噂は厄介事を連れて
ファルフ・ヴーニルの朝は「重い」。
それは気分が重いとかそういう意味ではない。
そういう気分の時がないと言うわけではないが、
ともかくこの場合の重いとは違う。
物理的に、重いのだ。
荷物を持っているとか何かに乗られているとかの「重さ」。
「・・ぐ・・」
目覚めて早々に情けないうめき声を出しながら、
それを何とかどかそうとしてみる。
が、ズッシリとした重さのそれは少しも動かせそうにない。
体を動かそうとしても、ぐるぐる巻きになっている為に
やはり動かせなかった。
だから最後の手段に訴えるしかなくなる。
「・・ムウ、起きてるんだろ?退いてくれ。」
すなわちそれ・・ムウに自主的に退いてもらうという手段に。
少々ムスッとして言う彼に、ムウは可愛らしく欠伸をする。
「ふあ・・おはよ、ファルフ。」
問いに対して答えとは言えないものだったが、
起きないときは何をやっても起きない事を知っている彼には、
ムウが起きているというだけでも運がいいと思えた。
そんな幸運に感謝しながら、ファルフは再び彼女に頼む。
「ああ、おはよう。
ちょっと俺の上から退いてくんないか?
このままだと、コトレークに行くどころか部屋からも出られねえ。」
軽く言っているものの、それはファルフの生計に結構響く事だ。
そういう事はムウだけでなく他の者にも伝えてあり、
ワームの中でも珍しく少々理性的なムウには、
殊更効果があることをファルフは経験上知っている。
しかし次の瞬間ムウは
そんな彼の予想など知ったことかと言わんばかりに、
ギュウッとファルフを抱きしめた。
「ん〜・・あとちょっと・・」
だがファルフは動じず、抱きしめてくるムウを抱きしめ返す。
ムウは満足げに顔をにやけさせた後、やっとファルフの上から退いた。
ファルフもベッドから立ち上がり、伸びをする。
伸ばされた腕からポキポキと鳴る音を心地よく思いながら、
彼は未だゆるんだ顔を浮かべるムウに短く訊く。
「満足したか?」
すると彼女はその顔のまま答えた。
「うん!」
恋人同士のそれのように思えるこのやりとりは、
実はファルフの中では習慣化している事である。
最初の内は抱きついてくるムウを鬱陶しくも思い、
力ずくで退けようとしていたのだが怒らせて、
一日中布団の中で抱きつかれっぱなしになり、
その日のギルドの仕事全てを、
休まなければならなくなってしまったことがあったのだ。
(ちなみにガリア達には後日大声で笑われた)
何とかこれに対処できないかと考えていたときに、
偶然仕事で関わったサバトの魔女にアドバイスを受けた。
曰く、
「ワームですよね・・。
子供っぽい所がある種族ですから、抱きついてくるなら
満足するまでさせてあげれば良いと思いますよ。
そりゃあ時間はかかりますけど、一日潰すよりは良いかなと。
そういう相手がいるってだけで羨ましいですけどね。」
それからは、時間がかかろうとも要求に付き合う事にしている。
単純に損得勘定をしたというのもあるが
何だかんだでムウに抱きつかれることは、
別に枯れているわけでもないファルフにとって嬉しかったからだ。
ともあれファルフは今日も無事に起きられた。
心の中であの魔女に感謝しつつ、ムウに訊く。
「お前が来てるって事は・・他の奴も来てんのか?」
「うん!エルダさんもリーヴェも来てるよ。」
それに元気よく即答するムウ。
やっぱりかと諦めのため息を吐きドアに手をかけた瞬間、
昨日エルダとリーヴェの仲が悪かったことをファルフは思い出した。
しかしそれにしては静かだな、とも思いつつドアを開けると
そこには予想外の光景が広がっていた。
「ほほう・・そうくるか・・。
リーヴェ貴様、なかなかに頭が回るな?」
腕を組みながらニヤケ顔で言うエルダ。
「これでないと皆遊んでくれなかったから、それだけさ。
・・そちらこそ妙に慣れてるように見えるぞ。」
対してリーヴェは翼を畳んだ片方の腕を顎に当てながら、
エルダを見ながら軽く笑っている。
その光景にファルフが絶句してしまっていると、
エルダが彼に気付き「邪魔しているぞ」と言う。
言葉の割に罪悪感を全く感じていないように見えるが、
いつもならその言動に「邪魔してる、じゃねえよ全く・・」
などといった言葉で返すだろうファルフも
相当に険悪な雰囲気を予想していただけに
「あ、ああ・・」と抜けた返事しかできなかった。
呆気にとられつつ、
二人が向かい合って座っているテーブルの上を見ると
しましまの正方形のマス目の全てに黒と白の丸石が置かれている。
それを見てファルフは二人が何をしているのかに気がついた。
「・・オセロか?それ。」
「ああ、幸運なことにリーヴェが持っていたのでな。
ちなみに昨日から今で二勝三敗だ。
・・悔しいが、なかなかにやるよこやつは。」
短く訊くとそんな言葉が返ってくる。
どうやら昨日からずっとしているらしい。
欠伸一つかいてない事から、きちんと眠る場所は見つけたようだ。
と、そこまで考えてある疑問が思い浮かぶ。
エルダはどこで眠ったのだろうか。
「・・エルダお前どこに住んでんだ?」
「・・変なことを訊くな、お前は・・。
我はもとより山住まいだぞ?山に決まっておろう。」
おかしい、とファルフは思う。
近くの山はほとんどムウかリーヴェの領域だ。
二人は排他的ではないが、
それでも近くに誰かは住まわせないのではなかろうか。
そう考えているとリーヴェがいきなりフフッと笑い言う。
「エルダが近くに住ませろと言ってきたときはびっくりしたよ。
勿論断ったんだが・・色々あってオセロが得意なことが判ってね。
私もオセロ相手が居なくて寂しかったから、
オセロで遊んでくれるのなら別に良いぞとしたわけさ。」
「そうかい、よかったな二人とも。」
返事をしつつ、ファルフは思う。
ワイバーンとドラゴンという強力な種族の住処が
オセロ一つで隣り合うとは変なこともあったもんだ、と。
(ま、ピリピリした空気がいつまでも続くよりは良いか。)
そう結論づけて台所に向かうと、
そこにはきれいにラッピングされた卵焼きがあった。
ファルフは作り置きなどしない。
ならば誰がこれを作ったのだろうか。
そう思っていると、エルダから声がかかる。
「ああそうそう、我らはもう朝食を済ませたぞ。
卵が余っていたようなのでな、使わせてもらった。」
「え・・これ、お前が作ったのか?」
訊くとエルダは誇らしげに胸を張る。
「そう言っておろうが・・何だ、味が心配なのか?
まあ食べてみるが良い、不味くはないはずだ。」
あんまり自信たっぷりに言うので、一口食べてみた。
口の中に卵の甘い味が広がり、そこに薄く塩の味が入ってくる。
(・・美味いな、これ。
クッソ不味いってのがお約束な筈なんだが・・
これじゃ卵を使われた文句も言えねえな。)
「・・よもや貴様、本当に不味いと思っていたのか?」
そんなことを考えていたのが顔に出ていたのか、
彼女は半眼になり睨んできた。
誤魔化しても意味はないだろうと判断したファルフは白状する。
「・・いや・・その、お前って、結構料理できるんだな。
そういうイメージなかったからよ。」
「ふん、我にかかればこんなものよ。
その、こうでもせねば他の者と触れ合えぬのでな・・。
これを覚えてから少しは親密な者も増えた。」
彼女はそっぽを向き、言う。
その表情は少し照れくさげだ。
(ドラゴンにはドラゴンなりの苦労があるんだな・・)
彼はそう思ったが口には出さず、代わりにその腕を褒めた。
「美味いぜこれ。
作り方、暇なときで良いから教えてくれよ。」
「・・気が向いたら教えてやろう。」
彼女はそう言いオセロに向き直った。
どうやらまだ続けるつもりらしい。
だが今日に限っては続けられると都合が悪かった。
何故ならリーヴェを手伝いとして
コトレークに連れていこうと思い約束していたからだ。
楽しみを邪魔するのは気が引けたが、
仕事を出来なければそもそも生活が成り立たない。
「あー・・悪いんだがエルダ。
今日はリーヴェとコトレークに行くんだ。
今すぐ出たいから、また今度にしてもらって良いか?」
そう言うと真っ先に反応したのは、なんとムウだった。
「リーヴェ、ファルフとデートするの?」
ムウらしい直球の聞き方がエルダに火をつけた。
「何?デートだと。
おいヴーニル、どういうことだ説明しろ。」
「いや、デートとかじゃねえって。
ただ、手伝いをしてもらおうと・・。」
即座に訂正するファルフ。
しかしそれがまた別方向に引火する。
「ファルフ・・まさか私を
単なる労働力として連れていこうというのか?」
「単なるって、そんなつもりじゃねえよ。
一人っつう原則でやってると寂しいってだけだ。
手伝いだったら、何人居ても問題ないはずだからな。」
そしてそれを消そうと、正直な気持ちを吐露するファルフ。
その判断はこの場で最善だったと言えるだろう。
事実エルダとリーヴェは
二人揃って「そういうことなら」と納得し頷いていた。
だがここで純粋なムウの発想が飛び出る。
「ねえ、ファルフ。
何人でも良いんだったら皆で行こうよ。
その方が寂しくなくって良いんじゃないの?」
「・・確かに、その方が早く済むか・・。」
その発想はなかった、とうなるファルフ。
「そういうことで良いか。」彼がそう訊くと
エルダは「構わん」と言いリーヴェも「・・ああ」と返事をした。
準備を終えた竜三頭と人一人という奇妙な四人組は今、
ファルフ宅からコトレークに向かう途中の森を歩いていた。
教団からは魔の森と言われているここは、
ワーウルフやハーピー達が住んでいる、親魔物領にありがちな森だ。
それが何故、魔の森と言われているかというと、
ファルフ宅近くの環境故に、多様な魔物達が来るからなのだが、
ファルフはそんなことは少しも知らない。
最初の頃、街から離れて一人暮らしのファルフが、
教団に目を付けられ良く襲撃されたのだが、
むしろそのお陰で現在はこのあたりの魔物は殆ど夫持ちである。
当のファルフ本人は独身なのだが、
これは言い寄る魔物を上手く彼がかわしているのに加え、
その魔物が環境故か竜族に固まっていて、
他の種族が手を出しにくくなっているのも原因にあった。
とはいえ、コトレークの話や仕事中の出来事を話してくれる彼は
魔物達にとって恋人に出来ずとも、良き友人となっている。
「でね、その時のワーウルフさんの喜びようが凄くって!
これでやっと独身卒業だーッ!って。」
「ハハ、まあ良かったんじゃねえの。
今もよろしくやってんだろ?そいつ。」
「うん、今朝も見てきたけど張り切ってたよ。」
先程も歩きながらハーピーと笑顔で話していた。
そんな彼の様子を見ていたエルダがハーピーと別れてから言う。
「なあ、ヴーニル。
貴様結構このあたりの者と仲がよいのか。」
「ああ、まあな。
これでも長くあそこに住んでっからな。
このあたりの事情はそれなりに知ってるぞ。
さっき話してた奴は三年前にこっちに来て独身。
話の中のワーウルフは二年前に来た奴だ。」
少し自慢げにそう言うファルフ。
いつもの態度とは少し違うその子供っぽい言い方に
エルダが内心微笑ましく思っていると、
いきなり正面で地面がボコッと隆起した。
ムウとファルフ以外がビクッとしていると、
その地面からノームが現れこう言った。
「やっと見つけましたよファルフ。
セレが酒場で待ってるから、とのことです。」
セレとはシルフの寝癖の首領、セレ・ルビスの事だ。
「首領が?」
思わず聞き返すファルフ。
それもその筈である、セレは滅多に下に向けての指示をしないのだ。
気紛れに、どこにでも現れしたいようにする。
そんな首領が名指しで、しかもわざわざ場所を指定してきた。
それだけで、何かあったとファルフが想像するには十分だった。
「・・分かった、ありがとな。」
「ん、ちゃんと伝えましたからね。」
それだけ言うと、ノームはどこかへ行ってしまった。
しかしファルフはもうそんなことは気にしていない。
「行くぞ。」
そうとだけ言うと、先程より早歩きで街への道を進み始める。
エルダ達もその雰囲気の変化を感じ取り、無言でついていった。
(・・妙に騒がしいな。)
コトレークについて、ファルフはまずそう思った。
騒がしいこと自体は別にいつも通りなのだが、
その騒がしさとは何か違うのだ。
言うなれば・・ざわついていると言うのだろうか。
そんな空気を感じながら、酒場に向かっていると
リーヴェから唐突に顔を寄せられる。
間近に迫る鋭くも整った顔立ちにドキッとしたものの、
リーヴェの纏う真剣な雰囲気にファルフも気を引き締めた。
それを確認してから、彼女は話し始める。
「リザードマンがお前を捜してるみたいだ。」
「リザードマン?決闘でもしにきたのか?」
首を振りながら答えるリーヴェ。
「分からんが、そんな微笑ましいものでは無さそうだ。
聞いたところによると、殺気じみたものを感じたらしい。」
殺気。
その単語を聞いた途端、ファルフが少しだけニヤつく。
ファルフも血の気は少ない方ではないのだ。
それを感じ取ったのかエルダが横槍を入れる。
「・・闘おうなどと思ってくれるなよ。
街の中で闘えば迷惑がかかってしまうぞ。」
「分かってるよ、そんなことはしねえ。」
そう答えるファルフ。
考えとしては「全力が出せねえのは嫌だしな。」が大筋だったが。
それを聞いて安心したのか、リーヴェが続けた。
「今、ムウがそいつと話している。
万一喧嘩になってもムウなら大丈夫だろう。
だがムウは嘘をつけないから、
それほど長い時間持たないだろう・・酒場へ急ぐぞ。」
頷きだけで答え、ファルフは酒場へと走る。
「ムウ・フェンサ、と言ったな。
お前、ファルフ・ヴーニルを知っているのか?」
「うん、知ってるよ。
さっきまで一緒に居たんだけど・・」
体からピリピリとした感じを出しながら、
ムウと話す一人のリザードマン。
彼女こそ、「竜殺しのファルフ」を追っていると
コトレークで話題になっているシェリス・ブレーンだ。
ある日とあるクチから、
武者修行に行ったまま行方不明になっていた姉のサラマンダーが
竜殺しによって殺されたと聞いた彼女は、同じ者から
「コトレークに竜殺しがよく出没する」との情報を受けここにいるのだ。
とあるクチとは、変装した教団の女で彼女と話す度に僅かに顔を歪めていた。
いつものシェリスならば気付いていた筈なのだが
動揺していた彼女は気付いていない。
コトレークについた後情報を集め、ファルフ=ヴーニルという男が
竜殺しで間違いないだろう、と確信し捜していた。
そして今、ムウという竜殺しに繋がる者と出会ったのである。
目の前でにこやかに笑うムウの姿を見ながら、シェリスは不思議に思う。
(何故、同族を殺すような男の事を笑って話せるんだ?)
無論これはムウと彼女とで認識に違いがあるからだが、
双方その事には気付かず、話題は今ファルフが何処にいるかに移った。
「・・それで、竜殺しは今何処に居るんだ?」
「ん〜・・酒場に行くって言ってたから多分酒場じゃないかな。」
もとより人を騙すのが得意でないムウは、正直に答えた。
「そうか・・ありがとう!では!」
聞くが早いかシェリスは酒場へと駆けていく。
取り残されたムウは、一人こぼした。
「・・ファルフがそんな事する訳無いんだけどなあ。」
一方、ファルフは酒場でセレやガリア達と話し込んでいた。
話題は勿論シェリスのことだが一歩踏み込んだ箇所となっている。
すなわち教団の話だ。
ギルドの情報網をもってすれば、
彼女に教団が情報を流した事などすぐに分かった。
そして、その教団の五百を超える兵達が
この街の西門近くの平原に野営地を作っていることも。
「問題は、それをどう利用するかって話〜。」
全く緊張感の感じられない口調でセレが言い、それに頷く面々。
それはその情報が分かった時に全員が考えたことだったからだ。
「なあ、俺に一つ考えがあんだがよ」
ガリアがニヤニヤとしてファルフを見ながら言う。
その時点でファルフは彼が何をさせようとしているのか、大体分かった。
「ファルフを囮にして、教団を引きずり出して潰すってのはどうだ?」
そして紡ぎ出されるファルフにとって予想通りの言葉。
五百に対して一人を囮にするというのは、一見薄情かつ残酷に思える。
だがファルフはそんなに弱くないし、彼自身も負けるつもりは毛頭ない。
だから、その場の全員が頷くのは当然だった。
「・・で、その囮となる要のリザードマンは今何処に居るのだ?
そやつが居なければ教団は引きずり出せまい?」
エルダが腕組みを解かずに目を閉じたまま言う。
「それに関しては問題ないよ〜、だってもう来てるもん。」
そう返して扉の方を見るセレ。
それとほぼ同時に一人のリザードマンが走って入ってきた。
それも大きな剣を横に構えながらだ。
「竜殺しッ!何処だ!」
入ってくるなりそう叫ぶリザードマン。
「へいへい、ここだよ・・何の用なんだって、うおっ!!」
答えて歩いていったファルフに彼女はいきなり斬りかかった。
縦一文字に振り抜かれたそれを後ろに飛び回避するファルフ。
「いきなり斬りかかるってお前、ちょいと卑怯じゃねえか?」
言葉とは裏腹に楽しそうに笑うファルフ。
対してリザードマンは舌打ちをした後剣を構え直し言った。
「人の姉を殺しておきながらよくもそんなことを言えたものだ!」
「で、あんたは敵討ちってわけか・・随分と姉思い、なんだな!」
対して身に覚えがない事はあえて言わずに、
扉の外へ向かって駆け出すファルフ。
勿論シェリスがそんな事を許すわけはない。
すれ違いざまに再び剣を横一文字に振り抜く彼女。
だがファルフは間一髪でそれをかわし、
平原へ繋がる西門の方向へと全速力で走っていった。
シェリスもそれを追いかけていく。
「く・・待てッ!竜殺し!」
ファルフ達が走り去ったしばらく後、ガリアは口を開いた。
「さて、上手い具合に平原に行ってくれた訳だが・・
ここで一つ質問だ、首領。
奴ら、バカ正直にファルフに全軍を傾けると思うか?」
対してセレは少しの間目を閉じ、その開けると言った。
「まあ良くても半分だろうね。
だって、いくらこっちの主力の一人を倒すチャンスがあっても
二方向から攻め込める敵の本拠地もあるんだよ?
一方はファルフがチャンバラしてるけど、
もう一方の東門はあいつ等の認識からすればがら空き。
だから、攻めてくれば東を堅めにする必要が・・」
そこまで言って彼女は入り口の方を弾かれたように見て、叫んだ。
「マスター!お帰り!!」
その声に他の者も入り口を見る。
すると一人の男が、まさに風を切って入ってきた。
そのスピードにセレ以外は圧倒されたが、セレは続ける。
「どうだったマスター、やっぱりあいつら東門から?」
「ああ、東にもう一個簡易基地を作ってた。
数も結構居て・・三百は居たっけな。
それとよ、リザードマンとファルフがもう始めてた。」
マスターと呼ばれた男は、息を切らせた様子もなく答える。
そしてセレにさえ口を差し込む暇を与えず、続けた。
「のんびりしてる暇は無い。
今計算してみたが、奴らは後ちょっとすれば東門に来る。
セレ、行くぞ。」
「はい、マスター!」
言うが早いか、酒場から出ていくセレ達。
エルダとリーヴェもそれを追おうとしたのだが、
東と西の分かれ道でベルガに止められた。
「あんたらは、自分のしたいようにやりな。
例えば・・竜殺しを助けに行くとかね。
こっちは心配しなさんな、
鬼とそれを惚れさせた男が居るんだ、負けねえよ。」
そう言われては、流石のエルダも止まる他ない。
しばし考えた後に、エルダは「分かった」と頷く。
それを満足げに見た後、ガリアと共に彼女も駆けていった。
エルダは西門へと走っていったが、
リーヴェは未だに東門を見ていた。
もし、ガリア達が負けでもしたら。
そう思うと西門でのうのうと待っている訳には、と考えてしまう。
そこにムウがやってくる。
彼女は事情をリーヴェから聴くとこう言った。
「・・じゃあ、ファルフを助けにいこうよ。
ファルフは強いけど、疲れてたら大変かもしれないでしょ?」
ファルフが負けることなど微塵も考えていなかったリーヴェは、
その言葉にハッとなる。
(そうだ・・あちらは四人いるが、
ファルフはエルダとムウを入れても三人しかいない。)
そこまで考えた時、彼女は「ムウ、行くぞ!」と叫びながら既に飛んでいた。
所変わって平原。
西門から少し離れた箇所で、剣士同士が舞っていた。
一方は型通りで単純だが、それ故に規則正しく美しい。
もう一方は打って変わって型破りで複雑だが、
囚われぬその動きは剣士で無くとも見入るに値するものだ。
今も真正面から突き込まれた銀色を、
同じく逆手に持たれた銀色が受け流していた。
受け流された方は少しだけバランスを崩し、
受け流した方はそれを見逃さない。
勝負を決めるべく、素早く背後に回り込み背を斬ろうとするが
持ち手が飛び退きそれは行われなかった。
それすらも上回る速さでしなりのある尻尾が振り抜かれたのだ。
距離が開いた二人・・ファルフとシェリスは互いに睨み合った。
そして、ほぼ同時に思う。
(こいつ・・おもしろい!)
ファルフは笑顔を浮かべながら、シェリスはきつい視線を向けながら。
ファルフにとって単純に剣で張り合える相手は久しぶりで、
シェリスにとって、これほどに手強い者もまた久しぶりだったからだ。
「ここまでとは思わなかったぞ・・竜殺し。」
「そっちこそだ、てっきり粋がってるだけかと思ったぜ。」
「ふ、減らず口を・・!」
そこまで言って、足に力を込めるシェリス。
迎え打つべく右に剣を、左の魔界銀の手甲を前に構えるファルフ。
極限まで研ぎすまされた精神の乗った視線は交差し「互いの後方」へ向けられた。
二人が交差した次の瞬間、二つの人影が崩れ落ちる。
しかしそれは彼らではない。
崩れ落ちたそれの一つに、ファルフの剣が向けられる。
「・・教団ってのは、真剣勝負にも水を差す無粋な奴らなのか?」
「失礼失礼・・うちの者が迷惑をかけたな。」
怒りのこもったその言葉に答えたのは、倒れたそれではない。
言葉の方向へシェリスとファルフが視線を向けると、
そこには彼らの周りを囲んだ大勢の教団と、鉄格子に入れられたサラマンダーが居た。
それを見てシェリスは思わず声を上げる。
「ゼ・・ゼルナ姉さん!」
それを聞いて驚いたのは、ファルフだ。
「ゼルナ、だと?まさか、ゼルナ・ブレーンか!」
何故ならゼルナ・・それもサラマンダーと言えば、
剣を使う者なら誰もが一度は耳にするものに「狂炎のゼルナ」という名前があるからだ。
「な・・ファルフ貴様・・いや、姉さんは此処に・・?!」
それを聞いてさらに混乱するシェリス。
それもその筈、シェリスはファルフが自らの姉を殺した
とばかり思っていたのだから。
それを見ておもしろそうに高笑いする教団の男。
傍らには、シェリスが見たのと同じ女が居る。
「クク・・驚きを隠しきれんようだな、シェリス?」
「では、私は・・!」
騙されていたのだと分かり、愕然とするシェリス。
そんな彼女に男は更なる追い打ちをする。
「さて・・シェリス・ブレーン。
この状況で貴様がとれる行動は二つだ。
降参し、この姉と一緒に檻に入るか。
もう一つは、竜殺しを殺す代わりに姉を助けてと言うか。
どちらも考えてやらんことはないぞ?」
それはシェリスにとって、両方辛い選択肢だった。
前者は何の解決にもならないし、何より彼女の誇りが許さない。
後者は彼女の望み通りだったが、
それも元はといえば自らの姉の敵討ちがあればこそ。
それが無くなった今、ファルフを討つ理由は無く
それどころかいつまでも斬り合っていたいくらいだ。
迷うシェリスに剣が突きつけられる。
反射的に彼女が見上げると、それの持ち手はなんとファルフだった。
驚く彼女にファルフは言う。
「どうしたんだ?早く立てよ。
俺を斬っちまえば、あいつは助かるんだろ?」
「だ、だが・・それは・・!」
お前が死ぬということだ、と続けようとした言葉は
鼻先で振られた銀色に押し込められた。
「こっちはあんたと斬り合えるんなら文句はねえ。
あの選択肢を聞く限り、あんたには俺とやる以外に無いんだろ?」
一瞬だけだったが、その視線は確かに優しい色を帯びた。
その視線を正面から見据え、彼女の中に一筋の希望が湧く。
直に斬り合った彼女には彼が視線で言ったのが分かったのだ。
「俺[達]を信じろ」と。
それは気分が重いとかそういう意味ではない。
そういう気分の時がないと言うわけではないが、
ともかくこの場合の重いとは違う。
物理的に、重いのだ。
荷物を持っているとか何かに乗られているとかの「重さ」。
「・・ぐ・・」
目覚めて早々に情けないうめき声を出しながら、
それを何とかどかそうとしてみる。
が、ズッシリとした重さのそれは少しも動かせそうにない。
体を動かそうとしても、ぐるぐる巻きになっている為に
やはり動かせなかった。
だから最後の手段に訴えるしかなくなる。
「・・ムウ、起きてるんだろ?退いてくれ。」
すなわちそれ・・ムウに自主的に退いてもらうという手段に。
少々ムスッとして言う彼に、ムウは可愛らしく欠伸をする。
「ふあ・・おはよ、ファルフ。」
問いに対して答えとは言えないものだったが、
起きないときは何をやっても起きない事を知っている彼には、
ムウが起きているというだけでも運がいいと思えた。
そんな幸運に感謝しながら、ファルフは再び彼女に頼む。
「ああ、おはよう。
ちょっと俺の上から退いてくんないか?
このままだと、コトレークに行くどころか部屋からも出られねえ。」
軽く言っているものの、それはファルフの生計に結構響く事だ。
そういう事はムウだけでなく他の者にも伝えてあり、
ワームの中でも珍しく少々理性的なムウには、
殊更効果があることをファルフは経験上知っている。
しかし次の瞬間ムウは
そんな彼の予想など知ったことかと言わんばかりに、
ギュウッとファルフを抱きしめた。
「ん〜・・あとちょっと・・」
だがファルフは動じず、抱きしめてくるムウを抱きしめ返す。
ムウは満足げに顔をにやけさせた後、やっとファルフの上から退いた。
ファルフもベッドから立ち上がり、伸びをする。
伸ばされた腕からポキポキと鳴る音を心地よく思いながら、
彼は未だゆるんだ顔を浮かべるムウに短く訊く。
「満足したか?」
すると彼女はその顔のまま答えた。
「うん!」
恋人同士のそれのように思えるこのやりとりは、
実はファルフの中では習慣化している事である。
最初の内は抱きついてくるムウを鬱陶しくも思い、
力ずくで退けようとしていたのだが怒らせて、
一日中布団の中で抱きつかれっぱなしになり、
その日のギルドの仕事全てを、
休まなければならなくなってしまったことがあったのだ。
(ちなみにガリア達には後日大声で笑われた)
何とかこれに対処できないかと考えていたときに、
偶然仕事で関わったサバトの魔女にアドバイスを受けた。
曰く、
「ワームですよね・・。
子供っぽい所がある種族ですから、抱きついてくるなら
満足するまでさせてあげれば良いと思いますよ。
そりゃあ時間はかかりますけど、一日潰すよりは良いかなと。
そういう相手がいるってだけで羨ましいですけどね。」
それからは、時間がかかろうとも要求に付き合う事にしている。
単純に損得勘定をしたというのもあるが
何だかんだでムウに抱きつかれることは、
別に枯れているわけでもないファルフにとって嬉しかったからだ。
ともあれファルフは今日も無事に起きられた。
心の中であの魔女に感謝しつつ、ムウに訊く。
「お前が来てるって事は・・他の奴も来てんのか?」
「うん!エルダさんもリーヴェも来てるよ。」
それに元気よく即答するムウ。
やっぱりかと諦めのため息を吐きドアに手をかけた瞬間、
昨日エルダとリーヴェの仲が悪かったことをファルフは思い出した。
しかしそれにしては静かだな、とも思いつつドアを開けると
そこには予想外の光景が広がっていた。
「ほほう・・そうくるか・・。
リーヴェ貴様、なかなかに頭が回るな?」
腕を組みながらニヤケ顔で言うエルダ。
「これでないと皆遊んでくれなかったから、それだけさ。
・・そちらこそ妙に慣れてるように見えるぞ。」
対してリーヴェは翼を畳んだ片方の腕を顎に当てながら、
エルダを見ながら軽く笑っている。
その光景にファルフが絶句してしまっていると、
エルダが彼に気付き「邪魔しているぞ」と言う。
言葉の割に罪悪感を全く感じていないように見えるが、
いつもならその言動に「邪魔してる、じゃねえよ全く・・」
などといった言葉で返すだろうファルフも
相当に険悪な雰囲気を予想していただけに
「あ、ああ・・」と抜けた返事しかできなかった。
呆気にとられつつ、
二人が向かい合って座っているテーブルの上を見ると
しましまの正方形のマス目の全てに黒と白の丸石が置かれている。
それを見てファルフは二人が何をしているのかに気がついた。
「・・オセロか?それ。」
「ああ、幸運なことにリーヴェが持っていたのでな。
ちなみに昨日から今で二勝三敗だ。
・・悔しいが、なかなかにやるよこやつは。」
短く訊くとそんな言葉が返ってくる。
どうやら昨日からずっとしているらしい。
欠伸一つかいてない事から、きちんと眠る場所は見つけたようだ。
と、そこまで考えてある疑問が思い浮かぶ。
エルダはどこで眠ったのだろうか。
「・・エルダお前どこに住んでんだ?」
「・・変なことを訊くな、お前は・・。
我はもとより山住まいだぞ?山に決まっておろう。」
おかしい、とファルフは思う。
近くの山はほとんどムウかリーヴェの領域だ。
二人は排他的ではないが、
それでも近くに誰かは住まわせないのではなかろうか。
そう考えているとリーヴェがいきなりフフッと笑い言う。
「エルダが近くに住ませろと言ってきたときはびっくりしたよ。
勿論断ったんだが・・色々あってオセロが得意なことが判ってね。
私もオセロ相手が居なくて寂しかったから、
オセロで遊んでくれるのなら別に良いぞとしたわけさ。」
「そうかい、よかったな二人とも。」
返事をしつつ、ファルフは思う。
ワイバーンとドラゴンという強力な種族の住処が
オセロ一つで隣り合うとは変なこともあったもんだ、と。
(ま、ピリピリした空気がいつまでも続くよりは良いか。)
そう結論づけて台所に向かうと、
そこにはきれいにラッピングされた卵焼きがあった。
ファルフは作り置きなどしない。
ならば誰がこれを作ったのだろうか。
そう思っていると、エルダから声がかかる。
「ああそうそう、我らはもう朝食を済ませたぞ。
卵が余っていたようなのでな、使わせてもらった。」
「え・・これ、お前が作ったのか?」
訊くとエルダは誇らしげに胸を張る。
「そう言っておろうが・・何だ、味が心配なのか?
まあ食べてみるが良い、不味くはないはずだ。」
あんまり自信たっぷりに言うので、一口食べてみた。
口の中に卵の甘い味が広がり、そこに薄く塩の味が入ってくる。
(・・美味いな、これ。
クッソ不味いってのがお約束な筈なんだが・・
これじゃ卵を使われた文句も言えねえな。)
「・・よもや貴様、本当に不味いと思っていたのか?」
そんなことを考えていたのが顔に出ていたのか、
彼女は半眼になり睨んできた。
誤魔化しても意味はないだろうと判断したファルフは白状する。
「・・いや・・その、お前って、結構料理できるんだな。
そういうイメージなかったからよ。」
「ふん、我にかかればこんなものよ。
その、こうでもせねば他の者と触れ合えぬのでな・・。
これを覚えてから少しは親密な者も増えた。」
彼女はそっぽを向き、言う。
その表情は少し照れくさげだ。
(ドラゴンにはドラゴンなりの苦労があるんだな・・)
彼はそう思ったが口には出さず、代わりにその腕を褒めた。
「美味いぜこれ。
作り方、暇なときで良いから教えてくれよ。」
「・・気が向いたら教えてやろう。」
彼女はそう言いオセロに向き直った。
どうやらまだ続けるつもりらしい。
だが今日に限っては続けられると都合が悪かった。
何故ならリーヴェを手伝いとして
コトレークに連れていこうと思い約束していたからだ。
楽しみを邪魔するのは気が引けたが、
仕事を出来なければそもそも生活が成り立たない。
「あー・・悪いんだがエルダ。
今日はリーヴェとコトレークに行くんだ。
今すぐ出たいから、また今度にしてもらって良いか?」
そう言うと真っ先に反応したのは、なんとムウだった。
「リーヴェ、ファルフとデートするの?」
ムウらしい直球の聞き方がエルダに火をつけた。
「何?デートだと。
おいヴーニル、どういうことだ説明しろ。」
「いや、デートとかじゃねえって。
ただ、手伝いをしてもらおうと・・。」
即座に訂正するファルフ。
しかしそれがまた別方向に引火する。
「ファルフ・・まさか私を
単なる労働力として連れていこうというのか?」
「単なるって、そんなつもりじゃねえよ。
一人っつう原則でやってると寂しいってだけだ。
手伝いだったら、何人居ても問題ないはずだからな。」
そしてそれを消そうと、正直な気持ちを吐露するファルフ。
その判断はこの場で最善だったと言えるだろう。
事実エルダとリーヴェは
二人揃って「そういうことなら」と納得し頷いていた。
だがここで純粋なムウの発想が飛び出る。
「ねえ、ファルフ。
何人でも良いんだったら皆で行こうよ。
その方が寂しくなくって良いんじゃないの?」
「・・確かに、その方が早く済むか・・。」
その発想はなかった、とうなるファルフ。
「そういうことで良いか。」彼がそう訊くと
エルダは「構わん」と言いリーヴェも「・・ああ」と返事をした。
準備を終えた竜三頭と人一人という奇妙な四人組は今、
ファルフ宅からコトレークに向かう途中の森を歩いていた。
教団からは魔の森と言われているここは、
ワーウルフやハーピー達が住んでいる、親魔物領にありがちな森だ。
それが何故、魔の森と言われているかというと、
ファルフ宅近くの環境故に、多様な魔物達が来るからなのだが、
ファルフはそんなことは少しも知らない。
最初の頃、街から離れて一人暮らしのファルフが、
教団に目を付けられ良く襲撃されたのだが、
むしろそのお陰で現在はこのあたりの魔物は殆ど夫持ちである。
当のファルフ本人は独身なのだが、
これは言い寄る魔物を上手く彼がかわしているのに加え、
その魔物が環境故か竜族に固まっていて、
他の種族が手を出しにくくなっているのも原因にあった。
とはいえ、コトレークの話や仕事中の出来事を話してくれる彼は
魔物達にとって恋人に出来ずとも、良き友人となっている。
「でね、その時のワーウルフさんの喜びようが凄くって!
これでやっと独身卒業だーッ!って。」
「ハハ、まあ良かったんじゃねえの。
今もよろしくやってんだろ?そいつ。」
「うん、今朝も見てきたけど張り切ってたよ。」
先程も歩きながらハーピーと笑顔で話していた。
そんな彼の様子を見ていたエルダがハーピーと別れてから言う。
「なあ、ヴーニル。
貴様結構このあたりの者と仲がよいのか。」
「ああ、まあな。
これでも長くあそこに住んでっからな。
このあたりの事情はそれなりに知ってるぞ。
さっき話してた奴は三年前にこっちに来て独身。
話の中のワーウルフは二年前に来た奴だ。」
少し自慢げにそう言うファルフ。
いつもの態度とは少し違うその子供っぽい言い方に
エルダが内心微笑ましく思っていると、
いきなり正面で地面がボコッと隆起した。
ムウとファルフ以外がビクッとしていると、
その地面からノームが現れこう言った。
「やっと見つけましたよファルフ。
セレが酒場で待ってるから、とのことです。」
セレとはシルフの寝癖の首領、セレ・ルビスの事だ。
「首領が?」
思わず聞き返すファルフ。
それもその筈である、セレは滅多に下に向けての指示をしないのだ。
気紛れに、どこにでも現れしたいようにする。
そんな首領が名指しで、しかもわざわざ場所を指定してきた。
それだけで、何かあったとファルフが想像するには十分だった。
「・・分かった、ありがとな。」
「ん、ちゃんと伝えましたからね。」
それだけ言うと、ノームはどこかへ行ってしまった。
しかしファルフはもうそんなことは気にしていない。
「行くぞ。」
そうとだけ言うと、先程より早歩きで街への道を進み始める。
エルダ達もその雰囲気の変化を感じ取り、無言でついていった。
(・・妙に騒がしいな。)
コトレークについて、ファルフはまずそう思った。
騒がしいこと自体は別にいつも通りなのだが、
その騒がしさとは何か違うのだ。
言うなれば・・ざわついていると言うのだろうか。
そんな空気を感じながら、酒場に向かっていると
リーヴェから唐突に顔を寄せられる。
間近に迫る鋭くも整った顔立ちにドキッとしたものの、
リーヴェの纏う真剣な雰囲気にファルフも気を引き締めた。
それを確認してから、彼女は話し始める。
「リザードマンがお前を捜してるみたいだ。」
「リザードマン?決闘でもしにきたのか?」
首を振りながら答えるリーヴェ。
「分からんが、そんな微笑ましいものでは無さそうだ。
聞いたところによると、殺気じみたものを感じたらしい。」
殺気。
その単語を聞いた途端、ファルフが少しだけニヤつく。
ファルフも血の気は少ない方ではないのだ。
それを感じ取ったのかエルダが横槍を入れる。
「・・闘おうなどと思ってくれるなよ。
街の中で闘えば迷惑がかかってしまうぞ。」
「分かってるよ、そんなことはしねえ。」
そう答えるファルフ。
考えとしては「全力が出せねえのは嫌だしな。」が大筋だったが。
それを聞いて安心したのか、リーヴェが続けた。
「今、ムウがそいつと話している。
万一喧嘩になってもムウなら大丈夫だろう。
だがムウは嘘をつけないから、
それほど長い時間持たないだろう・・酒場へ急ぐぞ。」
頷きだけで答え、ファルフは酒場へと走る。
「ムウ・フェンサ、と言ったな。
お前、ファルフ・ヴーニルを知っているのか?」
「うん、知ってるよ。
さっきまで一緒に居たんだけど・・」
体からピリピリとした感じを出しながら、
ムウと話す一人のリザードマン。
彼女こそ、「竜殺しのファルフ」を追っていると
コトレークで話題になっているシェリス・ブレーンだ。
ある日とあるクチから、
武者修行に行ったまま行方不明になっていた姉のサラマンダーが
竜殺しによって殺されたと聞いた彼女は、同じ者から
「コトレークに竜殺しがよく出没する」との情報を受けここにいるのだ。
とあるクチとは、変装した教団の女で彼女と話す度に僅かに顔を歪めていた。
いつものシェリスならば気付いていた筈なのだが
動揺していた彼女は気付いていない。
コトレークについた後情報を集め、ファルフ=ヴーニルという男が
竜殺しで間違いないだろう、と確信し捜していた。
そして今、ムウという竜殺しに繋がる者と出会ったのである。
目の前でにこやかに笑うムウの姿を見ながら、シェリスは不思議に思う。
(何故、同族を殺すような男の事を笑って話せるんだ?)
無論これはムウと彼女とで認識に違いがあるからだが、
双方その事には気付かず、話題は今ファルフが何処にいるかに移った。
「・・それで、竜殺しは今何処に居るんだ?」
「ん〜・・酒場に行くって言ってたから多分酒場じゃないかな。」
もとより人を騙すのが得意でないムウは、正直に答えた。
「そうか・・ありがとう!では!」
聞くが早いかシェリスは酒場へと駆けていく。
取り残されたムウは、一人こぼした。
「・・ファルフがそんな事する訳無いんだけどなあ。」
一方、ファルフは酒場でセレやガリア達と話し込んでいた。
話題は勿論シェリスのことだが一歩踏み込んだ箇所となっている。
すなわち教団の話だ。
ギルドの情報網をもってすれば、
彼女に教団が情報を流した事などすぐに分かった。
そして、その教団の五百を超える兵達が
この街の西門近くの平原に野営地を作っていることも。
「問題は、それをどう利用するかって話〜。」
全く緊張感の感じられない口調でセレが言い、それに頷く面々。
それはその情報が分かった時に全員が考えたことだったからだ。
「なあ、俺に一つ考えがあんだがよ」
ガリアがニヤニヤとしてファルフを見ながら言う。
その時点でファルフは彼が何をさせようとしているのか、大体分かった。
「ファルフを囮にして、教団を引きずり出して潰すってのはどうだ?」
そして紡ぎ出されるファルフにとって予想通りの言葉。
五百に対して一人を囮にするというのは、一見薄情かつ残酷に思える。
だがファルフはそんなに弱くないし、彼自身も負けるつもりは毛頭ない。
だから、その場の全員が頷くのは当然だった。
「・・で、その囮となる要のリザードマンは今何処に居るのだ?
そやつが居なければ教団は引きずり出せまい?」
エルダが腕組みを解かずに目を閉じたまま言う。
「それに関しては問題ないよ〜、だってもう来てるもん。」
そう返して扉の方を見るセレ。
それとほぼ同時に一人のリザードマンが走って入ってきた。
それも大きな剣を横に構えながらだ。
「竜殺しッ!何処だ!」
入ってくるなりそう叫ぶリザードマン。
「へいへい、ここだよ・・何の用なんだって、うおっ!!」
答えて歩いていったファルフに彼女はいきなり斬りかかった。
縦一文字に振り抜かれたそれを後ろに飛び回避するファルフ。
「いきなり斬りかかるってお前、ちょいと卑怯じゃねえか?」
言葉とは裏腹に楽しそうに笑うファルフ。
対してリザードマンは舌打ちをした後剣を構え直し言った。
「人の姉を殺しておきながらよくもそんなことを言えたものだ!」
「で、あんたは敵討ちってわけか・・随分と姉思い、なんだな!」
対して身に覚えがない事はあえて言わずに、
扉の外へ向かって駆け出すファルフ。
勿論シェリスがそんな事を許すわけはない。
すれ違いざまに再び剣を横一文字に振り抜く彼女。
だがファルフは間一髪でそれをかわし、
平原へ繋がる西門の方向へと全速力で走っていった。
シェリスもそれを追いかけていく。
「く・・待てッ!竜殺し!」
ファルフ達が走り去ったしばらく後、ガリアは口を開いた。
「さて、上手い具合に平原に行ってくれた訳だが・・
ここで一つ質問だ、首領。
奴ら、バカ正直にファルフに全軍を傾けると思うか?」
対してセレは少しの間目を閉じ、その開けると言った。
「まあ良くても半分だろうね。
だって、いくらこっちの主力の一人を倒すチャンスがあっても
二方向から攻め込める敵の本拠地もあるんだよ?
一方はファルフがチャンバラしてるけど、
もう一方の東門はあいつ等の認識からすればがら空き。
だから、攻めてくれば東を堅めにする必要が・・」
そこまで言って彼女は入り口の方を弾かれたように見て、叫んだ。
「マスター!お帰り!!」
その声に他の者も入り口を見る。
すると一人の男が、まさに風を切って入ってきた。
そのスピードにセレ以外は圧倒されたが、セレは続ける。
「どうだったマスター、やっぱりあいつら東門から?」
「ああ、東にもう一個簡易基地を作ってた。
数も結構居て・・三百は居たっけな。
それとよ、リザードマンとファルフがもう始めてた。」
マスターと呼ばれた男は、息を切らせた様子もなく答える。
そしてセレにさえ口を差し込む暇を与えず、続けた。
「のんびりしてる暇は無い。
今計算してみたが、奴らは後ちょっとすれば東門に来る。
セレ、行くぞ。」
「はい、マスター!」
言うが早いか、酒場から出ていくセレ達。
エルダとリーヴェもそれを追おうとしたのだが、
東と西の分かれ道でベルガに止められた。
「あんたらは、自分のしたいようにやりな。
例えば・・竜殺しを助けに行くとかね。
こっちは心配しなさんな、
鬼とそれを惚れさせた男が居るんだ、負けねえよ。」
そう言われては、流石のエルダも止まる他ない。
しばし考えた後に、エルダは「分かった」と頷く。
それを満足げに見た後、ガリアと共に彼女も駆けていった。
エルダは西門へと走っていったが、
リーヴェは未だに東門を見ていた。
もし、ガリア達が負けでもしたら。
そう思うと西門でのうのうと待っている訳には、と考えてしまう。
そこにムウがやってくる。
彼女は事情をリーヴェから聴くとこう言った。
「・・じゃあ、ファルフを助けにいこうよ。
ファルフは強いけど、疲れてたら大変かもしれないでしょ?」
ファルフが負けることなど微塵も考えていなかったリーヴェは、
その言葉にハッとなる。
(そうだ・・あちらは四人いるが、
ファルフはエルダとムウを入れても三人しかいない。)
そこまで考えた時、彼女は「ムウ、行くぞ!」と叫びながら既に飛んでいた。
所変わって平原。
西門から少し離れた箇所で、剣士同士が舞っていた。
一方は型通りで単純だが、それ故に規則正しく美しい。
もう一方は打って変わって型破りで複雑だが、
囚われぬその動きは剣士で無くとも見入るに値するものだ。
今も真正面から突き込まれた銀色を、
同じく逆手に持たれた銀色が受け流していた。
受け流された方は少しだけバランスを崩し、
受け流した方はそれを見逃さない。
勝負を決めるべく、素早く背後に回り込み背を斬ろうとするが
持ち手が飛び退きそれは行われなかった。
それすらも上回る速さでしなりのある尻尾が振り抜かれたのだ。
距離が開いた二人・・ファルフとシェリスは互いに睨み合った。
そして、ほぼ同時に思う。
(こいつ・・おもしろい!)
ファルフは笑顔を浮かべながら、シェリスはきつい視線を向けながら。
ファルフにとって単純に剣で張り合える相手は久しぶりで、
シェリスにとって、これほどに手強い者もまた久しぶりだったからだ。
「ここまでとは思わなかったぞ・・竜殺し。」
「そっちこそだ、てっきり粋がってるだけかと思ったぜ。」
「ふ、減らず口を・・!」
そこまで言って、足に力を込めるシェリス。
迎え打つべく右に剣を、左の魔界銀の手甲を前に構えるファルフ。
極限まで研ぎすまされた精神の乗った視線は交差し「互いの後方」へ向けられた。
二人が交差した次の瞬間、二つの人影が崩れ落ちる。
しかしそれは彼らではない。
崩れ落ちたそれの一つに、ファルフの剣が向けられる。
「・・教団ってのは、真剣勝負にも水を差す無粋な奴らなのか?」
「失礼失礼・・うちの者が迷惑をかけたな。」
怒りのこもったその言葉に答えたのは、倒れたそれではない。
言葉の方向へシェリスとファルフが視線を向けると、
そこには彼らの周りを囲んだ大勢の教団と、鉄格子に入れられたサラマンダーが居た。
それを見てシェリスは思わず声を上げる。
「ゼ・・ゼルナ姉さん!」
それを聞いて驚いたのは、ファルフだ。
「ゼルナ、だと?まさか、ゼルナ・ブレーンか!」
何故ならゼルナ・・それもサラマンダーと言えば、
剣を使う者なら誰もが一度は耳にするものに「狂炎のゼルナ」という名前があるからだ。
「な・・ファルフ貴様・・いや、姉さんは此処に・・?!」
それを聞いてさらに混乱するシェリス。
それもその筈、シェリスはファルフが自らの姉を殺した
とばかり思っていたのだから。
それを見ておもしろそうに高笑いする教団の男。
傍らには、シェリスが見たのと同じ女が居る。
「クク・・驚きを隠しきれんようだな、シェリス?」
「では、私は・・!」
騙されていたのだと分かり、愕然とするシェリス。
そんな彼女に男は更なる追い打ちをする。
「さて・・シェリス・ブレーン。
この状況で貴様がとれる行動は二つだ。
降参し、この姉と一緒に檻に入るか。
もう一つは、竜殺しを殺す代わりに姉を助けてと言うか。
どちらも考えてやらんことはないぞ?」
それはシェリスにとって、両方辛い選択肢だった。
前者は何の解決にもならないし、何より彼女の誇りが許さない。
後者は彼女の望み通りだったが、
それも元はといえば自らの姉の敵討ちがあればこそ。
それが無くなった今、ファルフを討つ理由は無く
それどころかいつまでも斬り合っていたいくらいだ。
迷うシェリスに剣が突きつけられる。
反射的に彼女が見上げると、それの持ち手はなんとファルフだった。
驚く彼女にファルフは言う。
「どうしたんだ?早く立てよ。
俺を斬っちまえば、あいつは助かるんだろ?」
「だ、だが・・それは・・!」
お前が死ぬということだ、と続けようとした言葉は
鼻先で振られた銀色に押し込められた。
「こっちはあんたと斬り合えるんなら文句はねえ。
あの選択肢を聞く限り、あんたには俺とやる以外に無いんだろ?」
一瞬だけだったが、その視線は確かに優しい色を帯びた。
その視線を正面から見据え、彼女の中に一筋の希望が湧く。
直に斬り合った彼女には彼が視線で言ったのが分かったのだ。
「俺[達]を信じろ」と。
14/03/12 21:58更新 / GARU
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