Bee war #3
ドガァァァァァン…
遠くで雷鳴のようなものが鳴り響き、旅人は一瞬ビクリと肩を竦めた。通り雨だろうか? 今通っているこの街道は森の中を切り開いて作られているため、遠くの空を見るための見通しが利かない。
幸い雨宿りできそうな木は豊富にあるので、濡れ鼠になることは避けられるかもしれないがやはり雨には降られたくないものである。
「最近この街道では魔物が暴れてるって言ってたしな…」
北西にある街で聞いた話によると最近この街道を通ったキャラバンや旅人、冒険者が蜂型の魔物に襲われているらしい。
本来ならばそんな危険な道を通りたくは無いが、届け物をするために旅人はこの道をどうしても通らなければならなかった。いくら魔物が出没しているとは言っても、森の中を突っ切るよりは幾分マシだ。
それに、その噂のおかげでただ荷物を運ぶだけの仕事であるにも関わらずこの仕事は非常に報酬が高額だった。
ドォォォォオォォンッ!
再び大きな音が響く。先ほどよりもかなり近い上に、音のした方向から何か生暖かい風が吹いてきた気がした。まさか山火事でも起こったのだろうか。
「…なんだ?」
複数の気配が森の奥からこちらへと向かってくる。それを察知した旅人は慌てて近くの木陰に身を隠した。
「っ! クソ! あの女絶対泣かしてやる!」
そんな悪態を吐きながら街道へと躍り出てきたのは一目見て『値打ちものだ』とわかる赤い外套を纏った少年だった。
少年はすぐさま赤い外套を翻しながら自分の飛び出してきた森へと向き直り、両手を素早く動かす。
「爆圧魔法(ファルブレイズン)!」
そう言って少年が両手を突き出すと少年の掌の先に大人の握り拳ほどの光の球が現れた。一瞬の間を置いてから光球は森の中へと飛び去ってゆく。
ドガァァァァァンッ!
「うをっ!?」
突如起こった閃光と爆風に思わず旅人は声を上げる。少し遅れてから熱風が頬を撫でた。
「ま、魔法…?」
恐らく少年が攻撃魔法を行使したのだろう。森の奥がどうなっているかわからないが、今の爆風からしてかなり高威力の魔法行使であったことは間違いない。
「おい、そこの通行人! とっとと走れ! 街に逃げろ! 巻き込まれても俺様は知らん――っ!」
ぶぅぅんっ! という羽音と共に凄まじい速度で森から飛び出してきた影が少年へと飛び掛る。危ない! と思った次の瞬間に繰り広げられた光景に旅人は唖然とする。
「甘いわ阿呆が!」
その言葉と共に黒い影は少年に弾き飛ばされ、旅人の隠れている近くの木に激突してその動きを止めた。信じられないことだが、高く掲げた少年の足があの黒い影を蹴り飛ばしたらしい。
「ま、魔物?」
近くの木に激突したモノをよく見てみると、それは例の噂で聞いた蜂型の魔物のようだった。この街道に魔物が出るという噂は本当だったらしい。
「何をボケっとしている、とっとと走れ! 魔物との戦闘に巻き込まれたいのか!?」
「わ、わかった!」
赤い外套の少年が一体何者なのかは不明だが、あんなに動きの早い魔物との戦闘に巻き込まれるのはごめんだ。旅人はわき目も振らず南東へと走り出した。
―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ――
通行人が街の方向へと走っていったのを確認して俺様は気を取り直す。先ほどの爆圧魔法で追っ手の大半は戦闘不能になったようだが、更に多くの追っ手が俺様の元へと集結しつつあるようだ。
「―――っ!」
ぴゅいぃぃぃ、と高速圧縮詠唱による甲高い音が俺様の口から漏れる。その間も俺様の両手は忙しなく動き、虚空に無数の秘印を刻み込む。
全方位から追っ手が接近するのを感じる。既に数は不明、とりあえず三十は軽く超えているようだ。
「行くぞ!」
「みつけましたよー!」
森から街道へと飛び出してきたのは槍を持ったホーネット数体とハニービー二十数体。本来敵対しているはずの両種族はお互いに目もくれず俺様に殺到してくる。
『爆轟魔陣(エスト・アエストゥス)!』
秘印が俺様の周りを取り囲み、次の瞬間激しい轟音と爆風が俺様を中心に広がった。
『きゃああぁぁぁぁぁっ!?』
周辺の森もろとも俺様に殺到してきたハニービーとホーネットの集団が爆風に吹き飛ばされて木の葉のように宙を舞う。
「ええいキリが無い!」
半径三十メートルほどの範囲を地面ごと綺麗に吹き飛ばしたのだが、それでも何体かは難を逃れて俺様へと襲い掛かってきた。流石の俺様も得物を持った複数の蜂達を相手に無手では不利だ。
「ふんっ!」
腰から剣の柄ほどの長さの魔法杖を抜き放ち一振りすると俺様特製の魔法杖はすぐさまその効果を発動し、蒼白い光でできた魔力の刃を形成した。
「くそぉ…何故こんなことに」
次々と打ちかかってくる蜂の槍を避け、時にはその槍を切断し、隙あらば電撃付与した魔力剣で斬りつけたり、魔力で強化した拳とか足の裏とか肘鉄をお見舞いしつつ愚痴をこぼす。
今現在、ハニービーとホーネットの両種族に襲われている『事の発端』はハニービーの巣から街に帰り、再びギルド支部へと足を運んだ三日前の夜まで遡る。
―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ――
「ふむ、お前が報告にあった魔術師か…話には聞いていたが、小さいな」
ギルドに戻った俺様を出迎えたのはそんな台詞だった。その命知らずな台詞を吐いたのは今、俺様の目の前でこの俺様を値踏みするかのような視線で見ている長身の女だ。
美しい蜂蜜色髪の毛の上に深緑のベレー帽を被り、身体にはスカウトが着るような野戦服をキッチリと纏っている。得物は腰の後ろに挿している大振りのダガーと、腰の横にぶら下げている革製の鞭らしい。
「おい、アール…」
「ああああ待って待って、落ち着いてくださいトロン!」
魔力を収束しようとする気配を察したのか、アールが慌てて俺様を止めに入る。そんな俺様達の様子に構わず女は俺の目の前へとツカツカと歩み寄ってきた。足に履いた革のブーツが妙に決まっている。
「ちょ、いきなり何をする貴様! こら離さんか!」
突然腰を折って俺様に抱きついてきた女にじたばたと抵抗すると、女はすぐに身を離した。何だ? 何か鼻を鳴らして匂いを嗅いでいたようだが。
「ふっ…その匂い、あの阿婆擦れと寝たか」
「あぁん…?」
自分の匂いを嗅いで見る…そう言われれば仄かに甘い匂いがするかもしれない。この匂いは…ピリカのフェロモンの残り香だろうか。
「私の名はラメトク、ラーメと呼んでも良いぞ」
「…そのラーメさんは俺様に何の用だ。喧嘩なら高価買取中だが――っ!?」
俺様の言葉にクスリとラーメが笑い、次の瞬間…彼女の姿が消え、俺様の身体を激しい衝撃が襲った。
為す術も無く俺様の身体が砲弾のように吹き飛び、店内の酒だの料理だの色々乗ったテーブルを巻き込んでドガラガッシャーン!と愉快な音を立てる。
「なんだだらしが無いな。我が精鋭を事も無げに制圧したというのはただのまぐれか?」
ふ、ふふ…フフフフフフ…
地の底から響くような不気味な笑い声をシンと静まり返った店内に響き渡らせながら、料理やら酒やら被って酷いことになってしまった俺様は立ち上がった。怒りのあまりに視認できるほどの魔力が俺様から立ち昇っているのを自覚する。自重はしない。
「うわ、うわぁ…これはまずい」
慌てるアールをよそに、俺様は自らの身体を一つポンと叩いた。それだけで俺様を汚していた酒だのなんだの色々なモノが一瞬で消え去る。
「ふふ、フフフ…いきなり蹴りをくれてくれるとは中々良い度胸をしてるじゃないか」
「ふむ、手応えはあったんだがな。やはり本物か」
ラーメは俺様が目に見えるほどの魔力を全身から立ち昇らせているのを見ても恐れるどころか、逆に立ち上がったことに感心してみせた。この状態の俺様を見ても一切動じないとは中々肝の据わった女だ。
「ガタガタ震えながら許しを乞う準備はできたか? クソアマ」
「その言葉、そっくり返そうじゃないか。ボウヤ」
「くっ…ヒヒヒ…いいねぇ、お前みたいなのはここ十年ほど見かけなかったぞ」
脚力を魔力でブーストし、思い切り床板を蹴ってラーメへの距離を詰める。魔力の余波で床板が消し飛び、後方で恐怖のあまり固まっていた数人の冒険者が悲鳴を上げたが、勿論俺様はそんなことを気にしない。
「シッ!」
飛び出した勢いのまま繰り出した拳をラーメが受け流し、俺様の腕を取ってそのまま後方へと投げ飛ばす。俺様はそれに逆らわず空中で身体を丸めて体勢を換え、壁に着地してそのまま再びラーメへと飛び掛った。
流石にこの動きは予想していなかったのかラーメは俺様の攻撃を受け流すことを諦め、横にステップして攻撃をかわす。
「突っ込んでくるだけか。まるで猪だな」
嘲るような笑いと共に繰り出したきた鋭い蹴りを魔力で強化した手の甲で打ち払い、油断していたラーメの腹部へと魔力で強烈な掌打をお見舞いした。今度はラーメが為す術もなく店内を吹っ飛んでいく。
「本来ならここで魔術による追い討ちをかけるところなんだが…命乞いをすれば死なない程度に手加減してやるぞ?」
書棚に叩きつけられ、書類やら書籍やらに埋もれたラーメに対して俺は素早く魔弾(タスラム)の魔術を構成し、その照準を合わせた。
「ぐ…くく…面白い。やはりお前は優秀な雄だな」
書類と書籍に埋もれていたラーメが立ち上がり、頭に被っていたベレー帽が落ちる。その頭頂部からは見覚えのある虫のような触角が二本突き出していた。
「その頭…まさか貴様」
「変化の術法を使えるのはあの阿婆擦れだけではない…だが、なるほど」
ラーメは納得したように頷くと、足元に落ちているベレー帽を拾い上げて被りなおした。
「やはりお前はあの阿婆擦れには勿体無い。私の夫になれ」
「…は?」
あまりに唐突過ぎる言葉に集中が途切れ、今にも標的を貫かんとばかりにいきり立っていた魔弾が霧散する。
「聞こえなかったか? 私の夫になれと言ったんだが」
『…な、何ィィっ!?』
店内の人間全員の心が一つになった瞬間だった。
―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ――
「ふむふむ、なるほど。ラメトクさんは部下である兵隊蜂からトロンの情報を聞き、それで女王である自らその品定めをしにきた、と」
「その通りだ」
蜂蜜酒を呑みながらアールの事情聴取に応えるラーメを横目に見つつ、俺様は少し離れた場所でちびちびとウィスキーを呑んでいた。俺様とラーメの戦闘で壊れた店内は既に俺様が魔法で修復済みである。
「何を見ている貴様ら…殺すぞ」
チラチラとこちらを見てくる店内の冒険者やゴロツキを威嚇する。流石にあの戦闘を目の当たりにした後で、それでもなお俺様を見てくる奴は…
「(・∀・)ニヤニヤ…」
唯一俺様を見てニヤニヤしていたシエラの額にパチンコ玉ほどの魔弾を放つ――が、ひょいと首を動かして避けやがった。流れ弾が見知らぬ冒険者に当たったようだが…まぁ、当たり所が悪くても激痛にのた打ち回るくらいのものだから放っておこう。
「なるほど…つまりトロンを生贄――じゃなくて夫として差し出せばホーネットはハニービーを駆逐するために戦力を提供する、というわけですか」
「ぶふぁっ!」
アールの言葉に思わず口に含んだウィスキーを噴き出す。バーテンダーがとてつもなく迷惑そうな顔をしたが、こっちはそれどころではない。
「げほっ! げほっ! そんなもん却下に決まっているだろうが!」
「何故だ? 優しく飼ってやるぞ?」
「何故だも何も飼うって発想の時点でお断りだ阿呆!」
俺様の言葉にラーメは「うむぅ」と唸って黙り込んだ。
「第一ハニービーはどうするんだ、ハニービーは。あっちはあっちでもう交渉のアポを取っているんだぞ」
「そうでしたねぇ…ホーネットとハニービーの両種族が争わないでくれるならそれがベストなんですが」
「無理だな。こちらから手を出さなかったとしても、奴らが黙ってはいない」
ラーメはそう言うと蜂蜜酒の入っていた木製のカップをテーブルに置いた。ちなみに何故か俺の奢りだ。
「ハニービーを滅ぼすのに人間の力を利用しようって事だろうが。その上この俺様の身柄を要求するとは図々しいにも程があるぞ」
「勘違いしてもらっては困るな。現状維持で困るのはお前達人間だろう?」
呆れたように肩を竦めながらラーメがやれやれと首を振る。
「確かにそうなんですがねぇ…」
アールがちらりとこちらに視線を送ってきた。こっち見んな殺すぞ。
「ふん…どうしても俺でないといかんのか? そこの優男でいいなら喜んでくれてやるぞ」
「ちょ、トロン!?」
「要らん、私が欲しいのはお前だけだ」
「いやあの、それはそれで傷つくんですが…」
バッサリと断られたアールが複雑な表情をする。
「いっそのことさー、思いっきり争わせればいーんじゃないのー?」
突如会話に入り込んできた声の主に三人の視線が集中する。
「なんだシエラか。酔っ払いはあっち行ってろ、シッシ」
「あーあーひどいなー。折角良い案を持ってきたのに」
ニヤニヤしながらシエラがアールの隣の席に座る。そういやこいつ、アールに気があるんだったか。
「ハニービーとホーネットでトロンを賭けて戦えば良いじゃない? 勝った方がトロンをゲット、その上負けた方はこの辺から出てくってことで」
「そんなこと納得できるかこの酔っ払いがっ!」
「きゃーこわーい、アールさんたすけてぇー」
吼える俺様に大げさに怯える振りをしてシエラがアールに抱きつく。そしてこいつは酔うと性格が破綻する極悪な酒乱だった。凄まじく性質が悪い。
「ちょ、シエラさんだめですって! うわぁっ!? なんてとこまさぐってるんですか貴女は!?」
「あん、もーアールさんったら恥ずかしがりやさんなんだから。まぁトロンならそう言うと思ったから、もちろんその辺も考えてあるよー」
アールに抵抗されたのでナニをまさぐるのを諦めたシエラは、代わりにアールにべったりと抱きつきながらにへらーっと笑った。
「ルールは単純、森の中を逃げ回るトロンを巣の中にお持ち帰りしたほうが勝ち。トロンは勿論抵抗してもOK、ただし魔法を使って隠れたり引き篭もったりするのは反則ね」
「ぐっ…」
魔術で陣地防御を築くか隠れてやれば良いか、と思ったら痛いところを塞がれた。
「制限時間は日が昇ってから落ちるまでで、トロンがそれまで逃げ切った場合はハニービーもホーネットも人間側の出す条件を呑むこと。どう?」
「…ふむ。面白そうだが、人間側が不正をしないという保証はあるのか?」
ちらりと鋭い視線で俺様を見てくる。
「しないよねぇー? まさか常日頃『俺様はパーフェクトだ』だなんて言ってる人がそんな姑息な真似できるわけないよねぇぇー?」
「く…あ、当たり前だ。ハニービーとホーネットなんぞまとめて来たところで相手にもならん」
自らの顔が引き攣っているのがよくわかる。あの巣の中にいた大量のハニービーに加えてホーネットまで相手にするのは、流石の俺様でも正直骨が折れるのは間違いない。
「ほう、そうやって扱うのか…」
ラーメはラーメでシエラから何かロクでもないことをラーニングしている気がする。もうやだこの酒場。
「で、どう? 女王サマはこの案どう思う?」
シエラの言葉にラーメは口元に手をやって暫く考え込んだ。どうやらアレが考えるときのクセらしい。
「良いだろう。臆病者の雑魚しかいないハニービーがその条件を呑むとは思えんが、我々はそれで構わない」
「じゃあ決まりぃー♪ いやぁトロンと会えるのもあと数日かぁ、寂しくなるなぁ」
「……終わったら真っ先にお前を泣かしてやるから覚悟しておけよ」
明くる日、その条件(とラーメの挑発発言)を聞いたピリカも
「あんな野蛮極まりない尻軽達にそんな事を言われるのは心外ですっ!」
と啖呵を切って参戦を決定。
二日の準備期間を経て、ついにその戦いの火蓋が切って落とされたのだった。
―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ――
「ふぅ…はぁ…」
背中を木に預けて息を整える。なんとか追っ手は撒いたが、再び捕捉されるのも時間の問題だ。どうも蜂どもは普通の人間には無い何かしらの感覚を持っているらしく、少しばかり隠れてもすぐに見つかってしまうのだ。
「数はかなり減らしたはずだが…」
撃破数を百五十くらいまでは数えていたのだが、馬鹿馬鹿しくなって途中でやめた。なんせいくら倒してもキリがないのだ。そもそも、数が圧倒的に多い相手に対して持久戦を強いられているというこの状況はどう考えても悪意がある設定としか思えない。
「シエラめ…どう仕返ししてやろうか」
俺様を擁護せずにホイホイとこんな事態をセットアップしたアールへの復讐も込めて、ヤツを女性化してやるのも良いかもしれない。ククク、二人そろってメイド服を着せて一週間ほどこき使ってくれる。いや…奴らが苦しむより百合の世界が花開くのが先だろうか?
「…アホな事を考えて現実逃避している場合ではないな」
気を取り直して状況を整理することにしよう。
まずは現在の情勢だが、そう悪い状況でもない。日の出と共に開始された今回のゲームだが――午前十時現在、俺様は蜂どもの第一波を粉砕して身を隠している。体力、魔力共に十全とは言わないがまだまだ余裕はある。
次に敵の状態だが、第一波の主戦力はハニービー達だった。数に任せて俺様を押しつぶそうとしたようだが、その全てが俺様の魔術によって爆砕されている。まぁ重傷者くらいはいるかもしれないが、死者は出ていないだろう。多分。
ホーネットは今のところ偵察に徹しているようだ。それでも通算二十体ほどは撃退しているわけだが。
魔力探査の結果によると…現在は少数の斥候が出ているだけで、他は負傷者の救護に追われているようである。恐らく再編成し、次はもう少し作戦を練って攻撃してくることだろう。
「さて、どうしたものか」
前哨戦は俺様が集団で襲い掛かってくる蜂どもを広範囲爆撃で吹き飛ばして勝利。偵察に徹していたホーネットはともかく、ハニービー達はかなりの被害を受けたに違いない。
暫くは負傷者の対応と人員の再編成のために組織的な行動は取れないと思って間違いない。問題はホーネットだ。
「戦力を温存し、俺様が疲れた所を叩くつもりか…?」
まぁ、そうだとしてもよほどのことが無い限り俺様の負けは有り得ない。蜂どもの動きは魔力探査によって俺様に筒抜けだからだ。
蜂どもは飛行するのに風の精霊を行使する。そうすれば当然魔力の波動が発生するので、俺様はそれを元に奴らの動きを把握することができるわけだ。どの方向からどれだけの戦力が来るのかわかりさえすれば遭遇する前にまとめて吹き飛ばすのは容易い。
――カサッ。
近くで何か動いた、と思った瞬間だった。
――ビシュッ!
「ぐガッ…!?」
突然身体を襲った激しい衝撃にもんどりうって倒れる。呼吸ができない。何が起こった!?
何かとんでもなく重いモノが俺様の身体のどこかに当たったのだろう。そうは理解できたが、何が起こっているのか全くわからない。
「はっ…ぐっ!」
一応声は出る。喉を潰されたわけではない。となると横隔膜…所謂みぞおちに何かを食らったのか?
「ふふ…魔力探査に頼って油断したな」
近くの茂みや木の上から人影が現れる。黄色と黒の縞模様、背中に生えた羽…
「き、貴様らぁ…ずっと飛ばずに待ち伏せ…していた…のか…」
ようやく言葉を話せるようになった俺様をホーネット達は素早く縛り上げ、おまけに猿轡までかませてくれた。
「むーっ! うぐむぅーっ!」
唸って抗議するが勿論そんなものが受け容れられるはずもはずもなく、ホーネット達は俺様を担ぎ上げてその羽を震わせ始めた。
「むぉ?」
途端に周囲の風の精霊が活性化し始め、旋風が巻き起こる。同時に離れたいくつもの場所で風の精霊力が高まったのを魔力探査で感じる。
どうやらホーネット達は俺様をハニービーの戦闘を観察し、俺様が魔力探査で敵の動向を察知しているのを看破したらしい。俺様はそれを逆手に取られ、まんまとしてやられたというわけだ。
俺様にあるまじき大失態である。だが、それで素直に負けを認める俺様ではない。
「むううぅぅぅぅん…――!」
自らの魔力を解放し、更に周囲にある大気中の魔力をも吸い上げて俺様の周りの魔力濃度を急激に高める。
「なっ!? こんな状態でも魔法を使えるのか!?」
『ふぉおおぉぉぉっ!』
ドガァァァァァァンッ!
俺様の身体を中心に強烈な魔力波が発生し、周囲の樹木ごとホーネット達を吹き飛ばした。
「ぶはぁっ! ぜぇー…ゼェー…」
指先から放射した魔力で手首を縛っていた魔力を焼き切り、猿轡を外して新鮮な空気を取り込む。
ホーネット達は今のが何らかの魔法だと勘違いしたようだが、今のはそんなに格好良いものではない。ただの魔力のオーバーロード、所謂魔法の暴発とか暴走と言われる現象だ。
見習い魔法使いがよくやる
『てへっ☆ 失敗しちゃった☆』
と同類のモノを俺様の魔力規模で起こしたわけだ。当然その威力はボカンと爆発して顔が真っ黒になったりアフロヘアーになったりするような可愛いものの比ではなく、見ての通り周辺を吹き飛ばすだけのものになる。
「ぐぬぬ…これは思ったよりきつい」
まともに術式を構成せずにこんな芸当をやった俺様にも当然その反動がくる。
見習い魔法使いの二割から三割がこういったオーバーロードを起こし、更にその二割ほどがこれで命を落とすか、魔力を失って魔法使いとしての命を失う。
俺様はそんなポカをやらかしたりはしないが、それでもダメージは少なくない。できれば休憩したいところなんだが…
ヒュヒュカッ!
風切り音と共に飛来した何かを無様に転がりながら避ける。風切り音の正体は――
「ボルト…? ボウガンかっ!?」
鏃の部分を錘に換装した短くて太いボウガン用の矢が風切り音の正体だった。
武器といえば槍しか使ってこないだろう、と高をくくっていたらこれだ。自分の浅はかさを呪わずにはいられない。恐らく先ほど俺様を悶絶させたのもこれだろう。
俺様の服と外套には矢や刃物を防ぐ魔法を付与してあるのだが、残念ながらその威力や衝撃を殺すほどのモノではない。貫通したり切り裂かれたりすることこそ無いが、当たれば痛いのだ。
「ええい畜生がっ!」
悪態を吐きながら木々の間を縫い、的を絞らせないように走り続ける。が、待てよ? これはまさか追い込まれてるんじゃなかろうか?
ヒュヒュヒュヒュヒュヒュンヒュンヒュカカカッ!
「げぇっ!?」
森を抜け、街道に出た瞬間四方八方からボルトの雨が降り注いできた。肉を貫く鋭い鏃ではなく、錘に換装しているからといって殺傷能力が落ちているわけではない。あんなものを頭部に食らった日には一撃で死ねる。
「げぶぁっ!?」
俺様の口からカエルが潰されたかのような声が漏れる。止まらずに、寧ろ速度を上げて前に飛び込むことによって何とか後ろ以外からのボルトは回避できたのだが、二〜三本程が俺様の背中に命中したらしい。
泣きそうなほど背中が痛いが、どうやら背骨が折れることは無かったようだ。他にボルトが当たらなかったのは幸運としか思えない。もしかしたらこの小さな身体が俺を助けることになったのかも知れん。
「もう我慢ならん、全員叩きのめしてやるわ!」
小枝やら何やらで切ったのか背中だけでなく身体のあちこちが痛むが、それを無視して俺様は腰の短いロッドを抜き放った。途端に魔力の刃が形成され、紫電を帯びる。
「なっ!? 突っ込んで――!?」
急に反転して突っ込んできた俺様に対応できず、ボウガンにボルトを番えようとしていた一匹のホーネットが俺様の紫電剣に斬りつけられて昏倒した。
「撃て、撃て! ここで仕留めろ!」
「甘いわ!」
昏倒したホーネットを片手で持ち上げ、飛来したボルトの盾にする。なんか嫌な呻き声とか音とか聞こえた気がするが、勿論気にしない。
「あ、あ…!? 悪魔かお前はっ!?」
「怒り狂った魔術師なんぞみんなそんなもんだボケっ!」
味方の『誤射』を受けてぼろぼろになった哀れなホーネットから手を離し、唖然としているホーネット達に猛然と近づく。
「うわっ!」
「散れ、散れ!」
「逃すかコラァ!」
飛び立とうとするホーネット達よりも早く紫電剣を地面に突き立て、一気に魔力を地面へと流し込んだ。
すぐにズン、という腹の底に響くような低い音が鳴り、周囲の風の精霊が霧散してゆく。まるで洞窟の中にでもいるような重苦しい空気が周囲を包み始めた。
「なっ!? と、飛べない!?」
ホーネット達はすぐにでも飛び立とうと羽を震わせるが、こうなってしまってはもう風の精霊の介入は不可能だ。
周囲一帯の精霊場は既に地の属性。俺様が支配している以上風の精霊の介入は一切許さない。
「ククク…俺様に一度ならず二度までも上等カマしてくれた代償、支払ってもらうぞ」
恐らく、シエラかアール辺りが今の俺の顔を見たら『うわぁ、悪そうな顔してる』とか言うに違いない。自分でもサディスティックに口の端が持ち上がるのが止められない。それもこれも背中が痛いせいだ。
「な、舐めるな! 飛べなくともチビで貧弱な魔術師如きに後れなど取るものか!」
そう叫んで空を飛ぶ翼を失ったホーネット達が槍やボウガンを構える。
「俺様をそんじょそこらのヘボ魔術師と一緒にするな。俺様はパァーフェクトな大魔術師様だぞ」
バチリ、と紫電を帯びた魔力剣が一つ大きな音を立てた。
遠くで雷鳴のようなものが鳴り響き、旅人は一瞬ビクリと肩を竦めた。通り雨だろうか? 今通っているこの街道は森の中を切り開いて作られているため、遠くの空を見るための見通しが利かない。
幸い雨宿りできそうな木は豊富にあるので、濡れ鼠になることは避けられるかもしれないがやはり雨には降られたくないものである。
「最近この街道では魔物が暴れてるって言ってたしな…」
北西にある街で聞いた話によると最近この街道を通ったキャラバンや旅人、冒険者が蜂型の魔物に襲われているらしい。
本来ならばそんな危険な道を通りたくは無いが、届け物をするために旅人はこの道をどうしても通らなければならなかった。いくら魔物が出没しているとは言っても、森の中を突っ切るよりは幾分マシだ。
それに、その噂のおかげでただ荷物を運ぶだけの仕事であるにも関わらずこの仕事は非常に報酬が高額だった。
ドォォォォオォォンッ!
再び大きな音が響く。先ほどよりもかなり近い上に、音のした方向から何か生暖かい風が吹いてきた気がした。まさか山火事でも起こったのだろうか。
「…なんだ?」
複数の気配が森の奥からこちらへと向かってくる。それを察知した旅人は慌てて近くの木陰に身を隠した。
「っ! クソ! あの女絶対泣かしてやる!」
そんな悪態を吐きながら街道へと躍り出てきたのは一目見て『値打ちものだ』とわかる赤い外套を纏った少年だった。
少年はすぐさま赤い外套を翻しながら自分の飛び出してきた森へと向き直り、両手を素早く動かす。
「爆圧魔法(ファルブレイズン)!」
そう言って少年が両手を突き出すと少年の掌の先に大人の握り拳ほどの光の球が現れた。一瞬の間を置いてから光球は森の中へと飛び去ってゆく。
ドガァァァァァンッ!
「うをっ!?」
突如起こった閃光と爆風に思わず旅人は声を上げる。少し遅れてから熱風が頬を撫でた。
「ま、魔法…?」
恐らく少年が攻撃魔法を行使したのだろう。森の奥がどうなっているかわからないが、今の爆風からしてかなり高威力の魔法行使であったことは間違いない。
「おい、そこの通行人! とっとと走れ! 街に逃げろ! 巻き込まれても俺様は知らん――っ!」
ぶぅぅんっ! という羽音と共に凄まじい速度で森から飛び出してきた影が少年へと飛び掛る。危ない! と思った次の瞬間に繰り広げられた光景に旅人は唖然とする。
「甘いわ阿呆が!」
その言葉と共に黒い影は少年に弾き飛ばされ、旅人の隠れている近くの木に激突してその動きを止めた。信じられないことだが、高く掲げた少年の足があの黒い影を蹴り飛ばしたらしい。
「ま、魔物?」
近くの木に激突したモノをよく見てみると、それは例の噂で聞いた蜂型の魔物のようだった。この街道に魔物が出るという噂は本当だったらしい。
「何をボケっとしている、とっとと走れ! 魔物との戦闘に巻き込まれたいのか!?」
「わ、わかった!」
赤い外套の少年が一体何者なのかは不明だが、あんなに動きの早い魔物との戦闘に巻き込まれるのはごめんだ。旅人はわき目も振らず南東へと走り出した。
―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ――
通行人が街の方向へと走っていったのを確認して俺様は気を取り直す。先ほどの爆圧魔法で追っ手の大半は戦闘不能になったようだが、更に多くの追っ手が俺様の元へと集結しつつあるようだ。
「―――っ!」
ぴゅいぃぃぃ、と高速圧縮詠唱による甲高い音が俺様の口から漏れる。その間も俺様の両手は忙しなく動き、虚空に無数の秘印を刻み込む。
全方位から追っ手が接近するのを感じる。既に数は不明、とりあえず三十は軽く超えているようだ。
「行くぞ!」
「みつけましたよー!」
森から街道へと飛び出してきたのは槍を持ったホーネット数体とハニービー二十数体。本来敵対しているはずの両種族はお互いに目もくれず俺様に殺到してくる。
『爆轟魔陣(エスト・アエストゥス)!』
秘印が俺様の周りを取り囲み、次の瞬間激しい轟音と爆風が俺様を中心に広がった。
『きゃああぁぁぁぁぁっ!?』
周辺の森もろとも俺様に殺到してきたハニービーとホーネットの集団が爆風に吹き飛ばされて木の葉のように宙を舞う。
「ええいキリが無い!」
半径三十メートルほどの範囲を地面ごと綺麗に吹き飛ばしたのだが、それでも何体かは難を逃れて俺様へと襲い掛かってきた。流石の俺様も得物を持った複数の蜂達を相手に無手では不利だ。
「ふんっ!」
腰から剣の柄ほどの長さの魔法杖を抜き放ち一振りすると俺様特製の魔法杖はすぐさまその効果を発動し、蒼白い光でできた魔力の刃を形成した。
「くそぉ…何故こんなことに」
次々と打ちかかってくる蜂の槍を避け、時にはその槍を切断し、隙あらば電撃付与した魔力剣で斬りつけたり、魔力で強化した拳とか足の裏とか肘鉄をお見舞いしつつ愚痴をこぼす。
今現在、ハニービーとホーネットの両種族に襲われている『事の発端』はハニービーの巣から街に帰り、再びギルド支部へと足を運んだ三日前の夜まで遡る。
―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ――
「ふむ、お前が報告にあった魔術師か…話には聞いていたが、小さいな」
ギルドに戻った俺様を出迎えたのはそんな台詞だった。その命知らずな台詞を吐いたのは今、俺様の目の前でこの俺様を値踏みするかのような視線で見ている長身の女だ。
美しい蜂蜜色髪の毛の上に深緑のベレー帽を被り、身体にはスカウトが着るような野戦服をキッチリと纏っている。得物は腰の後ろに挿している大振りのダガーと、腰の横にぶら下げている革製の鞭らしい。
「おい、アール…」
「ああああ待って待って、落ち着いてくださいトロン!」
魔力を収束しようとする気配を察したのか、アールが慌てて俺様を止めに入る。そんな俺様達の様子に構わず女は俺の目の前へとツカツカと歩み寄ってきた。足に履いた革のブーツが妙に決まっている。
「ちょ、いきなり何をする貴様! こら離さんか!」
突然腰を折って俺様に抱きついてきた女にじたばたと抵抗すると、女はすぐに身を離した。何だ? 何か鼻を鳴らして匂いを嗅いでいたようだが。
「ふっ…その匂い、あの阿婆擦れと寝たか」
「あぁん…?」
自分の匂いを嗅いで見る…そう言われれば仄かに甘い匂いがするかもしれない。この匂いは…ピリカのフェロモンの残り香だろうか。
「私の名はラメトク、ラーメと呼んでも良いぞ」
「…そのラーメさんは俺様に何の用だ。喧嘩なら高価買取中だが――っ!?」
俺様の言葉にクスリとラーメが笑い、次の瞬間…彼女の姿が消え、俺様の身体を激しい衝撃が襲った。
為す術も無く俺様の身体が砲弾のように吹き飛び、店内の酒だの料理だの色々乗ったテーブルを巻き込んでドガラガッシャーン!と愉快な音を立てる。
「なんだだらしが無いな。我が精鋭を事も無げに制圧したというのはただのまぐれか?」
ふ、ふふ…フフフフフフ…
地の底から響くような不気味な笑い声をシンと静まり返った店内に響き渡らせながら、料理やら酒やら被って酷いことになってしまった俺様は立ち上がった。怒りのあまりに視認できるほどの魔力が俺様から立ち昇っているのを自覚する。自重はしない。
「うわ、うわぁ…これはまずい」
慌てるアールをよそに、俺様は自らの身体を一つポンと叩いた。それだけで俺様を汚していた酒だのなんだの色々なモノが一瞬で消え去る。
「ふふ、フフフ…いきなり蹴りをくれてくれるとは中々良い度胸をしてるじゃないか」
「ふむ、手応えはあったんだがな。やはり本物か」
ラーメは俺様が目に見えるほどの魔力を全身から立ち昇らせているのを見ても恐れるどころか、逆に立ち上がったことに感心してみせた。この状態の俺様を見ても一切動じないとは中々肝の据わった女だ。
「ガタガタ震えながら許しを乞う準備はできたか? クソアマ」
「その言葉、そっくり返そうじゃないか。ボウヤ」
「くっ…ヒヒヒ…いいねぇ、お前みたいなのはここ十年ほど見かけなかったぞ」
脚力を魔力でブーストし、思い切り床板を蹴ってラーメへの距離を詰める。魔力の余波で床板が消し飛び、後方で恐怖のあまり固まっていた数人の冒険者が悲鳴を上げたが、勿論俺様はそんなことを気にしない。
「シッ!」
飛び出した勢いのまま繰り出した拳をラーメが受け流し、俺様の腕を取ってそのまま後方へと投げ飛ばす。俺様はそれに逆らわず空中で身体を丸めて体勢を換え、壁に着地してそのまま再びラーメへと飛び掛った。
流石にこの動きは予想していなかったのかラーメは俺様の攻撃を受け流すことを諦め、横にステップして攻撃をかわす。
「突っ込んでくるだけか。まるで猪だな」
嘲るような笑いと共に繰り出したきた鋭い蹴りを魔力で強化した手の甲で打ち払い、油断していたラーメの腹部へと魔力で強烈な掌打をお見舞いした。今度はラーメが為す術もなく店内を吹っ飛んでいく。
「本来ならここで魔術による追い討ちをかけるところなんだが…命乞いをすれば死なない程度に手加減してやるぞ?」
書棚に叩きつけられ、書類やら書籍やらに埋もれたラーメに対して俺は素早く魔弾(タスラム)の魔術を構成し、その照準を合わせた。
「ぐ…くく…面白い。やはりお前は優秀な雄だな」
書類と書籍に埋もれていたラーメが立ち上がり、頭に被っていたベレー帽が落ちる。その頭頂部からは見覚えのある虫のような触角が二本突き出していた。
「その頭…まさか貴様」
「変化の術法を使えるのはあの阿婆擦れだけではない…だが、なるほど」
ラーメは納得したように頷くと、足元に落ちているベレー帽を拾い上げて被りなおした。
「やはりお前はあの阿婆擦れには勿体無い。私の夫になれ」
「…は?」
あまりに唐突過ぎる言葉に集中が途切れ、今にも標的を貫かんとばかりにいきり立っていた魔弾が霧散する。
「聞こえなかったか? 私の夫になれと言ったんだが」
『…な、何ィィっ!?』
店内の人間全員の心が一つになった瞬間だった。
―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ――
「ふむふむ、なるほど。ラメトクさんは部下である兵隊蜂からトロンの情報を聞き、それで女王である自らその品定めをしにきた、と」
「その通りだ」
蜂蜜酒を呑みながらアールの事情聴取に応えるラーメを横目に見つつ、俺様は少し離れた場所でちびちびとウィスキーを呑んでいた。俺様とラーメの戦闘で壊れた店内は既に俺様が魔法で修復済みである。
「何を見ている貴様ら…殺すぞ」
チラチラとこちらを見てくる店内の冒険者やゴロツキを威嚇する。流石にあの戦闘を目の当たりにした後で、それでもなお俺様を見てくる奴は…
「(・∀・)ニヤニヤ…」
唯一俺様を見てニヤニヤしていたシエラの額にパチンコ玉ほどの魔弾を放つ――が、ひょいと首を動かして避けやがった。流れ弾が見知らぬ冒険者に当たったようだが…まぁ、当たり所が悪くても激痛にのた打ち回るくらいのものだから放っておこう。
「なるほど…つまりトロンを生贄――じゃなくて夫として差し出せばホーネットはハニービーを駆逐するために戦力を提供する、というわけですか」
「ぶふぁっ!」
アールの言葉に思わず口に含んだウィスキーを噴き出す。バーテンダーがとてつもなく迷惑そうな顔をしたが、こっちはそれどころではない。
「げほっ! げほっ! そんなもん却下に決まっているだろうが!」
「何故だ? 優しく飼ってやるぞ?」
「何故だも何も飼うって発想の時点でお断りだ阿呆!」
俺様の言葉にラーメは「うむぅ」と唸って黙り込んだ。
「第一ハニービーはどうするんだ、ハニービーは。あっちはあっちでもう交渉のアポを取っているんだぞ」
「そうでしたねぇ…ホーネットとハニービーの両種族が争わないでくれるならそれがベストなんですが」
「無理だな。こちらから手を出さなかったとしても、奴らが黙ってはいない」
ラーメはそう言うと蜂蜜酒の入っていた木製のカップをテーブルに置いた。ちなみに何故か俺の奢りだ。
「ハニービーを滅ぼすのに人間の力を利用しようって事だろうが。その上この俺様の身柄を要求するとは図々しいにも程があるぞ」
「勘違いしてもらっては困るな。現状維持で困るのはお前達人間だろう?」
呆れたように肩を竦めながらラーメがやれやれと首を振る。
「確かにそうなんですがねぇ…」
アールがちらりとこちらに視線を送ってきた。こっち見んな殺すぞ。
「ふん…どうしても俺でないといかんのか? そこの優男でいいなら喜んでくれてやるぞ」
「ちょ、トロン!?」
「要らん、私が欲しいのはお前だけだ」
「いやあの、それはそれで傷つくんですが…」
バッサリと断られたアールが複雑な表情をする。
「いっそのことさー、思いっきり争わせればいーんじゃないのー?」
突如会話に入り込んできた声の主に三人の視線が集中する。
「なんだシエラか。酔っ払いはあっち行ってろ、シッシ」
「あーあーひどいなー。折角良い案を持ってきたのに」
ニヤニヤしながらシエラがアールの隣の席に座る。そういやこいつ、アールに気があるんだったか。
「ハニービーとホーネットでトロンを賭けて戦えば良いじゃない? 勝った方がトロンをゲット、その上負けた方はこの辺から出てくってことで」
「そんなこと納得できるかこの酔っ払いがっ!」
「きゃーこわーい、アールさんたすけてぇー」
吼える俺様に大げさに怯える振りをしてシエラがアールに抱きつく。そしてこいつは酔うと性格が破綻する極悪な酒乱だった。凄まじく性質が悪い。
「ちょ、シエラさんだめですって! うわぁっ!? なんてとこまさぐってるんですか貴女は!?」
「あん、もーアールさんったら恥ずかしがりやさんなんだから。まぁトロンならそう言うと思ったから、もちろんその辺も考えてあるよー」
アールに抵抗されたのでナニをまさぐるのを諦めたシエラは、代わりにアールにべったりと抱きつきながらにへらーっと笑った。
「ルールは単純、森の中を逃げ回るトロンを巣の中にお持ち帰りしたほうが勝ち。トロンは勿論抵抗してもOK、ただし魔法を使って隠れたり引き篭もったりするのは反則ね」
「ぐっ…」
魔術で陣地防御を築くか隠れてやれば良いか、と思ったら痛いところを塞がれた。
「制限時間は日が昇ってから落ちるまでで、トロンがそれまで逃げ切った場合はハニービーもホーネットも人間側の出す条件を呑むこと。どう?」
「…ふむ。面白そうだが、人間側が不正をしないという保証はあるのか?」
ちらりと鋭い視線で俺様を見てくる。
「しないよねぇー? まさか常日頃『俺様はパーフェクトだ』だなんて言ってる人がそんな姑息な真似できるわけないよねぇぇー?」
「く…あ、当たり前だ。ハニービーとホーネットなんぞまとめて来たところで相手にもならん」
自らの顔が引き攣っているのがよくわかる。あの巣の中にいた大量のハニービーに加えてホーネットまで相手にするのは、流石の俺様でも正直骨が折れるのは間違いない。
「ほう、そうやって扱うのか…」
ラーメはラーメでシエラから何かロクでもないことをラーニングしている気がする。もうやだこの酒場。
「で、どう? 女王サマはこの案どう思う?」
シエラの言葉にラーメは口元に手をやって暫く考え込んだ。どうやらアレが考えるときのクセらしい。
「良いだろう。臆病者の雑魚しかいないハニービーがその条件を呑むとは思えんが、我々はそれで構わない」
「じゃあ決まりぃー♪ いやぁトロンと会えるのもあと数日かぁ、寂しくなるなぁ」
「……終わったら真っ先にお前を泣かしてやるから覚悟しておけよ」
明くる日、その条件(とラーメの挑発発言)を聞いたピリカも
「あんな野蛮極まりない尻軽達にそんな事を言われるのは心外ですっ!」
と啖呵を切って参戦を決定。
二日の準備期間を経て、ついにその戦いの火蓋が切って落とされたのだった。
―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ――
「ふぅ…はぁ…」
背中を木に預けて息を整える。なんとか追っ手は撒いたが、再び捕捉されるのも時間の問題だ。どうも蜂どもは普通の人間には無い何かしらの感覚を持っているらしく、少しばかり隠れてもすぐに見つかってしまうのだ。
「数はかなり減らしたはずだが…」
撃破数を百五十くらいまでは数えていたのだが、馬鹿馬鹿しくなって途中でやめた。なんせいくら倒してもキリがないのだ。そもそも、数が圧倒的に多い相手に対して持久戦を強いられているというこの状況はどう考えても悪意がある設定としか思えない。
「シエラめ…どう仕返ししてやろうか」
俺様を擁護せずにホイホイとこんな事態をセットアップしたアールへの復讐も込めて、ヤツを女性化してやるのも良いかもしれない。ククク、二人そろってメイド服を着せて一週間ほどこき使ってくれる。いや…奴らが苦しむより百合の世界が花開くのが先だろうか?
「…アホな事を考えて現実逃避している場合ではないな」
気を取り直して状況を整理することにしよう。
まずは現在の情勢だが、そう悪い状況でもない。日の出と共に開始された今回のゲームだが――午前十時現在、俺様は蜂どもの第一波を粉砕して身を隠している。体力、魔力共に十全とは言わないがまだまだ余裕はある。
次に敵の状態だが、第一波の主戦力はハニービー達だった。数に任せて俺様を押しつぶそうとしたようだが、その全てが俺様の魔術によって爆砕されている。まぁ重傷者くらいはいるかもしれないが、死者は出ていないだろう。多分。
ホーネットは今のところ偵察に徹しているようだ。それでも通算二十体ほどは撃退しているわけだが。
魔力探査の結果によると…現在は少数の斥候が出ているだけで、他は負傷者の救護に追われているようである。恐らく再編成し、次はもう少し作戦を練って攻撃してくることだろう。
「さて、どうしたものか」
前哨戦は俺様が集団で襲い掛かってくる蜂どもを広範囲爆撃で吹き飛ばして勝利。偵察に徹していたホーネットはともかく、ハニービー達はかなりの被害を受けたに違いない。
暫くは負傷者の対応と人員の再編成のために組織的な行動は取れないと思って間違いない。問題はホーネットだ。
「戦力を温存し、俺様が疲れた所を叩くつもりか…?」
まぁ、そうだとしてもよほどのことが無い限り俺様の負けは有り得ない。蜂どもの動きは魔力探査によって俺様に筒抜けだからだ。
蜂どもは飛行するのに風の精霊を行使する。そうすれば当然魔力の波動が発生するので、俺様はそれを元に奴らの動きを把握することができるわけだ。どの方向からどれだけの戦力が来るのかわかりさえすれば遭遇する前にまとめて吹き飛ばすのは容易い。
――カサッ。
近くで何か動いた、と思った瞬間だった。
――ビシュッ!
「ぐガッ…!?」
突然身体を襲った激しい衝撃にもんどりうって倒れる。呼吸ができない。何が起こった!?
何かとんでもなく重いモノが俺様の身体のどこかに当たったのだろう。そうは理解できたが、何が起こっているのか全くわからない。
「はっ…ぐっ!」
一応声は出る。喉を潰されたわけではない。となると横隔膜…所謂みぞおちに何かを食らったのか?
「ふふ…魔力探査に頼って油断したな」
近くの茂みや木の上から人影が現れる。黄色と黒の縞模様、背中に生えた羽…
「き、貴様らぁ…ずっと飛ばずに待ち伏せ…していた…のか…」
ようやく言葉を話せるようになった俺様をホーネット達は素早く縛り上げ、おまけに猿轡までかませてくれた。
「むーっ! うぐむぅーっ!」
唸って抗議するが勿論そんなものが受け容れられるはずもはずもなく、ホーネット達は俺様を担ぎ上げてその羽を震わせ始めた。
「むぉ?」
途端に周囲の風の精霊が活性化し始め、旋風が巻き起こる。同時に離れたいくつもの場所で風の精霊力が高まったのを魔力探査で感じる。
どうやらホーネット達は俺様をハニービーの戦闘を観察し、俺様が魔力探査で敵の動向を察知しているのを看破したらしい。俺様はそれを逆手に取られ、まんまとしてやられたというわけだ。
俺様にあるまじき大失態である。だが、それで素直に負けを認める俺様ではない。
「むううぅぅぅぅん…――!」
自らの魔力を解放し、更に周囲にある大気中の魔力をも吸い上げて俺様の周りの魔力濃度を急激に高める。
「なっ!? こんな状態でも魔法を使えるのか!?」
『ふぉおおぉぉぉっ!』
ドガァァァァァァンッ!
俺様の身体を中心に強烈な魔力波が発生し、周囲の樹木ごとホーネット達を吹き飛ばした。
「ぶはぁっ! ぜぇー…ゼェー…」
指先から放射した魔力で手首を縛っていた魔力を焼き切り、猿轡を外して新鮮な空気を取り込む。
ホーネット達は今のが何らかの魔法だと勘違いしたようだが、今のはそんなに格好良いものではない。ただの魔力のオーバーロード、所謂魔法の暴発とか暴走と言われる現象だ。
見習い魔法使いがよくやる
『てへっ☆ 失敗しちゃった☆』
と同類のモノを俺様の魔力規模で起こしたわけだ。当然その威力はボカンと爆発して顔が真っ黒になったりアフロヘアーになったりするような可愛いものの比ではなく、見ての通り周辺を吹き飛ばすだけのものになる。
「ぐぬぬ…これは思ったよりきつい」
まともに術式を構成せずにこんな芸当をやった俺様にも当然その反動がくる。
見習い魔法使いの二割から三割がこういったオーバーロードを起こし、更にその二割ほどがこれで命を落とすか、魔力を失って魔法使いとしての命を失う。
俺様はそんなポカをやらかしたりはしないが、それでもダメージは少なくない。できれば休憩したいところなんだが…
ヒュヒュカッ!
風切り音と共に飛来した何かを無様に転がりながら避ける。風切り音の正体は――
「ボルト…? ボウガンかっ!?」
鏃の部分を錘に換装した短くて太いボウガン用の矢が風切り音の正体だった。
武器といえば槍しか使ってこないだろう、と高をくくっていたらこれだ。自分の浅はかさを呪わずにはいられない。恐らく先ほど俺様を悶絶させたのもこれだろう。
俺様の服と外套には矢や刃物を防ぐ魔法を付与してあるのだが、残念ながらその威力や衝撃を殺すほどのモノではない。貫通したり切り裂かれたりすることこそ無いが、当たれば痛いのだ。
「ええい畜生がっ!」
悪態を吐きながら木々の間を縫い、的を絞らせないように走り続ける。が、待てよ? これはまさか追い込まれてるんじゃなかろうか?
ヒュヒュヒュヒュヒュヒュンヒュンヒュカカカッ!
「げぇっ!?」
森を抜け、街道に出た瞬間四方八方からボルトの雨が降り注いできた。肉を貫く鋭い鏃ではなく、錘に換装しているからといって殺傷能力が落ちているわけではない。あんなものを頭部に食らった日には一撃で死ねる。
「げぶぁっ!?」
俺様の口からカエルが潰されたかのような声が漏れる。止まらずに、寧ろ速度を上げて前に飛び込むことによって何とか後ろ以外からのボルトは回避できたのだが、二〜三本程が俺様の背中に命中したらしい。
泣きそうなほど背中が痛いが、どうやら背骨が折れることは無かったようだ。他にボルトが当たらなかったのは幸運としか思えない。もしかしたらこの小さな身体が俺を助けることになったのかも知れん。
「もう我慢ならん、全員叩きのめしてやるわ!」
小枝やら何やらで切ったのか背中だけでなく身体のあちこちが痛むが、それを無視して俺様は腰の短いロッドを抜き放った。途端に魔力の刃が形成され、紫電を帯びる。
「なっ!? 突っ込んで――!?」
急に反転して突っ込んできた俺様に対応できず、ボウガンにボルトを番えようとしていた一匹のホーネットが俺様の紫電剣に斬りつけられて昏倒した。
「撃て、撃て! ここで仕留めろ!」
「甘いわ!」
昏倒したホーネットを片手で持ち上げ、飛来したボルトの盾にする。なんか嫌な呻き声とか音とか聞こえた気がするが、勿論気にしない。
「あ、あ…!? 悪魔かお前はっ!?」
「怒り狂った魔術師なんぞみんなそんなもんだボケっ!」
味方の『誤射』を受けてぼろぼろになった哀れなホーネットから手を離し、唖然としているホーネット達に猛然と近づく。
「うわっ!」
「散れ、散れ!」
「逃すかコラァ!」
飛び立とうとするホーネット達よりも早く紫電剣を地面に突き立て、一気に魔力を地面へと流し込んだ。
すぐにズン、という腹の底に響くような低い音が鳴り、周囲の風の精霊が霧散してゆく。まるで洞窟の中にでもいるような重苦しい空気が周囲を包み始めた。
「なっ!? と、飛べない!?」
ホーネット達はすぐにでも飛び立とうと羽を震わせるが、こうなってしまってはもう風の精霊の介入は不可能だ。
周囲一帯の精霊場は既に地の属性。俺様が支配している以上風の精霊の介入は一切許さない。
「ククク…俺様に一度ならず二度までも上等カマしてくれた代償、支払ってもらうぞ」
恐らく、シエラかアール辺りが今の俺の顔を見たら『うわぁ、悪そうな顔してる』とか言うに違いない。自分でもサディスティックに口の端が持ち上がるのが止められない。それもこれも背中が痛いせいだ。
「な、舐めるな! 飛べなくともチビで貧弱な魔術師如きに後れなど取るものか!」
そう叫んで空を飛ぶ翼を失ったホーネット達が槍やボウガンを構える。
「俺様をそんじょそこらのヘボ魔術師と一緒にするな。俺様はパァーフェクトな大魔術師様だぞ」
バチリ、と紫電を帯びた魔力剣が一つ大きな音を立てた。
09/12/23 04:44更新 / R
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