連載小説
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僕の愛おしい貴女
私は人間の大人が苦手だ。

子どもはいい。
この体のことをあまり気にしないから。
怖がられるより面白がられる方がよっぽどマシだ。

老人もいい。
成熟した人間はいちいち虫如きで驚かない。
「ああ、そうなのね」という顔をするだけだ。


でも大人は違う。
言葉にする智恵がある。
態度に表す体力がある。


でも、人間が悪いわけではない。
たまたま私が魔物で、体の半分がムカデというだけの話。
できるだけ距離をとって、あまり人の目に触れない仕事をしよう。
静かで落ち着けて、それで空気がひんやりしていれば申し分ない。


私は本が苦手だ。
白い紙に無数の文字が並ぶ様はまるで虫の大群に見えてしまう。
でも図書館は悪くない。
静かで落ち着けて、あまり人の出入りがない。

大学に通いながら将来の就職先を探す日々。
たまたま見つけた求人広告は近くにある図書館の司書のアルバイトだった。
資格なしでも前向きに採用してくれるらしい。

面接をしてくれたのは初老の人間。
どうやらこの図書館の責任者、館長という立場らしい。
私の姿を見ても驚くことはなく、むしろ高所の作業をお願いしても迷惑じゃないか?と気を使ってくれた。
大百足の私は身体が長い。
魔物なので当然、腕力も人より強い。
高所にある棚に本を仕舞う作業も難なくこなせるだろう。

「仕事の時は人の姿になった方がいいですか?」と聞くと、
「普段からその姿なのだろう?なら、変身する必要はないよ」と言った。

少しだけ、嬉しかった。


さっそく次の週からアルバイトとして雇われた。
本の棚を覚える、利用者と貸し出しのやり取りをする、新しく届いた本をパソコンに登録する...
一度、憶えてしまうと仕事に新鮮味は感じられない。
それでも図書館の空気、環境は私にとって悪いものではなかった。

例えるなら「本」
白い紙に黒い文字だけの白黒の世界だが安らぎもあった。



『ほら、司書のお姉さんにご挨拶して』

『こ、こんにちは』


その日、私は出会った。
これから先、何年も片思いすることになる大切な人と。

その小さな人間の男の子は母親に連れられてこの図書館にやって来た。
世間話が好きな母親の話によると、最近この街に引っ越してきたらしく、まだ学校のクラスに馴染めていないらしい。
それで気分転換にと図書館に連れてきたのだそうだ。

この子くらいの歳であれば児童書がいいだろうか。
確か先週、新しい本が届いていたはず。
在庫状況を確認するといくつか貸し出し可能な本が見つかった。

『こんにちは。お姉ちゃんと一緒に本を探しに行ってみる?』

私は身を屈めて男の子と目線を合わし、できるだけ優しく話しかける。
その子はジッと私の目を見つめたあとに、そろそろと手を差し出してきた。

『あらあら、この子ったらお姉さんと手を繋ぎたいのかしら。ごめんなさいね、迷惑じゃないかしら?』

『え、あ...えっと、むしろ嫌では、ないでしょうか?』

人によっては私に触られることを避ける人間もいる。
それが仕方ないことだとも分かっている。

『ええ、もちろんよ!良かったわね、お姉さんが一緒に行ってくれるって。お姉さんは女の人だから、優しく手を繋がなきゃダメよ?』

母親のそんな言葉に目の前の男の子は大きく頭を縦に振る。
男の子は私の方に振り向くと、小さな手で私の手を取り、優しく優しく繋いでくれた。


初めて繋いだ人の手はとても温かかった。


それからというもの、その男の子は図書館の常連に加わった。
遊び盛りの男の子にとって図書館は退屈じゃないだろうかと気になったが、どうやら杞憂のようで。
その子は図書館に来るたびに私と一緒に本を探して読んで帰った。
帰る前には必ず私のところに来て、その日読んだ本の感想を目を輝かせながら教えてくれた。

いつからか、その子が次に来た時に教えてあげるられる本を探すようになった。
本を読むのが好きになった。
私が教えた本をその子が読んでいるのを眺めていると、まるで一緒に本を読んでいるような気持ちになった。

成長とともに読む本も変わってきた。
小さい時はかわいい児童書だったのが段々と難しい内容のものに。
ある時は歴史上の偉人の伝記、またある時はファンタジー小説。

手を繋いで一緒に本を探しに行ってくれなくなったのは残念だが、「司書さん司書さん」と呼んでくれるようになった。
司書だから私はこの子の名前を知っている。
でも、この子は私の名前を知らない。
私だけが名前で呼ぶのはフェアじゃない気がして、この子のことは「きみ」と呼ぶようにした。

私は他人の視線に敏感だ。
見られているとすぐに分かる。
ほとんどの人間はまず姿に驚く。
そうでなくても顔を見て、その次に必ず下をみる。
ムカデの、この身体を。

でもこの子は違った。
私の顔だけをジッと見て話す。

最初の頃はムカデの身体が怖いのだろうかとも思ったがそうではなかった。
あえて高い本棚の本を取りに行って、この長い体を見せ付けた時も目線は私と私が手に持つ本に注がれていた。
この子にはムカデの身体は目に入らないのかもしれない。

その子は今年から高校生になった。
出会った頃のかわいい面影は残しつつも、一人の人間の男になった。
いつからか読みたい本は自分で探すようになった。
それでも私はいつでもその子に教えてあげられるように本を読み続けた。

魔物の性からは逃げられない。
私のその子に対する想いが保護欲から独占欲へと変わるのに、そう大した時間はかからなかった。
気持ちを悟られないよう、普段は素っ気無く接しているつもりだが、たまにどうしても気持ちが溢れてしまい構ってしまう。
その子よりずっと大人だというのにイジワルしてみたり、困らせてみたり。

そんなことをしてもその子は私から距離を置くことはなく、いつも笑いながら会いに来てくれた。
いや、図書館に来ているだけかもしれない。
私のことはきっと小さい頃から親切にしてくれるお姉さんとしか思っていないだろう。
もし今、手を繋いだら嫌がってしまうかもしれない。

それだったら私は今のままで十分幸せだ。
その子と会えて言葉を交わせて、たまに冗談を言い合って、姿をみて声を聞けて匂いを感じられてふとした瞬間に身体が触れられる距離にいる。


あの日だってそうだった。
あの子が好きそうなエッセイ集が届いたから読んでおこうと思って先に貸し出しの手続きをしたのだ。
そうしたらあの子からその本を読みたいと言ってくれた。
嬉しかった。
また一緒に本を読んでいる気持ちになれた。
それと同時に少しだけ、ほんの少しだけイジワルをしたくなった。

嘘で口実を作り、棚まで一緒に歩いた。
こうして隣を歩いたのはいつ振りだろう。
ありもしない本棚を覗きつつ横目で彼を見ると、昔のままのキラキラした目で私のことをみている。
目的の本がないことを知った彼のしょげた姿に私の悪戯心が満たされた。


『僕の運命の人かもしれないんですよ!』


いつネタばらししようかと思案しつつ、その子の探偵ごっこに付き合っていると思いがけないことを言い出した。
まったくいつの間にそんなことを言う歳になっていたのか。
私の貸し出し履歴を持ちながら熱弁をふるうその子を見ているとこっちが恥ずかしくなってきた。

それにしても、運命の人。
いつかこの子にもそんな相手が現れるのだろうか。

でも、もしかしたら
この貸し出し履歴の主が私だと知ったら、
この子は私を運命の相手だと言ってくれるだろうか。


次の日もその子は図書館に来てくれた。
見込み違いの推理ではあったけれども何とか貸し出し履歴の主が私だと気付いてくれた。

だが、そこから先は誤算続きだ。
説明のためとは言え、魔物娘図鑑を見られてしまった。
しかもよりにもよって大百足のページを。
それもこれも、あの子が変なことを言うのがいけないんです。

見られたからには確かめずにはいられない。
私のことを、魔物である大百足のことをどう思ったのか。

「かわいいと思います」

想像もしていなかった。
凶暴そう、怖そう、暗そう、嫉妬深そう...
そんな言葉ばかり思い浮かぶ私とは正反対に、その子は好意を示してくれた。


「僕は司書さんのことが好きです」


頭が真っ白になった。
嬉しいはずなのに、すごく嬉しいはずなのに何も答えられなかった。
冷静になってしまった頭は、今が仕事中であることを思い出すとその子に閉館まで待ってもらうよう告げる。


閉館までの間、もくもくと仕事をこなす。
パソコンに向かって貸し出し履歴を整理する。
利用者を案内する。
棚の本を取って手渡す。

あの子は何をしているだろうか。
ふと気になって視線だけで彼を探す。

目が合ってしまった。

顔が熱い!心臓の鼓動がうるさい!
あの子と目が合うなんて特別なことではないなずなのに。
これまでだって、話すときは目を見てくる子だったではないか。
なのに、今はそう単純な話ではない。

「僕は司書さんのことが好きです」

その言葉が私の頭を埋め尽くしていく。
ダメだと分かっているのに、あの子を目で探してしまう。
また目が合う。恥ずかしい。なのに嬉しい。
あの子が本ではなく、私のことをみてくれている。

そんな私は傍から見ていても十分不自然だったのだろう。
他の図書館のスタッフが気にして声をかけてくれた。
人相手なら大丈夫ですの一言ですんだが、問題は同じ魔物。

色恋に敏感な彼女達に隠し通せるような恋愛の経験値は私にはない。
だって、あの子が小さい頃から今日までずっとあの子だけを見てきたのだから。
ニヤニヤした顔で近づいてくる魔物娘の同僚。

『なになに、ついにあの子と進展あったの?』
『まさかヤっちゃった!?』
『まぁ、大百足なら一噛みでイチコロよね』

本人を目の前にして言いたい放題の彼女達をどうしたものかと考えていると、その中の一人が私を突っついてきた。

『ほら、あの子みてるわよ?手くらい振ってあげればいいのに』

いくらなんでも見すぎではないか?
同僚にも気付かれてしまい、恥ずかしさと居心地の悪さが急上昇していく。


閉館を告げる音楽にいち早く反応すると、いつも以上にてきぱきと片づけをする。
「この後、用事がありまして..」
と断りを入れて早めに帰らせてもらう。
魔物娘の同僚たちからは最後まで冷やかしの言葉を浴びせられてしまった。
あの子を図書館の外に連れ出し、ようやく一息つく。


「告白の返事がほしい」

私は言葉に詰まる
好きだ。好きに決まっている。
いったいどれだけきみのことを見てきたと思っているのか。
きみは私の生きるすべてだ。
寝て起きて学んで仕事をしてご飯を食べてまた寝て。
それだけの生活だった私に読書の魅力、会話することの楽しさ、人の優しさ、手の温かさを教えてくれたきみが大切で大切でたまらない。

だからこそ失いたくない。
きみがいなくなってしまうのが怖くてたまらない。
声を聴けず、姿もみえず、会いに来てくれなくなるかもしれないことが。
あの子の前で泣いてしまうなんて最悪だ。


また、手を繋いでほしかった。
手を繋いで一緒に歩いて
何気ない話をして
顔見て笑って


私にはできないことをあの子は何の苦も無くしてみせる。
何年振りかに繋いだあの子の手はすっかり大きくなって、
今では私の手を包み込めるくらいだった。
優しく繋いだ手の指を動かして、あの子の手の感触を確かめる。

ああ、やっぱり温かい。

いつか手だけでは物足りなくなる日も来るだろう。
その時はまたこの子に甘えよう。
だって、今日からきみと私は恋人同士なのだから。
19/07/21 21:20更新 / みな犬
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■作者メッセージ
この作品を書くにあたって意識したのが「少年は彼女のことを魔物だと意識していない」という表現です。少年にとって彼女は魔物ではなく、ただの一個人。小さな頃から一番近くにいた“一人の女性”だったというのを表現したかったのですが、いかがでしょうか。伝わりましたでしょうか。
それと今回で完結のつもりでしたが、もう少しだけ続きます。この二人の初デートをみたくなったのが理由です。どうぞ、もう暫くお付き合いくださいませ。

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