連載小説
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番外編.3 グライド・ブライド
人は苦痛に馴れる生き物である。
同居人であるファララの少女趣味で染められた部屋は、バノッティの様なそれなりの歳を重ねた男にとって実に酷な環境ではあったが、その部屋にバノッティはようやく馴れてきていた。

実のところ、ファララの少女趣味さえ除けば、この牢獄は悪い環境ではない。
食事は全くの上げ膳据え膳であり、その内容は粗末どころかドラゴニアの産物をふんだんに使った料理で、バノッティの基準でも美味だった。
牢の外にこそ出られないものの、きちんと沸かした湯で行水する事も許されている。
もっとも、行水の度にファララに押し倒され、就寝となればピッタリと添い寝され、事あれば肉棒をしごかれ、くわえられ、ファララの中に挿れられるのだが。

バノッティはこの環境には馴れたが、あまりにも他の刺激が無い事には馴れていなかった。
刺激を求めて裏家業をやっていた訳ではないが、捕まって以来ほぼ同じ毎日である。
鈍らせない様に牢の中でも身体を動かし続けていたが、精神が弛緩しそうになるのが、バノッティには耐えられなかった。
確実にバノッティもドラゴニアの魔力に囚われつつあったのだが、染み付いたスパイの感性はそれを拒み続けていたのである。

ある朝、バノッティが目覚めると、常に傍らに居るはずのファララの姿が無かった。
「・・・何を企んでるんだ?」
諦めた、とは考えなかった。
諦める様な竜であれば、こんな事にはなっていない。
しかし、ファララが策を弄する様な性格の持ち主では無い事も、これまでの生活で身に染みて分かってはいる。
それだけにバノッティは困惑していた。
思わず自分の口から出た「企み」という言葉にすら違和感を感じる。
その時、牢の扉が開けられた。

「起きたかね」
入ってきたのは、この牢の管理をしている竜騎士の男だった。
「ファララが君に見せたい物があると言って上で待っている。一緒に来てくれるかな?」
男は親指で上を指しながら、バノッティに牢から出るように促した。

バノッティにしてみれば千載一遇の脱獄のチャンスである。
しかし、バノッティはこの建物の構造を詳しく知らず、警備の状況も全く分からない。
そんな状況で脱獄という博打を打つのは、いかにも無謀な事に思えた。
「・・・分かった」
バノッティはとりあえず素直に従う事に決めた。

さすがに男も囚人を一人で扱う様な真似はせず、バノッティの後ろには二人の団員も付いていた。
男に連れられて階段を上っていくが、随分と長い階段である。
「君はこの国で竜騎士になるつもりは無いのかな?」
バノッティを案内しながら男が話しかける。
「裏家業の人間が就く様な仕事では無いだろう」
それがバノッティの正直な感想であった。
自分が表に出る事自体ふさわしくないと考える男である。
「そんな事は無いさ。盗賊、山師、法螺吹きに穀潰し、そんな元ろくでなしは竜騎士団に山ほど居る」
そんな事は大した問題ではないと言わんばかりに並べ立てた。
「第一、竜騎士に必要な素養は、それほど多くはないんだ」
階段を上り終えると、突き当たりの扉を開けながら、男はバノッティに語りかけた。
「さ、ファララが待ってる。君に竜騎士の素養がある事を願っているよ」


バノッティが扉の向こうに出ると、強めの風が頬を撫でた。
久しぶりに見た外の世界は平らな丘の上だった。
この施設は丘をくり抜いて造られていたのである。
丘と空しか無いその光景に、思わず息を飲む。
明らかに整地されているその場所が、竜の為の滑走路である事にバノッティが気付くには少々の時間を必要とした。
「来てくれた?」
そのファララの声に顔を向けると、そこには一匹の飛竜が居た。
かつての姿をした飛竜である。
その威圧感にバノッティは一瞬身構えたが、その飛竜の二本の角には冗談の様にピンクのリボンが結ばれている。
間違いなくファララのリボンであった。

「・・・ファララなのか?」
「もちろん。このリボンを見忘れちゃったー?」
飛竜が翼の爪で角のリボンを指差す。
「いや。・・・その姿を見せたかったのか?」
バノッティの言葉に飛竜は首を振った。
「ううん。見せたい物の為に、この姿になっただけー」
「?」
「だから、私の背中に乗って」
「・・・分かった」
バノッティの脳裏に再び逃亡の可能性が掠めたが、この場所で飛竜から逃れる術は皆無であるとすぐに悟る。
バノッティは大人しく飛竜の背に乗る事にした。

少女の姿をしたファララの背中は随分と見ていたが、飛竜の背中を見るのは初めてだった。
恐らく魔界の獣の革で作られている手綱をしっかりと掴み、座るのにちょうど良さそうな鱗の隙間を見つけて腰掛ける。
馬に乗った事は何度もあったが、竜に乗るのは当然ながら初めてだ。
「手綱を掴んでいれば絶対に落とさないから、しっかりと掴んでいて」
ファララの言葉に、これから自分がファララと共に空を飛ぶのだと知り、反射的に身体が強張る。
仕事柄、高い所は全く平気ではあったが、それと空を飛ぶ事は全く別の話だ。
「じゃあ行くよ」
そう一言言うとファララは滑走を始めた。
駆け足の震動と上下する視点。
そこまでは馬に乗った時とそう変わらない。
だが、ファララの翼が風を掴んだ瞬間、バノッティを包む世界の全ては変わった。


視点が空を向いた時から、バノッティは手綱を掴んでいる事だけに必死になってしまい、何が起こっているかなど考える余裕は無かった。
そんな上昇の後にファララは水平飛行へ移る。
そこで初めて落ち着きを取り戻したバノッティは、変わってしまった自分の周りの世界を、ようやく眺める事が出来た。

頬を切る風が速度を、翼の前から見える光景が高さを、バノッティに実感させる。
それを実感した途端に、世界から切り離された様な孤独を感じた。
眼下に広がる世界の誰とも違う場所に自分は居る。
今、自分は尋常ではない所に居るのだ。
大地がいかに安心できる物か、空を飛んでいる今なら分かる。
「母なる大地」とはよく言ったものだ。

孤独感に耐えかねて視線を前へと移せば、件のピンクのリボンが風にひらめいていた。
紛れもなくファララのリボンである。
あの牢獄の中で飽きるほど目にしていたリボンが、なぜか今は頼もしい。

そのピンクのリボンを見ている内に、ふと思い至る。
目の前には紛れもなくファララが居るのだ。
飛ぶ前に彼女が口にした様に、彼女は背中のバノッティを気遣いながら飛んでいるに違いない。
何が孤独なものか。
いま自分は、世界で誰よりも自分の事を気に掛けている者と一緒に居るのだ。
それに気付いた時、高さに竦んでいたバノッティの五感が、ようやく目を覚ました。

耳に聴こえるのは風を切る音。
その風はどこまでも冷たい。
景色はどこまでも遠く、果てが無いほど先まで見渡せる。
今ここにあるのは、墜落と隣り合わせであるが故に、何よりも実感させられる命。
そうして死に際立たされた命が感じる世界は、あまりにも鮮やかだった。
このあまりにも鮮やかな場所が、ファララが本来居る世界なのだと、バノッティは初めて理解した。


しばらく飛行した後、ファララは高い山の広い岩棚に着陸した。
ドラゴニアの街を眼下に一望できる光景は、素晴らしい物と言ってもいい。
背から下りて目を離した直後には、既にいつものファララの姿に戻っていた。
「これを見せたかったのか?」
「それもあるけどー・・・私と同じ世界を見て欲しかったの」
ファララもドラゴニアの街並を眺める。
「バノッティに何かプレゼントしようと思ったけどー、バノッティが喜んでくれる物って、私は何も持ってなかったのー」
バノッティとは住む世界も価値観も違い過ぎるファララにとって、それは仕方ない事であった。
「だからー、私が一番好きな時間を、一緒に過ごしてもらおうと思ったの」
その時間を好きになってくれれば、自分の事も好きになってくれるかもしれない。
見た目よりずっとナイーブで不器用な竜なのだ。

「・・・あんな世界は初めてだった」
バノッティも眼下のドラゴニアを眺めながら、ファララの背の上で過ごした時間を思い返す。
バノッティにとって、裏家業のくすんだ世界は心地よい場所だった。
善でもなく悪でもない、曖昧な色合いこそが人間の本質だと、バノッティは信じている。
だが、その人間の本質から切り離された空には、そんな煤けた色合いは存在しなかった。
そして、バノッティ自身が驚くほどに、その世界は心地よかった。
多くの者が知る事もない世界を生きてきたバノッティであっても、世界は知らない事の方が多かったのだ。
「・・・帰りは少し遠回りしてくれるか?」
「もちろんだよー」
バノッティの言葉の意味に、ファララは思わず笑顔で跳び跳ねる。
もっとも、その遠回りが少しでは済まず、バノッティは風邪を引く事になったのだが。


「志願してくれると思っていたよ」
部屋でバノッティを迎えたのは、牢の管理をしていた竜騎士だった。
「御指導の程をよろしくお願いします」
訓練用の槍を携えたバノッティが敬礼する。
先日、バノッティは竜騎士団への志願届を出し、正式に竜騎士の見習いとして認められ、指導室へと出頭したところであった。
結局のところ、ファララや竜騎士達の思惑通りであったが、そんな事は些細な話である。

「・・・もう一度会ったら聞こうと思っていたのですが、あなたの言っていた竜騎士に必要な資質とは何なのですか?」
バノッティに聞かれ、僅かな間を置いた後に竜騎士はその時を思い出した。
「ああ、大した事じゃないんだよ。私が思うに竜騎士になるのに必要な資質は二つだけなんだ」
竜騎士は指を二本立てて見せた。
「竜を愛する事、そして、竜の背に乗る事が大好きな事だよ」
竜を愛する事は言うまでもない。
ただし、竜騎士になるのならば、その背に在る事もまた、何よりも好きでなければ務まらない。
逆に言えば、この二つさえあれば、竜騎士となる為のあらゆる試練は乗り越えられる。
今まで幾人もの見習いを見てきた竜騎士の、確信と言ってもいい持論であった。
「もっとも、竜の背に乗って大好きにならなかった者は、私は見た事が無いがね」
君も分かるだろう?とばかりに、竜騎士はカッカッカと笑った。

その後、バノッティは順調に竜騎士となったのだが、冷静沈着なバノッティと気ままに空を飛ぶファララという凸凹コンビは、後にドラゴニア初のアクロバットチームを立ち上げる事となる。
竜の中でもファララ同様の変わり者達が集まり、彼女達はドラゴニアの空を華麗に舞い踊った。
ドラゴニアの空に新たな名物を加えた彼女達は、住民からも末長く愛される事となったのである。
18/07/15 00:14更新 / ドグスター
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■作者メッセージ
「飛ぶ喜びを味わった者は、地上を歩く時、空を見上げずにはいられないだろう。なぜなら、かつてそこに居た事があり、また戻りたいと望むからだ」
レオナルド・ダ・ヴィンチ

刺客四人組の最後の一人バノッティと、竜騎士団の変わり者ファララのお話です。
話のイメージソースは、上記のダ・ヴィンチの言葉から。
恐らく一度も空を飛んだ事は無いのだろうに、想像力だけでこれほど空を飛ぶ事の魅力を表した言葉を遺せるあたりが、ダ・ヴィンチの隔絶した万能天才たる由縁の一つなのでしょう。

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