読切小説
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幻雪
……お?

……おぉおおお!?



驚いた、そして喜んだ。

いやそれより俺は、ついたまらなくなって靴を履きドアに手をかけていた。





「雪……」


 ぽつり、と口にする。
 とか何とか言っておいて、内心はというと。

わー!雪!雪雪!雪だよ!ゆきぃいいいい!!!!!YUKIIIIIIIII!!!!

 

「……ぅーっさむ……」


 そして、直後になって今更ながら寒さを実感する。
 いやそれまでも寒かったりはしたけども、部屋の中でも相当に寒かったりしたけども!
 それでも途中まではあまり感じなかったくらいには、この雪は珍しいものだった。
 いかに季節は冬、大学の成績発表待ちでしかしながらきっちり勉強もしておいたからあまり心配はない俺にとって退屈極まりない時期ではあるといっても、ここは東北とかそういう、かなり雪が降るような地域ではなく!
 そして幸運なことに、平日で人通りも無いそもそも田舎の庭先という環境であり、だからこそ俺はこのようにはしゃぎ回っているわけで!

「よし」


 そしてこのように、竹刀を持ってきてしまっているわけで!
 小学の頃剣道やっててよかったー!
 …………うん、まぁ、こんな事の為に使うべきではないんだけれどもネ。
 やめちゃって、剣だけは好きな人間がのうのうと格好付ける為に雪の中で振っていいものではないのは百も承知だよ、うん。
 でも、しかしながら、後は、されどとか?
 ともかく、雪の中で竹刀を振ってみるという体験は一回やってみたかった、やりたかった、やりたいんだよ悪いか俺の良心ッ!
 ……悪いよね。


 さ、さて。
 少しだけ気が引けるけれども。
 
「……」


 ーーーー右手の指先を鍔の後ろにつける。
 左は添えるように無理なく間を空けてその下へ、目安は丁度握り拳が一つ程を意識して。
 ……体に染み着いていたらしく、慣れていた動作。
 それ故か、心までもが透き通っていくように鎮まっていく。
 一刀に全霊をかけるとまではいかなくとも、目前に構えた剣先とそれをする自分自身が感覚を占めているような静寂。
 
「……」
 
 
 目を、閉じる。
 黒に包まれる視界は、しかしその分他を研ぎ澄ました。
 粉のように肌にしがみついては消えゆく雪、吹かれてかさりと鳴く木々。
 ……開ける。
 暗黒は時間にして三秒くらいだろうか。
 けれども、まるで二倍三倍に思えてくるような経過だった。

「……いい」


 いい。
 とてもいい、と、思わず呟いてしまう。
 夕暮れ時を越えた時間がもたらす、闇へと向かう静かな暗がり。
 そしてその中を落ちる白く柔らかな粒が、得も言われぬ儚さと美しさでもって魅せてくる。
 
「……」

 
 だけれど。
 柄を握る。
 汗や時間によって黒ずみが刻まれた柄は、この幻想的な中でも確かな記憶と経験の証だった。
 ……よし、やるか。
 そう気を引き締める。
 観客に徹するのもいいけれども、やはり俺は今この雪の中で自らの剣を振ってみたかったのである。



 構える。
 小手、面、引き面、小手、面、引き小手、小手、面、引き胴。
 そして面。
 残心までして、そしてもう一度。



「……はぁー……っ」



 ……落ちている。
 いや、腕はそう落ちてはいないだろう。
 ただ体力が落ちていると感じていた。
 もしかしたら雪が振っている寒さと、準備運動も何も無しなので体が目覚めていないというのもあるかもしれないけれど。

「ま、いいか……?」

 
 とりあえず、納得させておく。
 疲れが経験の中のそれより酷いとはいえ出来たことには変わりない。
 よしとしよう、と再び正眼に構えてそのまま腰を落としていき、左腰の方へ竹刀をしまうような動きで持って行き、三歩ほど下がる。
 これもまた慣れた動きだった。
 そして流れで礼をしようとして。

「……」

  
 止まってしまう。
 さて、何に礼をしたものだろう?
 雪を見上げてみる。
 未だ降り止む兆しのない粒は、むしろ勢いを増しているようだった。
 と、一つ思いつく。
 我ながら風流で、気障にすら思えるが。
 そうだな、まぁいいよな誰もいないんだし。

「雪風に、遊ばれし我が、剣かな……なーんてね」
 
 
 ……気持ち悪っ。
 格好付けて呟いてみてから、何だか気恥ずかしくなって頭を振る。
 いくら何でもやっぱり格好のつけすぎだ。
 さて、じゃあそろそろ家の中に入るか。

「素敵な事を……ふふっ」


 そう思った瞬間、背後から声をかけられた。
 誰だ!?と振り返ればそこには。

「……あら、なかなかに可愛らしい顔をしていらっしゃるのね?」

 
 そこには何故か白い着物を着た、そして白くて長い髪の美人がいた。
 雪のそれよりもしっかりして見えるのにまるで触れた途端に消えてしまいそうな、女性が。
 何より……と考える俺に彼女は微笑むと、そんなことは知らないといった風に歩み寄ってきて。


「……ふふふ……?」

「っあ!?」


 体が、心臓が、跳ねた。
 女性がこちらの頬を、手のひらで触れ撫でてきたのである。
 初対面の美人にそんなことをされたのも驚きではあったけれど、一番驚いたのは。
 
「つめ……っ!?な、何なん、ですか……?!」

 
 その人の肌が青かった事、そしてその指が冷えているを通り越していっそ冷たく感じたことだった。
 人肌では絶対に有り得ないような、何というのだろうか。
 まるで……氷、というと違うのだけれども。

「ねぇ、雪はお好き?」

「ぁ……っ!」


 その微笑みに、直感してしまう。
 ふわりと、しかしどこか体そのものに吹きかけてくるような感じのある微笑みに、まるでの続きは雪なんだと。
 ……雪、雪で、日本で、女性といえば。

「ねぇ、お好きかしら?」


 再び、彼女が小首を傾げて微笑む。
 常識では考えられないのに、何故かそうだと心が言っていた。
 もしそうだとしたら慎重に答えなければならない。

「はい、好きな方……です……」 


 のに。
 好き、と俺の口はこぼしてしまう。
 訳が分からなかったが、しかし、嘘ではないので否定をしようと思うほどではなかった。

「……そう」

 
 と、女性が微笑む。
 嬉しそうな笑みだった。
 そう、それだけなのだけれども。

「は、はぁ……」

 
 何故かこちらまで嬉しくなってきてしまう。
 女性を嬉しくしたからというような気障ったらしいものではなく、もっとこう。
 存在を肯定された喜びを共有したような…………ぁっ!

「ねぇ、明日も」

 
 いや当然のことじゃないか。
 そう思いついた瞬間、彼女からまた声がかけられる。
 対する俺はサッと振り向いた。
 彼女が雪女だと思ってしまった以上は、もう逆らうような真似をするわけにはいかない。
 ……というのは建前で、本当の所を言えば彼女の嬉しそうな顔をみた途端にもっと話したくなってしまっていたからだけれど。
 しかし、雪女といえば大体悪役だということを差し置いても、あの嬉しそうな顔は卑怯だと思う。
 けれどもこわいことはこわいので、はい……?と微かな声で返事をすると。

「明日も、降ると思いますから。また……外に出てきてくれますか?」

 
 彼女は微笑んでそう言った。
 きっと来てくれると思っているような笑顔は、しかしながらちょっと、ほんのちょっぴりだけ不安そうだったから。

「え、あはい、出来る限り……頑張ります」

 
 気がつけば俺は、来ますという意味で返事をしていた。
 緊張していたから妙な言い回しになってしまったけれど。
 
「ふふっ、期待していますね?」

 
 しかし彼女は、その顔から不安を消してくれる。
 そればかりか更に笑みを深めてくれたのだった。
 格好をつけた言い方をすれば、まるで雪の華とでもいうのだろうか。
 とにかく、えぇ、と俺が相づちを打つと彼女は一回頷いてまた微笑みを浮かべる。

「嬉しい……さぁ、でもそろそろ中に入らなければ風邪を引いてしまうわ?」


 そしておもむろに俺が出てきた家の玄関を向き、そう言うのだった。
 その横顔はまた見とれてしまいそうなくらいに綺麗。
 と、彼女の頬に雪がひとひら吸い込まれていく。
 比喩ではなくまさに表現の通りの現象に、今度は別の意味で俺は見とれてしまう。
 
「あ、は、は……はい。では、また明日?」

 
 が、答えず見続けているのは不自然だろうと思えたことで辛うじて返事をすることが出来た。
 後になって、疑問系になってしまったことが気になってくるが……

「はい。ふふふっ」


 彼女が笑ってくれたので俺はほっと胸をなで下ろす。
 そして本当に体が冷えてきたのを感じてきたので、一礼をした後で玄関に向かって歩き出したのだった。
 ……見れば電灯のついた玄関以外辺りはいつの間にか更に暗くなっている。
 完全な夜にはなりきっていないとはいえ大分時間が過ぎてしまったようだ。
 そんな、現実を見ることで非現実から戻ろうとする行動をしていると。

「……今度話すときは、敬語でないと嬉しいかな?」

 
 後ろから、そう声がした。
 楽しそうな声音からは、再会を楽しみにしているのがありありと伝わってきたから。

「わか……」


 わかった、と。
 わかりましたと言いそうになりながらも、答えようとして。

「……」

 
 絶句してしまう。
 そこにはもう、さっきまでいた彼女は居なかった。
 文字通り影も形もない。
 消えたとしか思えず幻だったのかなと考えかけ、しかし止める。 
 足跡があったからというのもあった。
 未だに頬が冷えるように思い出せる手の記憶もまた同じく。
 でも何より、何よりも。

「……わかった、努力してみま……みる、よ」

 
 誰もいない虚空を見つめて、呟く。
 声は、ただ響き渡るだけの音になって消えていく筈だったけど。
 
 
 ……ふふ……嬉しい……


 風の中から聞こえてくるそんな声を否定したくはなかったというのが、一番俺の中では大きかったかもしれない。



「……とあっ!?竹刀……やばいやばい、拭かなきゃ」


 と、視線を落として現実に戻る。
 でも、やっぱりあの非現実は心に留まってくれていたのだった。
 
 
17/02/11 15:44更新 / GARU

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