現在2
……さま……きて
……にいさま……おきて……いさま……おき……
……お兄様……おきて……お兄様、おきて、ねえ、お兄様
「起きろって言ってんでしょ!」
「ぐぇっ!」
仰向けになっていたぼくの腹の上に、重たい衝撃が。
薄目を開けると、ぼやけた視界にイレットがいた。イレットは、ベッドに仰向けのぼくの腹の上に、馬乗りになって目を吊り上げていて、すうぅぅ、と息を吸いこんでいる。
イレットは大口開けて、
「おーきーてーおーにーいーさぁーまあああああ!」
「わあああっ! 起きた! 起きたから、耳元で怒鳴らないで!」
ぼくは寝ていたみたいだ。それをイレットが起こしにきたらしい。掛け時計をみると、午前九時だった。
「ま、まだ九時じゃん……」
「もう九時、よ」
「でも今日は日曜日だし」
「……お兄様、何時間寝てたか知ってる? 昨日の夜九時に寝て、今日の朝九時に起きたのよ。十二時間も寝たら、頭ぼけちゃうわ」
それは確かに寝過ぎだ。本当にそうならだが。
「九時に寝た? そんな早い時間に寝てないと思うけど」
「だってお兄様、気絶しちゃったんだもの」
イレットは胸を張って人差し指を振って、偉そうに、
「大変だったのよ。お兄様、わたしがちょっと精液絞り過ぎちゃっただけで、白目剥いて動かなくなっちゃうんだもん。だから、わたしが後片付け全部して、お兄様に服着せて、部屋のベッドまで運んだの。感謝して」
「……ああ」
ようやく思い出した。イレットが、何か変な魔法みたいなものを使って、確か……魔力が暴走とか。そしたらぼくの身体がおかしくなって、射精が止まらなくなって……今思い出しても身震いする。あれは、本当に絞り殺されるかと思った。
「それにお兄様、寝たままうーんうーんって唸ってるし。悪夢だと思ったから、わざわざ起こして助けてあげたの」
「……それは、うん、夢を見てたから」
「へえ。何の?」
「眠ったふりをしてたイレットが、初めて動いた時のこと」
隣の洋館で、ぼくがイレットの目を触ろうとしたから、イレットが動いて、その後……初めて交わった時のこと。
イレットがニマァ、と口を歪めた。
「ははあん。だからこんなことになってるのね」
「? ……ぁ」
股間に甘い刺激が走った。イレットが、パジャマ越しにぼくの性器を擦っている。……朝立ちで固くなっていた性器を。
「わたしに初めてシテもらった時のこと夢に見て、おっきくしてたのね。寝てる時までおっきくして、お兄様ってほんとえっち」
「それはっ! ……別にそういうことじゃなくて、男は朝起きたらそうなるものなんだよ」
「でも、えっちな夢見てたんでしょ」
「……まあ」
「ほら」
イレットはドヤ顔する。つくづくムカつく女だ。
「もういいだろ。朝ごはん作るから、そこどいて」
「そうね。ご飯にしましょ」
イレットはそう言いつつもぼくのお腹の上から降りず、身体を百八十度回転させ、ぼくのズボンとパンツを下ろして、
性器を咥えた。
「おい!」
「んじゅる、ちゅ、くちゅ、れろ」
「――ッ!」
イレットの激しい舌使いは、寝起きには強烈過ぎた。裏筋やカリに、舌と唇をひっかけてくる。心なしかいつもより、フェラが熱っぽい。
搾り取られて白目剥いて気絶した病人にその仕打ちは……。
「朝は無理! ……昨日たくさんやったじゃないか。も、もうっ、これ以上はっ」
「ちゅく、ちゅるじゅる、じゅるる、くちっ、ちゅる」
まったく聞く耳もたない。イレットの口はぼくの性器にむしゃぶりついて離れず、強制的にぼくの性器に、血と精液が上り詰めていく。
「んじゅる、ちゅちゅっ、くちゅる、じゅるっ」
「ぁ、くっ」
「くちゅる、ちゅる……きゅぱっ」
イレットは性器を吐きだして、ぼくに背を向けたままテンション高めに、声を高くして言う。
「お兄様が、わたしのこと夢にまで見てくれただなんて嬉しいこと言うからもう止まれないわ。よっぽどわたしのこと好きなのね。わたしも、お兄様のこと大大だーい好き。……あむ、んじゅる、くちゅちゅるるっ!」
なんだか可愛いことを言われた。
ぼくの性器を貪るイレットは、ぼくの顔の方に向けてお尻を突きだしている。盛り上がったスカートが嬉しげに揺れていた。
イレットのお尻が、左右にふりふり揺れていて……誘惑しているように思えて……つい手をスカートの中に入れてしまい、下着越しに割れ目をなぞった。
「ひゃっ♥! も、もう、お兄様っ!」
「いいじゃん」
「……うん♥」
なにがいいじゃん、だ。馬鹿だろ、ぼく。
結局朝ごはんを抜いて最後まで済ませてしまい、終わるころには時計の短針が十二時を回っていた。
お昼は残り物の肉じゃがだった。
リビングの食卓にて。
切り崩したジャガイモが、ぼくの口に運ばれていく……自動で。
「はい、あーん」
隣に座ったイレットが、器用に箸を使って、ジャガイモをぼくの口に運ぶ。
「あの、一人で食べられるよ……」
「いいじゃん。誰も見てないんだし」
「イレットが食べられないだろ」
「わたしの分は、お兄様が食べさせて」
効率悪いな……。
でも世の中効率が全てではないので、ぼくはだまってあーんを受けいれていた。正直なところ、口元がニヤケそうになるのを必死に抑えていた。なんだろうこのにくじゃが、少し砂糖の量が多かったかもしれない、などと非科学的なことを考えてしまう。
「次、お兄様が食べさせて」
「はい、どうぞ」
「ちゃんとかけごえ言って」イレットはぷくっとむくれる。
「……あ、あーん」
「あむ。……はふっ、ん、おいひい」
イレットは幸せそうに笑う。
美味しい、と言ってもらえるのは有り難かった。独り暮らしが始まってから覚えた料理を、今まで他人に振る舞ったことがなかったから。
「肉じゃがって、いかにもカップルって感じよね。女が男の胃袋をつかむのに、肉じゃががいいってテレビで見たわ」
「それ作ったのぼくなんだけど……」
「細かいことはいいじゃん。はいお兄様、あーん」
にんじんを食べさせてもらう。甘い。ぼくが作ったのに、胃袋を掴まれたような気がしてくるから怖い。
「こんなことばっかりしてたら、腑抜けになってしまう……」
「いいじゃない。お兄様は、わたしの傍でずーっとふにゃ〜ってなってればいいの。……はい、もう一口、あーん」
こんにゃくを食べさせてもらった。それを噛みながら今後のことについて思い悩むが、その隣でイレットが『次はわたし、次はわたし』と言わんばかりに自分を指さしてニコニコ笑うので、溜息をつきつつもまた、「あーん」と言いながら食べさせてあげる。
イレットは頬に両手を添えて「んふふ〜♥」と幸せそうだ。その無邪気な様子に、ドキリとぼくの心臓が跳ねた。
……いかん。
人形だぞ、ぼく。落ち着け。
人形(それも少女の形をした)相手に発情して、毎夜毎夜セックスし、それどころか朝も昼も交わり続けるこの、堕落しきった生活。不健全だ。
カレンダーで確認すると、イレットと出会ってから、一か月がたっていた。
その間、イレットにかまけすぎた所為で、確実に講義の遅刻と自主休講が増えている。友人との交流もおざなりになりつつある。あまりにおざなりなので、彼女でも出来たのかと友人達に茶化され、本当にそうなら自慢するのだけど、まさかお人形さんごっこに勤しんでるだなんて口が裂けても言えない。
だからせめて、
「せめてする回数は減らそう。不健全だ。夜だけで充分だ。今日だって、朝っぱらから……」
「えー。でも、わたしにとってはお兄様の精液がご飯なのよ?」
イレットは人間の精を糧とし、例えばぼくにとっての肉じゃがが、イレットにとっての精液だと聞かされていた。ツッコミどころがあり過ぎて何も言えない。
でも確かに、ぼくの精液を吸ったあとのイレットは活き活きしている。今がそうだ。「はいお兄様、次はお肉、あーん」とご機嫌そうに、ぼくに食べさせてくれる。あー畜生、嬉しそうな顔しやがって可愛いだろ止めろよ。
ふと、あることが気になった。
「あー、そういえばさ、イレットって、今まではどうしてたの?」
「ん? 何が?」
「……いや、ぼくに会うまで、ご飯どうしてたのかな、と」
言ってしまってから後悔した。デリカシーに欠ける質問だったかもしれない。
そんなの、訊くまでもなく誰かから絞ってたんだろう。チェリーだったから比較できないけど、イレットって凄く慣れてて上手な気がするし。少なくともぼくが初めてってことはなかっただろう。それどころか今だって、ぼくが知らない間にどこかで他の誰かの精液を絞ってても不思議じゃない。
何と言うか、複雑と言えば複雑だ。人間ならこの淫乱がとでも言えるが、食事と言われれば返す言葉もない。いや別に食事だろうが淫乱だろうが、いいんだけどねそんなことはどうでも。キニシテナイキニシテナイ。ゼンゼンキニシテナイデスヨ?
「……な、なんだよ、ニヤニヤ笑いやがって」
「別にぃ」
イレットはすまし顔でそっぽを向く。……ムカつく女だ。
「ま、お兄様は黙ってわたしに精液を提供し続けてればいいの。他の男にわたしを盗られたくなかったら頑張りなさい」
「調子に乗んな」
「でもえっちこといっぱいするの、まんざらでもないでしょ?」
だから問題なんだよ。
「それにね」イレットは表情を柔らかくする。「なんだかお兄様、わたしにも優しくなった気がする。最初のころはツンツンしてたのに、今はわたしのお願いなら何でもきいてくれるもんね? ふふっ」
否定できない。事実だ。
具体的には、一昨日突然ケーキが食べたいと言い出したイレットにいちごのショートケーキを買わされ、昨日はゼリーが食べたいというのでわざわざそれだけ買いにコンビニまで歩かされた。
一度ビシッと叱ってやらねば、と思っている。思うだけで実行はしていない。
「ねえお兄様、次はいちごのじゃなくて、別のケーキが食べたいわ」
「まだ昨日のゼリーが残ってる」
「じゃあゼリー食べ終わったら買ってね」
イレットはぼくの指に球体関節の指を絡めて、ぼくの腕に抱き着いて上目遣いで媚を売る。熱っぽい視線に頭がくらくらし、ラベンダーの匂いに頭がぴりぴりする。
これではイレットの思うつぼだ。
手のひらの上で踊らされている。
そうと分かっているのに、イレットを溺愛してしまう。魔力の所為に違いない。
あーもう、良い匂いさせるな頬を擦りつけるなこれ以上可愛くするな。
「食べたいなぁ」
「……甘えればなんでも許されると思うなよ」
「ああそうそう、さっきの質問だけど、わたしが愛してるのはお兄様だけだから心配しなくても大丈夫よ。えっちなことするのもお兄様だけ……実はね、リビングドールってわたしだけじゃないの。他にもいっぱいいるわ」
いきなり話が広がったな。
「わたしたちリビングドールは、一人パートナーを見つけたら一生その人から精液を食べさせてもらうの。わたしの場合はそれがお兄様」
「一生……とんでもない貧乏くじをひかされたのか、ぼくは」気が遠くなる。
「やっといい人が見つかって良かった。……もうね、それまで凄く大変だったわ。お腹ペコペコだから殆ど動けなくて、一日中寝てて、それでもなんとか良い相手を見つけようと頑張って……」
イレットは遠い目をして食卓に目を落とす。
そして、ぼくを見上げて満面の笑顔を咲かせた。
「わたしが好きなのはお兄様だけ。えっちなことするのもお兄様だけ。……安心した?」
「別に」
ぼくにだけ固執する必要はない。気が変わったらどこへなりとも行けばいいし、ぼくなんかより精力のある男を見つけていくらでも絞ればいい。むしろそっちの方が清々するね。けっ。
「ねえお兄様、ケーキが食べたい。買ってくれたらお兄様のこと、もっと大好きになるわ」
「……最近新しいお店が出来たらしいから、そこで何か買ってくるよ」
「モンブランがいいな」
「モンブランでもチーズケーキでもホールケーキでもなんでも買ってきてやるよ!」
「わーい。お兄様大好き♥」
弄ばれてる感が凄くする。もういいや。ぼくもケーキ食べたいし。
母が死んで父が消えてずっと家に一人だったから、イレットが家にいると寂しくなくて済むってのもあるし、ケーキくらい安い物だということにしておこう。そうしよう。
肉じゃがを食べ終わると、さっそくイレットは、
「じゃあ早くゼリー食べちゃいましょ。食べ終わったらちゃんとケーキ買いにいってね」
と言い、冷蔵庫から一つ桃のゼリーを持って来た。一セット三個入りのゼリーで、昨日イレットと一個ずつ食べて残り一個なので、ぼくの分はない。おかしいなあ買ってきたのぼくなのに……。
「じゃあぼく勉強してるから、食べ終わったら片づけといてね」
「何言ってるの、お兄さまもゼリー食べるのよ」
「譲ってくれるの? イレットにしては優しいね」
「あむ」
イレットは一人でゼリーを食べはじめた。いいよもう。勝手にしろ。
嘆息しつつ、椅子から立ち上がろうとすると、
そのぼくの肩を、イレットが下に押し戻した。
そして突然、ぼくにキスした。
「んちゅ、ちゅる、」
「ちょっ、ん、ぁむ」
イレットは舌でぼくの唇をこじ開けて、そこに柔らかい何かを押し込んだ。
桃の味がする。ゼリーだ。
ゼリーを口移しされている。
「んむ、ちゅる、ん、あむ、れろ、んちゅ」
ゼリーを使ったイレットのキスはいつも以上に甘くて、ゼリーが口から消えてもずっと舌が絡まり続けていた。
やがてイレットは唇を離して、スプーンでもう一口分ゼリーを掬った。
「まだいっぱいあるわ。たくさんキスしましょ。お兄様だって、ゼリー食べたいでしょ?」
「……そうだね」
「はい、もう一口、あーん」
イレットは、今度はぼくの口にスプーンでゼリーを食べさせて、すかさず唇を重ねた。少しゼリーが漏れて、食卓に落ちた。食べ物を粗末にする、効率の悪い食べ方だ。でも止められない。ぼくは、イレットの後頭部に手を回して、貪るように唇を重ねた。
「んちゅる、んっ、あむ、ちゅる、ちゅる」
「あむ、れろ、ちゅ、じゅる、ちゅる」
「れろ、ちっ、ちゅるる、じゅるる、ちゅる……ぷはっ」
イレットは唇を離し、ドレスの袖で口の涎を拭う。
ぼくはスプーンを手に取ってゼリーを掬い、イレットに食べさせて、唇を重ねた。
「ちゅる、じゅる、あむ、んっ……ねえ、イレット、ぼくばっかりデザート買いに行かせて卑怯だよ。だから、ケーキは二人で買いに行こう」
「……?」
「不健全だよ、引きこもってこんなことばっかりしてたら。だからイレットも外に出た方がいいよ。別に、セックスくらいいくらでもするからさ。魔力とやらであんまり疲れないし。でも、ずっとそればっかは良くないって。だからたまには外にでよう」
ケーキもゼリーも他にもたくさん、ぼくばかりパシリにされた。その間イレットはずっと家にいた。
引きこもってばっかりじゃ、良くないだろう。
外の世界で、他にもたくさん楽しいことを、イレットに経験して欲しい。
「……でも、お兄様」
キスで浮かれていたイレットの表情に、暗い影が差した。
「わたし、これじゃ外に出られないわ」
イレットは自分の手の平を見て、確かめるようにその指を動かした。
球体関節の指。
一般人が見たらどんな反応をするか――想像に難くない。
「……手袋でもすればいいよ。服も目立たないのを買ってくる」
「いいの?」
「お金はたくさんあるからさ」
道楽でツボや絵画を蒐集する父がいる家だ。金には困ったことがなかった。
服くらい何着でも買える。
「……わたし人形の癖に、そんなにワガママでいいのかしら?」
「ワガママって、今更だね。……人形でも、普通にしてていいよ」
「普通といえばお兄様、人形でも子供が出来るのよ?」
「…………」
絶句。
なんでそんな大事なこと、今言うの?
何回中に出したか数えようとして、十回数えたところで諦めた。
「……凄い顔してるわね、お兄様。嘘だから、うーそ」
「し、心臓が止まるかと思った……」
「たぶん嘘。リビングドールって、人形に魂が宿って出来るから。人間みたいには生まれないわ。前は他にも仲間のリビングドールがいたけど、子供が出来たってのは聞いたことないし。ね、安心した?」
イレットは笑った。でもなんだかぼくは、笑えないような気がした。
イレットの目を見られなくなって、視線を逸らした。
「……とにかく、外には出よう。服は買ってあげるから。どんなのがいいかネットや雑誌でリストアップしといてね」
「……ありがと、お兄様」
「他にも要るものがあったら、一緒に買いにでよ」
「……うん」
イレットの表情は、やはり少し暗かった。
きっと、手袋だの服だの子供だの買い出しだの外出だのといった、現実的なことに目を向けて不安になったんだろう。もしかすると、ここに居続けたらぼくの迷惑になる、とか考えているのかもしれない。
ぼくはスプーンでゼリーを掬って、そんな暗い顔のイレットの口に無理矢理押し込み、唇を重ねた。目の前の現実から目を逸らすように、何度もゼリーをスプーンで掬ってお互いの口に入れて、キスを続けた。
そして、ゼリーがなくなった。
「ねえイレット、ぼくはもうイレットがいないと、生きていけないよ。絶対乱暴しないし、どんなワガママもきいてあげるから、ずっとここにいてくれない?」
「……当たり前よ。捨てられても戻ってくるわ」
「約束ね」
「うん」
ゼリーはなくなったけど、またキスをして、その後身体を重ねた。
その最中、責任は取らないとな、と思った。
気持ち良いことだけして、いいとこどりするわけにはいかない、相手が人形だとしても。
前も後ろも分からないけど、イレットの為に出来ることはしておきたい。例えばそう、さっきの話に出てきたイレットの友達とやらを訪ねて情報を集めるとか。思い返せば、ここまで無計画過ぎた。
ワガママでムカつく女だけど、イレットには、幸せになって欲しい。それは本心だ。
せめてイレットの外出が、その幸せの第一歩になればいいな、と思う。
……にいさま……おきて……いさま……おき……
……お兄様……おきて……お兄様、おきて、ねえ、お兄様
「起きろって言ってんでしょ!」
「ぐぇっ!」
仰向けになっていたぼくの腹の上に、重たい衝撃が。
薄目を開けると、ぼやけた視界にイレットがいた。イレットは、ベッドに仰向けのぼくの腹の上に、馬乗りになって目を吊り上げていて、すうぅぅ、と息を吸いこんでいる。
イレットは大口開けて、
「おーきーてーおーにーいーさぁーまあああああ!」
「わあああっ! 起きた! 起きたから、耳元で怒鳴らないで!」
ぼくは寝ていたみたいだ。それをイレットが起こしにきたらしい。掛け時計をみると、午前九時だった。
「ま、まだ九時じゃん……」
「もう九時、よ」
「でも今日は日曜日だし」
「……お兄様、何時間寝てたか知ってる? 昨日の夜九時に寝て、今日の朝九時に起きたのよ。十二時間も寝たら、頭ぼけちゃうわ」
それは確かに寝過ぎだ。本当にそうならだが。
「九時に寝た? そんな早い時間に寝てないと思うけど」
「だってお兄様、気絶しちゃったんだもの」
イレットは胸を張って人差し指を振って、偉そうに、
「大変だったのよ。お兄様、わたしがちょっと精液絞り過ぎちゃっただけで、白目剥いて動かなくなっちゃうんだもん。だから、わたしが後片付け全部して、お兄様に服着せて、部屋のベッドまで運んだの。感謝して」
「……ああ」
ようやく思い出した。イレットが、何か変な魔法みたいなものを使って、確か……魔力が暴走とか。そしたらぼくの身体がおかしくなって、射精が止まらなくなって……今思い出しても身震いする。あれは、本当に絞り殺されるかと思った。
「それにお兄様、寝たままうーんうーんって唸ってるし。悪夢だと思ったから、わざわざ起こして助けてあげたの」
「……それは、うん、夢を見てたから」
「へえ。何の?」
「眠ったふりをしてたイレットが、初めて動いた時のこと」
隣の洋館で、ぼくがイレットの目を触ろうとしたから、イレットが動いて、その後……初めて交わった時のこと。
イレットがニマァ、と口を歪めた。
「ははあん。だからこんなことになってるのね」
「? ……ぁ」
股間に甘い刺激が走った。イレットが、パジャマ越しにぼくの性器を擦っている。……朝立ちで固くなっていた性器を。
「わたしに初めてシテもらった時のこと夢に見て、おっきくしてたのね。寝てる時までおっきくして、お兄様ってほんとえっち」
「それはっ! ……別にそういうことじゃなくて、男は朝起きたらそうなるものなんだよ」
「でも、えっちな夢見てたんでしょ」
「……まあ」
「ほら」
イレットはドヤ顔する。つくづくムカつく女だ。
「もういいだろ。朝ごはん作るから、そこどいて」
「そうね。ご飯にしましょ」
イレットはそう言いつつもぼくのお腹の上から降りず、身体を百八十度回転させ、ぼくのズボンとパンツを下ろして、
性器を咥えた。
「おい!」
「んじゅる、ちゅ、くちゅ、れろ」
「――ッ!」
イレットの激しい舌使いは、寝起きには強烈過ぎた。裏筋やカリに、舌と唇をひっかけてくる。心なしかいつもより、フェラが熱っぽい。
搾り取られて白目剥いて気絶した病人にその仕打ちは……。
「朝は無理! ……昨日たくさんやったじゃないか。も、もうっ、これ以上はっ」
「ちゅく、ちゅるじゅる、じゅるる、くちっ、ちゅる」
まったく聞く耳もたない。イレットの口はぼくの性器にむしゃぶりついて離れず、強制的にぼくの性器に、血と精液が上り詰めていく。
「んじゅる、ちゅちゅっ、くちゅる、じゅるっ」
「ぁ、くっ」
「くちゅる、ちゅる……きゅぱっ」
イレットは性器を吐きだして、ぼくに背を向けたままテンション高めに、声を高くして言う。
「お兄様が、わたしのこと夢にまで見てくれただなんて嬉しいこと言うからもう止まれないわ。よっぽどわたしのこと好きなのね。わたしも、お兄様のこと大大だーい好き。……あむ、んじゅる、くちゅちゅるるっ!」
なんだか可愛いことを言われた。
ぼくの性器を貪るイレットは、ぼくの顔の方に向けてお尻を突きだしている。盛り上がったスカートが嬉しげに揺れていた。
イレットのお尻が、左右にふりふり揺れていて……誘惑しているように思えて……つい手をスカートの中に入れてしまい、下着越しに割れ目をなぞった。
「ひゃっ♥! も、もう、お兄様っ!」
「いいじゃん」
「……うん♥」
なにがいいじゃん、だ。馬鹿だろ、ぼく。
結局朝ごはんを抜いて最後まで済ませてしまい、終わるころには時計の短針が十二時を回っていた。
お昼は残り物の肉じゃがだった。
リビングの食卓にて。
切り崩したジャガイモが、ぼくの口に運ばれていく……自動で。
「はい、あーん」
隣に座ったイレットが、器用に箸を使って、ジャガイモをぼくの口に運ぶ。
「あの、一人で食べられるよ……」
「いいじゃん。誰も見てないんだし」
「イレットが食べられないだろ」
「わたしの分は、お兄様が食べさせて」
効率悪いな……。
でも世の中効率が全てではないので、ぼくはだまってあーんを受けいれていた。正直なところ、口元がニヤケそうになるのを必死に抑えていた。なんだろうこのにくじゃが、少し砂糖の量が多かったかもしれない、などと非科学的なことを考えてしまう。
「次、お兄様が食べさせて」
「はい、どうぞ」
「ちゃんとかけごえ言って」イレットはぷくっとむくれる。
「……あ、あーん」
「あむ。……はふっ、ん、おいひい」
イレットは幸せそうに笑う。
美味しい、と言ってもらえるのは有り難かった。独り暮らしが始まってから覚えた料理を、今まで他人に振る舞ったことがなかったから。
「肉じゃがって、いかにもカップルって感じよね。女が男の胃袋をつかむのに、肉じゃががいいってテレビで見たわ」
「それ作ったのぼくなんだけど……」
「細かいことはいいじゃん。はいお兄様、あーん」
にんじんを食べさせてもらう。甘い。ぼくが作ったのに、胃袋を掴まれたような気がしてくるから怖い。
「こんなことばっかりしてたら、腑抜けになってしまう……」
「いいじゃない。お兄様は、わたしの傍でずーっとふにゃ〜ってなってればいいの。……はい、もう一口、あーん」
こんにゃくを食べさせてもらった。それを噛みながら今後のことについて思い悩むが、その隣でイレットが『次はわたし、次はわたし』と言わんばかりに自分を指さしてニコニコ笑うので、溜息をつきつつもまた、「あーん」と言いながら食べさせてあげる。
イレットは頬に両手を添えて「んふふ〜♥」と幸せそうだ。その無邪気な様子に、ドキリとぼくの心臓が跳ねた。
……いかん。
人形だぞ、ぼく。落ち着け。
人形(それも少女の形をした)相手に発情して、毎夜毎夜セックスし、それどころか朝も昼も交わり続けるこの、堕落しきった生活。不健全だ。
カレンダーで確認すると、イレットと出会ってから、一か月がたっていた。
その間、イレットにかまけすぎた所為で、確実に講義の遅刻と自主休講が増えている。友人との交流もおざなりになりつつある。あまりにおざなりなので、彼女でも出来たのかと友人達に茶化され、本当にそうなら自慢するのだけど、まさかお人形さんごっこに勤しんでるだなんて口が裂けても言えない。
だからせめて、
「せめてする回数は減らそう。不健全だ。夜だけで充分だ。今日だって、朝っぱらから……」
「えー。でも、わたしにとってはお兄様の精液がご飯なのよ?」
イレットは人間の精を糧とし、例えばぼくにとっての肉じゃがが、イレットにとっての精液だと聞かされていた。ツッコミどころがあり過ぎて何も言えない。
でも確かに、ぼくの精液を吸ったあとのイレットは活き活きしている。今がそうだ。「はいお兄様、次はお肉、あーん」とご機嫌そうに、ぼくに食べさせてくれる。あー畜生、嬉しそうな顔しやがって可愛いだろ止めろよ。
ふと、あることが気になった。
「あー、そういえばさ、イレットって、今まではどうしてたの?」
「ん? 何が?」
「……いや、ぼくに会うまで、ご飯どうしてたのかな、と」
言ってしまってから後悔した。デリカシーに欠ける質問だったかもしれない。
そんなの、訊くまでもなく誰かから絞ってたんだろう。チェリーだったから比較できないけど、イレットって凄く慣れてて上手な気がするし。少なくともぼくが初めてってことはなかっただろう。それどころか今だって、ぼくが知らない間にどこかで他の誰かの精液を絞ってても不思議じゃない。
何と言うか、複雑と言えば複雑だ。人間ならこの淫乱がとでも言えるが、食事と言われれば返す言葉もない。いや別に食事だろうが淫乱だろうが、いいんだけどねそんなことはどうでも。キニシテナイキニシテナイ。ゼンゼンキニシテナイデスヨ?
「……な、なんだよ、ニヤニヤ笑いやがって」
「別にぃ」
イレットはすまし顔でそっぽを向く。……ムカつく女だ。
「ま、お兄様は黙ってわたしに精液を提供し続けてればいいの。他の男にわたしを盗られたくなかったら頑張りなさい」
「調子に乗んな」
「でもえっちこといっぱいするの、まんざらでもないでしょ?」
だから問題なんだよ。
「それにね」イレットは表情を柔らかくする。「なんだかお兄様、わたしにも優しくなった気がする。最初のころはツンツンしてたのに、今はわたしのお願いなら何でもきいてくれるもんね? ふふっ」
否定できない。事実だ。
具体的には、一昨日突然ケーキが食べたいと言い出したイレットにいちごのショートケーキを買わされ、昨日はゼリーが食べたいというのでわざわざそれだけ買いにコンビニまで歩かされた。
一度ビシッと叱ってやらねば、と思っている。思うだけで実行はしていない。
「ねえお兄様、次はいちごのじゃなくて、別のケーキが食べたいわ」
「まだ昨日のゼリーが残ってる」
「じゃあゼリー食べ終わったら買ってね」
イレットはぼくの指に球体関節の指を絡めて、ぼくの腕に抱き着いて上目遣いで媚を売る。熱っぽい視線に頭がくらくらし、ラベンダーの匂いに頭がぴりぴりする。
これではイレットの思うつぼだ。
手のひらの上で踊らされている。
そうと分かっているのに、イレットを溺愛してしまう。魔力の所為に違いない。
あーもう、良い匂いさせるな頬を擦りつけるなこれ以上可愛くするな。
「食べたいなぁ」
「……甘えればなんでも許されると思うなよ」
「ああそうそう、さっきの質問だけど、わたしが愛してるのはお兄様だけだから心配しなくても大丈夫よ。えっちなことするのもお兄様だけ……実はね、リビングドールってわたしだけじゃないの。他にもいっぱいいるわ」
いきなり話が広がったな。
「わたしたちリビングドールは、一人パートナーを見つけたら一生その人から精液を食べさせてもらうの。わたしの場合はそれがお兄様」
「一生……とんでもない貧乏くじをひかされたのか、ぼくは」気が遠くなる。
「やっといい人が見つかって良かった。……もうね、それまで凄く大変だったわ。お腹ペコペコだから殆ど動けなくて、一日中寝てて、それでもなんとか良い相手を見つけようと頑張って……」
イレットは遠い目をして食卓に目を落とす。
そして、ぼくを見上げて満面の笑顔を咲かせた。
「わたしが好きなのはお兄様だけ。えっちなことするのもお兄様だけ。……安心した?」
「別に」
ぼくにだけ固執する必要はない。気が変わったらどこへなりとも行けばいいし、ぼくなんかより精力のある男を見つけていくらでも絞ればいい。むしろそっちの方が清々するね。けっ。
「ねえお兄様、ケーキが食べたい。買ってくれたらお兄様のこと、もっと大好きになるわ」
「……最近新しいお店が出来たらしいから、そこで何か買ってくるよ」
「モンブランがいいな」
「モンブランでもチーズケーキでもホールケーキでもなんでも買ってきてやるよ!」
「わーい。お兄様大好き♥」
弄ばれてる感が凄くする。もういいや。ぼくもケーキ食べたいし。
母が死んで父が消えてずっと家に一人だったから、イレットが家にいると寂しくなくて済むってのもあるし、ケーキくらい安い物だということにしておこう。そうしよう。
肉じゃがを食べ終わると、さっそくイレットは、
「じゃあ早くゼリー食べちゃいましょ。食べ終わったらちゃんとケーキ買いにいってね」
と言い、冷蔵庫から一つ桃のゼリーを持って来た。一セット三個入りのゼリーで、昨日イレットと一個ずつ食べて残り一個なので、ぼくの分はない。おかしいなあ買ってきたのぼくなのに……。
「じゃあぼく勉強してるから、食べ終わったら片づけといてね」
「何言ってるの、お兄さまもゼリー食べるのよ」
「譲ってくれるの? イレットにしては優しいね」
「あむ」
イレットは一人でゼリーを食べはじめた。いいよもう。勝手にしろ。
嘆息しつつ、椅子から立ち上がろうとすると、
そのぼくの肩を、イレットが下に押し戻した。
そして突然、ぼくにキスした。
「んちゅ、ちゅる、」
「ちょっ、ん、ぁむ」
イレットは舌でぼくの唇をこじ開けて、そこに柔らかい何かを押し込んだ。
桃の味がする。ゼリーだ。
ゼリーを口移しされている。
「んむ、ちゅる、ん、あむ、れろ、んちゅ」
ゼリーを使ったイレットのキスはいつも以上に甘くて、ゼリーが口から消えてもずっと舌が絡まり続けていた。
やがてイレットは唇を離して、スプーンでもう一口分ゼリーを掬った。
「まだいっぱいあるわ。たくさんキスしましょ。お兄様だって、ゼリー食べたいでしょ?」
「……そうだね」
「はい、もう一口、あーん」
イレットは、今度はぼくの口にスプーンでゼリーを食べさせて、すかさず唇を重ねた。少しゼリーが漏れて、食卓に落ちた。食べ物を粗末にする、効率の悪い食べ方だ。でも止められない。ぼくは、イレットの後頭部に手を回して、貪るように唇を重ねた。
「んちゅる、んっ、あむ、ちゅる、ちゅる」
「あむ、れろ、ちゅ、じゅる、ちゅる」
「れろ、ちっ、ちゅるる、じゅるる、ちゅる……ぷはっ」
イレットは唇を離し、ドレスの袖で口の涎を拭う。
ぼくはスプーンを手に取ってゼリーを掬い、イレットに食べさせて、唇を重ねた。
「ちゅる、じゅる、あむ、んっ……ねえ、イレット、ぼくばっかりデザート買いに行かせて卑怯だよ。だから、ケーキは二人で買いに行こう」
「……?」
「不健全だよ、引きこもってこんなことばっかりしてたら。だからイレットも外に出た方がいいよ。別に、セックスくらいいくらでもするからさ。魔力とやらであんまり疲れないし。でも、ずっとそればっかは良くないって。だからたまには外にでよう」
ケーキもゼリーも他にもたくさん、ぼくばかりパシリにされた。その間イレットはずっと家にいた。
引きこもってばっかりじゃ、良くないだろう。
外の世界で、他にもたくさん楽しいことを、イレットに経験して欲しい。
「……でも、お兄様」
キスで浮かれていたイレットの表情に、暗い影が差した。
「わたし、これじゃ外に出られないわ」
イレットは自分の手の平を見て、確かめるようにその指を動かした。
球体関節の指。
一般人が見たらどんな反応をするか――想像に難くない。
「……手袋でもすればいいよ。服も目立たないのを買ってくる」
「いいの?」
「お金はたくさんあるからさ」
道楽でツボや絵画を蒐集する父がいる家だ。金には困ったことがなかった。
服くらい何着でも買える。
「……わたし人形の癖に、そんなにワガママでいいのかしら?」
「ワガママって、今更だね。……人形でも、普通にしてていいよ」
「普通といえばお兄様、人形でも子供が出来るのよ?」
「…………」
絶句。
なんでそんな大事なこと、今言うの?
何回中に出したか数えようとして、十回数えたところで諦めた。
「……凄い顔してるわね、お兄様。嘘だから、うーそ」
「し、心臓が止まるかと思った……」
「たぶん嘘。リビングドールって、人形に魂が宿って出来るから。人間みたいには生まれないわ。前は他にも仲間のリビングドールがいたけど、子供が出来たってのは聞いたことないし。ね、安心した?」
イレットは笑った。でもなんだかぼくは、笑えないような気がした。
イレットの目を見られなくなって、視線を逸らした。
「……とにかく、外には出よう。服は買ってあげるから。どんなのがいいかネットや雑誌でリストアップしといてね」
「……ありがと、お兄様」
「他にも要るものがあったら、一緒に買いにでよ」
「……うん」
イレットの表情は、やはり少し暗かった。
きっと、手袋だの服だの子供だの買い出しだの外出だのといった、現実的なことに目を向けて不安になったんだろう。もしかすると、ここに居続けたらぼくの迷惑になる、とか考えているのかもしれない。
ぼくはスプーンでゼリーを掬って、そんな暗い顔のイレットの口に無理矢理押し込み、唇を重ねた。目の前の現実から目を逸らすように、何度もゼリーをスプーンで掬ってお互いの口に入れて、キスを続けた。
そして、ゼリーがなくなった。
「ねえイレット、ぼくはもうイレットがいないと、生きていけないよ。絶対乱暴しないし、どんなワガママもきいてあげるから、ずっとここにいてくれない?」
「……当たり前よ。捨てられても戻ってくるわ」
「約束ね」
「うん」
ゼリーはなくなったけど、またキスをして、その後身体を重ねた。
その最中、責任は取らないとな、と思った。
気持ち良いことだけして、いいとこどりするわけにはいかない、相手が人形だとしても。
前も後ろも分からないけど、イレットの為に出来ることはしておきたい。例えばそう、さっきの話に出てきたイレットの友達とやらを訪ねて情報を集めるとか。思い返せば、ここまで無計画過ぎた。
ワガママでムカつく女だけど、イレットには、幸せになって欲しい。それは本心だ。
せめてイレットの外出が、その幸せの第一歩になればいいな、と思う。
14/10/26 11:14更新 / おじゃま姫
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