連載小説
[TOP][目次]
中編
 錆び付いた階段を音を立てない様にゆっくりと上がる。
これは深夜のエチケットであるが、普段は一人で行う行為だ。
しかし、本日は少し違う。

 私の後ろには、私の真似をして、抜き足差し足で階段を上る幼女が居た。
彼女の名前はオルドリシュカ。
私が深夜ランニングの末に出会った人物である。

 彼女はどうやら家出中らしく、私の家に泊めるために連れてきたのだ。

「ボロい家じゃのう。ワシの家で飼っておる番犬の方が良い所に住んでおるぞ」

 彼女が道すがら、色々と話してくれたお陰で、彼女の家はどうやら巨大なヨーロッパの古城風であるという事が分かった。
いやはや、子供というのは実に想像力が豊かである事だ。
本当は親御さんと喧嘩でもしたのだろう。

 まぁ、それは彼女が解決すべき問題だ。
部外者である私が偉そうに講釈を垂れるべきではない。

 私は部屋のカギを手早く開き、中に入り込む。
彼女も私に続いて中に入ろうとするが、私はそれを玄関で待たせることにした。

「なんじゃ?」
「いや、こんな時間に来客があるとは思わなかったから、少し散らかってるんだ。ちょっと片付けるから待っててほしい」
「うむ、そういう事なら待っておいてやろう。ワシは気が長く無いから、早くするんじゃぞ」

 彼女を玄関で待たせ、私は急ぎ、奥へと進んだ。
扉を勢いよく開き、そして閉める。

 部屋の中は一人暮らし特有の散らかり具合であった。
万年床の掛布団は無残に蹴散らされ、足元にはスマホの充電器やパソコンの電源コードが横たわっている。
とても客が入ることのできる状態ではない。

「なぁ、カネダ、まだなのか?」

 彼女の催促が扉の向こうから聞こえてくる。
兎も角、床の上を片付けよう。それで多少はマシになるはず……

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 それから、五分後。
結論から言えば、片付いた。
全て物置に突っ込んだだけであるが、体裁は保っている。
 
 そして招き入れたオルドリシュカは私の万年床の上に鎮座していた。
そしてソファーの上で、寝る準備をしている私を凝視している。

 正直、私の布団で眠ってもらうことに対して、抵抗があった。
布団は暫く洗ってないので、恐らく臭いからである。
彼女から批判があると結構傷つく自信さえある。

 しかし、彼女はソファーで眠ることを拒否したのだ。
「ワシに椅子で眠れと言うか?」とは彼女の言い分である。

 それよりももう寝なくてはいけない。
私は明日……いや、既に午後十二時を回っているので今日だろう。
私は今日も仕事である。

「電気切るよ」
「良いぞ」

 彼女は素直に従い、布団の中にネコの様に丸まった。
個人的にはあの格好で寝られるのか疑問だが、そこを問うのは次の機会でいい。

 私は寝ることに集中した。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 私はとある衝撃で目を覚ました。
ガッシリと何かに体を掴まれている様な感じだった。
私は何が何だか分からないまま悶えた、しかし、体は思うように動かない。

 彼女は無事だろうか?
私は何とか目を開き、周囲を確認した。
 
 すると、呆気なく私を襲っていたモノの正体が分かった。
オルドリシュカである。

「おや、起きてしまうとは……いい夢を見せてやろうと思っておったのにのう」
「オ、オルドリシュカちゃん。やめなさい!こんな事はいけない!」

 彼女はニヤリと口角を上げ、私を見据えた。
口の中では尖った犬歯がギラリとしている。

「呑気な男よ。貴様は今、化け物の食料になろうとしとるんじゃぞ?」
「……?」
「おや、気づいておらんかったか?……ほんに呑気な奴じゃのう。この牙を見て何か思わんか?」

 彼女は自分の犬歯を指し示し、問いかけてきた。
……飛びぬけて長い犬歯、化け物……
思い当たるモノがあるにはあるが、現実味が無い。
しかし、彼女の言って欲しい単語はこれしかないのだろう。

「……吸血鬼的な?」

 彼女の顔は更なる笑顔へと変わり、私の首筋に舌をぺろりと這わせる。

「その通り、ワシは吸血鬼オルドリシュカ。その名を存分に讃えるがよいぞ」

 そういえば、あのアヒムという勇者も言っていた。
この子に関わるべきではない。恐ろしい牙を持っているから。と

 アヒム君。今まで変人だの何だのと罵倒して悪かった。
君の言うことは真実だったようだ。
でも、あの深夜にいきなり近づいてくるスタイルはやめた方がいいと私は思う。
普通に怪しく、怖いから。

「こら!カネダ!遠くの方を見るでない!」

 オルドリシュカが声を上げる。
私としては君の牙よりも、君の声で隣の部屋の人や大家さんに怒られる方が怖いのだ。

「ごめんごめん。君が吸血鬼なのはわかったから、大きな声を出すのはやめてほしい」
「うむ、分かればよい」
「で、今から私の血を吸うのかい?」
「クックック、そうじゃ。貴様の血を吸ってワシの奴隷へと変えてしまうのじゃ!」

 彼女は私の首筋に牙をあてがった。
熱い吐息が首に感じられる。

「じゃあ、一思いにやってくれ」
「なんじゃ、叫び声も上げず、怯えもせぬのか?」
「身動きが全く出来そうに無い。完全にホールドされてる。どうしようもない」
「よう分からん奴じゃ。ワシが怖くないのか?」
「公園の時みたいに、いきなりじゃあないし、それに君、可愛いじゃないか」
「わ、分かりきった事じゃ。言わんでもよい」

 彼女のホールドは弱まることは無い。
ほめちぎり作戦は失敗らしい。
これで万策尽きてしまった。
さらば、サラリーマン生活。こんにちわ、ヴァンパイア生活。

 私の首に彼女の牙が突き刺さり、身体が強張る。
不思議と痛みは無く、むしろ気持ちがいい位である。

 そんな彼女の食事も長くは続かず、二回ほど血を吸い上げただけで終わってしまった。
……もっとして欲しかったと思ったのは、内緒である。

「味はまぁまぁじゃな。誇ってよいぞ」

 私は噛まれた場所をさすりながら、少しボンヤリとしていた。
吸血鬼に噛まれたというのに、特に変化が無い。

「君、吸血鬼なんだろ?噛まれた奴も吸血鬼になるんじゃないのか?それとももうなってる?」
「たわけ。そう簡単になるわけないじゃろ……大体、ワシは男を吸血鬼には出来ん」

 ふぅむ、少しだけ残念ではあるが、今までの生活も続けられるみたいだし、まぁいいか。

「そうか、それなら仕事が在るから、眠る」
「ほんにお主は恐れ知らずじゃのう。眠っとる間に何かされるとは思わんのか?」
「いいよ、別に。でも、あんまり騒がしくするのはやめてくれよ」

 私はそこで毛布を被り直し、眠る体制に入った。
其処に何故かオルドリシュカが入り込んでくる。

「何してるんだい?君はそっちの布団がいいんだろ?」
「吸血鬼があんな布切れで眠れるものか。第一に吸血鬼にとっての昼とは、今の時間であるわ。お主はワシに黙って従うのじゃ」
「仕事が……」
「仕事仕事、そればかりじゃのう……そんなに仕事が大事ならさっさと眠るがよい。お主が起きたいと言っても起こしてやるものか」
「それはそれでこま……」

 話を続けようとした私の口をオルドリシュカは手で塞いだ。
闇の中で爛々と光る眼差しが私を睨みつけている。

 私は彼女に従い、眠ることにした。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「おい、起きぬか!カネダ!」

 何かが私の頭を小突いてくる。
私はソレを無視し、睡眠を続行した。

 仕事が在るから眠るといって吸血鬼に啖呵を切った男がこのザマである。
私自身直したいと思っているのだが、中々これが難しい。

 その様に眠りを続行していた。私を見かねたのか、オルドリシュカが私に跨ってきた。
そして私から毛布を取り上げ、首筋に勢いよく噛みついてきたのだ。
そこから、血を吸い上げるのかと思うと、そんなことはせず、まるで歯ぎしりをするように口を動かし始めたではないか。

「いだだだだだだ!?」
「寝坊助!ワシに呼ばれたらすぐに起きぬか!」
「あいたー……どうしたんだい?こんな朝っぱらから」
「お主のその光る板がうるさい!」

 私は大きく伸びをして、スマートフォンの目覚まし時計を確認する。
どうやら、三十分ほど鳴り続けていたらしい。
オルドリシュカには悪いことをした。

 しかし、この吸血鬼はどうするつもりなのか?
私の家に居候するつもりなのか?

「オルドリシュカ、一つ聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
「なんじゃ?」
「一晩泊めてあげたけれど、今後は如何するつもりかと思ってね」
「それは当然、此処に住む」

 さも、当然と言いたげな感じである。
此処が私所有の一軒家であれば、それもやぶさかでは無い。
だがしかし、ここは私の所有する物件ではない。

 大家にバレれば、面倒なことになるだろう。
時間の無い今、対策を考える時間は無い。

「今から仕事だから、細かい事は帰ってきてから」
「優柔不断な奴め……早めに帰ってくるのじゃぞ」

 私は手早く、服を着替えて、職場へと向かった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 さて、時間が飛んで夕暮れ時である。
時刻は六時を回った辺りだろう。
本日も良く働いた。

 今日はいつもより調子が良かったかもしれない。
オルドリシュカの吸血のおかげだろうか?
はたまた、昨日のランニングのおかげで血行でも良くなったか?

「帰りましたよッと」

 私は玄関を開き、中を一目見た。
その瞬間、時間が凍結したかの様に、私の動きは止まってしまった。

 玄関の扉の向こう側は、まるで強盗にでも入られたかのように、荒れ放題。
下駄箱の靴は全てぶちまけられ、ミニマムな冷蔵庫は開きっぱなしである。
オルドリシュカは無事であろうか?

 私は慌てて、玄関奥の部屋の扉を開いた。
そこで見た光景は……

「おう、カネダ。帰ったか」

 其処に居たのは、万年床の上で胡坐をかき、私が冷蔵庫の奥にしまい込んでいた秘蔵の甘味を貪り食っているオルドリシュカであった。
菓子類の袋が部屋の隅で山となっている。

「ワシ的にこのシュー・ア・ラ・クレームはもっとクリームを入れるべきじゃな」
「全部食べたの!?」
「うむ、美味であった」

 オルドリシュカは大きく伸びをして立ち上がり、私の前に立った。

「しかし、甘味で腹は満たされぬ。カネダ、しゃがむがよい。お主の血が飲みたい」

 妖艶な笑みを浮かべ、オルドリシュカが言う。
その小さな体に対して不釣り合いであると、思うほどの迫力であった。
私の心の中に沸々と服従したいという気持ちが湧く。

 だがしかし、私の理性は彼女の誘惑を跳ね除けた。
その理由は幾つかあるが、その中で最も大きなモノはこれだ。

「部屋が汚い!」
「……なんじゃ、いきなり」
「私も綺麗好きってわけじゃあないから、あんまり君をどうこう言えないけど、これは酷すぎる!」

 私は手に持っていた荷物を壁に立てかけ、菓子のゴミをビニール袋に詰める。
オルドリシュカはソレを唖然とした表情で見つめているらしい。

「ワシの魅了が効いておらんのか!?」
「知らないよ!……ほら、手伝って」

 私が手渡したビニールを見つめて、オルドリシュカは少しだけ呆けていたが、見よう見まねといった感じで片づけを始めたのであった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 一時間後、私の部屋は何とか人の住む領域として紹介が許されるであろう状態まで持ち直した。
私は万年床に胡坐をかき、オルドリシュカの食事が終わるのを待っていた。
といっても、彼女の食事は先日と同じように二回ほど吸い上げたら終わってしまったので、それ自体は長くはなかった。

 しかし、彼女は私から中々離れない。
私のポッチャリとしたマシュマロボディに魅せられたらしく、執拗に私の三段腹を攻めている。

「柔らかいのぅ、実に揉み甲斐があるわい」
「あんまり嬉しくないんだけど」
「褒めとるんじゃぞ、喜ぶがいい」

 彼女が離れる気配はない。
仕方が無いので、私もこのまま、食事をするとしよう。

 そのまま立ち上がり、コンビニ袋を漁る。
中から取り出されたのは、三つの塊。
コンビニおむすび。鮭、昆布、シーチキン。

 これが、私の夕食であった。
やはりダイエットは食事制限からという概念が私の中にはある。
この内容はかなり頑張っている。

「いただきます」

 手早く包装を剥がし、海苔を巻き付け、齧り付く。
パリッという、音が響き、塩味が舌の上で広がった。
モシャモシャと口を動かし、一つ目を全て口に納める。

「何じゃ、それは?」
「おにぎりだよ。私の晩御飯さ」

 オルドリシュカは私の背中から手を伸ばし、昆布むすびの匂いをスンスンと嗅いだ。
しかし、よく分からないといった表情で私に返してくる。私は気にせず、残りのおむすびを食べた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 さて、夕食も終わった。
ランニングの時間だ。

 私は動きやすい服装に着替え、玄関に立った。
靴を履き、軽くストレッチする。
その時、リビングからオルドリシュカの声が聞こえた。

「お主、出かけるのか?」
「そうだよ、少し走りに行くのさ」
「走りにじゃと?何のために?」
「ダイエットだよ」

 私はポンポンと腹を叩き、ドアノブに手を掛ける。
その時、オルドリシュカがリビングから飛び出してきた。

「ワシも行く」
「なんで?」
「つべこべ言うでない」

 いつのまにやら彼女は私の背中にしがみ付いている。

「準備ヨシじゃ」
「まさか、ずっとしがみ付いている気かい?」
「痩せたいのじゃろう?この方が都合がよいと思わぬか?」

 オルドリシュカは私に早く、扉を開く様に急かした。
私はそれに了解し、扉を開いたのだった。
18/09/12 23:20更新 / 怪獣赤舌川
戻る 次へ

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33