第五話
隣り合わせ。椅子を寄せて、ぴったりとシュドネアが腕に抱き着いてくる。
「ふふっ…♪ふふふ……♪」
そんな彼女は絶賛上機嫌で、ニコニコと笑っていた。
「……あの、シュドネア。その…胸が当たってるよ」
「ふふっ、当てているのですよ?」
ぎゅっと抱きしめる力を強めてくる。
すると当然、腕に感じる柔らかな感触が強くなるわけで。
「さぁ、エノ。食べさせてください…………あーん…♡」
シュドネアが口を開けて見せる。
「…………あーん」
手元のフルーツケーキをフォークで切り分けて、シュドネアに食べさせる。
その際に彼女の唇の内側、てらてらと艶やかに蠢く舌が見えてドキリとしてしまった。
「あぁ…♡とっても幸せです……♡」
ボクにケーキを食べさせてもらって、シュドネアはまさしくご満悦といった様子だ。
とろん、と顔を綻ばせ、身体をすり寄せてくる。
(どうしてこうなってんだろう…………)
そんな彼女の姿を眺めながら、ボクは事の発端を思い出していた。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
事の始まりはなんだったか。
日雇いの仕事から帰ったときだっただろうか。
出迎えてくれたシュドネアに、ボクはケーキの入った白い紙箱を渡した。
「ふむ……これはどうしたのでしょうか?」
当然、彼女は戸惑っていた。
それもそうだ。なんの説明もなしにケーキを渡されたらそうなるだろう。
「あー……えーと。なんていうかさ……」
言い淀んだボクを見て、シュドネアは不思議そうな顔をした。
正直、このまま適当に誤魔化してしまいたいが…………
……まぁ、そういうわけにはいかない。それは良くない。
「あのさ。いつも、ありがとう」
緊張を振り払って、どうにかこうにか、伝えたかった言葉を吐き出す。
ただの感謝。ただそれだけのはずなのに、どうにも照れくさい。
「その、さ。シュドネアと一緒に暮らしてから、ほんのちょっとしか経ってないけど……とっても、楽しいからさ」
気恥ずかしくて、所々詰まってしまった。
参ったな。家に帰る途中でちゃんと言いたいことを考えて、練習したはずなのに。
「シュドネアと出会えて、本当によかったって思うから」
「………っ♡」
「だから、その……感謝の気持ち、っていうか……プレゼントっていうか……」
ちらりと、彼女の手の中にある白い紙箱に視線を向ける。
中に入っているのは、少し高価なフルーツケーキ。
これが、今ボクに渡せる最大限の贈り物だった。
「えっとさ、そのケーキは結構高いやつで、富裕層の人が食べてるくらいだから、たぶん口には合うと思って………」
さすがに、シュドネアに安物を渡す気にはなれなかった。
彼女は魔王の娘なんだから、それに相応しい物じゃないと感謝を伝える贈り物にはならないだろう。
だからボクが選んだのは、とても高くて、美味しいって評判のケーキだった。
「ええと………ケーキの話はいっか。その、なんていうかさ………」
やっぱり照れくさいな。このまま話を逸らして誤魔化してしまいたい。
けれどここまで来たらもう退けない。
真っ直ぐに、シュドネアを見つめて、言葉を伝える。
「ありがとう、シュドネア」
これが、一番伝えたかった言葉。
どうしても、言いたかった言葉。
彼女から貰ったものを、ほんの少しでも返せたらよかった。
「エノ………っ♡」
「わっ……!?」
いきなり、シュドネアがボクに抱き着いてきた。
ふわりと白い髪が舞って、可憐な淫魔が腕の中へ。
甘い匂いが鼻孔をくすぐり、柔らかな温もりが胸に広がっていく。
「シュドネア…?どうしたの?」
「あぁ……とっても、嬉しいのです……!」
羽がボクの身体を包み込んで、ぴったりとくっついてくる。
加えて尻尾が腰に回され、さらに両腕でしっかり抱き着いてくる。
「今まで貰ったどのプレゼントより、嬉しいです…!」
「…………それは、大袈裟なんじゃ…」
流石に言い過ぎだと思う。
彼女は魔王の娘なんだし、もっと高価でいい物を贈られてきたんじゃないだろうか。
「いいえ、いいえ…!大袈裟なものですか!」
だというのに、シュドネアは凄い喜びようだった。
……まぁ、贈った側としては、嬉しいことこの上ないけど。
「喜んでくれて嬉しいよ。本当に、キミと出会えてよかった」
素直にそう思う。自分のやったことを喜んで貰えたのはたぶん初めてだし、その初めてが彼女であって良かったとも思う。
こうして喜んでくれるのも、こうやって身体を寄せられるのも。全部が全部、とても嬉しくて、幸せで。
あぁ、本当に。シュドネアと出会えてよかった。
「〜〜〜〜〜〜〜〜♡♡」
「シュ、シュドネア……?」
答えた直後、いきなりシュドネアがボクの胸に顔を押しつけてきた。
「あの……しばらくこのままでお願いします……ちょっと、顔を見せられそうにありませんから……」
そう言うシュドネアの耳は真っ赤で、白い尻尾が忙しなく揺れていた。
そしてしばらくの間、彼女に抱き着かれたまま時間が経っていって………
「……ありがとうございます。本当に、嬉しいです」
少し赤みが抜けた彼女が顔を上げる。
「このケーキは、大事に、大事にいただきます」
心底幸せそうな笑顔で、真っ直ぐにボクを見つめて。
「……差し当たって、一つお願いをしてもよろしいでしょうか?」
「お願い?」
どうしたのだろうか?小首を傾げて、彼女のお願いを聞く。
「どうか貴方に、食べさせてもらえませんか?」
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「あーん♡………ふふっ、美味しいです…♡」
一口食べるごとに、シュドネアは幸せそうな顔をする。
ともすれば、だらしないとも表現できる顔。
こういった彼女の緩んだ顔は、はじめて見たかもしれない。
「……おや、どうかしましたか?私の顔をじっと見ていますが」
緩んだ表情が少しだけ元に戻る。
まじまじと見過ぎたか。シュドネアはきょとん、と尋ねてくる。
「ふふっ、もしや見惚れましたか?」
「え?……あぁ、うん。かわいいなぁ、って思った」
「お、おやおや………これはこれは………」
シュドネアの顔が赤くなって、また緩みきった表情になった。
うろたえているのか目線はあっちこっちに泳いでて、どうにも落ち着きがない。
「むぅ……今日は調子が悪いです……」
今度は拗ねた表情になって、誤魔化すように口を開けて見せる。
ケーキのおねだり。食べさせてという要求。
そんなシュドネアのねだるまま、ボクはケーキを口に運んであげる。
「……あーん」
「…ふふっ♡……あーん、です♡」
こうやって食べさせてあげたら、シュドネアの機嫌が元に戻る。
それだけ気に入ってくれたのだろうか。
彼女はニコニコと楽しそうに、ケーキに舌鼓を打っている。
「口に合ったみたいで良かったよ」
正直、彼女が満足してくれるかは賭けだった。
美味しいという評判こそ知っていたが、それにシュドネアが満足してくれる保証はない。
そもそもボクはケーキなんて食べたことがないし、これが相応しいのかも分からなかった。
ただ漠然と、普通に女の子が喜んでくれそうな物を考えた結果が、コレだった。
「ふむ。味を気にしていたのですか?」
「それは、まぁ。シュドネアは美味しい物をたくさん知ってそうだし」
流石に魔王の娘がボクと同じ食生活を送っていたわけではないだろう。当然、もっと美味しい物を食べてきたはずだ。
一応このケーキも普通にお高いのだが……具体的にはボクが十日以上働いてどうにか一つ買えるくらいお値段なのだが。
「はて、貴方が私に与えてくれた物に、他のなにが勝るというのでしょうか?」
「えっ?」
心底から分からないといった風に、彼女は頬に手を当て考える様子を見せる。
「エノが私を想い、選び、そして食べさせてくれる。私はこれ以上に幸せで、楽しく、美味しい食事をした経験はありませんが」
「…………………えーと」
「ふふっ。よく分かりませんか」
どうにも理解できなくて押し黙ったボクに向けて、優しく微笑んでくれる。
「でしたら少しだけ、私の“幸せ”を体験してみますか?」
今度は悪戯っぽく笑うシュドネアが、ボクからフォークを奪い取ってそのままケーキを切り分ける。
「はい、あーん♡」
切り分けたケーキをフォークに乗せて、ボクの口元に近づけてくる。
つい先ほどまでボクがシュドネアにしていたのと同じように。
「えっ、いや」
「あーん…♡」
有無を言わさぬ雰囲気の彼女に気圧されて、思わず口を開いてしまう。
そうなったら後はもう。シュドネアの思うがまま。
気恥ずかしさを覚えつつも、彼女にケーキを食べさせてもらった。
「………美味しい」
口いっぱいに甘いのが広がる。
生まれて初めての味。スポンジ生地の感触、クリームの舌触り、フルーツのみずみずしさ。そのどれもが未体験の味わいだった。
そしてなにより、楽しい。
シュドネアに食べさせてもらったのが、なんだか嬉しい。
初めて感じるケーキの味も、初めて誰かに食べさせてもらう感覚も、どちらも楽しくて……胸が温かくなる。
「あぁ、ちなみに関節キスをしたわけですが、どうですか?私の唾液の味も感じてくれましたか?」
「んっ!?」
言いながらフォークを妖しく舐めて、色っぽく咥えて見せてくる。
間接キス。さっきまでは気づいてもいなかったのに、シュドネアのせいで妙に意識してしまう。
顔が熱くなるのが分かる。対して彼女はそれこそ楽しそうに笑っている。
「ああ、楽しいです。私は幸せですね……♡」
こてん、と肩の上に、シュドネアが頭を乗せてくる。
「シュドネア……」
そっと目を閉じた彼女は、身体を預けてボクにもたれかかってくる。
とても安らかで、それこそ幸せそうに綻んで。
「エノ。しばらく、このままでいてもいいですか…?」
「…いいよ。ボクも……温かいから」
シュドネアとこうしていると、なんだかポカポカする。
それは、彼女の体温が温かいのもあるけれど。
なによりも、シュドネアが傍にいると、胸が温かくなる。
(家族がいるって、こんな感じなのかな…)
ボクには家族がいないから分からないけど、それでも、そうだったらいいなって思う。
こうやって身を寄せて、少ない食べ物を分け合って、温かい気持ちになる。
それが誰かと一緒に生きるということなら、悪くないのかもしれない。
(……その誰かは、魔王の娘だけど)
きっとボクは大罪人なのだろう。
人々の敵である魔物の存在を勇者さまに伝えることもなく、あろうことかその魔物に感謝さえしているなんて。
これが人に知られれば、ボクはきっと殺されるんだろうな。
(でも、例え殺されるとしても……もう少しだけ、シュドネアと一緒にいたいな)
それは、想うことさえ許されない願望だ。魔物と一緒にいたいなんて悪逆が許されるわけがない。
あぁ、それでもそう願うのは、ボクの心がシュドネアに堕落しているからだろうか?
「……ねぇ、シュドネア?」
「おや、どうかしましたか?」
ずっと一緒にいて欲しいと、そう願おうとして……
「………ごめん、なんでもないや」
言おうとして、やめる。
彼女をボクが縛りつけてしまうのは、きっと良くないことだから。
「そうですか」
彼女はそれ以上聞いてこなかった。
しばしの間、沈黙が部屋を包み込む。
「エノ」
「ん?」
静けさを破って、隣に寄り添うシュドネアが声をかけてくる。
「……あぁ、いえ。私も、なんでもありません」
「………そっか」
シュドネアがなにを言おうとしたのかは分からない。
だけど、ボクと同じ言葉だったらいいな。
なんて、あるわけないけど。
そうして、ボク達から言葉が消える。
気まずさは一切ない。心地いい沈黙。
互いの温度が伝わるような、そんな静かさ。
その気持ちよさに任せて、ボクらはしばし、互いだけを感じていた。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
私の胸の中で、すぅすぅと規則的な寝息が聞こえます。
石のように硬いベッドの上。冷たい気温を紛らわせるように二人抱き合って。
今夜も私たちは、一緒に眠ろうとしていました。
「しかし相変わらず、貴方はすぐに眠ってしまいますね」
先に眠ってしまったエノの頭を撫でて、ほんの少しだけ不満を漏らします。
私に対して安心感を覚えてくれるのは嬉しいのですが、欲を言えば彼ともっと話していたいのです。
ベッドの中で微睡ながらお喋り。そういうのにも憧れていたのですが、なかなか上手くいかないものです。
「ですが……ふふっ、許しますよ。今日は、特別な日ですから」
特別な日。今日はとても楽しくて、嬉しかった日。
彼が、初めて私に贈り物をしてくれた日。
とっても幸せな一日。
「……あぁ、困りました。こんなにも沢山いただいてしまって……」
きっとエノは分かっていないのでしょう。私がどれほど嬉しかったかなど。
私の喜びのたった一欠片でさえも、エノには伝わっていないのでしょう。
「あのケーキを買うのに、貴方はどれほどの対価を払ったのですか?」
胸の中で眠る彼は、当然答えませんでした。
あのケーキが高価であることは明らかでした。少なくとも、貧民である彼が軽い気持ちで購入できるような額ではないでしょう。
おそらくは、数日分の給料をつぎ込んでどうにか買えるくらいの品だったのではないでしょうか。
私にプレゼントするためだけに、彼はここ数日間ずっと働いていた。
考える限り、それが答えなのでしょう。
「………返せません。私は、貴方の贈り物に釣り合うだけでモノを、返しきれませんよ」
例えば私が等価のケーキを渡したとして。あるいは贅の限りを尽くした食事を振る舞ったとして。
それが今日、この日、この瞬間に渡された『あのケーキ』と同等の価値があるのでしょうか?
否。否。否。
それが同価値であるはずがありません。
そんなものでこの幸せに釣り合うはずがありません。
「………あぁ、どうすればいいのですか」
なにが『魔王の娘』ですか。なにがリリムですか。
私は傲慢であったと、認めなければなりません。
結局のところ、エノの前では私など、『ただの女』に過ぎないのです。
「……………無理です。私が……私だけが、幸せになっていって……」
お返しとして真っ先に思い浮かんだのは、私の全てです。
私の身体から人生まで、その全てを捧げることを考えました。
ですが、それで誰よりも幸せになるのは間違いなく私です。
そもそも結婚は確定事項ではありませんか。
「と、とりあえず国から行きましょう。国一つ捧げれば……ギリギリ釣り合う……はずです」
ひとまず、本当にひとまず。エノと私が住むこの街、そして国を、淫らで愉しく幸せな魔界に堕とせば、彼も少しは喜んでくれるのではないでしょうか?
いえ、エノの贈り物と国程度で釣り合いが取れるわけがないのですが。天秤に乗せれば、その瞬間にあのケーキに傾くことでしょう。
「あぁ、まったく。お返しにここまで悩むのは初めてですよ」
ぎゅっと、エノの身体を抱き直す。
彼はというと、未だ心地よさそうに眠っていました。
「………本当に、嬉しかったのですからね」
なんて、こんな言葉では到底足りないのですが。
エノ。貴方は『いつもありがとう』だなんて、まるで自分ばかりが貰ってばかりのように言いましたね。
ですが、それは違うのです。
「私の方が、たくさん貰っていますよ」
こうして貴方を抱きしめる悦び。共に過ごせる幸せ。
貴方と話すのも。貴方をからかうのも。貴方を想って自慰に耽るのも。どれも愉しいのです。
「いつもありがとうございます、エノ」
寝ている彼の耳元で、囁くように感謝を告げる。
エノはというと、くすぐったそうに身じろぎするだけでした。
「ふふっ。起きている貴方には、この街を魔界にしたときに伝えましょうか」
エノがケーキと共に伝えてくれたのと同じように。
私は街と共に感謝を返しましょう。
「さて……どんな魔界にしてあげましょうか……」
彼と私が住みやすい魔界。淫らで愉しく幸せな世界。
二人の愛の巣となるのですから、それはそれは慎重に考えなければなりませんね。
「待っていてくださいね。
エノも気に入るような、とっても気持ちいい場所にしますから♡」
そうして私は夜が明けるまで。
いずれ堕とされる私たちの理想郷に想いを馳せるのでした。
「ふふっ…♪ふふふ……♪」
そんな彼女は絶賛上機嫌で、ニコニコと笑っていた。
「……あの、シュドネア。その…胸が当たってるよ」
「ふふっ、当てているのですよ?」
ぎゅっと抱きしめる力を強めてくる。
すると当然、腕に感じる柔らかな感触が強くなるわけで。
「さぁ、エノ。食べさせてください…………あーん…♡」
シュドネアが口を開けて見せる。
「…………あーん」
手元のフルーツケーキをフォークで切り分けて、シュドネアに食べさせる。
その際に彼女の唇の内側、てらてらと艶やかに蠢く舌が見えてドキリとしてしまった。
「あぁ…♡とっても幸せです……♡」
ボクにケーキを食べさせてもらって、シュドネアはまさしくご満悦といった様子だ。
とろん、と顔を綻ばせ、身体をすり寄せてくる。
(どうしてこうなってんだろう…………)
そんな彼女の姿を眺めながら、ボクは事の発端を思い出していた。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
事の始まりはなんだったか。
日雇いの仕事から帰ったときだっただろうか。
出迎えてくれたシュドネアに、ボクはケーキの入った白い紙箱を渡した。
「ふむ……これはどうしたのでしょうか?」
当然、彼女は戸惑っていた。
それもそうだ。なんの説明もなしにケーキを渡されたらそうなるだろう。
「あー……えーと。なんていうかさ……」
言い淀んだボクを見て、シュドネアは不思議そうな顔をした。
正直、このまま適当に誤魔化してしまいたいが…………
……まぁ、そういうわけにはいかない。それは良くない。
「あのさ。いつも、ありがとう」
緊張を振り払って、どうにかこうにか、伝えたかった言葉を吐き出す。
ただの感謝。ただそれだけのはずなのに、どうにも照れくさい。
「その、さ。シュドネアと一緒に暮らしてから、ほんのちょっとしか経ってないけど……とっても、楽しいからさ」
気恥ずかしくて、所々詰まってしまった。
参ったな。家に帰る途中でちゃんと言いたいことを考えて、練習したはずなのに。
「シュドネアと出会えて、本当によかったって思うから」
「………っ♡」
「だから、その……感謝の気持ち、っていうか……プレゼントっていうか……」
ちらりと、彼女の手の中にある白い紙箱に視線を向ける。
中に入っているのは、少し高価なフルーツケーキ。
これが、今ボクに渡せる最大限の贈り物だった。
「えっとさ、そのケーキは結構高いやつで、富裕層の人が食べてるくらいだから、たぶん口には合うと思って………」
さすがに、シュドネアに安物を渡す気にはなれなかった。
彼女は魔王の娘なんだから、それに相応しい物じゃないと感謝を伝える贈り物にはならないだろう。
だからボクが選んだのは、とても高くて、美味しいって評判のケーキだった。
「ええと………ケーキの話はいっか。その、なんていうかさ………」
やっぱり照れくさいな。このまま話を逸らして誤魔化してしまいたい。
けれどここまで来たらもう退けない。
真っ直ぐに、シュドネアを見つめて、言葉を伝える。
「ありがとう、シュドネア」
これが、一番伝えたかった言葉。
どうしても、言いたかった言葉。
彼女から貰ったものを、ほんの少しでも返せたらよかった。
「エノ………っ♡」
「わっ……!?」
いきなり、シュドネアがボクに抱き着いてきた。
ふわりと白い髪が舞って、可憐な淫魔が腕の中へ。
甘い匂いが鼻孔をくすぐり、柔らかな温もりが胸に広がっていく。
「シュドネア…?どうしたの?」
「あぁ……とっても、嬉しいのです……!」
羽がボクの身体を包み込んで、ぴったりとくっついてくる。
加えて尻尾が腰に回され、さらに両腕でしっかり抱き着いてくる。
「今まで貰ったどのプレゼントより、嬉しいです…!」
「…………それは、大袈裟なんじゃ…」
流石に言い過ぎだと思う。
彼女は魔王の娘なんだし、もっと高価でいい物を贈られてきたんじゃないだろうか。
「いいえ、いいえ…!大袈裟なものですか!」
だというのに、シュドネアは凄い喜びようだった。
……まぁ、贈った側としては、嬉しいことこの上ないけど。
「喜んでくれて嬉しいよ。本当に、キミと出会えてよかった」
素直にそう思う。自分のやったことを喜んで貰えたのはたぶん初めてだし、その初めてが彼女であって良かったとも思う。
こうして喜んでくれるのも、こうやって身体を寄せられるのも。全部が全部、とても嬉しくて、幸せで。
あぁ、本当に。シュドネアと出会えてよかった。
「〜〜〜〜〜〜〜〜♡♡」
「シュ、シュドネア……?」
答えた直後、いきなりシュドネアがボクの胸に顔を押しつけてきた。
「あの……しばらくこのままでお願いします……ちょっと、顔を見せられそうにありませんから……」
そう言うシュドネアの耳は真っ赤で、白い尻尾が忙しなく揺れていた。
そしてしばらくの間、彼女に抱き着かれたまま時間が経っていって………
「……ありがとうございます。本当に、嬉しいです」
少し赤みが抜けた彼女が顔を上げる。
「このケーキは、大事に、大事にいただきます」
心底幸せそうな笑顔で、真っ直ぐにボクを見つめて。
「……差し当たって、一つお願いをしてもよろしいでしょうか?」
「お願い?」
どうしたのだろうか?小首を傾げて、彼女のお願いを聞く。
「どうか貴方に、食べさせてもらえませんか?」
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「あーん♡………ふふっ、美味しいです…♡」
一口食べるごとに、シュドネアは幸せそうな顔をする。
ともすれば、だらしないとも表現できる顔。
こういった彼女の緩んだ顔は、はじめて見たかもしれない。
「……おや、どうかしましたか?私の顔をじっと見ていますが」
緩んだ表情が少しだけ元に戻る。
まじまじと見過ぎたか。シュドネアはきょとん、と尋ねてくる。
「ふふっ、もしや見惚れましたか?」
「え?……あぁ、うん。かわいいなぁ、って思った」
「お、おやおや………これはこれは………」
シュドネアの顔が赤くなって、また緩みきった表情になった。
うろたえているのか目線はあっちこっちに泳いでて、どうにも落ち着きがない。
「むぅ……今日は調子が悪いです……」
今度は拗ねた表情になって、誤魔化すように口を開けて見せる。
ケーキのおねだり。食べさせてという要求。
そんなシュドネアのねだるまま、ボクはケーキを口に運んであげる。
「……あーん」
「…ふふっ♡……あーん、です♡」
こうやって食べさせてあげたら、シュドネアの機嫌が元に戻る。
それだけ気に入ってくれたのだろうか。
彼女はニコニコと楽しそうに、ケーキに舌鼓を打っている。
「口に合ったみたいで良かったよ」
正直、彼女が満足してくれるかは賭けだった。
美味しいという評判こそ知っていたが、それにシュドネアが満足してくれる保証はない。
そもそもボクはケーキなんて食べたことがないし、これが相応しいのかも分からなかった。
ただ漠然と、普通に女の子が喜んでくれそうな物を考えた結果が、コレだった。
「ふむ。味を気にしていたのですか?」
「それは、まぁ。シュドネアは美味しい物をたくさん知ってそうだし」
流石に魔王の娘がボクと同じ食生活を送っていたわけではないだろう。当然、もっと美味しい物を食べてきたはずだ。
一応このケーキも普通にお高いのだが……具体的にはボクが十日以上働いてどうにか一つ買えるくらいお値段なのだが。
「はて、貴方が私に与えてくれた物に、他のなにが勝るというのでしょうか?」
「えっ?」
心底から分からないといった風に、彼女は頬に手を当て考える様子を見せる。
「エノが私を想い、選び、そして食べさせてくれる。私はこれ以上に幸せで、楽しく、美味しい食事をした経験はありませんが」
「…………………えーと」
「ふふっ。よく分かりませんか」
どうにも理解できなくて押し黙ったボクに向けて、優しく微笑んでくれる。
「でしたら少しだけ、私の“幸せ”を体験してみますか?」
今度は悪戯っぽく笑うシュドネアが、ボクからフォークを奪い取ってそのままケーキを切り分ける。
「はい、あーん♡」
切り分けたケーキをフォークに乗せて、ボクの口元に近づけてくる。
つい先ほどまでボクがシュドネアにしていたのと同じように。
「えっ、いや」
「あーん…♡」
有無を言わさぬ雰囲気の彼女に気圧されて、思わず口を開いてしまう。
そうなったら後はもう。シュドネアの思うがまま。
気恥ずかしさを覚えつつも、彼女にケーキを食べさせてもらった。
「………美味しい」
口いっぱいに甘いのが広がる。
生まれて初めての味。スポンジ生地の感触、クリームの舌触り、フルーツのみずみずしさ。そのどれもが未体験の味わいだった。
そしてなにより、楽しい。
シュドネアに食べさせてもらったのが、なんだか嬉しい。
初めて感じるケーキの味も、初めて誰かに食べさせてもらう感覚も、どちらも楽しくて……胸が温かくなる。
「あぁ、ちなみに関節キスをしたわけですが、どうですか?私の唾液の味も感じてくれましたか?」
「んっ!?」
言いながらフォークを妖しく舐めて、色っぽく咥えて見せてくる。
間接キス。さっきまでは気づいてもいなかったのに、シュドネアのせいで妙に意識してしまう。
顔が熱くなるのが分かる。対して彼女はそれこそ楽しそうに笑っている。
「ああ、楽しいです。私は幸せですね……♡」
こてん、と肩の上に、シュドネアが頭を乗せてくる。
「シュドネア……」
そっと目を閉じた彼女は、身体を預けてボクにもたれかかってくる。
とても安らかで、それこそ幸せそうに綻んで。
「エノ。しばらく、このままでいてもいいですか…?」
「…いいよ。ボクも……温かいから」
シュドネアとこうしていると、なんだかポカポカする。
それは、彼女の体温が温かいのもあるけれど。
なによりも、シュドネアが傍にいると、胸が温かくなる。
(家族がいるって、こんな感じなのかな…)
ボクには家族がいないから分からないけど、それでも、そうだったらいいなって思う。
こうやって身を寄せて、少ない食べ物を分け合って、温かい気持ちになる。
それが誰かと一緒に生きるということなら、悪くないのかもしれない。
(……その誰かは、魔王の娘だけど)
きっとボクは大罪人なのだろう。
人々の敵である魔物の存在を勇者さまに伝えることもなく、あろうことかその魔物に感謝さえしているなんて。
これが人に知られれば、ボクはきっと殺されるんだろうな。
(でも、例え殺されるとしても……もう少しだけ、シュドネアと一緒にいたいな)
それは、想うことさえ許されない願望だ。魔物と一緒にいたいなんて悪逆が許されるわけがない。
あぁ、それでもそう願うのは、ボクの心がシュドネアに堕落しているからだろうか?
「……ねぇ、シュドネア?」
「おや、どうかしましたか?」
ずっと一緒にいて欲しいと、そう願おうとして……
「………ごめん、なんでもないや」
言おうとして、やめる。
彼女をボクが縛りつけてしまうのは、きっと良くないことだから。
「そうですか」
彼女はそれ以上聞いてこなかった。
しばしの間、沈黙が部屋を包み込む。
「エノ」
「ん?」
静けさを破って、隣に寄り添うシュドネアが声をかけてくる。
「……あぁ、いえ。私も、なんでもありません」
「………そっか」
シュドネアがなにを言おうとしたのかは分からない。
だけど、ボクと同じ言葉だったらいいな。
なんて、あるわけないけど。
そうして、ボク達から言葉が消える。
気まずさは一切ない。心地いい沈黙。
互いの温度が伝わるような、そんな静かさ。
その気持ちよさに任せて、ボクらはしばし、互いだけを感じていた。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
私の胸の中で、すぅすぅと規則的な寝息が聞こえます。
石のように硬いベッドの上。冷たい気温を紛らわせるように二人抱き合って。
今夜も私たちは、一緒に眠ろうとしていました。
「しかし相変わらず、貴方はすぐに眠ってしまいますね」
先に眠ってしまったエノの頭を撫でて、ほんの少しだけ不満を漏らします。
私に対して安心感を覚えてくれるのは嬉しいのですが、欲を言えば彼ともっと話していたいのです。
ベッドの中で微睡ながらお喋り。そういうのにも憧れていたのですが、なかなか上手くいかないものです。
「ですが……ふふっ、許しますよ。今日は、特別な日ですから」
特別な日。今日はとても楽しくて、嬉しかった日。
彼が、初めて私に贈り物をしてくれた日。
とっても幸せな一日。
「……あぁ、困りました。こんなにも沢山いただいてしまって……」
きっとエノは分かっていないのでしょう。私がどれほど嬉しかったかなど。
私の喜びのたった一欠片でさえも、エノには伝わっていないのでしょう。
「あのケーキを買うのに、貴方はどれほどの対価を払ったのですか?」
胸の中で眠る彼は、当然答えませんでした。
あのケーキが高価であることは明らかでした。少なくとも、貧民である彼が軽い気持ちで購入できるような額ではないでしょう。
おそらくは、数日分の給料をつぎ込んでどうにか買えるくらいの品だったのではないでしょうか。
私にプレゼントするためだけに、彼はここ数日間ずっと働いていた。
考える限り、それが答えなのでしょう。
「………返せません。私は、貴方の贈り物に釣り合うだけでモノを、返しきれませんよ」
例えば私が等価のケーキを渡したとして。あるいは贅の限りを尽くした食事を振る舞ったとして。
それが今日、この日、この瞬間に渡された『あのケーキ』と同等の価値があるのでしょうか?
否。否。否。
それが同価値であるはずがありません。
そんなものでこの幸せに釣り合うはずがありません。
「………あぁ、どうすればいいのですか」
なにが『魔王の娘』ですか。なにがリリムですか。
私は傲慢であったと、認めなければなりません。
結局のところ、エノの前では私など、『ただの女』に過ぎないのです。
「……………無理です。私が……私だけが、幸せになっていって……」
お返しとして真っ先に思い浮かんだのは、私の全てです。
私の身体から人生まで、その全てを捧げることを考えました。
ですが、それで誰よりも幸せになるのは間違いなく私です。
そもそも結婚は確定事項ではありませんか。
「と、とりあえず国から行きましょう。国一つ捧げれば……ギリギリ釣り合う……はずです」
ひとまず、本当にひとまず。エノと私が住むこの街、そして国を、淫らで愉しく幸せな魔界に堕とせば、彼も少しは喜んでくれるのではないでしょうか?
いえ、エノの贈り物と国程度で釣り合いが取れるわけがないのですが。天秤に乗せれば、その瞬間にあのケーキに傾くことでしょう。
「あぁ、まったく。お返しにここまで悩むのは初めてですよ」
ぎゅっと、エノの身体を抱き直す。
彼はというと、未だ心地よさそうに眠っていました。
「………本当に、嬉しかったのですからね」
なんて、こんな言葉では到底足りないのですが。
エノ。貴方は『いつもありがとう』だなんて、まるで自分ばかりが貰ってばかりのように言いましたね。
ですが、それは違うのです。
「私の方が、たくさん貰っていますよ」
こうして貴方を抱きしめる悦び。共に過ごせる幸せ。
貴方と話すのも。貴方をからかうのも。貴方を想って自慰に耽るのも。どれも愉しいのです。
「いつもありがとうございます、エノ」
寝ている彼の耳元で、囁くように感謝を告げる。
エノはというと、くすぐったそうに身じろぎするだけでした。
「ふふっ。起きている貴方には、この街を魔界にしたときに伝えましょうか」
エノがケーキと共に伝えてくれたのと同じように。
私は街と共に感謝を返しましょう。
「さて……どんな魔界にしてあげましょうか……」
彼と私が住みやすい魔界。淫らで愉しく幸せな世界。
二人の愛の巣となるのですから、それはそれは慎重に考えなければなりませんね。
「待っていてくださいね。
エノも気に入るような、とっても気持ちいい場所にしますから♡」
そうして私は夜が明けるまで。
いずれ堕とされる私たちの理想郷に想いを馳せるのでした。
20/12/14 07:53更新 / めがめすそ
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