連載小説
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前編
私はしがないサラリーマンだ。
そんな平々凡々な私は今、死刑宣告を受けたかのように恐れ戦いていた。

 何故ならば私の目の前には体重計が置いてあり、周りでは冷ややかな目つきの看護師たちがじっと見つめてきているのである。
そう、今日は健康診断なのだ。それは私が肥満であると糾弾される日でもある。

 そんな私は恐る恐る、目の前の板に足を乗せる。
数字のゼロが一気に跳ね上がり、私の体重を白日の下にさらけ出した。
私はゆっくりと足元の数字を見た。見てしまった。

 そこから先、私の心の中では悲し気な獣の様な慟哭が響き渡ったのだった。
その数字を明言することはとても出来ない。
だが、私が今までに経験したことの無かった数値であったとだけ言っておこう。

 その晩、私はダイエットを決意した。
……何度目の決意であったかは覚えていない。
つまり、私は今まで何度もダイエットを実行してきた。
だがしかし、どれ一つとして長続きしなかった。

 だが、最高体重を更新した今回こそは成功させてみせよう。

 ……と言っても、成功しやすい方法は何であろうか?
室内での運動は私の性格上の問題で成功しないだろう。
何せ私は飽き性だ。すぐに他の事に興味が移ってしまう。

 それならば、外で行う運動が良いだろう。
近くに公園があるし、そこで何かしてもいい。

 しかしながら、あまり金を掛けたくはない。
新しい道具は私の部屋の物置で永眠すると定められているのだ。

 だとすると、私に最適だと考えられるモノはこれだろう。
……ランニングだ。
これ以外考えられない。これが良い。

 よし、方向性は決まった。それならば今すぐ始めよう。
昔の人は言った。「思い立ったが吉日」と。

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 さて、自宅を出発して十分ほどだろうか。
私は今、身体から湯気を出し、虫の息である。
おっと、虫の息は言い過ぎかもしれない……だが、それぐらい疲れたのだ。

 道程としてはまだ半ばである。
ゴールとして設定したのは自宅から三十分ほどの公園である。
だがしかし、久しぶりに本格的に走った私の身体は思った以上に貧弱であった。
今日はもうやめてしまいたい。誰も見ていないし、咎めない。
明日また走ればいいだろう。

 そんなことを考えた私は家に向かって踵を返したのだ。
我ながら何と根性の無い事か。
思い立ったが吉日と発言した昔の人も私のあまりの心変わりの速さに草葉の陰で泣いていよう。

 そんな事を考えながら帰路についていた私はある事に気づいた。
私の自宅……もとい、アパートの方向から誰かが歩いてくるではないか。
 
 ここは別に田んぼや畑がそこら中に在る田舎ではないので、別段、深夜に歩き回る人は珍しくも無い。
だが、私がその人物を明確な違和感を覚えたのは、その人物が聖職者が身に着けるような服装だったからだ。
そして何より、その人物は私に向かって一直線で進んでくる。

 これにはいくら呑気な私も身構えてしまう。
その人物はそんな私の目の前、一メートルほどでピタリと止まり、突然話し始めた。

「こんな夜中にいきなり失礼します。尋ねたいことが有るのですがよろしいですか?すぐに済ませますので」
「あ、はい。どうぞ」

 思わず了解してしまったが、良かっただろうか?
いや、まぁ怪しさ満点であるが、普通に尋ねられたのだ。
応えるべきだろう。

「この辺りでこんな奴を見ませんでしたか?」

 男は私に一枚の絵を見せてきた。
電灯の光に照らされた絵は綺麗に彩色されており、実に巧みな腕前であると思う。
これがこの人物の書いたものならば、もしやこの聖職者らしき男は著名な画家かもしれない。

 それにしたってスマホが普及しまくっているこの現代社会に人相書きの絵である。
良く分からないが警察関係者だろうか?

 そんなことはさておき、見せられた絵に描かれていたのは金髪の少女である。
外見から察するに小学生だろう。髪は輝くような金髪。
真夜中の如く暗いワンピースと蝋のように白い肌のコントラストが、一際その存在感を強調している。
その清楚な顔立ちの中で一際存在感を放っているのは少し露出している犬歯である。

 私にロリコンの気は無いが、ハッキリと言ってしまおう。
実に好みである。もしモデルが身近に居るのならば、是非一目会ってみたいものだ。
……手を出すかどうかと言われれば話は別だ。私は自称ではあるものの紳士である。

「見た事ないですね」
「そうですか、残念です……これ、私の名刺です。もしコイツを見かけたら連絡してください」

 名刺か……はてさて、この男の自称は何であろうか?
実にシンプルなデザインの名刺に書いてあるのは電話番号と名前と所属だけだ。

「……教団所属勇者の?アヒムさん?」
「はい、私の名はアヒム。勇者です」

 もしや、私はカルトの勧誘にでも引っかかってしまっているのだろうか?
彼の顔を酒気を確認してみるが、どう見ても素面である。
酒も無しにここまでの事を真顔でやってのけるのだから相当肝が据わっているか、若しくはよほどの洗脳を施されているのだろう。

 一秒でも早く此処を離れるべきだろう。
私もカルトに入信させられでもしたら大変だ。

「……見かけたら、連絡しましょう」
「ありがとうございます……見かけましても声を掛けたりはしないで下さい。大変危険ですので」
「噛みついてきたりするとでも?」
「その通りです。恐ろしく尖った牙で噛みついてきます」

 彼は真顔で言いきっている。
私は彼に会釈し、足早にその場を離れた。

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 あまりに恐ろしい存在であった。
まさか深夜に道行く人にあんなモノを配って回る人物が居たとは……
世も末である。

 これからのランニングには少し注意を払わなければならないだろう。
また、彼の様な変人に出会っては堪ったものではない。

 そんなことを考えていたら、私の視界に一軒の建物が見えてきた。
築何十年か定かではないボロアパート。
つまりは私の住処である。

 錆び付いた階段を音を立てない様に上がり、自室の前に立った。
ポケットに手を突っ込み、鍵を探す。

 ……鍵を……探……無い!!
鍵が無い!!あの変人から離脱するときか!?
それともその前のランニング中か!?

 なんにせよ大変なことになった。
鍵が無くては部屋に入ることが出来ない。

 スペアキーは持っていない。
時刻は午後十一時を回っている。
大家は既に夢の中に旅立っている事だろう。
ソレを邪魔すれば私にとって良くないことが起こる。

 それだけは何としても避けなくてはならない。
ならば、取れる手段は一つだけ、変人の徘徊する深夜の街に再び繰り出し、鍵を探す。

 幸い、スマートフォンの充電は十全である。
灯りに困ることは無い。
……よし、行こうではないか。

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 あれから、ニ十分。
未だに鍵は見つかっていない。
私がランニング中に通った道、全てを確認した上でだ。

 これは困ったことになった。
道には用水路なども無いし、鍵が落ちそうな穴ぼこも無かった。

 これは誰かが拾い上げたのではなかろうか?
それが善意の塊のような人物であれば良いが、中々そうはいかないだろう。
何より、鍵には小さな赤色ライト付きキーホルダーがくっついているだけで、それ以外の特徴は無い。

 アパートの鍵と分からずに持っていかれたかもしれない。

 うぅむ、と頭を捻っていると私はある考えに行きついた。
あの自称勇者が拾ったのではないか?と。

 ソレを確認するのは実に簡単である。
奴からもらった名刺の番号に電話を掛けるだけで良い。

 しかし、私にはそれがとても恐ろしい。
持っていたとして、それを簡単にカルトの人間が返すだろうか?
集会に参加しなさい。とか言われたりするんじゃないだろうか?

 どれもこれも私の想像の産物に過ぎないが、私には実際に対面したという体験がある。
想像に多少の脚色を加えざる負えない様な、独特の雰囲気が彼にはあった。
私的に彼は本物の変人である。

 それだけの妄想が広まってしまうと、とても本人に電話を掛ける気は起きない。
本当に彼が拾っていたのならば仕方ないかもしれないが、まだ探し始めてニ十分弱。
もう少し探してからでも遅くは無いはずだ。

 で、あれば私の目に見落としが在ったかもしれない。
もう一度、同じ道を念入りに探してみようではないか……

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 やはり、見つからない。

 私の探索は既にランニングコースを逸脱していた。
……いや、本来のコースに戻ったと言えるか?

 そう、私の進んでいる道はゴール地点である公園に繋がる道である。
正直、もう諦めている。
それは彼に連絡することが、現実味を帯びてきているという事だ。

 私にとっては本意ではない。
番号をダイヤルする指さえも重いのだ。

 これはいけないという事で私は公園に向かっている。
公園のベンチに座って落ち着けば、少しは気楽に電話出来るだろうという考えあっての事だった。

 だがしかし、これは大変な勘違いであった。
公園には先客が居たのである。

 その人物は透き通った金髪を有しており、白い肌が夜の闇の中で、クッキリとその存在感を浮かび上がらせている。
小学生の様な体躯が、彼女の妖艶さの中に可愛らしさを生み出し、それはもう凄いことになっている。

 あれは、もしや勇者アヒムが探していた人物ではなかろうか?
遠目で見ているので細部までは何とも言えないが、おおよその特徴は合致している。

 しかしながら、現在の時刻は午後十二時を回っている。
こんな時間に何をしているのだろうか?

 私のささやかな想像力で考えるならば、彼女は家出を敢行したのだろう。
そしてアヒムはソレを連れ戻すために派遣された使者といった所だろうか?
もしかしたら、彼女はカルトの教祖の娘とかそういったポジションの人物かも知れない。

 しかし、それが真実かそうでないかはあまり重要ではない。
それよりも私の部屋のカギだ。

 あぁ、あの変人よりもあの金髪幼女が拾っていてくれたならば……

 ……ん?んん?
あれ、幼女が居ない。さっきまでベンチに座っていたはずなのに、まるで霞の様に掻き消えてしまっている。

 時間にして二、三秒ほど、目を離しただけのはずだ。
……もしや、幻でも見ていたのだろうか?

 うぅむ、と考え込んでいるうちに、私の肩が徐々に重くなってきた。
まるで、何かが肩にしがみ付いている様な感覚である。
時刻が深夜である事もあり、私の背中に鳥肌が立ち始めた。

「なんじゃ、お前は?さっきからワシの事をジロジロといやらしい目で見よってからに」

 幼げな声が聞こえたと思ったら、私の顔が何かに掴まれた。
そしてグルンと顔を上に向けられる。

 其処に居たのは、先ほどの幼女であった。

 突然であるが、私はビビりである。
そんな人物にこのような恐怖体験が襲い掛かってくれば、どうなるか?

「ギエエエエエエエエエエエ!!!!!?????」

 渾身の叫び声であった。
その瞬間に顔を掴んでいた腕は離れ、顔の自由が戻ってきた。
しかしながら、突然の出来事に対応しきれなかった私の貧弱な精神は、いとも容易く断ち切れてしまったのだった。
……つまり、私は気絶してしまったのである。

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 私の目が覚めたのは、それからしばらく経ってからであった。
場所は公園のベンチの上である。
どうやら移動させられたらしい。

 ボンヤリとした頭で周囲を見回してみる。
すると、すぐ隣に誰かが座っている。

 サラサラとした長い金髪……さっきの幼女らしい。

「……む、ようやく起きた様じゃな。お主がいきなり叫んでぶっ倒れるから、ワシも驚いたぞ」

 手のひらの上で何かを弄んでいる幼女が、話しかけてきた。

「君が此処に運んでくれたのかい?」
「そうじゃ。道の真ん中は寝心地が悪かろうと思うてな」
「ありがとう」

 お礼を言われた幼女は何だか嬉しそうである。
いやはや、こんな可愛い子を間近で見て気絶してしまうとは、何と言うか申し訳ない気分になってしまう。

 そんな風に私は目の保養をしていたのだが、此処で鍵の事を思い出し、少し落胆してしまった。
それを目聡く見つけた幼女は私に問いを投げかける。

「なんじゃ、お主。何やら困りごとのようじゃのう?話してみぃ」
「……部屋のカギを失くしてしまってね。探しているんだ」
「ほう……カギとな?」

 その時、彼女は手のひらの上のモノを見つめ、ニヤリと笑った。

「もしかして、お主の探しているというカギはこれではないかの?」

 そこには確かに私の探していたカギが存在していた。
「そ、それは!?私の部屋の鍵!?」

 一体何処に落ちていたのだろうか?
いやはや、これは実に嬉しい誤算である。
あの変人に電話しないで済む。
この幼女には感謝してもしきれない。

 幼女は私にカギを渡そうと差し出してきた。

「ありがとう。お礼がしたいのだけど、何が良いだろうか?」

 さて、どんな返答が返ってくるだろうか?
ジュースやお菓子ならば、すぐにでも買ってあげられるが、玩具となると少し難しい。
今の所持金は千円ほどしかないからだ。
何とかその中で納まってくれればいいが……って今、深夜だな。

「そうじゃのう……実はワシ、今宿無しでなぁ」

 宿無し?
家出娘だったのか。

 幼女は、さっさと答えろとでも言いたげな表情である。
一方、私の心の中では、警察だとか、誘拐という単語が行ったり来たりしている。
正直、かなり不安である。
しかし、この子の願いを無下にするのは非常に心が痛む。

「ワシ!今!宿無し!」
「わかったわかった……家に泊っていくかい?」
「はっはっは、そうかそうか。そこまで言われては仕方がない。泊ってやろうではないか」

 幼女の態度は実に尊大である。

「そうだ、名前を忘れていた。僕は金田という」
「そうか、カネダか。ワシの名はオルドリシュカ。ワシの名をこの世界で最初に知ることが出来た事、光栄に思うがよいぞ」

 うぅむ、外国人だろうか?実に覚えにくい名前だ。
……まぁ、一夜だけの関係になるだろうし、別にいいか。

 そういう事を考えていた私は実に間抜けであった。
私が家へと案内を行っている間、彼女は心の中でほくそ笑んでいたに違いない。

18/09/18 23:20更新 / 怪獣赤舌川
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