影繰が歩んだ道 (2)
「…………」
パチリと眼が覚めた。
相変わらずいやな目覚めだなと自嘲しながら、僕はベッドから抜け出した。
村を失った僕が何故ベッドで寝ているか?
簡単な話だ、僕はご好意で、ある一家と一緒に暮らしているのだ。
あの日、僕が全てを失った後、僕はひたすら歩いた。
だって、村はもうないし、その村の生き残りも僕一人。
僕は子どもだ、一人じゃ何もできやしない、もちろん、生きることさえも。
だから歩いた。野を歩き、山を歩き、谷を越え、ひたすらに歩いた。
どこに向かうかなんて考える余裕はこれっぽっちもなかった。
ただただ、「生きたい、死にたくない」とだけ考え、一心に歩き続けた。
でも、当然限界は来る。むしろ、よくあれだけもったほうだなと今でも感心することがある。
僕が倒れたのはどこかの森だった。
村を出て3日ほどの場所だった。
まともな食料なんて当然なかった、だからそこらへんの雑草とかを食べてたし、水だって川があればそこの水を、それが泣ければそこらへんの水溜りの水を飲んでここまで歩いてきた。
それも限界だった。もう一歩も歩けないどころか、指一つ動かす事だってできなかった。
「死んじゃう……かな?」
もはや、それを悪い話と考える気力もない。
むしろ、楽に慣れるならそれがいいのではないだろうかとさえ思いはじめてきた。
いきなり村を魔物に襲われ、全てを失った僕はそこまで弱りきっていた。
「あれ……?何か倒れてる……って人!?え、あ、ど、どうしよう……!」
だんだん狭くなっていく視界の中、女の人の声が聞こえた気がした。
「ひどい怪我……それにすごいガリガリ……あの、大丈夫ですか?」
うるさいなぁ……もう疲れてるんだよ。
もう寝かせてよ……
「う……」
眩しい……ここは……天国?
だったら父さんたちもいるかなぁ……
あ〜、でも体があちこち痛いや。死んだんだったらもう痛くなくてもいいと思うんだけど、痛いなぁ……
「お!気がついたのかい?」
起き掛けの耳に男の人の声が飛び込んできた。
声がしたほうを見ると、白衣を着た初老の男性が布がかかった桶を抱えて経っていた。
「体の具合はどうだい?どこか痛いところはあるかい?ああ、体は動かさなくてもいいよ、黙ってても痛いところがあれば言ってくれ。とりあえず目に付いたところの怪我は治療しておいたけど、もしかしたらやり残しがあるかもしれないしね。それを放っておいたら傷口から細菌が入ってきて大変なことになるから。それにどこか骨が折れてるかもしれないし、さすがにそれは君が言ってくれないと分からないことだからね。そうだ、お腹は空いていないかい?いや、この質問は無粋だったね、空いているに決まっているだろう、なにせそんなにやせ細っているんだからね。ろくな食事をしてこなかったんだろう?ならちょっと待っていたまえ、何か消化によくて、なおかつ栄養があるものをとってこよう」
「え?あ、ちょ……」
初老の男性は僕に話す余裕を与えないほどいろいろとまくし立てると、急いで部屋を出て行ってしまった。
まだ起きたばかりの冴えない頭で先ほどまくし立てられた言葉を何とか拾ってつないでいく。
といってもまともな文章になったのは、
「……食べ物、くれるのか」
これだけだった。
「いやー、すまないすまない。つい癖でね」
「はぁ……」
あれから初老の男性が持ってきた食べ物を食べながら、ようやく頭が働いてきたようだ。
「私の名前はターナー・グレッグという。ま、見てのとおり医者の真似事をしている」
「あむ……僕はキト・ラファエーラといいます」
「ふむ、キト君……と、それで、どうして君は森で倒れていたんだい?」
「森?」
僕が小首を傾げると、ターナーさんは「覚えていないのか……まぁ無理もあるまい」とつぶやき、簡単な事情の説明をしてくれた。
「君はこの村の近くの森で倒れていたんだ。見つけたのは私の助手……のような奴でね、君をつれてきたときはほんとに驚いた。死体と見間違ってしまうくらいの有様だったからね。」
「そうですか……ありがとうございます」
森か……下手したら獣に食い殺されていたのかも知れないな。
あの時は死んでもいいやと思ってたけど、こうやって人心地つくと、死ぬなんてとんでもない。
「さて、ここからが本題だ。君はどこから来たんだ?君のような子はこの村では見たことがない。一応僕は医者の真似事をしているから、この村にどんな人が住んでいるかは把握している」
「えっと……リゼル村って分かりますか?」
「リゼル村……」
僕が住んでいた村の名前を聞いて、ターナーさんは顎に手を当ててしばらく記憶を探っている様子だった。
「ああ……そうかそうか、ならばそれ以上は言わなくてもいい。君にはつらいことだしね」
「……はい」
ふと思い出すのは、やはり家族のあの姿。
「…………」
「あ〜、うん、とりあえずだ、これからどうするかは後で考えるとして、君は体を治すことに専念するといい」
「あ、はい……ありがとうございます」
こうして僕はターナーさんの家兼診療所でしばらく養生することになった。
翌日。
「はい、キト君、あ〜ん」
「あ、あの、シエラさん?」
「あ〜ん」
「あのですね、僕は一人で食事、できるんですが……」
「あ〜ん」
「…………」
ぱくり。
「おいしい?キト君」
「は、はい……」
「はい、あ〜ん」
「…………」
僕は部屋の入り口で苦笑いしているターナーさんを見た。
「あきらめるといい、シエラはやけに献身的というか、どこかずれているというか、とにかく私でも止められないのだよ」
ヘルプの視線はあっさり切り捨てられた。
「あ〜ん」
この、先ほどから僕に「あ〜ん」をしている人はシエラ・グレッグさん。
まぁ、苗字で分かるとおり、ターナーさんの奥さんだ。ついでにターナーさんの助手もしているらしい。
もっとも、僕をここに連れてきたのはシエラさんではなく、もう一人の助手らしいが。
で、なんでいきなりこういう状況になっているかというと、先ほどターナーさんが言ったとおり、シエラさん、変に献身的と言うか何と言うか。
詳しいことはシエラさんの脳内を見なければ分からないが、推測するに「けが人には食事を食べさせてあげる」という不思議な考えがあるのだろう。
しかし、夫が見ている前で他の男に平気で「あ〜ん」などで斬るものなのだろうか?
疑問に思った僕は再びターナーさんを見る。
「ん?なに、問題はないさ。シエラに下心その他はないからね」
だそうだ。
信頼してるんだなぁ……と思いつつ、むしろ僕が誰かに見られているということが恥ずかしいんですが。
……結局、最後までシエラさんにあ〜んで食べさせてもらった。
数日後。
「さて、体も治ったところで、これからどうするんだい?」
「どうする……ですか?」
体の怪我とかも完治し、体力も戻ったところで、ターナーさんがそう聞いてきた。
「君はもう本調子だろう?せめてこれからどうするかを聞かせてもらいたいんだが」
「…………」
そういえば、考えてなかった。
あまりにここの居心地がよかったせいで、ここにいることが当たり前みたいに勘違いしてた。
でも、あくまで僕はここの患者の一人でしかない。
いまさら、そのことに思い至った。
「……すいません、考えてなかったです」
「ふむ……まぁそうだろうとは思った。というか、それが当然だな」
「へ?」
「君はまだ幼い、まだ親の庇護を受けていなければならない歳だ……少し、意地悪な質問をしてしまったな、すまない」
「いえ、そんな」
でも、これから先、どうする……か……
ずっとここで世話になるわけにもいかないし、ああいわれたけど、やっぱ考えないとな……
「簡単なお話でしょ?ウチの子になっちゃえばいいのよ」
「……ハイ?」
ここでシエラさん降臨。
って、ウチの子になっちゃえって……
「あの、シエラさん、それはこれ以上世話になるのはさすがに……」
「いい考えだな、よし!そうしてもらおう」
「ターナーさん!?」
あなたまで何を言い出しますか!?
「言っただろう?君は本来親の庇護を受けていなければならない歳だ。……私達が君の親になれるとは思ってはいないさ、ただ親の代わりにはなれるはずだ。君は私達に遠慮しているな?それはよくない傾向だ。我を押し通すことが良しとは言わないが、我を押し込めることを良しとも言えないな。」
「いいのよ、キト君。今君がしたいこと、思っていることをいって御覧なさい?」
「……僕は……」
―――……ここに、居たいです―――
「了承!」
「かまわないさ。何も困ることはない」
こうして、僕はターナーさんの家で暮らすことになった。
ターナーさんの家で暮らし始めて早2年。
その間、僕はターナーさんの手伝いをすることになった。
大体は森へ行って薬草を取ってきたりすることが多い。
あのころを取り戻すのは不可能だけど、今はおおむね幸せだ。
でも……どうしても受け入れることができないものもある。
「あ、あの〜……」
「……何」
「あう……なんでもないです」
それが今僕の後ろをついてきている少女だ。
首から上は普通の少女だ。あくまで、首から上は。
しかし、体は白い羽毛のような毛で包まれ、腕は途中からまるで鳥のような翼になっている。
足は太ももの半ばから堅い石のようなもので覆われ、膝から下は鳥のような足。
コカトリスという魔物だ。
翼を持っているが、空は飛べず、変わりに発達した脚力により地上をすばやく駆け回る。
また、見つめたものを石へと変えてしまう能力を持つハーピーの一種。
「魔物は魔王の代替わりにより、人間の隣に寄り添うようになった……?ふざけてるよ、まったく」
そう、このコカトリスの少女がターナーさんのもう一人の助手であり、僕をターナーさんのところまで運んでくれた人(?)だ。
僕がターナーさんの手伝いをしているときにひょっこりと現れ、ターナーさんが「しまった!」という表情になりながら、最早隠しておくことはできないと悟ったのか、ぽつりと紹介した。
『あ〜、この子はシトリー、その……コカトリス、だ』
初めて彼女を見たときは、手近にあったナイフで殺してしまおうととっさに思ったものだ。
魔物に村を襲われた僕としては、また魔物のせいで全てを奪われてたまるかと思ったからだ。
幸い、図鑑で見たコカトリスとちがって少女のような外見で、しかもなにやらこちらにおびえているので刺すところがよければ自分でも魔物を倒せる。
そう思っていた。
『ストップ!ストップだ!!キト君!!』
『何でとめるんですか!!』
『もう魔物は人を殺さないんだよ!キト君!!』
『はぁ!?何言ってるんですか!?』
『とにかく落ち着くんだ!私の話を聞いてくれ!!』
それから聞かされたことは、僕にとっては衝撃的な事実だった。
僕の村が人間狩りにあった日、あの日に魔王が代替わりした。
新たな魔王は人間との共存を望み、その魔王の魔力を受けた魔物は全て少女のような姿を手に入れ、人を殺すことはなくなった。
『…………』
『そういうことだ。キト君、君が人間狩りにあったことは知っている。当然魔物が憎いだろう。でも、もう魔物は人類の敵じゃないんだよ……』
『そんな……でも、だったら……父さんたちは……村の人は……』
『…………』
『……そんなこと!納得できるわけありませんよ!!』
『っ!?キト君!!』
そんなことがあったのが一週間くらい前。
そして今僕はシトリーと一緒に森に入り、薬草を採取している。
「だからって、そう簡単に許せるはずないじゃないか……」
「あう〜……」
魔物なんて殺したいくらい憎い。
でも、今魔物を殺したって、むしろ悪人にされるのは僕のほうだ。
最近知ったのだが、この村には魔物も多くすんでいる。
その多くが、人間と暮らしているのだ。
そんな中で魔物を殺したらどうなるか。そこに考えがいかないほど、僕は冷静さを失っていなかった。
それに、きっと魔物であれ、誰かを殺したとなればグレッグ夫妻は悲しむだろう。
魔物はどうなってもいいが、あの人たちに迷惑をかけるわけにはいかなかった。
「あ、あの!」
「……何」
「あ、えっと……あの上に薬草があるので、とってきますね……」
「……あっそ」
彼女が一緒についてきたのは、僕には取れない場所にある薬草をとってもらうためだ。
コカトリスは脚力が発達している。故に僕が上るには少し危険が伴うがけでも、その脚力をいかしてすいすい上っていき、薬草をとってこれる。
実際は、すいすというより崖の出っ張った石を足場にぴょんぴょんとジャンプして行っているという感じで。
それに採取した薬草が新鮮なうちに診療所へ持って帰るために、彼女の足の速さが役に立つのだ。
彼女にとってはこの森は慣れたもので、人間では明らかに出せないようなスピードですいすいと森を抜けていく。
材料である薬草の鮮度が命である薬を作るにあたって、彼女はまさに有能な人材なのだ。
魔物であることはともかく、彼女が有能であることは認めているので、僕は憎しみを隠しながらも彼女と一緒に薬草を採取しているのだ。
「今日はここまで、ほら、さっさとターナーさんにのところに持っていけよ」
「えっと、キトさんは……」
「僕はどうでもいいだろ?さっさと持っていけって」
「は、はい……」
彼女に採取した薬草が入ったかごを持たせると、彼女はこちらを何度も振り返りながらも診療所へ向けて駆けていった。
「……魔物に心配されたくないね」
僕はゆっくりと村へと歩き出した。
一応獣除けの匂い袋は持ってるし、獣に襲われることはないだろうしね。
「そろそろ村につくかな……?」
森を抜け、そろそろ村が見えてくるといったところで、僕は異変に気がついた。
村のほうから黒い煙が上がっているのだ。
それも煙突から出る量じゃなくて、まるで……
「広範囲を燃やしてるような……っ!?」
いやな予感がした。
僕は急いで村に帰ろうと駆け出した。
走っている間、ずっと心臓がバクバクしていた。
それは疲れから来るものじゃないことは十分分かりきっていた。
その心臓の鼓動は、あの日、人間狩りのときに感じた心臓の鼓動にそっくりだった。
「嘘……だよね?」
燃えていた。村が。あの日のように。
どこの家も真っ赤な炎に包まれて、まるであの日の再来……
その瞬間思い出されたのは魔物に蹂躙された人々の死体の山。
「う……うげぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
胃からこみ上げてくる、すっぱいものを抑えきれずに、その場にうずくまり、吐き出す。
やがて吐き出すものがなくなっても、のどを焼いてせり登ってくる液体を吐き出し続けた。
「げほっ!げぇぇぇぇ!」
何で、どうしてこうなったんだ?
どうしてこんなことになったんだよ!?
あらかた吐き出すものがなくなって、ようやく僕は顔をあげた。
また魔物が……?でも、ターナーさんは魔物はもう人を襲わないって……
ふと、ガシャンガシャンと金属質な音が聞こえた。
僕は急いで近くにあったまだ燃えてない家の影に隠れた。
「……これで村の住人は全員か?」
「でしょうね。仮に生きてたとしても、この炎じゃお陀仏ですね」
あの紋章は……前に本で見たことがある。
あれは確か教会の紋章だ。
旧魔王の時代、魔物に対抗すべく立ち上がった教会の紋章。
その紋章をつけた騎士が数人。
でも、なんで教会の騎士がこの村に火を……?
「馬鹿なやつらだ。魔物とともに暮らすなどと……だから皆殺しにされる」
皆……殺し……?
教会騎士はなんていった?皆殺し?
それって、つまり住人全員が殺されたってことだよね……?
何で、魔物を倒して人々を守るはずの教会の人が人間まで殺してるんだよ。
「まったくですね。しかも我々に対して殺戮者などと……我々はただ、主神の教えに従って悪を裁いているだけだというのに。」
悪を裁く?
主神の教えの悪って、魔物だけじゃないのか?
僕はもう神は信じてはいないけど、神は万人を救う存在じゃなかったのか?
「魔物とともに暮らしている人間も悪。これも主神の教えだ。この村の住人は運がなかった……それだけだ。」
……そんな。
それじゃああ、ターナーさん達も悪だって言うのか?
あの人たちは、医者として、人々を助けるっていう善いことをしてたじゃないか。
他の村人だって、毎日農業とかに励んで、神の言う善いことをしてたんじゃないのか?
それなのに、ただ「魔物と暮らしていた」、それだけで許されない悪にされるのか?運が悪かったで殺されたのか?
そんなことって……
「そんなことって……あるかよ……」
ザワリ……
「そんなことで……あの人たちを殺したのか……?」
ザワリ……ザワリ……
「また、僕から全てを奪っていくのか……?」
ザワ……ザワ……
「そんなのって……あるかよ!!」
ゴウッ!
そのとき、すごく強い風が吹いた気がした。
「…………」
気がつくと、僕はただ立ち尽くしていた。
僕の周りには数人の死体。真っ白な鎧を赤で染められた、首のない死体。
その死体にガジガジと噛み付いている、目のない黒い獣が一匹。
「……なんだ、お前」
その獣は、僕が声をかけると黒一色の顔をこちらに向け、やがて僕の影に吸い込まれていった。
いや、違う。吸い込まれたんじゃない。
あれは、あれ自体が、僕の影が形を変えたものだ。
なぜか、そう分かった。
「…………また、か」
前は魔物に全てを奪われ、今度は魔物が理由で教会に全てを奪われた。
「あは……あははははははは……」
もう笑うしかなかった。
「あはははははははは……!あははははははははははははははは!あっはっはっはっはっはっはっはっは!!」
それから数年後、魔物、教会双方を襲う人間が現れた。
その人間は己の影をさまざまな形に変え、次々と魔物や騎士を殺していった。
やがて、その人物は、魔物と教会、双方からの畏怖と侮蔑の意を込め、
「影繰」
そう呼ばれるようになった。
パチリと眼が覚めた。
相変わらずいやな目覚めだなと自嘲しながら、僕はベッドから抜け出した。
村を失った僕が何故ベッドで寝ているか?
簡単な話だ、僕はご好意で、ある一家と一緒に暮らしているのだ。
あの日、僕が全てを失った後、僕はひたすら歩いた。
だって、村はもうないし、その村の生き残りも僕一人。
僕は子どもだ、一人じゃ何もできやしない、もちろん、生きることさえも。
だから歩いた。野を歩き、山を歩き、谷を越え、ひたすらに歩いた。
どこに向かうかなんて考える余裕はこれっぽっちもなかった。
ただただ、「生きたい、死にたくない」とだけ考え、一心に歩き続けた。
でも、当然限界は来る。むしろ、よくあれだけもったほうだなと今でも感心することがある。
僕が倒れたのはどこかの森だった。
村を出て3日ほどの場所だった。
まともな食料なんて当然なかった、だからそこらへんの雑草とかを食べてたし、水だって川があればそこの水を、それが泣ければそこらへんの水溜りの水を飲んでここまで歩いてきた。
それも限界だった。もう一歩も歩けないどころか、指一つ動かす事だってできなかった。
「死んじゃう……かな?」
もはや、それを悪い話と考える気力もない。
むしろ、楽に慣れるならそれがいいのではないだろうかとさえ思いはじめてきた。
いきなり村を魔物に襲われ、全てを失った僕はそこまで弱りきっていた。
「あれ……?何か倒れてる……って人!?え、あ、ど、どうしよう……!」
だんだん狭くなっていく視界の中、女の人の声が聞こえた気がした。
「ひどい怪我……それにすごいガリガリ……あの、大丈夫ですか?」
うるさいなぁ……もう疲れてるんだよ。
もう寝かせてよ……
「う……」
眩しい……ここは……天国?
だったら父さんたちもいるかなぁ……
あ〜、でも体があちこち痛いや。死んだんだったらもう痛くなくてもいいと思うんだけど、痛いなぁ……
「お!気がついたのかい?」
起き掛けの耳に男の人の声が飛び込んできた。
声がしたほうを見ると、白衣を着た初老の男性が布がかかった桶を抱えて経っていた。
「体の具合はどうだい?どこか痛いところはあるかい?ああ、体は動かさなくてもいいよ、黙ってても痛いところがあれば言ってくれ。とりあえず目に付いたところの怪我は治療しておいたけど、もしかしたらやり残しがあるかもしれないしね。それを放っておいたら傷口から細菌が入ってきて大変なことになるから。それにどこか骨が折れてるかもしれないし、さすがにそれは君が言ってくれないと分からないことだからね。そうだ、お腹は空いていないかい?いや、この質問は無粋だったね、空いているに決まっているだろう、なにせそんなにやせ細っているんだからね。ろくな食事をしてこなかったんだろう?ならちょっと待っていたまえ、何か消化によくて、なおかつ栄養があるものをとってこよう」
「え?あ、ちょ……」
初老の男性は僕に話す余裕を与えないほどいろいろとまくし立てると、急いで部屋を出て行ってしまった。
まだ起きたばかりの冴えない頭で先ほどまくし立てられた言葉を何とか拾ってつないでいく。
といってもまともな文章になったのは、
「……食べ物、くれるのか」
これだけだった。
「いやー、すまないすまない。つい癖でね」
「はぁ……」
あれから初老の男性が持ってきた食べ物を食べながら、ようやく頭が働いてきたようだ。
「私の名前はターナー・グレッグという。ま、見てのとおり医者の真似事をしている」
「あむ……僕はキト・ラファエーラといいます」
「ふむ、キト君……と、それで、どうして君は森で倒れていたんだい?」
「森?」
僕が小首を傾げると、ターナーさんは「覚えていないのか……まぁ無理もあるまい」とつぶやき、簡単な事情の説明をしてくれた。
「君はこの村の近くの森で倒れていたんだ。見つけたのは私の助手……のような奴でね、君をつれてきたときはほんとに驚いた。死体と見間違ってしまうくらいの有様だったからね。」
「そうですか……ありがとうございます」
森か……下手したら獣に食い殺されていたのかも知れないな。
あの時は死んでもいいやと思ってたけど、こうやって人心地つくと、死ぬなんてとんでもない。
「さて、ここからが本題だ。君はどこから来たんだ?君のような子はこの村では見たことがない。一応僕は医者の真似事をしているから、この村にどんな人が住んでいるかは把握している」
「えっと……リゼル村って分かりますか?」
「リゼル村……」
僕が住んでいた村の名前を聞いて、ターナーさんは顎に手を当ててしばらく記憶を探っている様子だった。
「ああ……そうかそうか、ならばそれ以上は言わなくてもいい。君にはつらいことだしね」
「……はい」
ふと思い出すのは、やはり家族のあの姿。
「…………」
「あ〜、うん、とりあえずだ、これからどうするかは後で考えるとして、君は体を治すことに専念するといい」
「あ、はい……ありがとうございます」
こうして僕はターナーさんの家兼診療所でしばらく養生することになった。
翌日。
「はい、キト君、あ〜ん」
「あ、あの、シエラさん?」
「あ〜ん」
「あのですね、僕は一人で食事、できるんですが……」
「あ〜ん」
「…………」
ぱくり。
「おいしい?キト君」
「は、はい……」
「はい、あ〜ん」
「…………」
僕は部屋の入り口で苦笑いしているターナーさんを見た。
「あきらめるといい、シエラはやけに献身的というか、どこかずれているというか、とにかく私でも止められないのだよ」
ヘルプの視線はあっさり切り捨てられた。
「あ〜ん」
この、先ほどから僕に「あ〜ん」をしている人はシエラ・グレッグさん。
まぁ、苗字で分かるとおり、ターナーさんの奥さんだ。ついでにターナーさんの助手もしているらしい。
もっとも、僕をここに連れてきたのはシエラさんではなく、もう一人の助手らしいが。
で、なんでいきなりこういう状況になっているかというと、先ほどターナーさんが言ったとおり、シエラさん、変に献身的と言うか何と言うか。
詳しいことはシエラさんの脳内を見なければ分からないが、推測するに「けが人には食事を食べさせてあげる」という不思議な考えがあるのだろう。
しかし、夫が見ている前で他の男に平気で「あ〜ん」などで斬るものなのだろうか?
疑問に思った僕は再びターナーさんを見る。
「ん?なに、問題はないさ。シエラに下心その他はないからね」
だそうだ。
信頼してるんだなぁ……と思いつつ、むしろ僕が誰かに見られているということが恥ずかしいんですが。
……結局、最後までシエラさんにあ〜んで食べさせてもらった。
数日後。
「さて、体も治ったところで、これからどうするんだい?」
「どうする……ですか?」
体の怪我とかも完治し、体力も戻ったところで、ターナーさんがそう聞いてきた。
「君はもう本調子だろう?せめてこれからどうするかを聞かせてもらいたいんだが」
「…………」
そういえば、考えてなかった。
あまりにここの居心地がよかったせいで、ここにいることが当たり前みたいに勘違いしてた。
でも、あくまで僕はここの患者の一人でしかない。
いまさら、そのことに思い至った。
「……すいません、考えてなかったです」
「ふむ……まぁそうだろうとは思った。というか、それが当然だな」
「へ?」
「君はまだ幼い、まだ親の庇護を受けていなければならない歳だ……少し、意地悪な質問をしてしまったな、すまない」
「いえ、そんな」
でも、これから先、どうする……か……
ずっとここで世話になるわけにもいかないし、ああいわれたけど、やっぱ考えないとな……
「簡単なお話でしょ?ウチの子になっちゃえばいいのよ」
「……ハイ?」
ここでシエラさん降臨。
って、ウチの子になっちゃえって……
「あの、シエラさん、それはこれ以上世話になるのはさすがに……」
「いい考えだな、よし!そうしてもらおう」
「ターナーさん!?」
あなたまで何を言い出しますか!?
「言っただろう?君は本来親の庇護を受けていなければならない歳だ。……私達が君の親になれるとは思ってはいないさ、ただ親の代わりにはなれるはずだ。君は私達に遠慮しているな?それはよくない傾向だ。我を押し通すことが良しとは言わないが、我を押し込めることを良しとも言えないな。」
「いいのよ、キト君。今君がしたいこと、思っていることをいって御覧なさい?」
「……僕は……」
―――……ここに、居たいです―――
「了承!」
「かまわないさ。何も困ることはない」
こうして、僕はターナーさんの家で暮らすことになった。
ターナーさんの家で暮らし始めて早2年。
その間、僕はターナーさんの手伝いをすることになった。
大体は森へ行って薬草を取ってきたりすることが多い。
あのころを取り戻すのは不可能だけど、今はおおむね幸せだ。
でも……どうしても受け入れることができないものもある。
「あ、あの〜……」
「……何」
「あう……なんでもないです」
それが今僕の後ろをついてきている少女だ。
首から上は普通の少女だ。あくまで、首から上は。
しかし、体は白い羽毛のような毛で包まれ、腕は途中からまるで鳥のような翼になっている。
足は太ももの半ばから堅い石のようなもので覆われ、膝から下は鳥のような足。
コカトリスという魔物だ。
翼を持っているが、空は飛べず、変わりに発達した脚力により地上をすばやく駆け回る。
また、見つめたものを石へと変えてしまう能力を持つハーピーの一種。
「魔物は魔王の代替わりにより、人間の隣に寄り添うようになった……?ふざけてるよ、まったく」
そう、このコカトリスの少女がターナーさんのもう一人の助手であり、僕をターナーさんのところまで運んでくれた人(?)だ。
僕がターナーさんの手伝いをしているときにひょっこりと現れ、ターナーさんが「しまった!」という表情になりながら、最早隠しておくことはできないと悟ったのか、ぽつりと紹介した。
『あ〜、この子はシトリー、その……コカトリス、だ』
初めて彼女を見たときは、手近にあったナイフで殺してしまおうととっさに思ったものだ。
魔物に村を襲われた僕としては、また魔物のせいで全てを奪われてたまるかと思ったからだ。
幸い、図鑑で見たコカトリスとちがって少女のような外見で、しかもなにやらこちらにおびえているので刺すところがよければ自分でも魔物を倒せる。
そう思っていた。
『ストップ!ストップだ!!キト君!!』
『何でとめるんですか!!』
『もう魔物は人を殺さないんだよ!キト君!!』
『はぁ!?何言ってるんですか!?』
『とにかく落ち着くんだ!私の話を聞いてくれ!!』
それから聞かされたことは、僕にとっては衝撃的な事実だった。
僕の村が人間狩りにあった日、あの日に魔王が代替わりした。
新たな魔王は人間との共存を望み、その魔王の魔力を受けた魔物は全て少女のような姿を手に入れ、人を殺すことはなくなった。
『…………』
『そういうことだ。キト君、君が人間狩りにあったことは知っている。当然魔物が憎いだろう。でも、もう魔物は人類の敵じゃないんだよ……』
『そんな……でも、だったら……父さんたちは……村の人は……』
『…………』
『……そんなこと!納得できるわけありませんよ!!』
『っ!?キト君!!』
そんなことがあったのが一週間くらい前。
そして今僕はシトリーと一緒に森に入り、薬草を採取している。
「だからって、そう簡単に許せるはずないじゃないか……」
「あう〜……」
魔物なんて殺したいくらい憎い。
でも、今魔物を殺したって、むしろ悪人にされるのは僕のほうだ。
最近知ったのだが、この村には魔物も多くすんでいる。
その多くが、人間と暮らしているのだ。
そんな中で魔物を殺したらどうなるか。そこに考えがいかないほど、僕は冷静さを失っていなかった。
それに、きっと魔物であれ、誰かを殺したとなればグレッグ夫妻は悲しむだろう。
魔物はどうなってもいいが、あの人たちに迷惑をかけるわけにはいかなかった。
「あ、あの!」
「……何」
「あ、えっと……あの上に薬草があるので、とってきますね……」
「……あっそ」
彼女が一緒についてきたのは、僕には取れない場所にある薬草をとってもらうためだ。
コカトリスは脚力が発達している。故に僕が上るには少し危険が伴うがけでも、その脚力をいかしてすいすい上っていき、薬草をとってこれる。
実際は、すいすというより崖の出っ張った石を足場にぴょんぴょんとジャンプして行っているという感じで。
それに採取した薬草が新鮮なうちに診療所へ持って帰るために、彼女の足の速さが役に立つのだ。
彼女にとってはこの森は慣れたもので、人間では明らかに出せないようなスピードですいすいと森を抜けていく。
材料である薬草の鮮度が命である薬を作るにあたって、彼女はまさに有能な人材なのだ。
魔物であることはともかく、彼女が有能であることは認めているので、僕は憎しみを隠しながらも彼女と一緒に薬草を採取しているのだ。
「今日はここまで、ほら、さっさとターナーさんにのところに持っていけよ」
「えっと、キトさんは……」
「僕はどうでもいいだろ?さっさと持っていけって」
「は、はい……」
彼女に採取した薬草が入ったかごを持たせると、彼女はこちらを何度も振り返りながらも診療所へ向けて駆けていった。
「……魔物に心配されたくないね」
僕はゆっくりと村へと歩き出した。
一応獣除けの匂い袋は持ってるし、獣に襲われることはないだろうしね。
「そろそろ村につくかな……?」
森を抜け、そろそろ村が見えてくるといったところで、僕は異変に気がついた。
村のほうから黒い煙が上がっているのだ。
それも煙突から出る量じゃなくて、まるで……
「広範囲を燃やしてるような……っ!?」
いやな予感がした。
僕は急いで村に帰ろうと駆け出した。
走っている間、ずっと心臓がバクバクしていた。
それは疲れから来るものじゃないことは十分分かりきっていた。
その心臓の鼓動は、あの日、人間狩りのときに感じた心臓の鼓動にそっくりだった。
「嘘……だよね?」
燃えていた。村が。あの日のように。
どこの家も真っ赤な炎に包まれて、まるであの日の再来……
その瞬間思い出されたのは魔物に蹂躙された人々の死体の山。
「う……うげぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
胃からこみ上げてくる、すっぱいものを抑えきれずに、その場にうずくまり、吐き出す。
やがて吐き出すものがなくなっても、のどを焼いてせり登ってくる液体を吐き出し続けた。
「げほっ!げぇぇぇぇ!」
何で、どうしてこうなったんだ?
どうしてこんなことになったんだよ!?
あらかた吐き出すものがなくなって、ようやく僕は顔をあげた。
また魔物が……?でも、ターナーさんは魔物はもう人を襲わないって……
ふと、ガシャンガシャンと金属質な音が聞こえた。
僕は急いで近くにあったまだ燃えてない家の影に隠れた。
「……これで村の住人は全員か?」
「でしょうね。仮に生きてたとしても、この炎じゃお陀仏ですね」
あの紋章は……前に本で見たことがある。
あれは確か教会の紋章だ。
旧魔王の時代、魔物に対抗すべく立ち上がった教会の紋章。
その紋章をつけた騎士が数人。
でも、なんで教会の騎士がこの村に火を……?
「馬鹿なやつらだ。魔物とともに暮らすなどと……だから皆殺しにされる」
皆……殺し……?
教会騎士はなんていった?皆殺し?
それって、つまり住人全員が殺されたってことだよね……?
何で、魔物を倒して人々を守るはずの教会の人が人間まで殺してるんだよ。
「まったくですね。しかも我々に対して殺戮者などと……我々はただ、主神の教えに従って悪を裁いているだけだというのに。」
悪を裁く?
主神の教えの悪って、魔物だけじゃないのか?
僕はもう神は信じてはいないけど、神は万人を救う存在じゃなかったのか?
「魔物とともに暮らしている人間も悪。これも主神の教えだ。この村の住人は運がなかった……それだけだ。」
……そんな。
それじゃああ、ターナーさん達も悪だって言うのか?
あの人たちは、医者として、人々を助けるっていう善いことをしてたじゃないか。
他の村人だって、毎日農業とかに励んで、神の言う善いことをしてたんじゃないのか?
それなのに、ただ「魔物と暮らしていた」、それだけで許されない悪にされるのか?運が悪かったで殺されたのか?
そんなことって……
「そんなことって……あるかよ……」
ザワリ……
「そんなことで……あの人たちを殺したのか……?」
ザワリ……ザワリ……
「また、僕から全てを奪っていくのか……?」
ザワ……ザワ……
「そんなのって……あるかよ!!」
ゴウッ!
そのとき、すごく強い風が吹いた気がした。
「…………」
気がつくと、僕はただ立ち尽くしていた。
僕の周りには数人の死体。真っ白な鎧を赤で染められた、首のない死体。
その死体にガジガジと噛み付いている、目のない黒い獣が一匹。
「……なんだ、お前」
その獣は、僕が声をかけると黒一色の顔をこちらに向け、やがて僕の影に吸い込まれていった。
いや、違う。吸い込まれたんじゃない。
あれは、あれ自体が、僕の影が形を変えたものだ。
なぜか、そう分かった。
「…………また、か」
前は魔物に全てを奪われ、今度は魔物が理由で教会に全てを奪われた。
「あは……あははははははは……」
もう笑うしかなかった。
「あはははははははは……!あははははははははははははははは!あっはっはっはっはっはっはっはっは!!」
それから数年後、魔物、教会双方を襲う人間が現れた。
その人間は己の影をさまざまな形に変え、次々と魔物や騎士を殺していった。
やがて、その人物は、魔物と教会、双方からの畏怖と侮蔑の意を込め、
「影繰」
そう呼ばれるようになった。
11/02/17 13:48更新 / 日鞠朔莉
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