見えなくても
「次の休み、遊園地に行こうぜ」
「え」
小さめのマンションの一室。リビングで、二人きりで炬燵に入った夜のひととき。
テレビに映る賑やかなテーマパークのCMを見ながら、”ゲイザー”である明依(めい)が言った。
「たしか……土日は予定、ないんだったよな?」
「ああ、うん、そうだけど」
一緒に炬燵に入っていた青年は、面を食らったような顔で明依の方を向いて返事をする。しかし彼女は背中から伸びる触手の目を何本か青年に向けるだけで、振り向くことはない。横顔しか見えないので表情も彼には窺えない。
その遊園地は最近また新しいアトラクションが出来たらしく、記念として様々な割引も行っていると宣伝していた。
「じゃあ、いいだろ」
件の遊園地は青年と彼女の住む家からさほど遠くはない。
自家用車もあるし駐車場も完備されているので、行くこと自体には問題がないだろう。
そう思いながらも「でも」と青年は聞き返す。
「急にどうしたの?前はそういうとこ好きじゃないって言ってたはずだけど……」
「べ、ベツにいいだろ、ばーかっ。どーせ好き嫌いなんて、コロコロ変わるんだからよ」
彼もそれ以上は問いたださず。
明依と呼ばれた少女風貌のゲイザーは、見ていた番組が終わると先に布団に潜り込んだ。
そして、時は休日になり。
「着いたよ、明依」
「あ、ああ」
遊園地の駐車場に車を泊めて外を眺めると、まだ午前の駐車場とはいえ、休日の人気テーマパークなので人(とおそらく魔物も)あちこちにいる。
髪を触ったり、そのぎざっとした歯で指をがじがじ噛んだり、そわそわと落ち着かない様子で明依は助手席の窓から外を眺めていた。
「大丈夫?」
「な、なに言ってんだよ。その、そういうんじゃねえよっ」
そう言われて明依は車の扉を勢いよく開ける。
同時に降りた青年は、いつもと違う彼女の様子にさらに気づいた。
「……あれ?」
いつも明依は少なからず人目があれば、大きなフードの付いたパーカーを目深に被り、自分の赤くて大きな一つ目を隠している。彼女も人化の魔法は使えるが、顔にある自分の一つ目だけはなぜかうまく誤魔化せないからだ。それは彼も知っていた。
だが、今はフードを外したまま外に出ている。
「な……なにぼーっとしてんだよ、早く行こうぜ」
「ああ、うん」
そう言って彼女は早足で遊園地の方に歩き出す。
しかし明らかに人の多い方向は避けたり、歩き方がどこかおぼつかなかったりで、それを後ろから見ている青年にも、彼女の動きが平静とは思えない。
慌てて追いかける彼の表情はどこか複雑なままだった。
「はぁー、……疲れた、全部回れてないのに、もうクタクタだ」
アトラクションをいくつも回って、遊園地にあるレストランで夕食を食べ、帰路に着く。
カーステレオが小さめの音量で鳴る車内で、明依は大きな瞼を閉じて助手席のシートにどっかりともたれていた。
「こういうとこ、一緒に行くの初めてだったからね」
「ああ……やっぱ慣れてないヤツには、キツイな」
そう、青年の目から見ても明依は、楽しんではいるようだった。
ジェットコースター、観覧車やコーヒーカップなどでは自然体な、意地悪さを備えつつも微笑ましい、いつもの彼女だったと思う。
だけどその節々にはどこか無理があって、虚勢を張っているようにしか見えない言動も確かにあった。
「ねえ、明依。どうして、遊園地に行こうと思ったの?」
「……ば、ばーか……そんなもん、ワケなんてねえよ。
そーいう、たまの思い付きってのも、あるだろ」
あからさまに動揺しつつも理由を話したがらない明依に、青年は一つ一つ思いつく不審点を挙げていく。
「いつもは家で遊んだり……外に行くとしても人の少ない場所、もしくは時間帯だった。
なのに急にテーマパークみたいな、どう考えたって人がたくさんいる所なのに、行こうって言ったよね」
「……」
「一番気になったのは……今日、ずっとパーカーを外してたことかな」
「ぐ……」
「それも自然に、って風じゃなかった。
俯いてることも多かったし、どのスタッフさんの方も見てなかった。子供がいる所では急に歩くのを早めたり、特に大きく顔を背けたり――」
「も……もう、いいだろっ!
何も見てねェようなカオして、じろじろヒトのこと観察してやがってっ……」
語勢の弱くなる明依の様子はやはりおかしい。
そう気づいた青年は、青信号が変わるその前に、彼女の方を見ながら問いかける。
「ちゃんと、話してほしい」
「う……」
「僕は君みたいに”暗示”は使えないし、察しもそんなに良くない。
言ってくれないと困るんだ」
「……てる……、分かってるよ……ばか」
車の走行音と音楽にかき消されそうなそれでも、青年は彼女の声を聞き逃さなかった。
「……ん」
「ふう、さっぱりした」
二人でゆっくりと湯船に浸かった後、身体と髪を乾かしてからベッドに転がる。
ベッドサイズはセミダブルだが、一緒に住むようになってからは二人で寝ているため、さすがに手狭だ。しかし、二人とも買い替えようという話題は出さない。
青年も明依もアトラクション巡りで身体は疲れていたが、まだ睡魔に負けるほどではなかった。
「明依の髪、だいぶ長くなってきたね」
横向きに寝転がった明依の背中に青年が寄り添う。あるいは、彼の胸元に明依が身体を寄せる。大体はこのパターンだった。
「ああ……切ったほうが、いいかな。前みたいに」
「そうだね。任せて、二回目だから梳くのも慣れてきたよ」
何度かその体勢を変えたり、変えなかったり。
家の外では出さない触手をくねらせたり、青年に這わせてみたり。
他愛もない会話を交わしたり。
いつしか明依が彼の胸に顔を埋め、ぎゅっと抱きついた後、彼女はぽつりとつぶやき始める。
「……アタシは、怖かったんだ」
「こわかった?」
「どうすればいいか、分からないんだ」
言葉の意図を掴めない青年は無理に聞き出す姿勢は見せず、髪や頭をそっと撫でながら、明依の言葉を待つ。
「わからない……ただの”魔物”だった頃とは、姿も、考え方も、変わっちまった。
どんな見てくれだって、アタシの力ががあれば関係ないって思ってたのに……いつの間にか、そうじゃなくなってた……」
人間であり、彼にとっての現代に住む青年には魔法が使えないし、彼女の情動も完全には理解できない。
ただ、明依から伸びる触手がふらふらと、落ち着きなく揺れ動いているのが見えた。
「優しくしてくれた、オマエの気持ちを……アタシは誤解してたんじゃないか、って。
疎まれて、嫌われてるアタシを、ただオマエは慰めたかっただけなんじゃないか、って。
憐れんで、同情してくれて。それをアタシが好意と勘違いしてた。
そんなふうに、思っちゃうんだよ」
「それは……」
「ああ、わかってるよ……それは『アタシには見えない』。心なんて、な。
たとえ暗示で相手の意識を動かせたって、心を見て読めるわけじゃない。
だからこんな勘繰りだって意味がないのも、わかってる、のにっ……!」
歯を噛み締める音。潤みを帯び始めた瞳。
それはただの言葉以上の深い苦悩なのだと、彼は察する。
「オマエの気づいてた通り、今日のアタシは無理してたよ。
いくら魔物娘という存在が知られ始めたからって、アタシら”ゲイザー”を見る物珍しそうな視線ってのは、そうそう変わらないさ。
そんな視線が気にならないぐらい、自分に自信が持てる。
そんなトコを見せられれば――オマエの気持ちも少しは変わって、同情以外の思いも、少しは分かるんじゃないかって……そう思ったんだ」
「……明依、」
言うべき言葉を考えながら、密着した彼女の身体を少し強引に離したあと、明依と目を合わせる。
「な、」
驚きで見開いた彼女の赤い目は、丸く、円らだった。
「僕はまだ、ちゃんと君に『好き』って言ってなかったかな」
「……え、」
「もしそうだとしたら、僕のせいになるから」
「そ、そんなこと、あるかよ。さんか……な、何回かは、言ってただろ」
「じゃあそれでも、僕の事は信じられない?」
「っ……」
大きな赤い瞳が、ごろごろと動いて他所を向いたり、ぱちぱちと瞼を閉じたり。
潤みが少し止んだとはいえ、明依が動揺しているのは彼の目から見ても明らかだった。
「しんじたい、けど……アタシが弱い、せいで……だめなんだ。
愛されなくなって、見てくれなくなる、そのもしかしたらが怖いのに……”暗示”を掛けて騙して、無理やりに繋ぎとめるのも、怖い。
オマエがくれるその想いを喪うのも、偽物にさせるのも……イヤなんだよ……」
触手の目も、顔の一つ目もぎゅっと瞑った明依の声は弱々しく、いつもの面影はどこにもない。
「それは、違う」
そんな彼女に青年は、いつになく真剣に、力強く答えて明依を見つめ直す。
「君を慰めたい、そんな傲慢な気持ちはあったかもしれない。
何かと奇異な視線で見られて、時には嫌悪までされる明依を、ぼく一人だけでもいいから可愛いと褒めたかった。むしろ、僕だけがそう思える立場でありたかった。
そんな邪な気持ちがあったのは否定しないし、できないと思う」
「……ああ」
「でもだからって、僕の想いが、君の想いが偽物になるなんて、誰が決めたんだ」
「! だ……だって……アタシの目は、暗示で相手の気持ちを……」
「騙すとか偽物になるとか、そこからが違うんだ」
少しだけ開いた明依の一つ目から視線を逸らさず、彼は言う。
「好きな相手を、もっと好きになれるのなら、偽物じゃない。
それは騙されるだなんて言わない」
僅かな沈黙。
互いの微かな息の音だけが聞こえる、静かな部屋の中。
色々な思いの詰まった明依の声が響く。
「そんなの……詭弁じゃないか。
そもそも最初から、暗示から始まってた好意だとしたら……オマエはどうするんだよ」
「君が無意識にそうした可能性も、ないとは言えない。
だけど、それを確かめられる誰かなんて、もうどこにもいないよ。
僕はもちろん、どれだけ君が目敏くても、『僕たちには見えない』。
だから、分からなくなった何かを確かめ直すよりも、今あるものを大事にしたい」
また少しだけ静粛が続いて、
「君が疑うたびに、僕は君に好きだって言う。
僕たちには見えなくても、そう信じて、信じられていたいから」
言葉が終わって数秒後に、勢いよく明依が彼の胸元へ顔を埋める。
「……そこまで、言って……アタシの事、見捨てたりしたら……ゆるさない、からな」
「うん」
「……どんな手だって、使うぞ。アタシにばっかり目が行くだけじゃない。
他のだーれも、オマエに寄り付かなくなるかもしれない。
アタシ以外の誰も、オマエに興味なんて持たなくなるかもしれない。
アタシたち”ゲイザー”は……それくらい、できるん、だぞ……っ」
字面とは裏腹に、明依の語調は吹けば飛ばされそうなほどに弱かった。
「好きも嫌いも、簡単に移り変わる……だから他の誰かに目移りしないって約束を、守れるかは分からない。
それでも今は、君を見ていたい。
こんな軽薄な気持ちを吹き飛ばすくらいに、僕の事を、もっと好きにさせてほしい。
君の目を見るのが、君に見られていると思えるのが、僕は大好きだから」
自分に抱きついた明依の身体が震えて、抱きしめる腕や手にぎゅうっと力が入っていくのが彼にも分かる。
「この……バカ、バカっ……ばかっ。
そんなこっ恥ずかしいコト、言われたら……すぐにだって、そうして、やりたいのに。
なのに……いまの、アタシのカオなんか、見せらんなくてっ……どうしようも、ない、だろっ……」
熱を帯びた明依の吐息が青年の胸を温める。
その心地を確かめながら、彼は明依の癖っ毛な黒髪ごと包むように、そっと頭を抱く。
言葉を紡ぐ余裕すら薄れた意識の中、彼女はうわ言のように言った。
「オマエの、こと……もっと、好きになりたい」
「うん」
ずっと行き場を彷徨っていた何本かの触手は、青年と明依を縛るかのようにぐるぐると巻き付く。
そして先端の赤い目を開いて、余すところなどないと言わんばかりに青年を見渡した。
「だからアタシは、自分の力を使うよ。他でもない、アタシたちの為に」
「そうして欲しい。それが、一番良いと思う。
想いは誰にも見えないけど、出来るかぎり、伝え合おう。
明依のその力は、言葉や動作よりもずっと強いって、僕に教えてほしい」
「……へへっ。手加減なんか、ぜーったい、してやんないからなっ――」
それから、好意を伝える言葉と、視線と、愛撫と、”ゲイザー”の力が混ざりあって。
互いの体力が果てるまで、見つめ合い、愛し合っていた。
「え」
小さめのマンションの一室。リビングで、二人きりで炬燵に入った夜のひととき。
テレビに映る賑やかなテーマパークのCMを見ながら、”ゲイザー”である明依(めい)が言った。
「たしか……土日は予定、ないんだったよな?」
「ああ、うん、そうだけど」
一緒に炬燵に入っていた青年は、面を食らったような顔で明依の方を向いて返事をする。しかし彼女は背中から伸びる触手の目を何本か青年に向けるだけで、振り向くことはない。横顔しか見えないので表情も彼には窺えない。
その遊園地は最近また新しいアトラクションが出来たらしく、記念として様々な割引も行っていると宣伝していた。
「じゃあ、いいだろ」
件の遊園地は青年と彼女の住む家からさほど遠くはない。
自家用車もあるし駐車場も完備されているので、行くこと自体には問題がないだろう。
そう思いながらも「でも」と青年は聞き返す。
「急にどうしたの?前はそういうとこ好きじゃないって言ってたはずだけど……」
「べ、ベツにいいだろ、ばーかっ。どーせ好き嫌いなんて、コロコロ変わるんだからよ」
彼もそれ以上は問いたださず。
明依と呼ばれた少女風貌のゲイザーは、見ていた番組が終わると先に布団に潜り込んだ。
そして、時は休日になり。
「着いたよ、明依」
「あ、ああ」
遊園地の駐車場に車を泊めて外を眺めると、まだ午前の駐車場とはいえ、休日の人気テーマパークなので人(とおそらく魔物も)あちこちにいる。
髪を触ったり、そのぎざっとした歯で指をがじがじ噛んだり、そわそわと落ち着かない様子で明依は助手席の窓から外を眺めていた。
「大丈夫?」
「な、なに言ってんだよ。その、そういうんじゃねえよっ」
そう言われて明依は車の扉を勢いよく開ける。
同時に降りた青年は、いつもと違う彼女の様子にさらに気づいた。
「……あれ?」
いつも明依は少なからず人目があれば、大きなフードの付いたパーカーを目深に被り、自分の赤くて大きな一つ目を隠している。彼女も人化の魔法は使えるが、顔にある自分の一つ目だけはなぜかうまく誤魔化せないからだ。それは彼も知っていた。
だが、今はフードを外したまま外に出ている。
「な……なにぼーっとしてんだよ、早く行こうぜ」
「ああ、うん」
そう言って彼女は早足で遊園地の方に歩き出す。
しかし明らかに人の多い方向は避けたり、歩き方がどこかおぼつかなかったりで、それを後ろから見ている青年にも、彼女の動きが平静とは思えない。
慌てて追いかける彼の表情はどこか複雑なままだった。
「はぁー、……疲れた、全部回れてないのに、もうクタクタだ」
アトラクションをいくつも回って、遊園地にあるレストランで夕食を食べ、帰路に着く。
カーステレオが小さめの音量で鳴る車内で、明依は大きな瞼を閉じて助手席のシートにどっかりともたれていた。
「こういうとこ、一緒に行くの初めてだったからね」
「ああ……やっぱ慣れてないヤツには、キツイな」
そう、青年の目から見ても明依は、楽しんではいるようだった。
ジェットコースター、観覧車やコーヒーカップなどでは自然体な、意地悪さを備えつつも微笑ましい、いつもの彼女だったと思う。
だけどその節々にはどこか無理があって、虚勢を張っているようにしか見えない言動も確かにあった。
「ねえ、明依。どうして、遊園地に行こうと思ったの?」
「……ば、ばーか……そんなもん、ワケなんてねえよ。
そーいう、たまの思い付きってのも、あるだろ」
あからさまに動揺しつつも理由を話したがらない明依に、青年は一つ一つ思いつく不審点を挙げていく。
「いつもは家で遊んだり……外に行くとしても人の少ない場所、もしくは時間帯だった。
なのに急にテーマパークみたいな、どう考えたって人がたくさんいる所なのに、行こうって言ったよね」
「……」
「一番気になったのは……今日、ずっとパーカーを外してたことかな」
「ぐ……」
「それも自然に、って風じゃなかった。
俯いてることも多かったし、どのスタッフさんの方も見てなかった。子供がいる所では急に歩くのを早めたり、特に大きく顔を背けたり――」
「も……もう、いいだろっ!
何も見てねェようなカオして、じろじろヒトのこと観察してやがってっ……」
語勢の弱くなる明依の様子はやはりおかしい。
そう気づいた青年は、青信号が変わるその前に、彼女の方を見ながら問いかける。
「ちゃんと、話してほしい」
「う……」
「僕は君みたいに”暗示”は使えないし、察しもそんなに良くない。
言ってくれないと困るんだ」
「……てる……、分かってるよ……ばか」
車の走行音と音楽にかき消されそうなそれでも、青年は彼女の声を聞き逃さなかった。
「……ん」
「ふう、さっぱりした」
二人でゆっくりと湯船に浸かった後、身体と髪を乾かしてからベッドに転がる。
ベッドサイズはセミダブルだが、一緒に住むようになってからは二人で寝ているため、さすがに手狭だ。しかし、二人とも買い替えようという話題は出さない。
青年も明依もアトラクション巡りで身体は疲れていたが、まだ睡魔に負けるほどではなかった。
「明依の髪、だいぶ長くなってきたね」
横向きに寝転がった明依の背中に青年が寄り添う。あるいは、彼の胸元に明依が身体を寄せる。大体はこのパターンだった。
「ああ……切ったほうが、いいかな。前みたいに」
「そうだね。任せて、二回目だから梳くのも慣れてきたよ」
何度かその体勢を変えたり、変えなかったり。
家の外では出さない触手をくねらせたり、青年に這わせてみたり。
他愛もない会話を交わしたり。
いつしか明依が彼の胸に顔を埋め、ぎゅっと抱きついた後、彼女はぽつりとつぶやき始める。
「……アタシは、怖かったんだ」
「こわかった?」
「どうすればいいか、分からないんだ」
言葉の意図を掴めない青年は無理に聞き出す姿勢は見せず、髪や頭をそっと撫でながら、明依の言葉を待つ。
「わからない……ただの”魔物”だった頃とは、姿も、考え方も、変わっちまった。
どんな見てくれだって、アタシの力ががあれば関係ないって思ってたのに……いつの間にか、そうじゃなくなってた……」
人間であり、彼にとっての現代に住む青年には魔法が使えないし、彼女の情動も完全には理解できない。
ただ、明依から伸びる触手がふらふらと、落ち着きなく揺れ動いているのが見えた。
「優しくしてくれた、オマエの気持ちを……アタシは誤解してたんじゃないか、って。
疎まれて、嫌われてるアタシを、ただオマエは慰めたかっただけなんじゃないか、って。
憐れんで、同情してくれて。それをアタシが好意と勘違いしてた。
そんなふうに、思っちゃうんだよ」
「それは……」
「ああ、わかってるよ……それは『アタシには見えない』。心なんて、な。
たとえ暗示で相手の意識を動かせたって、心を見て読めるわけじゃない。
だからこんな勘繰りだって意味がないのも、わかってる、のにっ……!」
歯を噛み締める音。潤みを帯び始めた瞳。
それはただの言葉以上の深い苦悩なのだと、彼は察する。
「オマエの気づいてた通り、今日のアタシは無理してたよ。
いくら魔物娘という存在が知られ始めたからって、アタシら”ゲイザー”を見る物珍しそうな視線ってのは、そうそう変わらないさ。
そんな視線が気にならないぐらい、自分に自信が持てる。
そんなトコを見せられれば――オマエの気持ちも少しは変わって、同情以外の思いも、少しは分かるんじゃないかって……そう思ったんだ」
「……明依、」
言うべき言葉を考えながら、密着した彼女の身体を少し強引に離したあと、明依と目を合わせる。
「な、」
驚きで見開いた彼女の赤い目は、丸く、円らだった。
「僕はまだ、ちゃんと君に『好き』って言ってなかったかな」
「……え、」
「もしそうだとしたら、僕のせいになるから」
「そ、そんなこと、あるかよ。さんか……な、何回かは、言ってただろ」
「じゃあそれでも、僕の事は信じられない?」
「っ……」
大きな赤い瞳が、ごろごろと動いて他所を向いたり、ぱちぱちと瞼を閉じたり。
潤みが少し止んだとはいえ、明依が動揺しているのは彼の目から見ても明らかだった。
「しんじたい、けど……アタシが弱い、せいで……だめなんだ。
愛されなくなって、見てくれなくなる、そのもしかしたらが怖いのに……”暗示”を掛けて騙して、無理やりに繋ぎとめるのも、怖い。
オマエがくれるその想いを喪うのも、偽物にさせるのも……イヤなんだよ……」
触手の目も、顔の一つ目もぎゅっと瞑った明依の声は弱々しく、いつもの面影はどこにもない。
「それは、違う」
そんな彼女に青年は、いつになく真剣に、力強く答えて明依を見つめ直す。
「君を慰めたい、そんな傲慢な気持ちはあったかもしれない。
何かと奇異な視線で見られて、時には嫌悪までされる明依を、ぼく一人だけでもいいから可愛いと褒めたかった。むしろ、僕だけがそう思える立場でありたかった。
そんな邪な気持ちがあったのは否定しないし、できないと思う」
「……ああ」
「でもだからって、僕の想いが、君の想いが偽物になるなんて、誰が決めたんだ」
「! だ……だって……アタシの目は、暗示で相手の気持ちを……」
「騙すとか偽物になるとか、そこからが違うんだ」
少しだけ開いた明依の一つ目から視線を逸らさず、彼は言う。
「好きな相手を、もっと好きになれるのなら、偽物じゃない。
それは騙されるだなんて言わない」
僅かな沈黙。
互いの微かな息の音だけが聞こえる、静かな部屋の中。
色々な思いの詰まった明依の声が響く。
「そんなの……詭弁じゃないか。
そもそも最初から、暗示から始まってた好意だとしたら……オマエはどうするんだよ」
「君が無意識にそうした可能性も、ないとは言えない。
だけど、それを確かめられる誰かなんて、もうどこにもいないよ。
僕はもちろん、どれだけ君が目敏くても、『僕たちには見えない』。
だから、分からなくなった何かを確かめ直すよりも、今あるものを大事にしたい」
また少しだけ静粛が続いて、
「君が疑うたびに、僕は君に好きだって言う。
僕たちには見えなくても、そう信じて、信じられていたいから」
言葉が終わって数秒後に、勢いよく明依が彼の胸元へ顔を埋める。
「……そこまで、言って……アタシの事、見捨てたりしたら……ゆるさない、からな」
「うん」
「……どんな手だって、使うぞ。アタシにばっかり目が行くだけじゃない。
他のだーれも、オマエに寄り付かなくなるかもしれない。
アタシ以外の誰も、オマエに興味なんて持たなくなるかもしれない。
アタシたち”ゲイザー”は……それくらい、できるん、だぞ……っ」
字面とは裏腹に、明依の語調は吹けば飛ばされそうなほどに弱かった。
「好きも嫌いも、簡単に移り変わる……だから他の誰かに目移りしないって約束を、守れるかは分からない。
それでも今は、君を見ていたい。
こんな軽薄な気持ちを吹き飛ばすくらいに、僕の事を、もっと好きにさせてほしい。
君の目を見るのが、君に見られていると思えるのが、僕は大好きだから」
自分に抱きついた明依の身体が震えて、抱きしめる腕や手にぎゅうっと力が入っていくのが彼にも分かる。
「この……バカ、バカっ……ばかっ。
そんなこっ恥ずかしいコト、言われたら……すぐにだって、そうして、やりたいのに。
なのに……いまの、アタシのカオなんか、見せらんなくてっ……どうしようも、ない、だろっ……」
熱を帯びた明依の吐息が青年の胸を温める。
その心地を確かめながら、彼は明依の癖っ毛な黒髪ごと包むように、そっと頭を抱く。
言葉を紡ぐ余裕すら薄れた意識の中、彼女はうわ言のように言った。
「オマエの、こと……もっと、好きになりたい」
「うん」
ずっと行き場を彷徨っていた何本かの触手は、青年と明依を縛るかのようにぐるぐると巻き付く。
そして先端の赤い目を開いて、余すところなどないと言わんばかりに青年を見渡した。
「だからアタシは、自分の力を使うよ。他でもない、アタシたちの為に」
「そうして欲しい。それが、一番良いと思う。
想いは誰にも見えないけど、出来るかぎり、伝え合おう。
明依のその力は、言葉や動作よりもずっと強いって、僕に教えてほしい」
「……へへっ。手加減なんか、ぜーったい、してやんないからなっ――」
それから、好意を伝える言葉と、視線と、愛撫と、”ゲイザー”の力が混ざりあって。
互いの体力が果てるまで、見つめ合い、愛し合っていた。
19/02/27 23:00更新 / しおやき