連載小説
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その心の中にあったのは
その日も百足は巣穴から這い出て村へ向う。そろそろ前の狩りから二週間が経ち、腹も減ってきた。今夜は手前の民家で飼っている鶏をいただこう。しかし、いざ鶏小屋を前にして足が止まる。

「鶏の数が少ない」

どれだけ頭の触覚を忙しなく動かして鶏小屋の様子を探っても、その事実は変わりようがなかった。一度に獲る量を加減していたとしても塵も積もれば何とやら。自分の行いが原因ではあったが、このまま狩りを続けては獲物もすぐに底を尽き、村人も不審に思うかもしれない。今回のところは我慢して森で猪か兎でも獲ろうと思い、来た道を戻る。

『ドサ・・・』

瞬間、自分の背後から発した音にすぐさま反応して後ろを向く。そこには乱雑に積まれた藁。恐らくは牛舎で使っているものと同じだろう。百足は瞬時に感じ取った。












「そこに人が隠れていることを」












百足は最初、ここに来た時と同じ足取りで音のした方へ近付くと頭で藁を崩す。するとそこには死人のように青い顔をした人間が居た。どうやら、もうすでに怪しまれていたらしい。行儀良く一定期間を置いて村に来ていたのも災いしたのだろう。さて、どうしたものか。この場で噛み殺すのは容易いが、それはこの地からの移動を意味する。触覚を動かしながらどうしようかと考えて顎肢を鳴らしていると、人間の口がパクパクと動くのが目に入った。
『た、たのむ・・・見逃してくれ。。。この事は誰にも言わない・・・だから・・・見逃してくれないだろうか・・・』
百足は考えた。この男の言葉を信じて見逃すか・・・。答えは、「否」。人間の言葉など信用できるわけがなかった。



百足に顎肢を近づけられると、小吉は涙を浮かべ懇願した。しかし、毒牙が首に触れると覚悟を決め目を瞑った。ここまでくると、いっその事痛みを感じる間もなく一思いに済ましてもらうよう願うしかない。しかし、待てどもその凶悪な毒牙が襲ってこない。小吉は恐る恐る目を開いた。

『ヒッ!!!』

そこにあったのは文字通り触れるほどの距離にあったムカデの顔。何の感情もない無機質な目と、月明かりに黒光りする体。触覚を動かし、顎肢を鳴らすその様は絶対的な捕食者。その様を見せ付けた百足はゆっくりと顎肢を引き、闇夜に消えていく。小吉は動くことさえ出来ずに、完全に固まっていた。





『はっ・・!はっ・・!』

ようやく息を吐けたのは息苦しさに意識が飛びかけた時だった。川で溺れた人間のように、出鱈目に息をする。幾分か落ち着きを取り戻した時、小吉は自分の首を触る。
「繋がっている」
それにしても、本当に生きた心地がしなかった。同じ生き物でありながら、あの圧倒的なまでの力の差。そもそも大百足は怪物中の怪物と言われている。獣だろうと人だろうと餌とする食欲と、獰猛な性質。

『た、助かった・・・のか・・・?なぜ・・・』

では、なぜ自分は見逃されたのか。鶏小屋を前にして襲わず、人を前にして襲わず。小吉の頭の中はより一層の疑問で満ちていた。

『あの時の百足の目・・・。』

何の感情も伺えない目で俺を見据え、いつでも殺せた筈なのにその顎肢を引いたのは何故だ。簡単に殺せたはずなのに。

『・・・いつでも・・・簡単に・・・?』

そこまで考えて、小吉は全身の毛が逆立つのを感じた。
あれは・・・「脅し」だ。


「お前なぞ、こうしていつでも殺せるぞ」と。


つまり、無意識に告げた「この事は誰にも言わない」という言葉を百足は信じたのだ。いや、信じたわけではなく、脅しで押さえつける気だ。
『そうか・・・命が惜しくば、俺にこの村を売れというのだな』
小吉は自嘲気味にそう零した。両親が死んで以来、死のうと思う暇も無かったが長く生きながらえたいと思ったことも無かった。しかし、死を前にして生物としての本能からか、小吉は死にたくないと思った。


『百足よ。・・・確かに、承知した』





その次の日からは地獄だった。それからも定期的に村の家畜は居なくなり、ある時は村の畑を荒らしに来た猪が右足だけを虎挟みに残していたこともあった。以前は森の獣の仕業と思っていた村人も、これはただ事では無いと口々に言った。しかし、自分があの夜みた光景を教えたくても、あの百足がどこからか自分の事を見張っているのではないかと思うと怖くて出来なかった。
夜、寝ていても体を百足に雁字搦めにされ手足を一本ずつ引きちぎられる夢をみる。また、悪夢に飛び起きた眼前に、あの夜と同じ百足の顎肢を突きつけられる夢をみたこともあった。


小吉は限界だった。

『どうした、小吉?』
そんな小吉を心配して、唯一の同年代である「佐助」が声をかけた。
『酷い顔だな。体の加減でも悪いのか?』
小吉の両親が死んだ時も一緒に泣いてくれた佐助は、小吉にとって掛け替えの無い存在だった。
『い、いや、何でもない。最近、急に寒くなってきたから少し疲れただけだ』
『そうか?今日はずいぶん暖かいと思うが』
佐助はいつもそうだ。俺のちょっとした変化を感じ取り、気にかけてくれる。それにどれだけ救われたことか。しかし、今だけはその気遣いが心苦しかった。

『もう!兄さんはそうやってすぐに小吉さんを問い詰める!小吉さんが困っているではありませんか。』
そんな小吉に助け舟を出してくれたのは佐助の妹の「ゆき」だった。
『なんだ、ゆき。お前はこの兄より小吉の肩を持つのか?』
『それは勿論。兄さんの無礼な振る舞いを嗜めるのも妹の仕事ですから』
佐助も可愛い妹には頭が上がらないらしく、縮こまってしまった。そんな佐助を無視して、ゆきが話しかけてくる。

『小吉さん、また兄が無礼を働きましたら遠慮などなさらずとも・・・』
『いや、佐助にはいつも助けられている。父が死に、俺一人では畑を満足に維持できなかったところを支えてくれたのは他ならぬ佐助だ。』
『ほら見ろ。ゆきよ、俺と小吉に遠慮など不要なのだ!』
しかし、俺の言葉に佐助はすぐに復活すると、胸を張ってゆきを見やる。今度はゆきが縮こまってしまった。そんなゆきが可哀想に見えた。
『・・・しかし、ゆきの言うことももっともだな。佐助よ、そんなんではいつまで経っても嫁ぎ手が見つからないぞ』
『・・・な!小吉!?』
『ほら、見なさい兄さん。やはり、兄さんはもう少し相手を思いやる心が必要です!』

そんなやり取りをしていると幾分か楽になる。
『・・・二人とも、ありがとう』
『小吉?どうしたんだ急に』
『そうです。私も兄も小吉さんは家族も同じに思っているのですから、今更そのようなことは』

覚悟は出来た。この二人の居る村をこれ以上、百足に差し出す気になれない。
『聞いてもらいたい話がある。実はな・・・』







『百足だー!!!森に大百足が出たぞおおおおー!!!!』







その言葉に村は止まったように静寂に包まれた。俺の心と同じに。
14/03/22 23:49更新 / みな犬
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