連載小説
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魔物の息子たち
 人間は、魔物を産まない。
 魔物は、人間を産まない。

 今や誰もが理解している、この世の常識。
 未来の事はわからないけれど、少なくとも現在においては、それがこの世の理。

 だから、この世に“魔物の息子”は存在しない。
 一人も。絶対に。でも……本当に?

 その答えは、『否』。

 この世には、決して少なくはない“魔物の息子たち”が、確かに存在している。
 今この時を、彼らはしっかりと生きている。

 では彼らは、この世の常識や理を超越した、特別な存在なのだろうか。
 あるいは、現在の魔王の力が、ついに新たな扉を開いたのだろうか。

 その答えもまた、『否』。

 彼らは人間として生まれ、人間を父に、魔物を母に育った、普通の存在。
 魔王の魔力によって招かれた稀人ではない、赤い血が流れる普通の人間。

 彼らはどんな風に生まれ、どんな風に育ち、どんな風に両親の事を思っているのだろう。

 
 “魔物の息子”であるあなたに、質問です。
 あなたの歩んで来た道とご両親について、少し教えてください。



 《 ドワーフを母に持つ男性の話 》

 片や、国内でも五指に入る豪商の娘。
 片や、街外れにある、吹けば飛びそうな食堂の息子。
 そんな二人がふとした拍子に出会い、心惹かれ合い、将来を共に歩もうと誓い合いました。

 けれども、当然の事ながら、周囲の人々はそんな二人を許そうとはしませんでした。
 無理もない話だと思います。
 商売を営む者同士ではあるものの、それぞれの家柄も、資産の桁も、物事に対する価値観も、まるで異なっていたのですから。

 二人は周囲の人々の手によって、力ずくで引き離されました。
 お前達は、住む世界が違う。
 一緒になった所で、幸せになれるはずがない。
 馬鹿な夢や誓いなど、さっさと忘れてしまえ。
 皆、口を揃えてそう言いました。

 しかし、それでも二人の心が冷やされる事はありませんでした。
 街に大きな嵐がやって来た夜、二人はその風雨の中へと飛び出し、ついに駆け落ちたのです。

 その後、二人は故郷から遠く離れた対魔物中立国の農村にたどり着きました。
 そしてその場所で、貧しくも幸せな日々を重ね始めたのです。
 当時の二人を知る人は、その様子をこんな風に語ってくれました。

「若い二人だったね。綺麗な奥さんと、優しそうな旦那さんだったよ。奥さんは少し体が弱かったようだけど、それをきちんと旦那さんが支えていてね。何か訳ありの様子は感じたけど、村の皆もそこには触れずに、穏やかに接していたよ」


 そうして、新たな生活が始まって三年半が過ぎた頃。
 妻となった彼女のお腹に、新たな命が宿りました。
 村の診療所でその事実に触れた二人は手をとって喜び合い、感激の涙を流したそうです。

 ですが、運命は二人に……いいえ、産まれて来た赤子を含めた三人に、過酷な結末を用意していました。

 出産を終えた半月後、彼女は天へと召されてしまったのです。
 もともと体の弱かった彼女にとって、出産は大変な大仕事だったのでしょう。
 また、駆け落ちから出産に至るまでの疲れが、心身両面に大きな影響を与えていたのかも知れません。
 切ない事ではありますが、愛情だけで何もかも全ての苦難を乗り越えられるほど、人間は強い生き物ではないのです……。

 とにかく、そんな風にして、彼は赤子と共に残されてしまいました。
 彼は、あまりにも受け入れ難い悲しみに震え、半ば正気を失ったような状態に陥りました。

 彼女を愛した事が悪いのか、忠告の言葉を無視した事が悪いのか、駆け落ちという道を選ばせた事が悪いのか、彼女の両親から愛する娘を奪った事が悪いのか、いや、そもそも自分達が出会ってしまった事、それ自体が悪いのか、全てが許されない悪なのか。

 慟哭の中、彼の脳裏には取り返しの付かない自分自身の過ちが浮かんでは消えていきます。
 苦しみの渦へ突き落とされた彼を見た人は、その有り様をこんな言葉で表現してくれました。

「酷い言い方かも知れないけど、あの頃の彼は幽鬼のようだったよ。背中に赤子を背負って、奥さんの葬儀の時も、その後の生活の中でも、全く感情を現さなくなってしまったんだ。その上、見る間に痩せこけて、顔は髭でいっぱいになってね。畑で黙々と鍬を振るう姿は……恐ろしかったよ」

 彼は、あのままで大丈夫なんだろうか。
 赤子を彼から引き離した方が良いんじゃないだろうか。
 でもそんな事をすれば、いよいよ彼は狂ってしまうんじゃないだろうか。
 放っておいた方が良いんだろうか。役所へ通報した方が良いんだろうか。
 ……村の人々は変わり果てた彼の姿を目にする度、そんな事を囁き合いました。


 そして、彼女の死から七ヶ月と少しが経った頃。

 彼は赤子を背負って、隣村の教会の扉を叩きました。
 応対に出たシスターは彼の風体を見て、静かに息をのみました。
 けれど、次の瞬間には心を落ち着け、彼を教会の中へと招いたのです。

 シスターは、彼の事を知っていました。
 そのあまりにも追い詰められた様子を危惧した村の住人が、彼より先に相談を寄せた事があったのです。
 それ故、シスターは驚きと共に「この方がそうなのか」と理解できたのでしょう。

 彼は聖堂の椅子に腰を下ろし、これまでの出来事を余すところなく話しました。
 シスターはその話に真摯に耳を傾け、穏やかに頷き続けました。

 彼は話を終えると、うつむき、自分の足元をじっと見つめました。
 その背中では、赤子がすやすやと寝息を立てています。
 シスターはそんな彼を急かすこと無く、共に沈黙の中に身を置きました。

 そうして二十分近い時間が流れた後……彼は、意を決した様子で口を開きました。

「シスター、お願いがあります。この子を……私の息子を、この教会の孤児院に置いてやってください。最低な言い草ですが、今の私では、この子を不幸にしてしまいそうで」

 彼は、縋りつくような瞳でシスターを見ました。
 シスターは、変わらない穏やかな表情で頷き、言いました。

「どうかご自身を責めないでください。今のあなたは、心も体も疲れ切っているのです。あなたの心が落ち着き、体が活力を取り戻すまでの間、赤ちゃんはこの教会で暮らす私達が責任を持ってお預かりいたします。ですからどうか、涙を拭いてください」

 そう言われて彼は、自分自身が涙を流している事に気づきました。
 まだ言いたい事があるのはずなのに、懺悔しなければいけない事があるはずなのに、何も言葉が出てきません。
 彼は、ただ泣きました。泣いて、泣いて、泣き続けました。
 それは彼にとって、彼女が亡くなってから初めてとなる、感情の吐露でした。


 ……というのが、僕がこの世に生を受ける前後に起こった出来事です。

 事の流れや詳細に関しては、両親が過ごした村の皆さんが教えてくださいました。
 あなたのご両親は、本当に仲睦まじい夫婦だったのよ、と。
 あなたは、お母さんに似ているわ。でも、目元はお父さんの影響が強いかな、とも。

 母の……いいえ、両親のお墓は、その村にあります。
 はい。父も、僕を孤児院に預けた三週間後に、亡くなってしまったんです。

 村の世話役の方が、家の中で倒れている父を見つけて下さったのですが……その顔は、とても安らかなものだったそうです。
 体はまだ痩せていたようですが、きちんと髭も剃って、身なりも清潔で。

 きっと父には、悔いも無念もあっただろうと思います。
 やり切れなさに涙したり、自分自身の不甲斐なさに腹を立てる事もあったでしょう。
 でも、それでも最後は、安らかな顔で逝く事が出来た。
 もしかすると、迎えに来た母と微笑み合いながら旅立ったのかも知れません。

 二人の息子として、僕を置いて逝くなんて酷い、と思います。
 だけど同時に、父さんも母さんも、本当の平穏を手に入れる事が出来て良かったね、とも思います。
 このあたりの感覚は……なかなか説明しづらいものがあるのですが。


 孤児院での生活は、楽しかったです。
 もちろん、何とも表現しがたい寂しさを感じる事はありました。
 でも、僕は一人ぼっちじゃありませんでしたから。

 大らかで優しいシスター達がいて、やんちゃだけど心優しい【兄弟姉妹たち】がいて、いつも大きな声で呼びかけてくれる村の人達がいて。
 孤児院の中には、まるで何かの収容所の様な酷い所もあるそうですが、僕が過ごしたのは本当に暖かな場所でしたね。

 そうそう、共に過ごした【兄弟姉妹たち】とは、今でもしっかりと交流があるんですよ。
 年に一、二回集まって、わいわいガヤガヤ騒ぐんです。
 みんなそれぞれ立派にやっているのですが、その時間だけは昔の顔に戻っていますね。


 孤児院では、『三つのお勤め』がありました。

 一つ目は、信仰している神様へ捧げる朝夕のお祈り。
 神様と言っても、いわゆる主神様ではなく、地域の自然に宿っている神様や聖霊様を大切に想う、そういう感じの信仰です。

 二つ目は、毎日の勉強と教会の掃除。
 シスターが先生になって、それぞれ子供達の年齢に応じた勉強を教えてくれるんです。
 ただ、やっぱりみんな子供らしく、この時間は苦手にしていましたね。
 反対に掃除は、和気藹々と楽しくやっていました。
 シスターの中に一人、お掃除の達人のような方がいて、みんなを上手くコントロールしてくれていたんです。

 最後の三つ目は、将来に備えての様々な職業訓練。
 ある時は、村の皆さんと一緒に農業体験を。
 またある時は、となり町の市場で商業体験を。
 あるいは別の時は、泊りがけで漁村へ出かけての漁業体験を。
 ……などなど、将来、孤児院を巣立った後の人生に役立つ、様々な技能と経験の蓄積を目的とした実地学習を行なっていました。

 そして僕は、そんな職業訓練を通じて、育ての両親とめぐり会う事が出来たんです。


 あの日、五歳になったばかりの僕は、孤児院の遊戯室の床にペタンと座り込んで、一心不乱に粘土を捏ねていました。

 全力で捏ねて、ガっと勢い良く形を作って、慎重に細部を整えて、自分が作りたいと思ったものを作る。
 『創作』などという大層なものではなく、小難しい理論もなく、ただ純粋にそれを繰り返す。
 子供心ながら、あの頃の僕は“自分の手で何かを作り出す面白さ”に目覚め始めていたような気がします。

 自分で決めたその日のテーマは、動物。
 チビッ子なりにああでもない、こうでもないと悩みながら、犬や鳥や猫なんかを作っていました。
 そんな風にどれくらいの時間、熱中していたのでしょう。
 僕は、自分の右側に誰かが立っている事に気づきました。

 「ほぇ?」という間の抜けた顔で見上げると……そこには、深い橙色の長い髪を持つ、涼しそうな格好の“女の子”がいました。
 僕と目が合うと、“女の子”は親しみやすい陽気な笑顔で言いました。

「なかなか上手いね! 粘土細工とか、好きなのかい?」

 相変わらず間の抜けた表情を浮かべたまま、僕はその言葉に「うん」と頷きました。
 すると、“女の子”は「そっかそっか」と満足気に呟き、僕の横にドカっと腰を下ろしました。
 次に、余っていた粘土の一部をヒョイと手に取り、再びの笑顔でこう問いかけて来たのです。

「これ、ちょっと借りていいかい? 実はアタシも、粘土細工が大好きでね!」

 僕もまた再び、その言葉に「うん」と頷いて応えました。
 “女の子”はそんな僕の対応に満足した様子で笑いながら、小さな手の中で粘土を一、二度捏ねました。

「自慢じゃないけどねぇ……アタシの粘土細工は、一味違うよぉ〜?」

 イタズラっぽい言葉と表情。それと共に動き出す“女の子”の手。
 すると……何という事でしょう!
 たちまち、天に向かって嘶く逞しい馬が出来上がったではありませんか!

「ふおぉぉぉ!?」
「アハハハっ! どんなもんだぁ〜い!」

 驚愕の声を漏らしながら、出来上がった馬と“女の子”を交互に見つめる僕。
 してやったりの満足気な顔で、「にひひ」と楽しそうに笑う“女の子”。
 僕はそんな“女の子”に残りすべての粘土を手渡し、興奮気味に言いました。

「お願い! もう一回、何か作って! 君、すごいんだもん!」
「あらあら、お褒めに預かり光栄だねぇ。よっしゃよっしゃ。任せときな!」

 僕のお願いを“女の子”は快諾してくれました。
 そして流れるような手つきで、次々と息を飲むような粘土細工を作り出して行ったのです。

「ほいさ、だいたいこんな感じでどうかな? こっちが鷲で、あっちが熊。それで、これが……」
「ウサギさん!」
「当たり〜。普通のウサギじゃつまんないから、垂れ耳ウサギにしてみたんだけど、どうだい?」
「可愛い! ものすごく可愛い! それと、ワシさんとクマさんは、ものすごくカッコイイっ!」

 もう僕の驚きと興奮は、最高潮に達していました。
 特に僕の心を鷲掴みにしたのは、その粘土細工達の躍動感と命の質感でした。
 元気に「おいで!」と声をかければ、その瞬間に光を放ちながら動き出すんじゃないか……そう思ってしまうほど、その粘土細工には内側から輝く力があったのです。

 この“女の子”は、一体何者なんだろう。
 自分よりも少しお姉さんのようだけど、こんな“女の子”は見た事がない。
 でも、きっとこの子はすごい子に違いない。
 だって、こんなにもすごくて素敵な粘土細工を作れるんだから!

 僕は、“女の子”に向かってこう問いかけました。

「君は……お姉さんは、魔法使いさんなの?」
「ふふふ。いいや、お姉さんは魔法使いじゃないよ」

 “女の子”は、とても優しい瞳で僕を見つめていました。
 そうして右手を自分の胸に当て、静かに、だけど誇り高く、己の正体を告げてくれたのです。

「アタシは、ドワーフ。ドワーフのセシリャ。銀細工職人のお姉さんだよ」

 それが、僕と“母”との出会いでした。


 宝石加工職人の人間と、銀細工職人のドワーフ。
 自分達の工房を持ち、三人の人間と二人のドワーフ、合計五人の弟子を持つ腕利きの夫婦。
 その二人こそが、僕を一人前に育ててくれた大切な父と母です。

 あの日、二人は職業訓練の先生役として、孤児院に招かれていました。
 そして、父がシスターと授業内容の打ち合わせをしている間に、母はフラリと教会探索の散歩に出たのです。
 えぇ……そうなんです。
 母は、細かい打ち合わせとか説明事とか、そういうのが大嫌いなドワーフなんですよ。
 反対に、父はそういった類の事柄を苦にしない人なので、良いバランスの二人ではあるんですけどね。

 当時、父と母は結婚七年目の夫婦でした。
 人間と魔物の夫婦らしく、日々しっかりと愛を交わしていたそうですが、残念な事に子宝には恵まれず……。
 結婚当初から出産と子育てを熱く夢見ていた二人にとっては、寂しい時間が続いていました。

 そんな二人は、結婚五年目の春にこんな誓いを立てていました。

『子供を産みたい。子育てもしたい。だけど、こればっかりは天からの授かりものだから、ジタバタしたって仕方がない。とりあえず、今の調子であと二年頑張ってみよう。それで駄目だった時は……それもまた一つの定めと明るく受け入れて、養子を貰う事を考えよう』

 僕が母と出会ったのは、まさにその七年目。
 後に母は、僕を見つけた瞬間の事をこう語ってくれました。

「あれは不思議な感覚だったなぁ。遊戯室の床にペタンと座り込んで、何やら一生懸命に作っているお前の背中から、視線を外せなくなったんだよ。で、その瞬間に思ったんだよな。【あ、この子だ!】って。だから近づいて話しかけてみたんだけど、これが可愛らしい上に結構器用な奴でね。アタシの作った粘土細工に瞳を輝かせているのを見て、もう全てが決まっちまったのさ」

 愛する夫に続いて、アタシは二人目の運命の男と出会った訳さ……母は、そう言って笑いました。
 その笑顔は、まさに出会った時と同じ、親しみやすくて陽気なあの笑顔でした。


 物事というのは、不思議なものです。
 動き出さない時は何をやっても駄目なのに、一度動き出したらゼロから百まで転がります。

 本来、養子を貰うという事は簡単なことではありません。
 話が成立するまでには大小様々な不安や問題を乗り越え、相性や感覚という数値化出来ない部分もクリアにしなければいけないのです。
 それらを乗り越えた後も、日々の生活の中では多種多様な出来事が起こります。
 言い換えれば、親も子供も、時間無制限の終わらない試験を受けるようなものなのです。
 そのため、時には悲しいすれ違いや不幸な衝突が起こってしまう事もあるのです……。

 しかし、僕と育ての両親の場合は、本当に全てがトントン拍子でした。

 いつも明るく元気で、礼儀と義理人情を大切にする母。
 言葉数は少ないけれど、柔らかな笑顔と優しい心で包んでくれる父。
 工房で働くお弟子さん達も、みんな爽やかで裏表のないお兄ちゃんとお姉ちゃん達でした。

 法令で定められた何度かの『お試しお泊り』を無事に乗り越え、繰り返し行われた役所の人々との面談と手続きも丁寧に済ませて、僕は二人の息子になりました。
 はい……先程お伝えした通り、細かい打ち合わせや説明事が苦手な母は、思い切りヘロヘロになっていましたね。
 でもそれも、僕達にとっては愉快な思い出の一部なんですよ。


 孤児院を離れて、新たな生活へと入っていく。
 その事に関する不安は、特にありませんでした。
 母が僕を見て運命を感じたように、僕もまた二人の子供になる事を自然に受け入れていたのです。
 日々を共に過ごした、孤児院の【兄弟姉妹たち】と離れる寂しさはありましたが、それで泣いたり喚いたりする事は無かったように思います。

 ただ……あの頃は、不思議な夢をたくさん見ました。

 夢に出てくるのは、綺麗な女の人と優しそうな男の人。
 二人は僕の頭を撫でながら、いつも決まってこう言ったのです。

「“お父さん、お母さん”と、仲良くね。いつも元気でいておくれ。そして誰に対しても、感謝の心を忘れないでおくれ。自分がして欲しいと思った事を、きちんと人にしてあげられる……そんな優しい男の子になっておくれ」

 この人達は、一体誰なんだろう。
 この人達に撫でられるのが嬉しいのは、どうしてなんだろう。
 僕は、この人達の事が大好きなような気がするし、この人達も僕の事が大好きなんだろうと思う。
 とっても不思議な感じがする。
 この人達は、今の“お父さん、お母さん”と同じ匂いがする。
 僕は、この人達を知っているような気がする。
 あれ? もしかして、この人達は……。

 いつも、そこで目が覚めました。
 だけど、今ならわかります。
 あの夢に現れた二人は、僕をこの世に産んでくれた実の両親だったのでしょう。
 残念ながら、僕には実の両親の姿形に関する記憶がありません。
 ですが、それでもわかるんです。
 二人は、新しい両親と共に、新しい幸せへと歩み始めた僕に、大切なメッセージを伝えに来たのだと。

 どうか、優しく元気に育ってほしいと。
 私達は……お前のお父さんとお母さんは、いつも天国からお前の事を見守っているよと。

 幼かった僕は、その不思議な夢の事を育ての両親に話しました。
 父は僕と視線を合わせ、穏やかな表情でしっかりと頷いてくれました。
 母は僕の背中にそっと手を添え、自分自身にも言い聞かせるように口を開きました。

「毎日を正直に、元気良く、頑張って歩いて行こうな。アタシ達は笑顔が似合う、最高の家族さ。アタシ達は、何があってもお前を守る。それが、アタシ達……お前の父ちゃんと母ちゃんの心意気さ。そしてそれは、天国にいる父ちゃんと母ちゃんへの誓いでもあるんだ。絶対幸せにしてやるぜ! 任せときな!」

 その宣言が、僕達【家族】が完成する、最後の一ピースだったように思います。


 え? 僕に対する、両親の子育てと教育の方針、ですか?
 そうですね、それを一言で表すなら【全力主義】という感じでしょうか。

 何事もしっかりと考えて、動いて、伝えて、我慢して、頑張る。
 その物事に対して、自分なりに精一杯努力した上での失敗は仕方がない。
 きちんと悔しがったり、泣きべそをかいたりした上で、次に向かおう。

 でも、行うべき努力を放棄したり、物事をいい加減に済ませたりするのは、絶対に駄目。
 自分自身を労る事と甘やかす事は、全くの別物。
 自分の心の根っこに甘いぬるま湯をかけるのではなく、塩っ辛い冷水をかける勇気を大切に。

 ……ね? 案外、まともでしょ?
 人間と魔物の夫婦というと、いつもエッチで、甘々で、だらしなく爛れているようなイメージを持っている人が多いようですが、全ての夫婦がそういう訳ではないんです。
 もともと、父は落ち着いた性格の人間ですし、母は情に厚くて面倒見の良いドワーフですからね。

 両親は、いついかなる時も、僕と真剣に向き合ってくれました。
 僕は心からそれをありがたく感じていますし、両親に対する尊敬と愛情の気持ちは、今後何があっても揺らぐ事はないと、強く確信しています。


 そうして、二十年という時が流れて……。

 現在の僕は、金細工職人として両親と共に工房で働いています。
 自分に何かしらの適性があったのか否かはわかりませんが、粘土を捏ねていた頃に感じていた“自分の手で何かを作り出す面白さ”の中に今も身を置いている、という感じでしょうか。

 ですから、僕にとって両親はかけがえのない家族であると同時に、仕事に関する師匠でもある訳で。
 父は理論と技術をしっかりと突き詰める学術派。一方、母は感性大爆発の芸術派。
 全く違うタイプの二人に鍛えてもらった事は、本当に貴重な経験になったと思います。

 ……いや、それを過去形や完了形で語ってはいけませんね。
 ありがたい事にいくつかの技術・芸術コンテストで入賞させていただきましたが、まだまだ自分は未熟者ですから。
 両親が作り出すものと自分のそれとを比べる度に、大きな大きな力不足を痛感する毎日です。

 けれども、だからこそ、努力する値打ちがあるとも理解しています。
 今の僕には、こんな所でへこたれる訳にはいかない理由が二つあるんです。

 一つは、先月結婚した妻に良い所をみせたいから。
 少々不純な理由に聞こえてしまうかも知れませんが、やっぱり夫として、きちんと頑張らなければいけませんので。
 ちなみに、妻は住み込みの見習いとしてうちの工房で働いていたドワーフです。
 何と言いますか……まぁ、職場恋愛という感じですね。

 そしてもう一つの理由が、三ヶ月後に家族が増えるから。
 いいえ、僕と妻の子供ではありません。
 えぇ、そうなんです。
 結婚二十七年目にして、ついに両親の間に待望の子供が産まれるんです!!

 いや、僕もまさか二十五歳離れた、種族違いの妹が出来るとは思っていませんでした。
 確かに、両親は今も昔も変わらぬアツアツ夫婦ですが、それにしても凄い事ですし、嬉しい事ですよね!

 それで……実はですね、今、密かに進行中の計画がありまして。
 産まれて来る赤ちゃんも含めた、僕たち家族五人お揃いのアンクレットを、みんなに内緒でコツコツと作っているんです。

 尊敬する両親の息子として、愛する妻を守る夫として、産まれて来る妹が誇れる兄として、何か記念になるようなものをこの手で作りたいな、と。そう強く思ったんです。
 これはある意味、どんな大きなコンテストよりも緊張する、一世一代の金細工作りですよね。

 加えて、それが上手く完成したら……次は、天国の両親に捧げるアンクレットも作ろうと考えています。
 結婚の報告と共に、それを持って両親の墓前に立つ事が出来ればな、と。
 今、僕はそんな事を考えているんです。


 人生って、不思議です。
 家族というものも、不思議です。
 僕には親が四人いて、みんな本当に大切で。

 僕程度の人間では、愛の定義や家族の定義を語る事は出来ません。
 けれども、今、はっきりと言えます。

 僕は、人間の両親のもとに生まれて、人間とドワーフの両親に育てられて、本当に良かったと。
 全ての出会いに意味があり、全ての紆余曲折に価値がある。

 今、自分は生きている。それがとっても、幸せなんです。



 《 イエティを母に持つ男性の話 》

 そうですね……言葉で説明するよりも、実際に見てもらった方がわかりやすいと思います。

 俺の右手、右肘、右肩は、ご覧の通り何の問題も無く動きます。
 握力も、一般的な成人男性のそれに比べれば、相当に強い部類に入るんじゃないでしょうか。

 けど、左肩は……ここまでしか上がりません。
 右肩と比較すると、四割くらいの所で止まってしまいます。
 肘も、そんな感じです。右肘と比較して、可動域は四割程度ですね。
 だから俺は、万歳のポーズが出来ないんですよ。
 あと、手に関しては、小指と薬指の感覚が曖昧になってます。
 握力も、左手に関しては華奢な女の子レベルです。

 それと、俺には三つ離れた妹がいるんですけどね……。
 妹の背中には、大きな傷があるんです。
 右の肩甲骨のあたりから左の腰に向かって、まるで袈裟斬りにやられたような傷が。
 俺は男ですから多少の事は構わないんですけど、妹は、ね。
 兄貴として、色々と思わずにはいられませんでしたよ。


 俺たち兄妹の体をこんな風にしてしまったのは、実の母親です。
 まぁ、いわゆる、虐待って奴ですね。

 俺たち兄妹は、今暮らしているこの国の南方にある、反魔物国家で生まれました。
 綺麗なお題目を唱えるくせに、酷い貧富の差や悲惨な福祉状態からは目を背ける、そんな国です。

 母は……うん、本当は『母』という言葉を使いたくはないんですけど……母は、その国の貧民街の生まれです。
 年端もいかない頃から酒場で働いて、小金持ちの男の妾になって、割と図太く生きていたようです。
 ただ、大人になりきっていない女の子に手を出すような輩ですから、その男というのもマトモな人間ではなかったんでしょうけどね。
 事実、男は母を妊娠させると、煙のように消えてしまったそうです。
 容易に想像できる話ですよ。

 母は、自分にそれなりの金と安定を与えてくれていた存在を失って、大いに狼狽えました。
 ひもじく、悲しく、虚しい貧乏暮しへ逆戻りの危機です。
 堕胎のためにヤミ医者へかかる金も無く、腹が膨らんでいる自分を囲ってくれる男も捕まえられず。母は、自分の胎内で大きくなっていく『余計な奴』の存在を恨みました。
 ……その『余計な奴』というのは、今こうしてお話している俺の事なんですけどね。

 そうして月日は流れ、階段から転がり落ちてみたり、冷水の中へ飛び込んだりした効果もなく、俺が産まれてしまいました。
 そして早速、母はこの世に出てきたばかりの俺を殺そうとしました。殺した後で“処理”するためのボロ袋も用意していたそうですから、なかなか準備のよろしい話です。

 でも……母は、俺を殺しませんでした。
 母の耳元で、天使だか悪魔だかが囁いたんですね。

『上手くこいつを使え。悲劇のヒロインを演じろ。その上で、そこそこ金を持っていそうなお人好しの馬鹿を捕まえろ。こいつは、そのために飼っておけ。なぁに、死なない程度に弱らせといて、邪魔になったら殺せばいいさ』

 ね? 割と図太く生きる女でしょ?
 幸か不幸かよくわかりませんが、他人から見て、母はそれなりに綺麗な女だったようです。
 それに加えて、妙な悪知恵と悪運を持っていたものだから……目論見通りに事が運んでしまいました。
 そう、『そこそこ金を持っていそうなお人好しの馬鹿』を捕まえちゃったんですよ。

“夫は魔王軍の討伐に出征した末、命を落としてしまいました。義理の両親はその悲しみによって錯乱状態に陥り、私とこの子を無慈悲にも路上へと放り出したのです。悲しいけれど、私は天涯孤独の身。このままでは、私とこの子は、ただ死を待つより他にありません。優しいあなたよ、どうか今宵一時だけでも、私の夫に、この子の父に、なっては下さいませんか”

 ……とか何とか、そういう感じのシナリオをでっち上げていたそうです。
 実際には、元働いていた酒場へ、ごく普通に復帰していたようですが。

 母が張った蜘蛛の巣に引っかかったのは、中規模商家のお坊ちゃん。
 それなりの美貌と色気。それなり以上の不思議な毒気。それらを併せ持っていた年上の女に、お坊ちゃんはコロっと騙されちゃったんですね。
 お坊ちゃんは偽りの愛に痺れ、母はまぁ満足できる程度の安定を手に入れ、互いに「よしよし」という感じでした。
 妹が産まれたのは、そんな二人の関係が続いている時期の事でした。

 けれども……物事は、母の思惑通りには完結しません。
 妹が産まれた翌年、お坊ちゃんは突如吐血し、そのまま帰らぬ人となってしまいました。
 さらに、母が“活動拠点”としていた街に流行病が襲来し、行政の命による強制移住を余儀なくされてしまったのです。


 以上が、俺が物心付く前の出来事。
 内容については、三年前に俺が探偵のような人を雇って、調査してもらった結果です。
 知った所で何かが変わるような話ではありませんが……自分達が産まれた状況と、母の言動を眺めてみたいと思ったもので。

 ここから後の話は、ご想像通りの感じです。
 端的に言ってしまえば、母は俺たちが邪魔だったし、死んでしまっても良いと思っていたんです。


 飯を満足に食わせる必要はない。
 季節に応じた服なんて揃えなくても構わない。
 罵倒して、殴って、蹴って、踏んづけても、別にどうという事はない。
 家にいたくないと思えば出ていくし、男と一緒に外泊したくなったら何日でもそうする。
 全ては自分のしたいように。全ては自分の思うままに。
 それでも別に構わないでしょう?
 私は今まで散々苦労して来て、今も散々苦労していて、こんな生きている荷物を二つも背負わされて。

 ねぇ、お願いよ。
 私を自由にしてちょうだい。私にスッキリする時間をちょうだい。
 上の子の腕が変な方向に曲がっていても、下の子を後ろから火掻き棒で殴り倒しても、その全ての罪が私にあるって事なのかしら?
 私には、その辺がどうにもよくわからないの。
 もうそろそろと、色々な事が面倒臭いの。

 だから、だから……あぁ、そうだ。
 やっとこさ捕まえた上等の男と旅行へ行くついでに、この子たちを捨ててしまいましょう。
 彼の故郷は、北の国。今の季節は雪と氷に包まれる、船で向かう北の国。
 薬を飲ませて眠らせて、木箱に詰めて出荷して。
 こっちでトンとお金を積んで、ちょっと悪いお兄さん達に、えっちらおっちら運んでもらいましょう。

 そうねそうね、行き先は、深い雪山の中腹なんてどうかしら?
 深く薬が効いたまま、そのまま眠るように死ぬも良し。
 寒さに震えて目覚めても、周りに人がいないんじゃ仕様がなし。
 せめて最後は、兄妹共に手を取り合って死になさい。
 それが私の、あなた達のお母さんがしてあげられる、正真正銘、最後の『やさしさ』よ。


 ……その時、俺は夢を見ていました。

 七歳の俺と四歳の妹は綺麗な家の中にいて、大きなテーブルの前にちょこんと座っていて。
 「何だか寒いなぁ」と思うと、ポンという陽気な音と共に、紺色のひざ掛けが出てきました。
 「お腹が減ったなぁ」と思うと、やはりポンという音と共に、美味しそうなホットケーキが出できました。

 俺はとてつもなく嬉しくなって、色々な物を欲しがります。
 清潔な服、新しい靴、使い心地の良いトイレ、大きなお風呂、そしてちゃんと動く左腕。
 俺がそれを「欲しいなぁ」と思えば、全てがポンポンと現れ、触れる事が出来るんです。
 ふと見れば、妹も可愛いお人形や、鮮やかな色彩の絵本や、元気な子犬なんかに囲まれています。

 あぁ、自分と妹は、天国に来たんだな。
 何の抵抗もなく、俺はそう思いました。

 まるで爆発の後のようにゴミが散乱し、虫が沸きまくっていた家ではなく、自分達はこんなにも綺麗な家の中にいる。
 お腹が減って、減って、減って、ゴミを漁って紙クズまで食べたあの時と同じではなく、こんなにも甘くて美味しいホットケーキを食べている。
 何も悪い事をしていないのに、ただお話がしたいだけなのに、ただ抱きしめて欲しかっただけなのに、自分達に酷い事をし続けたお母さんがいない。

 だから、これは絶対に天国なんだ。
 もう痛い事も、怖い事も、辛い事も、何もないんだ。
 あぁ、良かった。本当に、良かった。

 そう思いながら、俺は夢の中で瞼を閉じました。
 どこか遠くの方から聞こえて来る、バリバリという音を感じながら。


 親父は、俺たちを見つけた時の事をこう語りました。

「村での買い出しを終えて、家へ戻ろうとしていたら、突然目の前にグラキエスさんが現れてな。『この道の向こう、山の真ん中辺りに、木箱がある。小さな人間の反応が二つ。あなた達、何とかしなさい』と言い残して、フっと一瞬の間に消えてしまったんだ。一体何の事かサッパリわからなかったが、とにかくワシと母さんは、その方向へと急いでみたんだよ」

 二人が駆けつけると、そこにはグラキエスさんの言葉通り、不自然な場所に妙な木箱が一つ。
 後に、俺と妹が「おふくろ」・「お母さん」と呼ぶ事になるイエティの妻が、力任せに木箱を開けると……その中には、両手両足を縛られ、猿轡をされた状態で眠らされている子供が二人。

 父が、記憶の続きを語ります。

「ワシは、驚いて息を飲んだ。母さんは、『酷い……』と呟いた。いつも陽気で、温厚で、怒り顔など決して見せない母さんが、その瞬間、明らかな憤怒の色を浮かべていたんだ。心優しく、全ての命を大切にするイエティの母さんにとって、お前達が受けていた仕打ちは絶対に許せないものだったんだろうな」

 おふくろは箱の中から俺たちを抱え出し、ギュッと力強く抱きしめました。
 そして、その冷たさに愕然とします。
 おふくろの言葉です。

「お母さんは、驚いたよ。君達の体は、とっても冷たかった。でもそれ以上に、君達の心の冷たさが、お母さんの心に伝わって来たの。その瞬間、お母さんはわかったの。この子達は、愛されるという事を知らないんだって。木箱に詰められていた事以上に、お母さんにはそれが驚きだったの」

 イエティという種族は、抱擁を通じて、相手との気持ちのやり取りを重ねます。
 だから、イエティにとって“相手を抱きしめる”という事は、“相手の心に触れる”という事でもあるんです。
 俺たちを助け出した瞬間、おふくろはイエティとしての本能と感性を通じて、人間には探知できない何かを悟ったのかも知れません。

 二人は俺たち兄妹を家へと連れ帰り、焚ける限りの火を焚きました。
 その上で、親父は医者を呼ぶために村へと駆け戻り、おふくろは強く強く俺たちを抱きしめ続けました。

 窓の外では、一旦止んでいた雪が、またゆっくりと舞い降り始めていました。
 そんな、冬の日の出来事だったんです。


 俺は……そんなはずはないだろう、と思っていました。

 二人が、俺たち兄妹の命を救ってくれた事に対して。
 二人が、俺たち兄妹を養子として迎え入れてくれた事に対して。
 二人が、俺たち兄妹と明るく向き合い、無償の愛情と本心からの笑顔を示してくれた事に対して。

 さっきお話した通り、当時の俺は七歳の子供でした。
 でもね、その年齢であれば十分なんですよ。
 大人の善意の裏側にある何かを疑ったり、一度手にしたモノが消え失せる怖さに震えたり、最悪に恐ろしいどんでん返し待っているはずだと身構えたりするのには。

 だから俺は、二人に……育ての両親に、なかなか心を開こうとはしませんでした。
 妹の方は、あっという間に馴染んだんですけどね。
 いつも、「お父さん、お父さん。お母さん、お母さん」と言いながら両親にまとわりついて、キャッキャとはしゃいでいました。
 両親もそんな妹に笑顔で応えて、きちんと遊んでくれていました。
 俺は、その様子を「あぁ、良かったなぁ」と思いながら眺めていたんですけど……自分も一緒になって遊ぶ事は出来なくて。

 別に反抗的な態度を取り続けていたとか、そういうんじゃないんです。
 ただひたすらに、ボーっと、「この状態が、いつまで無事に続くのかなぁ」と思っていたんです。
 そしてその思いの根底には、全ての物事に対する「そんなはずはないだろう」という考えがあったんです。
 いや、それは『考え』というよりも、霞のように広がり続けて消えてくれない『恐怖心』だったんでしょうね。

 七歳の子供に当てはめる言葉ではないかも知れませんが、その時の俺は【人生初の幸せ】の中にいました。

 幼い頃に母親を亡くし、父親と二人で生きて来た親父は、俺たちの寂しさを理解した上で、そっと寄り添ってくれました。
 時には穏やかに、時には思い切りひょうきんに、俺たちの凍りついた心に暖かい風を送り続けてくれました。

 イエティのおふくろは、俺たち兄妹の存在を全面的に肯定してくれました。
 その言葉と抱擁で、「あなた達は、いい子だよ。あなた達は、私達の子供だよ。あなた達は、幸せになって良い生命なんだよ」と、まるで祝福するように温めてくれました。

 例えば、俺たちを捨てたあの女の悪夢を見た夜。
 ベッドの中で震えていると、いつの間にかおふくろがやって来て、俺を抱きしめながら添い寝してくれるんです。
 心と体を芯から温めてくれるおふくろのぬくもりと、安らぎを感じる匂い。
 それに包まれると、俺は全てを忘れて、全てを委ねて、眠りの中へと落ちいて行く事が出来ました。

 例えば、冷たい風が吹く夕暮れ時。
 山の向こうへ沈んでいく夕日を見ていると、いつの間にか親父が横に立っているんです。
 親父はゆったりとした口調で、この国の四季の移ろいや美しさについて教えてくれました。
 そうして、いつも最後に、ニッコリと笑って言うんです。
 「今話したものは、ぜ〜んぶお前達にも見せてやるからな。期待しといてくれよ」と。

 どんなに分厚い氷も、降り注ぎ続ける太陽の光には勝てません。
 俺の心を閉ざしていた氷もまた、太陽のように光を注ぎ続けてくれた両親によって、徐々に溶けて行きました。

 「そんなはずはないだろう」という呪縛から解かれる事が出来たのは、両親と暮らし始めて三年が経った頃でした。


 はい? あぁ、そうです。
 お陰様で、今では俺も妹も、それぞれに世帯を構えています。

 妹は、騎士団の山地警備隊に所属している男性と結ばれました。
 気は優しくて力持ちという表現が似合う、信頼出来る好漢です。
 兄として、素晴らしい人と結婚出来て良かったなぁと、しみじみ思っています。

 そして俺は、子供の頃からずっと一緒だった ゆきおんなと結婚しました。
 国名として【雪と氷の園】という意味の言葉が使われている通り、この国の冬は長いんです。
 ですから、おふくろの様なイエティをはじめ、雪や寒さに縁のある魔物さんが、数多く住んでいるんですよ。
 あと、十年ほど前に、国の姿勢が対魔物中立主義から、親魔物主義に変化した事も大きかったですね。

 彼女とは、隣村にある小さな分校で出会ったのが始まりです。
 まぁ、隣村と言っても、両親が村や集落から離れた変な所に家を構えていたおかげで、結構遠いんですけど。
 植物の調査・研究を生業にしている親父にとっては便利な場所らしいんですけど、小さかった俺と妹にとっては、なかなか厳しいものがありました。
 あぁ……でも、両親がそこに居てくれたおかげで命が助かったんだから、あまり文句を言っちゃ駄目なのかな。うん。まぁいいや。

 とにかく、両親の子供として胸を張れるようになった頃、俺は勉強のためにその分校へ通う事になったんです。
 ただ、正直に言うと、毎日それが苦痛で苦痛で。
 俺も妹も、それまでまともな教育を一切受けていませんでしたからね。
 冗談抜きに、自分自身の名前を書く事さえ出来なかったんですよ。
 ですから当然の如く、授業について行く事が出来なくて。

 けれども、幸いだったのは、そこが小さな分校だったという事です。
 勉強や運動が出来ない事を意地悪に囃し立てるような奴はいませんでしたし、先生達も丁寧に、粘り強く教え続けてくれました。

 彼女は、そんな分校の同級生でした。当時はまだ、ゆきわらしでしたね。
 いつもさり気なく俺のそばに居て、勉強や通学の手助けをしてくれたんです。
 俺にとっては、家族以外に初めて触れ合う異性でしたから、少なからず戸惑いもあったんですけど……彼女に優しく微笑まれると、何だかとても嬉しくて。

 あと、彼女だけではなく、彼女のご両親も俺の事を可愛がってくれました。
 例えば、急な吹雪で家に帰れなくなった時は、彼女の家に泊まらせてもらったり。
 ただ……今思うと、そのうちの何回かは、彼女の母親の仕業だったような気がします。
 俺が彼女に恋心を抱いていたように、彼女もまた俺の事を憎からず思ってくれていたようです。
 だから、そんな愛娘の恋を成就させるべく、母親が……お義母さんが一肌脱いでいたんじゃないのかなぁ、と。そんな気がするんです。

 とにかくそんな調子で、俺と彼女はずっと一緒でした。
 俺が中等学校や高等学校に進学できたのも、親父と同じ職業に就く事が出来たのも、常に俺に寄り添い、支え続けてくれた彼女のおかげだと感謝しています。
 おふくろの温もりを太陽とするなら、彼女の優しさと穏やかさは、美しい満月なんです。
 本当……一生をかけて親孝行と嫁さん孝行をする事が、俺に与えられた使命だと思っています。


 俺と彼女の自慢は、これまでただの一度もケンカをした事がない、ということです。
 自分達でもしみじみと感心してしまうくらい、円満な関係なんですよ。

 でも、そんな彼女との道のりの中で……唯一、別れを意識した時間がありました。

 大人になった俺は、彼女との結婚を真剣に考えるようになっていました。
 まぁ、傍目には既に夫婦のような二人だったとは思いますが、やはりけじめとして、きちんとプロポーズをしたかったんです。
 それなのに、一つの大きな懸念が、俺の心にブレーキをかけていました。

【子供の頃に親からの虐待を受けていた人間は、自分が親になった時、己の子供へ虐待の刃を向けてしまう事がある】

 成長し、様々な知識や技能を身につけて行く中で、俺は『家族』や『親子』というものを自分なりに勉強するようになっていました。
 その中で、とある本に書かれていた一文に、心を刺し貫かれてしまったんです。

 それは、ぼんやりと存在していた疑念が、明確な懸念になってしまった瞬間でした。
 七歳からその時に至るまでの俺は、両親の愛情を全身に受け止めながら歩いて来ました。
 けど、ゼロ歳から両親に出会うまでの俺は、何の愛情も受けていない、酷い時間の中にいたんです。

 俺は、夫として生きて行けるんだろうか。
 俺は、父親として存在出来るんだろうか。
 俺は、あの女の因子を受け継いだ、恐ろしい人間なのではないだろうか。
 俺は、彼女と共に人生を歩む資格を持たない、残念な人間なのではないだろうか。

 自分の中にある両親への感謝と敬意は、本物です。
 彼女に対する愛情も、絶対に揺らがないと断言できます。
 けれども、俺の中には、あの女の血と不必要な経験が詰まっています。
 何かの拍子にそれが脈動を始め、決して犯してはならない過ちを犯す所へ至ったとすれば……。

 俺は恐怖に震えて、様々な事を考えました。
 そしてその時に、“彼女と別れる”という道が頭に浮かんだんです。

 俺に心の揺れに最初に気付いたのは、おふくろでした。
 ある時、おふくろは、俺の手をそっと握りながら言いました。

「何か悩み事があるのかな? それは、お母さんに話せる事かな? それとも、君自身でやっつける事かな? そのどれでも、どんな事でも、どんな時でも、お母さんは君の味方だよ。君が一番だと思う事を、君のやり方でやって良いんだよ」

 おふくろの手は、とても暖かかったです。
 子供の頃と変わらない、俺に無償の愛情を注いでくれる、太陽のような暖かさでした。
 その暖かさに触れて、俺はポロポロと涙をこぼしました。
 おふくろは、そんな俺を抱きしめてくれました。
 俺が落ち着きを取り戻すまで、ずっとそうしてくれたんです。


 俺は、彼女にプロポーズする事を決めました。
 そして、自分の中に存在している懸念も、包み隠さず伝える事にしました。

 まず、彼女と彼女の両親を家へと招きました。
 そして、両親と妹にも、同席してもらうよう頼みました。
 それまでに、彼女と彼女の両親には、俺たち兄妹の過去を話していました。俺の左腕についての詳細も、きちんと理解してもらっていました。
 でも……俺が抱えていた懸念は、それを踏まえた上で、それを越えた所に存在するものでした。

 だからこそ、みんなに聞いてもらいたい。
 だからこそ、みんなに知っておいてもらいたい。
 その結果、何か大切なものを失う事になったとしても、全てを運命として受け止めてみせる。
 リビングに集まったみんなの顔を見渡しながら、俺はそんな風に考えていました。

 俺が話し終えた後、最初に口を開いたのは、彼女の父親でした。

「よくぞ、勇気を持って話してくれたね。己の過去や傷と向き合う事は、本来とても辛いことなんだ。しかし、君はそこから逃げなかった。今日、こうして話してくれた事を感謝するよ。ありがとう」

 続いて、彼女の母親が言いました。

「私からも、お礼を言わせて下さい。全てを話して下さって、本当にありがとうございます。そして、安心しました。あなたは自分の心にも、私達の娘との未来にも、真摯に向き合ってくれているのですね。あなたが感じている懸念や不安は、未来を望むからこそ現れる、産みの苦しみなのですよ」

 左隣に座っていた親父が、俺の頭をゴンと小突きながら言いました。

「馬鹿者め。お前は、ワシらの子供なんだよ。だから、心配なんて要らないんだ。もしもお前が人としての道を踏み外しそうになったら、ワシがこの手でぶん殴ってでも止めてやるさ。それが親父としてのワシの務めだ。親父の手本は、ここに居る。もっとワシを見習わんか。尊敬が足りんわ!」

 親父の言葉に、みんなドッと笑いました。
 そして次に、瞳にいっぱいの涙を浮かべた妹が、ゆっくりと口を開きました。

「お兄ちゃんの気持ち、すごくよくわかる。私もね……未来の自分が、泣いている赤ん坊と向き合う夢を見るの。自分の手がその子をあやしてあげるのか、殺めてしまうのか、よくわからなくて、うなされながら目が覚めるの。お兄ちゃんの悩みは、私の悩みでもあるんだよ。お兄ちゃんは、一人じゃないよ」

 当時の妹は、後に夫となる彼と交際している最中でした。
 妹もまた、自分と同じ様に大きな恐怖や葛藤と闘っている。
 その事実は、俺の心に何とも言えない切なさを呼び寄せるものでした。

 色々な思いに包まれ、うつむいた俺の背中を、右隣に座っていた彼女がそって撫でてくれました。

「今までも、これからも、私はあなたのそばに居ます。あなたは、私の良き人。あなたは、私のかけがえのない伴侶。だから、共に笑いましょう。共に悩みましょう。不束者ではございますが、どうか末永くよろしくお願いいたします」

 そう言って彼女は、ジパング式の“ミツユビの礼”をしてくれました。
 俺も慌てて彼女と向き合い、思わず土下座をしながら言いました。

「こ、こちらこそ、お願いします! 俺、あの……一生懸命、頑張るから! 良い夫、良い父親になれるよう、絶対に頑張るから! だっ、だから、こちらこそ、ずっとずっと、よろしくお願いします!!」

 俺は床に頭を擦りつけていたのでわかりませんでしたが、後に妹に訊いた所、彼女の両親は微笑みながら大きく頷き、親父は「不細工なプロポーズだなぁ、オイ」と苦笑いしていたそうです。
 ……おのれ、親父め。

 そうして頭を上げて、ふと気がつくと……俺と彼女を見下ろすように、満面の笑顔のおふくろが立っていました。
 すると次の瞬間、おふくろは授業中の元気な子供の様にピンと手を挙げ、大きな声で、ものすごい発表をしたんです。

「はいは〜い、次はお母さんから、みんなにお知らせで〜す! あのねぇ〜、実はねぇ〜……今、お母さんのお腹の中には、赤ちゃんがいまぁ〜す♪ お母さん、妊娠しちゃいましたぁ〜♪」

 俺も、彼女も、親父も、妹も、彼女の両親も、目が点になりました。
 そうして三秒ほどの静寂を経て……

「「「「「「 えええぇぇぇぇぇェェっ!? 」」」」」」

 家の中は、とんでもない大騒ぎになりました。
 彼女と妹は、共に手を取り合ってピョンピョンと跳ねています。
 彼女の両親はおふくろに駆け寄り、肩に手を添えながら「おめでとう! 本当におめでとう!」と祝福しています。
 電光石火の早業で場の主役の座を奪われた俺は、歓喜と驚きを処理し切れずに硬直しています。
 そして、本来最も喜ぶべきはずの親父は、窓を開けて何やら意味不明な事を叫んでいました。

 何だか、こう……途中までものすごくシリアスな話だったはずなのに、垂直落下式に色彩が変わってしまいました。
 両親が赤ん坊の誕生を待ち望み続けていた事は深く理解していましたし、息子としてもこの上なく嬉しい事ではあるのですが、それでもやっぱり、こう、何と言うか……ねぇ?

 けどまぁ、真剣な話、良い家族って案外こんな感じなのかも知れません。
 悩む時は真剣に悩み、不安な時はみんなで震え、幸せに出会った時はドカンと楽しく大騒ぎする。

 何とも締まらない幕切れでしたが、俺の心は軽くなりました。
 だって、俺と俺の未来は……閉ざされた一人ぼっちの世界じゃないと、そう確信できたんですから。


 最後に、俺たち兄妹を産んだあの女……母について、お話しておきます。

 俺たちが生まれる前後の事について、探偵のような人に調べてもらったと言いましたが……その中で、母の生死についても調査を依頼していました。

 母は、生きているそうです。

 ただ、それ以上の報告は望まなかったので、詳細は知りません。
 そして今後も、知るつもりはありません。
 え? 母へ何かしら伝えたい事はあるか、と?
 そうですね、それもありません。全く、何もありません。

 俺は、母の存在そのものを否定するつもりはないんです。
 だって、母の存在を消してしまったら、俺と妹の存在もこの世界から消えますからね。
 だから、母の存在は認めます。

 けれども、母がやった事を認めるつもりはありませんし、恐らく許す事も出来ません。
 生い立ちに何かがあったのか、生来の性分だったのか、それとも単なる気まぐれの連続だったのか。母が母になり、あの数々の恐ろしい言動へと至った道筋には、きっと何かがあるんだと思います。
 でも……俺と妹には、もうどうでも良い事なんです。ただシンプルに、許せないだけなんです。
 強がっているとか、冷酷ぶっているとか、そういう安い感覚ではなく、本音として、俺の中の母への感覚というのは、そういう感じなんです。


 俺の親父は、人間。おふくろは、イエティ。
 命の恩人でもあり、理想の夫婦像でもあり。心から尊敬する、最高の二人です。

 俺には、人間の妹とイエティの妹がいます。
 妹の夫も含めて、この身を投げ出してでも大切にしたい、かけがえの無い存在です。

 俺の義父は、人間。義母は、ゆきおんな。
 とても穏やかで、時々とってもお茶目なお二人です。信頼出来る、素敵な両親です。

 そして、俺には、ゆきおんなの奥さんがいます。
 彼女がいない人生なんて、俺には考えられません。
 この先の未来に何があるとしても、彼女には世界で一番正直でありたいと思っています。
 心の底から、愛しています。

 これが、俺の家族です。
 誰に対しても自慢できる、美しい絆のかたちです!
12/12/28 19:17更新 / 蓮華
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■作者メッセージ
僕「裏千家と表千家って、何がどう違うんだろ?」

母「……裏千家では、レフェリーのカウント5まで、反則が認められる」

僕「裏千家の人に謝って下さい」

母「ごめんなさい」

……僕とオカンの場合は、だいたいこんな感じです。


さてさて、ようやく第三章をお届けする事が出来ました。
時間かかり過ぎ、期間開き過ぎで、申し訳ありません。

『魔物娘さんは、絶対に良い母ちゃんになれると思う』
そんな思いが、このお話のはじまりでした。

魔物娘さんは素敵にエッチで、
自分達の愛の結晶である子供を産む事を熱望します。

ならば、彼女達には、愛の結晶である我が子を
深く慈しむ心も宿っているのではないのかなぁ、と。


そして次回は、第四章。
質問内容が、若干ピンク色になります。

ご期待いただければ、幸いです……。

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