連載小説
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「衝突」
 目的のショッピングモールは、都市部から離れた場所にある小さな田舎町の中にあった。今から半年前に建てられたその複合商業施設は、都心から近いこともあって、オープン以降連日満員盛況であった。
 そんな巨大ショッピングモール内で問題――ゾンビアウトブレイクが発生したのは、今から五時間前のことだった。誰が、何のために行ったのか、詳しい理由は全くわからなかった。今わかっていることは、彼らの向かうショッピングモールは今やゾンビの蔓延る地獄と化していたこと、そしてそれまで平和に買い物を楽しんでいた客の生存は絶望的である、ということであった。
 そしてそれを解決するために、一台の大型バスが、そのショッピングモールを目指して町の中を疾走していた。それは外面を濃いグレーで塗装された、箱型のバスだった。そしてこんな寂れた町に大型バスが来るのがよほど珍しいのか、通りを行き交う住民達は、自分とすれ違うそのバスを興味深そうに見つめていた。
 
「目標地点に到着後は、各自自由行動となる。それぞれが使命を忘れず、各々ベストを尽くしてもらいたい」

 そのバスの中で、一人の男が残りの面々の前に立って説明を始める。顎髭を蓄えた茶髪の男が行うそれは最終確認を含めた最後のブリーフィングであり、それぞれの座席に座っていた残りの者達は、そんな男の説明を神妙な面持ちで聞き入っていた。
 
「それから、ショッピングモール内にある物は全て自由に使って構わない。飲食物、服、家電、その他諸々。目に映るもの全てを駆使して、各自目的を達成してほしい。何度も言うが、手段を選ぶ必要はない。目的達成を第一とし、各自全力で励んでくれ」

 前に立つ男の言葉は、かくも自信に満ちたものであった。小刻みに揺れるバスの中でも仁王立ちの姿勢を崩さず、背筋を伸ばした男の瞳は活力に満ちていた。そして各々座席に座っていた者達――その大半が若い男性であったが、中には女性も含まれていた――もまた、自分達の前に立つ男と同じくらいの熱量をその目に秘めていた。
 何をしてでも必ず成し遂げる。そのような確固たる意志を、ここにいる全員が抱いていた。生半可な覚悟でここに来ている者は一人もいなかった。
 
「既に当モール内には、大量のゾンビが徘徊している。前情報によると、その数は軽く五百を超えるらしい。どこを見てもゾンビだらけというわけだ。最初は圧倒されるだろうが、各員気を引き締めてかかってほしい」
 
 進行役である茶髪の男の提示していく情報に対し、残りの面々が神妙な面持ちで頷く。そこに動揺や焦燥は無かった。
 その程度の危険は織り込み済みだ。誰もが等しくそう考えていた。その危険を承知で、彼らは今ここにいたのだ。おかげで彼らの熱量は少しも削がれることなく、その意志と覚悟は微塵も動じることが無かった。
 
「すいません。ちょっといいですか?」
 
 そんなバスの中の温度すら上げていくほどの熱意に満ちた空間の中で、座席に座った男の一人がまっすぐ手を挙げる。茶髪の男がそれに素早く反応し、「どうした?」とその男に声をかける。
 声を返された男――年若い青年は手を降ろし、少し躊躇ってから口を開いた。
 
「もう一度確認しておきたいのですが、作戦終了時刻はいつ頃になりますか?」
「突入開始から四十八時間後だ。その後、回収用のバスが駐車場にやってくる。それに乗ってここを離れる手筈になっている」
「わかりました。ありがとうございます」

 茶髪の男が即答する。それを受け、青年もまた納得した様子で引き下がっていく。
 一方でそれを見た茶髪の男は「他に何か質問は?」と続けて問い返す。帰ってきたのは沈黙だった。それを見た茶髪の男は、一つ頷いてから話を続けた。

「それからついでに言っておくが、モール内の物品を外に持ち出すのは禁止である。中で使う分には構わないが、持ち帰るのは厳禁だ。そんなことをしたら泥棒になってしまうからな」

 男の言葉をギャグと取ったのか、座席の中から僅かに笑い声が漏れ出す。しかしその笑いもすぐに掻き消え、神妙で張り詰めた空気が再びバスの中を支配する。
 たとえどのような状況であろうとも、社会常識は可能な限り遵守すべきである。それが文明人としての義務だからだ。
 
「そろそろ着きます」

 運転手が言葉少なにそう告げてきたのは、まさにその時だった。前に立っていた茶髪の男はそれを聞いて頷き、座席に座っていた面々も同じように表情を引き締める。
 
「みんな、最後の準備をしてくれ。もうすぐ本番だ、気合を入れろ!」
「応!」

 男の発破にその他大勢が威勢よく返事をする。意気軒高、準備万端、死地に赴く覚悟は既に出来ていた。
 バスの中の熱量がどんどん高まっていく。気合いと期待が車内で渦巻き混ざり合い、それに呼応して彼らの士気もうなぎ上りに上がっていく。
 
「いいかみんな! これが俺達にとって最後のチャンスだ! 絶対無駄にするんじゃないぞ!」

 そんな熱に中てられたように、茶髪の男が声を張り上げる。まるで自分に言い聞かせているようにも見えたその呼びかけに、周りの者達も気合いの入った掛け声を返す。バスの運転手を務めていた壮年の男もまた表情を引き締め、自分もまたこのチームの一員であることを自覚するように眼光を鋭く光らせる。
 ここにいた全員が、これからショッピングモールで行われる一大作戦に向けて、並々ならぬ決意を抱いていた。
 
 
 
 
 そうしてバスの中の面々が意識を統一させていた時、一人だけそれに参加せずに顔を俯かせていた男がいた。彼はつい先程、手を挙げて前に立つ男に質問をした男だった。成人したばかりの、髪を短く切り揃えた若々しい青年だった。
 
「……」
 
 彼は周りに同調して意気高く声をあげることはしなかった。もっと言うと、前に立つ男に質問をするまで、終始無言のままだった。そして彼は何もしない代わりに背筋を丸め、臍の位置に置かれていた自分の両手をじっと見つめていた。
 手の中には真鍮のペンダントが握られていた。上蓋の開けられたペンダントの中には写真が収められ、写真の中の少女はじっとこちらを見つめながら、にこやかに微笑んでいた。青年はこのあどけなく微笑む少女を、目に焼き付けるかのように必死な面持ちで見つめていたのであった。
 
「四十八時間……」

 険しい顔で写真を見つめながら、青年が目の前の男から告げられたタイムリミットを反芻させる。彼には他の者達と違い、ここに来た明確な理由があった。そしてそれは、このショッピングモールの中でのみ成し遂げられるものであった。
 四十八時間以内に、彼はそれを達成しなければならない。絶対に。
 
「待ってろよ。絶対に探し出してやるからな……」

 そう呟きながら、ペンダントの蓋を元に戻し、大事そうに懐にしまい込む。そして亡き妹の姿を十分目に焼き付けながら、青年は己の決意を新たにしたのであった。
 
 
 
 
 そのショッピングモールは巨大であるが故に、複数の出入口が用意されていた。出入口は東西南北それぞれに一か所ずつ、計四か所あり、今回彼らはその内の南口と東口から中に入り込むことになっていた。そうなった理由は単純で、彼らを載せたバスが南東の駐車場に停められたからであった。
 
「班分けは出発前にした通りにしてくれ。それと改めて言っておくが、中に入った後は各自自由行動だからな。各員好きなようにやってくれ」

 そしてバスがもぬけの殻と化した駐車場にぽつんと停車し、全員そこから降りた後で、茶髪の男が再度確認を行う。それに対して他の乗客たち――バスの運転手もその中に混じっていた――もまた、事前の打ち合わせ通りに自主的に動き、自然な流れで二つの班に分かれていく。全員が思い思いの私服姿であり、中にはリュックサックや小さなカバンを身に着けている者もいた。そして乗車中にペンダントを眺めていた青年は、例の前に立つ男と同じ班に属することになっていた。
 青年はそれに対して、少しばかり安堵の気持ちを抱いていた。実質的なチームリーダー、精神的な支柱と同じ班にいられるというのは、それだけで安心感が違うというものだった。
 
「それじゃ、今から作戦開始だ。四十八時間後、二日後にまた会おう。生きてたらだけどな」

 茶髪の男がニヤリと笑いながら口を開く。周りのメンバーもつられて笑い声をあげ、その後二つの班がそれぞれ東と南の出入口へ向かって歩き出した。件の青年と茶髪の男の属する班は、東口から入る予定となっていた。
 その駐車場は彼ら以外に人気は無く、またショッピングモール自体も不気味なほどに静まり返っていた。モールの外では、今ではめっきり減った町の住民が、いつもと変わらない日常を過ごしていた。
 しかし彼らは、あの静謐に包まれた建物の中で今何が起きているのか――そしてこれから自分達が何をしようとしているのかを、はっきりと理解し自覚していた。そしてそこが死地であることもまた、彼らは理解していた。
 
「よし、じゃあ開けるぞ」

 そして二つに分かれたうちの一つ、東口のチームは、何の妨害も受けることなく入口の前まで辿り着くことが出来た。モール内の電源が死んでいるおかげで閉じ切られた自動ドアは自力でこじ開けるしかなく、また誰がやったのかは知らないがドアとその周りには内側から段ボールが貼りつけられており、おかげで外からモールの中を確認することは不可能となっていた。
 そんな閉ざされた自動ドアの一つに、茶髪の男は躊躇うことなく手をかけた。
 
「よし、じゃあ行くぞ」

 茶髪の男が声をかける。それに呼応するように、他の男達が茶髪の男に協力して、自動ドアの縁に指先をひっかける。件の青年もそれに協力した。
 そして全員でドアを横に引っ張っていく。電気の通らない自動ドアはそれなりに重かったが、動かせないものでは無かった。ゆっくりと隙間が広がっていき、少しずつこじ開けられていく。やがて人一人余裕で通れるだけのスペースが確保され、それを見た班のメンバーが続々と中へ入っていく。青年もそれに続き、最後にリーダー格である茶髪の男が中に入り、自動ドアを閉めていく。
 
「うわっ」

 一番最初にモール内に進入した男がそう声をあげたのは、茶髪の男が自動ドアを丁寧に締め直した直後だった。そしてその声に反応して周りの面々がモール内に目をやると、そこには地獄が広がっていた。
 
「まさか、これ全部……?」

 おおよそ服とも呼べないボロ布を身に着けた、青ざめた肌の人間。背筋を力なく曲げ、両手をだらしなく前に突き出し、涎を垂らしながら無軌道に徘徊する「死んだ人間」。
 ゾンビ。ショッピングモールの中を、大量のゾンビ――何百何千もの、数えきれないほどのゾンビが歩き回っていた。ゾンビ達はその全員が女性であり、そのゾンビ達が吹き抜けを通して二階や三階にも大量に存在しているのが見て取れた。そしてその誰も彼もが虚ろな目を浮かべ、半開きになった口から力なく呻き声を上げ、何かを探し求めるかのようにあちらこちらを歩いていた。
 そこに正者の姿は無かった。あるのはただ漫然と唸り、歩く死者のみ。まさに地獄絵図であった。
 
「すげえな」
「こんなにいっぱいいるのか……」
「本当にゾンビしかいねえや」

 そんなゾンビまみれの世界を目の当たりにした男たちは、そう口々に感想を漏らしていった。この時彼らは少なからぬ衝撃と戦慄を味わっていたが、それと同時に期待や興奮もまた胸の内に抱いていた。
 あの話は本当だった。これが期待できなくてなんだと言うのだろう。
 
「こうまで沢山いると、かえって困っちまうな」

 自動ドアから離れ、他の男達と合流した茶髪の男が、不敵に笑いながら口を開く。他の男達もそれに同意するように頷き、そしてまた別の男がおもむろに懐に手を伸ばした。
 やがてその男が、ゆっくりと手を引き抜く。そこには百円玉硬貨が握られており、男はそれを前方に見えるゾンビ達に向かって思い切り投げた。
 通りを歩くゾンビの足元に硬貨が落ちる。磨かれた床に硬貨が落ち、甲高い音を立てる。
 刹那、それまで漫然と歩いていたゾンビ達が一斉にそれに反応する。落ちた百円玉の周りにいたゾンビ達が真っ先に床に落ちた硬貨を見やり、続けてそれが飛んできた方向へ素早く視線を移す。
 そこで初めて、ゾンビ達はここに来客が来たことに気づいた。そしてそれが男であることにも気づき、一様に目の色を変える。
 
「ああ」
「あ、あうう」
「ううぅ……!」

 呻き声の気配が変わる。それまでただ呆然と吐かれていたそれとは違い、明確にその闖入者――男たちを求める飢えた雄叫びへと、その性質を変えていく。
 ゾンビの本能が、現れた雄を激しく求めていた。そしてゾンビ達は本能のままに、その雄達に向かってゆっくりと歩き始めた。何百人ものゾンビが一斉に腕を前に突き出し、唸り声を上げながらよろよろ迫って来るその様は、まさに圧巻であった。
 
「来るぞ」
「ああ」
「やっぱり迫力あるな、これ」
「こうなったら、腹括るしかないな……!」
 
 ゆっくりと、緩慢な動作でゾンビが迫る。餌認定を受けた男たちは一様に生唾を飲み込み、背骨を震わせた。怖いものは怖かったのだ。
 しかし男たちはそれでもなお、そこから動こうとしなかった。逃げ出そうと考える者もいなかった。
 既に覚悟は決まっていた。もうこれ以外に、自分達にチャンスは無いのだ。
 
「ようしみんな、気合入れろ!」
「おう!」

 茶髪の男の言葉に合わせて、周りの男達が威勢よく掛け声を上げる。その後彼らは一斉に服を脱ぎ始め、上半身裸の格好となる。
 それを見たゾンビ達の目の色が変わる。ゾンビの中で欲が際限なく肥大化し、虚ろな目の中に暗い炎を灯していく。そしてそれを感じ取った男達もまた、自身の瞳に燃え盛る炎を宿していった。
 それはまさに決意の炎。感情に身を任せんとする熱い炎だった。
 
「――行くぞォ!」

 茶髪の男が吠える。男たちが一斉にそれに続き、全員でゾンビの群れに正面から突っ込んでいく。
 合コンの始まりである。
 
 
 
 
 郊外のショッピングモールでアウトブレイクが発生。モール内にゾンビが大量発生し、それを鎮圧するために特殊部隊が送り込まれる。
 それが今回の大規模コンパ「人間対ゾンビ・イチャイチャパラダイス」のテーマであった。要するにお見合い兼乱交パーティーである。ゾンビと参加者は直接体をぶつけ合い、相性を確かめ合い、波長の合った者同士が恋人となっていくのである。
 まあぶっちゃけ、ゾンビと人間がお見合い出来ればなんでもよかったので、このテーマにしても取ってつけたようなものであった。なので関係者の中で真に迫った演技を行おうとする者は皆無であったし、それを参加者に強制するようなこともしなかった。おかげで移動に使われた車両は普通の観光バスだし、参加者たちも全員私服姿で来ていた。
 テーマ云々に限って言えば、始まる前からグダグダであったのだ。
 
「そんなこと些細な問題です。大切なのは、ゾンビちゃんたちがいっぱいえっち出来るかどうかなのです」
 
 そんな今回のイベントの発起人は、不死者の世界に住む一人のワイトであった。彼女は未だ独り身なゾンビ達のパートナーを見つけるために、このお祭りを計画したのである。また話を持ち込まれたショッピングモール側も「良い宣伝になる」として、このイベントに全面的に協力していた。ついでに言うと、今までメンバーを先導していた茶髪の男はここのモールの従業員であり、彼もまた独身貴族の一人であった。
 そうして両者の協力の元にこのイベントは企画準備が進められ、同時にイベント参加者の公募も大々的に行われた。募集自体も遅滞なく進行し、女性に飢えた独身男性達が大量に集まった。中には独身女性も混じっていたが、主催者であるワイトはそんな彼女達の参加も快く受け入れた。
 
「愛に性差は関係ありません。好きな人を好きと言って、何がいけないのでしょう?」

 この点に関しては、ワイトは頑として譲らなかった。企業側としても特に問題は無かったので、これに関してはそのまま容認することになった。
 そうして始まった本番当日。ワイト達の計画通り、ここに呼び集められた男とゾンビ達は、理性を脱ぎ捨ててその体をぶつけ合ったのである。さらに言うと、この後も続々と参加者を載せたバスがこのモールに集まっていき、合コンはますますその規模を広げていくのであった。
 
 
 
 
「本当にやっちゃってるよ……」

 そうしてワイトの計画通り、ショッピングモールのあちこちでこだまする嬌声を耳にしながら、件のペンダントを持った青年は一人唖然とした表情を見せていた。現に彼の眼前では既に事が始まっており、それまで自分と行動を共にしていた男たちが大勢のゾンビに取り囲まれ、その中で目一杯姦淫を楽しんでいた。
 呻き声を上げるゾンビ達に服をもぎ取られ、全裸となった体をあちこち触られながら男たちが肉の海に沈んでいく様は、ある意味ではとても恐ろしい光景であった。しかしゾンビの群れの中から悲鳴は聞こえてこず、代わりに男たちの発奮する声と、快楽に喘ぐ女の声だけが絶え間なく響き続けていた。
 たまらなく卑猥な光景だった。そして思わず、自分もその輪の中に混じりたいと考え始めてもいた。
 しかし青年はそこで踏み留まった。自分には、ここに来た本当の目的がある。それを忘れてはいけない。この合コン乱交に参加するために、ここにやってきたわけではないのだ。
 
「はやく探さないと」

 なおも死者とのセックスにふける男たちを尻目に、青年は行動を開始した。正直、どこにいるのか皆目見当もつかない。しかしそれでも、やらねばならない。まさに自分には、これしかチャンスが無いのだ。
 
「待ってろよ、リリィ……!」

 そして青年は妹の名を呼びながら、ゾンビで溢れるショッピングモールの中を進み始めた。しかしそれは男に飢えたけだものの中に無防備で突っ込むという、自殺行為に等しいものであった。実際、男にあぶれたゾンビ達が早々に青年に狙いを定め、ゆっくりと彼を追いかけ始める。
 それでも青年は構わず進んだ。進まなければならなかった。目的を果たすまで、絶対に脚を止めるわけにはいかなかった。
 
「絶対に、絶対に見つけてみせるからな!」

 合コン開始から三十分。青年は決意を新たに、肉欲地獄の中を歩き出したのである。
17/02/06 20:12更新 / 黒尻尾
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