連載小説
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「楽園」
 こうして始まったゾンビと人間のお見合い大会であったが、中にはこれを「ただの乱痴気騒ぎ」であると認識してやってきていた者も少なからず存在していた。
 これに参加すれば好きなだけセックスが出来ると考え、まさに「ヤるだけヤって」さっさと帰ろうと目論む、恋愛感情や結婚願望などこれっぽっちも持っていない不逞の輩も、残念ながら混じっていたのだ――もっとも、ホームページや広告で「肉欲溺れ放題」だの「ゾンビと愛欲ぶつけ放題」だのと好き勝手書きまくった主催者のワイトの方にも若干なり落ち度はあるわけだが。
しかし、そんな軽い気持ちでこのお見合いに参加した者達は、一人残らず地獄を見る羽目になった。

「アハア……オチンチン……♪」
「セーエキ……チョウダイ……♪♪」
「も、もうだめ、もうでなっ……!」

 彼らはゾンビ達を甘く見ていた。確かに動きは鈍重で、力もそれほど強くは無かったが、彼女達はそれでも魔物娘なのだ。彼女達もまた他の魔物娘と同じように、人間の心の機微――と言うよりも相手の肉欲や愛欲に関しては、下手な人間以上に敏感であったのだ。
 故に彼女達は、自分達を性欲発散用の玩具としてしか認識していない者に対しては、全く容赦しなかった。数十人がかりで彼らを取り囲み、数に物を言わせて押し倒し、相手の同意も待たずに無理矢理犯し始めたのだ。
 それは彼女達が「力ずくでも彼らを虜にして、自分達と婚約させる」という強烈な思念から来る行為であった。そうして大量のゾンビが一人の人間に群がり、一心不乱にその体を求める様は、まさに食欲のままに哀れな犠牲者の体に食らいつくゾンビそのものであった。もちろん彼女達は、そんな恥知らずな連中に天誅を下すとか、殺害して罪を贖わせるとか、そういった物騒な思考は欠片も抱いていなかった。

「ダイジョウブ……スグニキモチヨク……ナルカラネ……」
「ダカラ……ワタシタチト……ケッコン……シテ……?」
「ふっ、ふざけるな! 誰がお前らみたいな、死体なんかと!」
「……マダ、ソンナコトイエル、ヨユウガ、マダアルンダ……」
「ジャア……モット、キモチヨクシテ、アゲルネ……♪」

 彼女達はただ、彼らを自分の魅力で改心させて、愛と精を受け取りたいだけなのだ。そして愚かな人間が拒めば拒むほど、ゾンビ達はその人間を意地でも悦ばせようと、ますます発奮するのである。
 まさに蟻地獄であった。

「お、俺、裕司って言うんだ。君の名前は?」
「ワタシ? ワタシハ……メリッサ……」

 その一方で、自分達に対して真摯に接して来る者に対しては、ゾンビ達は一転してしおらしい態度を見せた。何せ今回の「お見合い」に招聘されたゾンビ達は、その全てが処女であり、中にはまともに男性と恋愛をしたことが無いゾンビも混じっているほどであった。
 体は死んでいたが、心は乙女のままであったのだ。

「アッ、アノネ、ワタシ……コウイウコト、ハジメテナノ……ダカラ……」
「そ、そうなんだ。実は俺も、こんなことするの初めてでさ……」
「ソウナノ……? ジャア、イッショ……ダネ」
「うっ、うん……」
「……エヘヘ」
「ははっ」

 故に心の通じ合った人間とゾンビのやり取りは、初恋の甘酸っぱさを存分に辺りに振りまくものであった。そして幸運にもこうなれたゾンビ達は、心の触れ合った男性を少しでも悦ばせてあげようと、全身全霊をかけて愛情を注いでいくのである。
 もちろん、セックスの知識など微塵も持ち合わせていない者もいた。むしろそんな初心なゾンビが大半だった。それでもその拙い指捌きや腰遣いには、確かな愛が込められていた。
 相手に自分の気持ちを伝えたいという熱心な気持ちが、その行為の中にしっかり込められていた。そしてそんな純真無垢な気持ちが、パートナーである人間にもしっかり伝わっていたのだ。

「ド、ドウ? チャント……デキテル……?」
「あ、ああ。すげえ気持ちいいよ……本当に、初めてなのか?」
「ウン。ハジメテダヨ。アナタニ、キモチヨク、ナッテホシイカラ……コンナニ、ガンバレルンダヨ……?」
「そうなのか……じゃあ、俺もお前のために頑張らないとな……!」
「ウン……キタイシテル、カラネ……♪」

 実際の所、「お見合い」が始まって四時間も経った頃には、ゾンビと人間の間でカップルがいくつも出来上がり始めていた。ゾンビと本気で恋愛を育むことに関して露骨な嫌悪を見せる者もいるにはいたが、そんな彼らも改心を果たすのに長い時間はかからなかった。誰も彼もが、一人残らずゾンビの虜となっていったのだ。
 しかし最初にやってきた「第一陣」の人間の数があまりにも少なかったので、当然ながらパートナーを見つけられずにあぶれたゾンビ達も大量にいた。しかし後から後続の参加者たちが続々来る予定だったので、お見合い自体が終了することは無かった。
 
「次はどこ行きたい?」
「ツギ? ツギハネ……オヨウフク、ミタイ!」
「よし、じゃあ服屋行ってみるか。ちゃんと手つないでるんだぞ」
「ウン!」
 
 そしてお見合いを済ませ――ついでに初夜も済ませ――晴れてカップルとなれたゾンビと人間は、その後タイムリミットである四十八時間後まで、ショッピングモール内で自由に生活を送ることになっていた。二人きりで色々な場所を巡り、それを通して一層親睦を深めていくのである。
 まあ実際は、このショッピングモール自体も一日かければ十分回れる程度の大きさでしかなかった。なので大体の場所を回り終え、それに飽きた彼らは、イベント期間の大半をセックスにつぎ込むことになるのだが。
 それにしても魔物娘としては願ったり叶ったりである。誰にも邪魔されず、好きな人と好きなだけ体を重ねられる。これ以上の幸福が果たしてあるのだろうか?
 
「すごいなあ……」

 そうしてお見合い開始から五時間経過したその時、辺り一面違う意味で地獄絵図――酒池肉林ともいう――と化したショッピングモールの中を、一人の青年がさまよい歩いていた。第一陣のバスの中でペンダントを見つめていた、例の青年である。
 彼は四方八方で行われているゾンビと人間のセックスシーンを努めて意識から外しつつ、何かを探すようにしきりに首を回して方々を見回していた。その際嫌でも彼らの痴態が目に映るのだが、青年はそれを見て自身も欲情してしまわないよう、気を張り詰めて慎重に前へと進んでいた。
 
「どこにいるんだ? はやく探さないと……」
「あら? あなたどうしたの?」

 そうして辺りを見回しながら方々を歩き回っていたその時、不意に自分を呼び止める声が聞こえてきた。それを聞いた青年は驚き、思わず足を止めてしまった。唐突に声が響いたのもあるが、この惨状の中で「理性の残った女性の声」が聞こえてきたことに対して、何より驚きを隠せなかったのである。
 
「もしかして、あなたもあぶれたクチなのかしら?」

 またも女性の声。青年が諦めてそちらの方に目を向けると、そこには――やはりと言うべきか――人間の女性が立っていた。白い髪に赤い瞳を備えた、長身痩躯で化粧気の薄い、まさに「大人の女性」だった。黒いビジネススーツをカッチリと着こなしていたところもまた、彼女の大人の色香をより一層際立たせていた。
 そんな女性は自身の赤い瞳を光らせつつ、僅かに微笑みながら「ここに来てまだ誰ともくっついてないなんてね」と意地悪そうに言ってのけた。
 
「あ、いや、俺はその」
「違うわよ。別に責めてる訳じゃないわ。私もあなたと同じで、あぶれた方なんだから」

 それを受けて戸惑う青年に、女性が笑いながら言い返す。
 
「これといって惹かれた子がいなくってね。おかげでこうして、ずっと一人でさまよってたってわけ。あーあ、今回は失敗だったかしら」

 そして女性はそう言葉を漏らし、肩を落としてため息をつく。そうして弱音を平然と吐いてみせる女性の姿は、青年の警戒心をほぐすのに一役買った。
 何より彼女の正体に気づいたのが一番大きかった。彼はもう、その女性に対して敵意の類を抱くようなことはしなかった。
 
「あなたは別に出会いとか必要無いでしょう?」
「そんなことないわよ。案外冷たい事言うのね」
「でも、事実じゃないですか」

 そうして警戒を緩めると同時に、青年が砕けた調子で女性に話しかける。女性もまたフランクな態度でそれに応じ、さらに青年からの返答に対して毅然と言い返す。

「事実であっても、こういう時は相手に合わせておくべきなのよ。大人の駆け引きってやつね」
「覚えておいた方がいいんですかね」
「もちろん。覚えておいて損は無いわよ」
「はあ」
 
 女性からの回答に、青年は曖昧な返事を返した。まだ若い彼にとって、そんな大人のやり取りはいまいちピンとこないものがあった。
 一方でその女性は、言いたいことを言って満足した面持ちを浮かべていた。そしてそんな満足げな顔のままリラックスした足取りで青年の元まで歩み寄った。
 
「ところで、どうかしら? 同じ残り物同士、一緒にモールの中を歩かない? 一人より二人の方が、色々捗るでしょう?」
「えっ」
「駄目かしら?」

 女性が問いかける。女性からの問いかけに、青年は一瞬面食らった。
 しかし彼はすぐに我に返り、即座に首肯してみせた。彼女と一緒に動けるなら安心だ。
 
「俺は構いませんけど。いいんですか? 俺がいたら迷惑になるんじゃ」
「迷惑だなんて思ってないわよ。それに、旅は道連れってよく言うでしょ?」
「……それ、なんて意味なんです?」
「さあ? でもこういう時に使う言葉だってことは知ってるわ。こっちの国じゃ、そうやって使うんでしょ」

 平然とそう答えてから、女性がケラケラ笑って見せる。青年もそれに笑みをこぼし、二人揃って小さく笑いあう。
 そしてその後ひとしきり笑いあった後、表情を引き締めながら女性が口を開いた。
 
「私はケルヴィン。よろしくね」
「えっ」
「自己紹介よ。ほら、あなたもやって」
「わ、わかりました。……俺はユーリスって言います。よろしくお願いします」
「ユーリス・トレロン。よろしく、ユーリス君」

 ケルヴィンが手を差し出す。ユーリスも戸惑いながら手を伸ばし、ケルヴィンの手を強く握る。
 
「……こうして挨拶するのって、なんか変な感じですね」
「いいじゃない別に。こっちで顔を合わせるのはこれが初めてなんだから」
「それもそうですね」
「そういうこと」
 
 そうして固い握手を交わしながら、白髪のケルヴィンはユーリスを見ながら口を開いた。
 
「それじゃあ、まずはどこかで腹ごしらえしましょう。妹さんを探すのはその後でね」




 このショッピングモールの中には、当然ながら休憩スペースも存在していた。レストランやフードコート、食料品売り場と言った、飲食に関する場所も充実していた。もっとも、この時正規の従業員は一人もいなかったので、レストランの類を利用することは出来なかったが。
 それでも食料品売り場には、まだまだ大量の食べ物や飲み物が置かれていた。さすがに他の誰かが漁った跡もあり、数自体は減っていたが、ケルヴィンとユーリスが腹を膨らませるにはまだまだ十分な量があった。
 
「パンとか飲み物が普通に残ってるのはありがたいですね」
「まあ補給とかはされないわけだし、いずれは消えて無くなるんだけどね」
「そうなったらどうするんですか?」
「セックスして過ごせばいいのよ」
「自堕落ですね」
「魔物娘と生活するのって、要はそういうことなのよ」

 そんなことを話し合いながら、ケルヴィンとユーリスは売り場から食料を持ち出し、食料品売り場の外にあったベンチに並んで腰掛けそれを腹に納めた。この時彼らの周りには伴侶を見つけられずに彷徨う大量のゾンビがおり、そんな中で平穏無事に食事を済ませるというのは、どうにも違和感を感じずにはいられない情景であった。
 当然ゾンビ達はユーリス達に気づいていた。しかしそれに気づいていながら、誰も彼らを襲おうとはしなかった。おかげでケルヴィンとユーリスの二人は、ゾンビの徘徊する中でゆっくりと心身を休めることが出来たのだった。
 
「お? そこでなにしてるんだ?」

 その時、不意に声が聞こえてきた。二人が同時に気を持ち直し、視線をそちらへ向けると、そこには茶髪の男が立っていた。その男はユーリスの乗っていたバスで音頭を取っていた男であり、彼はユーリス達も利用した食料品売り場から出てきたばかりであった。彼の隣には一人のゾンビがぴったりとくっついており、彼の腕に全身でしがみついていた。
 そうしてゾンビの女性を侍らせた茶髪の男は、彼女を引き連れながらユーリス達の元へ歩き寄ってきた。周りの独身ゾンビ達はそんな茶髪男とゾンビのペアを羨ましそうに見つめ、ユーリス達もまたその二人組を珍しげな視線で見つめた。
 
「休憩中か? まだペアが見つかってないのか?」
「ええ、まあ。そんなところです」

 眼前まで近づき、話しかけてきた茶髪の男に対して、ユーリスが少し戸惑いがちに答える。彼の隣にいたケルヴィンも、ユーリスに合わせて言葉を重ねる。
 
「これといってビビッと来る子がいないんです。それで誰とも出会いが無くて、気づいたらずっと一人でさまよう羽目になりまして」
「マジでか。ここ結構ゾンビちゃんいると思うんだけど」
「巡り合わせの機会って、結構無かったりするもんなんですよ。それにほら、こういうことって妥協したくないし」
「妥協か。それもそうだな」

 驚く茶髪の男にユーリスが言葉を返し、それに対して男も同意する。
 
「こういうことはやっぱり、真剣に取り組んだ方がいいよな」
「それはもう。永遠のパートナーを探すわけですから」
「そんな永遠のパートナーを見つけられた俺は幸運な奴ってわけか。なんか、一生分の運をここで使い果たしたような気がするな」
 
 真面目なユーリスの言葉に、茶髪の男がそう答えながら苦笑を漏らす。直後、茶髪の男にひっついていたゾンビが彼に声をかける。
 
「ねえマサオミ。ワタシ、おなか、すいタ」
「え、もうか? さっき食べたばっかだろ?」
「まだダメ。ワタシ、もうオナカすいタの。いいデしょ?」

 そう男にねだるゾンビの瞳には、わずかながら人間性の火が灯っていた。少なくとも彼女は、彼らの周りにいた独身ゾンビ達よりも、遥かに強い理性の輝きを放っていた――さすがに真人間のそれよりはまだまだ濁って見えていたが。
 取り戻しかけた自我の下、そのゾンビはより明確に愛を求めていた。
 
「アナタ、ほしイ。モっとあなた、しりタいの。おねガい」
「仕方ない奴だな」

 そして茶髪の男――遠藤正臣は、そんなゾンビ彼女の提案を断るほど愚かな男ではなかった。彼はそうねだるゾンビの体を抱き上げ、俗にいう「お姫様抱っこ」の体勢を取りながら、顔を真っ赤にする彼女に向かって近距離から声をかけた。
 
「じゃあこっちも手加減なしでやるから、覚悟しとけよ?」
「……ッ!」

 至近距離からそう囁かれたゾンビは、ただ頷くしかなかった。この時彼女は白いワンピースを身に着けていたが、そのワンピースの股間の部分が何かで濡れたかの如く、薄く滲み出していた。
 そうして顔だけでなく全身真っ赤に染め、すっかり大人しくなったゾンビを抱えながら、正臣はユーリス達に向かって「じゃあ俺達はこれで」と言葉をかける。ユーリス達もまたそれを受けて、「じゃあさよなら」と暖かい眼差しと共に声を返す。彼は悪人ではないが、こちらの正体には気づいていないようだ。悠々と去っていく彼の姿を見ながら、ユーリスは正臣をそう評価した。
 
「日本人の中にも、中々どうして度胸のある人がいるものね」
「性欲に忠実なだけですよ。魔物娘と知り合えば、誰だってああなります」

 背を向けて立ち去っていく正臣の背中を見つめながら、ケルヴィンとユーリスが言葉を交わす。彼らは心の中で、自分達に対して偏見や距離感を抱かず、対等の立場で接してきた正臣を共に称賛し、感謝の念を抱いていた。
 自分達が異界から来た存在であると知ったら、彼はどのような反応を示すだろう? 他の日本人は? この国に住んでいる者達はどう思うだろう? そんな他愛無いことも、並行して考えてみたりもした。
 
「同じように扱ってくれますかね」
「こっちから下手なことしない限り、大丈夫じゃないかしら。この国の人間は、魔物娘だって受け入れたんだし」
「向こうとは大違いですね」
「本当にね」

 二人揃ってしみじみと呟く。やがてケルヴィンがベンチから立ち上がり、ユーリスを見下ろしながら声をかける。
 
「さて、そろそろ行きましょうか」
「そうですね」

 ユーリスもそれに応えるように立ち上がる。それからゴミを近くにあったゴミ箱に捨て、それを終えた後でケルヴィンが彼に声をかける。
 
「ついてきて。妹さんに会わせてあげるわ」




 二人はその後、エスカレーターを使って三階まで上がった。エスカレーターの電源は動いていたので、移動自体は楽だった。なお外では既に第三陣の受け入れが始まっており、ゾンビと人間のカップルも段々とその数を増していった。
 おかげでどこを見渡しても、愛の行為に没頭する者達が視界に移るようになった。彼らは店の中であろうが、通路のど真ん中であろうが、どこであろうがやりたい時に好きなようにやり始めていた。
 とても同じ日本で起きていることとは思えない、倫理も道徳も無い退廃の世界。それが今ユーリス達の目の前に広がる世界であった。

「素敵ね」

 そんな肉欲に塗れた淫猥な光景を前にして、ケルヴィンはうっとりと呟いた。この時二人はエスカレーターを降り、三階部分をゆっくりと歩いていた。あちらこちらで繰り広げられている乱交大会の有様を少しでも目に焼き付けようと、ケルヴィンはわざとスローテンポで歩いていたのだ。
 一方でそれに追従していたユーリスは、彼女と異なり絶えずしかめ面を浮かべていた。方々で水音が鳴り、肉と肉がぶつかりあう瑞々しい音が響き、嬌声と絶叫がひっきりなしにこだまする。そんな良心と理性をかなぐり捨てた愛の楽園に、彼はまだ順応しきっていなかったのだ。
 それでも彼は歩みを止めなかった。目的を果たすまで、止まるわけにはいかなかった。
 
「それにしても、よくもまあここまでやりますね」

 そうして三階を歩く中で、ユーリスが不意に声をかける。酒池肉林の世界から少しでも意識を逸らしたかったからだ。そして一方のケルヴィンもちゃんとそれに反応し、前を見ながら彼に答えた。
 
「やりすぎだったかしら?」
「さすがに規模が大きすぎる気がしないでもないですね」
「でもどうせなら、これくらい派手にしてみたいじゃない。こんな大きなパーティー、向こうじゃ絶対に出来ないんだから」
「それもそうですね」

 どこか楽しげなケルヴィンの言葉に、ユーリスが言い返す。彼は渋い顔を浮かべたままだった。
 渋面のまま、ユーリスがケルヴィンに問いかける。
 
「……こっちでなら、俺達、うまくやれるでしょうか。今度こそ本当に」
「どうかしら。彼らはまだこっちの世界に気づいてはいないけど、それも時間の問題よ。それにもし彼らが気づいたら、何かしら面倒なことが起こるのは確実だし」
「奴らからは逃げられない?」
「そういうことになるわね」
「そうですか……」

 一連の問答の後、ユーリスが沈んだ表情を見せる。それを見たケルヴィンは、声色を明るいものに変えて彼の肩を叩いた。
 
「大丈夫よ。ここでなら絶対上手く行く。もう彼らの束縛は受けてない。理不尽な世界からは解放されたのよ」
「でも、不安なんです。いつまたあいつらに見つかって、同じ目に遭うんじゃないかって」
「何かあったら、私達が黙ってないわ。不死の国総出でお礼参りしたっていい。だから安心して。あなた達の邪魔は、誰にもさせないわ」

 ユーリスの今にも泣きそうな言葉と対照的に、ケルヴィンの言葉は強い意志に溢れたものとなっていた。確固たる決意と覚悟が、その表情と言葉からありありと滲み出ていた。
 ケルヴィンは本気だった。そして彼女は己の本気を隠さないまま、唐突にその足を止めた。
 
「第一、あなたが今からそんな弱気でどうするのです。妹さんを守れるのはあなただけなのですよ」

 ケルヴィンの真横で立ち止まったユーリスは、隣から飛んできたその言葉を聞きながら顔を上げた。それまでのフランクなものとは違う、どこか柔和で上品な語り口の言葉。それを聞きながら、ユーリスは今自分が一つの洋服店の前に立っていることを認識した。
 そのユーリスの横で、ケルヴィンの体が黒い靄に包まれていく。靄はあっという間に彼女の体を覆い隠していき、数秒の後にあっさり雲散霧消していく。
 
「さあ、勇気を出して。彼女を救えるのはあなただけなのです」

 靄の奥から出てきた女――白い肌の上から深いスリットの入ったドレスを身に着けた一人の魔物娘が、自身の手でユーリスの背中をそっと押す。魔力の手ではなく、自分自身の手で彼に触れたのは、ここまで人を愛せる彼に敬意を払っていたからである。
 服越しでもわかるほどに冷たい手の感触に、ユーリスが思わず背筋を震わせる。変わり果てたケルヴィンはそれを見てクスクス笑い、それから重ねてユーリスに声をかける。
 
「わたくしはここで待っておりますから。あなたも己の果たすべきことを、しっかり果たすのですよ」
「はい」

 魔物娘の放つ言葉に、ユーリスが神妙な面持ちで頷く。もう逃げることは出来ない。自分も覚悟を決める時が来たのだ。
 洋服店と外の通路の境目となっている観音開き式の木製のドアは、何の苦も無く押し開くことが出来た。そうしてユーリスは片方のドアを押し開け、ゆっくりと店の中へ入っていった。
 
 
 
 
 その店は、いたって綺麗な姿を保っていた。服が持ち去られた形跡は無く、物色されてぐちゃぐちゃに乱れているわけでも無かった。倫理観が崩壊し、ゾンビだらけになったショッピングモールの中にあって、この店だけが清浄で正常な姿を保っていた。
 そしてそんな店の中には、一人だけ客がいた。例によってその「客」もゾンビだったのだが、彼女は外のゾンビ達と違って呻くことも徘徊することもなく、ただ店の奥でじっと立ち尽くしていた。
 まるで何かを待ち続けているかのように。
 
「いた」

 そうして直立不動のままでいるゾンビを見つけたユーリスは、その発見の喜びを思わず声に出した。奥にいたゾンビもそれに反応し、ゆっくりとユーリスの方へ視線を向ける。
 
「アア……?」

 そこでゾンビがユーリスに気づく。黒く濁った瞳がユーリスの全身を捉える。
 次の瞬間、ゾンビの雰囲気が変わった。全身をわなわなと震わせ、待ちわびたかのように両手を前に突き出し、口をだらしなく開けながら足を引きずってユーリスに歩み寄る。
 
「ア……アア……ア……!」
「待たせてごめん」

 自分に向かってゾンビが接近してくる。ユーリスはその場から動こうとせず、そのゾンビを待ち構えた。磨かれた床を素足で踏みしめ、ペタペタ足音を立てながら、ゾンビがユーリスとの距離をじりじり詰めていく。
 
「ユー……リス……ゥ!」

 ゾンビが彼の名を呼ぶ。死んだ瞳が震え、目元にうっすら涙を溜める。互いの距離が狭まっていく。ユーリスも同じように目元に涙を溜め、両手を広げてゾンビを受け入れる態勢を作る。
 
「本当に、ごめんな……!」
「ユーリス……!」

 やがて互いの影が重なる。ゾンビがユーリスに正面から抱きつく。ユーリスがそのゾンビの背中に両腕を回し、すっかり細くなった彼女の体を力一杯抱き締める。眉間に皺を刻み、兄として泣くまいと必死に涙をこらえる。
 ユーリスの温もりに包まれたゾンビが、両目から涙を流していく。そしてゾンビは硬直した両手を肩の上に載せながら、言葉にならない嗚咽を漏らしていく。
 
「アア、ア、アアアッ……!」
「リリィ……! 会いたかったよ、リリィ……!」
「ワ、ワタシ、モ……アイタ、カッタ、ヨ……!」

 ユーリスが妹の名を呼ぶ。兄から名を呼ばれた妹もまた、既に朽ち果てた知性を必死に動かしてそれに応える。
 異界に生まれ、生きながら引き裂かれた兄妹は、こうして再び相見えることが出来たのであった。
17/02/03 18:33更新 / 黒尻尾
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