再び二人は対峙していた。
ジュリアンの木剣がイリーナの木剣を容易く押さえ込む。
「4対0」
少し気に入らない様にジュリアンがそう告げる。
イリーナは前回よりも更に精彩を欠いていた。
正確に言えば、精彩を欠くと言うよりも、雑であった。
場当たりな攻撃に終始して、本来の鋭さも変幻さも失われている。

「あらら、もう追い込まれてる」
「さっきから全然ダメだもの。あれは八つ当たりしてる様なもんね」
施設の二階では、二人の試合をシャーリィとピーニャが観戦していた。
シャーリィがガッカリした顔でイリーナの様を見ている。
そろそろイリーナが一皮むけてくれると期待していたのだが、その期待は裏切られっぱなしといった所であった。
「さてさて、我が弟子は持ち直してくれるかしら?」
シャーリィは腕組みをして、自分の愛弟子の様子を見守っていた。

イリーナは自身の不甲斐なさに歯噛みしていた。
こんな不様な剣を振るいに来た訳ではない。
負ける度にそう思い、いざ剣を振るえば、また望みが遠のくと竦み上がる。
その心情は、まるで下手な吹き手が吹く笛の様に、極端な高低を繰り返していた。
確かにこれが最後の機会ではない。
しかし、これからも同じ様に負け続けるのでは、最後と何が違うのか。

今までを捨てよう。

イリーナはそう思った。
今まで積み重ねてきた物の果てが今なのだ。
ならば、積み重ねてきた物を捨ててみよう。
考えて剣を振るうのではなく、ジュリアンの様に心の有り様で剣を振るってみよう。

ジュリアンはイリーナの雰囲気がガラリと変わった事に気が付いた。
これまでとは全く違った、やる気の無さそうな下段の構えである。
どこに打ち込んでも木剣がその身に届きそうに見える。
しかし、イリーナは勝負を諦める様な剣士では無い。
ならば、今までとは全く異なる剣を振るうに違いない。
これは厄介な事になったと、ジュリアンは本能的に察した。

その時、イリーナが無造作に歩を進めた。
何の素振りもなく急に間合いを詰めると、まるで殺気の無い剣が放たれる。
ジュリアンは思わずその木剣を受け止めた。
そのままいつも通りに受け流そうとしたが、イリーナの木剣がスルリと動いてそれを阻む。
イリーナはくるりと小手を返すとジュリアンの木剣を絡め取り、引き込む様に木剣を引いた。
咄嗟にジュリアンもそれに抗して剣を引くが、絡め取られた剣はびくともしない。
ジュリアンはその時初めて、自分の木剣が直に掴まれているのかと錯覚するほどガッチリと、イリーナの木剣に捕らえられていた事を知った。
決して軽くはないジュリアンの身体が、自分の剣に引きずられる様にイリーナ側へと引っ張られ、完全に逸らされた木剣の切先は砂へと突き刺さる。
イリーナが木剣を必要としたのはそこまでだった。
木剣から手を離して自由になった両手は、イリーナの胸の中へ飛び込む格好になったジュリアンの頭を抱き締めていた。

「・・・なに、今のは?」
一部始終を見ていたピーニャにも、何が起こったか理解出来ない。
イリーナの構えが変わって打ち込んだかと思うと、木剣を受け流そうとしたジュリアンがイリーナの胸の中へ飛び込んでいた。
魔法でも使ったのかと思うほど滑らかに、不自然な結末がもたらされている。
「あれが剣業一致。ようやくひと皮剥けたわね」
シャーリィが満足そうに頷いていた。
「本能が振るう技は、考えて振るう技よりも遥かに速く精密に動いてくれる。あれが予測不能かつ最速の剣よ」
不惑の境地の先にある剣禅一致ではなく、己が内に秘める業の先にある剣「業」一致こそ魔物娘には相応しい。
「魔界騎士の連中はあれくらい簡単にやるから、まだまだ鍛練が必要だけどね」
そう言いつつも、やはりシャーリィは嬉しそうであった。


「・・・・・・」
「・・・・・・」
場外のそんなやり取りを他所に、当の本人達はすっかり固まってしまっていた。
思いもかけずイリーナの胸に飛び込んだ形になったジュリアンもさる事ながら、無意識のままに引き込んだイリーナもまた、どうしていいか分からないのである。

鍛えている戦士らしい張りのある胸の感触は、ジュリアンにとっても心地よい物であったが、その心地よさがかえって罪悪感を掻き立てる。
さりとて、この体勢では何をしても裏目に出そうな気がする上に、そもそもイリーナの両手によって頭をガッチリと抱き締められているのでは、ジュリアンとしてはいかんともし難かった。
イリーナもまた、ジュリアンの頭を抱えながら、どうしようかと思案しあぐねていた。
当人は普通に勝負に勝って爽やかに告白するつもりだったのに、一足どころか二足は飛ばしてジュリアンの顔を胸へ埋めさせている。
いかに内に秘めた欲望はそれを求めていたとしても、それを目の前に突き付けられた恰好のイリーナとしては、困惑するしかなかった。

本人達は相当な時間に感じていたが、実際の時間としてはどれ程経っていたのだろうか。
ようやくイリーナが口を開いた。
「自分が貴方に相応しい剣の持ち主になれたら告白しようって、ずっと思ってました・・・」
イリーナがか細い声を振り絞るまで、しばらくの時間が必要だった。
「好きです・・・」
ジュリアンはその告白を、黙って聞いていた。
なぜなら、この体勢のままでは、ジュリアンも返事のしようが無い事にイリーナが気付くまで、更にしばらくの時間が必要だったからである。


ドラゴニアを騒がせた事件で、敵味方に別れて剣を交わした二人が付き合うというニュースは、ドラゴニアを再び騒がせた。
もっとも、リザードマンが敬意を払う敵と付き合うという事は、ここドラゴニアでは常識の範疇にある事柄である。
住人達はこぞって二人を祝福したのだが、こういう事に馴れない当のイリーナには、どうにもいたたまれない話であり、満足に街も歩けないという状況に陥っていた。

「・・・それで、ほとぼりが冷めるまで、しばらくここに居ても良いか?という事なのか・・・」
ジュリアンは同情しながらイリーナの話を聞いていた。
イリーナの性格を考えれば、さもあらんといったところである。
施設の責任者からは既に「ジュリアン本人がよければ好きにしていい」との返事をもらっていた。
「押し掛けて一緒に住もうなんて女は、貴方は破廉恥だと思うかもしれないけど・・・」
生真面目なジュリアンの気持ちを考えると、イリーナは心が痛むのだが、仕方ない事だと自分に言い聞かせていた。
それが自分が望んでいる事の口実に過ぎないと、自分でも薄々感じていたからこそ、尚更に言い聞かせていたのかもしれない。
「まあ、いいさ。早いか遅いかくらいの違いしか無い話だ」
ジュリアンはあっさりと提案を受け入れた。
「いささか殺風景な新居になるけどいいかい?」
「・・・ありがとう!」
今度はイリーナがジュリアンの胸に飛び込んだ。
どんな形であれ、好きな男と一緒に居られる事を喜ばない魔物娘は居ないのだ。
新居がどこであろうと関係あろうか。

しかし、偶然というのは実に皮肉なものである。

その数刻後に、そんな二人のやり取りを知るよしも無いデオノーラから、ジュリアンへの恩赦と二人へ郊外の屋敷が下賜される事が発表されたのだ。
結局、話を聞き付けて二人を祝福する為に施設の周りに集まってきた住人達のただ中へ、二人は放り出されたのであった。
この日の竜騎士団の日誌には、簡潔にこう書かれている。
「寝床横丁『酔鯨呑竜』にて終夜大騒ぎ止まず。祝い事であるため黙認する」

後に『雌雄一対の剣』と称された夫婦の門出は、こうして当人らの慎ましさとは正反対の騒がしさで彩られたのであった。


18/07/07 22:03更新 / ドグスター
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■作者メッセージ
番外編の二つ目、イリーナとジュリアンのその後です。
デオノーラが下賜した屋敷には、剣の練習場が併設されてるんじゃないかと思われます。

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