自分の名前を、まだ漢字で書けなかったぐらいの頃。 家中を探し回って”宝探し”をしていた時に、僕は両親から「勝手に入らないように」と言われていた、家の離れにある古い倉庫に忍び込んだことがあった。 倉庫の中は埃だらけで、電気を付けても暗くて、とても怖い場所だった事を覚えている。 そこで、僕はある人形を見つけた。 その人形はケースの中に入れられていて、棚の一番上の、脚立に登らないと見えない所に置かれていた。 銀色の長い髪と、宝石のような赤い瞳。お姫様のように豪華なドレス。 僕はそのとき一目で、彼女に惹かれてしまった。 学校にいるクラスの女の子たちよりも、テレビや本で見たどんな女性よりも、その人形が魅力的に見えた。 それから僕は、まるで本当の女の子と過ごすように、その人形と接していた。 暗くて怖い倉庫だったけど、僕は彼女に会うために、何度もその中へ入った。 こっそり倉庫に入ってはその人形に話しかけたり、自分で名前を付けてみたり、周りの掃除をしてみたり。 何か話すことが出来るたび、僕はあの高い脚立に登って、その一番上に座ってあの子と話をした。 当然いくら話しかけたって、返事は返ってこなかったのだけど。
ただ一度だけ、僕は彼女を頑丈なケースから出して、その体に触れたことがある。本物の女の子に触るように、ドキドキしながら。 綺麗に螺旋を描く髪が崩れないように、そっと髪を撫でたのを覚えている。 ふんわりとした白いドレスの柔らかさを、マシュマロのようなほっぺたの感触を、今でも僕は思い出せる。 本当はドレスを捲って、下着を脱がして、そこに隠された彼女の肢体を見てみたかった。 前に読んだエッチな本や、こっそり見てしまった女の子たちの身体と、ホントに一緒なんだろうか、って。 でも、いざ手をかけようとしたらどうにも気恥ずかしくなってしまって、僕は寸前で思いとどまり、彼女をまた元のケースに戻した。 ――かすかにだけどその時、囁くような声が聞こえた気がした。
僕はその日の夜、彼女の夢を見た。 夢の中では、僕がケースの中にいる人形で、あの人形が僕で遊ぶ女の子だった。 人形の僕は、動くことも喋ることも出来ず、微笑みを浮かべた彼女を見ていることしかできない。 でも、あの人形はまるで人間のように、僕に触れようとする。 いつの間にか僕を包むケースは開いていて、彼女は僕を抱きかかえていた。 僕は人形のはずなのに、あの子の顔が近づくにつれ、頬が熱くなる。心臓がどきどきする。 彼女が僕へ、唇を重ねようとした――その瞬間、夢は覚めてしまった。
事件はそれから、何日か経って起きた。 あの人形が出てきた夢を忘れられないまま、また僕は暗い倉庫の中に入ろうとしていた。 すると、いきなり唸り声のような地鳴りと共に地面が、世界が揺れ始めた。僕は恐怖で足がすくんで、震えていた。 逃げなきゃ。でも、あの子は? あの子を助けたい。その一心で、物が落ちてくるのも構わず、僕は必死で倉庫の中を進んだ。 見上げると、ちょうど人形のケースが傾いて、宙を舞うその瞬間が見えた。 ケースを受け止めようとしたけど間に合わず、人形は床に落ちていってしまった。 あの子が壊れてしまったかもしれない。 僕は不安を振り払うように、無我夢中で駆け寄ろうとした。 その時、棚が傾いて、大きな音を立てながら人形の方へ倒れてくるのが見えた。 僕はその人形を、その子を助けようとして手を伸ばして――
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「――人形を売る店?」
同僚である日野さんと僕は、偶然街中で出会った。それで立ち話もなんだからと、僕はたまに行く喫茶店へ日野さんを誘ってみた。 正直、女性を連れて行けるような所で、僕が憩にする店といえばこの『Mell』ぐらいだろう。 ここを気に入った理由はたくさんあるが、とりあえず内装が小奇麗だし、コーヒーの味も申し分ない。
「そ。店そのものはすんごい古くさいのに、その人形だけが綺麗にディスプレイされてて、ショーウインドに飾ってあるの。 で、立ち止まって人形を見てる人は、いつの間にか店の中に入っちゃうんだって」
仕事ではスーツで決めている日野さんも、今日はフリルの付いた茶色のブラウスに黒のスカートとラフな格好だ。 いつもは後ろで纏めたセミロングの黒髪も、今はふんわりと肩に流れている。 肩に下げたバッグにも、なにやらかわいらしい猫のプリントがされていた。 仕事場にいる時の雰囲気とはまた違っていて、僕には日野さんの格好がとても新鮮に見えた。 今日はどうしてたの? という世間話から始まって、ある怪しい店の噂話を日野さんは始めた。
「確かにこのあたりだと店の入れ替わりが激しい区域もあるらしいけど、大分無理があるよね。 けど、あり得ない話じゃないのもホントだし」
日野さんはつい最近僕のいる課に移ってきた女性で、とても若々しい。 それはそれは綺麗な顔立ちとスタイルでいて、気配りも利くものだから、もう課の中では男の人に人気がある。
「でも、なんでまたそんな店を探してるの?」 「私、人形を集めるのが趣味なんだ。だから、見てみたいの、その人形。 この辺、そーいうのの専門店って見たことないからさ」 「……へえ」
何年かこの街に住んでいるが、そんな店は勿論、そのウワサも初耳だ。 僕は左手の手袋を直しながら、携帯で時間を確認する。午後2時半。 このシックな黒の手袋も気に入っているが、くたびれてきたのでそろそろ変えるほうがいいかもしれない。 今日はそのつもりで街に行っていたのだが、日野さんと話していた事で忘れかけていた。
「ね。ね。慧(けい)くん、この後ヒマ?」
日野さんは体をテーブルに乗り出して、僕に聞いてきた。 エスプレッソの匂いに交じって、コロンとも香水ともつかない、良い匂いが僕の鼻をくすぐる。
「もし良かったら、一緒にその店探してくれないかな?」
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当然ながら僕は、そんな店があるなんて思っていなかった。 この辺りでショーウインドを使っている店はそれほど多くないし、どれも本通りの傍しかない。 ただ、日野さんは頭も良いし、仕事だっていつもきっちりこなしている人だ。 そんな彼女が根も葉もない噂話を本気で信じているとは思えない。 それに僕は、仕事場以外で彼女と会った事はない。彼女のプライベートな一面を見るのは、これが初めてだった。 手袋を買う以外に予定のない僕は、そんな彼女の側面も見てみたくなり、彼女の頼みを受けることにした。
「路地裏の方に行くの?」 「聞いた話だと、ここからもう少し北の方だって」
僕は特に文句も言わず日野さんに付いていく。 賑やかな本通りから横道に逸れ、さらに入り組んだ路地を通っていくと次第に人気は少なくなっていく。 それから数分も歩くと、もう僕たち二人以外には人がいなくなってしまった。 差し込む日の光も少なく、昼間だというのに薄暗い。何の店かも分からない看板がそこら中にあって、どこか別の世界に紛れ込んでしまったかのようだ。
「大分奥まで入ってきたけど、大丈夫かな」 「そうだね。はぐれるといけないから――手、つなごっか」 「……え?」
日野さんは右手を差し出しながら、僕に言った。 突然の事に僕は、ただ驚く。
「手、繋ぐのいや?」 「えっと、その」
日野さんは寂しそうな顔でこっちを見てくる。急に手を繋ぎたいだなんて言い出して、一体何のつもりなのだろう。
「大丈夫だよ。携帯もあるんだから、そんな気をつかってくれなくても――うん?」
時間の確認も含めて僕は右手で携帯を取り出したが、液晶の画面には”圏外”のマークが出ていた。 いつの間にか、電波の届かないような場所まで来てしまったらしい。
「ここらへん、もう携帯使えないからさ。迷子になっちゃったら大変だよ?」
日野さんが言った。気休めに携帯を振ってみるが、たしかに電波が入る様子はない。
「ちぇっ。定見くんはガード硬いな」 「……別に、そういうわけじゃないんだけどね」 「ふーん? ちょっと手を繋ぐだけなのに。ま、そういうのも嫌いじゃないけど」
彼女が怒っている様子はない。悪いことをしてしまった気分だが、いきなり手を繋ごうなんて言われると、僕も男だ。困らないわけがない。
「はー。あの子の頼みじゃなかったら、きっと我慢できなかっただろうな……」
日野さんが小さい声で呟いた。何のことかは分からないけれど、例の噂の事だろうか。 にしても、今日の日野さんはいつもと空気が違う。 仕事とプライベートで雰囲気が変わるのは分かるが、そうだとしても妙な感じだ。
「それにしても、電波が届かないんじゃ地図も見れないよ。一旦戻ろう」
僕はそう提案して、自分たちが来た方を指さした。 すると突然、日野さんが周りを見渡したかと思うと、さらに奥の方へ走り出していってしまったのだ。 慌てて僕は彼女の後姿を追いかける。入り組んだ路地を何回も曲がるので、僕は彼女の背を追うのでやっとだった。
「ちょ、ちょっと日野さん!」
背中を見失いそうになって声を掛けようとしたその時、日野さんの後ろ姿はショーウインドのある店の前で止まった。 こんな所にショーウインドを置いた店があるなんて、随分珍しい。 そう思うのと一緒に、僕は彼女の噂話を思い出していた。
「この店」
素っ気のないショーウインドを日野さんが指さす。 お世辞にも綺麗とは言えないガラスの向こうには、僕の腰ほどまで背丈がありそうな人形が飾ってある。 薄暗い路地でも映える銀色の髪と、煌めく赤い瞳が目に入った。
「――これは」
驚いて僕は声も出なかった。 僕は息を呑みながら、ガラスに張り付く勢いでその人形を見つめる。 螺旋を描いた銀の長髪、髪を纏めた大きなリボン、宝石のように赤い瞳、白を基調にした豪華なドレス。 どこを見ても、僕が昔古い倉庫で出会った、あの人形の面影があった。
「日野さん、この店……」
後ろを向いて僕は日野さんを呼ぶが、そこにはもう誰もいない。 その代わりに、バタン、と音がした。ショーウインドを付けたこの店の扉が閉まる音だった。 周りも見たが、路地のどこにも日野さんはいない。僕以外の誰もいない路地裏は、室外機の音さえ一つもなく、静粛に包まれていた。 本当にどこか別の世界の道へと入ってしまったかのように、妙な雰囲気がする。 日野さんは、この店に入っていったのだろうか? 大きく息を吸い込んで、意を決し、僕は店の扉を開けた。
店の中はほとんど暗闇に近かった。 電灯の一つもなく、小さな窓から月明かりのように淡い光が射しこむだけで、ほとんど何も見えない。 先に入ったはずの日野さんの姿を探すが、日野さんはもちろん、店員の姿さえ見当たらない。
「どなたか、いらっしゃいませんか」
やはり返事はない。 電灯のスイッチはどこだろうと、ぐるりと店の中を眺める。 すると突然、部屋の中心に火が灯った。テーブルに置かれたカンテラのささやかな明かりだった。 カンテラの向こうには椅子に座った誰かがいるらしく、僕を見る瞳と、その前髪が煌々と照らし出されていた。
「ようこそ。定見 慧(さだみ けい)様」
落ち着いた声は、いつもと多少声色が違うものの、どう聞いても女性の――日野さんの声だった。テーブルに組んだ手を置いている。 さっきまでのブラウスとスカート姿ではない。腰から下はテーブルの下で見えないが、胸元の大きく開いた、まるでネグリジェのように薄い服を着ている。 そして今彼女が呼んだ名前は、確かに僕のものだった。
「ひ、日野……さん?」
ふふ、と唇の端を上げて女性が笑った。 上品に笑みを浮かべるその唇は、まるで魔物のように美しく光っている。
「いいえ、私は日野ではありませんよ。立ち話もなんですので、そちらへどうぞ」
女性の手が、彼女の向かいにある椅子を指した。 暗がりでよく見えないとはいえ、その顔も仕草も、日野さんそのものだ。とりあえず、言われるまま僕は椅子へ座る。 思ったより椅子は座り心地が良く、年代物かつ高級品のように感じた。 彼女が日野さんなのかそうでないのか分からない。でも今は、あの人形の事で頭がいっぱいだった。 僕は単刀直入に聞くことを決め、目の前の女性を見据えた。
「その、ここのディスプレイに飾ってある人形なんですが――あれはどういった商品ですか」 「ご覧になられましたか。あの子はもう何年もここにいましたよ。 ついぞ、引き取り手が現れませんでしたから」 「引き取り手? ……商品ではないのですか?」 「はい」
彼女は微笑んだ表情を崩さず静かに話す。 こんな裏通りの場所とはいえ、一番目につくショーウインドに並べられている物が売り物ではないのは、どういうことなのだろう。
「怪訝な顔をされていますね。察しのとおり少々込み入った事情がありまして、”売り物”にはならなかったのです。 ただ、今日貴方に来ていただく事が出来て本当に良かった」 「僕が? ……どういうことです」 「彼女はとても頑固で、それでいて辛抱強い子でした。貴方以外に抱かれるぐらいならば、個を消してしまわんと申し上げるぐらいですから。 そして、それももう限界というその時。偶然の形ではありましたが、貴方を見つけることができた。 ……彼女は、ずっと貴方だけを待ち続け、貴方以外を望みませんでした。 欲望に生きる我々が糧を選り好み、理想の為に死を選ぼうとしたのです。これがどれほど稀有な例か、お分かりでしょうか」
日野さん、のようなこの女性が、一体何を言っているのか理解できない。 しかしその言葉に冗談の意は感じ取れず、僕をからかっているわけでないのは分かった。
「……商売人のセールストークにしては、いささか風変わりですね」 「ええ。私は商人ではありませんから」
また女性が笑った。女性は席を立ち、座っている僕に軽く頭を下げた。
「では、長々と失礼しました。これ以上お邪魔するのも無粋です。 早く彼女にお会いになってあげてください。 ……それでは」
女性は店の奥へ歩いて行き、扉の音がしたかと思うと、どこか違う部屋へ行ってしまった。 本当に彼女はこの店の店員だったのだろうか。日野さんにそっくりだったのもただの偶然かもしれない。 しかしそれよりも、僕はどうしてもあの人形のほうが気になってしまう。僕の心中はずっと、あの人形の事でいっぱいだった。 いつのまにか僕は、厚いカーテンで仕切りのされたショーウインドの方へ近づいていた。 カーテンを開ければ、彼女がそこにいる。 僕は底知れない欲望に勝てず、ゆっくりとカーテンに指を入れ、押し開けた。 カンテラに照らされ、ガラスに光が反射する。そこには、
「……ない」
人形はそこになかった。 床に赤い布を引いただけのウインドウの中には、何一つ置かれていない。 忽然とどこかに消えてしまった。
「どうして? どこに行ったんだ?」
僕は慌てて周りを探す。よく知らない他人の建物だけど、そんな事は気にしていられない。 辺りをもっとよく探そうと、テーブルのカンテラを掴もうとした時、椅子の上に何かがあった。 カンテラに照らされて浮き上がった姿は、ウインドウに飾られていたあの人形だった。
「いつの間に……」
あの女性が運んでいたようには見えなかったけど、僕が見落としてしまっていただけかもしれない。 不思議に思いながら僕はさっきまで座っていた椅子に腰かけ、向かいの椅子に置かれた人形に声を掛ける。
「……久しぶりだね」
当然、返事はない。
「探してたっていうと、嘘になるかもしれない。僕は、君を忘れようとしていたから」 でも、壊れてなかったんだね。本当に良かった」
カンテラの炎が僅かに揺らめいた。僕の言葉だけが、静まりかえった部屋に響く。
「それが分かっただけで、僕は嬉しい。僕はあの後君がどうなったのか、何一つ教えてもらえなかったんだ。 家族のみんなに聞いても、『そんな人形、知らない』って。……なんでだろうね。 ……もしかしたら、僕は君を助けられなかったのかな。あれから誰かに直してもらったりしたのかな。 もしそうだったら、ごめん」
あの子の目に映ったカンテラの火も、綺麗に揺れている。
「……君はまだここに居たい?それとも、ここから出たい? でもごめんね。君がどう思っているか分からないけれど、僕は君を連れて行きたいんだ。……今度こそ」
僕は席を立つ。この子を抱えようと屈んで、手を伸ばしたその時。
「――だめ」
苦しそうな、掠れた声。
「わたしには、あなたに愛でてもらえる資格なんてない」
周りには他に誰もいない。 動いているのは僕と、目の前にいる、この子の唇だけ。 この声が彼女のものだと気付くのに、僕もそう時間はかからなかった。 ゆっくりとあの子は動き始め、どこかぎこちない動作で僕の方を向いた。
「……あなたと会うのが、こわかった」
彼女の赤い目が僕を見る。顔が動き、表情を少しずつ変えていく。 緩慢な動きで彼女は椅子に立ち、悲しそうな表情に変わって、下を向いた。
「君、喋れたんだね。それに、表情まで。びっくりしたよ」
僕は驚いた。驚いていたけど、他の感情に追いやられてどうでもよくなっていく。
「ごめんなさい……あなたが助けてくれた、あの日。 ちょうどわたし、自分のヒミツをぜんぶうちあけようって、きめてたの。 けど地震のせいで、それもできなくて……だから、また会いにきてくれるまで、わたしはずっと待ってるつもりでいた」
声は次第に弱弱しくなって、静粛に掻き消されそうになる。何も言わず、僕は静かに彼女の言葉へ耳を傾けた。
「でも……いつまでもたっても会いにこないあなたを思うと、おかしくなっちゃいそうだった。 もしかして、もう二度と会えないんじゃないかなって……。 そう考えちゃうと、こわくて……わたし、あなたが来てくれるまで、なんにもできないただの人形になっちゃった。 あなたが死んじゃってるぐらいなら、何も考えなくていい、ただの人形に戻りたかったの……」 「……ごめん」
えっ、と小さい声で彼女がつぶやく。
「僕も、会うのが怖かった。 病院から帰ってこれて、この手がうまく動かせるようになっても、君に会いに行く勇気が出なかった。 僕だって、君がいなくなったかもしれないのを確かめるのが怖かったんだ。……でも、もう大丈夫かな」
僕は左手にはめた黒の手袋を、右手で外す。 神経の通った手はそこには無く、その代わりに物々しい機械の手が露わになった。
「! ……それ、もしかして……!」 「たいしたことじゃないよ。リハビリも上手くいったし、ちゃんと動いてくれてる。 仕事だって問題なく出来てるよ。時間は掛かっちゃったけどね」
彼女の眼の端に滴が溜まってぽたりと落ち、テーブルクロスの染みになる。彼女は目を閉じて、小刻みに震えていた。
「わたしは、あなたから、大切なものをうばっちゃったのね。 なのに、わたしはなんにも返せない。 ……許してほしいなんて言わない、でもほんとに、わたしは、」
僕は義手の左手と右手の両方で、彼女の頬をゆっくり撫でる。 僕の左手は何も感じないけれど、右手からは、人間のように柔らかな感触が伝わってきた。
「! ……だめ!」
びっくりした顔をして、彼女が声をあげる。 彼女の腕が僕の手を掴む。その手にも心地のいい柔らかさを感じた。
「僕には触られたくない?」 「ちがう! ちがう、けど……」 「僕は確かに左手を無くしたのが辛かった。君を助けられなかったと思ってたから。 でも君がいるなら、それでいい。 この手だって――少しだけでも君と同じになれたと思うと、何だか安心するんだ」
僕の手を掴んでいる彼女の力は次第に抜けて、ただ触れるだけになっていった。 彼女が作るテーブルクロスの染みは一つ、二つと増えていく。
「……あなたは……あなたは、何を言ってるのよ。 わたしは人形なのよ!いくらだって代わりがある! こわれたって、つぶれたって、ちぎれたって直せる! だけどあなたの体は、他なんてないのよ! どうして、私のために、だなんて言って……ひとつしかない物をなくして、わらってられるの……!」
今にも泣き出しそうな彼女の声は、静かな部屋によく響いた。 ――もしかすると、僕は狂っているのかもしれない。 不思議な路地に迷い込んだ所から、僕はずっと幻覚を見ているようだ。 この子が言葉を話して、こうやって動いているのだって、僕の勝手な妄想がそう思わせているだけかもしれない。 でもそうだったとしても、僕はまだこの夢から覚めたくなかった。
「好きな人を守れるなら、何を無くしたって後悔しない」 「……ばか。人形にそんなこと言って、はずかしくないの?」 「だいぶ、恥ずかしいかな」
あんまり歯の浮いた台詞が出てしまったもので、僕自身も赤面してしまった。
「わたしだって……そんなこと言われたら……」
彼女の声は弱弱しかったけど、悲しそうな声には聞こえなかった。 明かりが小さくてよく見えないけど、たしかに彼女の頬も赤くなっているように見える。 僕の右手からも、頬が熱くなっていくのが分かった。そのまま僕は、腰に腕を回して彼女を抱きかかえる。 僕は椅子に座って、僕の膝上に女の子座りで彼女を座らせた。
「温かいんだね」
向かい合った彼女の顔が少しでもよく見えるように、僕は椅子を斜めにした。小さな火の明かりが、僕と彼女を照らす。 彼女の、銀色の頭に回した右手から、じんわりと温もりが伝わってきた。
「……あなたのおかげ。私がこうやっておはなしできるのも、人間みたいにあたたかくなれるのも、あなたがわたしを忘れなかったから。 でも、わたしだって……あなたの事、忘れなかったよ。あなたの事だけは、うらまれても、にくまれても、おぼえてたかったから......」 「ごめんね。長い間待たせちゃった」
小さな彼女の掌が、僕の胸に触れる。
「いまさらだけど……君のこと、なんて呼べばいいかな?」
彼女は耳を僕の胸に当てて、そのまま僕を、小さなその両腕で抱きしめた。
「――あなたがよんでくれる名前が、わたしのもの。わたしの名前は、それ一つだけ」
もう二度と触れられないだろうと思っていた彼女の体を愛おしく感じながら、彼女に抱擁を返す。 僕の胸に、彼女は顔を埋める。
「メル、」
抱きしめる彼女の力が強くなる。いつのまにか、僕のシャツは濡れていた。
「昔と同じで、いいかな」 「……うん」
静かに泣く彼女の声だけが、部屋の中に響く。 僕はもうほんの少しだけ、彼女を強く抱きしめた。
彼女を、メルをぎゅっと抱きしめたまま、何分が過ぎただろう。
「ねえ」
僕を呼んだのは、メルだ。腕を少し離してあげると、膝の上から僕を見上げた。
「また少し、あなたには……慧には、メイワクをかけるかもしれない……でも、もう……」
僕を見上げる表情は、どうにも申し訳なさそうな顔だった。僕はまた右手で髪を撫でる。
「……メルから名前で呼ばれるのって、なんか新鮮っていうか」
ここに来る前――いや来たときだって、まさか彼女に名前を呼ばれる事になるとは思っていなかった。 そのせいで、いまいち実感がない。
「あの子も言ってたけど……あなたが欲しくて……がまんできないの。 ホントは、あなたにだきしめられたときから、うずいて、うずいて……もう止まらないの……!」
そう言ったメルの顔は、火のように真っ赤だ。 ドレス越しにだが、彼女の体温そのものも上がっているように感じる。
「それってどういう――んむっ」
膝の上で立ち上がったメルは、僕の首に手を回しながら、唇を重ねてくる。 メルの舌がゆっくりと僕の口へ入ってきた。生き物のようにうごめく彼女の舌が僕の舌に絡みついて、しゃぶりつくそうとする。 口内をまんべんなく蹂躙され、彼女の甘い唾液を味わうたびに、身体が熱くなっていく。
「むっ、うんっ、」
ぎこちない動きだったけど、がむしゃらなその口づけはとても情熱的だった。キスの経験もろくにない僕は、息をするのでやっとになってしまう。 口の中でくちゅくちゅと水音が何度も鳴り、ますますこのキスを淫らなものに感じさせる。 背中に回ったメルの手が、シャツの上から僕を撫でた。
「……ぷはっ」
口が離れて、僕は呆然としたままメルを眺める。僕たちの口の間で、唾液の糸が光った。 今度は僕のカッターシャツのボタンに手を掛け始めた。 あっという間にボタンが外れ、露わになった下の肌着をメルの手が優しく撫でてくる。
「慧……ベッドまで、連れて行ってほしい」 「ベッド……?」
キィ、と音を立てて、部屋の奥にある扉がひとりでに開いた。扉からは明かりが差し込んできている。 僕は彼女をもう一度抱き抱えなおすと、吸い寄せられるように奥の部屋へと入っていく。 部屋の向こうは寝室のような造りになっていて、きちんと整えられたベッドが置いてあった。天井にある綺麗なシャンデリアが薄明りを灯している。 僕が二人並んでも寝れそうな大きなベッドだ。シーツも雪のように真っ白で、汚れ一つない。
「……だいじょうぶ。ここは、皆のための部屋だから……どんなによごしても、いいんだよ」
腕の中でメルが言った。そのまま、僕はメルをベッドに寝かせる。 ただでさえ大きなベッドなのに、人間の女の子よりさらに二回り小さいメルと比べると、余計に大きく見えた。 はーっ、はーっ、というメルの熱い吐息が僕の顔に当たった。今度は僕からそっとキスをする。 さっきメルがした濃厚なものとは違って、唇をなぞるだけの控えめな口づけだ。
「メル。僕は、どう君を愛してあげたらいい?」 「……わたしは、あなたのものだから。あなたの好きなように、わたしを、愛してほしい」
そう言うと、メルは自分から服を脱ぎ始めた。複雑な構造のドレスは脱がせるのも容易ではなく、僕だけに任せていると途方もない時間が掛かる。 そこの所を分かっているメルは、僕の手間を軽くするためにそうしているのだ。 やや掛かって、メルは純白のワンピースとドロワーズだけの姿になった。肘や膝に開いた穴が、彼女が人形であることを主張している。 ドロワーズはもうすでに濡れていて、いやらしくも甘い香りが漂ってくる。 それから、僕もシャツとズボンを脱いだ。メルも僕も、肌着だけでベッドに寝転がった。
「わたしの体……あなたが助けてくれたから、壊れてなんかないよ。 だから、いっぱい、確かめて」
汗で濡れたワンピースをゆっくり脱がせていくと、綺麗な形の乳房が表れた。 メルの言うとおり、彼女の肢体は美しかった。まるで人間のようでいて人間よりも端整なフォルムをしている。 頬だけでなく、どこを触ってもマシュマロのように柔らかく、石鹸のような香りがするすべすべの肌。 僕が首筋のあたりへ舌をなぞらせると、びくん、とメルの背が跳ねた。 同時に、右手で柔肌を味わうように撫でる。少しずつ手を下に降ろしていって、小さく膨らんだ二つの突起を交互に優しく擦る。
「んっ、」
薄く赤い乳首に触れると、メルが小さく声を出した。その反応が可愛らしくて、つい何度も触ってしまう。
「そこ、すごくきもちいい……」
触れるたびに切なそうな声を出すので、僕自身の欲望もむくむくと昇っていく。 首筋に添えていた舌を、鎖骨から胸へ添わせる。ピンと尖った突起を舌で転がすと、メルが一際高い声を挙げた。
「ひゃっ、あぁっ、そこ、すごいよっ」
舌先でメルの乳首をつんつんしたり、乳首の先っぽをぐりぐりしたり、唇で甘噛みしてみたり。 桃のように甘いそれを一通り味わった後、今度はドロワーズを脱がせてあげる。さっきよりも愛液でぐしょぐしょで、むわっと濃いメルの香りが鼻を突いた。
「んぅ……ちくびだけじゃ、がまん、できない……」
切なさそうに腰をくねらせ、股間を太ももで擦りながら、メルは僕を求める。 メルの膝を持って股を開く。濡れそぼった蜜壺は鈍く光っていて、お尻の方に垂れていった愛液が何本も線を描いていた。 僕は右手で太ももを撫でながら、メルの股間へ顔を近づける。 幼子のようにぴっちり閉じた割れ目に顔を近づけると、お菓子のように甘く芳醇な香りが広がってきた。 舌で愛液の味を楽しみながら、僕は舌をその狭い穴にねじこんでいく。入口をなぞってやると、メルは明らかな嬌声を上げた。
「ねっ……けい、もっとぉっ……」
僕は下着を脱ぎ捨てて、痛いほどに勃起した肉棒を取り出す。 まずは、太ももを優しく掴んで足を広げさせる。それからメルの股間へ肉棒を挟み、太ももを閉じさせてメルの股に挟ませた。 いわゆる素股の形である。僕が腰を振って動くと、擦れあった秘部からくちゅくちゅと淫らな水音がした。
「ひゃあっ!? それ、すごひっ……でんきみたいに、ぴりぴりってするぅっ!」
表面をこするだけの前後移動でも、愛撫で焦らされて敏感になったメルには刺激が強すぎるらしい。 ずっ、ずっ、と割れ目を肉棒で擦るたび、裏筋が割れ目に吸い付いてくるようだ。 メルの艶やかな吐息が漏れ、同時に僕にも快感が溜まっていく。
「あ、ふぅっ?! そこっ、こすっちゃ、ぁぁんっ!」
ぷくっと膨らんだクリトリスと肉棒が触れ合うと、さらに愛液が溢れてきて、どんどん入口がぬるぬるになる。 すっかり肉棒とメルの膣口は愛液まみれになった。そろそろ準備も出来ただろう。 普通の人間とは違って体格差が大きいので、対面座位にして挿入を行う事にした。 幸いメルの身体は軽いので、僕の力だけでメル自身を上下させられる。 つまり、僕の好きなようにメルを犯してしまうこともできる。けど、それは僕も望むところではない。 ヒクヒクと震えるメルの膣穴はとても小さく、無理をしたら簡単に裂けてしまいそうに見えたからだ。 滅茶苦茶にしてしまいたい衝動を抑えながら、僕はメルの腰を抱きかかえて、秘部の入口に肉棒を添える。 ゆっくりメルを降ろしながら、割れ目の中へ少しずつ亀頭を滑り込ませていく。
「入れるよ」 「はやく、はやくぅっ……あついせーえき、いっぱいそそいでぇ……っ」
僕の胸にしがみつきながら、メルが切ない声をあげる。あんなに小さな膣穴を傷つけずに挿入できるだろうか。でも、僕の不安は杞憂だった。 ほんの少し亀頭が入ったかと思うと、肉棒はすぐさまにゅるん、と膣の中へ簡単に飲み込まれていったのだ。 僕とメルは互いに声を上げて、快感に震えていた
「わたひのなかに、慧、のがぁっ……!」
メルの中はとても暖かい。柔らかな肉壁をした膣が、優しく包みながらも、肉棒を離すまいと締め付けてくるのだ。 気を抜くと、すぐにでも中へ出してしまいそうだった。
「大丈夫?痛くない?」 「うんっ……だいじょうぶらから、おちんちん、はやくぅっ……」
メルがそう言った途端、僕は夢中でメルの腰を掴んで上下させる。子供よりも更に小さいメルの身体を、膣を、ケモノのように僕は犯し続けていく。
「はぁ、ぁんっ、んっ、うぅっ、も、もっとぉ!おちんちん、おちんちんいいよぉっ!」
さっきまでの愛撫よりも、ずっとずっと激しくメルが喘ぐ。 ぱんぱんと、僕とメルのお尻がぶつかる音がして、繋がった場所から愛液が激しく飛び散り、純白のシーツを濡らしていく。 膣から昇ってくる快感に夢中になるメルは、蕩けた表情をしながら可愛らしい嬌声をあげる。 可愛らしいメルの唇からいやらしい言葉が出るたび、膣がきゅっと締まって、僕から精液を搾り取ろうとする。 メルの一番奥まで肉棒を滑り込ませるたびに、メルは淫らな声をあげて乱れていった。
「で、出るっ!メルの中に、出すよ!」
射精欲が最高まで高まり、精液が尿道を昇ってくる。 溜まっていた精をすべて、メルの中に出してしまいたいという欲望に駆られ、それ以外のことが考えられなくなる。
「だしてっ!あついのぉっ! いっぱい、せーえきだしてぇっ!」
僕を抱きしめる力が強くなった。 僕と同時にメルは絶頂を迎えたらしく、精液を搾り取ろうとするかのように、膣肉がきゅっ、きゅっと締め付けてくる。 その激しい刺激にたまらず僕は射精を迎えた。メルの小さな小さな膣の中へ、思いきり精液を放つ。 びゅくん、びゅくんと音を立てて、精液が全部メルの深奥へと呑み込まれていく。
「ああっ、なか、いっぱいになってる……あつくて、濃くて、すっごいよぉっ……♪」
恍惚とした表情をして、メルは僕の胸の中で息をついている。 大量の射精で体力を奪われた僕は、メルと繋がったまま、ベッドへゆっくりと倒れ込む。 しばらくの間、僕たちは目を閉じて、余韻に浸っていた。
――――――――――――――――――――――――――――
「ね、慧……」
ベッドの上でまどろんでいた僕は、メルのふんわりとした口づけで目を開けた。
「あなたが愛してくれたから、わたし、またあなたといっしょに居られるの……。 あなたのせいえき、すっごくおいしくて、からだじゅうが満たされていくよ。 ……わたし、また、あなたのお人形さんになれるんだね……嬉しい♪」
僕はメルの重みと温もりを確かに感じながら、彼女を抱きしめる。
「もうわたし、ぜったいにはなれない。だから……わたし、あなたの左手になりたい。 ……いつまでも、慧と一緒にいたいから……」
優しく、僕の義手をメルが撫でる。 感覚はないけれど、僕は確かに、伝わってくる温もりを感じた。
「――メル。ありがとう」
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