とある親魔物領に存在するジパング屈指の大都市〈大穢土〉は、明緑魔界の一つであり――綺羅で艷なるジパング・メトロポリスの代表格である。
　名物も多い。海に面した大穢土の〈穢土前料理〉はジパンググルメの代表格であるし、大衆演劇や浮世絵等のサブカルチャーの発展も群を抜いている。
　古くから伝わる神社仏閣巡りも、〈大穢土〉で町で楽しみを探して見つからないと言うことは決して有り得ない。
　当然、夜のお楽しみも素晴らしい。
　紅を引いた遊女たちが集う、〈紅線地帯〉と呼ばれる一角はジパングに於ける遊郭の聖地。魔物、半妖を問わず特級技量のセックスワーカー達が集う場所だ。
　番を見つけた妖怪達に取っては不要な場所ではあるが……魔界の誰もが番を見つけている理由ではない。魔力照る夜に肌の慰めを求める魔性によって、〈紅線地帯〉は永遠の賑わいを見せている。
　肌を望まず小粋を求める粋人には、お座敷遊びがおすすめだ。身体を売らずに芸を売る――ジパング伝統芸能の真髄が其処にある。
　また、〈大穢土〉の属する国は異国にも門出を開いており、渡来の妖怪――魔物と呼ばれる彼女達の旅行先として〈大穢土〉中々の人気があり、商取引も盛ん。渡来の品々も多く手に入る。

　まさしくここは輝ける都市、終わらない栄華に耽り続ける魔界都市――それが〈大穢土〉だ。

　だが、光ある所には影がある。半妖と妖怪が織り成す輝ける日々の裏側には、目明し達の預かり知れぬ暗黒の世界があった。
　 違法売春所。売買を禁止された禁制品の闇取引、妖怪に対する封印――実質的な殺害請負人　真っ当な遊郭から外れた人代行業者の暗躍。禁制呪法の研究者、超高利息金融業者、闇賭博場、妖怪輸出――善良な魔物が聞くだけで震える様な外道が、都市の裏では蔓延っているのだ。
　そして、その暗黒の支配者達は――都市の暗黒に適合し、邪悪極めし妖怪共。
　繁栄の裏で、都市の悪人――もとい、悪妖は数え切れないほど誕生し、それを統べ、纏め上げた組織――やくざ共も現れ始めた。

　その代表と呼べるのが、やはりジパングの闇の帝王種であるぬらりひょんの頭を務める〈ぬらぬめ連合〉だろう。
『殺さず、怖わず』を掟に夜を統べる昔気質な〈ぬらぬめ連合〉は〈九十九〉で起きる妖怪犯罪の半分以上に関与している筋金入りの極道ども。
　番を得られぬ夜の女達に飢えぬ糧を与え、また国を追われた様な無頼の妖怪や半妖達には火消し、香具師などの職を世話する事で支配下に起き、都市の闇をほぼ完全に支配している。少なくとも、非合法売春とサイ転がしで〈ぬらぬめ連合〉の手が入らぬ場所はあるまい。
　頭目であるぬらりひょんが絶対と定めた掟ゆえ、殺しだけは決してしないが……〈ぬらぬめ連合〉に敵対した者は、死を超える苦痛を身を持って知ることだろう。

　外見幼き大侠客――もとい、大女傑たるバフォメットであるジローチョを頭目とする〈ジローチョ・サバト〉も悪辣さなら負けてはいない。
　ジローチョが城下町にお忍びで訪れた城の若様を『お兄ちゃん』にした咎で禁制処分を受けた〈ジローチョ・サバト〉は、一般的なサバトから方針転換。公的権力から頭目や自分達の愛を守るために悪鬼に落ちた魔法やくざの軍団となった。
　以降、未知に焦がれる善良な魔物達のみならず、数多の十手持ちや外国の公儀隠密を幼愛と渡来呪法の世界へと引きずり込み、暗闇の勢力を増し続ける〈大穢土〉最大の呪術勢力として君臨。親魔物領ですら禁制とされるど助兵衛魔具の製造と販売を主なシノギとし、司法の迫害にもめげずに都市の闇に魔導の触手を伸ばし続けている。

　勢力こそは上の2つに劣るが、凶暴性の一点に於いては妖怪に転んだ退魔師を頭目に置く〈一三銀一家〉が突き抜けている。
　親魔物領であるこの地に於いて、妖怪殺しを経た退魔師に大手を振れる居場所はない。妖怪達はともかく、妖怪となった男達が自らの妻に手が伸びかねぬと恐れるからだ。
　そして、妖怪とになったが故に退魔師や教団からも恥ずべき裏切り者として追われる身である彼らは、魔界都市の闇にしか安住の地が無く、生き延びる為にとかく手段を選ばない。
　妻を気遣ってか、殺しに関して昔ほど積極的ではないが……嘗ての手管を生かした金尽くでの暴力や妖怪封じはお手の物、荒っぽい手で得たみかじめ料は飯のタネ、〈ぬらぬめ連合〉のシマ荒らしも同然な札遊びまで開いている。
　まさにやくざの『暴』を象徴するかの様な手段で日々の糧を得ている彼らは、町全体の鼻つまみ者だ。
　だが、それ故にこそ追われる者にとって寛容であり、凶状わらじを履いていようが島帰りだろうが庇護を求めるならば決して拒むことがない。故に、外から来る流れのやくざや、国元を追われた妖怪夫婦などが、分かりやすい助けを求めることも多く――着実に勢力を伸ばし始めている。



「――で、アタシら貉式萬妙術道場は、こいつらと張り合って行かなきゃならねえ」

　ばんと、道場の壁に張られた〈大穢土〉の闇勢力が記された絵図をぶっ叩いた形部狸――よく見る商人姿ではなく、豊かな胸元はサラシを巻いたのみ。下には霧の大陸で拳法家が履く様なズボンを履いている。
　そして、ギラギラと野望に輝く瞳は理知を主とする形部狸にしては珍しい、獣性に満ちたものである。商人と言うよりは、明らかにやくざと呼ぶべき面構えの形部狸であった。

「穢土の新参モノのくせして道場開いたアタシらは、間違いなくこのやくざ共に眼を付けられてる。遅かれ早かれどこぞが傘下に入れだのみかじめ寄越せだの言ってくるだろうよ――だが」

　形部狸は牙を剥いて笑った。やくざの笑みである。

「アタシに媚びる積りはねぇ、力に怯えて従った先に待つのは捨て駒よ。何より、やくざに従って生きるのが正しいなんぞとアタシはこれからの門下に教える積りはねぇんだ」

　そして、形部狸は彼女の眼の前で話を聞いている二人の内の一人――元殺人請負人の現半妖、一白に目線を向けた

「――てぇな訳で一白よ、おめぇにも妖怪の剣を会得してもらうぞ。人の剣じゃあ魔界じゃ喰ってけねえからな」
「はぁ……」

　一白からすれば、訳が解らぬ話であった。
　傍らで興奮気味の新妻、落武者の九星と共に先生の元で働く事ことになった一白であったが、よもや魔界都市に移住し、現地のやくざ共とやりあう羽目になるとは思っても見なかった。
　先生が決して善良ではなく、また妖怪の中では闘争を厭わぬ類である事は知っていたが――まさか、妖怪の巨大勢力と揉めることを厭わぬ程だとは。
　いや、昔からそうだったかもしれぬ。村を襲う山賊や野盗をだんぴら片手にぶちのめして呵々大笑を上げた姿は未だに脳裏に焼き付いているのだから。

「なんだ、不満かよ。アタシがまた剣を教えてやるって言うんだぞ」

　複雑な一白の心境を不快と誤解したのだろうか、先生が子供の様に頬を膨らませた。
　一白は慌てて首を振る――それは違うのだ。
　大恩……前の町で一白が育んだ悪縁を色と金で解決し、新たな土地に誘ってくれた先生に逆らえる訳もないのだが――その道理を除いても。決して嫌ではない。ただ、意外ではあった。

「いえ。ですが――昔、剣のみが生きるではないとわたしに説いた人が、改めて剣で生きる道をわたしに示すとは考えていなかったもので」
「そうは言うけどよ、おめぇは剣で生き抜いちまったじゃねえか」

　それを言われると一白は弱い。かつて先生の庇護から暗黒の世界に落ちぶれ、人斬りに生きた一白の人生はまさに剣に生きたものであり、落武者と化した九星に敗れて半妖に堕ちた終わり、は剣に死んだと呼ぶに相応しいだろう。

「妖怪の欲望は惚れた相手への愛欲だけじゃあねえ、とびっきりにでけえのは番へのナニ欲だが、全般的にでかくなるんだ。と、なりゃあ剣に惚れて死んだお前が、剣を捨てられる訳がねぇんだよ」

　抗いようのない正論である。未だ人生をやり直せる若さのまま、半妖としての悠久を手にした一白ではあるが、剣を捨てた人生など想像も出来ぬ。
　未来永劫の殺伐が、定めか――心踊らぬ訳ではないが、どこか寂寥を感じるのも確かであった。
　だが、そこに絶望だけはない。

「そうだぞ、一白、剣に死んだおれも剣に死ぬまで生きるからな！　お前と一緒に！」

　傍らで微笑む九星が一白にはある。愛しい妻、半妖として唯一無二の片割れ。彼女が側に居る限り、いかなる絶望をも断ち切れる気がした。
　思わず微笑みを妻に返す一白――それを微笑ましげに見ながら、先生は壁に貼り付けた絵図を剥がしてぐるぐると巻いた。

「ま、そう簡単に死なせる積りはねぇよ。その為にもまずは稽古だ――準備すっぞ！」

　先生の呼びかけに夫婦の弟子は元気よく返事を返し――修練の支度を始めた。


　道場の中央で並んだ一白と九星は、共に魔界銀の刀を鞘から抜いた。真剣である。
　貉式萬妙術の剣術稽古は、人間が行う場合においては木剣を用いるが、妖怪剣術の修練に於いては魔界鉱石を用いた真剣――ジパングにおいては刀と通称される剣を使用する。
　妖怪剣術の性質上、どうせ剣が直撃しても肉体に傷は付かぬし、防具は完全に無意味。木剣を用いたとしても魔力が伝うことで魔界鉱石と同様の性質は得てしまう。ならば、まがい物を使う必要などはない――寧ろ、本物を使うほうがより稽古に身が入るとの考えからだ。
　人間からすれば日常稽古に真剣を使うなど狂気の沙汰だろうが、この思想は断じて貉式萬妙術固有のものではなく、多くの妖怪武術に共通のものである。

　二人は魔界銀の刀を上段に構える。

「――素振り千本、始めぇ！」

　二人の前に立つ形部狸の掛け声に合わせて、二人は定められた型通りの素振りを始めた。
　妖怪の剣客に於いて素振りは最も重要であり、日々決して欠かす事の出来ぬ基礎稽古である。
　妖怪は――こと、夫婦に於いては日々交わる毎に少しずつ力を増す性質を持つ。即ち、肉体の性能が一定ではない。
　昨日までの己と今日の己が僅かに違う――この誤差を埋めるための準備運動こそが真剣での素振り。これを数日怠っただけで、己の力加減を見失い、剣をすっぽ抜かして無様に斃れた妖怪剣客は少なくない。

「次、組手」

　素振りを終えた二人に飛んだ形部狸の新たな指示。一白と九星は汗に肌を濡らしながら、そのまま刀を構えて向かい合った。
　じり、と一白が距離を詰める――九星が受けの構えを取る。
　互いの刃圏が接触寸前になった瞬間、一白が袈裟懸けで切り込む。

「はぁっ！！！」

　半妖の膂力で放つ斬撃は、まともに受ければ魔界銀とて圧し折れる。
　つまり、対処するにはまともに受けなければよい。

「ぜあっ！」

　九星は、跳ね上げた切っ先を絡ませるようにして一白の剣を軽妙に受け流し――瞬時に反撃。
　次いで展開された情景は、演者を変えた再演である。九星の剣を危うげなく受け流した一白は再び反撃。九星も即応。幾度も幾度も幾度も。

　――それは、剣舞と呼ぶに相応しい光景であった。

　貉式萬妙術の剣は、本質的に誘い受けを奥義とする。
　海向こうの戦士達の究極領域が、理性を放棄しての最適効率に於ける斬撃であるならば、貉式萬妙術は敵の最適を見破り、そこから返し手を討つ事が基礎にして奥義とする。
　妖怪としては比較的膂力に恵まれぬ形部狸の武術であるが故、攻め比べで勝つことは出来ない――故にこその返し手偏重だ。敵の淫気を読んでのメルティ・パリィ――貉式萬妙術においては〈ぽん引き〉と呼ばれる技法にて見切り、捌き、切り返す。これが貉式萬妙術の剣戟骨子である。
　故にこそ貉式萬妙術の使い手同士の立ち会いは、舞踏にも似た太刀振舞を見せる。柔よく剛を制する貉の剣は、鉄火に舞い散る銀の花弁なのだ。

「それまで」

　およそ半刻――互いに少なからず魔界銀の刃が奔り、魔力を流した二人の眼に疲弊が見え始めた頃、形部狸はぱんと手を叩いて二人を止めた。


「次、遠斬り。百本」

　無慈悲とも言える形部狸の指示に、夫婦の剣客は声を張り上げて応ずると、道場の端から端まで離れ離れになり――真っ向からそのまま向かい合う。
　貉流萬妙術の、遠斬り――海向こうでは魔力斬撃と称される術理を鍛える為の〈祭太鼓〉と呼ばれる稽古法の構えである。

　距離を経て向かい合った夫婦は背に峰が付くほどに大きく構え――魔力を込め――斬り下ろし、斬撃を飛ばす。
　魔界銀と同じく桃色の魔力が高速で宙を巻い、衝突――丁度、中央で相殺された。
　次いで脇構え――斬り上げの遠斬りが同時に飛ぶ――再び中央で相殺。
　三本目――唐竹――縦一文字の剣閃放射――中央より僅かに一白に寄った位置で相殺された。

「九星！」

　形部狸の怒雷が道場に響き渡る。剣機を誤った弟子への叱咤。

「申し訳ありません！」

　九星は謝罪の礼をすると、再び夫と向かい合う――〈祭太鼓〉はまだ始まったばかりである。

　遠斬りは修練を積むことで飛距離、速度、威力が高まっていくが、この内速度だけは高まればよいと言う物ではない。
　究極的には飛翔する斬撃ではなく、無限の距離を持つ斬撃となる遠斬りは、斬撃の射出角度は太刀筋と完全に同一である為、防ぐ武器とさえ持っていたならば防御は容易い。
　故にこそ、貉式萬妙術では単純な威力上昇ではなく斬撃の緩急操作にこそ重視を置く。
　相手が早い斬撃に慣れた頃に交じり始めるわずかに遅い斬撃は、唯一の防御手段を容易く擦り抜け敵の魔力を寸断する。
　そんな遠斬りを防ぐには、魔法を用いるのが一般的であるが、ジパングの剣士達は飛翔する斬撃を己の得物で斬り落として防ぐのが一般的だ。そして、貉式萬妙術に於いては、遠斬りは遠斬りを持って迎撃するのが常套である。
　〈祭太鼓〉の百本は、皆太刀筋と共に放つ速度が全て異なる。故にこそ互いの速度が誤らなければ必ず中央で斬撃は衝突する――そうでなければどちらかに寄ってしまう。
　高速で飛来する斬撃を己の遠斬りで迎撃すると同時、常に自らの意図した速度で斬撃を放つ訓練こそが〈祭太鼓〉なのだ。

　そして、後半は形部狸の叱責が幾度も飛ぶ惨事となったが――どうにか二人は百本を撃ち終えた。そして、その場にて膝を付く。
　無理はない。自らの意思で速度を調整しながら百発の遠斬りを撃つというのは、並外れた疲弊を伴う訓練である。まして二人は先の訓練で少なからず魔力を流している――手負いで剣を振り続けたのだ。
　しかし、無様ではあった。これが戦場であれば即座に敵の銃火に焼き尽くされて黄泉の国に移住する羽目になろう。
　弟子の無様に怒り心頭と言った様子の形部狸が再び声を張り上げようとした瞬間――がらり、と道場の入り口が開いた。

「お鈴ちゃーん、一白くーん、九星ちゃーん　お昼休みの時間だよー」

　とてとてと道場に入ってきた青年――髷を結った袴姿。金髪碧眼の異国人である彼は、ふんわりしたマシュマロを思わせる優しい笑顔を浮かべていた。手には大きな盆を持ち、そこには大量の握り飯がこんもりと山盛られた大皿と、湯呑が二つ乗っている。
　妖怪の汗と魔力に濡れた道場には似合わぬ、青年は、にこやかな目つきを道場に振りまいた。

「二人共バテちゃったみたいだし。お鈴ちゃん、ちょっと早いかもけどお昼にしようよ。あ、二人の分は作ってきたからね」

　そう言うと、先程まで遠斬りが激突していた中央に、青年は盆を置く。

「精補給剤入りの梅干しおにぎりとこゆーい煎茶！　稽古の後にはこれ凄く染みるんだよね」
「……旦那様、稽古ってのはバテてからが本番で……」

　お鈴と呼ばれた形部狸はぽりぽりと頭を掻きながら、旦那様と呼ぶ青年に向き合う――愛しさと苦手さが入り混じった複雑な表情をお鈴は浮かべていた。
　 青年は首を傾げ、微かに困った顔をすると――自らの股座を指さす。すると――青年が指さした先から、異常な盛り上がりが一瞬で内側から袴を押し上げた。まるで、袴の内側に薪でも仕込んでいるかのような大隆起である。

「お鈴ちゃんのお昼、抜いちゃう？　お鈴ちゃんがどうしてもいらないっていうなら、僕は我慢したくないからちょっと『買い』に行ってくるけど」

　形部狸に浮かぶ困惑、情欲、嫉妬――全ての感情が一周りした後、形部狸は苦々しげに溜息を付いた。

「―――解ったよ。クソ……旦那様は本当に買いに行くからタチが悪いんだ」
「でも、一番はお鈴ちゃんだよ」
「うるせー……おい！　九星、一白！」

　道場内に響く声――呼ばれた弟子達は辛うじてと言った様子で顔を向けた。

「アタシらはこれから昼飯にする。お前らも中休みだ、帰って来るまでに旦那様の握り飯で魔力補充しとけ――じゃ、な！　残すなよ！」

　そして、形部狸は青年と共に道場を後にする。残された二人は、疲労困憊と言った様子で――握りに向かって、ばたりと倒れ伏した。

　結局、しびとの夫婦は師匠夫婦が帰ってきてから食事休憩を追加で挟み、師匠のさらなる怒号を受ける事になるのであった。