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甘いか辛いかしょっぱいか |
「今日もちょっくら行って来る」
「あいよ」 居候の小娘に手を振っていつもの様にハンマーを肩に担ぐ。 肩にかかる鉄製のハンマーの重みは何時も通り。 「さぁて。今日もいっちょ、叩いて叩いて叩きまくってやろうじゃないか」 ストンクレイ工房。 ここがあたしの仕事場だ。 古き良き洞窟の中に作られた通路を歩いた先では、朝も早くから見知った仲間が鉄を叩いていた。 「いよぉ」 「いよー」 工房にいるのはどいつもこいつも鉄弄りの好きな魔物ばかりだ。 小鬼に一つ目にネズミっ子。 どいつもこいつも金槌片手に鉄の塊を叩いている。 他にはトカゲっ子が路銀稼ぎに鉱石運びを手伝っていたり、工房を広げる為にやってきたアリん子が工房長のドワーフとなにやら小難しい話をしている。 「また工房を広げるつもりかい?」 気になったんで話に加わってみる。 「あんた、また寝坊したのかい」 「どうしてそうなるわけだ」 「寝癖ついたまんまだよ。まったく、華の乙女も台無しだ」 「ははっ、あたしらに愛らしさを求めるってのが間違いだよ」 自慢のハンマーを一振りしてみせる。 あたしは確かに男も悪かない、むしろ大好きだ。 「けどねぇ、わかるだろ? 男は抱くもんだ。抱かれるもんじゃねえ。だったら愛らしさなんていらないだろ」 「違いないねぇ」 あたしら二人は揃って笑う。 「ホント、ドワーフって見た目と裏腹に姉御肌の人が多いですねぇ」 「は、魔王の代替わりの影響で何で性格まで変えなきゃいけないんだ」 それもそうですねぇ、と納得したアリん子。 ドワーフは元々こういう性格なんだ。 死んでも直りゃしないってエルフのお墨付きを貰うぐらいだ、ちょっと見た目が可愛らしくなった位じゃ変わりはしないさ。 「それよか、工房をどうする気なんだ?」 「でかくするんだよ。ここも随分と人が増えたんでさ」 「増えた所でたまたまやってきた男とくっついて人が減るんだろ」 「あたしもそう思って放って置いていたんだけどねぇ。ここには心底鉄弄りが好きな奴が集まっているみたいだ」 「男のアレを弄るより鉄弄りの方が好きだってのかい?」 「こら、口が悪いよ」 「別にあたしだって悪口で言っているわけじゃあないさ。むしろ嬉しい位だよ。今日日、どいつもこいつも色恋に浮かれて見てらんない」 「いいじゃないか。あんただって恋くらいしたいだろう?」 恋、そう言われて即答できなかった。 見透かしたように笑う悪友から視線を外す。 「アンタも旦那と一緒にここに来ればいい」 「は、それこそありえない。今の世の中、人間はどいつもこいつも魔物狩りばかりだろう。鉄弄りしようなんて奇特な馬鹿はいないよ」 「なら探せばいいさ」 「なんだい。あたしが邪魔ならそういえばいいだろう」 「あっはっは。違う違う。あんただって恋の一つや二つ追ったっていいんだよ。みんな、それが気になって仕方がないのさ」 「はぁあ?」 周りを見渡すと、視線を反らす馬鹿もいれば応援するようにハンマーを持ち上げる馬鹿もいる。 「だったらアンタが先に見つければ」 と言ってから気づいた。 まさか、と小さく呟くと悪友が照れ臭そうに笑った。 「恋ってのはいいもんさ。鉄弄りを止めろだなんていいはしないよ。あたしだって絶対にやめないしね。だけどね、折角女に生まれたんだ。恋くらいしたいだろう」 「馬鹿。あたしらは前魔王の代に生まれただろうが」 「おい、居候」 「なんだよ」 「ちょいと長旅に出てくるから、留守は頼んだぞ」 「へ? ちょ、ちょっと、姉御ぉ!?」 いつもみたく見送るかと思ったら、いきなり止められた。 小娘はあたしより随分と若いがあたしより背が高い。 抱きかかえられたあたしはさしずめ大きなぬいぐるみの様なもんだ。 「姉御に出て行かれたら、あたしは食べるものがないじゃないですかぁ!」 「生きろ」 「無理です!」 「はぁ。あんたにゃしょぼいながらもスリの腕があるだろう。それで生きな」 「やです! あたしは姉御について行きますから! 絶対ついて行きますから!」 家は空けておくとすぐ駄目になるから残っていて欲しかったんだけど、こりゃ無理そうだ。 「仕方ない。出かける用意をしてきな」 「姉御ぉ!」 「ほら、さっさとしな」 「はい!」 「そこのアンタ。ちょっとお茶しないか?」 「き、きみ! そんな露出の多い服装していちゃだめじゃないか!」 「てめぇ、あたしらの服にけちつけんな!」 「ぐはぁ!」 「お嬢ちゃん〜、おじさんといっしょにぐはぁ!」 「ささ、こっちへ行きましょうか」 「あ、うん」 「ほらこの花なんか君ににあぐはぁ!」 「ちょ、姉御!?」 「こいつはネムリ草じゃないか。こんなしょぼい手に引っかかるんじゃないよ、ん?」 「すー、すー」 「やれやれ」 「愛してますお嬢ちゃんんんんんごはぁ!」 「帰れ」 「姉御! 糸、糸がピンって!」 「よくやった! そのまま手を離すんじゃないよ!」 「んくくくくく!」 「気合だ、腹に気合を込めな!」 「ぬぐぐぐぐぐぐ!」 「よし、今だ! 思い切り引き上げるんだよ!」 「ンぐぐぐぐ、らっしゃぁああああ!!」 「は、やれば出来るじゃあないか」 「あ、姉御ぉ、うわ、つめたっ」 「あははは。釣った魚に舐められるようじゃ、まだまだ半人前だねぇ」 「こらー、まてー!」 「うわわわ! 矢、矢が飛んでくる!」 「追いつかれたら皮を剥がれるよ! 全力で逃げな!」 「誰が皮を剥ぐか! 我々エルフを下船のモノと同一視するな!」 「ソレを言うなら下賎の者、だろう!」 「きー! まてー!」 「姉御ぉ。もう晩御飯にしようよ」 「いいから一人で食べてきな。あたしはもうちょっとここにいるよ」 「あたしもうお腹すいちゃったよぉ」 「ふん。人間ってのはたまにとんでもなく腕の立つやつがいるもんだね」 「お嬢ちゃん、中々の目利きだね」 「そりゃ当たり前さ。あたしはプロだ」 「だったらこいつはどうだ?」 「む、むむ。真鍮のブレスレッドか。素材自体は及第点以下、全然駄目だね。でもこの造詣は、むぅ」 「姉御ぉ〜」 「おじょうさはぁああああああごはぁ!」 「帰れ」 「お嬢ちゃん。お花をごはぁ!」 「あんたもしつこい」 「ふふふ、お嬢ちゃんこれをごはぁ!」 「ア、姉御。こいつ、マントの下は素っぱだ」 「この辺りは変態の巣窟かい」 「貴女はかみを、ごはぁ!」 「神父さんを殴っちゃ駄目でしょう!?」 「あたしゃ神様ってのが大嫌いなんだよ」 「あー、もう。あれ、この本ってさ、聖書じゃないみたいだよ? うわ、裸の小さい女の子の絵がいっぱい」 「それがそいつにとっての聖書(バイブル)なんだろうさ」 「姉御! これが海なの!? すっごく広いよ!」 「やれやれ。広いのはいいけど、見事なまでに渦に飲まれちまったね」 「いやぁごめんごめん。あの子、最近は全然あたり引いてないらしくってさー。手当たり次第飲み込んでるんだよ」 「だったらあんたらがいい人紹介してやりなよ」 「いやぁはっはは。私たちも必死なんだよ」 「すごい、すごいよ! 世界が回ってるみたいだよ!」 「世界は回ってるさ。今も、昔も」 「格好のいい事言ってるけど、沈没まであと10秒ってとこだね」 「あ、人魚だ! すごい、帽子かぶって、がぶぶぶぶ」 「姉御ー、海の次は山?」 「海はもうこりごりだって言ってなかったかい」 「そりゃ言ってたけどさ。寒いよ」 「ふん。見事に吹雪いたもんだね。ほら、こっち寄りな」 「やだよ。恥ずかしいじゃないか」 「恥ずかしがる様な間柄じゃないだろ。誰かに見られるって訳でもあるまいし」 「そ、そういう言い方しなくってもいいじゃないかっ」 「いいから寄りな。凍死しちまうよ」 「う、うぅ」 「人間止めたいってなら構わないけどね。雪で死んでもゆきおんなにゃなれないよ」 「わかったよぉ。これでいい?」 「そのまま目を瞑って眠りな。起きる頃には天気も回復しているさ」 「う〜」 「たまには本を読まないとね。字の読み方を忘れちまうよ」 「もっと絵が載っている楽しい本はないの?」 「あるけど今はお預けだよ。ほら、とっとと読みなよ。日が暮れちまうじゃないか」 「うぅ〜」 「へっ、がきのくせにやるじゃねえか」 「ガキだがきだと言っている内はまだまだ子供だよ」 「言わせておけば!」 「剣の扱い方が半人前なら口の聞き方も半人前だねぇ。ちょっと大人の世界って奴を教えてやるよ」 「ぐ、ぐはぁ!」 「すごい。姉御って強かったんだ」 「何度も言っているじゃないか。あたしはプロだ」 「ふん、てい、てりゃぁ!」 「振りが甘い。そんなんじゃ剣に振り回されるだけだよ」 「姉御ぉ、疲れたよ」 「弱音が吐けるならまだ元気はあるって事だ。素振り200回追加」 「うえぇえええ!?」 「へっ、いつかてめぇを抜いてやるぜ」 「そうかいそうかい。じゃあ一本抜いておくかい?」 「へ、い、いや、それはごかんべん、きゃー!」 「うわぁ、またやっちゃってる」 「だらしないねぇ。こっちも半人前だなんて」 「あー、うわー」 「ほら、あんたも黙ってみてないで素振り! なんならあんたも参加させるよ?」 「ひっ、わ、わかったよぉ!」 「働きたくないよぉ」 「何だこいつ。ジャイアントアントって働き者って聞いたんだけどさ」 「うん。ねぇ姉御、何でこいつ働いてないの?」 「足を良く見てみな」 「なんだそりゃ」 「足、足、あし。あー! なんか足が多い!」 「え、まじ?」 「こいつらはありん子もどきっつーか、ありん子っぽい蜘蛛だよ。性格は見ての通り」 「蜘蛛かよ、こいつ」 「糸も使うの?」 「気にしなくていいさ。こいつらにゃ働くって頭がないからね」 「そんなことないよ〜、あ〜でも働きたくないな〜」 「うわ、駄目人間だ」 「駄目人間って言うか、駄目魔物ね」 「あんたらもこんな風にはなっちゃいけないよ」 「働いたら負けだと思ってる」 「くぉらあ! 俺の酒が飲めねぇのか」 「こいつ酒癖悪いなぁ」 「酒は飲むもの。呑まれちゃなんないよ」 「へっ、ガキがいっちょ前になにを、ぐはぁ!」 「一人前の口を聞きたきゃ、まず酒の飲み方を覚えな」 「ふん、馬鹿なんだから」 「げふー」 「おし! 一本とったぜ!」 「すごい、初めて勝ったんじゃないの?」 「ちょっとはやるようになったじゃないか。まさか二刀流とはね」 「俺だって何時までもノされてばかりじゃいねぇよ」 「じゃあもうちょっと本気を出してもいいかな」 「へ? あ、ちょ、ああ、そうだ、今から片付けないといけない仕事が、ぐはぁ!」 「調子に乗るからそうなるのよ、この馬鹿」 「くそ、このアマ」 「どうしたんだい。寝てないでとっとと立ったらどうだい」 「くのぉ! 今度こそちゃんと勝ってやる!」 「おやおや、いいのかい?」 「へ、なにがだ」 「仕事」 「え、あ、えーっと」 「嘘つきにはお仕置きが要るねぇ」 「げ、ちょ、あ、えーっと、ぐはぁ!」 「はぁ。ほんっと、馬鹿ね」 ……、……。 「ふぅ。やっぱり温泉ってのはいいねぇ」 全身の疲れがほぐれて、あったかいお湯に溶けちまいそうになる。 スライムがお湯に浸かったら溶けて消えちまうなんて馬鹿言ってた小鬼も居たけど、なるほど、これならスライムじゃなくても溶けちまいそうだ。 「小鬼か。そういや、あいつらどうしているかな」 旅に出てから早数年が経った。 いや、数年も経ってしまったってのが正しい。 ゆっくり旅に出て何をするか考えるかとのらくらしていたけど、どうもちょっとばかりノンビリし過ぎたかな。 「ふぃ〜。癒やされるー」 「何ナマ言ってるんだい。あんたの年で何を癒やすって言うんだい」 「む、姉御ったらいつまでもあたしを子ども扱いして! あたしだってもう大人なんだよ?」 胸を両手で寄せてみせるけど、やっぱり慎ましいねぇ。 「むー。ふん、姉御なんて寄せるほど胸もないでしょ」 「わざわざ胸を寄せるなんて必要もないしね」 「負け惜しみ言っちゃってー」 「あんたねぇ。胸だけが女の価値ってわけじゃないだろう」 「そう? 男ってさ、結局、女の胸をまず第一に見るじゃない。その次に顔を見るんだよ。胸が大きい女の時は途端に態度が変わるしさ。女が幾ら何を言っても、男にとって女の価値は胸なんだよ」 風呂に入って寛ぐんじゃなかったのかい。 湯に当てられたみたいに顔を真っ赤にしてさぁ。 「あんた、酒でも飲んだのかい」 「ちょっとだけだよ。それとも何? 小娘はお酒を飲んじゃ行けないって言うの?」 「随分と酔ってるね」 「悪い?」 「絡み酒は性質が悪いよ」 「いいじゃないか。こんな風に腹を割って話せるのって、姉御しかいないんだからさ」 カッカと燃え上がるかと思えば、随分と沈んじまって。 酒に酔うと感情の手綱が握れなくなるけど、こうも酔っちまうのは珍しいね。 「あんたは器量だって悪くないし、最近は仕事だってこなしているだろう。今はまだ人に慣れていないだけで、その内いくらでも」 「そうじゃないんだよ」 「そうじゃないって、あぁ、なるほど。なるほどねぇ」 「姉御、何がおかしいんだよ」 「あんたもそういう年頃になったんだなってね」 「まさか、姉御勘違いしてるんじゃないの? あたしはあいつの事なんてちっとも気にかけてないんだからさ!」 「そうなのかい。あたしゃてっきり、ね」 「違うって。ほんと、そういうのじゃないから!」 「ふんふん。で、なんで急にあの馬鹿の話が出てきたんだい?」 「え、それは、その、う〜〜〜〜!」 「はは、逃げろ逃げろ」 「だから、違うって〜〜〜!」 久しぶりに水遊びをするように、お湯の掛け合いをして可愛い妹分をたっぷりと遊んでやった。 何時からか二人旅は三人旅になっていた。 一人は言わずもがな、あたしの妹分だ。 家を出た頃はあたしの手が頭に届くほどの背丈だったこの子もすっかり大人になっている。 今じゃ視線を合わせるのにも見上げなきゃいけない程だ。 もう一人は喧嘩っ早い若造で、一度叩きのめして以来しつこく付きまとってきて、気づいた時には旅は道連れってなもんだ。 今じゃ時間を見つけては相手をしてやるぐらいにはなっている。 悪がきをそのままデカクしたような小僧で、背丈だけは一人前に高い。 妹分より頭一つ分背が高いので、長話をすると首が痛い。 ドワーフと小娘と若造の珍妙な三人旅をしていたんだけど、ここでひとつ困ったことが起こってしまった。 道を歩いていたらオークの群れに襲われたとか、そんなちゃちなモンじゃない。 具体的に言えば、あたしの顔を掠めて壁にぶつかった木製の食器とかだ。 「へっ、甘い甘い〜」 「そこ動くんじゃない! こら、待て!」 「おっせーんだよ、のろま〜」 「ぐぅぅ、このぉ!」 からかっているのが若造で、追い掛け回しているのは妹分。 普段はちょっとだけ子供っぽさの残っているくりくりした目であたしをみる可愛らしい顔立ちも、怒り心頭となってしまっちゃ見る影も無い。 それでも愛嬌が残って見えるのは親ばかかねぇ。 「おっと、あぶねぇ」 「だったらこれで!」 椅子まで使い出したか。 そろそろ頃合いだね。 「きかねぇよ!」 「まだまだぁ!」 「……ぃいかげんにしないかぁ!!」 腹に力を込めた大声で一喝してやる。 椅子を持ち上げたまま動きの止まった二人を睨む。 「食事の時くらい静かにしな」 「だってぇ」 「へっ、怒られてやんの、あだっ」 「あんたも挑発しない」 「いづ〜」 「自業自得〜」 「あんたも一発いっとくかい?」 「ひぇえっ、わ、わかったよぉ」 「それと、もう一つ言っておくことがあるよ。言わなくてもわかっているだろうケド」 再び体を硬直させた二人を尻目に部屋全体を見回す。 スープが壁にぶちまけられている。 サラダは床に散らばっていて、パンもチーズもあたしが確保した物以外は酷い有様だった。 「掃除しときな」 「はぁ〜い」 「へいへい、あだっ」 一日に一回は必ず喧嘩をする。 血を見るような激しい物でもないし、後に引くようないやな物でもない。 子供同士のじゃれあいみたいなもんだ。 素直になれないのか力が有り余っているのかはケースバイケースだけど、共通しているのはケンカの後はけろっとした表情でまた仲良く悪態をついている。 仲良くなる為の通過儀礼ってなもんで、基本的に放置してる。 「姉御ー、仕事とって来たよ」 「何の仕事だい?」 「荷運びだって。隣町まで」 「代金は?」 「何時も通り。前金半分、着払いで半分!」 「よし。じゃあとっとと次の町に行こうじゃないか」 「あいつは? まだ帰ってきてないの?」 「いや、さっき帰ってきてぐーすか寝てるよ」 「また酒場の用心棒してたんだ。ふーん」 目に見えて不機嫌になる妹分だが、これにはちょっと訳がある。 酒場には可愛いと評判の看板娘がいるってだけで、他の事情は何にもなし。 ところが妹分にはこの「可愛いと評判の看板娘」って所がどうにも気に食わないんだと。 随分と可愛いジェラシーだねぇ。 「むー、姉御ったらまた変な事考えてるでしょ」 「邪推だよ。それよりあの馬鹿が起きたら直ぐ発てる様に準備しておいで」 「ん、わかった」 「あたしはちょっと宿の主人に話をつけてくるよ」 3枚の銅貨と1枚の青銅貨で宿代を支払って部屋に戻る。 部屋に入るとまずあたしは首をかしげる。 「支度をしている割に妙に静かだね」 部屋を借りる時はあたしとあの子の部屋、若造の部屋と2つ借りている。 あたしは別に一人部屋でもいいんだけど、二人揃って「別の部屋がいい!」だもんだから仕方なく二部屋も借りているわけだ。 「こちらの部屋にはいない、と」 あたしらの部屋を覗いてもあの子は居なかった。 いないと気づいた時、あたしはあまり驚かなかった。 息を殺し、足音を殺してもう一つの部屋に近付く。 ドワーフらしくないってありゃしない。 静かに静かに抜き足差し足なんてガラじゃあない。 ガラじゃないけど、場の空気にあたしは飲まれちまった。 酒を飲んでも正体を失くすなんてこたないあたしだけどさ、苦手な空気ってのはあるし知らないことだってある。 今、この場にある空気は、あたしの知らない空気だ。 ドアはほんの少しだけ開いていた。 壁を砕いたら何かの原石がちらとだけ顔を出していた時みたいな、好奇心が心臓からあふれ出して体が痺れるあの感覚。 わっと大声を出したら壊れちまいそうで、そろりそろりと手を動かし顔を動かす。 ダンジョンの宝箱を開けるみたいにドアの隙間に顔を寄せて、そろりそろりとドアを開ける。 「……」 一瞬だけ、なにをしているのかわからなかった。 いや、ナニはしていなかったのだけは確かだったけどさ。 あの馬鹿の顔を覗き込んでいるのかと思って、目を凝らす。 あの子はやおら体を起こすと、口元を押さえて、そのまま動かない。 「……、しちゃった」 ここまで来れば寝起きのゾンビでもわかるわな。 あの子が、あの若造に、キスをしていた。 動かないのはきっと恥ずかしさとか色々な感情があふれ出して、体を動かせないんだろう。 あたしはそれを笑う事が出来ない。 あたしも、訳のわからない感情が溢れて身動き一つ取れない。 このまま突っ立っていれば間違いなく振り向いた途端、覗き見していることがばれる。 ばれるとわかっていても、あたしは動けない。 不味い、あの子が振り向こうとしている。 動け、あたしの体よ動け、動け! 「早く仕度しないと、……?」 まず、目が合った! 言い訳の言葉を考えて、いや言い訳なんてそんなせせこましい事するんじゃないと自分を叱咤して、あの子がベッドに引き摺り倒されて、なにやらベッドの上で二人が暴れているようなもがいているような。 「って、おまえたち何してるんだい!」 慌ててドアを蹴飛ばして中に入る。 「ぷはぁっ」 「うぁ、んー、んん!?」 口元を押さえて慌ててベッドから転げ落ちる妹分と、ついさっきまで熱烈なキスをしていた寝ぼけ眼の若造。 そして必要以上に息を荒げているあたし。 ああもう、一体何がどうなっているのやら。 「おまえ、何顔を押さえてるんだよ。鼻でも打ったのか?」 「〜〜〜〜!」 ぱぁんと綺麗にビンタが入った。 顔を張られてぽけぇとしている若造。 「この、ばかぁ!」 勢い良く部屋を飛び出していくあの子を見送る。 二人残されたあたし達は、何するでもなく呆然とする。 「何が、どうなってんだよ」 「あたしに聞かれてもわからないよ」 「俺だって、寝て起きたらいきなりこれだぜ」 そりゃあんたが一番訳わからないんだろうケドさ、一部始終を見ていたあたしにも何が何だかわからない。 「なんであいつ、あんな顔をしてたんだよ」 こいつは子供のじゃれあいとかじゃない。 もっと深刻な何かだ。 ただ、一体これが何なのかは、わからない。 「あいつ、泣いてた。……くそっ、なんでだよ、わけわかんねぇよ!」 泣いていた? 確かに、最後に聞いた声は涙交じりの声だった。 声を聞けばわかるはずなのに、あたしは今やっとあの子が泣いているだろう事に気づいた。 「あの子の事はあたしが見とくから、支度しな。そろそろ次の町へ発つよ」 「くそ、何なんだよ、くそっ!」 ケンカで当たり所が悪くて泣かせてしまったとか、そんなもんじゃない。 こいつもそれがわかっているから、あの子に対して怒っていない。 誰が悪いのか、何が悪いのかわからないから、暴れる事も出来ない。 悩み苦しむ若造の頭を、あたしはぽんと撫でてやる。 「後は任しときな」 若造は悩んでも立ち直れるだろう。 深刻なのはたぶん、あっちだ。 「部屋、入るよ」 入る前からわかっていた。 やっぱり、この子は泣いていた。 床に座り込んで、肩を揺らして声を殺して泣いている。 この子が泣いている姿は何度も見たことがある。 小さい頃は夜が怖くて泣きついてきたし、怖い夢を見てあたしのベッドに転がり込んできた事もあった。 留守番させて夜に帰ってきたら、ドアを開けるなり泣きながら抱きついてきたのも昔の話。 怖いから泣く、痛いから泣く、悲しいから悔しいから泣く。 あたしにも経験があるからそういうのはわかる。 でも、今この子が泣いている理由がわからない。 悲しいんだと思う。 悔しさもあるのかもしれない。 驚いた拍子に涙が出てしまって、ソレが止まらないなんてことだって考えられる。 でも、答えが一つに決まらない。 何て声をかけたらいいのかわからない。 こんな事は初めてだ。 「ねぇ」 肩に触れようと手を伸ばして、その動きが止まる。 「どうしたらいいの」 「何がだい」 「あたし、どうしたらいいのかわかんないよぉ」 何をどうしたいのか、あたしにもわからない。 答えに困っていると、不意にあたしの方に振り向いた。 目に涙を浮かべたその顔は今まで見たことがないほど大人びていた。 「あたし、あいつにキスしたんだ。すごくドキドキして、体が熱くなって、頭がボゥとした」 泣きながら、夢見るように目を細めて、部屋での光景を思い出している。 恋に恋する乙女とはよくいったもんだ。 「でも、あいつにキスされたら、抱きしめられたら、すごく怖くなったんだ」 ついこの間まであたしの服を掴んでいた子供だと思っていたのに、もうこんな顔が出来るんだ。 でも、私に助けを求めているわけじゃない。 怖くて怖くてどうしようもないのに、あたしに手を伸ばさない。 「どうしたらいいんだろう。あたし、どうしたらいいの?」 助けを求めているようでいて、でも自分で何とかしようとしている。 巣立つ前の雛みたいだ。 助けを求めながら、自分の力だけで乗り越えようとする。 だからあたしは伸ばされた手を掴まず、そっと背中を押すように頭を撫でてやる。 「あんたはあんたのやりたいようにすればいいんだよ」 「でも、あたし、何をすればいいのかわかんないんだよぉ!」 「今はわからないけど、明日はどうかな? 明後日は? 答えなんざ今すぐ出さなきゃいけないってわけじゃあないよ」 抱きしめて、安心しなと言ってやりたい。 困った事があるなら何でも相談に乗ってやると、問題は全部あたしが片付けてやると、いつもみたいに笑って終わらせたい。 けど、あたしに出来るのはここまでだ。 「小難しいことはわからないけど、わかることは一個だけある。これはあんたが、自分の力で乗り越えなきゃいけない壁だ」 泣きそうな目が大きく開かれる。 駄目だ、くじけちまいそうだ。 抱きしめたくなる気持ちを押し殺し、にっと笑ってみせる。 「あんたなら出来るよ。あたしが保障してやる!」 「……ほんと?」 「ああ! なんせ、あんたはあたしの自慢の」 自慢の、何だろう。 一瞬迷って、勢いのまま口に出す。 「あんたは、あたしの自慢の一人娘だからね!」 「それにしたって、ねぇ」 「なんだい。文句があるのかい?」 「いや、幸せそうだってのは認めるけどさ」 「幸せそう? 勘違いしてるようだけどね」 盛大な紙ふぶきが舞い散る。 知り合いに片っ端から声をかけて、人も魔物も全部ごちゃ混ぜの結婚式。 旅で出会った奴らもいれば、あたしの旧い友人もいる。 「あの子はあたしの幸せそのものだよ」 目が合った。 あの子は綺麗なドレスを着て、目に大粒の涙を浮かべながらとても嬉しそうに笑っている。 まったく、笑うか泣くかどっちかにしなよ。 「あんたも泣きながら笑ってるよ」 「あっそ」 「あぁ、素晴らしいです、素晴らしいですぅ!」 あのDプリ、感動してるんだか発情しているんだかわからないけどあとでシメておこう。 「それにしたって」 「ん?」 「先に旦那が出来たのはあたしが先なのにさ」 何を言い出すかと思えば。 あたしの悪友は楽しそうにこんな事を抜かしやがった。 「孫が出来るのはアンタが先になりそうだよ」 馬鹿。 どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ。 あたしの悩みも知らないでさ。 「母さん、大好き!」 「こら、抱きつくなって! あぁもう、あんたは何時まで経っても子供なんだね!」 |
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「旅に出るって? 何でまた」 「何でも知人が家を大きくしたんだけどさ。その時に随分とでかい金物を記念に作るとか言い出してさ」 「へぇ〜。母さんの友達って誰?」 「ほれ、結婚式に出席していたあいつだよ」 「ああ、あの人ね」 「てなわけでちょっくら出かけてくる。留守番頼んだよ」 「うん、任せといて!」 「孫が生まれる前には帰れると思うけど。あまりの熱々っぷりに婿なしの連中に嫉妬されんようにしときなよ」 「もうっ! 母さんったら」 「なんだ、まだいるのかよ。とっとと出かけるなら出かけてくれよな」 「ふん。まーだあの頃の事を引き摺っているのかい」 「な、あ、あれは時効だろうが!」 「ふーん? 何ソレ、あたし聞いていないな〜」 「ちょ、おちつけ、落ち着けって!」 「あ〜あ、あたしちょっと不安になっちゃったな〜」 「く、う〜〜〜、ああ、わかった、わかったよ!」 「何がわかったの?」 「お前が一番だって!」 「口だけ〜?」 「〜〜〜〜〜!」 「はっはっは。ほんと、そこいらのサキュバス顔負けダねぇ」 「だって、母さんの娘だもんね!」 ----作者より ドワーフの姉御っぽさをアピールしていたら、こうなった。 ……どうしてこうなった?(’’ ごめん。 なんかエロかけなかった(。。 ちなみにちょこちょこと書いた伏線は回収しないので悪しからず。 10/10/17 23:21 るーじ |