…かわいいやつだ
「…えっ?」
私は、騎竜候補ではない。
そう伝えた瞬間目の前の青年は絶句した。
その顔は正直、哀れにすら感じるほどだ。
…だろうな。
それが私の感想だった。
「言ったとおりだ、私は騎竜候補生ではないんだよ。」
が、聞き違いにされてもう一度聞かれるのも面倒くさいのでもう一回告げる。
すると青年…ガーレイだったな…はやはりショックを受けた顔をした。
まぁ、若気の至りでここに来てこれでは、そうもなろう。
「そう…なんですか…」
しかし、私はここでおっ?となる。
意外にこの青年が、事実を受け止めていたからだ。
無論先程の悲しそうなままではあったが。
…意外に、冷静な所もある、か。
「まぁ、そうだな。」
相槌を打ちつつ、私は考える。
…ここに彼を紹介したのは、ラスティだったな。
私の昔からの友達かつ飲み仲間。
掴み所のない笑みをいつも浮かべている、飄々男。
しかしながら考えなしには動かない。
何かをするときは、絶対に幾らかの算段を持ってやる男だ。
…となれば、今回も何か意味があると見ていい。
「じゃあ、あの、あんまりここにお世話になるわけにはいかないですね…」
と、ガーレイがそう言う。
言葉通り申し訳なく思っているのが分かる顔だ。
確かに、私がここでお世話にならせる意味も理由も無い。
…普通ならば。
「いや、構わんよ。」
そして私は普通ではない。
この際、この青年にとって幸か不幸かは置いておくとしよう。
「え、でも…」
「遠慮などするな、そんなことをしたところで他にあてもないんだろう?」
遠慮するガーレイ。
だが私は離れることを妨げた。
これがラスティの意図であることに付け加えて、あることを思い出していたからだ。
…それはこないだラスティと飲んでいた時のこと。
「ねぇ、シェール。
竜騎士とか興味ない?」
「ん…っ…ん、ああ…いや、あまり興味はないな。」
「けど、彼氏とかは欲しくないのかい?」
「彼氏か…まぁ、確かに欲しくはあるが。」
「だったらもっと毎日街に出なよ、こんなところで篭ってないでさ。
君は美人なんだ、引く手数多だと思うけど?」
「んー…っく。
そうガツガツと来られてもなぁ…私は静かなのがいい。」
『確かに欲しくはあるが』
私があの時ああ言ったから、ラスティがここに連れてきたとしたら。
そう考えれば全てに納得がいくというものだった。
「…え、ええっと…」
この青年が、あまりうるさそうなやつじゃないのも。
ラスティが私にこいつを紹介したのも。
そして…住まわせることを提案したのも。
「んーそうだな…」
それを踏まえ、考える振りをしつつ改めてガーレイを見てみる。
まず思ったのは、優しそうな目をしているということだった。
皺がそこそこの気持ち縦長の顔と合わさって、
若々しさと少しばかりの未熟さを演出している。
一言でいえば…まさしく青年というところか。
体つきは机の下にあって今は良く見えないが、
先程話していた時に見たものはまぁまぁ悪くなかった。
まぁ魔物娘にとってあまり大切でない所だしこれはいいだろう。
肝心の性格は…人並みの遠慮、思慮、それに、あまりうるさくもなく。
事実を受け止める落ち着いた部分もあったな。
堅苦しく思えたところもあるが、まぁ初対面故の緊張もある。
若々しくて微笑ましいそれは、慣れてくればどうにでもなるものだろう。
ふむ…他の奴の臭いも…ついていない。
誘惑の一つ二つはされたかもしれないが、それでもお手つき無しのいい匂いだ。
と考えるうちに、こう至る。
このガーレイという青年…私にとって、かなりの上物だな?
「うん…」
そう思った途端、私の心は変わった。
泊めると言った手前とりあえず面倒は見てやろう、から、
なんとしてもこの青年をモノにしてやろう、へと。
そして、そう思うと全てを活用するために頭が働くものだ。
「…竜騎士になるのならワイバーンと触れ合っておくのも悪くはないだろう?
付き合い方を覚えておく、後々のための経験値だ。」
そう、こんなことを咄嗟に言ってしまえるくらいには。
「え…まぁ、確かにそう、ですけど…」
歯切れ悪く答えてくるガーレイ。
正論のように感じる部分と、申し訳ないという部分の間で葛藤しているのだろう。
だが…人間というもの、易い方都合の良い方へと傾きやすいものだ。
事実彼の言葉には、
「頼れるなら、頼ってしまおう…かな…?」
というような雰囲気も薄ぼんやりと漂っている。
…ふ、後一押し、か。
口の端が持ち上がりそうになるのを内心のみに留める。
さて、となれば後は…
「それにな。」
私は体を無意識に持ち上げ、顔をガーレイと至近でつき合わせる。
とある事をするためだ。
「え、えっ…?」
狼狽するガーレイ。
私のそれと交わった視線は、小刻みにフルフルと揺れている。
…かわいいやつだ。
嗅ぎなれない女性の香りにだろう狼狽する青年に、心が躍る。
これは、ますます逃すわけにはいかないな。
そんなことを思いながら、笑いつつ私は告げた。
「静かなのは好きだが…それもそれで寂しいんだよ、やはり。
かといって毎回街に繰り出すのも面倒だから、丁度良いと思ってな。」
止めの一言。
私に言わせれば、そういったところ。
先ほどのは方便…うそである。
実際ワイバーンと付き合って経験値程度で済むわけがないのだからな。
だが、それだけであれば大げさだったりどこか嘘くさいものが…
本音を混ぜることで途端に現実味が増す。
本能的に嘘と真を感じ取れる未熟故に瑞々しい感覚が見せる幻影と錯覚。
この場合はガーレイの、『頼る』という感覚が、
私の我が儘を『叶える』というそれにすり替えられるのもある。
実際、寂しいのも事実だし、面倒なのも本当だったから、
私としても何も恥じる事など無い。
まぁ、ここまでくればこの青年の断る意志など容易く押し流されていくだろう。
「えと…じゃあ、お願い…します。
シェール・ガランさん。」
しかして目論見通り、ガーレイはそう言ってくる。
「ああ、こちらこそだ、ガーレイ・ロック。」
まずは、第一段階、確保完了…だな?
返事をしながら私は、心で勝利の美酒の匂いを味わっていた。
飲むのは…まだお預けだ。
待てば待つほど、おいしいだろうからな。
さて。
魔物娘的には家にお気に入りを招き入れることに成功したなら襲っても問題はない、のだが。
「ここだ。」
「へぇー…どんな店なんです?」
「酒も美味い、飯も美味い。
まぁ、聞こえてくる惚気話が偶に甘ったるすぎるくらいの時もあるがな。」
私はそれをせず、ガーレイと共に夜の街を歩いていた。
理由は、まぁ待てば待つほど、というのもあるのだが。
恋愛、というものがしてみたい。
…一言で言うならこれに尽きた。
「へぇ。」
「少々うるさい時もあるがまぁ度は過ぎないな。」
「確かに…漏れてくる音もうるさすぎるようなことはないですね。」
「だろう?おかげで行きつけだ。」
恋愛がしてみたい。
話しながら私はそのことについて考えていた。
まず、間違いなく私の我が儘だろうな。
何せ私はワイバーン…魔物娘だ。
であるからして、体を使えば一発でこのガーレイという青年をモノに出来るのは考えるまでもない。
が、しかし…だ。
「…じゃあ、入ります?」
「本当に美味いからな、覚悟しておけよ?」
「ぇ…ふ、はい、そうします。」
竜騎士になろうとして数々のアクシデントに見舞われつつも、
たどり着いた先の私の言葉に、
笑みと敬語で返してくれるこいつを、体で陥落させるのはなんというか…
とてももったいなく感じるのもまた確かなのだ。
ガーレイの心はとても暖かく、そして触れる度に心地が良い。
正直ずっとそうしていたくなるくらいには、だ。
その温かい心が、触れ合いの中で私に傾けてみるのも悪くない、と思わせた。
幸いながらその環境は整っている。
そして、いざとなれば襲う事の出来る環境だ。
勝利に限りなく近い戦いとでも言おうか。
無論、慢心はしないが。
「では、行くか!」
と、そういうわけで私は行きつけの店に彼と共に行く事にした。
名を名乗るときは自分から、というように、
心に触れたいから、まずは自分の心の拠り所をこちらから見せることにしたのだ。
………
……
…
したのだが。
「っ…んくぅ…っ…はぁ…」
「んー…ガーレイ、お前弱すぎないか?」
私は現状に、そんな言葉を口から出してしまっていた。
事情を説明しよう。
まずこの酒場、タマミツ亭にガーレイと入り。
「あら…ふふ、ついに彼氏さんができたのかしら?」
「生憎、違うな。」
そして入るなり店主の妖狐にからかわれ、その後少し話した後に席へと座り。
「では、乾杯だ。」
「あ、はい…いただきます。」
そして、色々と頼んで飲み始めたまでは良かったのだが…
「…だって…っ、シェールさん、飲むの速すぎですよ…」
「そうか?まだ5、6杯だろう?ここのは弱めなんだぞ?」
「あー…ぅー…」
ここに来て、そういうわけである。
料理を全て平らげた後だったというのは幸いか。
ん…?弱いとは聞いてはいた、だがしかし…
と、私は少し気になることを思いつく。
「なあ、弱いのなら無理に飲まずとも良かったじゃないか?」
「ー…?」
これだ。
ガーレイは思考が出来ない男ではない…と認識している。
自分がどれくらい飲めるのかも分かっているはずではないか。
そう思っての質問、対して彼は口を開いた。
「シェールさんが、飲め飲めって流し込んだんじゃないですか…ぅ…」
「…そうだったか?」
「そうです!…ぐ…」
やや恨めしそうな表情だ。
…そんなにぐいぐい勧めただろうか…?
…と、そんなことを考えている場合ではないな。
言い切り呻くガーレイを見て、考える頭を切り換える。
「まぁ、それは悪かったよ。
…しかし、大丈夫か?」
「…あんまり、です…ね…ちょっと、意識が…」
答えるガーレイ。
俯いてほとんど動かないところを見ると、相当のようだ。
観察しつつ、尋ねる。
「大丈夫…ではないようだが、吐き気はあるか?」
「いえ、吐き気は…ただ、ちょっと…」
「…眠いか?」
言葉の先を遮り再び訊く。
吐き気でないなら、度を越した飲酒が招くのはそれだからだ。
「はい…意識が…少し…」
「ふむ…」
返ってきた言葉を聞くにどうやら当たりだったらしい。
今にも沈みそうな雰囲気も纏っている、限界も近そうだ。
…あまり無茶はさせない方が良いか。
「寝ると良い、起きているのも辛いだろう?」
そう思い声をかける。
自覚はなかったとはいえ、私がこうさせてしまったらしいとなれば尚更だ。
「…はい…じゃぁ、ありがたく…ぅ…ん…」
と、大人しくガーレイが意識を落とし、寝息を立て始めた。
すぐに寝入ったところを見ると、相当に無理を強いていたようだ。
…少々反省だな。
「ああ、おやすみ。」
もっと話したかったが…自業自得というのだからそれは我慢するとしよう。
声をかけつつ、思う。
しかし…
「ん…ぅう…ん…」
「ほう…」
ガーレイの寝顔、いや正確には寝姿を見る。
その肩は、穏やかに上がっては下がりを繰り返していた。
見ているだけで癒されるものだったが、逆に言えばそれくらいしか分からなかった。
何せその顔は枕代わりの自身の両腕に乗せられているし、
その角度もほぼ真下を向いているときているからだ。
見えるのは精々額までといったところ。
「…」
それでも何とか見えないだろうか、と首を伸ばして近づいてみる。
見えるのは相変わらず、こいつの青髪。
もっと大きく動いてみなければダメそうだ。
「んー…」
そう思い、今度は上半身を近づけてみる。
腕を立てて支えにし、振り子のように体を持っていく。
首筋が見えるくらいにまで顔を近づける…
「んー…?」
が、見えない。
やはり顔が完全に下を向いているのがきつい。
…しかしそれはさておき。
「ん…」
いい匂いだな、ガーレイは。
近づいた拍子に私は自然と鼻をきかせ、そんなことを思っていた。
汗臭すぎるわけでもなく、かといって小綺麗なお洒落な臭いでもなく。
甘いだとかどことなく焦げ臭いだとかいう言葉では表しきれず、
むしろそれら幾つもの要素が織りなして人肌より醸し出される…
無臭に見えて微かに香る、そんな独特の匂いだ。
「ん、ん…」
無臭に見える、とさえ思った通りそれは本当に微細。
ややもせずとも充満する酒や料理の匂いに容易くかき消されてしまう。
だから、自然と私の顔は更に彼に近づいていく。
もっと近くで、微細を出来る限り濃厚に、と。
「ん…」
半ば欲望の赴くままに体が勝手に動き、
そしてついに、鼻が彼の首筋に触れるくらいにまで近づいたそのとき。
ぽふっ。
「…ん?」
私の両頬に、突如としてそんな感触が触れてきた。
目を動かして見ればそれは金じみた黄色、
そして伝わってくるのは恐ろしく心地の良い、眠気すら誘いそうなもふもふ。
この時点で私はそれをした犯人に目星をつける。
だが、それすらもこの場では必要なかったらしかった。
何故なら…
「…ふふ、ごめんなさいね、随分と熱心にしていたからつい。」
その人ならぬその妖狐、タマミツ亭の店主ミツネの声が語りかけてきたからだ。
「ふぅ…しかし、相変わらずの性悪だな。」
「あらそうかしら…と、ねぇお隣良いかしら?」
「ん、ああ…別に。」
「そ、んじゃ、失礼して…と。
すいませーん、こっちにもお酒ちょうだーい?この人と同じので良いわー!」
「…」
少々の後。
文句やら言い訳やらで会話をした私とミツネは今、隣り合って飲んでいた。
向こうに座るガーレイは変わらぬ寝顔だ。
…私よりもミツネの方が近い座り位置なのはやや気に食わないが、まぁ良いだろう。
「んっ、んぅく、んっ、んはぁあ〜…いやぁー良いわねぇやっぱり!」
「相変わらない無遠慮ぶりだな…」
「あら、私はここの店主よ?つまりここは私のものっ♪あ、魔界鳥揚げおねがーい!」
「かしこまりました!お待ち下さいー!」
「…」
そんな私の考えなど知らずに、ミツネは元気一杯に返しつつ注文する。
もう何も言う気も起きない程聞いた事なので、私はもういっそ無視してコップを傾けた。
「ふー…んー、こっちは反応無いのね…少し残念。」
すると彼女は今度は、テーブルに指でのの字を書き始める。
構って欲しいと、その態度は明らかに言っていた。
顔にどことなく陰を纏わせ、ご丁寧に五本の尻尾までしょんぼりと情けなく垂れ下げている。
元が美人なだけに、そこらの男ならば構わずには居られないだろう魔性の憂いだ。
魔物娘である私からしてもそう表現できるが…
「はい、お待たせしました。」
「んっありがとっ!」
注文した品が来た瞬間その憂いを投げ捨てかぶりつくのを知っている身としては、
それに心奪われろというのが無理な話だ。
まぁ…
「はむっ、ん…んー、おいしーい!この噛みごたえと肉汁が…」
しなやかな細指で口に持っていき、満面の笑みと共に尻尾を動かし歓喜の声を上げる。
そんな、艷やかな姿に見合わぬ無邪気な喜び様もまた男を魅了出来るのだから、良いのかもな。
うるさいのが苦手な私が、一緒に居て悪くないと思うくらいだ、きっとそうなのだろう。
横目で見つつ、そんなことを思う。
「んぐっ、んっ、はぁー…あ、そうそうシェールちゃん。」
と、満足したらしいミツネが話しかけてくる。
あれだけ美味しそうに食べていながら、肉片どころか油一つつけていないのは流石というべきか。
舐めとったのかもしれないが。
「なんだ?」
そんな事は置いておいて、質問を促す。
すると彼女は、突如こんなことを言ってきた。
「この子とはどういう関係なのかしら?恋人ではないと言っていたけれど。」
「ん…まぁ、そう遠くない未来の夫、とでも言っておこうか。」
いつものからかいか?と思ったが、
一瞬だけきょとんとした辺り、この質問は純粋な疑問のようだ。
などと思いつつ私は答える。
その言葉は、何も考えずともすらすらと出てきていた。
「あら…ふふ、ワイバーンにしては珍しいのね。
てっきり、今から家に持ち帰って夫にする、なんて言うかと思ってたけれど。」
ミツネはそう言って口元に手を寄せ微笑む。
その目は露骨に笑っている…からかう気を隠す気もないようだ。
「…おかしな話だとは思うさ。
とっ捕まえてすぐさまにでも犯し抜いて自分のものにするのがワイバーンのあり方だからな。」
まぁ…と語りつつ自分で酒を注ぐ。
ミツネはというと、そうね、とだけ返してくれた。
先にまだ話したいことが残っているのを分かっている、柔らかな肯定。
その真剣になった雰囲気をありがたく思い、私は続ける。
「だが、それではもったいないだろう。
私をそこまで意識しない内の魅力は、その時点でほぼ永久に見る機会が失われるんだからな。」
「あら、それは強者の理屈よ?」
言い終わったところで彼女は割り込んでくる。
だがやはり、その顔にはからかいの笑みが浮かんでいた。
恋愛論を酒のツマミにするつもりの割り込みのようだ。
そう結論づけて、私は会話を続ける。
「強者の理屈、か。」
「ええ、だってそれは…ね?
頑張って容易く手に入るものをわざわざ遠回りしてるように聞こえるもの。
手に入れられるかどうかでやきもきしてる私みたいな若ーい娘もいるのに、
手に入る事を前提として、その過程を楽しむと言っているのでしょ?」
「…ああ、そうだ。」
「んっ…あら全肯定?他の誰かに奪われちゃうかもしれないのに?」
「同棲しているんだ、そうなりかけたときはその時だ。」
「へぇー?ま、連れ去られたりしたら辛そうだけどね。」
「んくっ…ん?そんなことはさせない、もしそうなったら私が止める。」
「あらおっかない…」
「だろう?だから大丈夫だ…」
「そうね…あ、そうそう、大きな魔界猪が…」
「ほぅ、それは…」
「でね…」
話が続く。
話題はコロコロと変わったが、楽しさは変わらない。
何より、なじみである故の気軽さがそこにはあった。
だからだろう。
…………………
「では、またのお越しをー!」
「またな、ミツネ。」
閉店時間は瞬く間に迫り。
………………
「…帰ってきた、か。」
今私は我が家の扉を開けていた。
帰るときにミツネに乗せてもらったガーレイを背負いながらだ。
童貞の男を背負いながら夜道を一人で歩く、というのは些か魔物娘的には危険であったが、
噂の、童貞置いてけ、なるものも出現することもなく無事に帰ってこれた。
「んぅー…すぅー…」
ガーレイはというと、未だに寝ていた。
あのうるさいミツネやそれに感化された私の話のすぐ横で寝ていて、
しかもここまでは背負われつつの移動。
多少なりとも目を覚ましそうなものだが…まぁ、いい。
そのおかげで、この穏やかな寝顔を見ることが出来たのだから文句は言うまい。
「…」
さておき…少しは、片付けたほうがいいだろうか?
そんな事を考えつつ部屋の中を歩く。
私はこれでも構わないのだが、ガーレイが歩きづらいといけないだろう。
…それで離れられる、というのもないわけではないのだからな。
「考えておくか。」
口に出しつつ、ガーレイの部屋となる物置きの扉を開ける。
「…酷いな。」
つい、そう口に出してしまうほどの有様だった。
辛うじてベッドは綺麗に保たれているものの、
それ以外はガラクタ…
飲み終わった樽やら瓶やら、いつ押し込んだのやら分からないひび割れた箱やら。
その他も色々と…まぁ良くもここまで散らかせたな。
木造りが大半だから、暖を取る道具として詰め込んでたのだろう、きっと。
それはさて置いて。
正直、ガーレイでなかったとしても誰かをここに寝かせようとは思えない。
「…」
ならばと考えるまでもなかった。
足を動かし、自分の部屋に入る。
目に入るのは、ベッド、机の上の小物入れ、窓…
まぁ無骨、と表現できるくらいには片付いていた。
これならば、寝かせても問題はないだろう。
「っ、と…」
布団をめくりガーレイを降ろし、掛け布団をかける。
それだけの動作を、出来る限り優しく起こさぬように心がけて行なっていく。
それだけ、だったが、必要以上に気を使ってしまっていた。
「んっ…ぅ…ん…」
「…!」
それを分かったのが最後の布団をかける動作の際、そんな声を聞いた時だ。
起きてしまったか、と不安になるが…
「ん…ぅすー…」
直後の寝息でそれが杞憂だと分かり、そして気付いた。
自分がガーレイの穏やかな寝息をどれだけ大切に思っていたかに、改めて。
「…ふ。」
ワイバーンには、あまりに似合わないし、
また私というワイバーンにしても、そんなに気を使うのは得意ではないだけに笑ってしまう。
強者の理論を振りかざし、またそれだけの余裕を自覚していたのだが、
ガーレイ・ロックという青年に、私は慣れないことすらさせられてしまっていたらしい。
恋はなんとやら、とはよく言ったものだ…
「すぅ…ん、ぅ…」
そのガーレイの寝顔を見る。
帰り道でも見たが、じっくり見るとやはりなんというか落ち着く顔だ。
目を閉じ、唇からは穏やかに寝息が漏れて…
「っ、いけないいけない…」
言いつつ、ややもすればこのまま彼に襲い掛かりそうな自分を律する。
無論そうしても悪いわけはないが、やはりそれでは面白くないのだ。
そう考えながらも、やはり収まりのつかないのもあって私は、
ベッドに一歩近づいて尻尾を動かし、その額に当ててみた。
敏感なそこから伝わってくるのは、微かな上下運動と柔肌の暖かさ。
少々物足りなさも感じるが…
逆にそれが、この程度ならば今許される範囲だろうとも思わせてくれた。
「…おやすみ。」
少しの間それを堪能して尾を退けた後、私はそう言ってその場を後にする。
やることが出来てしまったからだ。
「さて…片付けてくるか。」
脳裏に大量のガラクタを思い浮かべつつ、呟く。
…寝るのはもう少し後になりそうだった。
私は、騎竜候補ではない。
そう伝えた瞬間目の前の青年は絶句した。
その顔は正直、哀れにすら感じるほどだ。
…だろうな。
それが私の感想だった。
「言ったとおりだ、私は騎竜候補生ではないんだよ。」
が、聞き違いにされてもう一度聞かれるのも面倒くさいのでもう一回告げる。
すると青年…ガーレイだったな…はやはりショックを受けた顔をした。
まぁ、若気の至りでここに来てこれでは、そうもなろう。
「そう…なんですか…」
しかし、私はここでおっ?となる。
意外にこの青年が、事実を受け止めていたからだ。
無論先程の悲しそうなままではあったが。
…意外に、冷静な所もある、か。
「まぁ、そうだな。」
相槌を打ちつつ、私は考える。
…ここに彼を紹介したのは、ラスティだったな。
私の昔からの友達かつ飲み仲間。
掴み所のない笑みをいつも浮かべている、飄々男。
しかしながら考えなしには動かない。
何かをするときは、絶対に幾らかの算段を持ってやる男だ。
…となれば、今回も何か意味があると見ていい。
「じゃあ、あの、あんまりここにお世話になるわけにはいかないですね…」
と、ガーレイがそう言う。
言葉通り申し訳なく思っているのが分かる顔だ。
確かに、私がここでお世話にならせる意味も理由も無い。
…普通ならば。
「いや、構わんよ。」
そして私は普通ではない。
この際、この青年にとって幸か不幸かは置いておくとしよう。
「え、でも…」
「遠慮などするな、そんなことをしたところで他にあてもないんだろう?」
遠慮するガーレイ。
だが私は離れることを妨げた。
これがラスティの意図であることに付け加えて、あることを思い出していたからだ。
…それはこないだラスティと飲んでいた時のこと。
「ねぇ、シェール。
竜騎士とか興味ない?」
「ん…っ…ん、ああ…いや、あまり興味はないな。」
「けど、彼氏とかは欲しくないのかい?」
「彼氏か…まぁ、確かに欲しくはあるが。」
「だったらもっと毎日街に出なよ、こんなところで篭ってないでさ。
君は美人なんだ、引く手数多だと思うけど?」
「んー…っく。
そうガツガツと来られてもなぁ…私は静かなのがいい。」
『確かに欲しくはあるが』
私があの時ああ言ったから、ラスティがここに連れてきたとしたら。
そう考えれば全てに納得がいくというものだった。
「…え、ええっと…」
この青年が、あまりうるさそうなやつじゃないのも。
ラスティが私にこいつを紹介したのも。
そして…住まわせることを提案したのも。
「んーそうだな…」
それを踏まえ、考える振りをしつつ改めてガーレイを見てみる。
まず思ったのは、優しそうな目をしているということだった。
皺がそこそこの気持ち縦長の顔と合わさって、
若々しさと少しばかりの未熟さを演出している。
一言でいえば…まさしく青年というところか。
体つきは机の下にあって今は良く見えないが、
先程話していた時に見たものはまぁまぁ悪くなかった。
まぁ魔物娘にとってあまり大切でない所だしこれはいいだろう。
肝心の性格は…人並みの遠慮、思慮、それに、あまりうるさくもなく。
事実を受け止める落ち着いた部分もあったな。
堅苦しく思えたところもあるが、まぁ初対面故の緊張もある。
若々しくて微笑ましいそれは、慣れてくればどうにでもなるものだろう。
ふむ…他の奴の臭いも…ついていない。
誘惑の一つ二つはされたかもしれないが、それでもお手つき無しのいい匂いだ。
と考えるうちに、こう至る。
このガーレイという青年…私にとって、かなりの上物だな?
「うん…」
そう思った途端、私の心は変わった。
泊めると言った手前とりあえず面倒は見てやろう、から、
なんとしてもこの青年をモノにしてやろう、へと。
そして、そう思うと全てを活用するために頭が働くものだ。
「…竜騎士になるのならワイバーンと触れ合っておくのも悪くはないだろう?
付き合い方を覚えておく、後々のための経験値だ。」
そう、こんなことを咄嗟に言ってしまえるくらいには。
「え…まぁ、確かにそう、ですけど…」
歯切れ悪く答えてくるガーレイ。
正論のように感じる部分と、申し訳ないという部分の間で葛藤しているのだろう。
だが…人間というもの、易い方都合の良い方へと傾きやすいものだ。
事実彼の言葉には、
「頼れるなら、頼ってしまおう…かな…?」
というような雰囲気も薄ぼんやりと漂っている。
…ふ、後一押し、か。
口の端が持ち上がりそうになるのを内心のみに留める。
さて、となれば後は…
「それにな。」
私は体を無意識に持ち上げ、顔をガーレイと至近でつき合わせる。
とある事をするためだ。
「え、えっ…?」
狼狽するガーレイ。
私のそれと交わった視線は、小刻みにフルフルと揺れている。
…かわいいやつだ。
嗅ぎなれない女性の香りにだろう狼狽する青年に、心が躍る。
これは、ますます逃すわけにはいかないな。
そんなことを思いながら、笑いつつ私は告げた。
「静かなのは好きだが…それもそれで寂しいんだよ、やはり。
かといって毎回街に繰り出すのも面倒だから、丁度良いと思ってな。」
止めの一言。
私に言わせれば、そういったところ。
先ほどのは方便…うそである。
実際ワイバーンと付き合って経験値程度で済むわけがないのだからな。
だが、それだけであれば大げさだったりどこか嘘くさいものが…
本音を混ぜることで途端に現実味が増す。
本能的に嘘と真を感じ取れる未熟故に瑞々しい感覚が見せる幻影と錯覚。
この場合はガーレイの、『頼る』という感覚が、
私の我が儘を『叶える』というそれにすり替えられるのもある。
実際、寂しいのも事実だし、面倒なのも本当だったから、
私としても何も恥じる事など無い。
まぁ、ここまでくればこの青年の断る意志など容易く押し流されていくだろう。
「えと…じゃあ、お願い…します。
シェール・ガランさん。」
しかして目論見通り、ガーレイはそう言ってくる。
「ああ、こちらこそだ、ガーレイ・ロック。」
まずは、第一段階、確保完了…だな?
返事をしながら私は、心で勝利の美酒の匂いを味わっていた。
飲むのは…まだお預けだ。
待てば待つほど、おいしいだろうからな。
さて。
魔物娘的には家にお気に入りを招き入れることに成功したなら襲っても問題はない、のだが。
「ここだ。」
「へぇー…どんな店なんです?」
「酒も美味い、飯も美味い。
まぁ、聞こえてくる惚気話が偶に甘ったるすぎるくらいの時もあるがな。」
私はそれをせず、ガーレイと共に夜の街を歩いていた。
理由は、まぁ待てば待つほど、というのもあるのだが。
恋愛、というものがしてみたい。
…一言で言うならこれに尽きた。
「へぇ。」
「少々うるさい時もあるがまぁ度は過ぎないな。」
「確かに…漏れてくる音もうるさすぎるようなことはないですね。」
「だろう?おかげで行きつけだ。」
恋愛がしてみたい。
話しながら私はそのことについて考えていた。
まず、間違いなく私の我が儘だろうな。
何せ私はワイバーン…魔物娘だ。
であるからして、体を使えば一発でこのガーレイという青年をモノに出来るのは考えるまでもない。
が、しかし…だ。
「…じゃあ、入ります?」
「本当に美味いからな、覚悟しておけよ?」
「ぇ…ふ、はい、そうします。」
竜騎士になろうとして数々のアクシデントに見舞われつつも、
たどり着いた先の私の言葉に、
笑みと敬語で返してくれるこいつを、体で陥落させるのはなんというか…
とてももったいなく感じるのもまた確かなのだ。
ガーレイの心はとても暖かく、そして触れる度に心地が良い。
正直ずっとそうしていたくなるくらいには、だ。
その温かい心が、触れ合いの中で私に傾けてみるのも悪くない、と思わせた。
幸いながらその環境は整っている。
そして、いざとなれば襲う事の出来る環境だ。
勝利に限りなく近い戦いとでも言おうか。
無論、慢心はしないが。
「では、行くか!」
と、そういうわけで私は行きつけの店に彼と共に行く事にした。
名を名乗るときは自分から、というように、
心に触れたいから、まずは自分の心の拠り所をこちらから見せることにしたのだ。
………
……
…
したのだが。
「っ…んくぅ…っ…はぁ…」
「んー…ガーレイ、お前弱すぎないか?」
私は現状に、そんな言葉を口から出してしまっていた。
事情を説明しよう。
まずこの酒場、タマミツ亭にガーレイと入り。
「あら…ふふ、ついに彼氏さんができたのかしら?」
「生憎、違うな。」
そして入るなり店主の妖狐にからかわれ、その後少し話した後に席へと座り。
「では、乾杯だ。」
「あ、はい…いただきます。」
そして、色々と頼んで飲み始めたまでは良かったのだが…
「…だって…っ、シェールさん、飲むの速すぎですよ…」
「そうか?まだ5、6杯だろう?ここのは弱めなんだぞ?」
「あー…ぅー…」
ここに来て、そういうわけである。
料理を全て平らげた後だったというのは幸いか。
ん…?弱いとは聞いてはいた、だがしかし…
と、私は少し気になることを思いつく。
「なあ、弱いのなら無理に飲まずとも良かったじゃないか?」
「ー…?」
これだ。
ガーレイは思考が出来ない男ではない…と認識している。
自分がどれくらい飲めるのかも分かっているはずではないか。
そう思っての質問、対して彼は口を開いた。
「シェールさんが、飲め飲めって流し込んだんじゃないですか…ぅ…」
「…そうだったか?」
「そうです!…ぐ…」
やや恨めしそうな表情だ。
…そんなにぐいぐい勧めただろうか…?
…と、そんなことを考えている場合ではないな。
言い切り呻くガーレイを見て、考える頭を切り換える。
「まぁ、それは悪かったよ。
…しかし、大丈夫か?」
「…あんまり、です…ね…ちょっと、意識が…」
答えるガーレイ。
俯いてほとんど動かないところを見ると、相当のようだ。
観察しつつ、尋ねる。
「大丈夫…ではないようだが、吐き気はあるか?」
「いえ、吐き気は…ただ、ちょっと…」
「…眠いか?」
言葉の先を遮り再び訊く。
吐き気でないなら、度を越した飲酒が招くのはそれだからだ。
「はい…意識が…少し…」
「ふむ…」
返ってきた言葉を聞くにどうやら当たりだったらしい。
今にも沈みそうな雰囲気も纏っている、限界も近そうだ。
…あまり無茶はさせない方が良いか。
「寝ると良い、起きているのも辛いだろう?」
そう思い声をかける。
自覚はなかったとはいえ、私がこうさせてしまったらしいとなれば尚更だ。
「…はい…じゃぁ、ありがたく…ぅ…ん…」
と、大人しくガーレイが意識を落とし、寝息を立て始めた。
すぐに寝入ったところを見ると、相当に無理を強いていたようだ。
…少々反省だな。
「ああ、おやすみ。」
もっと話したかったが…自業自得というのだからそれは我慢するとしよう。
声をかけつつ、思う。
しかし…
「ん…ぅう…ん…」
「ほう…」
ガーレイの寝顔、いや正確には寝姿を見る。
その肩は、穏やかに上がっては下がりを繰り返していた。
見ているだけで癒されるものだったが、逆に言えばそれくらいしか分からなかった。
何せその顔は枕代わりの自身の両腕に乗せられているし、
その角度もほぼ真下を向いているときているからだ。
見えるのは精々額までといったところ。
「…」
それでも何とか見えないだろうか、と首を伸ばして近づいてみる。
見えるのは相変わらず、こいつの青髪。
もっと大きく動いてみなければダメそうだ。
「んー…」
そう思い、今度は上半身を近づけてみる。
腕を立てて支えにし、振り子のように体を持っていく。
首筋が見えるくらいにまで顔を近づける…
「んー…?」
が、見えない。
やはり顔が完全に下を向いているのがきつい。
…しかしそれはさておき。
「ん…」
いい匂いだな、ガーレイは。
近づいた拍子に私は自然と鼻をきかせ、そんなことを思っていた。
汗臭すぎるわけでもなく、かといって小綺麗なお洒落な臭いでもなく。
甘いだとかどことなく焦げ臭いだとかいう言葉では表しきれず、
むしろそれら幾つもの要素が織りなして人肌より醸し出される…
無臭に見えて微かに香る、そんな独特の匂いだ。
「ん、ん…」
無臭に見える、とさえ思った通りそれは本当に微細。
ややもせずとも充満する酒や料理の匂いに容易くかき消されてしまう。
だから、自然と私の顔は更に彼に近づいていく。
もっと近くで、微細を出来る限り濃厚に、と。
「ん…」
半ば欲望の赴くままに体が勝手に動き、
そしてついに、鼻が彼の首筋に触れるくらいにまで近づいたそのとき。
ぽふっ。
「…ん?」
私の両頬に、突如としてそんな感触が触れてきた。
目を動かして見ればそれは金じみた黄色、
そして伝わってくるのは恐ろしく心地の良い、眠気すら誘いそうなもふもふ。
この時点で私はそれをした犯人に目星をつける。
だが、それすらもこの場では必要なかったらしかった。
何故なら…
「…ふふ、ごめんなさいね、随分と熱心にしていたからつい。」
その人ならぬその妖狐、タマミツ亭の店主ミツネの声が語りかけてきたからだ。
「ふぅ…しかし、相変わらずの性悪だな。」
「あらそうかしら…と、ねぇお隣良いかしら?」
「ん、ああ…別に。」
「そ、んじゃ、失礼して…と。
すいませーん、こっちにもお酒ちょうだーい?この人と同じので良いわー!」
「…」
少々の後。
文句やら言い訳やらで会話をした私とミツネは今、隣り合って飲んでいた。
向こうに座るガーレイは変わらぬ寝顔だ。
…私よりもミツネの方が近い座り位置なのはやや気に食わないが、まぁ良いだろう。
「んっ、んぅく、んっ、んはぁあ〜…いやぁー良いわねぇやっぱり!」
「相変わらない無遠慮ぶりだな…」
「あら、私はここの店主よ?つまりここは私のものっ♪あ、魔界鳥揚げおねがーい!」
「かしこまりました!お待ち下さいー!」
「…」
そんな私の考えなど知らずに、ミツネは元気一杯に返しつつ注文する。
もう何も言う気も起きない程聞いた事なので、私はもういっそ無視してコップを傾けた。
「ふー…んー、こっちは反応無いのね…少し残念。」
すると彼女は今度は、テーブルに指でのの字を書き始める。
構って欲しいと、その態度は明らかに言っていた。
顔にどことなく陰を纏わせ、ご丁寧に五本の尻尾までしょんぼりと情けなく垂れ下げている。
元が美人なだけに、そこらの男ならば構わずには居られないだろう魔性の憂いだ。
魔物娘である私からしてもそう表現できるが…
「はい、お待たせしました。」
「んっありがとっ!」
注文した品が来た瞬間その憂いを投げ捨てかぶりつくのを知っている身としては、
それに心奪われろというのが無理な話だ。
まぁ…
「はむっ、ん…んー、おいしーい!この噛みごたえと肉汁が…」
しなやかな細指で口に持っていき、満面の笑みと共に尻尾を動かし歓喜の声を上げる。
そんな、艷やかな姿に見合わぬ無邪気な喜び様もまた男を魅了出来るのだから、良いのかもな。
うるさいのが苦手な私が、一緒に居て悪くないと思うくらいだ、きっとそうなのだろう。
横目で見つつ、そんなことを思う。
「んぐっ、んっ、はぁー…あ、そうそうシェールちゃん。」
と、満足したらしいミツネが話しかけてくる。
あれだけ美味しそうに食べていながら、肉片どころか油一つつけていないのは流石というべきか。
舐めとったのかもしれないが。
「なんだ?」
そんな事は置いておいて、質問を促す。
すると彼女は、突如こんなことを言ってきた。
「この子とはどういう関係なのかしら?恋人ではないと言っていたけれど。」
「ん…まぁ、そう遠くない未来の夫、とでも言っておこうか。」
いつものからかいか?と思ったが、
一瞬だけきょとんとした辺り、この質問は純粋な疑問のようだ。
などと思いつつ私は答える。
その言葉は、何も考えずともすらすらと出てきていた。
「あら…ふふ、ワイバーンにしては珍しいのね。
てっきり、今から家に持ち帰って夫にする、なんて言うかと思ってたけれど。」
ミツネはそう言って口元に手を寄せ微笑む。
その目は露骨に笑っている…からかう気を隠す気もないようだ。
「…おかしな話だとは思うさ。
とっ捕まえてすぐさまにでも犯し抜いて自分のものにするのがワイバーンのあり方だからな。」
まぁ…と語りつつ自分で酒を注ぐ。
ミツネはというと、そうね、とだけ返してくれた。
先にまだ話したいことが残っているのを分かっている、柔らかな肯定。
その真剣になった雰囲気をありがたく思い、私は続ける。
「だが、それではもったいないだろう。
私をそこまで意識しない内の魅力は、その時点でほぼ永久に見る機会が失われるんだからな。」
「あら、それは強者の理屈よ?」
言い終わったところで彼女は割り込んでくる。
だがやはり、その顔にはからかいの笑みが浮かんでいた。
恋愛論を酒のツマミにするつもりの割り込みのようだ。
そう結論づけて、私は会話を続ける。
「強者の理屈、か。」
「ええ、だってそれは…ね?
頑張って容易く手に入るものをわざわざ遠回りしてるように聞こえるもの。
手に入れられるかどうかでやきもきしてる私みたいな若ーい娘もいるのに、
手に入る事を前提として、その過程を楽しむと言っているのでしょ?」
「…ああ、そうだ。」
「んっ…あら全肯定?他の誰かに奪われちゃうかもしれないのに?」
「同棲しているんだ、そうなりかけたときはその時だ。」
「へぇー?ま、連れ去られたりしたら辛そうだけどね。」
「んくっ…ん?そんなことはさせない、もしそうなったら私が止める。」
「あらおっかない…」
「だろう?だから大丈夫だ…」
「そうね…あ、そうそう、大きな魔界猪が…」
「ほぅ、それは…」
「でね…」
話が続く。
話題はコロコロと変わったが、楽しさは変わらない。
何より、なじみである故の気軽さがそこにはあった。
だからだろう。
…………………
「では、またのお越しをー!」
「またな、ミツネ。」
閉店時間は瞬く間に迫り。
………………
「…帰ってきた、か。」
今私は我が家の扉を開けていた。
帰るときにミツネに乗せてもらったガーレイを背負いながらだ。
童貞の男を背負いながら夜道を一人で歩く、というのは些か魔物娘的には危険であったが、
噂の、童貞置いてけ、なるものも出現することもなく無事に帰ってこれた。
「んぅー…すぅー…」
ガーレイはというと、未だに寝ていた。
あのうるさいミツネやそれに感化された私の話のすぐ横で寝ていて、
しかもここまでは背負われつつの移動。
多少なりとも目を覚ましそうなものだが…まぁ、いい。
そのおかげで、この穏やかな寝顔を見ることが出来たのだから文句は言うまい。
「…」
さておき…少しは、片付けたほうがいいだろうか?
そんな事を考えつつ部屋の中を歩く。
私はこれでも構わないのだが、ガーレイが歩きづらいといけないだろう。
…それで離れられる、というのもないわけではないのだからな。
「考えておくか。」
口に出しつつ、ガーレイの部屋となる物置きの扉を開ける。
「…酷いな。」
つい、そう口に出してしまうほどの有様だった。
辛うじてベッドは綺麗に保たれているものの、
それ以外はガラクタ…
飲み終わった樽やら瓶やら、いつ押し込んだのやら分からないひび割れた箱やら。
その他も色々と…まぁ良くもここまで散らかせたな。
木造りが大半だから、暖を取る道具として詰め込んでたのだろう、きっと。
それはさて置いて。
正直、ガーレイでなかったとしても誰かをここに寝かせようとは思えない。
「…」
ならばと考えるまでもなかった。
足を動かし、自分の部屋に入る。
目に入るのは、ベッド、机の上の小物入れ、窓…
まぁ無骨、と表現できるくらいには片付いていた。
これならば、寝かせても問題はないだろう。
「っ、と…」
布団をめくりガーレイを降ろし、掛け布団をかける。
それだけの動作を、出来る限り優しく起こさぬように心がけて行なっていく。
それだけ、だったが、必要以上に気を使ってしまっていた。
「んっ…ぅ…ん…」
「…!」
それを分かったのが最後の布団をかける動作の際、そんな声を聞いた時だ。
起きてしまったか、と不安になるが…
「ん…ぅすー…」
直後の寝息でそれが杞憂だと分かり、そして気付いた。
自分がガーレイの穏やかな寝息をどれだけ大切に思っていたかに、改めて。
「…ふ。」
ワイバーンには、あまりに似合わないし、
また私というワイバーンにしても、そんなに気を使うのは得意ではないだけに笑ってしまう。
強者の理論を振りかざし、またそれだけの余裕を自覚していたのだが、
ガーレイ・ロックという青年に、私は慣れないことすらさせられてしまっていたらしい。
恋はなんとやら、とはよく言ったものだ…
「すぅ…ん、ぅ…」
そのガーレイの寝顔を見る。
帰り道でも見たが、じっくり見るとやはりなんというか落ち着く顔だ。
目を閉じ、唇からは穏やかに寝息が漏れて…
「っ、いけないいけない…」
言いつつ、ややもすればこのまま彼に襲い掛かりそうな自分を律する。
無論そうしても悪いわけはないが、やはりそれでは面白くないのだ。
そう考えながらも、やはり収まりのつかないのもあって私は、
ベッドに一歩近づいて尻尾を動かし、その額に当ててみた。
敏感なそこから伝わってくるのは、微かな上下運動と柔肌の暖かさ。
少々物足りなさも感じるが…
逆にそれが、この程度ならば今許される範囲だろうとも思わせてくれた。
「…おやすみ。」
少しの間それを堪能して尾を退けた後、私はそう言ってその場を後にする。
やることが出来てしまったからだ。
「さて…片付けてくるか。」
脳裏に大量のガラクタを思い浮かべつつ、呟く。
…寝るのはもう少し後になりそうだった。
16/03/03 23:15更新 / GARU
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