凱と瑞姫の学園での生活も二ヶ月が経った。
その間、二人は少しずつ想いを温め合い、育み合っていた。
瑞姫も特別クラスの生徒達との交流を少しずつではあるが、行えるようになっていた。

特別クラスは下は12歳、上は18歳の人間の女子のみを集め、中等部・高等部を一まとめに編成した六年制クラスだ。
その総勢は50名と、少子化が取り沙汰される近年では珍しい大所帯だ。

ただ、このクラスには入る条件も非常に特殊であり、
出自等のややこしい事情を抱えた家庭の子――
経済的に困窮を極めた家庭の子――
社会的抹殺を受けた者――
容姿や病気などによる酷い偏見とイジメによって精神的に一生立ち直れない程の傷を負わされた者――
といった、人間社会から爪弾きにされた少女達が特別クラスに編入される。

このクラスの最大の特徴は授業科目の主軸が家庭科と保健体育の二つ、という特殊なカリキュラムを備えている事にある。
招聘された教員は担任である亜莉亜以外、全員が魔物娘であり、本来は教職員であろうとも男子禁制という暗黙の掟さえあったのだ。
そこに凱が用務員として雇われたのは例外中の例外、掟破りに等しい物である。

さて、話は特別クラスに在籍する、一人の女生徒の災難に端を発する。
その女生徒はブレザーの下に長袖のパーカーを羽織り、フードを深々と被っているのが特徴なのだが、
とにかく存在感の薄い、大人しい少女である。

この少女は現在15歳で、本来なら高等部での生活をしていたはずだった。

それが一変する事になったのは中等部の過程を終える少し前―――
彼女の両親が突然、逮捕された事。
それが全ての始まりだった。

・
・・
・・・

少女の自宅に突如、大挙して押し寄せる警官達。
それが何を意味するのかさえ、少女には全く分からなかった。
開かずの間として両親不在間には何重もの鍵がかけられていた部屋に警官達は容赦なく破壊して侵入し、次々と物を運び出して行った。
両親が「伝家の宝刀」と呼んでいた巨大な長物もあっさりと持ち去っていた。

一体何の事かも分からず、気付いた時には警察の取調室で犬、もしくは狼のような耳を持った女性警官と向き合っていた。
少女はとにかく根掘り葉掘り聞かれた。
息つく暇も無い程の、まさにマシンガントークとも言うべき女性警官の質問の応酬に、少女は次第に辟易させられていく。
そうして暫く後に親戚を名乗る女性がやってきた事で、一応の開放はされた。

数日後、再び警察からの出頭命令に赴いた少女を待っていたのは恐るべき事実だった。
両親はテロリスト、正確に言えば母親がテログループの構成員で、父親は母のサポートと武器の密輸売買を専門にしたブローカー。
しかも二人で共謀して殺人や恐喝、強盗までこなしていたと言う事だったのだ。
それも子供には全く知られないほど巧妙に…。
家が裕福だったのは武器だけでは無く、母親が麻薬の密輸売買をしていた為だった事も明らかになった。
結局、少女の家の財産は一つ残らず押収され、手元に残されたのは最低限の衣服と学校の制服、教科書、勉強道具、そして父が密かに教科書の中に忍ばせていた一通の手紙のみだった。

こうして少女は事実上無一文で親戚に引き取られたのだが、それも長くは続かなかった。
新聞にも両親の名が大々的に実名報道され、テロリストの子供という悪名だけが独り歩きし、近所や学校での評判は最悪の極致となった。
親戚もこれにはうんざりさせられ、親戚の実子達もあからさまな悪意と敵意を少女に向けた。

困り果てた親戚は学園へ少女に対する苦情を出し、体良く叩き出す手段に打って出た。
しかし、その思惑は変な所で外れ、学園から「学園内の寮に移すように」という旨の回答が返ってきたのである。
とはいえ結果的に邪魔者を叩き出す事に成功した親族達は後日、祝杯を上げていたという。

中等部卒業間近の少女は、突如として孤独の身に落ちた。
それ故に退学届を出したところへ救いの手を出したのが、学園長であるエルノールであった。

――『授業料が全て支払われているので、寮に入って生活する事。食事等の面倒をみる代わりに、クラスを特別クラスに編入させる』

エルノールから提示された条件を飲む以外、少女に生きる選択肢は無く、少女はそうして特別クラスにやって来たのだ。

・・・
・・
・

龍堂瑞姫が転校してくる二ヶ月程前の出来事である。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

ある日の放課後の図書室。
そこに件の少女はいた。
放っておくと存在さえ確認出来ないと思われる程の希薄な存在感は、却って不気味さを漂わせるくらいに…。

図書室は割と広く、本もびっしりと並んでいる。
下手な図書館よりもマニアックでプレミアがつくような書も揃えてあった。

暫くして、瑞姫と亜莉亜が図書室に入って来た。
亜莉亜は図書委員に二言三言話すと鍵を受け取って、瑞姫を奥へ促す。
図書委員が全て退室したのを確認し、亜莉亜は図書室に「本日貸し切り」の立て札を扉に下げ、内側から鍵をかけた。

遡る事、数日前。
瑞姫はテストの回答欄をずらして書いてしまうという失態を演じ、赤点を取ってしまったのだ。
その補習として、亜莉亜による図書室を貸し切っての勉強会、という訳である。

「瑞姫ちゃん、いくら答えが合っていても、解答欄をずらしてちゃダメですよー？」
「……はい」

気落ちする瑞姫を余所に、亜莉亜は辺りを見回す。
すると、例の少女が本を読んでいる姿を見つける。

「あ、いたですよー。朱鷺子ちゃーん、お待たせですよー」
「……亜莉亜先生？」

朱鷺子、と呼ばれた少女が手にしているのは参考書。
それも高校で習うレベルの物理学、通称「高校物理」のものだ。
物理学とは物理現象の理論やモデルを数学の公式で様々に組み合わせて表したものだ。
故に数学との親和性が非常に強い。
高校物理は要するに「数学の超上級コースのほんの入口」であり、理系大学で学ぶものの基礎の基礎でしかない。

中学高校で習う数学の公式を完全に理解出来なければ、物理は学ぶ以前の問題だ。
因みに凱は理数系との相性が非常に悪く、数学を最も苦手としている。

「え……っ?!　ぶ、物理!?」

瑞姫が驚くのもまた無理もない話。
彼女は理数系に対してはそれほど苦手意識は無いが、流石に高校物理となれば話は違う。
そもそも瑞姫は普通の学年で行けば中学二年、対する朱鷺子は高校一年に相当する。

習うべき教科が根本的に違うし、特別クラスでは個人で希望して習う教科に過ぎない。

「朱鷺子ちゃん、瑞姫ちゃんに《高校物理（それ）》は早過ぎるですよー？」
「あ……、はい」

返事するなり、パタパタと自分の参考書や教科書を仕舞い込む。
それと入れ替えて出したのが、瑞姫が回答欄を間違えて記入した教科である国語だった。

「ほら、瑞姫ちゃんも教科書とノート出してー、じゃ、始めるですよー」

こうして補習授業が幕を開け、その時間は二時間に及んだ。

何故かと言うと、再試験を含めていた為である。
突然の再試験に驚いた瑞姫はどうにかこれをこなすものの、終了後にはすっかり疲労困憊の状態だった。

その休憩で更に一時間後、ようやく瑞姫は解放されたのである。

「それじゃ、気をつけて帰るですよー」

亜莉亜はそう言いながら図書室の鍵を閉め、職員室とは別の方向へ歩いて行った。

「あの、折角ですから、一緒に帰りませんか？」

疲労の色が抜けない瑞姫は図書室を一緒に出た少女に話しかける。
だが――

「……いい」
「え？」
「……寮だから。……じゃ」
「あ、あの！」

呆気に取られる瑞姫を尻目に、少女はまるで逃げるように早足で去っていく。
瑞姫も名前を聞こうと慌てて声をかけるが、後の祭りである。
結局彼女も家に帰るしか手は無く、凱が仕事を終えるまで教室で待つ事になった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

そんなやり取りのあった間、凱は周辺の清掃と報告書作成に追われていた。
しかしながら、特別クラスには部活動を設けていない為、夕方になると魔物娘の教師達は一斉に仕事を終えて帰ってしまうのだ。
よって、報告も次の日の朝に持ち越しになってしまう。
軽く溜息をつく凱であったが、宿直は別の魔物娘が専属で行っている為、現状では彼が当番になる事は無い。
もっとも、その魔物娘に夫が出来れば状況は更に変わってくるのだろうが。

「さて、こんな所か」

報告書の作成を終え、立ちあがって背伸びをすると手荷物を持って職員室を後にする。
だが、職員室を出た刹那、突如現れた人影と思い切り接触してしまう。

「うわ！」「きゃあ！」

思わぬ出来事に体勢を崩すも、凱は辛うじて転倒を免れたが、人影の方はぶつかった勢いで転倒してしまった。
スカートもそうだが、濃紫のネクタイをしていることから特別クラスの生徒である事は一目瞭然だった。
うー、っと唸って蹲る少女を、凱は慌てて助け起こす。

「すまん！　大丈夫か？」
「……大丈夫、です」
「君は、三日月くん？」
「……どうして……ボクの、名前を？」
「着ているパーカー。それで嫌でも覚えた」

名目とはいえ、曲がりなりにも用務員である。
しかもクラスが一つだけなので、職務上、生徒の名は覚えなければならない。

「……用務員さん」
「何だい？」
「……龍堂さんの……お兄さん……ですよね？」
「そうだけど、どうかしたの？」
「……いえ……、何でも、ありません」

名字の時点で彼らが兄妹である事は周知の通り、と言う事だ。

「何を言いたかったかは聞かないけど、妹と……仲良くなって貰えたら嬉しい」
「……何故？」
「《瑞姫（あいつ）》はアルビノ体質のせいで入退院を繰り返してたから……、友達が出来なかったのさ」
「……ボクなんかより……ずっと――幸せだよ！」

ダウナーな口調から突如、語気を強める。
驚く凱に対し、三日月と呼ばれた少女はハッとなる。

「……ごめんなさい」
「謝らなくていい。俺にも落ち度があったみたいだから」
「……でも」
「今来た方向だと、寮に帰るのかい？」
「……はい」
「気をつけてな。もし暇なら日中は宿直室を間借りしてるから、そこに来ると良い」
「……気が向けば」
「ああ、それでいい」
「……では」

言葉少なに少女は早足で寮への道を進み、消える。
凱は軽く深呼吸して気を落ち着かせると職員室の扉を閉め、特別クラスに向かう。
教室に入ると瑞姫が机に突っ伏して寝ており、義兄の気配に気付いたのか、ゆっくりと身体を起こした。

「……お兄さん、遅い」
「すまん。ちょっと仕事が手こずってな」

眠気の抜けない身体を引き摺るように、瑞姫は凱にもたれかかりながら校舎を出る。
家路に着くまでの間、瑞姫から図書室での出来事を聞かされる。
補習の際、不思議な雰囲気をした上級生に出会った、と彼女はたどたどしく話す。
一応の心当たりはあったが、当人とは限らず、凱は当たり障り無い範囲で瑞姫に聞いてみた。

「その人の事を、どう思ってるんだい？」
「お友達に、なれたらいいな……って、思ってる」
「そっか。生徒の人間関係に首を突っ込む事は出来んが、お前にその気持ちがあれば、きっと友達になってくれるさ。焦るな」
「……うん」

凱は友達という言葉に幾度も騙され、裏切られた者の一人だ。
しかし瑞姫がそれを知らないのもあったので、敢えて心にも無い事を言ってしまう。
力の無い返事をする彼女の様子に、勘付かれのかとも考えるが、瑞姫がそれ以上の言葉を出さなかったので分かり様が無く、二人はそのまま家路に着いた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

それから数日経った週末。
いつものように弁当を作って出勤・登校する二人であったが、特別クラスの様子が少々妙な雰囲気になっていた。
瑞姫が教室に入ると、ひそひそ話が絶えない。
周りを良く見ると前日とは明らかに違う点があった。
黒でなお且つ兎の耳が付いたパーカーを着ていた者がいたのだ。

常日頃からパーカーを着る者はこのクラスにただ一人、三日月と名乗った少女その人だったから。

亜莉亜が教室に入るとすぐさまホームルームが始まる。
しかし、彼女はあまりにも唐突に宣言する。

「今日は予定を変更して、クラス全体でお菓子作りとティーパーティーを行うですよ〜！」

あまりにも突飛なレクリエーションの開催に生徒達は動揺する。

「でも安心するですよー。今回は先生方も全員、このクラスの行事に参加するです。その前に、10人で一グループを作ってもらうですよ。今から五分ですよー。――始めー！」

ドカドカと机と椅子が鳴らされ、バタバタと足音が響き、教室内はまるで人混みそのものとなった。
それなりに、もしくは何となく、仲良くなっていた者は次第にグループを形成して行く。
時間が経つ度にあぶれる者が出て、無情にも五分は経ってしまった。

「そこまでですよー！」

亜莉亜が見渡すと、人間関係を如実に表すかのようなグループの組み方であった。
あぶれた者は瑞姫のような先天的な病を持つ者、容姿の悪い者、犯罪者を親に持つ子と言った、明らかに関わりたくない者達で固められていた。
如何に特別クラスと言えども、生徒は人間。
一枚岩ではない事を瑞姫は改めて思い知らされる。

「そこの端にいる人達は、不本意かも知れないですがグループを組むですよ。では、エプロンを持って学食に移動ですよ！」

先に出た四つのグループから、まるで障害物のように押し退けられ、悔し涙を流す者もいた。
けれど瑞姫は勇気を振り絞り、声を上げた。

「わたし達の、この集まりは、きっと……、きっと意味がある、と思います！　その……料理やお菓子作りが出来る人は、いませんか？」

瑞姫がそう声かけすると、何と半数が手を上げた。

「わたし達で、意地を、見せましょう！」

密かに足を震わせている瑞姫の傍に来たウサ耳パーカーの少女が、瑞姫の肩に手を置く。

「……ボク……、本気出す……かも」

その声を皮切りに「やろう！」「見返そう！」と声が上がる。

「ありがとう、ございます。えっと……」
「……三日月。……三日月朱鷺子（みかづき・ときこ）」
「ありがとうございます、三日月さん」
「……朱鷺子で……いい」
「朱鷺子、さん。その、もしよろしければ、友達に……なって、もらえますか？」
「……こんなボクで、いいなら。ボクも……瑞姫ちゃん、と呼ぶね」

龍堂瑞姫と三日月朱鷺子。
後に一人の男と共に歩む事になる二人が友となった、まさにその瞬間だった。

■作者メッセージ
かなり強引な展開になってしまった感があります、ハイ…。
文字数も前までの話に比べれば少なかった事に、自分でも驚きです。

人間である以上、優劣や好き嫌いでグループを組む事は必ずあります。
皆さんもそれを目にした事が一度はある筈ですから…。